信州安曇野の碌山美術館さんでの展示です。
高村光太郎の当館が所蔵する彫刻を10点、詩直筆原稿4点・彫刻10点 高村智恵子の紙絵10点(会期中入れ替えあり)を展示します。
10点の内訳は、
「薄命児男児頭部」(明治38年=1905)
「園田孝吉胸像」(大正4年=1915)
「裸婦坐像」(大正6年=1917)
「腕」(大正7年)
「手」( 〃 )
「老人の首」(大正14年=1925)
「光雲一周忌記念胸像」
「倉田雲平胸像」(昭和29年=1954)
です。すべて光太郎歿後の鋳造と思われますが、光太郎作品の鋳造を多く手がけた齋藤明氏(光太郎実弟・髙村豊周の弟子筋)のそれも含まれ、いい「抜き」になっています。
ただ、残念ながら光太郎木彫は同館に所蔵が無く、貸し出しも受けないそうです。
他に、髙村家からの借り受けで、智恵子紙絵の実物と、光太郎詩稿。さらに当方が関連書籍6冊お貸ししました。戦時中の翼賛詩集三冊、戦後の詩集『典型』(昭和25年=1950)、光太郎没後に草野心平が鉄筆を執りガリ版刷りで刊行された『猛獣篇』(昭和37年=1962)、智恵子が表紙絵を描いた『青鞜』(明治45年=1912)。『道程』(大正3年=1914)と『智恵子抄』(昭和16年=1941)は、同館が所蔵しているものが並ぶようですのでお貸ししませんでした。
お送りするのに使った箱が少し大きめだったので、自作ブロンズ彫刻を描いた光太郎ペン画が口絵として使われている書籍も2冊同梱しましたところ、そちらも展示して下さるそうです。『晶子短歌全集 第三巻』と渡辺湖畔著『若き日の祈祷』。ともに大正9年(1920)の刊行です。
口絵のページを開いてこんな感じで並べてくれ、とお願いしておきました。
当方、7月23日(日)に伺う予定で居ります。皆様もぜひ足をお運び下さい。
【折々のことば・光太郎】
少しのんきな位になつてたのしく此世を暮してゆかれるといいがなあとよく思ひます。 それには「自然」に眼を向ける事、毎朝太陽を見る事、深呼吸、雨の音をきく事、 星の知識を学ぶ事、 草木をいぢくる事、 鳥獣の友達となる事、 うたをうたふ事、 そんな事をしてゐるうちに心が自然とのびやかになる事だらうと思ひます。
その通りだなぁ、という気がしますね。
夏季特別企画『生誕140周年高村光太郎展』
期 日 : 2023年7月21日(金)~9月10日(日)
会 場 : 碌山美術館第二展示棟 長野県安曇野市穂高5095-1
時 間 : 9:00~17:10
休 館 : 期間中無休
料 金 : 一般 900円 高校生 300円 小中生 150円
※障がい者手帳をお持ちの方は半額
20名様以上団体料金 大人800円/高校生250円/小中生100円
高村光太郎の当館が所蔵する彫刻を10点、詩直筆原稿4点・彫刻10点 高村智恵子の紙絵10点(会期中入れ替えあり)を展示します。
同館では光太郎ブロンズ彫刻を10点所蔵しており、その全てが並びます。通常、常設展示として第一展示棟にそれらを入れ替えながら展示して下さっているのですが、10点全てを出すのはこういう機会でもないと、というところです。
10点の内訳は、
「薄命児男児頭部」(明治38年=1905)
「園田孝吉胸像」(大正4年=1915)
「裸婦坐像」(大正6年=1917)
「腕」(大正7年)
「手」( 〃 )
「老人の首」(大正14年=1925)
「光雲一周忌記念胸像」
(昭和10年=1935)
「乙女の像(小型試作)」(昭和27年=1952)
「乙女の像(中型試作)」(昭和28年=1953)「倉田雲平胸像」(昭和29年=1954)
です。すべて光太郎歿後の鋳造と思われますが、光太郎作品の鋳造を多く手がけた齋藤明氏(光太郎実弟・髙村豊周の弟子筋)のそれも含まれ、いい「抜き」になっています。
ただ、残念ながら光太郎木彫は同館に所蔵が無く、貸し出しも受けないそうです。
他に、髙村家からの借り受けで、智恵子紙絵の実物と、光太郎詩稿。さらに当方が関連書籍6冊お貸ししました。戦時中の翼賛詩集三冊、戦後の詩集『典型』(昭和25年=1950)、光太郎没後に草野心平が鉄筆を執りガリ版刷りで刊行された『猛獣篇』(昭和37年=1962)、智恵子が表紙絵を描いた『青鞜』(明治45年=1912)。『道程』(大正3年=1914)と『智恵子抄』(昭和16年=1941)は、同館が所蔵しているものが並ぶようですのでお貸ししませんでした。
お送りするのに使った箱が少し大きめだったので、自作ブロンズ彫刻を描いた光太郎ペン画が口絵として使われている書籍も2冊同梱しましたところ、そちらも展示して下さるそうです。『晶子短歌全集 第三巻』と渡辺湖畔著『若き日の祈祷』。ともに大正9年(1920)の刊行です。
口絵のページを開いてこんな感じで並べてくれ、とお願いしておきました。
当方、7月23日(日)に伺う予定で居ります。皆様もぜひ足をお運び下さい。
【折々のことば・光太郎】
少しのんきな位になつてたのしく此世を暮してゆかれるといいがなあとよく思ひます。 それには「自然」に眼を向ける事、毎朝太陽を見る事、深呼吸、雨の音をきく事、 星の知識を学ぶ事、 草木をいぢくる事、 鳥獣の友達となる事、 うたをうたふ事、 そんな事をしてゐるうちに心が自然とのびやかになる事だらうと思ひます。
昭和3年(1928)10月27日 水野葉舟宛書簡より 光太郎46歳
その通りだなぁ、という気がしますね。