2026年05月

5月1日(金)の『東京新聞』さんから。コラムニスト・泉麻人氏の連載です。

あの町、このメシ 上野アメ横で西郷丼 『酒亭 じゅらく 上野店』 ぐるり東京

020“西郷像”をスタートして、目指すは“西郷丼”。晩春の上野さんぽ
 上野の西郷さんの前にやってきた。上野公園の一角にあるこの西郷隆盛像ほどポピュラーな銅像は他にないだろう。没後20年ほど経った明治30年代に高村光雲が手掛けた西郷像、脇に従えた薩摩犬のツン(ウサギ狩りにいくところらしい)も含めて、キャラが立っている。もっとも、西郷の顔だちは歴史書でもおなじみのキヨッソーネ作の肖像画をお手本にしたものらしく、そもそも弟の従道と親戚の大山巌のルックスをベースにしたもだという。
 あいにくの雨だったが、多くの観光客でにぎわう上野公園。取材時(4月中旬)には、若葉が出始めた桜の木が公園を彩っていた。
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 そこを始点に公園内を歩き始めた。桜の花の季節は過ぎ、動物園にパンダもいなくなったが、依然外国人の姿は多い。ここにくるといつも立ち寄る上野大仏(震災、戦災からしぶとく残った顔だけ飾られている)は、もう閉場の夕方4時を過ぎて拝めなかったけれど、五條天神や花園稲荷の参道を通りぬけて崖下の不忍池の方へ入った。弁天堂の周辺に建立された「めがね之碑」とか「スッポン感謝之碑」とか、昔からの上野の商業者たちが立てたユニークな石碑を瞥見(べっけん)して、池の南側を回って上野広小路東側のアメ横の一帯にやってきた。
 今回のターゲットは海産物や輸入雑貨の小店が並ぶブロックのさらに東方、JR高架線の狭間に続く飲み屋横丁の「酒亭 じゅらく」という店。西郷さんの銅像の前から出発したのは、ここの人気メニュー「西郷丼どん」というのをいただきたいからなのである。
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1日限定10食のランチメニュー「西郷丼」(2315円)。味噌汁とお新香付き。
 西郷丼というのを……、なんて書き方をしたけれど、僕はもう20年くらい前にこれを味わっている。場所は、西郷像の脇の崖際に存在した上野松竹デパートだったか、上野百貨店だったか……古びたショッピングビルのなかに入っていた「レストラン聚楽台」という同じ“じゅらく”系の店。確か、西郷丼がメニューに登場してまもない頃だったはずだが、その構造が当時のエッセー(『なぞ食探偵』)に記述されている。
 「アジサイの絵柄の大きな丼に、なんともゴージャスな具が盛り付けられている。真ん中にホウレンソウで縁どりされた温泉玉子が置かれ、豚の角煮(三個)、サツマ揚げ、明太子、鶏そぼろ、サツマイモ天、といった面々がそれを取り囲む。」
 要するに薩摩料理のラインナップを揃えた丼メシ、といったものだったが、大したボリュームだったことを覚えている。ちなみに西郷像脇のビルは「UENO3153」という新式のビルに改築されて「聚楽台」は入っていない。レストランとしては「じゅらく上野駅前店」というのがこの並びにあるけれど、西郷丼はここ酒亭(居酒屋)の看板メニューになっているようだ。
 夜はもちろん、昼飲みにも対応。玉子焼きなどの定番メニューや季節のアテとともに一杯いかが。
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 さて、久しぶりに注文した西郷丼、具の布陣は20年前と多少変わっていた。豚の角煮(鹿児島産黒豚使用)、明太子、温泉玉子といったあたりは不動だが、鶏そぼろは「さつま純然鶏もも岩塩焼き」という本格派に置き換わり、「きびなごの唐揚げ」が加わって、さつま揚げには西郷さんのキャラ絵が刻まれている。しかし、メシは悠々茶わん2杯分くらいはあって、相変わらずのボリュームでごわす。
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 お話を伺った店の責任者(レストラン営業1部業態リーダー)・川喜多淳一さんの名刺に〈笑顔をつないで100周年 1924〉と記したロゴマークが入っているが、1924年(大正13年)というのは関東大震災の翌年であり、「須田町食堂」という当初の店はその名のとおり、神田須田町交差点の名所・広瀬中佐像の西向かいあたりにあったという。
 15歳で新潟から上京した加藤清二郎という人物が創業者。リーズナブルな洋食(コロッケやハムライス)が震災後の新東京でウケて、とりわけ上野駅前の何軒かの店は、戦後の高度成長時代の上京者が初めて味わう洋食として知られるようになった。食堂にとどまらず、デパート、旅館業へと手を広げたが、ひと頃深夜のテレビでCMをよくやっていた「じゅらくよ〜」とマリリン・モンローのそっくりモデルがささやく伊東や水上の温泉ホテルももちろんココと同じ「じゅらく」だ。

今回訪れたお店
酒亭 じゅらく 上野店
住所 東京都台東区上野6-11-6
電話 03-3831-9640
営業時間 11:30~23:00(日曜、祝日11:30~22:00)
定休日 無休
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イラスト・なかむらるみ

上野で「じゅらく」というと、ファミリーレストランのさきがけのような「レストラン聚楽」が思い浮かびますが(幼い頃に行ったような記憶があります)、今回の「酒亭 じゅらく」さんも同じ聚楽グループのようです。聚楽グループといえば、一定以上の世代の方は『東京新聞』さんにもある「じゅらくよ~ん」というテレビCMが思い浮かぶと思われますが、そちらは同グループのホテルのCMでした。

「レストラン聚楽」は大正13年(1924)に神田須田町で開業した「須田町食堂」が最初で、翌14年(1925)には4店、昭和に入ってからは年間平均5店というハイペースでチェーンを広げたそうです。その中で上野が本拠となっていったようです。

大正15年(1926)12月、宮沢賢治が上京し、駒込林町の光太郎住居兼アトリエを訪問しました。その際、光太郎と賢治、それからもう一人の三人で、上野の聚楽に行って会食したという伝聞が、賢治研究の方面でまことしやかにまかり通っていた時期がありました。1970年代に出た『校本 宮沢賢治全集』の古い版の年譜の項に、そう書かれていたというのです。

しかし光太郎の回想には、賢治が訪ねてきたものの、アポ無しだったし、手が離せない状況だったため、玄関先で「明日もう一度来てくれ」と言って別れたと書かれています。おそらくその通りで、聚楽で三人で鍋をつついたというのはそう証言した人物の記憶違い、賢治や光太郎ではない誰かとの混同ということで落ち着いています。

ところが1970年代に出た『校本 宮沢賢治全集』の古い版の年譜だけ見て、未だに聚楽での会食があったと思い込んでいる人もいるようで、時折、ネットでそうした記述を見かけます。困ったものです。

閑話休題、 「酒亭 じゅらく」さんの「西郷丼」、ぜひご賞味あれ。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 7 『高村光太郎選集 Ⅳ 芸術論 下』

昭和27年(1952)9月15日 中央公論社 高村光太郎著
4
4函 4扉 4奥付
目次
 印象主義の思想と芸術
  一 概観 二 エドワール マネ 三 クロード モネ及び新印象派画家
  四 アルフレ シスレー
 五 カミーユ ピサロ 六 オーギユスト ルノワール
  七 エドガー ドガ其他
 八 ポール セザンヌ、附、後期印象派 九 附言 年表
 芸術雑感
  第三回文部省展覧会の最後の一瞥 緑色の太陽 ノラの型 詩歌と音楽
  ミラノの本寺とダ・ヰ゛ンチの壁画 芸術雑話 七つの芸術 芸術鑑賞その他
  彫刻に何を見る
 人と作品
  ホヰツトマンの事 ホヰツトマンのこと ヹルハアラン ドナテロ小感 アンドレ ドラン
 月報 詩人と彫刻家 豊島与志雄 高村さんの近況 草野心平 無機 松下英麿

全6巻で刊行の『高村光太郎選集』第5回配本です。

智恵子を主人公とした小説の新刊です。

尖(とんが)った山 高村智恵子と、同時代の人びと

発行日 : 2026年5月12日
著者等 : 入江いちろう
版 元 : 福島民報社
定 価 : 1,600円+税
コード : ISBN978-4-904834-74-9

「智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ。」

今年5月は、高村智恵子が生まれて140年目 智恵子抄で高名な高村智恵子は終生尖った人生を生きた その素顔に迫る書き下ろし小説

高村智恵子の生きた姿を、同時代の人々の証言(挿話)と本人の文章で描き、智恵子の実像に迫った掌編小説
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目次
 はじめに
 第一部 智恵子の人となり
  プロローグ
  第一章 長沼智恵子の写真 そして小畑ナツ
  第二章 挿話「智恵子の写真撮影」
  第三章 挿話「智恵子の交友録 宮澤トシ」
  第四章 挿話「智恵子の交友録 服部ミネ」
  第五章 病の智恵子 その言動
  第六章 病院での死
  第七章 智恵子の人となり 私見
  エピローグ
 第二部 智恵子と、同時代の人びと
  第一章 長沼今朝吉 そして、浅倉哲蔵
  第二章 高村光太郎 そして、古松茂藤治
  第三章 挿話「油井の人びと」
  第四章 明治病院百周年記念誌「百年のあゆみ」
  エピローグ
 あとがき
 おわりに
 参考文献
 追記


著者の入江氏から贈られたものです。版元は福島民報社さんですが、自費出版の扱いだそうで。だから、というわけでもないのでしょうが、同社の書籍サイトに掲載がありません(2年ほど更新もされていないようですが)。Amazonさんなどでも取り扱いがないようです。そこでこのブログで紹介して欲しいとのことでした。

『民報』さんに紹介の記事は載りました。

智恵子の生涯 小説に きょう 福大卒の入江さん出版

 福島市の福島大経済学部卒で、愛知県在住のパソコン関連会社社長、入江いちろうさん(74)は1日、小説「尖(とんが)った山 高村智恵子と、同時代の人びと」(福島民報社)を自費出版した。
 秋田県出身の入江さんは同大で学び、静岡県浜松市のヤマハ(旧日本楽器製造)に就職。定年退職後、会社を起業した。学生の頃から「智恵子抄」に興味があった。大学時代を過ごしたことや妻が福島市出身だったことで、福島に思い入れが強かった。智恵子の生涯を小説で描きたいと執筆を思い立った。
 本書は2部構成。1部は「智恵子の人となり」として智恵子の交友関係をひもとき、著者独自の視点で人物像に迫っている。2部は「智恵子と、同時代の人びと」。父の長沼今朝吉や夫の高村光太郎ら智恵子の関係者の生き方や実家「花霞酒造」の経営破綻など当時の資料を織り交ぜ、物語に仕上げた。
 入江さんは「今年は智恵子の生誕140年に当たる。彼女の功績や新たな魅力を知るきっかけになれば」と話している。
 A5判122ページ。1760円(税込み)。県内書店、福島民報販売店で取り扱っている。問い合わせは福島民報社事業局出版部(平日午前10時~午後5時)電話024(531)4182へ。


語り手的な主人公は入江氏ご自身が投影されているようですが、あくまで小説ですので、内容の大半はフィクションと思われます。

明治病院第一部に登場する「人びと」のうち、日本女子大学校において智恵子と同窓で、福島市の明治病院に嫁いだ幡ナツは、智恵子と浅からぬ縁がありました。女子大学校卒業後の明治42年(1909)、智恵子がそれまで住んでいた卒業生向けの寮が閉鎖され、ナツは自分も住んでいた駒込動坂の日本画家・夏目利政宅に智恵子も下宿できるよう手配してくれました。また、同45年(1912)、智恵子が太平洋画会展覧会に出品した油絵「雪の日」は福島の明治病院の庭を描いたと伝えられています。

本書の表紙は幡家の人々と撮った写真をモチーフにしたもので、貼り絵作家の小倉玲奈さんという方の作だそうです。写真自体は明治病院滞在時の明治45年(1912)はじめか前年暮れ頃に撮られたと推定されています。

そこで寮の件やこの写真を撮影した際のことなどが描かれています。そして語り手的な主人公の妻は、ナツの孫という設定です。

同じく第一部では、宮澤トシや服部ミネ。

トシは宮沢賢治の最愛の妹。「あめゆじゆとてちてけんじや」の人です。やはり日本女子大学校に学び、しかも家政科でしたから智恵子の後輩です。ただ、在学は大正4年(1915)~同8年(1919)で、明治40年(1907)に卒業した智恵子とはかぶっていません。小説では在学中のトシが光太郎智恵子夫妻の暮らす駒込林町のアトリエを訪れて、兄・賢治の作品の載った同人誌『アザリア』を読んでくれ、と光太郎に渡すという設定になっています。

服部ミネは、智恵子の油井小学校時代の恩師にして、一度教員になってから退職し、日本女子大学校に進学した服部マスの姪。智恵子はマスの影響もあって女子大学校に進みました。そしてミネ。特筆すべきは大正12年(1923)、関東大震災後のドサクサで、無政府主義者・大杉栄とその内縁の妻にして旧『青鞜』同人の伊藤野枝らを殺害した憲兵大尉・甘粕正彦の妻だったこと。小説では甘粕との結婚前に、ミネがマスに連れられてやはり駒込林町の光太郎智恵子の元を訪ねるという内容になっています。

このあたりはフィクションですが、そういうことが絶対に無かったとは言い切れない内容です。

第二部では、昭和4年(1929)の智恵子実家・長沼酒店の破産などが描かれています。福島の郷土資料等を詳しく調べられたようで、それを元にしています。この件についてはいろいろ裁判沙汰などもあり(後に智恵子の母・センと智恵子の妹夫婦が九十九里に移ったのも無関係ではありません)、関係者の子孫等が存命で、登場人物の名が実名でなく仮名になっている箇所があります(第一部でもそうでしたが)。このあたり、コンプライアンス的になかなか難しいのでしょう。

さて、福島県外で購入という場合、上記『民報』さん記事末尾の「問い合わせは福島民報社事業局出版部(平日午前10時~午後5時)電話024(531)4182へ」というところで電話注文も可能かも知れませんし、お住まいの地域の新刊書店さんに書名やISBNコード(ISBN978-4-904834-74-9)を伝えれば入手できるかと存じますのでよろしくお願いします。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 6 『高村光太郎選集 Ⅱ 詩 下』

昭和27年(1952)5月10日 中央公論社 高村光太郎著
2 (1)
2 (2) 2扉 2奥付
目次
 樹下の二人 鉄を愛す Lululi とげとげなエピグラム 氷上戯技 偶作 七 珍客 清廉
 月曜日のスケルツオ 白熊 傷をなめる獅子 少年を見る 狂奔する牛 車中のロダン 葱
 後庭のロダン 象の銀行 十大弟子 苛察 聖ジヤンヌ 夜の二人 雷獣 冬の奴
 無口な船長 滑稽詩 マント狒狒 象 森のゴリラ 北冥の魚 潮を吹く鯨
 あなたはだんだんきれいになる 怒 偶作 四篇 母をおもふ 或る墓碑銘 北東の風、雨
 冬の言葉 ミシエル・オオクレエルを読む 火星が出てゐる 偉大なるもの 美を見るもの
 「詩」 龍 あどけない話 同棲同類 何をまだ指してゐるのだ 存在 旅にやんで その詩
 彼は語る 二つに裂かれたベエトオフェン 花下仙人に遇ふ 天文学の話 ぼろぼろな駝鳥
 当然事 無限軌道 街上比興 さういふ友 あの音 夏書二題 北島雪山 古事一則
 或る日(昭和三年九月二十八日) 人生 ひとり酸素を奪つて 焼けない心臓 或る筆記通話
 触知 上州湯桧曽風景 無題 上州川古「さくさん」風景 冬 無題 刃物を研ぐ人
 耳で時報をきく夜 冷熱 孤坐 美の監禁に手渡す者 似顔 のつぽの奴は黙つてゐる
 南極 蝉を彫る 非ヨオロッパ的なる レオン・ドウベル 先生山を見る 晴天に酔ふ
 首の座 人生遠視 風にのる智恵子 村山槐多 ばけもの屋敷 「藤島武二画集」に題す
 「悪魔の貞操」に題す もう一つの自転するもの 荻原守衛 千鳥と遊ぶ智恵子
 値ひがたき智恵子 よしきり鮫 夢に神農となる 老耼、道を行く
 一艘の船が二艘になること 地理の書 山麓の二人 団十郎像由来 手紙に添へて
 レモン哀歌 芋銭先生景慕の詩 つゆの夜ふけに 初夏言志 亡き人に
 銅像ミキイヰッツに寄す へんな貧 梅酒 最低にして最高の道 秋風をおもふ
 太子筆を執りたまふ 荒涼たる帰宅 青年 与謝野夫人晶子先生を弔ふ 三十年 寒夜読書
 救世観音を刻む人 南瓜賦 美しき落葉 雪白く積めり 山菜ミヅ 暗愚小伝 山のひろば
 「ブランデンブルグ」 脱卻の歌 人体飢餓 東洋的新次元 山口部落 かくしねんぶつ
 クロツグミ 別天地 おれの詩 悪婦 岩手の人 若しも智恵子が 山からの贈物
 滑稽詩 二篇
  Rilke Japonica etc. 赤トンボ
 山荒れる 月にぬれた手 鈍牛の言葉 典型 クチバミ 元素智恵子 メトロポオル 裸形
 案内 あの頃 吹雪の夜の独白 田植急調子 噴霧的な夢 女医になつた少女 東北の秋
 大地うるはし 人間拒否の上に立つ
 月報 個人として(下) 高田博厚 高村光太郎の彫刻 真壁仁 強靱積極の生活 池田克己

全6巻で刊行の『高村光太郎選集』第4回配本です。収録詩篇は大正12年(1923)の「樹下の二人」から昭和26年(1951)の「人間拒否の上に立つ」まで、概ね編年体です。

智恵子の故郷・福島二本松で智恵子顕彰に当たられている「智恵子のまち夢くらぶ~高村智恵子顕彰会~」さん主催のイベントおよびそれとセットで開催されるコンサートの案内です。

高村智恵子生誕祭~智恵子を偲ぶ鎮魂の集い~

期 日 : 2026年5月17日(日)
会 場 : 智恵子生家/智恵子記念館周辺 福島県二本松市油井字漆原町36
時 間 : 8:45~
料 金 : 1,500円
申 込 : 熊谷健一 TEL/FAX 0243-23-6743 〒969-1404 二本松市油井八軒町75

智恵子の生家、記念館、「樹下の二人」詩碑などゆかりの地を説明を聴きながら巡り歩き最後に安達駅前「智恵子像」の前で参加者による「智恵子抄」朗読を行います。定員20名(先着順)。

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二本松市のさらに旧安達町内、それほど広くない範囲で智恵子ゆかりの地を巡るいわば文学散歩的な催しです。たぶん参加費に昼食代が含まれていると思われます。
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当方、令和5年(2023)とその翌年に参加いたしました。それほど広くない範囲ですが、歩いて巡るとなるとけっこう大変です(「青空ウォーク」と銘打ってそうしていた時期もかつてありましたが)し、雨天の場合も有り得るので、近年は夢くらぶさん会員の方の車に分乗して巡るスタイルになっています。

最後にJR東北本線安達駅前の智恵子像「今 ここから」(光太郎の父・光雲孫弟子の故・橋本堅太郎氏作)でオープンマイク的に朗読会だそうで。

それが終わった段階で、二本松市街地に移動して下記のコンサート鑑賞という流れのようです。おそらく希望者のみということになるのでしょうが。

モモの智恵子抄

期 日 : 2026年5月17日(日)
会 場 : 二本松市民交流センター 福島県二本松市本町2-3-1
時 間 : 15:00~
料 金 : 前売 3,500円 当日 4,000円
申 込 : モンデンビューロー  mondenmomo@mac.com

 高村智恵子さん生誕140年記念のイベントが今年の5月に二本松で行われます。そしてこれは2028年ミュージカル『智惠子抄』へのスタートでもあります。二本松市 二本松市教育委員会 二本松音楽協会 そして智恵子のまち夢くらぶの後援をいただきモンデンモモの智惠子抄 音楽劇『智恵子飛ぶ』そして前夜祭として劇団徳子福島公演『MOMO NO MOMO』の公演が行われます。
 いよいよ準備が本格的にはじまりました
 1990年から 智惠子抄を歌でお届けする活動が始まりました。そして2023年 舞踊音楽劇として『智恵子飛ぶ』が上演されました。今回リクエスト公演として高村智恵子さん生誕140年にむけ智恵子さんの生誕の地で再演されます。それは2028年のミュージカル『智惠子抄』への始まりでもあります。
 智恵子さんの学ばれた油井小学校の子供達に智恵子さんの素敵さを上演していただきたい演じていただきたいそんな思いから4歳から90歳までのプロと愛好家の最高の融合をモットーとする劇団徳子が 手がけます
 油井の子供達と大人たちと輝く智恵子さんの『懐かしい未来』を〜お伝えしたいとかんがえています。 素敵な、そしてすごい時代です!! 東京からたくさんの仲間たちが引っ越し公演をいたします。あなたも!!二本松に!!いらしてくださいね!!おまちしています。
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光太郎詩にオリジナルの曲を付けて歌われている、シャンソン系歌手・モンデンモモさんによるコンサートです。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 5 『高村光太郎選集 Ⅴ 随想 上』

昭和26年(1951)12月10日 中央公論社 高村光太郎著
5
5函 5扉 5奥付
目次
 回想録など
  回想録 子供の頃 母のこと 姉のことなど 美術学校時代 揺籃の歌 谷中の家
  智恵子の半生 二世代
 彫刻のことなど
  肖像雑談 自作肖像漫談 蝉の美と造型 ロダンの素描 ロダンの手記談話録
  自刻木版の魅力 彫刻的なるもの 彫刻寸言 美の健康性 芸術上の良知 永遠の感覚
  普遍と独自 美 比例均衡 美意識について 美の影響力 美を求める欲望 詩の深さ
  書について 気について 小感 言葉の事 生きた言葉 触覚の世界
  詩人の知つた事ではない
 アトリエにて
  小刀の味 信親と鳴滝 ある首の幻想 手 鷗外先生の「花子」 家
 
断片
  新茶の幻想 「道程」改訂版 内部の矛盾 木つ葉童子の手紙 ジヤン コクトウ
  さやゑん豆 鯉の木彫 或日 文語 智恵子の新盆 型
 月報 個人として(上) 高田博厚 アトリエのあつたお家 森田たま

全6巻で刊行の『高村光太郎選集』第3回配本です。「随想」の題ですが、評論とエッセイとが入り交じっています(どちらともつかないものもあるのですが)。

編年体ではなく、おおむね内容による分類。一応時期での区切りがあり、戦後のものは含んでいません。ただ、後に出る「随想 下」では遡って明治期のものが収められたりします。

毎年この時期にご紹介していますが、「ほんとの空」の広がる安達太良山の山開きが行われます。

第72回 安達太良山山開き001

期 日 : 2026年5月17日(日)

福島県出身のタレントなすびさん(安達太良山観光大使)が今年も山開きに参加!! ぜひ一緒に登山を楽しみましょう!!(記念撮影可能)

奥岳登山口(あだたら高原スキー場)でのイベント
 安全祈願祭【午前8時~】
  1年間の安達太良山登山の無事を参加者で祈願します。
  (荒天時はランデブー内で実施します)

山頂でのイベント
 ➀ペナント配布【午前9時30分~】
  先着3,000枚を配布します。(無くなり次第、終了となります)
 ②ほんとの空大声コンテスト【午前11時~】
  山頂で募集します。テーマに沿った内容で大声を出してもらいます。
  男性部門の大賞、女性部門の大賞を決定します。(定員20名)
  大賞には豪華景品をご用意しております。また、参加された方へも参加賞がございます。
  ※荒天時は中止となります。ご了承ください。
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かつて行われていた「ミズあだたらコンテスト」が昨年から無くなり、代わって「ほんとの空大声コンテスト」が山頂で予定されています。昨年も計画には入っていたのですが、荒天のため中止となってしまったので、今年行われるとすれば初の開催ということになります。

『広報にほんまつ』今月号、山開き全般。
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三保恵一市長の連載コラム。
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公式サイトにシャトルバスの情報がまだアップされていませんが、例年通りであればJR東北本線二本松駅から、中腹の岳温泉を経由、奥岳登山口までのそれが運行されるはずです。

ぜひ足をお運びください。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 4 『高村光太郎選集 Ⅰ 詩 上』

昭和26年(1951)10月10日 中央公論社 高村光太郎著
1
1函 1扉 1奥付
目次
 秒刻 マデル 博士 あらそひ 
 敗闕録
  ㈠われ千たび君を抱かむ ㈡君を見き ㈢遁れたる君は遣らばや
  ㈣眠りてあれか目覚めよか
 LES IMPRESSIONS DES OũONNAS
  TU VOIS?  LE SOURIRE CACHÉ  L'ABSINTHE 
  POUSSE―POUSSE Á LA GUM―WA
 友よ PRÉSENTATION 失はれたるモナ・リザ 生けるもの 根付の国 画室の夜
 熊の毛皮 人形町 甘栗 亡命者 寂寥 侵蝕 祈祷 或日の午後 声 新緑の毒素
 廃頽者より 『河内屋与兵衛』 髪を洗ふ女 手 『おもひで』と『夜の舞踏』と 白昼の空気
 金秤 はかなごと 地上のモナ・リザ 夜半 けもの 父の顔 泥七宝 恐怖 あをい雨
 友の妻 ――に 夏の夜の食慾 或る夜のこころ おそれ 犬吠の太郎 涙 からくりうた
 さびしきみち カフエにて ビフテキの皿 梟の族 冬が来る カフエにて 或る宵 夜
 狂者の詩 郊外の人に 冬の朝のめざめ 師走十日 戦闘 カフエにて 深夜の雪
 人類の泉 人に 山 よろこびを告ぐ 現実 冬が来た 冬の詩 牛 僕等 道程
 愛の嘆美 群集に 婚姻の榮唱 万物と共に踊る 瀕死の人に与ふ 晩餐 五月の土壌
 淫心 秋の祈 わが家 晴れゆく空 小娘 海はまろく 花のひらくやうに 歩いても
 湯ぶねに一ぱい 無為の白日 序曲 丸善工場の女工達 米久の晩餐 
 雨にうたるるカテドラル かがやく朝 ラコツチイ マアチ クリスマスの夜 冬の送別
 真夜中の洗濯 五月のアトリエ 沙漠 落葉を浴びて立つ

 月報 根付の国 日夏耿之介 無題 吉野秀雄 山小屋の人 伊藤信吉

全6巻で刊行の『高村光太郎選集』第2回配本です。明治40年(1907)の「秒刻」から大正11年(1922)の「落葉を浴びて立つ」までの詩が、編年体で収められています。

しばらくの間、智恵子およびその故郷・福島二本松関連の話題が続くかも知れません。

今日は智恵子のソウルマウンテン・安達太良山にオープンした「「あ」の図書室」関連の報道を2本。

まず、業界紙『観光経済新聞』さん。

山頂駅に無料図書室をオープン 「あ」がモチーフ あだたら山ロープウェイ

 富士急安達太良観光(福島県二本松市)は11日、同社が展開するあだたら高原リゾートの「あだたら山ロープウェイ山頂駅」内休憩所をリニューアルし、「あ」をモチーフにした図書室をオープンした。文学にゆかりのある同地ならではの”静かな過ごし方”を提案。休憩室と展望室を兼ねた空間として、無料開放する。
 あだたら高原リゾートでは近年、グリーンシーズンの楽しみ方を拡充させる取り組みを展開している。2024年からは、「あだたらやま」の「あ」に着目した空間演出など、自然と遊び心を感じられる体験づくりを提供。山頂展望広場に設置された「あ」のオブジェはその代表作で、多くの来場者に親しまれている。
 今回新たにオープンする「あ」の図書室は静かな過ごし方を提案する空間として整備。高村光太郎の詩集『智恵子抄』に登場する「ほんとの空」の舞台として知られる安達太良山の山頂で本を手に取り、ゆったりとした時間を堪能できる。図書室には、詩集のほか登山などのアウトドア、 旅行、二本松市紹介関係の書籍が置かれている。
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「高村光太郎の詩集『智恵子抄』に登場する「ほんとの空」の舞台として知られる安達太良山の山頂」とありますが、正確には「安達太良山の山頂」ではありません。安達太良山系の薬師岳山頂ということで、ロープウェイは「山頂駅」と命名されていますが。安達太良山自体の山頂(標高1,700㍍)は、ここからさらに2時間ほど登ったところ。さすがに立派な建造物を建てるのは不可能でしょう。

続いて、TUFテレビユー福島さんのローカルニュース。

“ほんとうの空”の下で読書を…安達太良山の山頂駅に図書室オープン 福島

これから本格的な登山シーズンを迎えますが、それを前に、福島県の安達太良山の休憩所がリニューアルオープンです。この休憩所、空を見渡しながらあることを楽しめるそうです。

平岡沙理アナウンサー「きょうは雲一つない青空!気持ちいいですね!山頂駅にある休憩所がリニューアルしたということで、どんな施設に生まれ変わったのか行ってきます!」
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やってきたのは、標高1700メートル、日本百名山に数えられている安達太良山。早速ロープウェーに乗り、出発進行!といきたいところでしたが…高所恐怖症の平岡アナは若干苦笑い。それでも、ゴンドラに乗ると見える雄大な景色に、うっとりしています。

およそ10分、ロープウェーの旅を楽しんで山頂駅に到着!

平岡アナ「着きました!ちょっと怖かったです。行きましょう!気を取り直して!」

 「ほんとうの空」の下で、読書を
駅を降りて見えてきたのは、大きく書かれた「あ」の文字。ここが、新しくできた読書ラウンジ「あ」の図書室です。安達太良山の母音がすべて「あ」であることから、その名前が付けられました。
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4月11日にオープンしたこの図書室には、絵本や登山の本、さらにはマンガまで、およそ300冊がそろっています。こだわりは内装にも。
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平岡アナ「中は木が基調となっていて、この階段をのぼると、見てください!絶景が広がっています。柔らかな日差しも浴びられてとても心が落ち着きます」

安達太良山の空といえば、高村光太郎の妻・智恵子が愛した「ほんとうの空」。「あ」の図書室では、この「ほんとうの空」の下で、読書を楽しむことができます。大自然に囲まれた静かな空間で、登山や日々の疲れを癒してほしいという思いから、生まれました。
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東京から訪れた人「(この場所は)知らなくて、祖父がこっち出身で連れてきてもらいました。すごく景色も良くて来てよかったと思います」

新潟県から訪れた人「来てみてちょっとおもしろそうなのがあったから入ってみようかなという感じで、ゴンドラが真横に見えて、なかなか撮れないかなと思って」

「あ」の図書室は入場無料で、ゴールデンウィーク期間中の5月10日までは毎日営業しています。ぜひ皆さんも、静かな空間に癒されてみてはいかがでしょうか?図書室に行くまでのロープウェーは、別途料金がかかりますので詳しくはホームページでご覧ください。

二本松に足を運ばれる際は、ぜひお立ち寄りください。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 3 『高村光太郎詩集』創元選書

昭和26年(1951)9月15日 創元社 高村光太郎著
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目次
 明治四十年(一九〇七)
  秒刻 マデル 豆腐屋 博士 あらそひ
  敗闕録
   (一)われ千たび君を抱かむ (二)君を見き (三)遁れたる君は遣らばや
   (四)眠りてあれか眼覚めよか
 明治四十三年(一九一〇)
  Les impressions des oũonnas
   tu vois? le sourire cache l'absinthe pousse-pousse a la gum-wa 友よ
      Presentation 失はれたるモナ・リザ 生けるもの 根付の国  
 明治四十四年(一九一一)
  画室の夜 熊の毛皮 人形町 甘栗 庭の小鳥 亡命者 鳩 食後の酒 寂寥 侵蝕
  失走 縁日 狗ころ 祈祷 或日の午後 声 風 新緑の毒素 夏 頽廃者より
  「河内屋与兵衛」 髪を洗ふ女 「心中宵庚申」 なまけもの 手
  『おもひで』と『夜の舞踏』と 白昼の空気 金秤 はかなごと めくり暦
  地上のモナ・リザ 葛根湯 夜半 けもの あつき日 父の顔 泥七宝 恐怖
 明治四十五年(一九一二)
  青い葉が出ても 赤鬚さん あをい雨 友の妻 ――に  夏の夜の食慾 或る夜のこころ
  おそれ 犬吠の太郎 涙 からくりうた さびしきみち カフエにて 梟の族 冬が来る
  カフエにて 或る宵 夜 狂者の詩 郊外の人に 冬の朝のめざめ カフエにて
  師走十日 戦闘
 大正二年(一九一三)
  カフエにて 深夜の雪 人類の泉 人に 山 よろこびを告ぐ 現実 冬が来た 冬の詩
  牛 僕等 道程 愛の嘆美 群集に 婚姻の栄誦 万物と共に踊る 瀕死の人に与ふ
  晩餐 五月の土壌 淫心 秋の祈
 大正五年(一九一六)
  わが家
 大正六年(一九一七)
  晴れゆく空 小娘 海はまろく 花のひらくやうに 歩いても 湯ぶねに一ぱい
  無為の白日
 大正九年(一九二〇)
  序曲 丸善工場の女工達
 大正十年(一九二一)
  米久の晩餐 雨にうたるるカテドラル かがやく朝 ラコツチイ マアチ
 大正十一年(一九二二)
  クリスマスの夜 冬の送別 真夜中の洗濯 五月のアトリエ 沙漠 落葉を浴びて立つ
 大正十二年(一九二三)
  樹下の二人 鉄を愛す Liluli 春駒 とげとげなエピグラム
 大正十三年(一九二四)
  氷上戯技 偶作 七 珍客 清廉 月曜日のスケルツオ
 大正十四年(一九二五)
  白熊 傷をなめる獅子 少年を見る 狂奔する牛 車中のロダン 葱 後庭のロダン
 大正十五年(一九二六)
  象の銀行 十大弟子 鯰 苛察 聖ジヤンヌ 夜の二人 雷獣 冬の奴 無口な船長
  滑稽詩 マント狒狒 象 森のゴリラ 北冥の魚 潮を吹く鯨
 昭和二年(一九二七)
  あなたはだんだんきれいになる 怒 偶作 四篇 母をおもふ 或る墓碑銘
  北東の風、雨 冬の言葉 ミシエル オオクレエルを読む 火星が出てゐる
  偉大なるもの 美を見るもの 「詩」
 昭和三年(一九二八)
  龍 あどけない話 同棲同類 何をまだ指しているのだ 存在 旅にやんで その詩
  彼は語る 二つに裂かれたベエトオフエン 花下仙人に遇ふ 天文学の話
  ぼろぼろな駝鳥 当然事 無限軌道 街上比興 さういふ友 あの音 夏書十題
 昭和四年(一九二九)
  北島雪山 古事一則 或る日 人生 ひとり酸素を奪つて 焼けない心臓 或る筆記通話
  触知 上州湯桧曽風景 無題 上州川古「さくさん」風景 冬 名所 昔話 無題
 昭和五年(一九三〇)
  のんきな会話 刃物を研ぐ人 耳で時報をきく夜 冷熱 孤坐
 昭和六年(一九三一)
  美の監禁に手渡す者 似顔 のつぽの奴は黙つてゐる 南極 蝉を彫る
 昭和七年(一九三二)
  非ヨオロツパ的なる レオン ドウベル 先生山を見る
 昭和八年(一九三三)
  晴天に酔ふ 首の座
 昭和十年(一九三五)
  人生遠視 風にのる智恵子 村山槐多 ばけもの屋敷 「藤島武二画集」に題す
  「悪魔の貞操」に題す
 昭和十一年(一九三六)
  もう一つの自転するもの 荻原守衛
 昭和十二年(一九三七)
  千鳥と遊ぶ智恵子 値ひがたき智恵子 よしきり鮫 夢に神農となる 老耼、道を行く
 昭和十三年(一九三八)
  一艘の船が二艘になること 地理の書 山麓の二人 団十郎像由来 手紙に添へて
  子を産む書物
 昭和十四年(一九三九)
  レモン哀歌 芋銭先生景慕の詩 つゆの夜ふけに 初夏言志 亡き人に
  銅像ミキイヰッツに寄す へんな貧
 昭和十五年(一九四〇)
  梅酒 最低にして最高の道 秋風をおもふ 太子筆を執りたまふ
 昭和十六年(一九四一)
  荒涼たる帰宅 青年
 昭和十七年(一九四二)
  与謝野夫人晶子先生を弔ふ 三十年
 昭和十八年(一九四三)
  寒夜読書 救世観音を刻む人
 昭和十九年(一九四四)
  南瓜賦
 昭和二十一年(一九四六)
  雪白く積めり
 昭和二十二年(一九四七)
  山菜ミヅ 
  暗愚小伝
   家
    土下座 ちよんまげ 郡司大尉 日清戦争 御前彫刻 建艦費 楠公銅像
   転調
    彫刻一途 パリ
   反逆
    親不孝 デカダン
   蟄居
    美に生きる おそろしい空虚
   二律背反
    協力会議 真珠湾の日 ロマン ロラン 暗愚 終戦
   炉辺
    報告(智恵子に) 山林
  山のひろば
 昭和二十三年(一九四八)
  「ブランデンブルグ」 脱卻の歌 人体飢餓 東洋的新次元 山口部落 かくしねんぶつ
  クロツグミ 別天地
 昭和二十四年(一九四九)
  おれの詩 悪婦 岩手の人 若しも智恵子が 山からの贈物
 昭和二十五年(一九五〇)
  山荒れる 月にぬれた手 鈍牛の言葉 典型 クチバミ 元素智恵子 メトロポオル
  裸形
 案内 あの頃 吹雪の夜の独白 田植急調子 噴霧的な夢 女医になつた少女
  東北の秋
 昭和二十六年(一九五一)
  大地うるはし 人間拒否の上に立つ
 編纂覚え書 草野心平


編年体による、この時点で編纂者の草野心平が把握していた光太郎詩をほぼすべて網羅したものです。ただし、戦前・戦時中の翼賛的なものはほとんどカットしました。それ以外でも抜け落ちている詩篇はまだまだありましたが、それは心平の検索の網に引っかからなかったものでしょう。

広島市に本社を置く『中国新聞』さん。50周年を迎えたという文化面のコラム「緑地帯」で、過去に掲載されたもののアーカイブが掲載されているようです。3月には光太郎と交流のあった岡山県出身の詩人・永瀬清子のそれが載り、光太郎にも言及されていました。

先月末には、広島県出身の日本画家・奥田元宗で、「筆洗余滴」と題され、8回にわたって再掲されました。そのうち第6回で光太郎の書について触れられています。初出は昭和56年(1981)10月でした。

奥田元宋 筆洗余滴⑥私観書道(日本画家、1912~2003年)【緑地帯 半世紀のアーカイブから】008

 私が一番啓示を受けたのは高村光太郎の書である。光太郎の書は非常に鍛え上げられたもので、謹厳な内にも柔かさが内抱されており、黄庭堅の書にちかい。光太郎は黄庭堅が相当好きだったらしく、晩年には自分の部屋に伏波神詞の拓本を貼(は)っていたという。そのくらい心酔していた。
 それでいて書には光太郎自身が厳然と座しているのである。私は書には自信がない。若い時はずいぶん絵の箱書きで困った。落款(かん)は同じでいいが、箱書きの時は画題を書かなければならないわけだから簡単にいかない。
 大観先生を初めとして先達たちの箱書きは実に堂々として自信に満ち、立派である。それにくらべて自分のような悪筆はいったいどうしたらいいものだろうと思い悩んだが、ある時、光太郎の書論を読んでいると、前記の黄庭堅の書が非常に好きで習っているとあった。さっそく黄庭堅の法帖を求めて見ると、これが私の気分にもぴったりと、くるものがあった。
 それでへたな手習いを少しずつやってみたのである。そのせいか近来、年をとると書を書くことがそんなにつらくなくなって、むしろちょっとばかり楽しい面も出てきた。
 つまり、うまく書こうと思わないで、ただ自分自身の宿命に徹することを考え、たとえ下手でも自分自身の性格にさからわないように心がける。リラックスして紙に向かうことが出来、自分に納得すればいいと思うようになった。
 絵に没頭していると、ときどき絵そのものが見えなくなることがある。そんな時、私はいい書を見ることにしている。熱海美術館にある無準の「帰雲」という書が大好きだが、よい書を見ると自分の絵のうえの道もまたおのずと開けるような気がするのである。
 また池大雅の書が好きだが、その書を見ていると、何か心のつながりが、画家として共通の言葉を見い出して元気が出るのである。一点の書が私を大変勇気づけてくれることもしばしばである。
 書は一発勝負である。やり直しがきかない。書くらい直載(ちょくさい)に人間そのものが出てしまう芸術はない。その意味で書は非常にこわいものであると思う。やはり書は心の鏡なのだろうか。私は書は畢竟(ひっきょう)「道」だと思う。道はなまはんかの修業ではできるものではない。
(芸術院会員・日本画家)

光太郎と、中国北宋時代の書家・黄庭堅(山谷)との関わりについて語られています。奥田が読んだという「光太郎の書論」は、おそらく「黄山谷について」(昭和30年=1955)。この年に出た平凡社版『書道全集』第7巻の月報が初出です。
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この際ですので(どの際だ?(笑))全文を引用します。

 平凡社の今度の「書道全集」は製版がたいへんいいので見てゐてたのしい。それに中国のも日本のも典拠の正しい、すぐれた原本がうまく選ばれてゐるやうで、われわれ門外漢も安心して鑑賞できるのが何よりだ。
 今、このアトリエの壁に黄山谷の「伏波神祠詩巻」の冒頭の三句だけの写真がかかげられてゐる。「蒙々篁竹下、有路上壺頭」に始まる個所だ。多分「書道全集」の図版の原型になつた写真の大きな複写と思へるが、人からもらつた時一見するなり心をうたれて、すぐ壁にかかげたのである。それ以後毎日見てゐる。黄山谷の書は前から好きであつたが、この晩年の書を見るに及んでますます好きになつてしまつた。
 黄山谷の書ほど不思議な書は少い。大体からいつて彼の書はまづいやうに見える。まづいかと思ふとまづいともいへない。しかし普通にいふ意味のうまさはまず無い。彼は宋代に書家として蘇東坡、米元章と並んで三大家といはれてゐたが、他の二人とはまるでその性質がちがふ。東坡の書も米元章の書も実にうまい。まづいなどといふ分子はまるでない。どの一字をとつてみても巧妙である。そしてやはり唐代の余韻がある。新鮮ではあるが、唐代からの二王や顔真卿の縄張りをさう遠くは離れてゐない。どちらも妍媚だ。ところが黄山谷と来るとまるで飛び離れてゐる。黄山谷はむしろ稚拙野蛮だ。顔真卿の影響をうけてゐるといわれ、なるほどその趣もあるが、顔魯公よりも自由だ。勝手次第だ。一字ずつみると、その筆法は実に初心で、まるで習ひはじめの人のやうに筆をはねたりする。馬鹿にのんびりしてゐたり、又くしやくしやと書きつめる。線をたるんでゐるやうに書いたり、横に曲げたり、字のつづきも疎密にかまはない。行が片よつたり、字くばりがでこぼこだつたり、字の大小も方向も気にとめない。そして一々ぎゆつとおさへて書く。何しろひどく不器用に見える。
 それでゐて黄山谷の書は大きい。実に大きな感じで、これに比べると蘇東坡も米元章もなんだかよそゆきじみて来る。何よりも黄山谷の書は内にこもつた中心からの気魄に満ちてゐて、しかもそれが変な見てくれになつてゐない。強引さがない。よく禅僧などの墨せきにいやな力みの出てゐるものがあるが、さういふ厭味がまるでない。強いけれども、あくどくない。ぼくとつだが品位は高い。思ふままだが乱暴ではない。うまさを通り越した境に突入した書で、実に立派だ。彼の元祐年代頃の書と思ひくらべると、この「詩巻」の意味がよくわかる。
 朝、眼がさめると向ふの壁にかけてあるその写真の書が自然に見えるのだが、毎朝見るたびに、はつとするほどその書が新しい。書面全体からくる生きてるやうな精神の動きが私をうつ。この書が眼にはひると、たちまち頭がはつきりして、寝台からとび下りて、毎朝はじめて見るやうな思でその写真の前に立たずにゐられない。そして「蒙々篁竹下」とあらためてまた見る。吸ひよせられるやうな思で、「漢塁云々」まで来ると、もう顔を洗つたやうな気がする。まづいやうだなどといつては甚だ申しわけがない。それどころではないのである。尤もむかし王定国といふ人が彼の書を巧みでないといつたさうで、黄山谷自身も、この詩巻を書いた時は背中にできものができてゐて、手が思ふやうに動かないので字に成らなかつたといつたさうであるが、これはどうだか。手が動かうが動くまいが、こんな立派なものが書ければ申分ない。字に成らなかつたといはれるが、むしろその方がよかつたやうな気がする。殊にこの詩巻の自跋の数行はのびのびとしてゐて力強く、「水漲一丈、堤上泥深一尺」あたりの快さは無類である。随分癖のある書だが、それが少しもいやでなく、わざとらしくもない。そこがすばらしい。

かなり手放しの誉めようですね。しかしそれだけでなく、「まづいやうに見える。まづいかと思ふとまづいともいへない。しかし普通にいふ意味のうまさはまず無い」「内にこもつた中心からの気魄に満ちてゐて、しかもそれが変な見てくれになつてゐない。強引さがない」「強いけれども、あくどくない。ぼくとつだが品位は高い。思ふままだが乱暴ではない。うまさを通り越した境に突入」あたりには、彫刻にも通じる光太郎の芸術観――そのあるべき姿、理想――が表現されているように思われます。

黄山谷の書の複製をアトリエの壁に掛けてあったというのですが、亡くなった昭和31年(1956)の写真に写り込んでいました。左上の部分です。
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その山谷の書に見守られるように、光太郎自身も筆を執って箱書きをしています。交流の深かった美術史家の奥平英雄に贈った画帖「有機無機帖」のそれでしょう。余談ですが、脚に掛けているのは大正末か昭和初め、智恵子にせがまれて買ったイギリスの染織工芸家、エセル・メレ作のホームスパン毛布と思われます。

壁の複製は平凡社の『書道全集』刊行に際し作られたものの冒頭部分と考えられます。第7巻には「黄山谷について」が掲載された月報とともに、その全巻複製の広告も挟まっていました。
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全長二丈三尺三寸五分(7メートル超)、当時の価格で6,500円ですので、かなり高価でした。

奥田元宋の日本画も、紅葉を題材とした作品が有名ですが、どちらかというと奇を衒わない王道の、それでいて十分に個性の発揮されたものと思います。

奥田にとどまらず、そういう作風をよしとするさまざまな作家たちに与えた光太郎の影響の大きさを、しみじみと感じさせられました。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 2 『高村光太郎選集 Ⅲ 芸術論 上』

昭和26年(1951)9月1日 中央公論社 高村光太郎著
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目次
 オオギユスト ロダン ミケランジエロ・ブオナローティ 現代の彫刻 美の日本的源泉
 素材と造型
 造型小論
  彫刻十個條 彫刻鑑賞の第一歩 彫刻性について 自分と詩との関係
  ミケランジエロの彫刻写真に題す 能の彫刻美 能面の彫刻美 九代目団十郎の首
  戒壇院の増長天 唐招提寺木彫如来像 十大弟子 江戸の彫刻 木彫地紋の意義
  彫刻の方向
 月報
  兄のプロフイル 高村豊周 この源泉に汲まん 中村草田男 随所彫刻 菊池一雄

全6巻で刊行された『高村光太郎選集』第1回配本です。奥付等に記載がありませんが、編集に当たったのは当会の祖・草野心平。掲載作品の採録には、戦前からの光太郎ファンだった故・田口弘氏が作成したスクラップブックも活用されました。

開催中の企画展示についての報道を2件。

まずは京都から、『京都新聞』さん記事。

裂、糸、色… 染織家・志村ふくみさんの創作を支える言葉たち 根底にある思いは

  細見美術館(京都市左京区)で開催中の特別展「志村ふくみ 百一寿 -夢の浮橋-」では、紬織(つむぎおり)の人間国宝・志村ふくみさん(101)にまつわる数々の「言葉」に触れられる一角がある。
 作品の制作過程で生まれた「裂(きれ)」や紬織の根底をなす「糸」、自然が生み出す「色」…。随筆家でもある志村さんはそれらが持つ意味を、言語化して人々に伝えてきた。そして、詩人や歌人、文学者らが残した言葉に刺激を受け、活動の糧としてきた。
   志村さんの世界観を紹介する展示室に足を踏み入れると、詩人・高村光太郎(1883~1956年)が1932(昭和7)年に詠んだ詩「五月のウナ電」を志村さんが筆で写し、大小さまざまな裂で彩った作品が目に入る。ウナ電とは、かつてあった緊急電報のこと。宇宙から地球上のさまざまな動植物に向け、それぞれの生を謳歌(おうか)するよう警告を発する内容だ。
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高村光太郎の詩「五月のウナ電」を志村さんが自らの筆と裂で表現した作品

 今回の展示にゲスト企画者として携わった芸術学校「アルスシムラ」講師で、志村さんの弟子でもある染織家の外山もえこさんは「(志村さんは)この詩を人間への警告と受け取ったようです」と言う。自身の作品は自然の持つ命をいただいてできている、との信念を持つ志村さんならではの着眼点が表れていると言えるだろう。
   展示室には、志村さん自身が紡いだ言葉の自筆作品やパネルも並ぶ。裂は「糸のあわいから、響いては消えてゆくかすかなさざめきが、聞こえるかも知れない」。蚕がもたらす糸は生きていて、「抱きしめたいほどにいとし」く、色は「木の精なのです」(いずれも随筆集「一色一生」より)。志村さんが箱に収めてきた小さな裂も展示されている。
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志村さんの詩「裂によせて」の自筆作品

 2014年の随筆「冬の湖」は、生まれ故郷である湖国の自然への賛歌だ。JR湖西線に揺られて見た、枯れた葦(あし)と琵琶湖、雪。3者が織りなす色の対比を、「藍と金と白に立ち昇るのだ」と表す。
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故郷である滋賀の風景が放つ「色」を表した随筆

 特別展は5月31日まで。午前10時~午後5時。有料。5月4日を除く月曜と5月7日は休館。同館と京都新聞の主催。

細見美術館さんで開催中の特別展「志村ふくみ 百一寿 ―夢の浮橋―」の紹介です。

光太郎詩「五月のウナ電」(昭和7年=1932)をモチーフとした裂(きれ)。令和5年(2023)、都内の銀座大黒屋ギャラリーさんで開催された「志村ふくみ氏・洋子氏母子の作品展示販売会 五月のウナ電」の際にも展示されたものです。

続いて都内、『朝日新聞』さん。こちらは文京区立森鷗外記念館さんで開催中の特別展「近代文学でよむ文(ふみ)の京(みやこ)の坂と名所」について。

森鷗外や樋口一葉が表現した坂 森鷗外記念館で春の特別展

 文京区内の坂や名所について描写された、明治から昭和初期の近代文学が展示されている。
 森鷗外記念館(文京区)で春の特別展「近代文学でよむ文の京の坂と名所」が11日から開かれている。区内に数多くある坂や名所がどう描かれてきたのかに着目し、実際の地図に落とし込んで紹介する展示もある。6月28日まで。
 「坂の上に出た。地図では知れないが、割合に幅の広いこの坂はSの字をぞんざいに書いたように屈曲して附いている」。森鷗外は「青年」で根津神社の周辺をこう表現した。他にも樋口一葉や永井荷風らが表現した、区内17カ所の名所や坂の当時の情景を、一節を通して紹介する。
 展示の後半では、森鷗外がかつて暮らした千駄木に焦点を当てる。鷗外のほかにも高村光太郎や夏目漱石、江戸川乱歩なども住んでいたとされ、それぞれの作品からかつての町の様子や人々の暮らしを読み解くことができる。
 同館司書の岩佐春奈さんは「すでに行ったことのある坂や、よく歩く坂について、当時と現在との違いを楽しめる。また、展示をきっかけに興味を持った場所にこれから出かけてみるのもいいのでは」と話す。
 観覧料は600円。問い合わせは同館(03・3824・5511)へ。
009 010
この手の報道を見て「こんなんやってたんか? じゃぁ行ってみよう」という向きも少なからずいらっしゃるはずですので、ありがたいところです。

まだという方、こんなんやってるんで、じゃあ行ってみて下さい(笑)。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 1 『高村光太郎詩集』

昭和22年(1947)7月5日 鎌倉書房 草野心平編
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目次
 Ⅰ
  寂寥 新緑の毒素 はかなごと 父の顔 さびしきみち 戦闘 道程 万物と共に踊る
  秋の祈 小娘 序曲 米久の晩餐 かがやく朝 雨にうたるるカテドラル 沙漠
  冬の送別 五月のアトリエ 鉄を愛す 無口な船長 火星が出てゐる 氷上技戯 葱
  触知 晴天に酔ふ 冷熱 偶作十二 少年を見る 或る墓碑銘 冬の奴 怒 母をおもふ
  冬の言葉 刃物を研ぐ人 花下仙人に遇ふ 街上比興 その詩 首の座
 Ⅱ
  クリスマスの夜 ラコッチイ・マアチ 車中のロダン 後庭のロダン 聖ジャンヌ
  十大弟子 旅に病んで 存在 耳で時報をきく夜 村山槐多 レオン ドウベル 南極
  つゆの夜ふけに 芋銭先生景慕の詩 老耼、道を行く
 Ⅲ
  清廉 傷をなめる獅子 苛察 雷獣 龍
 Ⅳ
  人類の泉 僕等 愛の嘆美 晩餐 樹下の二人 鯰 夜の二人
  あなたはだんだんきれいになる 同棲同類 美の監禁に手渡す者 山麓の二人
  ばけもの屋敷 風にのる智恵子 千鳥と遊ぶ智恵子 値ひがたき智恵子 レモン哀歌
  荒涼たる帰宅 亡き人に 梅酒
 覚書 草野心平

比較的長期に亘る作品群から、主として光太郎以外の人物がセレクトして編んだものを『選集等』としてご紹介していきます。

まずは光太郎単独のものからですが、意外といえば意外、戦後になるまで、光太郎単独でのこの手のものは出されていませんでした。3人で一冊、とかはありましたが。

編集は当会の祖にして最も光太郎と親しかった詩人と言える草野心平でした。心平はこの後、何度もこの手の出版に携わっていきます。

本来はカバー付きですが、当方手持ちの者は裸本です。

福島県二本松市。4月23日(木)から智恵子生家/智恵子記念館さんで「令和8年度 高村智恵子生誕祭」が開催されていますが、その関連で。

まず智恵子生家/智恵子記念館さんと同じ旧安達町にある道の駅安達智恵子の里さんでのタイアップ的なイベント。

銘産コーナーより、5月の智恵子生誕祭のお知らせ

5月20日は「高村智恵子」の誕生日です!

銘産コーナーでは、5月のお菓子フェアを開催
5/1(金)~5/31(日)まで

~5月だけの限定商品もたくさんあります~
〈まつもと〉ねこどらレモン 〈星野屋〉レモン大福 〈虎屋〉ワッフルレモン味
智恵子のサブレ、レモン飴などなど盛沢山!
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手書きのPOP、温かみがあってなかなかいいと思います。

菓子処まつもとさんの「ねこどらレモン」はこんな感じ。
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智恵子のサブレ」は道の駅安達さんのオリジナル商品だそうです。どうりで高速のSAなどで見かけないなと思っていました。
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他にPOPにはありませんが、チーズケーキ工房&カフェ風花さんの新商品「ほんとの空サイダー」も道の駅安達さんで取り扱いを始めたそうです(東北自動車道安達太良SAでも)。

智恵子生家/智恵子記念館さんでの「令和8年度 高村智恵子生誕祭」そのものに関しては、『広報にほんまつ』の今月号で大きく紹介されています。先月号でもほぼ同じ内容の紹介がありましたが、今月も。
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同じ今月号では、智恵子のソウルマウンテン・安達太良山の山開き(5月17日(日))に関しても智恵子がらみで紹介されていますが、そちらはまたのちほどご紹介します。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)1 『彫刻真髄』

明治44年(1911)4月20日 博文館 荻原守衛著
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目次
 荻原守衛君小伝
 論説
  欧洲美術界の趨勢 仏国彫刻界 ロダンと埃及彫刻 義太夫と彫刻
  予が見たる東西の彫刻 談話の一節 彫刻芸術の大勢 成就院に遊ぶ 談片
  解剖学のはなし 迷へる青年美術家 信仰と美術との関係 芸術修業苦心談
  オランダの旅 
フロレンスの美術館を観る 公設展覽会評 東京市の銅像を論ず
  日本現時の彫刻界 
美術展覽会所感 彫刻家の見たる美人
  日本現代の彫刻は西洋のイミテエション
 荻原守衛氏 書籍等の跋文
  帰朝後の塑像製作年表 絵画制作年表
 側面観
  碌山荻原守衛君 井ロ喜源治   家庭に於ける荻原オヂサン 中村黒光
  荻原守衛君に就て 中村不折   故荻原守衛君に就て 柳敬助 
  同 戸張孤雁          死んだ荻原君 高村光太郎
  荻原守衛氏 小山菊野      荻原守衛君の追懐 齊藤与里
  四則 信濃毎日新聞       荻原君に就ての記臆 ウオター パック
  有の儘 戸張孤雁        新帰朝の青年美術家 東京朝日新聞
  木像の批評 中村星湖      荻原君のアトリエ 成功
  休憩室 相馬御風        故荻原守衛君追悼記 犀水生

「本人著作(部分)」の項でいの一番に紹介すべき書籍でしたが、失念していました。そこで昨日までのこの項の番号は訂正しました。

前年に急逝した光太郎の親友、碌山荻原守衛の一周忌にあわせての出版です。前半は生前の守衛が雑誌等に発表した文章や守衛に対する聞き書きで「論説」。後半の「側面観」が光太郎のそれを含む周辺人物の守衛評などです。

光太郎の「死んだ荻原君」は書き下ろしではなく、前年の雑誌『方寸』に発表された「死んだ荻原守衛君」の改題転載です。

北鎌倉から句集が届きました。光太郎のすぐ下の妹・静子(しづ)が詠んだ句を集めたものです。静子令孫にして彼の地でカフェ兼ギャラリー「笛」を切り盛りなさっている山端加寿子様よりの贈り物です。ありがたし。

山端静子句抄 明月谷

発行日 : 2026年4月2日
著者等 : 山端静子 著 山端加寿子 撰 石黒敦彦 解説 薯版画/装幀 山室眞二
版 元 : シンジュサン工房
定 価 : 非売

目 次 :
 口絵 写真 山端家の庭にて 1951年(昭和26年)8月12日
    山端静子より高村光太郎宛書簡 昭和22年(1947)7月12日
 祖母・山端静子と過ごした日々 山端加寿子
 明月谷
 解説・谷の年代記 石黒敦彦
 薯版静子句抄

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静子(しづ)は光太郎の3歳下で、智恵子と同じ明治19年(1886)生まれ。髙村家次男たる道利と双子でした。
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左から道利、静子、光雲、光雲に抱かれている三男・豊周、そして光太郎。光太郎の上に姉が二人いましたが、いずれも早世しています。

静子は明治37年(1904)頃、印刷業などをしていた山端寅三と結婚、戦前は現在の幡ヶ谷あたりに居住、寅三は当時の豊多摩郡代々幡町議会議員なども務めました。ちなみに寅三は光太郎の義弟ということになりますが、明治11年(1878)の生まれで、同16年(1883)出生の光太郎より年長でした。

戦災の関係もあって、山端家は戦後の昭和22年(1947)、北鎌倉明月谷に移転、静子は昭和34年(1959)に亡くなるまで彼の地に暮らし続けました。その間に令孫・加寿子様がお生まれになっています。

静子は、北鎌倉移転後、鶴ヶ岡八幡宮に近い杉本寺の住職も勤めた僧侶にして俳人の尾崎迷堂に師事、本格的に句作に取り組むようになりました。迷堂は水原秋桜子の系譜に連なり、句誌『えから』『ぬなは』などを主宰していました。

その句会が山端邸で行われたこともあったようです。平野たまみ氏「俳人・尾崎迷堂の研究(二)――その生涯と事蹟を辿る――」(『愛媛国文と教育』第14・15合併号 昭和58年 愛媛大学教育学部国語国文学会)中の、昭和26年(1951)の項から。

 迷堂の還暦祝賀会は、八月十九日、鎌倉市明月院谷戸にある山端静子居で行われた。山端静子は、「えから」時代からの迷堂の門人である。高村光太郎の実妹である彼女は、迷堂庵にもよく出入りしているが、そこでの会話は、俳句の事以上に、兄や兄嫁智恵子の話が多かったらしい。
  帰り花智恵子のことも聞かせけり  迷堂(昭和三五・一二“悼山端静子さん”より)
からも伺う事ができる。


さて、『明月谷』。静子の句が100句近くまとめられています。昭和22年(1947)頃から亡くなった同34年(1959)までのもの。静子64歳から76歳となっています(若干、年齢の換算が合っていないような気がしますが)。「抄」と冠されていますので、選集的な。加寿子様の撰です。

彼の地の風物を思い起こさせ、しみじみとさせられる句、思わずくすりとさせられる句など、さまざまですが、全体にかなり自由闊達に詠まれています。寡聞にして存じませんが、師の尾崎迷堂がそうだったのでしょうか、季重なりなど気にしていない句も目立ちます。

昭和31年(1956)4月2日、実兄の光太郎が没しましたが、その折と思われる句も。

 雪を着て一輪椿落ちにけり
 あな悲し永久の別れの卯月とは
 悲しみを更に大裸像冴え返る
 玉の緒のたえて兄妹春永久に


「雪を着て」は光太郎の没した日が季節外れの春の大雪だったことにちなみます。「大裸像」はアトリエにその石膏原型が遺されていた光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」。繰り返される「永久」の語はこの場合「とわ」と読むのでしょう。

他にも後年、光太郎忌日・連翹忌に題を採った句も。

 連翹や亡兄の好む黄の佳けれ

その他、夫の寅三が亡くなった際の句や、令孫・加寿子様を詠んだ句、上記の尾崎迷堂還暦句会の詠なども。

本文以外に、別刷り無綴じで、お近くにお住まいだという版画家の山室眞二氏の手になる薯版によるカード的な感じで8葉。上記「雪を着て……」の句も含まれていました。
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静子句の前後には、加寿子様による「祖母・山端静子と過ごした日々」、やはりお近くにお住まいで光太郎と交流の深かった詩人・尾崎喜八令孫の石黒敦彦氏による解説が附され、理解の手助けとなっています。

それらによれば、尾崎喜八がすぐ近所に引っ越してきたのは本当に偶然だったそうで、それも昭和41年(1966)。したがってこの地で喜八と静子が顔を合わせることはなかったそうです。また、「明月谷」のタイトルで分かる通り、山端家、尾崎家ともあじさい寺として有名な明月院さんと同じ谷戸ですが、そのアジサイは喜八の進言で植えられ始めたとのこと。それは存じませんでした。喜八の墓は明月院さんにあります(通常非公開)。また、やはりこの地で暮らし、光太郎と交流のあった詩人・伊藤海彦などとの縁についても。

同封されていたカフェ兼ギャラリー「笛」さんの案内フライヤー画像を載せておきます。毎年秋には光太郎・喜八展的な展示が為され、近年はその一環で朗読会も行われています。今年も予定に入っているようです。
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ご興味おありの方、ぜひ「笛」さんに足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)36 『光太郎智恵子』増補版

昭和43年(1968)1月5日 龍星閣 高村光太郎 高村智恵子著
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目次
 高村光太郎篇
  詩 散文
  書簡
   高村(長沼)智恵子 長沼今朝吉 長沼せん子 長沼せき子 長沼修二 齋藤せつ子
   柳八重子 水野葉舟 中原(曽我・小野)綾子 更級源蔵 秋廣あさ子 真壁仁
   宮崎稔 難波田龍起 富士正晴
 高村智恵子篇
  詩 散文
  書簡
   長沼御両親 長沼せん子 長沼修二 齋藤新吉 せつ子 柳八重子
 補遺


一昨日ご紹介した初版(昭和35年=1960)刊行後に発見された書簡9通が補われています。

4月29日(水)、文京区の千駄木・根津を後に、地下鉄を乗り継いで日本橋人形町に向かいました。

続いての目的地は日本橋社会教育会館さん。
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複合施設で、1階から5階までが中央区立日本橋小学校さん、6・7階に区立図書館さんが入り、8・9階でホール、さらに会議室に使える部屋など公民館的な機能も付帯されています。この日は祝日でしたので、小学校の授業はありませんでした。

ちなみにこの場所、明治はじめには西郷隆盛邸だったそうで。
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ホールで行われた「一龍齋貞奈芸歴10周年記念講談会」で、智恵子を主人公とした講談を拝聴に参上したわけですが、この日は午前中から貞奈さんの所属されている事務所・オフィス10さんの10周年祭りということで、さまざまな演目が行われていました。10周年祭り自体は5月6日(水)まで7日間にわたって続き、毎日複数の高座がかかります。
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無題
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ホールの緞帳。安藤広重の東海道五拾三次「日本橋」があしらわれていました。粋ですね。
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少し早く着いたので、ホールのホワイエで開場を待っていたところ、フリーアナウンサーの早見英里子さん、朗読家の出口佳代さんのユニット「ERIKO&KAYO」のお二人がいらっしゃいました。いらっしゃるとは聞いていませんでしたが、早見さんは昨年、御茶ノ水で開催された「夏の太陽講談会 読めなかった講釈を読もう〜」にもいらしてましたので、不思議はありませんでした。出口さんは講談初体験だとのこと。せっかくですので並んで座らせていただきました。
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さて、開演。

まずはオープニングアクト的に、MC的なこともなさった神田蓮陽さんによる「越の海」。江戸時代に実在した小兵力士・越の海勇蔵を主人公とした古典的な講談でした。若手の神田さん、実に初々しい感じで、「勉強させていただきます」とおっしゃって始められたあたり、好感が持てました。

続いてメインの貞奈さんで「智恵子の恋」。昨年初披露された新作で、明治34年(1901)、智恵子が福島高等女学校に進む頃から大正3年(1914)に光太郎と結婚披露を行うまでの内容。智恵子視点で、口数は少ないながらウィットに富み、負けず嫌いな一面も併せ持っていたその姿が生き生きと、そしてけっこうコミカルに語られました。当時としては珍しかった高等女学校進学や、ましてや県で1人とか2人とかの女子大学校入学を両親にお願いする場面、一学年上の平塚らいてうとのテニス対決、光太郎と知り合う以前、太平洋画会での宮崎与平・渡辺文子との三角関係など。

昨年の初演時よりもアップデートされていた部分もあり、なるほど、と思わせられました。

ここで仲入り(休憩)、そしてワンクッション。ゲストのラバーガールのお二人によるコントが3本。貞奈さんがお二人のコントをYouTubeで何本もご覧になってツボにはまり、ぜひ出演してくれと交渉なさったそうです。

笑えました。自分の隣に座っていた出口さんは、早見さんに「佳代ちゃん、笑いすぎ」とつっこまれるほど笑っていました(笑)。

そして再び貞奈さんで、後半「智恵子の変」。光太郎との結婚披露から、昭和13年(1938)の逝去まで。前半の「恋」が「変」に代わり、シリアスな面が強調されました。「変」はその変化の「変」、それから智恵子の精神に起こった「異変」の「変」、さらに生涯の仕事と定めた油絵を「私ならいいものが描ける」とする自分と「私には描けるわけがない」とするもう一人の自分との闘いとしての「変」(「応天門の変」、「本能寺の変」、「禁門の変」などの「変」です)という意味もあるのかな、などと思いながら拝聴しました。

貞奈さんご自身、野田秀樹氏脚本で大竹しのぶさんの一人芝居として初演された「売り言葉」(平成14年=2002)からインスパイアを受けたとおっしゃっていましたが、確かに講談と云うより一人芝居という感じが強かったように思われました。

実家の裕福だった造り酒屋の破産、家族の不祥事や病没、そして自身の油絵の停滞、さらには光太郎との貧困生活など、さまざまな要因が絡み合って徐々に毀れていく智恵子が語られます。しかし、「売り言葉」ほどには光太郎をディスる感じではありませんでした。確かに光太郎の対応にはいろいろ問題があったのも事実ですが、それをあまりにも前面に押し出し、光太郎の犠牲になった智恵子、とされると「何だかなあ……」ですが、そうなっていなかったので良かったと思いました。

ただ、貞奈さんご自身「まだまだ荒削りで」とおっしゃっていましたし(確かにそういう感は否めませんでした。無理もありませんが)、細かなエピソードなどよく調べてらっしゃると感心させられたもののところどころ史実と異なったり(以前はそれが定説だったりした部分ですが)、こういうエピソードも入れればいいのに、という点もありました。そのあたり、今後さらによりよいものにエボリューションして行っていただきたいものです。

終演後、ラバーガールのお二人と貞奈さん。
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さらに会場が捌けた後で「ERIKO&KAYO」のお二人と。
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ご出演の方々などの、今後のさらなるご活躍を祈念いたしてレポートを終わります。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)35 『光太郎智恵子』特装版

昭和35年(1960)11月10日 龍星閣 高村光太郎 高村智恵子著
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目次
 高村光太郎篇
  詩 散文
  書簡
   高村(長沼)智恵子 長沼今朝吉 長沼せん子 長沼せき子 長沼修二 齋藤せつ子
   柳八重子 水野葉舟 中原(曽我・小野)綾子 更級源蔵 秋廣あさ子 真壁仁
   宮崎稔 難波田龍起 富士正晴
 高村智恵子篇
  詩 散文
  書簡
   長沼御両親 長沼せん子 長沼修二 齋藤新吉 せつ子 柳八重子

昨日ご紹介した8月に出た初版と紙型は同一ですが、二重函、三方金朱箔押装で表紙は「総丸革白最上羊皮」。限定60冊の刊行でした。

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