2026年07月

3件ご紹介します。

まず7月11日(土)、『岩手日日』さん。

地元民が見た光太郎 花巻疎開80年 証言や逸話収録

 北上市江釣子の八重樫健一さん(76)は、彫刻家、詩人の高村光太郎(1883~1956年)の花巻市疎開80年を記念し、光太郎と地元の人々の交流をまとめた記念誌「高村光太郎の花巻疎開を語る 宮森祐昭の80年史」を発行した。高村光太郎記念会事務局長などを務めた故宮森祐昭さんらの談話をまとめ、地元民の目を通した光太郎の姿を伝えている。
 八重樫さんは宮森さんの義理のいとこ。長年光太郎の研究を行い、今年4月には研究成果をまとめた企画展を北上市内で開いた。
 記念誌は光太郎が太田村山口(現花巻市)に疎開していた7年間について宮森さんや妻の則子さん、疎開中に同村長を務めていた高橋雅郎さんらの証言を基に解説。オクラやパセリの栽培に挑戦して失敗したり、旧山口小学校の子どもが家に押し掛けてきた際に「突然やって来るのは泥棒かフランス革命だ」と説教したりするなど、親しみを感じさせる光太郎のエピソードを掲載している。
 八重樫さんは「地元民の視点から見た光太郎の姿を残したくて本にした。疎開から80年。当時を知る人たちで、しのぶ会なども開けたら」と語っている。
 記念誌は花巻市に寄贈され、市内4ヶ所の図書館で読むことができる。掲載資料などを紹介する企画展は、北上市の北上地区合同庁舎で今月末まで開かれている。

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4月にご紹介した北上市での展示「高村光太郎花巻疎開80年」に関してですね。図録というか、展示内容に関わる冊子が作られたとのことで。

光太郎の昭和20年(1945)から同27年(1952)にわたる花巻及び郊外旧太田村での生活に関しての地元の方々による回想、証言は、『高村光太郎山居七年』(昭和37年=1962 筑摩書房 新版・平成27年=2015 花巻高村光太郎記念会)や『201人の証言 啄木・賢治・光太郎』(昭和51年=1976 読売新聞社盛岡支局)に収められていますが、それらを補うものなのでしょう。

入手できることがあったらまたご紹介します。

続いて青森の地方紙『デーリー東北』さん、7月9日(木)の記事。

「りんご娘」が歌って踊ってPR 青森の魅力発信へMV撮影/十和田

 台湾や香港からの観光客向けに青森県の魅力を発信する曲「Waiha!AOMORI」のミュージックビデオの撮影が4日、十和田市の十和田湖畔休屋地区で行われた。撮影にはご当地アイドル「りんご娘」のメンバー4人も参加。これまで弘前市や青森市でもロケを行っており、今秋にも公開予定という。
 毎月約340万人が利用し、日本での遊び方や買い物、ホテルなどの情報を発信するサイト「樂吃購(ラーチーゴー)!日本」を運営するジーリーメディアグループ(東京都)が企画。曲中では、雪の多さや十和田湖、「朝ラー(朝からラーメン)文化」などを歌詞に盛り込んでいる。
 同日の撮影では、同湖畔の乙女の像の近くで、作詞を担当した同社の吉田皓一社長と、りんご娘が曲に合わせてダンスするシーンの撮影が行われた。
 吉田社長は「東京や大阪とは違う点や人情を強調した曲となっており、地元の人にも青森の良さに気付くきっかけにしていただければ」、りんご娘の金星さんは「青森の魅力を県内外だけでなく、国外にも発信する機会をいただけてうれしい。ご当地アイドルとして、胸を張ってやっていきたい」とアピールした。
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かつて王林さんが所属し、リーダーを務められていたご当地アイドルユニット「りんご娘」さんが参加したMV撮影が、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」近くで行われたというもの。りんご娘さんとしての楽曲ではなく青森をPRする「Waiha!AOMORI」で、りんご娘さんも加わっている、という位置づけでしょうか。

思い出したのは平成29年(2017)に青森県として制作した県のPR動画「ディス(り)カバリー青森」。この際も「乙女の像」を写し込んで撮影されました。
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「乙女の像」、今後とも貢献を続けてほしいものです(笑)。

ついでにもう1件、昨日の『東京新聞』さん一面コラム。光太郎についてはほとんどマクラですが(笑)。

筆洗

暑くなってきた。少し前までは朝晩であればエアコンなしでもやり過ごせたが、もういけない▼高村光太郎の詩に「きつぱりと冬が来た」という一節があったが、温暖化の近ごろは、冬よりも夏の方が「きつぱり」と来て、容赦のない印象がある。公園のセミの声も先週よりも大きく、しっかりしてきたようだ。やれやれ▼この季節、犬を飼う人が困るのは散歩だろう。夏場の散歩に推奨されている朝晩であっても、気温はなかなか下がらない。昼間に熱せられた地面の近いところを歩く犬である。しかも汗をかけないので、体温調整がうまくできない。犬用の「ネッククーラー」もあるが、あれも中の保冷剤がたちまち冷たくなくなり、どれほどの効果があるか▼この夏、熱波が襲った欧州では犬の散歩をどうしているのかと思えば英インディペンデント紙のサイトに専門家がこんなことを書いていた。「散歩しないで死んだ犬はいない。夏場に運動させすぎて死んだ犬はたくさんいる」▼なるほど、最近の暑さを思えば、夏の間だけは散歩の時間を極端に短くするか、思い切って見合わせるのも手なのかもしれない。散歩を楽しみに待つ犬には気の毒ながら危険は避けたい▼散歩中、落ち着かなくなり、歩行が不安定になったときは熱中症が疑われ、ただちに冷やしてやる必要があるそうだ。犬も歩けば熱にあたる。冗談ではなく。

今日現在、梅雨明けの発表になっていない地域がほとんどですが、それだけに湿度が高く蒸し暑い日が続いております。体調管理には十分お気を付け下さい。人間様もそうですが、コラムでは犬の暑さ対策。当方も愛犬が存命だった頃はたしかに大変でした。

現在いるこいつは散歩に連れ出す必要がないので助かっています(笑)。
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それでもいつにも増して、ぐでっとしていますが(笑)。

繰り返しますが、体調管理には十分お気を付け下さい。

【高村光太郎書誌】

選集等(翻訳・部分) 4 『現代譯詩集』増補決定版 現代日本文学全集93

昭和50年(1975)3月20日 筑摩書房
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目次
 於母影(新聲社) 海潮音(上田敏) 牧羊神(上田敏) 珊瑚集(永井荷風)
 白孔雀(西條八十) 明るい時(高村光太郎) 草の葉(有島武郎) 
 まざあ・ぐうす(北原白秋) 月下の一群(堀口大学) 車塵集(佐藤春夫)
 山内義雄譯詩集 海表集(日夏耿之介)
 解説 河盛好蔵
 作者紹介

光太郎訳の「明るい時」は、ベルギーの詩人エミール・ヴェルハーレンの詩集です。妻のマルト・マッサンとの日々を歌ったもので『智恵子抄』にも多大な影響を与えました。

福岡から演劇系の公演情報です。

夢宵の晩餐会〜グラスの中の物語 玄海椿×佐藤金之助=ピアノで綴る高村光太郎の世界

期 日 : 2026年7月26日(日)
会 場 : シアターカフェ 愛と青春のふる~れ 福岡市東区箱崎1-33-9 ウインドウビル3F
時 間 : 16:00~
料 金 : 観劇のみ 4,000円 (ワンドリンク&ワンフードオーダー)
      観劇+晩餐会 7,000円 (料理付き飲み放題)

智恵子抄、初の生演奏!それも、天才ピアニストと!新しい智恵子抄が生まれます!

 ・『春らんまん』関洋子・渋谷幸世(16:00〜)
 ・『小さなステージ』牧島富美(16:30〜)
 ・『智恵子抄』玄海椿✖️佐藤金之助(17:30〜)
 ・晩餐会(19:00〜21:00)
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福岡を拠点に活動されている玄海椿さん率いる「芝居屋企画」さんの主宰公演。玄海さんご自身はオリジナルの脚本による一人芝居をたくさんお持ちで、そのラインナップの一つに「智恵子抄」。これまでも複数回演じられていて、当方、平成24年(2012)には福岡まで拝見に伺いました。

今回は劇中の音楽が佐藤金之助氏という方のピアノで。佐藤氏はシャンソン系の方で、ピアノ演奏以外にご自分で歌われることもおありだとのこと。日本シャンソン・カンツォーネ振興協会さんのサイトによれば、当方がさんざんお世話になっている渡辺えりさんとの共演もおありだとか。世間は狭いなと思いました(笑)。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

選集等(翻訳・部分) 3 『人生の名著19 ゴッホの手紙 V・ゴッホ ノア・ノア P・ゴーガン ロダンの言葉 A・ロダン』

昭和43年(1968)10月30日 大和書房
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目次
 ゴッホの手紙 アルルの黄色い小さな家 V・ゴッホ 飯島耕一訳
 ノア・ノア ――タヒチ紀行―― P・ゴーガン 大島利治訳
 ロダンの言葉 A・ロダン 高村光太郎訳
  ロダン手記
    ヹヌス(ヴィーナス) フランスの自然 ランスの本寺 夜の本寺 花について
   女の肖像
   芸術家の一日
    庭園の朝 古代彫刻の断片 庭園の夕
   断片 若き芸術家達に(遺稿)
  筆録集
   ギユスターヴ・コキヨによる筆録 ジユヂト・クラデルによる筆録
   ポール・グゼルによる筆録
    肉づけ 芸術における神秘 芸術における動勢 断片
   フレデリク・ロートンによる筆録
    古代芸術の教訓(その一) 古代芸術の教訓(その二) 断片
   ロダンの手帳――クラデル編
    昔の仕事場と今日の学校 構造と肉づけ 古代芸術の伝統的法則
 解説 大岡信
 月報 芸術家との決定的な出会い 小海永二

「ロダンの言葉」からの抜粋がこの手の選集ものに組み込まれるケースもありました。

一昨日のこのブログで、岩波書店さんの「岩波文庫創刊100年記念 読者リクエスト復刊2027」について書きました。同文庫が来年で100周年だそうで、それに伴って絶版となっているものの復刊リクエストが行われているという件。

対象書籍に、光太郎著の美術評論集『緑色の太陽』、光太郎訳の『ロダンの言葉』が含まれているので、投票をお願いしますとしましたが、光太郎の父・光雲がらみを失念していました。こちらも2冊あります。

まず光雲の単著で『幕末維新懐古談』(平成7年=1995)。元版は昭和4年(1929)、萬里閣書房から刊行された『光雲懐古談』。その前半3分の2ほどの「昔ばなし」編を一冊にしたもので、光太郎の友人だった作家・田村松魚が光雲宅に出向いて、光太郎の同席の上、光雲に語ってもらい筆録した回顧談です。一部はそれ以前に公の場で語ったものも含まれます。

仏師・高村東雲の元での徒弟時代の思い出から、戊辰戦争など幕末維新の混乱期の世相、独立後に手がけたいくつかの代表作についての解説など、非常に興味深い内容です。
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ちなみに元版の題字揮毫は息子の光太郎です。

同様に「昔ばなし」のみを一冊にまとめたものは、昭和42年(1967)に中央公論美術出版から『木彫七十年』の題で、昭和45年(1970)には新人物往来社が『高村光雲懐古談』と題して、さらに岩波さんで文庫化した後の平成12年(2000)に日本図書センターから「人間の記録」シリーズの一冊で『高村光雲 木彫七十年』として刊行されています。すべて絶版です。
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ただ、ネットの青空文庫さんで、岩波文庫版を底本に全文が登録されていますし、それをさらに転用した電子書籍も出ているようです。そちらで手軽に読めるため、岩波文庫版の売り上げも落ちてしまったのかも知れません。

もう一冊、『戊辰物語』(昭和58年=1983)。
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底本は昭和3年(1928)に萬里閣書房から出た同名の書。
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『東京日日新聞』に昭和2年(1927)から翌年にかけて連載された「戊辰物語」、大正15年(1926)の連載の「五十年前」、そして単行本化の際に増補された「維新前後」の三章から成ります。

各界著名人やその係累の談話筆記で、語り手は金子堅太郎子爵、近藤勇五郎(新選組局長・近藤勇の娘婿)、落語家の三代目柳家小さんなど。そこに光雲も含まれています。光雲の談話はまず「威勢の見せ処、門松すす払い」「淋しい江戸の春」「銭湯の七不思議女湯の刀掛け」「御諚かしこし江戸城の広さ」の項に。それぞれの項に複数人の談話が収められています。それから「彫刻が紙袋に入れられて」という項はまるまる全編が光雲。明治初年、廃仏毀釈で仏像の注文が途絶え、多くの仏師が輸出用の象牙彫刻に転じ、粗悪なものも多く作られるようになったという話です。

これら2冊も復刊されて然るべきと思われます。御協力をよろしくお願い申し上げます。

【高村光太郎書誌】

選集等(翻訳・部分) 2 『世界の名訳詩集Ⅱ』世界の名詩集 別巻2

昭和42年(1967)12月15日 三笠書房 山室静編
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目次
 堀口大学 「月下の一群」抄 (詳細略)
 高村光太郎 「明るい時」「午後の時」「天上の炎」抄
  明るい時
   一(エミイル・ヹルハアラン) 二(同) 四(同) 十(同) 十五(同)
  午後の時
   一(エミイル・ヹルハアラン) 二(同) 三(同) 四(同) 十二(同)
  天上の炎
   新らしい都(エミイル・ヹルハアラン) 今日の人に(同) 
   或る夕暮の路ゆく人に(同)
  他の詩集から
   パン焼(エミイル・ヹルハアラン) 吾家のまはり(同)
 日夏耿之介 「海表集」「英国神秘詩鈔」「ワイルド詩集」「唐山感情集」抄(詳細略)
 堀辰雄(詳細略)
 解説 山室静

訳詩に特化した選集です。光太郎訳は全てベルギーの詩人、エミール・ヴェルハーレンの作品です。

昨日は墨田区両国の両国シティコアさんに行っておりました。こちらのギャラリーΧ(カイ)さんで開催された「劇舎カナリア・シアター 『書声展』さっちゃんは戦争を知らない ちづちゃんは戦後を知らない 詩人と市井の人びと声なき声の展覧」拝観のためです。
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光太郎と交流のあった岩手出身の詩人・宮静枝の詩集『さっちゃんは戦争を知らない』(平成13年=2001 熊谷印刷出版部)、『山荘 光太郎残影』(平成4年=1992 同)を軸にした朗読劇ふうの公演でした。『山荘 光太郎残影』は、まるまる一冊、昭和26年(1951)に静枝が令甥と子息二人とを伴って花巻郊外旧太田村の光太郎の山小屋(高村山荘)を訪問したことを題材とした詩集で、その年の第33回晩翠賞に輝いた作です。
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受付で配られたフライヤー的なポストカードには、昭和26年(1951)の山小屋前での光太郎、静枝、そして子息の文彦氏の写真。『山荘 光太郎残影』にも同じショットが掲載されています。

会場がホールではなく、ギャラリーとして貸し出されているスペース。中央に大きな柱があり、四囲に椅子を配して聴衆はそこに座るという形。一応、正面は決まっているものの、それにとらわれず演者の皆さんは柱の周りを回りながら、朗読したり歌ったりでした。
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中央の柱、周囲の壁、それから正面に書作品。基本的に静枝の詩句を書いたもので、子息・文彦氏の奥様で、書家であらせられる宮絢子氏の書です。そこで公演タイトルに「書声展」と謳われ、書と声のコラボ、という位置づけでした。

開演前に見て廻って撮影しました。
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PXL_20260713_053716331『山荘 光太郎残影』に収められた詩からも。したがって光太郎の名が。
 
   飾り窓の女

 疎林を透かして
 日毎に静かな落日
 ハンの木の紐花がこぼす金色の花粉

 パリの飾り窓の女の
 遠い記憶の耳飾りを ふと思っている

「疎林」「ハンの木」は、山小屋の周りに現在も群生している榛の木で、地元では「やつか」「やっか」と呼んでいます。

「パリの飾り窓」については、明治末の滞仏体験を静枝に語ったことに由来するのでしょう。光太郎は山小屋周辺がパリのフォンテーヌブローの森と似ている、などとも語ったそうです。

   蟬を彫る

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 無心に蟬を彫る光太郎
 影がかすかに揺れる

 遠くで山鳴りがしている
 ノミを止めてふと思う
    どこから――なにゆえ――
 はるかな時間だったと思う
 きのうのこと とも思う
 放たれた一本の道を来るしかなかった

 いま光太郎は心の遠い風景のなかで
 一匹の蝉を残して去ろうとする
 シー
 心中でしきりに蝉が涕いている

 祖国とは光太郎にして
 一匹の蝉だったのだ
 十七年を地中にひそんでいて
 地上に七日生きる蝉の業と
 光太郎の負った人間の業が重なって重い
 旅は終焉に近い

 やがて山荘は雪の柩となるだろう


作品として発表することはありませんでしたし、現存が確認できていないのですが、山小屋でも光太郎は蝉を彫っていました。複数の目撃証言が残っています。うち一点は帯留めに仕立て、宮沢賢治の実弟・清六の夫人に贈りました。そんな話も静枝との間で為されたのでしょうか。

さて、開演。
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ささいけい子氏という方と寺田明子氏という方がメインで朗読されたり歌ったりでしたが、今回の公演のプロデューサー・山本健翔氏ご自身も出演され、書を書かれた絢子氏も朗読。文彦氏は最後のご挨拶まで喋られませんでしたが、正面の屏風の前で座られていました。その文彦氏視点での部分も多くありました。

先述の通り、静枝の詩集『さっちゃんは戦争を知らない』、『山荘 光太郎残影』を軸に、絢子氏のご両親の書き残されたもの(新潟・村上市の空襲で絢子氏の叔母様が亡くなられたそうで)、特攻兵の書き残した詩なども織り交ぜ、さらに劇作家・加藤道夫(女優の加藤治子氏の夫)のからみも。

全体に反戦を訴える内容で、まさに政治がおかしくなっている2026年の現代に刃を突きつけるような感じでした。

アンチテーゼとして、光太郎の負の遺産・黒歴史である翼賛詩「十二月八日」(昭和17年=1942)、「必死の時」(昭和16年=1941)、戦後になってそれを恥じた「わが詩をよみて人死に就けり」(昭和22年=1947)や「報告(智恵子に)」(同)、さらには「レモン哀歌」(昭和14年=1939)まで取り上げられました。

終演後。
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文彦氏、絢子氏、山本健翔氏、それから客席にいらしていた文彦氏のお兄様の暠成(こうせい)氏とお話をさせていただき、連翹忌の集いへのお誘いを致しました。ここ2年間、生前の光太郎を直接ご存じの方のご参加がありませんで、ぜひいらしていただいて皆様に光太郎の思い出話を賜りたいと存じまして。暠成(こうせい)氏も昭和26年(1951)に光太郎の山小屋を訪れられています。
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ちなみにご一行が光太郎の山小屋を訪れられたのは昭和26年(1951)11月11日。その2日前の11月9日には、後に宮城県歌人協会会長などを務められた佐久間晟氏と、奥様でやはり歌人のすゑ子氏が、花巻温泉の仲居さん・八重樫マサの案内で山小屋を訪れています。
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この際の様子を奥様が歌誌『地中海』平成17年(2005)1月号に短歌と文章で書かれ、たまたまその情報を得ましてお二人に連絡、お二人がお住まいの仙台でお会いし、貴重なお話を伺う事が出来ました。その内容を『高村光太郎研究』第28号(平成19年=2007)に「高村山荘訪問記 佐久間晟・すゑ子夫妻聞き書き」として掲載させていただきました。
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お話を伺った後、それをご存じなかったので、ご夫妻に「2日後に光太郎を訪問された方の詩集です」と、『山荘 光太郎残影』を古書市場で見つけて贈りましたところ、非常に喜ばれました。

75年前、2日違いで光太郎を訪問された佐久間ご夫妻、宮ご兄弟2組のそれぞれからお話を伺え、奇縁を感じております。

以上、レポートを終わります。

【高村光太郎書誌】

選集等(翻訳・部分) 1 『美の本体 芸術に関する101章 ロダンの言葉 ゴッホの手紙 回想のセザンヌ ベートーヴェンの生涯』世界教養全集 12

昭和37年(1962)6月30日 平凡社
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目次
 美の本体 岸田劉生 (詳細略)
  解説 岸田麗子
 芸術に関する一〇一章 アラン 斎藤正二訳(詳細略)
  解説 斎藤正二
 ロダンの言葉 A.ロダン 高村光太郎訳 今泉篤男編
  ギュスターヴ コキヨ筆録 
  ロダン手記
   ヹヌス フランスの自然 ランスの本寺 花について 女の肖像
     若き芸術家達に(遺稿) 断片(『ロダンの言葉』より) 断片(『続ロダンの言葉』より)
  ジュヂト クラデル筆録 ポール グゼル筆録
  解説 今泉篤男
 ゴッホの手紙 V.ゴッホ 三好達治訳(詳細略)
  解説 石原八束
 回想のセザンヌ E.ベルナール 有島生馬訳(詳細略)
  解説 有島生馬
 ベートーヴェンの生涯 ロマン・ロラン 平岡昇訳(詳細略)
  解説 平岡昇

今日からのこの項、光太郎の翻訳を含む複数人による選集ものを扱います。文学全集ものが流行り出すと、海外の作品を集めたものも多く出版されるようになりました。

岩波書店さんの岩波文庫が来年で100周年だそうで、それに伴って絶版となっているものの復刊リクエストが行われています。

岩波文庫創刊100年記念 読者リクエスト復刊2027

あなたのリクエストであの岩波文庫がよみがえる

来年2027年、岩波文庫は創刊100年を迎えます。岩波文庫創刊100年を記念して、読者の皆さまからリクエストをお寄せいただき、長らく品切れておりました名著・名作書目を一挙復刊いたします。
いつか読もうと思っていたあの本や、憧れのあの人が愛読したというあの本を、今こそ手にしたい——。創刊100年のこの機に、読者の皆さまのそのような思いにお応えできますと幸いです。

■企画概要
皆さまからのリクエストを募集いたします。復刊希望の岩波文庫のタイトルをお教えください。リクエストは以下の方法でお受けします。
■リクエスト方法
<特設ページ>
特設ページにアクセスいただき復刊希望書籍をご選択のうえご投票ください。
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サイト上に候補作品がずらっと並んでいます。
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その中に、光太郎がらみが2冊。訳書『ロダンの言葉抄』と、美術評論集の『緑色の太陽』です。
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『ロダンの言葉抄』は、昭和35年(1960)に文庫化。大正5年(1916)に阿蘭陀書房から出た『ロダンの言葉』、同9年(1916)に叢文閣から出た『続ロダンの言葉』から、光太郎と交流のあった共に彫刻家の高田博厚と菊池一雄が再編した厚冊です。図版も数多く収録されており、理解の手助けとなっています。
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光太郎実弟にして鋳金の人間国宝だった豊周の『光太郎回想』(昭和37年=1962 有信堂)から。

 この頃、「ロダンの言葉」を訳しはじめたのは、兄にとっても、僕たちにとっても、今考えると全く画期的な大きな仕事だったと思う。
 雑誌にのった時は読まなかったけれど、本になってからは僕も繰返して愛読した。あの訳には実に苦心していて、ロダンの言葉を訳しながら兄の文体が出来上がっているようなところもあるし、芸術に対する考え方も決って来ているところが見え、また採用した訳語も的確で、「動勢」とか「返相」とか兄の造った言葉で今でも使われているものが沢山ある。そんな意味で、あれは兄には本当に大事な本だった。
 それだけに、他の学校は知らないが、上野の美術学校では、みなあの本を持っていて、クリスチャンの学生がバイブルを読むように、学生達に大きな強い感化を与えている。実際、バイブルを持つように若い学生は「ロダンの言葉」を抱えて歩いていた。その感化も表面的、技巧的ではなしに、もっと深いところで、彫刻のみならず、絵でも建築でも、あらゆる芸術に通ずるものの見方、芸術家の生き方の根本で人々の心を動かした。新芸術の洪水で何かを求めながら、もやもやとして掴めなかったものがあの本によって焦点を合わされ、はっきり見えて来て、「ははあ」と肯ずくことが一頁毎にある。ロダンという一人の優れた芸術家の言葉に導かれて、人々は自分の生を考える。そういう点で、あの本は芸術学生を益しただけでなく、深く人生そのものを考え、生きようとする多くの人々を益していると思われる。だからあの本の影響は思いがけないほど広く、まるで分野の違う人が、若い頃にあの本を読んだ感動を語っている。
 この本が、そんなに広く受入れられた原因の一つは、あの本の形式にもあるので、兄の読んだ種種な書物からの集積だから、自然にそうなったのだけれど、文章の区切りが大変短い。どんなに長くても数頁にしか渉らないから、読んでいて疲れないし、理解しやすい。この短かくて頭にはっきり全文が入るような形式が読者の感動をどんなに助けているかわからない。ことに本を読む習慣の少なかった美術学生にとって、これは有難かった。

正続それぞれの初版の後、叢文閣からペーパーバックの普及版正続が出、戦後にはやはり正続ともに新潮文庫のラインナップにも入りました。さらに平成17年(2005)に沖積舎から正続合本の復刻、平成19年(2007)には講談社文芸文庫で正続それぞれの抄出が出ました。すべて絶版です(講談社文芸文庫版のみまだ新刊で在庫があるようですが、重版は為されていないようです)。

『緑色の太陽』は、昭和57年(1982)が初版。当会顧問であらせられた故・北川太一先生の編集で、表題作「緑色の太陽」をはじめ、さまざまな雑誌や単行書に掲載された美術評論などを40篇ほど収めています。一部は随筆、文芸評論も。

表題作「緑色の太陽」は『スバル』第2年第4号(明治43年=1910)が初出。「人が「綠色の太陽」を畫いても僕は此を非なりとは言はないつもりである」という一節から採った題名で、その他、「僕は芸術界の絶対の自由(フライハイト)を求めてゐる。従つて、芸術家の PERSOENLICHKEITに無限の権威を認めようとするのである。あらゆる意味において、芸術家を唯一箇の人間として考へたいのである」という一節も有名です。「日本初の印象派宣言」とも評されています。

光太郎の評論集も現在、紙版の新刊で入手できるものは無く、電子書籍なら多少はあるか、という感じです。

それぞれ、特設サイトから復刊リクエストのいわば投票ができます。よろしくお願い申し上げます。

それにしても、光太郎がらみでない作もかなり絶版になっていて、今回の候補に入っているのに驚きました。特に「緑」の日本文学。詩集ですと、当会の祖・草野心平の『草野心平詩集』や、立原道造、伊東静雄、大手拓次、三好達治など軒並み絶版ですし、小説系でも谷崎潤一郎の『春琴抄』やら堀辰雄の『風立ちぬ』やら有島武郎の『生まれ生れ出ずる悩み』やら、それ絶版にしちゃいかんだろ、という感じです。

ソフトとしての日本文学、一部の愛好家だけのものとするのではなく、日本国民共有の文化遺産として、次の世代へとしっかり受け継いでいくことが現代に生きる我々の一つの義務だと思うのですが。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 22 『純』百年文庫96

平成23年(2011)10月7日 ポプラ社 武者小路実篤/高村光太郎/宇野千代著
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目次
 武者小路実篤 馬鹿一
 高村光太郎 山の雪 宇野千代 八重山の雪
 人と作品 

ポプラ社さんの「百年文庫」。全100巻のシリーズもので、1冊に3人ずつが収められています。各巻のタイトルが漢字一文字になっています。「選集」というよりアンソロジーに近い形ですが、一応この項目に入れます。

昨日は当会の祖・草野心平を祀る「第61回天山祭り」列席のため、心平を名誉村民として下さった福島県川内村に行っておりました。
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雨天の場合には村の体育館での実施と予告されていましたが、幸い晴れましたので、本来の会場である天山文庫での実施。村での心平の別荘です。
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こちらが天山文庫。繰り返し書いていますが、昭和41年(1966)の竣工、光太郎の実弟で心平と親しかった髙村豊周も設立協力委員会発起人メンバーの一人でした。

千葉の自宅兼事務所から愛車を駆って3時間ちょっとの行程でした。早く着きましたので、敷地内の草野心平資料館さんを見学。
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心平と村との関わり、心平が村に残した書などさまざまな品々が展示されています。心平著作もずらりと並び、『富士山』(昭和18年=1943)、『天』(昭和26年=1951)など光太郎が題字を揮毫したものも。それから豊周子息の写真家、髙村規氏寄贈になる光太郎や髙村家がらみの写真パネルのコーナーも。

天山文庫内も見学。年に数か月、ここで過ごすこともあった心平の息遣いが未だに残っているような。
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故・谷川俊太郎氏と一緒の写真も。

心平から寄贈された蔵書類を収めた書庫。
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光太郎関連書籍もかなりの分量。光太郎と賢治実弟の清六が編んだ『宮沢賢治文庫』(装幀・題字も光太郎)など、稀覯書も。
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ただし、稀覯とは言えないものは同じ書籍が何冊もあったりします。

光太郎とも交流のあった永瀬清子の著書。署名本でした。
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そうこうしているうちに開始時間が近くなったので、前庭に。

心平大明神の写真(笑)。いい顔していますね。
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下の2枚は終了後に撮りましたが、奉納された酒。心平の大好物です。
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当会からも千葉の地酒を一升。

さて、開会。
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実行委員長・井出茂氏、遠藤雄幸村長らのごあいさつなど、それぞれに心に染みいるものでした。いろいろな会合での型どおりのそれとはひと味もふた味も違うような。

それから元教育長で心平と親しかった石井芳信氏のスピーチも、心平の人となりがよくわかるもので、実に貴重な証言でした。人使いの荒い心平の無茶振りエピソードも満載でしたが(笑)、それはそれで氏に対する心平の深い愛情に基づいたもので。

朗読は3本立て。まず心平肉声の録音が流され、続いて小中一貫の川内小中学園6年生児童が自作の詩を群読。最後に心平が主宰した『歴程』同人の伊武トーマ氏による「ヤマカガシの腹のなかから仲間に告げるゲリゲの言葉」。心平名言(迷言?(笑))の一つ「死んだら死んだで生きてゆくのだ」が含まれる詩です。バカボンのパパの言いそうな一言ですね(笑)。

開始前に撮った遠藤村長と伊武氏。
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伊武氏は当会主催の連翹忌の集いに何度か御参加いただいていますし、昨日はそういう方が数名いらっしゃいました。実行委員長の井出氏、いわき市立草野心平記念文学館の渡邊氏、詩人の吹木文音氏など。

このあと、郷土芸能等の披露があり、閉会となりました。

地方紙『福島民友』さんが報じています。

カエルの詩人・草野心平しのび「天山祭り」 福島・川内、児童ら詩を朗読

 福島県川内村の名誉村民で「カエルの詩人」として知られる草野心平をしのぶ「第61回天山祭り」が11日、同村の天山文庫前庭で開かれた。参加者が詩の朗読や郷土芸能の披露を通じて心平の魅力を再確認した。
 川内小中学園6年生や、心平らが創刊した同人詩誌「歴程」の同人が心平の詩を朗読。郷土芸能の「東郷神楽舞」「川内小唄」「川内甚句」も披露された。
 名誉村民となった心平が蔵書を村に寄贈したことを受け、村民が「天山文庫」を建設して1966年に完成し天山祭りが始まった。
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他社の報道がまだ見つかりませんが、出たらご紹介します。

いただいてきたいろいろ。変なやつが乱入していますが(笑)。
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米菓の原料となったお米は小中学園の児童さんたちが栽培したものを原料としているそうで。

いつもながらに心温まる時間でした。永続的に開催されることを祈念いたします。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 21 『昭和文学全集 第4巻 柳田国男 折口信夫 萩原朔太郎 宮澤賢治 高村光太郎 斎藤茂吉 高浜虚子 久保田万太郎 幸田露伴』

平成元年(1989)4月1日 小学館
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目次
 柳田国男(詳細略) 折口信夫(詳細略) 萩原朔太郎(詳細略) 宮澤賢治(詳細略)
 高村光太郎
 顔 人の首 九代目団十郎の首 自作肖像漫談 回想録 美術学校時代 荻原守衛
 ヒウザン会とパンの会 智恵子の半生 ミケランジェロの彫刻写真に題す (私はさきごろ)
 オオギュスト ロダンより 触覚の世界 小刀の味 蝉の美と造型 美の日本的源泉
 書について 黄山谷について 自分と詩との関係 詩について語らず 啄木と賢治
 山の雪 山の春 山の秋
 斎藤茂吉(詳細略) 高浜虚子(詳細略) 久保田万太郎(詳細略) 幸田露伴(詳細略)
 作家アルバム
 解説
  柳田国男 宮田登 折口信夫 岡野弘彦 萩原朔太郎 久保忠夫 宮澤賢治 天沢退二郎
  高村光太郎 粟津則雄 斎藤茂吉 本林勝夫 高浜虚子 稲畑汀子 久保田万太郎 古谷健三
  幸田露伴 篠田一士
 年譜
  柳田国男 岡谷公二 折口信夫 長谷川政春 萩原朔太郎 佐藤房儀 宮澤賢治 天沢退二郎
  高村光太郎 北川太一 斎藤茂吉 本林勝夫 高浜虚子 清崎敏郎 久保田万太郎 関場匣子
  幸田露伴 榎本隆司
 底本について 用字用語について
 月報
  置き土産 会田綱雄 柳田と折口、その沖縄の歌 来嶋靖夫
  昭和文学よもやま28 「外地」と昭和文学 鈴木貞美
  編集室より 次回配本

手持ちのものは平成5年(1993)の第二刷です。この時期にはこの手の文学全集ものの刊行はほとんどなされなくなり、重刷がかかるまで4年を要してもいます。需要があまりなくなった感があります。内容的にも一冊に数多くの作家の作品を収めるスタイルです。

雑誌の新刊です。

&Premium  No. 152 2026年8月号 Travel with Books / 旅と、本と。

発行日 : 2026年6月19日発売
版 元 : マガジンハウス
定 価 : 891円+税

今月の特集『旅と、本と』
 旅をするとき、あなたならどんな一冊を携えて出かけますか。その地にまつわる物語に触れながら町を歩けば、旅の経験はより忘れられないものになりますし、日常を離れ解き放たれた場所でひもといた本の一節が、より深く心に沁み入ることもあります。そして、旅をすることと本を読むことは、どこか似ているようにも思います。そこに何があるかわからない世界へ飛び込んでいく高揚感。それはBetter Life に大切な心を育むための、豊かな時間です。今号の&Premiumのテーマは「本と旅する、日本の美しい町案内」。物語と現実が緩やかに交差する町、旅の目的地にしたくなる書店、本に囲まれ〝知〞に浸る宿、穏やかな時間が流れる喫茶店……。読書を愛するローカルの人々に「本」を入り口に訪ね歩く、さまざまな旅のかたちを紹介してもらいました。そこに一冊の本があるだけで、目の前の景色は深い物語へと変わり、旅はもっと鮮やかに心に刻まれるはずです。
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特集が「Travel with Books 旅と、本と。」。
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おすすめの旅の行き先として取り上げられているのは……

 #1 Poets’Words詩人の言葉を巡る旅。 鹿児島 屋久島
 #2 Enormous Collection 3万冊の蔵書に包まれる旅。長野 茅野~蓼科
 #3 World of Novels 物語の世界に浸る旅。 岩手 遠野~花巻
 #4 Art & Architecture 建築やアートを巡る旅。 石川 金沢
 #5 Mingei & Craftwork 手仕事を辿る旅。 鳥取 鳥取~倉吉


それぞれの合間に、

 私を旅に誘った言葉。高橋久美子 三宅唱 ほか
 旅する気分で楽しめる作品集。 いわさきちひろ 原田泰治 ほか
 わざわざ行きたい、旅の目的地となる本屋。 小鳩書房 バロック ブックス 庭文庫 ほか
 旅先で手に入れたい、本屋のトートバッグ。 ブックナード レベルブックス ほか
 エッセイ、本と旅するということ。 文/岡本真帆
 Solo Trip Plans for Book Lovers 旅好き読書家たちの、1泊2日ひとり旅プラン。
 47都道府県のいい本屋がガイド。この街を歩くのが楽しみくなる本。

といった記事が配されています。

「#3 World of Novels 物語の世界に浸る旅。 岩手 遠野~花巻」では、花巻郊外旧太田村の高村山荘(光太郎が7年間の蟄居生活を送った山小屋)も紹介されています。
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その他、花巻では宮沢賢治記念館さん、山猫軒さん、茶寮かだんさん、イギリス海岸、蕎麦屋の嘉司屋さん、鉛温泉にあるKuneさんなどなど。
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「民話と物語が交錯する、遠野~花巻の旅を豊かにしてくれる6冊」ということで、光太郎の『山のスケッチ』(昭和41年=1966 中央公論美術出版)、賢治の『土神と狐』(平成27年=2015 好学社)が紹介されています。
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『山のスケッチ』は古書店などでしか入手できませんが。

というわけで、『&Premium』 No. 152 2026年8月号、ぜひお買い求め下さい。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 20 『近代詩 12人の詩人たち』

昭和60年(1985)5月6日 境忠一編 桜楓社
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目次
 北村透谷(詳細略) 島崎藤村(詳細略) 北原白秋(詳細略)
 高村光太郎
  道程「声」「根付の国」「道程」
  智恵子抄「樹下の二人」「あどけ ない話」「千鳥と遊ぶ智恵子」「レ モン哀歌」
  智恵子抄その後「メトロポオル」 「元素智恵子」
 萩原朔太郎(詳細略) 宮沢賢治(詳細略) 中野重治(詳細略) 中原中也(詳細略)
 立原道造(詳細略) 伊東静雄(詳細略) 金子光晴(詳細略) 西脇順三郎(詳細略)
 近代詩の源流
 参考文献 近代詩年表

大学の一般教養の授業などでテキストとして使われるために編まれたっぽい作りです。

武蔵野美術大学の前田恭二教授を通じて『世田谷美術館紀要』第27号を頂きました。同館学芸員の塚田美紀氏による論考「北川民次をめぐる大正初期の早稲田人脈――フュウザン会の画家・宮崎省吾との出会いから」が載っているためです。今年3月末の発行でした。
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北川民次は明治27年(1894)の生まれ。メキシコの画家として有名ですが、現在のところ光太郎智恵子との直接の関わりは確認できていません。問題はサブタイトルにある「宮崎省吾」。山形の米沢出身で、若き日の北川に絵画の手ほどきをした人物と位置づけられています。北川も宮崎も早稲田大学商学部予科に通っていました。

この宮崎省吾、光太郎と共に大正元年(1912)の第一回ヒユウザン会(のちフユウザン会)展覧会に油絵を出品しています。
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出品者名予告には智恵子の名もありますが、結局、智恵子は出品しませんでした。宮崎は「自画像」他を出品しています。

また、宮崎は同じ1912年(大正改元前の明治45年)4月には早稲田文学社主催装飾美術展覧会にも出品しています。この際には光太郎智恵子も。
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さらに5月には大阪の「吾八」という画廊のようなところで開催された「吾八団扇絵展覧会」に智恵子と共に出品しています。「吾八」店主の山内金三郎は東京美術学校出身でした。
日本美術年鑑 第3巻(大正元年度) 020
宮崎と光太郎らの繋がりには、やはりヒユウザン会中心メンバーだった斎藤与里あたりが介在しているのかな、という感じです。斎藤も上記の展覧会全てに関わっています。また、後述しますが、津田青楓の影も見え隠れします。

そして智恵子に限っていえば、宮崎の姉・千代が智恵子と同窓の日本女子大学校出身で、交流がありました。
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右上集合写真では、千代は左から二番目です。中央は後に同校校長となる井上秀です。

千代は家政学部の第一回卒(智恵子は四回卒です)。智恵子と親しくなり、大正3年(1914)、上野精養軒で開かれた光太郎智恵子結婚披露宴に出席しています。また、智恵子から千代宛の書簡5通が現存しており、貴重な資料です(智恵子書簡は70通たらずしか見つかっていません)。千代は母校で勤務した後、貿易商の高月一郎と結婚し、夫と共に仏領インドシナなどに滞在したこともありました。

母校での勤務は、津田青楓の回想『老画家の一生』(昭和38年=1963)では寮監だったとのこと。
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「亀吉」は津田自身です。

津田も光太郎智恵子と交流があった一人。光太郎とは留学仲間、智恵子は津田に絵を見てもらったことがあり、智恵子の有名な言葉として伝わる「世の中の習慣なんて、どうせ人間のこさへたものでせう。それにしばられて一生涯自分の心を偽つて暮すのはつまらないことですわ。わたしの一生はわたしがきめればいいんですもの、たつた一度きりしかない生涯ですもの。」は、津田の回想『漱石と十弟子』(昭和23年=1948)に書かれています。

智恵子と千代の親しい付き合いは、同じ東北出身ということもあって在学中からだったのか、或いはのちの省吾との関係からなのか、ニワトリが先か卵が先かで詳細が不明です。智恵子から千代宛の書簡も確認できている最初のものはそれぞれが卒業してしばらく経った大正元年(1912)のものですし。

松島光秋氏著『高村智恵子―その若き日―』(昭和52年=1977 永田書房)には、上記5通発見の様子、高月一郎・千代夫妻の長男の証言などが載っています。そちらを読んでも確たることは断言できない感じです。今後の課題としたいと思います。

さて、『世田谷美術館紀要』第27号所収の塚田美紀氏による論考「北川民次をめぐる大正初期の早稲田人脈――フュウザン会の画家・宮崎省吾との出会いから」。メインはあくまで北川民次ですが、宮崎姉弟についても光太郎智恵子とのからみなど言及されています。示唆に富むものでした。

最上部に奥付画像を載せてありますので、必要な方はそちらをご参照の上、お問い合わせ下さい。

ところで、宮崎省吾の絵画そのものは、図版などでは残っていますが、現物の所在が確認できていないようです。情報をお持ちの方、ご教示いただければ幸いです。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 19 『日本青春詩集』日本青春文学館12

昭和48年(1973)10月20日 立風書房 立風書房編集部編
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目次
 この青春のうたごえ――日本青春詩ノート―― 吉田精一
 土井晩翠(詳細略)
 高村光太郎
  失はれたるモナ・リザ 父の顔 犬吠の太郎 さびしきみち 冬が来た 冬の朝のめざめ
  牛 道程 雨にうたるるカテドラル 落葉を浴びて立つ 鉄を愛す 傷をなめる獅子
  象の銀行 冬の言葉 ぼろぼろな駝鳥 当然事 手紙に添へて ――に 郊外の人に
  人類の泉 樹下の二人 あどけない話 風にのる智恵子 千鳥と遊ぶ智恵子
  レモン哀歌 亡き人に
 北原白秋(詳細略) 萩原朔太郎(詳細略) 室生犀星(詳細略) 佐藤春夫(詳細略)
 宮沢賢治(詳細略) 中原中也(詳細略) 立原道造(詳細略) 
 国木田独歩(詳細略) 河井酔茗(詳細略) 野口米次郎(詳細略) 蒲原有明(詳細略)
 
与謝野晶子(詳細略) 山村暮鳥(詳細略) 石川啄木(詳細略) 大手拓次(詳細略)
 
川路柳虹(詳細略) 三木露風(詳細略) 福士幸次郎(詳細略) 尾崎喜八(詳細略)
 
百田宗治(詳細略) 竹内勝太郎(詳細略) 村山槐多(詳細略) 笹沢美明(詳細略)
 
蔵原伸二郎(詳細略) 丸山薫(詳細略) 小熊秀雄(詳細略) 村野四郎(詳細略)
 
中野重治(詳細略) 伊藤整(詳細略) 安藤一郎(詳細略) 津村信夫(詳細略)
 
谷川俊太郎(詳細略)

光太郎を含む土井晩翠から立原道造まではまとまった数の作品を収め、独歩から谷川俊太郎までは1、2篇ずつという不思議な構成です。

光太郎の名が載った各地の新聞記事等、今日も2件ご紹介します。

まず仙台に本社を置く『河北新報』さん、7月5日(日)の記事。

大正時代にロダンブームがあった 熱狂のさなかに開かれた展覧会には著名文化人も関わる 岩手大教授が解明

 「近代彫刻の父」とされるフランスの彫刻家オーギュスト・ロダン(1840~1917年)に、大正期の日本が熱狂した「ロダンブーム」。岩手大の金沢文緒教授(西洋美術史)が、大学で2020年、偶然見つかった古い資料からブームの一端を解き明かした。長く幻とされた展覧会、ブームを起こした白樺派の文化人ら…。謎に迫った研究の成果は来年春、岩手県陸前高田市立博物館で公開される。
 探索のきっかけとなった資料は、ゴッホの絵画などを写した約200点の複製写真。大学施設の移転作業中に発見された。
 金沢教授の調査で、近代日本を代表する写真家野島康三(1889~1964年)が収集した写真と分かった。野島の死後、義理の弟が岩手大の非常勤講師だった縁で大学へ寄贈された。
 複製写真にロダン作品はなかったが、金沢教授は写真の入っていたファイル状の「紙挟み」に着目。6冊の紙挟み全てにフランス語で「オーギュスト・ロダンのデッサン」と印字されていた。
 紙挟みの出どころを追うと、野島が東京・神田で営んだ画廊「兜屋(かぶとや)画堂」で、1919~20年にあった展覧会の発行物と分かった。紹介されたのは、評価の高かったロダンのデッサンの複製写真。画廊の存在は先行研究で明らかにされていたが、この展覧会の詳細は不明だった。紙挟みは開催を裏付ける初めての資料だった。
 当時の新聞広告などから、展示されたのがダンテの「神曲」をモチーフとしたデッサンの複製写真集ということも判明した。写真集はフランスでも希少とされていた。
 浮世絵を愛好したロダンは、日本でのデッサン展を切望していたものの、生前に実現しなかった。遺志を受け継ぐように亡くなった2年後に開かれたのが、デッサンの複製展覧会だった。
 開催に向け、野島と親交のあった彫刻家・詩人の高村光太郎ら白樺派同人が奔走したことも突き止めた。高村は画廊運営にも携わり、作家大仏次郎が作品タイトルの翻訳を担うなど、白樺派以外の文化人の協力もあった。
 当時の資料を丹念に調べた一連の研究で、金沢教授は鹿島美術財団優秀賞を受賞。「最初は重要な資料と捉えず、学生の調査教材として扱っていた」と振り返る。複製写真は明治末期ごろから浸透した海外の芸術に触れる媒体だったが、多くは関東大震災や戦災で失われ、まとまった形で残る例は珍しいという。
 来年3月、名古屋市博物館からロダンの「考える人」を貸与されている陸前高田市立博物館で企画展を予定し、紙挟みや複製写真などを展示する。金沢教授は「大正期の日本人が西洋美術をどう受け入れていたのか、資料から読み取れる。多くの方に見てほしい」と話す。
 【ロダンブーム】 1910年代から20年代にかけて起きた現象。武者小路実篤、志賀直哉、有島武郎らによって10年に創刊された文学雑誌『白樺』で、フランスの彫刻家ロダンの作品や思想が積極的に紹介され、日本の美術界や知識人の間で急速に流行した。
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画像にある岩手大学さんで見つかったゴッホ作品の写真が挟まれていた紙挟みが、大正8年(1919)と翌年に神田神保町の兜屋画堂で開催されたロダンのデッサンの複製を展示する展覧会のものだった、というわけで。

展覧会の名称は文献によって「ロダン複製素描展覧会」「ロダン素描複製画展覧会」と、まちまちでした。
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この開催に「高村光太郎ら白樺派同人が奔走したことも突き止めた」だそうですが、光太郎がどの程度関わっていたのかは不明です。

兜屋画堂は写真家の野島康三が開いた画廊で、野島は光太郎の盟友だった斎藤与里と親しく、また、画堂およびその後の野島自邸での展覧会出品者の中には光太郎実弟にして鋳金家の髙村豊周の名も記録されています。

光太郎の書き残したものの中に、野島の名は見えませんが、大正8年(1919)10月9日の『読売新聞』に載った談話筆記「僕のアメリカ行きも」には「小品の個人展覧会を今年中に兜屋あたりでやらうと思つてゐます」とありますし、翌大正9年(1920)の『時事新報』には兜屋で開催された大森商二の個展を紹介する「大森商二君の木炭画」が載り、雑誌『絵画清談』に転載されました。

記事にある岩手大学さんの金沢教授の研究、ぜひ目を通したいものだと思って調べたところ、記事に「鹿島美術財団優秀賞を受賞」とあったので、そこから調べてみると、鹿島美術財団さんのサイトで『鹿島美術研究 年報第42号別冊』がヒットし、教授の論文「ロダンのデッサン複製展覧会(兜屋画堂1919-1920)再考――野島康三旧蔵資料(岩手大学所蔵)の検討を通じて――」に辿り着きました。まだ斜め読みで、これから精読いたします。

やはり記事にある陸前高田で来春開催予定という企画展も拝見に伺おうかと思っております。

紹介すべき事項が山積しておりまして、もう1件。今朝の『朝日新聞』さんから。

自筆原稿66点発見 北原白秋、推敲重ねた跡 「通説見直す資料」

 詩歌の分野で活躍した北原白秋(1885~1942)の自筆原稿など66点が弟子宅で見つかった。寄贈された岩手県北上市の日本現代詩歌文学館(高野ムツオ館長)が5月下旬、発表した。加筆訂正を繰り返した書き込みから詩作の過程が伝わる貴重な資料だ。
 発見されたのは、白秋の詩集「白金之独楽(はっきんのこま)」「抒情(じょじょう)小詩選 わすれなぐさ」、白秋が編集した雑誌「ARS(アルス)」の原稿。「白金之独楽」の詩稿は、原稿用紙の余白や欄外に青、黒、赤の3種類のインクによる書き込みがあり、削除や加筆を重ねた跡がとどめられている。従来は一気に成立した詩集と捉えられてきた。
 調査にあたった東北大学の佐藤伸宏名誉教授(近代文学)は「いったん清書された原稿が幾度にも及ぶ推敲(すいこう)を重ね、初めて成立に至ったことが判明した。通説を根本から見直す決定的資料だ」と語る。
 雑誌「ARS」創刊号に寄稿した室生犀星、萩原朔太郎、山村暮鳥、高村光太郎らの自筆原稿や、白秋の編集手記もあわせて見つかった。白秋の弟子でアルス社で編集者を務めた歌人・中村正爾(しょうじ)宅にあり、遺族から寄贈された。日本現代詩歌文学館では2027年3月以降の展示を予定している。

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共同通信さんの配信記事などで既に5月には報じられていた件ですが、その際には光太郎の原稿が含まれていたことには触れられていませんでした。「何だ、光太郎のもあったのかい」という感じでした。

『ARS』創刊号(大正4年=1915)に載ったものだそうなので、ロダンの「ランスの本寺」翻訳と思われます。翌年に刊行された『ロダンの言葉』にも収められた一篇です。

「日本現代詩歌文学館では2027年3月以降の展示を予定」だそうで、もし光太郎のそれも出るようなら拝見に伺おうと思います。上記の陸前高田と近い時期ですし。

それぞれ近くなりましたら詳細情報を上げますのでよろしく。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 18 『北原白秋 高村光太郎 萩原朔太郎集』日本文学全集第19巻

昭和47年(1972)5月8日 集英社 北原白秋/高村光太郎/萩原朔太郎著
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目次
 北原白秋集(詳細略)
 高村光太郎集
  智恵子抄 造型詩篇 道程 雨にうたるるカテドラル 猛獣篇 火星が出てゐる 典型
  山のともだち
 萩原朔太郎集(詳細略)
 注解 作家と作品 伊藤信吉 年譜
 月報
  白秋最晩年の旅 木俣修 先輩高村さん 尾崎喜八 ふるさとの絆 丸山薫
  現代文学史13 小田切秀雄

以前にも書きましたが、昭和40年代から50年代、そんなに需要があったのかと思われるくらい、さまざまな文学全集ものが刊行されました。

光太郎の名が載った各地の新聞記事等、今日も3件ご紹介します。

まず『北海道新聞』さん、7月1日(水)の一面コラム。

<卓上四季>日本サッカーの道程016

高村光太郎の詩「道程」には長短ふたつのかたちがある。最初に発表されたのは100行を超える長い作品。小欄で以前に紹介した短いものより、モチーフが明確だ▼<僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る/道は僕のふみしだいてきた足あとだ/だから/道の最端にいつでも僕は立っている/何という曲りくねり/迷いまよった道だろう>。いろんな困難を乗り越えて、未踏の荒野をひたむきに前へ進んでいく。そんな姿がイメージされる▼思い浮かべるのはサッカーの日本代表チームである。W杯の晴れ舞台で王国ブラジルと対戦した。選手たちの規律と献身が光り、鮮やかに先制する。したたかな相手に翻弄(ほんろう)され、あとわずかなところで敗れたけれど、間違いなくナイスファイトだった。こころから拍手を送りたい▼W杯の初出場から28年。悔しさをばねに一歩ずつ進んで、大会ごとに着実に強くなってきた。思えば遠くへ来たものだ▼試合終了後のピッチで大粒の涙が流された。まずは休んで疲れをいやし、また前を向こう。そして4年後こそは喜びの涙に変えてみよう▼「道程」にはこんな一節もある。<ああ/人類の道程は遠い(略)歩け、歩け/どんなものが出て来ても乗り越して歩け/この光り輝やく風景の中に踏み込んでゆけ>。その歩みの先に未来が開けると信じたい。

詩「道程」の「長短ふたつのかたち」。「長」は大正3年(1914)3月の雑誌『美の廃墟』に掲載されたオリジナルの形で、102行もある長詩でした。引用されている詩句はその中からのものです。「短」の方は、同じ年の10月、第一詩集『道程』に収められたもので、オリジナルの形からばっさりと斬り捨て、9行の短い形に書き改められました。広く人口に膾炙しているのはこちらの形で、最終詩型です。

くりかえしこのブログで警告していますが、オリジナルの102行の形がネット上などで「全文」と紹介されることがあります。「全文」ではなく「初出発表形」もしくは「原型」とすべきですね。そうしないと9行に圧縮された「最終詩型」がまるでまがい物という意味になってしまいます。あくまで102行の形は光太郎自身がボツにした形ですし。

同じくスポーツ関連で、『スポーツニッポン』さん、7月4日(土)の記事。

なぜ? ロッテはドーム球場での試合が苦手 この日で5連敗、今季は2勝16敗2分けと大きく負け越し◇パ・リーグ ロッテ2―3ソフトバンク(2026年7月3日 みずほペイペイD)015

 「東京には空がない」――。詩集「智恵子抄」にそうつづったのは詩人の高村光太郎だ。
 ロッテは空がない、もとい空が見えない球場での試合が極端に苦手だ。
 この日のみずほPayPayドームでのソフトバンク戦も1点差で惜敗。これで今季、ドーム球場での試合は2勝16敗2分け。5月10日のソフトバンク戦からは2分けを挟んで5連敗となった。
 屋根がなく、独特の強風で知られる本拠地ZOZOマリンスタジアムでは今季、20勝13敗1分けと大きく勝ち越している。風がなく、プレーがしやすいはずのドーム球場がこれだけ苦手なのは「謎」と言っていい。 

こういう内容の前振りで「あどけない話」(昭和3年=1928)を持ってくるか?と笑いました。しかし、他チームがZOZOマリン独特の強風への対応に手こずるのはうなずけますが、なぜロッテの選手は無風のドーム球場を苦手としているのでしょうか? 風が吹いていないと実力が発揮できないという体質になっているのでしょうか? たしかに謎ですね。

最後に7月4日(土)の『日本経済新聞』さんから。

図書館のすすめ 女優・戸田菜穂

 私の家のそばには図書館がある。集中いや全集中したい時に図書館の二階へ行く。そこはもう私の愛する静けさと、ページをめくる音、ペンの音のみの世界。今もそこにいる。スマホは玄関に置いていく。
 絵本コーナーは小上がりになっていて、お母さんが子供を膝に乗せ読み聞かせをしている。私ももっと読んであげれば良かったと、胸がちくっとする。
 小学生用の机では、児童が宿題をしたり、昆虫図鑑を読んだりしている。ああ懐かしい光景。
 大人の机は人気があり、土日の朝は座席券をもらうために行列になるらしい。私は空いている平日のお昼前後によく行く。
 そういえば中学高校の頃、広島の図書館によく通っていた。あの周りはライバルだらけの逃げ場のない空間に身を置かなければ集中できなかったし、みんなが黙々と勉強する気配が気に入っていた。
 先日、娘の学校の先生に国語の勉強の仕方を聞いたところ、「いつも選ぶ本棚から七歩先の本を手に取って見て下さい」と言われた。大人もまだ知らない世界が山ほどある。大人も勉強しよう、その背中を子供はちゃんと見ているし、そこから国語の世界への興味が広がるのだと理解した。
 すぐに実践、七歩先にあった美術のコーナーで「高村光太郎 美に生きる」という本を手に取る。そこには高村が地方の小学校に贈った書が載っていた。素朴な飾らない字でふり仮名もつけて「正直 親切」と。
 子育てで一番大切な言葉に出合えた! 早速筆ペンで「正直 親切」と書いて、子供部屋の高い所に張っておいた。

『高村光太郎 美に生きる』は、平成10年(1998)に二玄社さんから刊行された、当会顧問であらせられた故・北川太一先生の編著です。光太郎令甥の写真家、故・髙村規氏撮影になる光太郎作品等の写真図版がふんだんに使われています。
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「正直親切」の書は、光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外太田村の山小屋(高村山荘)にほど近い、太田小学校山口分教場が昭和26年(1951)に山口小学校に独立昇格した際、校訓として贈った言葉を書いたものです。
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戦後らしく左から右へ、さらに入学したての一年生でも読めるようにと、新仮名遣いでルビまで書きました。ただ、まだ拗音表記のルールが徹底されていなかったようで「よ」は大きなサイズです。ちなみに旧仮名遣いだと「しやうぢきしんせつ」でした。

書自体は花巻高村光太郎記念館さんで所蔵。ここから文字を写した碑が廃校となった山口小学校跡地、光太郎の母校の荒川区立第一日暮里小学校さん、光太郎と交流のあった故・田口弘氏が教育長を務められていた埼玉県東松山市の新宿小学校さんにそれぞれ建っています。
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それにしても、この言葉に「子育てで一番大切な言葉に出合えた!」とまで感銘を受けられた戸田さん、さすがに「NHK俳句」司会もなさった方だな、と思いました。

明日もまだ新聞記事に光太郎の名、というネタで。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 17 『石川啄木 高村光太郎 宮澤賢治集』現代日本の文学6

昭和46年(1971)10月1日 学習研究社 石川啄木/高村光太郎/宮澤賢治著
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目次
 石川啄木集
  石川啄木文学紀行 啄木の旅 草野心平
  一握の砂 悲しき玩具 あこがれ 呼子と口笛 ローマ字日記
  註解 紅野敏郎 年譜 石川啄木文学アルバム 評伝的解説 久保田正文
 高村光太郎集
  高村光太郎文学紀行 光太郎と一緒の旅を振り出しに 草野心平
  道程 「道程」以後 猛獣篇 「猛獣篇」時代 智恵子抄 典型 「典型」以後
  註解 紅野敏郎 年譜 北川太一 高村光太郎文学アルバム 評伝的解説 北川太一
 宮澤賢治集
  宮澤賢治文学紀行 何度も訪れた花卷 草野心平
  春と修羅 四又の百合 インドラの網 雁の童子 北守将軍と三人兄弟の医者
  註解 紅野敏郎 年譜 宮澤賢治文学アルバム 評伝的解説 天沢退二郎
 月報
  著者を語る 石川啄木 ストライキ 金田一京助 高村光太郎 兄の思出二・三 藤岡孟彦
  宮澤賢治 「修羅の渚」にて 宮澤清六
  石川啄木・高村光太郎・宮澤賢治主要文献一覧 紅野敏郎編
  石川啄木・高村光太郎・宮澤賢治旅行ガイド 湧田佑
  最終回の編集を終えて 編集長 桜田満

岩手ゆかりの三人が一冊にまとめられています。手持ちのものは昭和47年(1942)の再版です。

立て続けに光太郎の名が新聞各紙に。光太郎メインだったりはしないものがほとんどですが。3回に分けてご紹介します。

6月28日(日)、『岩手日報』さん。

盛岡少年刑務所で高村光太郎祭

 盛岡少年刑務所(鈴木雅美所長)は12日、盛岡市上田の同刑務所で第49回高村光太郎祭を開き、受刑者約50人が更正と社会復帰への誓いを新たにした。
 光太郎が揮毫(きごう)した「心はいつでもあたらしく」の書と写真に献花。代表者が詩集の読書感想文と作文を発表し「道程」と「孤独が何で珍らしい」の詩を読み上げた。
 高村光太郎が1950年に同刑務所で講演したことから、78年以降に毎年開催してきた。鈴木所長は「高村さんの詩を理解し、人生を前向きに力強く生きてほしい」と呼びかけた。


記事にあるとおり、昭和53年(1978)から毎年開催されている行事です。年によって報道されるかされないかというところですが、令和5年(2023)には珍しく岩手めんこいテレビさんのローカルニュースで取り上げられました。かつては外部講師による光太郎についての講演もありました(当方も10年前にやらせていただきました)が、コロナ禍が契機だったかなという感じで、それは無くなったようです。

021朗読されたという「孤独が何で珍らしい」は以下の通り。昭和5年(1930)、鹿児島の同人雑誌『南方詩人』に寄せた一篇です。このころは送り仮名のルールが確立されておらず、現代では「珍しい」ですが光太郎を含め「珍らしい」とする場合が多くありました。誤植ではありません。
 
   孤独が何で珍らしい
 
 孤独の痛さに堪へ切つた人間同志の
 黙つてさし出す丈夫な手と手のつながりだ
 孤独の鉄(かな)しきに堪へきれない泣虫同志の
 がやがや集まる烏合の勢に縁はない
 孤独が何で珍らしい
 寂しい信頼に千里をつなぐ人間ものの
 見通しのきいた眼と眼の力
 そこから来るのが尽きない何かの熱風だ

たとえ孤独であっても、孤独な者同士が手を差し出し合って野合ではない心の繋がりが生まれ、しかしあくまで個は個、という二重三重のロジックでしょうか。「寄らば大樹の陰」的な「がやがや集まる烏合の勢」の政治家たちにつきつけたい一篇ですね。

続いて掲載順が前後しますが6月27日(土)、『朝日新聞』さん書評欄。

『詩人茨木のり子の誕生 西尾の少女の物語』 熊谷誠人〈著〉 感受性育んだ母との幸福な経験016

 今年、生誕100年、没後20年を迎えた詩人・茨木のり子。関連書籍が次々と刊行される中、発見のつまった宝箱のような評伝が世に出た。
 茨木が詩を書き始めたのは24歳。本書はそこに至るまでの時期に絞り、驚くべき調査力と的確な作品の読み解きによって、少女時代の茨木の姿をあざやかに浮かびあがらせる。茨木の没後、作品の管理に携わり、全集の編纂(へんさん)などにも協力してきた甥の宮嵜治氏は〈穏やかに笑うティーンエイジャーののり子のポートレートがここに完成した〉という言葉を寄せている。
 茨木は、若い世代に向けた詩の入門書『詩のこころを読む』や、与謝野晶子や高村光太郎の評伝など、すぐれた散文の仕事も残している。だが自身の生い立ちやプライベートな事柄についてはあまり書き残しておらず、本書で初めて明らかにされたことは多い。中でも茨木の人生と作品を深く知るために重要と思われるのが、11歳で死別した母親への思いだ。
 母の死が心の傷になったことは、詩人の吉原幸子との対談でちらりと漏らしているだけで、詩として表現することはなかった。そこには父の後妻となった人への配慮もあったのではないだろうか。
 著者は茨木が書いたNHKのラジオドラマ「電話」の脚本を発見する。出演した女優・山本安英の回想録にタイトルが出てくるが内容は不明だったこの作品は、母を亡くした小学生の男の子が心の中の電話で母と対話し、それを支えに生きる物語だった。そこには〈母を失ったのり子が、どんなふうにして自分の心の傷との折り合いをつけて日々を生きていったのかを読み解く鍵が隠されているように思います〉と著者は書く。
 現在の愛知県西尾市に住んでいた茨木は、宝塚歌劇を愛した母に連れられ、名古屋や東京で公演を観(み)ている。著者はその日付や演目、出演者までを特定する。そして当時の茨木の日記にある、東京からの帰路の列車で宝塚歌劇団の一行に遭遇しサインをもらっったという喜びと興奮に満ちた記述を裏付けるのである。
 少女期、母とともに美しいものにふれた幸福な経験。それを明らかにすることは、その後の戦時下で彼女を精神的に支え、詩人としての感受性を育んだものを知る手がかりとなる。掘り起こされた伝記的事実が、茨木作品の深い読みへといざなうのだ。
 茨木のり子の研究を続けてきた著者は、彼女が育った愛知県で長く教職にある人。戦時中の学校生活など、時代背景についてもわかりやすく解説されている。若い読者にぜひ届いてほしい一冊だ。(評・梯久美子 ノンフィクション作家)

茨木のり子は、生誕100年ということで、ちょっとしたブームです。「わたしが一番きれいだったとき」や「自分の感受性くらい」など、鋭い刃物を突きつけられるような一篇です。

詩のこころを読む』は昭和54年(1979)、岩波書店さんから出た岩波ジュニア新書の一冊。同世代かそれに近いの詩人たちの作品を取り上げています。「与謝野晶子や高村光太郎の評伝」は、『うたの心に生きた人々』。さ・え・ら書房さんから昭和42年(1967)に刊行され、後にちくま文庫(筑摩書房さん)ラインナップに入りました。与謝野晶子、光太郎、山之口貘、金子光晴の4人の評伝で、さらに平成19年(2007)、童話屋さんで4分冊として復刊し、光太郎のそれは『智恵子と生きた 高村光太郎の生涯』の題で出ています。
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晶子、光太郎、山之口貘の章は良い感じです。ただ、金子光晴のそれは、まぁ一般的にそうなので仕方がないのかも知れませんが「戦時中も反戦を貫いた」という感じの書き方になっており、実は翼賛詩文もそれなりに書いていたことに触れられていないのが残念です。どうも金子本人より取り巻きが躍起になってそれが「無かったこと」にしたいようで、そのため当方は金子の詩は眉に唾をつけないと読めません。

閑話休題、『詩人茨木のり子の誕生 西尾の少女の物語』、ご興味おありの方、ぜひお買い求め下さい。

長くなりますが、溜まってしまっているのでもう1件。6月28日(日)の『毎日新聞』さん。この日は大きなニュースが無かったようで、1面トップで、さらに3面にも続く長い記事でした。

「星野リゾートの自由人」(その1) 「地域の遺産」未来につなぐ

 西洋の古城を思わせる赤レンガ造りの建物が古都・奈良に威風を放つ。明治時代に建てられた5大監獄の一つ「旧奈良監獄」(奈良市般若寺町)。東大寺や奈良公園がある奈良観光の中心から北に約2キロ、古刹(こさつ)も残る閑静な住宅街に面して異形の建築はある。
 明治政府が不平等条約解消のため、受刑者の人権にも配慮した近代国家としての有りようを欧米列強に示さんと威信をかけて建設、1908(明治41)年に完成した。半円アーチを多用するロマネスク様式が取り入れられ、5大監獄で唯一建物群がほぼ完全な形で残る。
 2017年に100年以上にわたる刑務所としての役割を終えて国の重要文化財に指定された。そして今年、この歴史的建造物は高級ホテルと博物館として生まれ変わった。
  運営するのは高級リゾートホテルの展開で知られる「星野リゾート」。 国の重要文化財としては初めて、施設所有権を国が保有したまま民間に運営を委ねるコンセッション方式の民間活用で事業が進められる。 18年に首相の施政方針演説で、観光立国推進の目玉として取り上げられた一大プロジェクトだ。
 狙いは、民間の資金やノウハウを活用して公共文化財の維持・継承を図ることだ。星野リゾートは高級ホテル「星のや奈良監獄」(48室)と「奈良監獄ミュージアム」を組み合わせて収益化することで、「地域の遺産」を未来につなぐ。
 ミュージアムでは、史料の保存・展示にとどまらず、刑務所をテーマにアートも展開する。コンセプトは「美しき監獄からの問いかけ」。規律が支配する空間で「自由」について考えを巡らす体験を提供したい――。
 画一的なホテルチェーンとは異なり、施設ごとにその地の魅力を掘り起こし、掛け合わせ、新たな価値を生み出すという星野リゾートらしさが存分に盛り込まれた。

突き動かす好奇心
  肌寒く静けさに包まれた4月上旬のある晩、赤レンガの壁沿いを一人、足早に駆ける女性がいた。月末に開業するミュージアムの館長、八十田(やそだ)香枝さん(53)。プロジェクトのカギを握る一人だ。
 向かったのは展示棟。受刑者の暮らしなどを紹介するパネル展示を何度も読み返した。日中は国の担当者との打ち合わせなど館長業務に忙殺される。夜間が八十田さんの「自習」時間だ。開業まで1カ月に迫ると「通勤時間がもったいない」と近くに部屋も借りた。 
 エネルギッシュに動き回り、人一倍声が大きい。これまで星野リゾートで20年以上、ホテルや旅館の運営に携わってきた。「星野リゾートの自由人」を自称し、その印象はまさに大阪のおばちゃんだ。
 自らを突き動かすのは好奇心。館長就任を打診された時、大阪のホテルで思い入れのあるプロジェクトを進めていたが、即断した。「監獄で働くなんて普通のサラリーマンでは経験できない」。立ち止まるより、行動あるのみ。そんな言葉が似合う半生だった。
 大阪市内の下町生まれ。両親はキタの繁華街・北新地ですし店を営み、父が大将、母がおかみさんだった。動物好きで、子どもの頃には天王寺動物園に50回以上通ったほど。動物園で働くことを夢見ていたが、中学生の時に高村光太郎の詩「ぼろぼろな駝鳥(だちょう)」を読んでショックを受けた。
 詩にはこんな一節がある。
 〈何が面白くて駝鳥を飼うのだ。動物園の四坪半のぬかるみの中では、脚が大股すぎるぢゃないか〉
 野生で生きるはずのダチョウが動物園で自由を制限されているという詩の世界を思い涙した。飼育員ではなく、野生動物を保護する仕事を志すようになった。
 19歳の時には「アフリカの国立公園で働けないかな」と思い立ち、1人で旅立った。「母には泣かれ、おばあちゃんからは、帰ってこられないと思ったのか香典をもらいました」。アフリカでの夢はかなわなかったが国内で仕事を探し、97年、24歳で就職したのが、長野・軽井沢を拠点に野生動植物の調査やネーチャーツアーを行う自然保護団体「ピッキオ」だった。
 ピッキオは星野リゾートが92年に作った「野鳥研究室」が前身で、当時は同社の一部署。八十田さんはピッキオの森のいきもの案内人として、星野リゾートが営む軽井沢町の温泉や別荘の宿泊者に向けたガイドツアーを担当した。
 団体客を連れて森を歩き、野鳥や草木について解説。明るい性格を生かしたガイドは子供たちの心を刺戟した。ムササビの観察会をはじめ、ドラム缶風呂を用意したり、バウムクーヘンを焼いたりと体験を重視する企画に取り組んだ。
 仕事は充実していた。ただ30歳を前にある願望がこみ上げてきた。生や死、自身の生き方を真剣に考えてみたいというものだった。
 自立した活動のためには収益事業も重要だ――。野性動物の保護活動に対する星野リゾートの運営方針に違和感はなかった。
 1997年、同社が営む長野県軽井沢町の自然保護団体「ピッキオ」の職員になった八十田香枝さん(53)。野性動物を保護する仕事を志して見つけた職だったが、純粋な慈善活動や調査研究だけをするわけではない。「野鳥の森を保護するにも費用がかかる。ガイドでもうけないと事業は残らない」。商売人の家で育った八十田さんは収益源となるガイドツアーに熱心に取り組み、自然と会社の方針を体現していた。(以下略)
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星野リゾートさんが新たに手がけた奈良監獄ミュージアムさんの館長・八十田香枝氏の密着ドキュメントです。

八十田氏、元々動物好きということでしたが、光太郎詩「ぼろぼろな駝鳥」(昭和3年=1928)を読んで野性動物保護の道へ。アフリカへも行き、そちらで働くことは叶わなかったものの、星野リゾートさんでそうしたお仕事に……という流れです。

引用した部分のあとにも同じ位の長さで記事が続きますが、あまりに長いので割愛します。その後、八十田氏は「お金や利益が関わらなくても動物や人のために動けるんだろうか」と自問した末、インドの病院で大地震に伴う被災ボランティアをなさったり、帰国後は沖縄や大阪で星野リゾートさんの地域進出事業の先遣隊を務めたりなさったそうです。そして現在の奈良監獄ミュージアムさんに異動。おそるべきバイタリティーです。

そういう方の転機の一端を光太郎詩が担ったというのは、ある意味恐ろしいといえば恐ろしいことと思います。一篇の詩で人生が左右されてしまう、というわけで。

明日も3件ご紹介します。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 16 『高村光太郎 宮澤賢治集』日本近代文学大系第36巻

昭和46年(1971)6月10日 角川書店 伊藤信吉解説 飛高隆夫/恩田逸夫注釈
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目次
 凡例
 解説 伊藤信吉
 高村光太郎集
 宮沢賢治集
 高村光太郎集注釈 飛高隆夫
  道程 猛獣篇
 宮沢賢治集注釈 恩田逸夫
  春と修羅 補注 『春と修羅』関係地図
 参考文献
 年譜

 月報
  高村光太郎の情念と表現のあいだ――とくに『智恵子抄』について―― 藤島宇内
  『春と修羅』のころ 福島章
  作家の筆跡 高村光太郎 宮沢賢治
  明治大正風俗語典20 槌田満文
  編集後記

収録詩篇に出てくる語の注釈が実に充実しています。光太郎の部を担当された飛高隆夫氏はこのお仕事を基にさらに発展させ、『高村光太郎『道程』全詩鑑賞』(平成21年=2009 明治書院)という書籍も出版されました。

今朝の段階で村のサイト等に詳細な公式情報がまだ出ていないのですが、もう今週末です。当会の祖・草野心平を祀るイベントです

第61回天山祭り

期 日 : 2026年7月11日(土)
会 場 : 天山文庫 福島県双葉郡川内村大字上川内字早渡513
       雨天時は旧川内中学校体育館 川内村大字下川内字宮渡29
時 間 : 午前10時~正午
料 金 : 1,000円

多くの形に親しまれております天山祭りでありますが、この度61回目の開催を迎える運びとなりました。万障繰り合わせのうえ、御参加いただきますようご案内申し上げます。
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元々は心平を祀る祭りではありませんでした。時系列的には、心平が「蛙の詩人」として名を馳せる→村に棲息するモリアオガエルが縁で心平が名誉村民に認定→心平が蔵書数千冊を村に贈る→その収蔵庫兼心平の別荘として「天山文庫」を村で建設→その落成記念に第1回天山祭り開催(昭和41年=1966)→以後、何度も心平が祭りに参加→昭和63年(1988)に心平が没すると心平を偲ぶ祭りへと変化、といった流れです。

さらに一時全村避難を余儀なくされた東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故後は、復興の祈念・確認といった意味合いも付加されるようになりました。
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以前にも書きましたが、心平と親しかった光太郎実弟の豊周が、天山文庫の設立協力委員会発起人に名を連ねました。豊周以外には井上靖、金子光晴、唐木順三、河上徹太郎、川端康成、小林勇、武田泰淳、谷川徹三、中野重治、西脇順三郎、古田晁、松方三郎、武者小路実篤、村野四郎、山本健吉。心平人脈の広さがうかがえるメンバーですね。
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いただいた案内には当日の詳細なプログラム等が印刷されていませんでしたが、例年通りであれば心平詩の朗読、郷土芸能等の披露がメインと思われます。

梅雨時ですので、本来の会場の天山文庫前庭でできない場合も多く、過去3年間のうち第58回(令和5年=2023)と第60回(令和7年=2025)は屋内でした。第59回(令和6年=2024)以来の天山文庫での開催が望まれます。昨年まで雨天時は村役場近くの村民体育センターさんでしたが、役場の移転に伴いそちらが取り壊されるようで、今年は旧川内中学校体育館だそうです。

ぜひ足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 15 『高村光太郎・宮澤賢治集』現代日本文学大系27

昭和44年(1969)9月15日 筑摩書房 高村光太郎/宮澤賢治集著
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目次
 高村光太郎集
  巻頭写真 筆蹟
  道程 「道程」以後 猛獣篇 「猛獣篇」時代 典型 「典型」時代
  オオギユスト ロダン 自分と詩との関係 智恵子の半生 父との関係 荻原守衛
  宮澤賢治集
   巻頭写真 筆蹟
   春と修羅 第一集 春と修羅 第二集 よたかの星 どんぐりと山猫 注文の多い料理店
  ポラーノの広場 風の又三郎 銀河鉄道の夜 農民芸術概要綱要
 〔付録〕
  高村光太郎 草野心平 高村光太郎山居七年――山に入るまで 佐藤隆房
  わが生涯 高村光太郎/高見順 高村光太郎の回想 伊藤信吉
  宮沢賢治の童話の世界 寺田透 詩人・宮沢賢治 山本太郎
  年譜 著作目録 
 月報
 光太郎対賢治 天沢退二郎 光太郎と社会思想 高田博厚 心象開眼 紀野一義
 高村光太郎・宮沢賢治研究案内 紅野敏郎

手持ちのものは昭和54年(1979)の第11刷です。

6月30日(火)、堺市のさかい利晶の杜さん内のさかい利晶の杜×文豪とアルケミスト企画展 明キ星ヲ繋グ。」を拝観後、与謝野晶子記念館さん常設展示を拝見しました。

前身の「与謝野晶子文芸館」だった頃にお邪魔したことがあるのですが、その翌年にリニューアルされてからは初めてでした。
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常設展示も部分的にいろいろ入れ替えながらやられているようで、コーナー展示では「与謝野晶子と寛(鉄幹)の書」と銘打たれていました。
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明治44年(1911)、夫・寛の外遊資金を捻出するために書かれ、支援者らに買ってもらった「百首屏風」。
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複数点、出ていました。

奥の方は完全な常設展示のようで、寛・晶子夫妻の生涯の紹介など。
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人物相関図的な。
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不肖の弟子(笑)、光太郎も。
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下にモニターがあり、人物を選んで表示させることができます。
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別の場所には、光太郎の心の師・ロダンも。
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光太郎は、明治41年(1908)から翌年にかけてのパリ留学中に展覧会場でロダンに会っていますが、まだ何者でもない自分に気後れを感じたのでしょう、結局、声をかけることができませんでした。その少し前には親友だった荻原守衛は物怖じせずにロダンを訪ねていますし、明治45年(1912)の与謝野夫妻もそうでした。どうも光太郎には人見知り的な一面もあったようです。

晶子の実家の菓子舗、駿河屋を復元したコーナー。
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その脇には、夫妻の主な訪問先等を紹介する巨大なモニター。こちらもタッチパネルで都道府県ごとに検索ができます。これは存じませんでしたが、光太郎第二の故郷・岩手花巻にも夫妻の足跡が残っていました。ただし、夫妻の花巻行は昭和6年(1931)。光太郎が居着く十数年前でした。
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戦後の光太郎もたびたび宿泊した花巻温泉に夫妻の歌碑があるそうで、存じませんでした。

夫妻の足跡は、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のたつ青森十和田湖(大正14年=1925)、当方自宅兼事務所のある千葉県香取市(明治44年=1911と昭和6年=1931)にも残されていますが、そちらは割愛されていました。

常設展示、こんな感じでした。

1階ロビーでは、昔の堺の街並みを再現したジオラマが展示されていたり、さまざまなグッズの販売も行われたりでした。
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ぜひ皆様も足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 14 『現代名詩選(上)』

昭和44年(1969)8月25日 新潮社(新潮文庫) 伊藤信吉編
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目次
 島崎藤村 土井晩翠 与謝野鉄幹 与謝野晶子 河井酔茗 伊良子清白 薄田泣菫
 蒲原有明 石川啄木 北原白秋 三木露風 木下杢太郎 高村光太郎 川路柳虹
 野口米次郎 福士幸次郎 山村暮鳥 武者小路実篤 千家元麿 白鳥省吾 百田宗治
 福田正夫 大手拓次 三富朽葉 竹内勝太郎
 解説 伊藤信吉

巻頭の目次に詳細な表示がありませんが、採録されている光太郎詩は以下の通り。

 失はれたるモナ・リザ 寂寥 冬が来る 冬が来た 道程 秋の祈 小娘
 落葉を浴びて立つ 鉄を愛す 鯰 ぼろぼろな駝鳥 火星が出てゐる 或る墓碑銘
 首の座 上州湯檜曾風景 刃物を研ぐ人 もう一つの自転するもの 蟬を彫る 樹下の二人
 あどけない話 千鳥と遊ぶ智恵子 山麓の二人 レモン哀歌 亡き人に 梅酒
 雪白く積めり 月にぬれた手 女医になつた少女 クロツグミ 十和田湖畔の裸像に与ふ


手持ちのものは昭和61年(1986)の第24刷です。

6月30日(火)、京都の何必館さんでの「コレクション 近代芸術家の書」展拝観の後、大阪に向かいました。次なる目的地は堺市のさかい利晶の杜さんです。こちらでは「さかい利晶の杜×文豪とアルケミスト企画展 明キ星ヲ繋グ。」が開催中です。

JR堺駅に到着。意味不明の巨大モニュメントがお出迎え(笑)。
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歩いてさかい利晶の杜さんへ。
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2階に与謝野晶子記念館さん。こちらが会場のようです。
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常設展示室と、企画展示に使う部屋とに分かれているようで、まずは企画展示。

各地の文学館さんなどで同様の企画がこれまでにも多数行われてきたゲーム「文豪とアルケミスト」とのタイアップ企画で、ゲームのキャラクターがポスターや展示室の扉に描かれ、室内には等身大パネルも。光太郎、とびきりのイケメンです(笑)。
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展示品は与謝野寛・晶子を中心に、夫妻の弟子筋にあたる吉井勇、光太郎、北原白秋、石川啄木の関連の品々。すべて堺市博物館さん所蔵のものです。与謝野晶子記念館さん自体が堺市博物館さんの出先機関のような位置づけだそうです。
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『明星』(復刻)。
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寛・晶子の貼り交ぜ屏風。
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吉井勇関連。
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光太郎装幀の勇歌集『酒ほがひ』(復刻)。ちなみに本物は昨日今日と神田神保町の東京古書会館さんで開催の「明治古典会七夕古書大入札会」下見展観で展示されています。

光太郎肉筆原稿「自伝」。入手した人物が折本に仕立てたようです。
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創元社の『全詩集大成日本詩人全集』第2巻に収められた散文で、開かれているページには『明星』での短歌から詩へと移っていった経緯などが記されています。

光太郎も挿画を担当した『晶子短歌全集』。
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光太郎以外に藤島武二、中澤弘光が挿画を描いた巻も。

事前に見た地元の情報サイトで、光太郎作品として「短歌の言葉」も挙げてありましたが、そちらは寛の作品でした。

白秋。
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啄木。
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昔のもの以外にも、パネル展示などで光太郎らの言葉をいろいろと。
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企画展の方は、こんな感じでした。

続いて常設展示も拝見しましたが、長くなりますので明日に回します。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 13 『高村光太郎・宮澤賢治集』豪華版 日本現代文学全集16

昭和44年(1969)1月30日 講談社 高村光太郎/宮澤賢治著
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目次
 高村光太郎集
  巻頭写真 筆蹟
   道程(全) 造型詩篇 猛獣篇 「道程」以後 智恵子抄 典型(全) 「典型」以後
   ヹルハアラン詩集
  美について
   ロダンの生涯 ロダンとマイヨルの好悪に就て 触覚の世界 小刀の味 書について
   彫刻性について 自作肖像漫談 蝉の美と造型 信親と鳴滝
  詩について 
   詩歌と音楽 生きた言葉 自分と詩との関係 某月某日 雅歌
  随想
   家 ある首の幻想 ルイ十六世所刑の図 人の首 百三十五番 装幀について
      九代目団十郎の首 手 ほくろ 制作現況 工房にて
  智恵子のこと
   智恵子の切抜絵 智恵子の半生
  みちのく便り
   開墾 夏の食事 山の雪 山の春 みちのく便り 四 山の秋
  アトリエにて
   父との関係 荻原守衛 焼失作品おぼえ書
  ロダンの言葉
   ヹヌス フランスの自然 ランスの本寺 夜の本寺 本寺別記
  続ロダンの言葉
   花について 女の肖像 芸術家の一日 手紙
  作品解説 亀井勝一郎 高村光太郎入門 伊藤信吉 年譜 参考文献
 宮澤賢治集 (詳細略)

手持ちのものは昭和55年(1980)の第19刷です。

6月30日(火)、日帰りで京都・大阪に行っておりました。京都では祇園の何必館(かひつかん)さんで「コレクション 近代芸術家の書 展」、大阪は堺で「さかい利晶の杜×文豪とアルケミスト企画展 明キ星ヲ繋グ。」などを拝見。3回に分けてレポートいたします。

まずは京都。

東海道新幹線で京都駅に降り立ち、さらにJR奈良線と京阪本線を乗り継いで祇園四条駅へ。駅を出ると目の前が四条通に面した京都南座さんで「ありゃ、ここかい」という感じでした。最近めったに行かなくなりましたが、昔は年に1、2回は京都に行っており、何度も歩いた場所でした。東へ進み続ければ突き当たりは八坂神社さんです。
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スマホの地図アプリを起動、何必館さんを探すと、八坂神社さん方面に歩くとすぐとのこと。何度も歩いていた場所でしたが、これまで気づかずに通り過ぎていました。
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こちらが何必館さん。敷地面積はそれほどではありませんが、地階から5階までが展示フロアとなっており、総床面積はそれなりに。街なかにある美術館さんなどでよくあるスタイルです。

昭和56年(1981)開館で、日本画の村上華岳の作品を中心に、北大路魯山人、山口薫の洋画などがコレクションの柱だそうです。今回は「近代芸術家の書」ということで、村上、魯山人、そして光太郎、さらに川端康成、棟方志功、梅原龍三郎、平櫛田中、奥村土牛、須田剋太、富本憲吉、会津八一、加藤唐九郎、小倉遊亀、熊谷守一。約60点が展示されていました。なかなかに眼福でした。

公式サイトで光太郎の書は、戦後の花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)で書かれた短歌「山にゆきて何をしてくる山にゆきてみしみしあるき水のんでくる」を書いた幅が紹介されていましたが、他にも出ているだろうと思っていたところ、ビンゴでした。「山にゆきて……」以外に2点が出ていました。

まず横長の紙に「甘酸是人生」と書いたものが額装されて。同じ文言をやはり戦後、親交があった花巻のリンゴ農家の故・阿部博氏に贈っています。「甘酸」はリンゴの味にひっかけているわけで。そちらは現在、花巻高村光太郎記念館さんで常設展示されています(下画像)。
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平成27年(2015)にNHK Eテレさんで放映された「趣味どきっ!女と男の素顔の書 石川九楊の臨書入門 第5回 智恵子、愛と死 自省の「道程」 高村光太郎×智恵子」では、この書が大きく取り上げられました。

何必館さんで展示中のものも戦後のものと思われます。撮影不可ということで画像がありませんが。

それから短歌「あゝこれ山 空を劃りて 立てるもの かたらす(ず)おろか さひ(び)てたつもの 」を分かち書きした大きな書。短歌自体は明治37年(1904)、第一期『明星』辰歳第11号に載った「赤城山の歌」19首のうちの一つです。「劃りて」は「かぎりて」、「おろかさひ(び)て」の「さび」は接尾語で名詞に付いて「~のように」といった意味となり、「愚か者のように」あるいはもっと突っ込めば「愚直に」といった意味でしょう。この年、光太郎は断続的に2ヶ月近く赤城山麓に滞在、8月には東京からやって来た与謝野寛、石井柏亭、伊上凡骨らを迎え、共に赤城山に登っています。

揮毫されたのはおそらく昭和戦前ではないかと思いました。明治大正の頃は大きな紙に書を書くことはほとんどやりませんでしたし、戦後の書はもっとかすれの激しい彫刻刀で刻みつけるような書体ですが、こちらは比較的流麗な筆遣いです。また、使われている紙が竹の模様を漉き出したちょっと高級そうな紙で、戦後にはこういった紙は入手不可能だったと思われます。終戦後すぐには粗悪なボール紙を色紙代わりにしていたこともありました。

ちなみに短歌「あゝこれ山」を書いた短冊、「赤城山の歌」に含まれるものだということで、群馬県立土屋文明記念館さんで所蔵され、平成31年(2019)の同館の第103回企画展「文学者の書―筆に込められた思い」で展示されたりもしています。

余談ですが、「甘酸是人生」、「あゝこれ山」共に、サムネイルの小さな画像で見ただけでそれとわかる悪質なニセモノがよく売られています。ご注意を。

何必館さんでは平成23年(2011)にも今回と同じく「近代芸術家の書」展を開催なさいました。その際に刊行された図録的な書籍『近代芸術家の書』が、今回も受付で販売されています。「甘酸是人生」は載っていませんが、短歌「山にゆきて」、同じく「あゝこれ山」は画像が掲載されています。
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それから「山にゆきて」の方は、ポストカードも。ただしバラ売りではなく魯山人や梅原龍三郎らの書のそれとともに8枚セットです。

ぜひ足をお運びの上、お買い求め下さい。

明日は「京阪」の「阪」。堺市の「さかい利晶の杜×文豪とアルケミスト企画展 明キ星ヲ繋グ。」についてレポートいたします。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 12 『人生の名著 2 藤村感想集 智恵子とわが青春 私の個人主義』

昭和43年(1968)1月25日 大和書房 島崎藤村/高村光太郎/夏目漱石著
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目次
 藤村感想集 島崎藤村(詳細略)
 智恵子とわが青春 高村光太郎
  1 智恵子の半生 智恵子の切抜絵 新茶の幻想 九十九里浜の初夏
    某月某日
  2 わたしの青銅時代 青春の日 遍歴の日
  3 詩について 生きた言葉 所感
  4 みちのく便り 山の春 山の秋 美と真実の生活
 私の個人主義 夏目漱石
 解説 藤島宇内

 月報
  藤村と私 羽田知都子
  光太郎の詩 小林智子
  現代に必要な漱石の精神 登坂宏
  古い本 新しい本 新庄嘉章訳 『ジイドの日記』 堀秀彦

散文のみを集めています。

都内からいっぷう変わった公演情報です。

劇舎カナリア・シアター 『書声展』さっちゃんは戦争を知らない ちづちゃんは戦後を知らない 詩人と市井の人びと声なき声の展覧

期 日 : 2026年7月13日(月)
会 場 : ギャラリーΧ(カイ) 東京都墨田区両国2-10-14 両国シティコア内
時 間 : 15:00/18:30
料 金 : 1,500円(全席自由)

「わが詩をよみて人死に就けり」と戦時の詩作を悔い、反省し、山荘に籠った高村光太郎。その許を訪れ、「心の責め」を思いやった詩人宮静枝は、生涯に渡り平和を希求する詩を書き続けました。そして戦地で地獄を見て、戦争を「人間愚」と呼び、無反省な戦後に「反省のみがわれわれを道化芝居から救い出してくれる」と訴えながら、自裁した劇詩人加藤道夫。そんな詩人たちのことばと、静枝の身内である宮絢子さんと、そのご家族の戦争への思いを、書と声で展覧します。
「おかあさま、タカムラコータローとマッカーサーとどっちがえらいの?」と、光太郎の前で、母に問うた文彦さんも共に。「でもどうしておとなは せんそうすきなんだろうナ みんなでそうだんして せんそうしないことにしたらいいのにね」山本健翔

スタッフ 書:宮絢子 構成・演出:山本健翔 音楽:ささいけい子 製作:劇舎カナリア

キャスト 
ささいけい子 山本健翔 寺田明子 宮文彦 宮絢子
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案内文に「書と声で展覧」とありますが、「書」の方は書家の宮絢子氏の作品。「声」では「キャスト」にクレジットされている方々が朗読されるのではないでしょうか。

「キャスト」のお一人、宮文彦氏は、生前の光太郎をご存じの方です。お母さまが詩人の故・宮静枝氏。戦前から光太郎と交流があり、戦後の昭和26年(1951)、花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)に隠棲していた光太郎を訪れ、その際の体験を基に平成4年(1992)『詩集 山荘 光太郎残影』を上梓、第33回晩翠賞を受賞されました。

その際に同行したのが甥御さんの千葉氏、そして息子さんの文彦氏と暠成(こうせい)氏でした。
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書の宮絢子氏は文彦氏の奥様で、姑である静枝氏の詩句などを書かれることもおありです。

やはり静枝氏の詩集『山荘』と、文彦氏のお兄様・暠成(こうせい)氏とのからみで、今年5月9日(土)には三軒茶屋で「朗読とお話 宮静枝の詩に投影された高村光太郎の戦後」というイベントが開催されたとのことです。世田谷区さんの広報誌で事前に小さく紹介が出ていましたが、気づきませんで「あ゛~」と思っていたところでした。
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今回は予約を入れさせていただきました。皆様もぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 11 『カラー版 日本の詩 2 石川啄木 北原白秋 山村暮鳥 高村光太郎 宮沢賢治』

昭和42年(1967)5月15日 現代芸術社 金子光晴/高橋新吉監修
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目次
 カラー
  紺屋のおろく(白秋) 砂山(白秋) 城ヶ島の雨(白秋)
  東海の はたはたと ふるさとの 初恋(啄木)
  口笛 わが庭の かにかくに や はらかに(啄木)
  雲 おなじく ある時(暮鳥) 三人の処女(暮鳥) 荒涼たる帰宅(光太郎)
  千鳥と遊ぶ智恵子(光太郎) レモン哀歌(光太郎) 十一月三日・雨ニモマケズ(賢治)
  高原 市場帰り(賢治)
 グラビア
  道程(光太郎) 落葉松(白秋) 我を愛する歌(啄木) だんす 烙印(暮鳥)
  老漁夫の詩(暮鳥) 梅酒(光太郎) ぼろぼろな駝鳥(光太郎) 春と修羅(賢治)
  岩手軽便鉄道の一月(賢治)
 本文
  我を愛する歌(啄木) 煙一 煙二(啄木) 秋風のこころよさに(啄木)
  忘れがたき人人(啄木)
 手套を脱ぐ時(啄木) 沈める鐘(啄木)
  はてしなき議論の後(啄木)
  柳河(白秋) 六騎(白秋) 薊の花(白秋) あかき木の実(白秋) 片恋(白秋)
  春の鳥(白秋) 赤い夕日に(白秋) 幻滅(白秋) 汐首岬(白秋) 曼珠沙華(白秋)
  ちんちん千鳥(白秋) かやの木山の(白秋) ペチカ(白秋) この道(白秋)
  祭りもどり(白秋) 芭蕉(白秋) 泊り舟(白秋) 待ちぼうけ(白秋)
  岬(暮鳥) いのり(暮鳥) なやみに就て(暮鳥) 父上のおん手の詩(暮鳥)
  詩人・山村暮鳥氏(暮鳥) 月 おなじく(暮鳥)
  冬が来た(光太郎) 犬吠の太郎(光太郎) 秋の祈(光太郎) 車中のロダン(光太郎)
  ばけもの屋敷(光太郎) 手紙に添えて(光太郎) 人に(光太郎) 晩餐(光太郎)
  樹下の二人(光太郎) あなたはだんだんきれいになる(光太郎)
  風にのる智恵子(光太郎) 値ひがたき智恵子(光太郎) 山麓の二人(光太郎)
  春と修羅・序(賢治) 雲の信号 岩手山(賢治) 原体剣舞連(賢治)
  永訣の朝(賢治) 政治家(賢治) 和風は河谷いっぱいに吹く(賢治)
  生徒諸君に寄せる(賢治) 眼にて言ふ(賢治)
 解説(三好豊一郎)
 略年譜

 ソノシート
 1 高原 荒涼たる帰宅 かやの木山 待ちぼうけ この道 ペチカ 砂山 ちんちん千鳥
 2 泊り舟 芭蕉 城ヶ島の雨 落葉松 はたはたと 初恋 やはらかに 口笛 東海の かにかくに
   ふるさとの わが庭の
 演奏者 大町ますみ 田中路子 板橋勝 中村博之 ルナ・アルモニコ 新室内楽協会

いかにも「昭和」という感じの作りです。写真の具合といい、附録にソノシートが付いていることといい。ソノシートは作曲者名が書かれていませんが、それぞれ独唱歌曲です。光太郎の「荒涼たる帰宅」は昭和30年(1955)、故・清水脩氏作曲の歌曲集「智恵子抄」最終曲。大町ますみ氏(ボニージャックスの故・大町正人氏の奥様)の歌、伴奏は新室内楽協会でした。

都内から演奏会情報です。

歌曲アンサンブル研究会 第287回 7月例会 〈文月コンサート〉正会員と一般会員による演奏

期 日 : 2026年7月8日(水)
会 場 : 日暮里サニーホール 東京都荒川区東日暮里5丁目50−5
時 間 : 18:30開演
料 金 : 無料

プログラム
 1. R.Schumann / F.Rückert  Widmung 献呈
  F.P.Tosti / R.Pagliara  Rosa 薔薇
  S.Gastaldon / Flick-Flock  Musica proibita 禁じられた音楽
  中瀬康彦 (Ten)  矢部伸子 (Pf)
 2. W.A.Mozart / J.Campe bendempfindung an Laura ラウラに寄せる夕べの想い
  / C.Overbeck  Sehnsucht nach dem Frühling 春への憧れ
  石井敏子 (Sop) 矢部伸子 (Pf)
 3. 山田耕筰 / 北原白秋 からたちの花 鐘が鳴ります この道
  宇佐美知子(Ms) 髙野京子 (Pf)
 4. F.J.Fétis / 不詳 Aria di chiesa 教会のアリア
  中田喜直 / 加藤周一 さくら横ちょう
  田島靜子 (Sop) 高取達也 (Pf)
 5. 朝岡真木子 / 大竹典子 さくら舞台
  朝岡真木子 / 高村光太郎 組曲「智惠子抄」より レモン哀歌
  広川法子 (Sop) 末松茂敏 (Pf)
 6. J.Turina / R.Campoamor ‘Poema en forma de canciones’ 「歌のかたちの詩」より
  Ⅱ. Nunca olvida... 忘れない    Ⅲ. Cantares うた (カンターレ)
  Ⅳ. Los dos miedos 二つの恐怖 Ⅴ. Las locas por amor 至上の愛
  濱田喜代美 (Sop)  髙野京子(Pf)
 7. 別宮貞雄 / 大木惇夫 歌曲集「淡彩抄」より 泡 蛍 別後 燈 春近き日に
  横田 理恵 (Sop)  山本 奈々子 (Pf)
 8. C.Guastavino / F.Silva La rosa y el sauce 薔薇と柳
  G.Fauré / P.Verlaine Clair de lune 月の光
  M.Legrand / E.Marnay Paris-Violon パリ-ヴィオロン
  加藤智子(Ms) 入佐弥生 (Pf)
 9. 助川敏弥 / 金子みすゞ 
  歌曲集「夕顔」より みそはぎ だれがほんとを
  歌曲集「薔薇の町」より 金魚 星とたんぽぽ
  大垣ひで美(Sop) 末松茂敏 (Pf)
 10. G.Fauré / P.Verlaine Mandoline マンドリン
  C.Debussy / P.Verlaine Mandoline マンドリン
  A.Roussel / H.Pierre Amoureux séparés op.12-2 離れ離れ
  / R.Chalupt Sarabande op.20-2 サラバンド
  神谷明美 (Sop)  南日美奈子 (Pf)
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歌曲アンサンブル研究会」さんの主催。ただ、本式の演奏会というわけではなく、毎月行われている「例会」の一環です。「例会」は会員対象の公開講座、そこでレッスンを受けた歌い手さんなどによる試演会、定期公演などバリエーションに富んでいて、今回は試演会に近い形なのかな、という感じです。したがって入場無料です。といってもプロまたはそれに準ずる皆さんの演奏ですのでそれ相応のレベルのものでしょう。

6月18日(木)に川崎で行われた6月例会が公開講座で、講師は作曲家の朝岡真木子氏。3組の歌い手さんとピアニストの方が朝岡氏作曲の独唱歌曲を朝岡氏ご本人のご指導の下、公開レッスンをうけるという形でした。

その際に組曲「智惠子抄」中の「レモン哀歌」でレッスンを受けられたソプラノの広川法子氏、ピアノの 末松茂敏氏が同曲を演奏なさいます。そうなのかなと思っていたのですが、やはりコンサートで演奏されるという前提で講座の選曲もなさったのかと腑に落ちました。

ちなみに会場の日暮里サニーホールさんからJR線を渡って北西方向に徒歩10分ほどで、光太郎の母校・荒川区立第一日暮里小学校さんがあります。
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裏門的な「さくら門」前に光太郎自筆の書から文字を採った「正直親切」の碑があります。
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昭和26年(1951)、蟄居生活を送っていた花巻郊外太田村の山小屋近くにあった太田小学校山口分教場が山口小学校に昇格した際、校訓として贈った言葉ですが、第一日暮里小さんでは、昭和60年(1985)、創立百周年記念に、この言葉を刻んだ碑を建立しました。以来、同校では「正直親切」を校訓とし、学校だよりの題名などにも使って下さっていますし、光太郎に関わる学習等もなさっています。

さらにそのすぐ近くには、明治末から大正はじめにかけ、智恵子が通っていた太平洋画会の後身・太平洋美術会研究所さん(智恵子が通っていたころとは場所が変わっていますが)。こちらでは通りに面したウインドウに智恵子筆のデッサンが。
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ついでにというと何ですが、ぜひお立ち寄り下さい。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 10 『現代詩歌集』日本文学全集29

昭和41年(1966)5月3日 河出書房新社 村野四郎編 
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目次

 詩
  思ひ出<北原白秋> 道程<高村光太郎> 月に吠える<萩原朔太郎>
  現代詩集
   薄田泣菫 蒲原有明 河合酔茗 三木露風 川路柳虹 千家元麿 山村暮鳥 堀口大学
   西条八十
 佐藤春夫 室生犀星 宮沢賢治 金子光晴 西脇順三郎 三好達治
   中原中也 丸山薫 伊東静雄 立原道造 田中冬二 草野心平 村野四郎 北川冬彦
   中野重治 高橋新吉
 短歌
  みだれ髪<与謝野晶子> 一握の砂<石川啄木> 赤光<斎藤茂吉>
  現代歌集
   長塚節 窪田空穂 北原白秋 若山牧水 吉井勇 島木赤彦 中村憲吉 古泉千樫
   土屋文明 釈迢空 会津八一 佐藤佐太郎 木俣修 宮柊二
 俳句
  虚子句集<高浜虚子>
  現代句集
   正岡子規 河東碧梧桐 荻原井泉水 飯田蛇骨 尾崎放哉 水原秋桜子 山口誓子
   日野草城 中村草田男 加藤楸邨 石田波郷 川端茅舎 西東三鬼 久保田万太郎
 注釈 村野四郎
 解説(付年譜) 村野四郎

小説系がメインの文学全集もので、このように詩歌を一冊にまとめることが時々ありました。まるでおまけのような扱いでしたが(笑)。

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