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自称詞〈僕〉の歴史

2023年6月30日 友田健太郎著 河出書房新社(河出新書) 定価980円+税

なぜ〈僕〉という一人称は明治以降、急速に広がり、ほぼ男性だけに定着したのか。古代から現代までの〈僕〉の変遷を詳細に追い、現代の日本社会が抱える問題まで浮き彫りにする画期的な書。

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目次
はじめに
第1章 〈僕〉という問題
 WBCを席捲した〈僕〉
 野球スター今昔――〈ワイ〉から〈僕〉へ
 スポーツ界で一般化する〈僕〉
 EXILEには〈僕〉を使うルールがある?
 女性にも広がる〈僕〉
 〈僕〉が登場する記事が三〇倍に
 「主体」を出す表現が増えてきている?
 〈僕〉が選ばれる割合が増加
 〈僕〉は戦後世代の自称詞に
 〈僕〉が増えた理由は?
 主な自称詞の由来や性質
 男性が最も一般的に使うのは〈俺〉
 自称詞とは?
 すり減っていく「敬意」
  自称詞が徐々に「偉そう」に
 〈僕〉が平等を促進?
第2章 〈僕〉の来歴――古代から江戸時代後期まで
 日本最古の〈僕〉
 「古事記」の世界観を表現
 「日本書紀」の〈僕〉
 中国から来た〈僕〉
 〈僕〉の二つの意味合い
 中世の欠落
 〈僕〉が使われ始めた元禄時代
 初期の用例
 唐代の「師道論」
 元禄時代の〈僕〉は師道論へのオマージュ
 身分制度の性格を離れた友情を表す〈僕〉
 広がる〈僕〉使用
 渡辺崋山の〈僕〉
第3章 〈僕〉、連帯を呼びかける――吉田松陰の自称詞と志士活動
 吉田松陰という人
 長州の学問の伝統
 松陰の人間関係
 松陰の書簡の分類
 〈僕〉の使用が少ない家族宛書簡
 「友人宛」で〈僕〉を多く使用
 弟子宛書簡にも多い〈僕〉
 親友でもあった兄・梅太郎
 秀才の初めての挫折
 秀才の初めての非行
 黒船が来て政治に目覚める
 黒船に乗り込み、完全にコースを外れる
 兄との激論
 熊皮の敷物に込めた思い
 松陰の出獄と松下村塾の始まり
 政治活動の激化
 感情の揺れと〈僕〉
 同志に贈る書簡の〈僕〉
 領分関係者への〈僕〉
 〈僕〉に込めた「対等性」
第4章 〈僕〉たちの明治維新――松陰の弟子たちの友情と死
 弟子たちの重要性
 貴公子・高杉晋作
 藩医の家の孤児・久坂玄瑞
 武家社会の末端・入江杉蔵
 松陰との出会い
 松陰と杉蔵兄弟の入獄
 杉蔵に死を迫った松陰
 杉蔵の反発と松陰の謝罪
 家庭事情を打ち明ける晋作
 玄瑞に友情を求める晋作
 晋作と松陰
 松陰の死
 玄瑞と杉蔵の友情
 杉蔵の志士活動の挫折
 過激化する晋作と玄瑞
 杉蔵の志士活動の本格化
 杉蔵と玄瑞の最期
 その後の晋作
 身分社会の崩壊と〈僕〉
第5章 〈僕〉の変貌――「エリートの自称詞」から「自由な個人」へ
 下級武士が中心となった革命
 明治時代の教育の普及
 『安愚楽鍋』の〈僕〉
 河竹黙阿弥の歌舞伎台本
 黙阿弥作品の〈僕〉――教育との関わり
 黙阿弥作品の〈僕〉――金と権力
 明治の「立身出世」と〈僕〉
 江戸文人の〈僕〉
 黙阿弥の引退作に使われた〈僕〉
 泥棒から権力者へ
 黙阿弥自身の遺した〈僕〉
 教育の普及
 近代日本文学は「〈僕〉たちの文学」
 文豪・漱石の〈僕〉〈君〉
 明治時代の庶民と〈僕〉
 大杉栄の〈僕〉
 高村光太郎の〈僕〉
 戦没学生の〈僕〉の分析
 女性への呼びかけとしての〈僕〉
 軍隊と〈僕〉
 『戦没農民兵士の手紙』との比較
 戦後の大学進学率の上昇と〈僕〉の普及
 連続殺人鬼・大久保清の〈ぼく〉
 「男はつらいよ」諏訪家三代の〈僕〉
 三田誠広の『僕って何』
 村上春樹の〈僕〉
 社会へのコミットメントを深める村上春樹
 〈僕〉の可能性は
終章 女性と〈僕〉――自由を求めて
 これまでのまとめ
 ストーリーの欠落としての女性
 江戸時代、女性は〈僕〉を使わなかった?
 「男性化」への拒否感
 『女性は女性らしく』
 河竹黙阿弥が描いた女書生の〈僕〉
 繁=お繁の自称詞使い分け
 『当世書生気質』の中の女性の〈僕〉
 『浮雲』の中の女性の〈僕〉
 〈僕〉が映す学生文化への憧れ
 田辺聖子『藪の鶯』
 天才少女の小説『婦女の鑑』
 翻訳小説に登場した〈僕〉
 樋口一葉の登場
 一葉の使った〈僕〉
 男女の人生の違いを浮き彫りに
 与謝野晶子の苦痛
 「男装の麗人」水の江滝子の〈僕〉
 宝塚の〈僕〉
 綿々と続く男装文化
 奇人・本荘幽蘭の〈僕〉
  川島芳子の〈僕〉
 男装の影の「素顔」
 川島芳子は生きていた?
 戦中の「礼法要項」に定められた男女の別
 戦後の〈僕〉の光景――林芙美子の『浮雲』
 戦後の教室での自称詞
 『リボンの騎士』と『ベルサイユのばら』
 その後の少女マンガの〈僕〉
 性的マイノリティにとっても〈僕〉
 〈僕ら〉と〈わたしたち〉
 詩人・最果タヒの〈ぼく〉
 人々の思いを映し、日本語の「現在」を示す〈僕〉
おわりに

「自称詞」というあまり聞き慣れない語がタイトルに使われています。英語圏などの「代名詞」との性格の違いを考慮してのことだそうです。

他言語との比較で云えば、確かに日本語の一人称は「私(わたし)」「私(わたくし)」「俺」「某(それがし)」「小生」「余」「朕」「儂(わし)」、そして「僕」など(実際に使うか使わないかは別として)、さらに方言まで含めればいったいどれだけあるんだ、ですね。そしてそれぞれに微妙なニュアンスの違いがあるわけで。

よく使われる例えですが「吾輩は猫である」。英訳してみれば「I am a cat」。「吾輩」という偉そうな響きはまったく影を潜めてしまいますし、「である」という断定口調(「です」ともまた異なる)も表せません。だから日本語の方が優れている、と云うつもりは全くありませんが。

そして本書で取り上げられている「僕」。たしかに不思議な言葉ですね。一般に、女性は使いません。また、男性であってもオールマイティーにどんな場面でも、というわけではありません。実際に当方、学校を出てからこのかた「僕」を使った覚えはありません。というか、既に学生時代にはオフィシャルな場面では「自分」と云っていた記憶がありますし、現在でも「自分」です。

当方の中では「僕」は割と年配の男性が使うというイメージがありました。当会顧問であらせられた故・北川太一先生は常に「僕」でしたし、亡くなった父親も対外的にはよく「僕」と云っていました。

ところが、最近、「僕」が世の中を席捲している、という例から本書は始まります。確かに大谷翔平選手らスポーツ界、それから著者の友田氏は芸能界でEXILEさんを例に挙げていますが、インタビュー等で彼らは「僕」を多用し、それが爽やかさや謙虚さ、親しみやすさの表明にも繋がっている、と、いうわけです。

そして古今の「僕」の使われ方を帰納的に分析。すると、元禄の頃から使用例が増え、幕末には吉田松陰らをはじめ、当時の知識階級などが連帯感を示すものとして広く用いるようになり、さらに維新後の教育のあり方などとも結びついて、一般化していったという論。うなずけました。

そんな中で、「高村光太郎の〈僕〉」という項も設けられ、詩「道程」(大正3年=1914)などでの「僕」が論じられています。ちなみに光太郎は詩の中では「僕」以外にも「俺」「おれ」「私」「わたし」「わたくし」「われら」(戦時中)などを使い分けていました(友田氏、ちゃんとそこもカバーしています)し、日記では「我」(明治期)「余」(戦後)なども使っていました。おそらく学部生の卒論などでもこういう内容はあったことでしょう。

本書の場合、特定の人物に偏らず、かなり広範囲にその使用例を求め、それぞれの人物がどういう背景の下に「僕」を使っていたのかを、世相や社会状況、おのおのが置かれていた立場などとからめて論じている点が優れているところです。さらに昨今のジェンダーフリー的な部分への言及も為されています。

ぜひお買い求めを。

【折々のことば・光太郎】

詩を書かないでいると死にたくなる人だけ詩を書くといいと思ひます。


昭和2年(1927)2月24日 正富汪洋宛書簡より 光太郎45歳

正富が編集に当たっていた雑誌『新進詩人』のアンケート「詩界に就て」の回答として送られた返信用往復葉書から。そこで『高村光太郎全集』には、書簡の巻とアンケート回答の載った巻と、2箇所に掲載されています。

どきりとさせられますが、詩に限らず、芸術等の全ての分野に云えることではないでしょうか。