毎月15日に、光太郎第二の故郷ともいうべき、岩手県花巻市の「道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)」さん内の「ミレットキッチン花(フラワー)」さんで販売されている豪華弁当「」。今月分がこちら。メニュー考案に当たられているさんから画像を送りいただきました。
メニューは「さやえんどう入り炒飯」「味噌焼おにぎり」「マグロ焼き魚」「じゃが玉ねぎ煮込み」「さやいんげんの油炒め」「トウモロコシ焼」「キュウリの酢の物」「こかぶ漬け」「塩麹入り卵焼き」「番茶寒天」だそうです。かつて光太郎が花巻郊外旧太田村の山小屋で作っていた野菜類がふんだんに盛り込まれています。
メニュー考案にあたられているやつかの森LLCさん、今月27日、花巻市東和町の「ワンデイシェフの大食堂」さんに「こうたろうカフェ」としてご出店の予定。
メニュー考案にあたられているやつかの森LLCさん、今月27日、花巻市東和町の「ワンデイシェフの大食堂」さんに「こうたろうカフェ」としてご出店の予定。
そちらのメニュー、「白身魚のムニエル~バジルソース~」「ズッキーニのソテー」など。光太郎が好きだったバター、あんこなどをたっぷり使うそうで。茄子やキュウリなど夏野菜は、光太郎が暮らしていた花巻太田産を使われるとのことです。
花巻ついでにもう1件。今月15日発行の『広報はなまき』。
市内の博物館・記念館等の文化施設などで所蔵している逸品を紹介する「花巻歴史探訪 郷土ゆかりの文化財編」というコーナーがあり、花巻高村光太郎記念館さんで開催中の で展示されている光太郎のスケッチが紹介されています。ただし、こちらは複製だったような気がするのですが……。
27日、「ワンデイシェフの大食堂」さんの「こうたろうカフェ」、それからテーマ展『山のスケッチ』、それぞれ、ぜひ足をお運び下さい。
【折々のことば・光太郎】
東京の夏にはまつたく年々愛想がつきます。とてもやりきれません。此は私の個人的生理に基づく事です。それでますます北緯五十度の方へ牽かれます。 北海道で自分の生活と仕事とを大成したい念願が強まるばかりです。山へヒツコムのでは無くて前進するのです。人生への一つの道を開墾するのです。そこを根拠にして一つの生活と空気とを創りたい気がします。
夏の暑さに弱かった光太郎、明治末にほとんど無計画で北海道移住を企てましたがすごすごと1ヶ月程で退散したにも拘わらず、またぞろこの時期に北への憧れを募らせていました。
結局、この時期にもそれは果たせず、意外な形で実現するのは、戦後の花巻郊外旧太田村移住においてでした。
花巻ついでにもう1件。今月15日発行の『広報はなまき』。
市内の博物館・記念館等の文化施設などで所蔵している逸品を紹介する「花巻歴史探訪 郷土ゆかりの文化財編」というコーナーがあり、花巻高村光太郎記念館さんで開催中の で展示されている光太郎のスケッチが紹介されています。ただし、こちらは複製だったような気がするのですが……。
27日、「ワンデイシェフの大食堂」さんの「こうたろうカフェ」、それからテーマ展『山のスケッチ』、それぞれ、ぜひ足をお運び下さい。
【折々のことば・光太郎】
東京の夏にはまつたく年々愛想がつきます。とてもやりきれません。此は私の個人的生理に基づく事です。それでますます北緯五十度の方へ牽かれます。 北海道で自分の生活と仕事とを大成したい念願が強まるばかりです。山へヒツコムのでは無くて前進するのです。人生への一つの道を開墾するのです。そこを根拠にして一つの生活と空気とを創りたい気がします。
昭和3年(1928)9月25日 更科源蔵宛書簡より 光太郎46歳
夏の暑さに弱かった光太郎、明治末にほとんど無計画で北海道移住を企てましたがすごすごと1ヶ月程で退散したにも拘わらず、またぞろこの時期に北への憧れを募らせていました。
結局、この時期にもそれは果たせず、意外な形で実現するのは、戦後の花巻郊外旧太田村移住においてでした。