明日開幕の企画展等、2件。いずれも東北地方での開催です。
今泉篤男(いまいずみあつお 1902~1984 米沢市出身)は、戦前から評論活動をスタートし、国内外の美術工芸に関する幅広い分野を対象とした美術評論家です。一方で、東京国立近代美術館初代次長、京都国立近代美術館初代館長を勤めた美術館人でもありました。国立美術館の仕事のほか、資生堂ギャラリーをはじめとする多くの美術館運営に関わり、評論家としては1950年代に日本の「近代絵画」をめぐる問題提起が「今泉旋風」を巻き起こすなど、今日でも美術界全体に今泉の足跡をみることが出来ます。本展では、今泉篤男の遺した多彩な仕事を、ゆかりの作家の作品と今泉の言葉を通して紹介します。
今泉篤男と美術 ひたすらに己の眼と言葉を信じ 美術評論家・美術館人として歩んだ生涯
期 日 : 2023年7月8日(土)~8月20日(日)
会 場 : 米沢市上杉博物館 山形県米沢市丸の内一丁目2番1号
時 間 : 9:00~17:00
休 館 : 毎週月曜日 (月曜日が休日の場合はその直後の平日)
料 金 : 一般490(390)円 高大生340(270)円 小中生240(190)円
※( )内は20名以上の団体
※( )内は20名以上の団体
今泉篤男(いまいずみあつお 1902~1984 米沢市出身)は、戦前から評論活動をスタートし、国内外の美術工芸に関する幅広い分野を対象とした美術評論家です。一方で、東京国立近代美術館初代次長、京都国立近代美術館初代館長を勤めた美術館人でもありました。国立美術館の仕事のほか、資生堂ギャラリーをはじめとする多くの美術館運営に関わり、評論家としては1950年代に日本の「近代絵画」をめぐる問題提起が「今泉旋風」を巻き起こすなど、今日でも美術界全体に今泉の足跡をみることが出来ます。本展では、今泉篤男の遺した多彩な仕事を、ゆかりの作家の作品と今泉の言葉を通して紹介します。
展示構成
第一章 生い立ち 米沢・山形での学生時代 第二章 東京帝国大学~留学 初期の評論活動
第三章 美術批評家 今泉篤男の誕生 第四章 美術館人として 美術評論家として
第五章 工芸への情熱 第六章 ゆかりの作家たちと郷里へのまなざしと
今泉は光太郎とも親しく、光太郎は戦時中の昭和19年(1944)には雑誌『美術』に載った「回想録」を今泉に口述したりしています(掲載は翌年)。
そこで、光太郎の木彫「鯰」のうち、竹橋の国立近代美術館さん所蔵のもの(大正15年=1926)が出張。
他に濱田庄司、椿貞雄、梅原龍三郎、安井曾太郎、平櫛田中、バーナード・リーチら、光太郎と関わりのあった面々の作も。さらにルノワールや加守田章二(高村光太郎受賞者)なども。
もう1件。同日開幕で、光太郎の父・光雲の木彫が出ます。
本展では、伊藤若冲や琳派を中心とした江戸時代の絵画や近代絵画の名品など、皇室ゆかりの名宝をご覧いただくとともに、秋田県出身の平福百穗が結成した「金鈴社」のメンバーの作品など、秋田県ゆかりの絵画や美術工芸品(明治時代の七宝や彫刻、金工品)を展示します。あわせて、明治天皇や秩父宮雍仁親王による秋田県訪問の様子を納めた写真をパネル展示し、皇室と秋田県のつながりをご覧いただきます。
光太郎、光雲共に木彫作品を直に見られる機会はそう多くありません。この機会にぜひどうぞ。
【折々のことば・光太郎】
彫刻界の対人関係などにあまり頭を使はない方がいいかと思ひます。さういふ事は皆一場の喜劇に過ぎません。
山本の父・瑞雲は光太郎の父・光雲の高弟の一人。稚彦自身も彫刻家となりました。光太郎同様、二代目的な部分でいろいろあったのでしょうか。
第三章 美術批評家 今泉篤男の誕生 第四章 美術館人として 美術評論家として
第五章 工芸への情熱 第六章 ゆかりの作家たちと郷里へのまなざしと
今泉は光太郎とも親しく、光太郎は戦時中の昭和19年(1944)には雑誌『美術』に載った「回想録」を今泉に口述したりしています(掲載は翌年)。
そこで、光太郎の木彫「鯰」のうち、竹橋の国立近代美術館さん所蔵のもの(大正15年=1926)が出張。
他に濱田庄司、椿貞雄、梅原龍三郎、安井曾太郎、平櫛田中、バーナード・リーチら、光太郎と関わりのあった面々の作も。さらにルノワールや加守田章二(高村光太郎受賞者)なども。
もう1件。同日開幕で、光太郎の父・光雲の木彫が出ます。
皇室の名宝と秋田~三の丸尚蔵館 収蔵品展~
期 日 : 前期 2023年7月8日(土)~8月2日(水)
後期 2023年8月5日(土)~9月3日(日)
後期 2023年8月5日(土)~9月3日(日)
会 場 : 秋田県立近代美術館 秋田県横手市赤坂字富ヶ沢62-46
時 間 : 午前9時30分~午後5時
休 館 : 8月3日(木)、8月4日(金)
料 金 : 一般 ¥1200 (1000) 高・大学生 ¥1000(800) 中学生以下無料
※( )内は前売り、20名以上の団体本展では、伊藤若冲や琳派を中心とした江戸時代の絵画や近代絵画の名品など、皇室ゆかりの名宝をご覧いただくとともに、秋田県出身の平福百穗が結成した「金鈴社」のメンバーの作品など、秋田県ゆかりの絵画や美術工芸品(明治時代の七宝や彫刻、金工品)を展示します。あわせて、明治天皇や秩父宮雍仁親王による秋田県訪問の様子を納めた写真をパネル展示し、皇室と秋田県のつながりをご覧いただきます。
皇居内の三の丸尚蔵館さんが改修中のため、出開帳的な。これまでも各地で行われてきていますし、今年はこの後も、光雲作品が出るそれが岡山と石川でも予定されています。
秋田で出品される光雲木彫は「文使」(明治33年=1900)。ただし前期(7/8~8/2)のみです。
当時の皇太子(後の大正天皇)ご成婚に際し逓信省から献上されたもので、台座部分には螺鈿と蒔絵の装飾も施されているなど、入魂の作です。秋田で出品される光雲木彫は「文使」(明治33年=1900)。ただし前期(7/8~8/2)のみです。
光太郎、光雲共に木彫作品を直に見られる機会はそう多くありません。この機会にぜひどうぞ。
【折々のことば・光太郎】
彫刻界の対人関係などにあまり頭を使はない方がいいかと思ひます。さういふ事は皆一場の喜劇に過ぎません。
昭和2年(1927)5月6日 山本稚彦宛書簡より 光太郎45歳
山本の父・瑞雲は光太郎の父・光雲の高弟の一人。稚彦自身も彫刻家となりました。光太郎同様、二代目的な部分でいろいろあったのでしょうか。