テレビ放映情報です。
■行くぞ<奥州街道>116キロ■福島<東北のお伊勢さま>からゴールは宮城の名湯<遠刈田温泉>ですが■村上佳菜子が超天然でケンコバはドシャ降り!ヤバいよ×2SP■
出川哲朗の充電させてもらえませんか?【村上佳菜子&ケンコバ<奥州街道>SP】
地上波テレビ東京 2023年7月1日(土) 18:30〜20:54【見逃し配信】https://video.tv-tokyo.co.jp/degawacharging/
福島・郡山市「みちのくのお伊勢さま」開成山大神宮をスタートして宮城・蔵王町の遠刈田温泉を目指す充電旅。開成山大神宮にお参りした出川と熊谷Dは電動バイクで旅をスタート。奥州街道を北上していると、ゲストの村上佳菜子と合流する。ショーが近いので髪の毛をオレンジ色にしたという村上に、出川は「ファンキーな方なんで」と驚く。初バイクの村上と出発すると、本宮駅付近でソースかつ丼のお店が有名と知り、行ってみる。
出川はあいもり丼、村上はカツ丼を頼むも、熊谷Dのソースカツ丼が気になってカツ交換。熊谷Dの丼がちょっとだけ残念な感じに…。この先に伝説の鬼婆がいた場所があると聞いて向かっていると老舗和菓子店を発見、冷凍生どら焼きを購入する。その後、高村智恵子の生家を発見するも、出川は鬼婆伝説と混ざって混乱してしまう。その後、鬼婆伝説の寺に到着した3人は、鬼婆の恐ろしさを知ることになる。
再び出発すると熊谷Dと出川のバッテリーが切れ、村上がひとりで充電場所探しへ。充電させていただいたお宅と鬼婆伝説の寺に繋がりがあるとわかり、ご縁を感じる。充電後、現れない熊谷Dを心配しながら出川と村上は福島市の中心部へ。すると村上は急に自分の姿を恥ずかしがる。熊谷Dと合流し、名物の円盤餃子が食べられるお店で「妖怪サラダおばけ」とよばれる村上と円盤餃子やねぎそばなど福島名物を満喫。
今晩の宿探しへ向かおうとするも、外はまさかの雨。温泉街へ向かおうとしていた3人は急遽作戦会議をする。翌朝、宿で村上と別れ、出発した出川と熊谷Dはどしゃ降りの中に佇むゲストのケンドーコバヤシと合流。飯坂温泉の公衆浴場で撮影交渉するも入れず、紹介してもらった日帰り入浴のある旅館で湯船がおかめの温泉に入浴。すると、出川が体の一部を吸われてしまう。湯あがり後は、カフェでラヂウム玉子のパスタをいただく。
宮城・白石市でケンコバのバッテリーが切れ、出川と熊谷Dは充電場所探しへ。民家で充電させていただき、白石うーめんのお店へ向かうもまさかの閉店後。しかし、お店の方のご厚意に3人は感激する。その後も強まる雨の中、発見した温泉で体を温め、男性の背中を流す。英気を養った3人は、ゴールの遠刈田温泉を目指すのだが、強雨の中、出川が「人の声が聞こえる」と言い、ケンコバを怯えさせる。はたしてゴールできるのか!?
【出演】 出川哲朗、熊谷D 【ゲストライダー】 村上佳菜子、ケンドーコバヤシ
福島・郡山から宮城・遠刈田温泉への電動バイク旅。智恵子の故郷・二本松では、智恵子生家に立ち寄られるそうです。
出川さんと村上佳菜子さん、智恵子実家の長沼酒店のはっぴ姿の画像が公開されています。
また、鬼婆伝説の観世寺さんでのやりとりが予告編としてYouTubeに。
出川さんを上回る村上さんの天然ぶりが何とも云えません(笑)。
試聴可能な方、是非ご覧下さい。地上波テレ東さん系、放映されていない地域の方、ネットでの見逃し配信もあるそうです。
【折々のことば・光太郎】
二ケ月ばかり手許を離れて東京 大阪等の奉讃展覧会に出品せられをり候拙作彫刻、やうやうく昨日無事返還いたされ候。 貴下におゆづり申上候「なまづ」も何等損傷無く、僅かに着色に少しばかりの変化ありたるのみに候。 ついては二三日手許に置きて調色いたしたる上、尚外箱を造りて 直接貴下宛発送いたす可く候間 此段御承知置被下度候。
「奉讃展覧会」は、「第一回聖徳太子奉賛美術展」。文展などの官設の展覧会には出品しようとしなかった光太郎が、ブロンズ「老人の首」(大正14年=1925)、木彫「鯰」(大正15年=1926)を出品し、「高村が展覧会に彫刻を出した!」と周囲を驚かせました。
福島・郡山から宮城・遠刈田温泉への電動バイク旅。智恵子の故郷・二本松では、智恵子生家に立ち寄られるそうです。
出川さんと村上佳菜子さん、智恵子実家の長沼酒店のはっぴ姿の画像が公開されています。
また、鬼婆伝説の観世寺さんでのやりとりが予告編としてYouTubeに。
出川さんを上回る村上さんの天然ぶりが何とも云えません(笑)。
試聴可能な方、是非ご覧下さい。地上波テレ東さん系、放映されていない地域の方、ネットでの見逃し配信もあるそうです。
【折々のことば・光太郎】
二ケ月ばかり手許を離れて東京 大阪等の奉讃展覧会に出品せられをり候拙作彫刻、やうやうく昨日無事返還いたされ候。 貴下におゆづり申上候「なまづ」も何等損傷無く、僅かに着色に少しばかりの変化ありたるのみに候。 ついては二三日手許に置きて調色いたしたる上、尚外箱を造りて 直接貴下宛発送いたす可く候間 此段御承知置被下度候。
大正15年(1926)7月31日 小沢佐助宛書簡より 光太郎44歳
「奉讃展覧会」は、「第一回聖徳太子奉賛美術展」。文展などの官設の展覧会には出品しようとしなかった光太郎が、ブロンズ「老人の首」(大正14年=1925)、木彫「鯰」(大正15年=1926)を出品し、「高村が展覧会に彫刻を出した!」と周囲を驚かせました。
同展が無審査の展覧会だったためで、それならば出品もやぶさかでない、という考えでした。この後も昭和2年(1927)と翌年に開催された、やはり無審査の「大調和展」にも作品を出しています。
ちなみにこの時出品された「鯰」は現在、竹橋の国立近代美術館さんの所蔵です。