岩手より帰って参りました。レポートいたします。

6月30日(金)、盛岡駅で花巻市役所の方々などの乗られる車に拾っていただき、盛岡スコーレ高等学校さんへ。
PXL_20230630_072224056
同校は、光太郎と親しかった羽仁吉一・もと子夫妻が戦前に創立した都下東久留米市の自由学園さんの流れを汲み、その関係もあって光太郎との交流が生まれました。

同校サイトに載った沿革史から。
無題
創立者・吉田幾世は、昭和7年(1932)に郷里に帰ってから、羽仁夫妻の創刊で光太郎が数多くの寄稿をし、智恵子も取材を受けた雑誌『婦人之友』の友の会盛岡支部の仕事なども行い、その流れの中で昭和8年(1933)、「盛岡友の会生活学校」を開校させました(そこから数えて今年で創立90周年だそうで)。戦後に各種学校の認可を受け、さらに新制高校へと変わって行きます。
PXL_20230630_071942132
そうした中で、羽仁夫妻の指示もあったのだと思いますが、吉田が花巻郊外旧太田村に隠棲していた光太郎の元を訪ね、交流が始まりました。光太郎は同校の「生活即教育」という理念のもと、いろいろと物づくりに取り組む姿勢に共鳴し、ホームスパン制作などを推奨し、それが現在も続いています。
001 PXL_20230630_070419440.MP
PXL_20230630_065751209
PXL_20230630_065834696
光太郎、盛岡を訪れた際には同校にも足を運び、同校からも遠足を兼ねて当時の生徒さんたちが光太郎の山小屋を慰問に訪れるなどしました。

戦後の光太郎、日本の将来を創っていく若い世代にかける期待は大きかったようで、山小屋近くの山口小学校や太田中学校、盛岡では県立美術工芸学校(現・岩手大学さん)、少年刑務所さん、そしてスコーレさん(当時は盛岡生活学校)などに積極的に関わりました。

さて、今秋、花巻高村光太郎記念館さんを会場に、吉田と光太郎の関わりを中心とした企画展が行われ、当方にも協力要請があって、お借りするものの下見などを含め、お邪魔した次第です。

同校や関係者に贈られた光太郎直筆の書。
PXL_20230630_064241727
PXL_20230630_064223056
光太郎の山小屋を生徒さんたちが訪問した際の写真パネル。
PXL_20230630_064244991
現代の生徒さんたちが文化祭の展示として作った光太郎との交流史。
PXL_20230630_064616518
羽仁夫妻、自由学園さん、『婦人之友』などにも触れつつ、これから展示構成を花巻市さんと詰めていこうと存じます。

その後、例によって花巻南温泉峡、大沢温泉さん自炊部に宿泊。
PXL_20230630_082750078
翌7月1日(土)、旧太田村へ。

光太郎が7年間暮らした山小屋(高村山荘)。
PXL_20230701_003355071
こちらの套屋の内部に、やはりスコーレさんで撮影された写真も。
PXL_20230701_003623993
光太郎が着ているのはホームスパンの猟人服ですね。
PXL_20230701_003827072 PXL_20230701_003059970
隣接する花巻高村光太郎記念館さんで開催中のテーマ展『山のスケッチ』を拝見。
PXL_20230701_000725485
パネル等の壁面展示のみでした。
PXL_20230701_001605135
PXL_20230701_001645823
PXL_20230701_001419236
PXL_20230701_001433653.MP
PXL_20230701_001439356
PXL_20230701_001611631 PXL_20230701_001618442

光太郎散文「山の春」(昭和26年=1951 ちなみにこれも『婦人之友』に寄稿されました)を元に、当時の写真、光太郎画集『山のスケツチ』(没後の昭和41年=1966、中央公論美術出版)から精密複製、そして描かれている植物を最近撮った写真。

以前にも書きましたが、牧野富太郎をモデルとしたNHKさんの「らんまん」で植物が静かなブームですので、タイムリーな企画ではないでしょうか。

関連資料として詩「山菜ミヅ」原稿(昭和22年=1947)、一点だけ実物の光太郎スケッチ(太田村風景)、「花は何とて」詩稿。
PXL_20230701_001507110
PXL_20230701_001530338.MP
PXL_20230701_001500340.MP
このうち、「花は何とて」は、戦時中の昭和20年(1945)、花巻町の宮沢家に疎開していた折の作と推定されます。この頃構想していた翼賛詩ではない詩集『花と実』の序詩として書かれました。結局、詩集は未完に終わり、この詩も生前に発表されることはありませんでした。

展示されているのは、花巻病院長だった佐藤隆房に贈ったもの。光太郎が手元に残した手控えの詩稿と、若干の表記の相違が認められます。
無題2
こちらのテーマ展示は8月31日(木)まで。是非足をお運び下さい。

さらに、4月から5月にかけて開催された企画展「山口山の木工展」で展示された、奥州市胆沢に「木工房さとう」を構え、木のおもちゃやカラクリ作品などを製作しているさとうつかさ氏の作品の一部が、ロビーに展示されています。宮沢賢治や光太郎の世界観があたたかく表現されていて、ほっこり。
PXL_20230701_002324411.MP
PXL_20230701_002416793
PXL_20230701_002426295.MP
PXL_20230701_002432941
併せてご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

友の会の例会を左の通り催したいと存じます故どうぞ、 ○今月十五日午後二時より ○拙宅にて ○会費三十銭

昭和2年(1927)1月8日 今井武夫宛書簡より 光太郎45歳

「友の会」は「ロマンロラン友の会」。片山敏彦、高田博厚、尾崎喜八なども会員でした。
002