2026年02月

始まってしまっている展示ですが……。

新収蔵品展「創作の生まれるところ」

期 日 : 2026年1月31日(土)~3月22日(日)
会 場 : 山梨県立文学館 甲府市貢川1-5-35
時 間 : 9:00~17:00
休 館 : 月曜日
料 金 : 無料

 2025年に新たに収蔵した資料より、樋口一葉・飯田蛇笏・芥川龍之介・村岡花子・山本周五郎・山崎方代・飯田龍太 などの、原稿や手紙、書画などを展示します。作家の創作の現場を直筆資料から想像してみてはいかがでしょうか。

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開催情報は得ていたものの、公式サイトの案内文等に光太郎の名がなかったので存じませんでしたが、光太郎の書簡が1点出ています。文芸評論家の故・吉田精一氏に宛てた葉書です。

日付は昭和21年(1946)12月8日。花巻郊外旧太田村の山小屋で蟄居生活を送っていた時期です。文面は以下の通り。

拝啓 貴著「日本近代詩鑑賞」一部御恵贈下され、ありがたく厚く御礼申上げます。中に小生の詩についても御解明の文あり、小生すら以前の事は忘却の事多き折柄拝読をたのしみに存じ居ります。よき参考と存ぜられます。小生目下辺陬の地に独居、長い一群の詩篇を書き試み居ります。 とりあへず御礼まで 艸々

「長い一群の詩篇」は、自らの半生と戦争責任を省察する連作詩「暗愚小伝」。翌年に雑誌『展望』に発表されました。

「日本近代詩鑑賞」は、天明社からこの年10月に出た『日本近代詩鑑賞 大正篇』。宛先の吉田氏の住所も「天明社気付」となっています。その前後に「明治篇」「昭和篇」が出、三冊セットでした。
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001「高村光太郎篇」として、25ページ。光太郎詩についてのまとまった評論はまだあまり出ていなかった当時、光太郎としても面はゆい気持で読んだのではないかと勝手に想像しております(笑)。

当方、平成2年(1990)に創拓社さんから復刻されたもので読みました。ただ、こちらはオリジナルの「昭和篇」に含まれていた日夏耿之介篇、西條八十篇、芥川龍之介篇、佐藤惣之助篇を含みます。

吉田氏と言えば、当方の学生時代にはまだご存命で、各種著作が大学のテキスト等にも使われ、どうもまだ歴史上の人物という気がいたしません。そこで「氏」をつけさせていただきます。

今回の展示、他にも吉田氏関連が出ているようです。他には下記『朝日新聞』さん報道をご参照下さい。

芥川小説の草稿など70点 新収蔵品展 山梨県立文学館で3月まで

 山梨県立文学館(甲府市貢川)で、新たに収蔵品となった資料を展示する「新収蔵品展 創作の生まれるところ」が始まった。昨年購入したり寄贈や寄託を受けたりした収蔵品の中から約70点を選んで展示している。
 同館が豊富なコレクションを誇る芥川龍之介(1892~1927)関連では、短編小説「お律と子等(こら)」の草稿の冒頭から7ページ目までが新たに加わった。発表された文章と表記に多少の違いはあるが、ほぼ同じ内容だといい、最初のページにはタイトルや署名もはっきりと書かれている。
 従来の収蔵品の中に同じ小説の別バージョンの草稿があり、それらを含む芥川関連のコレクションの充実ぶりを知った所有者から、寄託の申し出があったという。
 ともに山梨県出身の山本周五郎(1903~67)、村岡花子(1893~1968)の新たな資料も展示。山本の「赤ひげ診療譚(たん)」の原稿や、「赤毛のアン」を翻訳して日本に初めて紹介したことで知られる村岡が書いた随筆「わたしの愛読の作家 山本周五郎先生のこと」の原稿など。これらは古書店から購入し、両作家のコレクションに加えた。
 同館学芸課長の中野和子さんは「当館がどういったものを集めて展示しているかが伝わる、わかりやすい内容にしています。気軽に足を運んでいただけるとありがたい」と話す。
 3月22日まで。観覧無料。午前9時~午後5時(入室は4時半まで)。月曜(祝日除く。2月23日は開館)と2月24日は休館。問い合わせは同館(055・235・8080)へ。
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芥川龍之介「お律と子等」の草稿
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左:山本周五郎「赤ひげ診療譚」の原稿 右:村岡花子「わたしの愛読の作家 山本周五郎先生のこと」の原稿

ぜひ足をお運びください。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)58 『山のスケッチ』 

昭和41年(1966)3月5日 中央公論美術出版 高村光太郎著
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目次 なし


光太郎唯一の画集です。戦後、花巻郊外旧太田村に隠棲していた際に描いた山野草などのスケッチ帖から原色版で、さらに関連する文章等を添えています。当会顧問であらせられた故・北川太一先生が解説を執筆なさいました。

今年も3.11が近づいてきました。思えば「あの日」から15年目の3.11ですね。

智恵子の故郷、福島県での関連イベントをご紹介します。

まずは浜通り南相馬市から。地方紙『福島民報』さん記事。

「精霊の木」3月1日 投光 福島県南相馬市の牧草地 鎮魂、再生の願い込め

000 福島県南相馬市小高区摩辰地区の牧草地に、「精霊の木」と名付けられた1本の柿の木がたたずむ。命名されてから今年で10年。「精霊の木」が知られるきっかけとなったライトアップが3月1日に行われる。
 2017(平成29)年3月、東日本大震災の犠牲者の鎮魂と被災からの再生に願いを込める「光のモニュメント」が始まった。南相馬市原町区のシンボルだった原町無線塔をサーチライトの光で再現するイベントで、市内で飲食店を営む須藤栄治さん(53)が委員長を務める。
 東京電力福島第1原発事故に伴う避難区域の設定が分かれた原町、鹿島、小高の各区を会場にして、絆を表現しようとした。小高区の会場を探していた須藤さんが、常磐自動車道を走行中、摩辰地区の整った農地を目にした。同地区は第2次世界大戦後に開拓された土地で、詩人高村光太郎の詩「開拓十周年」が刻まれた記念碑が建つ。近くの牧場には柿の木がりんとたたずみ、見る角度によってさまざまな表情をみせた。
 神秘的な姿にみせられた須藤さんは、開拓地に復興の思いを重ねた。柿の木を「精霊の木」と名付け、以来、光のモニュメント会場として投光を続けている。
 ライトアップされた幻想的な姿が広まり、写真愛好家らの人気スポットに育った。イベントも話題を呼び、会場は相双地方全域に広がった。「精霊の木の不思議な力を感じる」と須藤さんは語る。
 今年度の光のモニュメントは昨年11月から川内村で始まり、1日に精霊の木、11日に原町無線塔跡地の高見公園で締めくくられる。「これまでの10年は鎮魂と再生がメインだった。次は創造を目指したい」。須藤さんは会場となった相双地方を結ぶ物語の発信を目指している。

イベント詳細。

光のモニュメント(2025~2026)~再生と繁栄への願いを込めて~

期 日 : 2026年3月1日(日)
会 場 : 精霊の木/高村光太郎開拓十周年記念碑 福島県南相馬市小高地区
時 間 : 日没から20時頃まで
料 金 : 無料

 東日本大震災の再生と繁栄の願いを込めて、福島県相双地区各地で行われるサーチライトによるライトアップイベントです。
 11月2日から福島県川内村で始まった「光のモニュメント」は、来年3月11日まで相双地方10市町村12カ所で明かりを灯します。
 「再生と繁栄への願いを込めて」をテーマに力強い光を夜空に灯すことで、犠牲者への追悼と未来への再生、繁栄を願うととも地域に根ざした歴史や文化を再発見し、人々のつながりを深めることを目的としています。
 南相馬市では2026年1月25日に鹿島御子神社、御刀神社、3月1日に精霊の木、3月11日に高見公園で、日没から20時頃まで点灯する予定です。
追悼と未来への願いをこめて、空高くともされる光を見に訪れてみてはいかがでしょうか。
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「開拓十周年記念碑」は、光太郎最晩年の昭和30年(1955)に建てられました。小高区の金房開拓農業協同組合の発願で、中心になっていたのが平田良衛という人物。岩手盛岡で開催された岩手県開拓連盟の10周年記念式典で、同式典に寄せて作られた詩「開拓十周年」の光太郎筆跡を写した印刷物が配布されました。それを読んだ平田が感激、地元の書家にこの詩を筆写してもらって碑文としたものです。光太郎の許可を得たのかどうか微妙なところですが、数少ない光太郎生前に建てられた詩碑の一つです。

ちなみに光太郎に詩の制作を依頼したのは、岩手県開拓連盟の中心人物の一人だった藤原嘉藤治。嘉藤治は宮沢賢治の親友だった縁で、戦前の『宮沢賢治全集』編纂にも携わり、つい先週、花巻で開催されたトークイベント「光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」で取り上げました。

この碑は2回、拝見に伺いました。1度目はもう20年以上前。2度目は東日本大震災後の平成28年(2016)。「精霊の木」が近くにあるというのですが、記憶にあるような無いような、という感じです。右下は過去の同イベントの際の「精霊の木」。幻想的ですね。
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イベント「光のモニュメント」自体は昨年11月から始まっていて、リレー形式で浜通り各地をつないでの開催とのこと。スタートが川内村の長福寺さんだったそうで、驚きました。当会の祖・草野心平ゆかりの寺院であるためです。

続いて中通り郡山市から。クローズドっぽい感じですが記録のためにも取り上げておきます。

第56回全青司ふくしま全国大会/第59回全青司定時総会

期 日 : 2026年3月6日(金)~8日(日)
会 場 : けんしん郡山文化センター 福島県郡山市堤下町1番2号
日 程 : 
 3月6日(金) エクスカーション(視察研修)
  JR 郡山駅 8:30  福島第一原子力発電所 10:30〜14:20 道の駅なみえ 14:50〜15:50
  JR 郡山駅 / 郡山おみやげ館 18:15
 3月7日(土) 第56回 全青司ふくしま全国大会・懇親会
  13:00 開会式(けんしん郡山文化センター 中ホール)
   第1部 基調講演 第2部 研究発表 第3部 パネルディスカッション
  18:15 大会終了
  19:30 懇親会
 3月8日(日) 第59回 全青司定時総会
  9:30 定時総会(けんしん郡山文化センター 中ホール)
  13:00 閉会式

大会のテーマ 『ほんとの空へ』

 今回で56回目を迎える全青司の全国大会は、福島青年司法書士会の主管により、福島県郡山市において開催されます。そして、本大会のテーマは、「ほんとの空へ」です。
 このテーマには、法律専門家を名乗る私たちが、司法書士の「本分」について、今一度見つめなおすことで、本来自分たちが進むべき道のりの「はじめの一歩」を踏み出そう、参加した方々にそう思ってもらえる大会にしたいとの福島実行委員会の思いが込められています。

 本大会では、プロボノ活動を考えるにあたり、あらゆる側面から捉えたうえで、今の青年司法書士がどのように動くべきかを提案します。そして、その提案が、参加者の司法書士人生にとって新たな未来、「ほんとの空へ」と繋がっていくことを信じています。
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「全青司」って何? と思って調べたところ、「全国青年司法書士協議会」の略だそうでした。

この時期での福島での全国大会開催ということで、『智恵子抄』所収の「あどけない話」(昭和3年=1928)由来の「ほんとの空」の語をテーマに冠し、福島第一原子力発電所の見学も組み込まれているそうです。

もう1件、こちらも郡山から。

3.11ふくしま集会 原発事故は終わってない

期 日 : 2026年3月11日(水)
会 場 : 郡山市労働福祉会館大ホール 福島県郡山市虎丸町7-7
時 間 : 13:00~
料 金 : 無料

ほんとの空の下で語られる本当の声を聴きに来てください。

福島原発事故から15年! 廃炉は本当にできるのか! 東京電力柏崎刈羽原発の再稼働を許さない! 放射能汚染土・汚染水の拡散を許さない!

報告
 ・ふるさと返せ 津島原発訴訟  ・30年中間貯蔵施設地権者会
 ・放射能汚染土壌問題      ・放射能汚染水の海洋投棄を止める取り組み
 ・311子ども甲状腺がん裁判    ・さよなら柏崎刈羽原発プロジェクト

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一昨年からやはり「ほんとの空」の語を使っての開催となっています。

原発事故から15年。もはや選挙の争点にもならなくなってしまった感がありますが、未だに双葉、富岡、大熊、浪江、葛尾、飯舘、南相馬の7市町村で帰還困難区域の指定が解除されていないわけで、まさに「原発事故は終わってない」のです。それなのに各地でなし崩し的に相次ぐ原発の再稼働、それとてトラブル続きで……。暗澹たる気持にさせられます……。

本当の意味で「ほんとの空」が戻る日の到来を、強く望みます。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)57 『猛獣篇』 

昭和37年(1962)4月2日 歴程社 高村光太郎著
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目次
 清廉 
白熊 傷をなめる獅子 狂奔する牛 鯰 象の銀行 苛察 雷獣 ぼろぼろな駝鳥
 龍 よしきり鮫 マント狒狒 象 潮を吹く鯨 森のゴリラ
 「猛獣篇」について 北川太一 覚書 草野心平

光太郎七回忌記念として、当会の祖・草野心平が鉄筆を握って版下を作りました。謄写版印刷にあたったのは、当時まだ定時制高校にお勤めだった当会顧問であらせられた北川太一先生と、教え子の皆さん。250部限定での刊行でした。

連作詩「猛獣篇」を一冊にまとめる構想は大正期から既にあり、何度も刊行予告が出ましたが、結局実現せずにいました。
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「覚書」によれば、心平はどのような形で出版するか、あれやこれやといろいろ悩んだ挙げ句、結局「原点回帰」で、宮沢賢治や光太郎も同人だった大正期の同人誌『銅鑼』の昔に返り、謄写版印刷にするのが光太郎らしいと考えたとのこと。その通りですね。

音楽作品を入手するにはストリーミング(配信)が主流、もはやCDも時代遅れ的な風潮の昨今ですが、逆にアナログレコードのブームも起きているそうです。実際、人気ミュージシャンがアナログレコードでのリリースを盛んに行っています。デジタルとは異なる音質や、アーティスティックなジャケットを持つ盤を「所有」する面白さなどがウケているようで。

「智恵子抄」オマージュの楽曲を含むアルバムでも。

Love Log ic(Clear Purple Vinyl)

発 売 日 : 2026年2月20日
アーティスト   : Minuano
レーベル  : Quiet Recordings / JET SET
定 価   : 4,950円(税込)

Lampの榊原香保里をフィーチャーしたMinuanoの1stアルバムがアナログ再発決定!

 ジャパニーズ・ポップに新風を吹き込んだ2009年リリースの名盤がクリアパープル・カラーヴァイナル仕様でリイシュー!
 パーカッショニスト、コンポーザーとして活躍する尾方伯郎が主宰するプロジェクトMinuano。彼らのデビュー・アルバムである本作は、ソフトロックやジャズ、シティポップを独自の視点で再構成したサウンドスケープと榊原香保里 (Lamp) の透き通る歌声が溶け合った、気だるくもあたたかな浮遊感に包まれる傑作。ボッサ・テイストの柔らかなアレンジとフルートの音色にイントロから引き込まれる「レモン哀歌」、複雑かつ鮮やかなコード進行と榊原のウィスパーボイスが絡みあう「それいゆ」、Minuanoとして初めて制作された楽曲である「陽だまりの午後に」など、極上のポップスがめくるめく展開するドラマチックな名盤です。

ソングリスト
 レモン哀歌 春宵の哀しみ 果てるともなく続く宙 それいゆ 午后の翼 恋人たちの雨
 裸足のシルエット 雨色日記 恋、咲き初めり 陽だまりの午後に
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当方、平成21年(2009)発行と思われるCDを持っています。
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令和4年(2022)には、<Clear Pink Vinyl/限定盤>としてやはりアナログレコード化され、その存在を知り、アナログ盤ではなく中古CDを安く購入しました。

「レモン哀歌」、歌詞は光太郎詩の通りではなく、そこからインスパイアされたもので、歌われている榊原香保里さんによる作詞です。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)56 『ロダンの言葉抄』 

昭和35年(1960)7月5日 岩波書店(岩波文庫) 高村光太郎訳 高田博厚・菊池一雄編
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目次
 ジユディト クラデル筆録
  「ロダンの人と作」より
  「ロダン伝」より
  クラデル編「ロダン」より
   ロダン手記
  クラデル著「ロダン」より
   女の肖像 芸術家の一日 ゴティックの線と構造 芸術と自然 ゴティックの天才
  雑誌「センチュリー」一九一四年五月号より
   ロダンの手帳
 フレデリク ロートン筆録
  古代芸術の教訓(その一) 古代芸術の教訓(その二) 断片 ロートン「ロダン伝」より
  ロートン「ロダン小伝」より
 ポール グゼル筆録
  グゼル編「芸術」より
   肉づけ 芸術における神秘 芸術における動勢 断片 フィディアスとミケランジェロ
   女の美
 「岡の上にて」より
  「ロダンの家にて」より 若き芸術家達に(遺稿)
 ギュスターヴ コキヨ筆録
  「ロダン」より 「真のロダン」より 
  「ロテル ド ビロン及びムードンにおけるロダン」より 断片
 カミーユ モークレール筆録
 その他
  「芸術及び芸術家」特別号より パトレット筆録(ダークス「ロダン小伝」より)
  クラリ筆録(ダークス「ロダン小伝」より)
 解説 高田博厚
 年表

大正5年(1916)に阿蘭陀書房から出た初版『ロダンの言葉』、同9年(1916)に叢文閣から出た初版『続ロダンの言葉』から、光太郎と交流のあった共に彫刻家の高田博厚と菊池一雄が再編した厚冊の文庫版です。

最近まで版を重ねていましたが、現在、岩波さんのサイトでは「品切れ」。ぜひ重刷していただきたいものです。

昨日ご紹介した角川文庫版『美について』と順番が前後していました。すみません。

新刊です。

井上涼の美術でござる 三の巻

発行日 : 2026年2月25日
著者等 : 井上涼
版 元 : 毎日新聞出版
定 価 : 2,500円+税

「びじゅチューン!」でもおなじみ、井上涼の美術まんが 待望の第3弾! わがままヴィーナス、オフィーリアの秘密の伝言、老猿の大脱走......忍者B・忍者Cと世にもゆかいな名画の世界へ! "クセつよ"芸術家27人の作品と人柄を紹介するよ。

はじめての美術鑑賞にぴったりの一冊! 総ルビつきで幼児からたのしめます。プレゼントにもどうぞ。
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目次
 はじめに
 Ⅰ 不思議の国の忍者たち
  ブリューゲルの巻 ボスの巻 デ・キリコの巻 ダリの巻 山下清の巻
  じっくり見てみよう① 山下清《ロンドンのタワーブリッジ》
 Ⅱ ようこそ! ござる町へ
  マティスの巻 聖徳太子の巻 本阿弥光悦の巻 猪熊弦一郎の巻 ロートレックの巻
  描き下ろしまんが「ロートレックの巻」その後
 Ⅲ モノクロ世界で、もういいかい?
  雪村の巻 横山大観の巻 エッシャーの巻 ハマスホイの巻 棟方志功の巻
  じっくり見てみよう② ジョン・エヴァレット・ミレイ《オフィーリア》
 Ⅳ 発見! 動物植物のすごい絵
  高村光雲の巻 熊谷守一の巻 竹内栖鳳の巻 河鍋暁斎の巻 若冲の《動植綵絵》の巻
  ラスコー洞窟の壁画の巻 ガレの巻 田中一村の巻 ウィリアム・モリスの巻
  ジョン・エヴァレット・ミレイの巻 アルチンボルドの巻 ボッティチェリの巻
  じっくり見てみよう③ 田中一村《椿図屏風》
  じっくり見てみよう④ アルチンボルド 四季《夏》《冬》/四大元素《水》《大地》
 おわりに


NHK Eテレさんで放映中の「びじゅチューン!」でアニメーション制作から劇中歌の作詞作曲演奏、そして出演なさっての解説までをこなす井上涼氏が、『毎日小学生新聞』さんに平成28年(2016)から連載されている漫画の単行本化です。見開き2ページで一人の美術家や美術作品が取り上げられています。

掲載紙では平成31年(2019)に光太郎が取り上げられ、昨年刊行の二の巻に収録されました。そして光太郎の父・光雲を扱った「高村光雲の巻」は初出が平成5年(2023)で、今回の三の巻に収められました。
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メインで取り上げられるのは、トーハクさん所蔵の重要文化財「老猿」。同作は「びじゅチューン」でも令和4年(2022)に「老猿は主役じゃなくても」として扱われましたが、また別のストーリー。動物彫刻の制作ではモデルの善し悪しにこだわった光雲が猿を観察したいと望み、主人公の忍者たちが協力する、というものです。

実際、「老猿」制作に際し、光雲は浅草の「猿茶屋」から猿を借りてきてスケッチしています。
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その顛末は光雲の談話筆記『光雲懐古談』(昭和4年=1929)で語られています。

 モデルはその頃浅草奥山に猿茶屋があつて猿を飼つてゐたので、その猿を借りて来ました。この猿は実におとなしい猿で、能くいふことを聞いてくれまして、約束通りの参考にはなりました。物置に縛いで置いたが、どんなに縄をむづかしく堅くしばつて置いても、猿といふものは不思議なもので必ずそれを解いて逃げ出しました。一度は一軒置いてお隣りの多宝院の納所へ這入り坊さんのお夕飯に食べる初茸の煮たのを摘んでゐるところを捕まへました。一度は天王寺の境内へ逃げ込み、樹から樹を渡つて歩いて大騒ぎをしたことがありますが、根がおとなしい猿のことで捕まへました。

青空文庫さんでこの項全文が読めます。

井上氏、このくだりを参考になさったようで、「猿茶屋」ならぬ「猿カフェ」から借りてきた猿が大騒動を起こす、という話です。ちなみにちらっと光太郎も登場します。

他もおそらくそれぞれの美術家のエピソードなどを盛り込み、テキトーに描いているんじゃないなというのがよくわかります。それにしても「びじゅチューン」同様に、シュールですが(笑)。

ぜひお買い求めを。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)55 『美について』 

昭和35年(1960)11月10日 角川書店(角川文庫) 高村光太郎著
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目次
 触覚の世界
  触覚の世界 比例均衡 普遍と独自 永遠の感覚 写生の二面 書について 書の深淵
  感覚と生活 緑色の太陽 言ひたい事を言ふ
 彫刻の世界
  彫刻的なるもの 彫刻性について 肖像雑談 彫刻に何を見る 東洋と抽象彫刻
  蝉の美と造型 小刀の味 絶滅の美
 
ある首の幻想
  ある首の幻想 人の首 家 装幀について 某月某日  ほくろ 自分と詩との関係
  智恵子の切抜絵 九代目団十郎の首 自作肖像漫談
 美術の魅力
  日本の美
   埴輪について 仏像について(古式の美) 能面について 茶について
  彫刻の面白味 版画の話 静物画の新意義 日本画に対する感想 自刻木版の魅力
 オオギュスト・ロダン
  一 一個の全球 二 親ゆづり 三 善い姉さんと腹の出た家と 四 始まり 五 実地修行
  六 修道院 七 下働きと仕立女工 八 総決算と新時代 九 苦境と愉楽と 
  十 振出しへ返る事
 十一 自己の道 十二 「歩む人」と「地獄の門」と 十三 胸像群
  十四 記念像群及「バルザツク」の彫刻的意義 十五 一九〇〇年以後
  十六 晩年、死、死 十七 「小さい花子」
 解説 伊藤信吉

同名の書籍が昭和16年(1941)に道統社から出ていますが、かなり内容が異なります。

手前味噌で恐縮ですが、当方著書です。著書と言っても並製の冊子に近いもので、ISBNコードも附されていないものですが。

光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで

発行日 : 2026年2月21日059
著者等 : 小山弘明
版 元 : やつかの森LLC
定 価 : 600円

「天才は天才を知る」
賢治作品が世界的に広まった背景には、光太郎と清六、嘉藤治らの尽力があった。

目次
 『春と修羅』・『銅鑼』
 光太郎と賢治、その出会い
 『宮沢賢治追悼』
 幻の書物展望社版『宮沢賢治全集』
 文圃堂版『宮沢賢治全集』
 十字屋書店版『宮沢賢治全集』
 十字屋書店『宮沢賢治研究』
 組合版『宮沢賢治文庫』
 花巻での光太郎の賢治顕彰
 筑摩書房版『宮沢賢治全集』
 光太郎と藤原嘉藤治


現在、花巻高村光太郎記念館さんで開催中の「高村光太郎花巻疎開80年企画展 光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」に関わるもので、図録というわけではありませんが、20葉くらいは関連画像も入れてあります。全体で50ページほどです。

目次の通りで、光太郎と賢治、当会の祖・草野心平を介したそもそもの交流の始まりから、生涯一度きりに終わった二人の出会い、その後の光太郎が関わった賢治全集や関連書籍、全集編纂に加わった賢治の親友・藤原嘉藤治と光太郎の交流など。

光太郎と清六が初めて会った、昭和9年(134)に新宿モナミで開催された賢治追悼会の件、昭和11年(1936)に光太郎楼が碑文を揮毫して花巻町に建てられた賢治詩碑第1号の「雨ニモマケズ」碑の件、戦後の児童劇団・花巻賢治子供の会と光太郎の交流の件など、書こうと思えばまだまだいくらでもネタがあるのですが。

販売元は花巻のやつかの森LLCさん。同社からフライヤー画像が送られてきました。
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上記画像をご参照の上、お申し込み下さい。よろしくお願い申し上げます。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)54 『続ロダンの言葉』 

昭和34年(1959)9月10日 新潮社(新潮文庫) 高村光太郎訳著
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目次
はしがき
アウギユスト ロダン(オクターヴ ミルボー)
若き芸術家達に(遺稿)
ロダン手記
 花について
 女の肖像
 芸術家の一日
  庭園の朝  古代彫刻の断片  庭園の夕
 ゴチツクの線と構造
 ゴチツク建築家は写真家である 
 面と相反と
 
 釣合の知識
 石のレース細工 
 外陣
 
 くりかた
 芸術と自然
  古代芸術―ギリシヤ  古代芸術の豊かさは肉づけにある  高肉とキヤロスキユロ
  ローマ及ローマ芸術  アメリカの為に
 ゴチツクの天才
  ノートルダム サン トウスターシユ 彫刻に於ける色調について 十八世紀
 断片
 手紙
ギユスターヴ コキヨ筆録
ジユヂト クラデル筆録
フレデリク ロートン外二三氏筆録
 パトレツト筆録 クラリ筆録 フレデリク ロートン筆録 フランシス ド ミオマンドル筆録
 ポール グゼル筆録
  「岡の上にて」より 「ロダンの家にて」より フイデヤスとミケランジユ 女の美
「本寺」より(手記)
ロダン論(アサア サイマンス)
ロダン夫人の死(マルセル チレル)
ロダンのモデエル達(マルセル チレル)
ドユ モーパスサンの描いたロダン
解説 北川太一

7月に同じ新潮文庫のラインナップに入れられた正編に続く出版。内容的には大正9年(1916)に叢文閣から出た初版をほぼ踏襲していますが、末尾の4篇のロダン論はオリジナルには入っていなかったものです。

解説は当会顧問であらせられた故・北川太一先生でした。

岩手レポートの2回目です。

2月21日(土)、東北本線花巻駅前のなはんプラザさんで開催されたトークイベント「光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」に出演後、レンタカーを新花巻駅で返却し、東北新幹線で盛岡へ。当初、盛岡行きのつもりはなかったため、こうなりました。予定していれば盛岡までレンタカーで行っていました。

盛岡での目的地は鉈屋町のもりおか町家物語館さん。こちらで「岩手ゆかりの近代詩文書作品展」が開催され、光太郎詩の一節等を書かれた書が複数出ているという情報を直前に得たため、急遽向かった次第です。
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現地へは盛岡駅からタクシーで。行ってみるまで詳しく存じませんでしたが、鉈屋町一帯は古い街並みが残り、古民家をリノベーションした店舗なども多く、けっこう観光客の皆さんなどでにぎわっていました。余裕があればぜひ歩いてみたいところでしたが。

やがて到着。これも行ってみて気づいたのですが、複数の建物を使った複合施設でした。
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会場は「大正蔵」という大きな建物で、1階はショップやカフェ、2階がギャラリー。その2階です。
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30点あまりが並んでいます。
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「岩手ゆかり」ということで、石川啄木、宮沢賢治、新渡戸稲造など。

そして我らが光太郎。「岩手出身」とされてしまうと対象外ですが「ゆかり」としていただいているのでありがたいところです。
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言わずと知れた「道程」(大正3年=1914)。
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俳句「熊出ると いふ峠路の あけびかな」。昨今、岩手でも熊の出没情報や痛ましい人身被害の報道などが聞かれますが、この句はまだ光太郎が花巻疎開前の昭和17年(1942)、上州湯ノ小屋温泉で詠まれたもので、若い友人で共に詩人の風間光作、西山勇太郎との旅路の最中でした。この際には宝川温泉さんにも宿泊しています。
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「牛」(大正2年=1913)の一節。冒頭の「牛」一字が実にいい感じですね。
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冬を愛した光太郎の真骨頂、詩「冬の言葉」(昭和2年=1927)から。
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同じく「冬が来た」(大正2年=1913)から。
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左は詩「岩手の人」のよく引用される一節。右が『智恵子抄』中の絶唱「レモン哀歌」(昭和14年=1939)全文。

今回で4回目ということで、一昨年の第2回の際には光太郎がらみの報道も為されました。今後も継続されていくことを祈念いたします。

再びタクシーで盛岡駅に戻り、また花巻を通過して帰りました。以上、岩手レポートを終わります。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)53 『ロダンの言葉』 

昭和34年(1959)7月25日 新潮社(新潮文庫) 高村光太郎訳著
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目次
 凡例
 ロダンの芸術(ユージエヌ カリエール)
 ロダン手記
  ヹヌス 中世期芸術への入門―原則 フランスの自然 ランスの本寺 夜の本寺
  本寺別記 断片 手紙
 ジユヂト クラデル筆録
 ポール グゼル筆録
  肉づけ 芸術に於ける神秘 芸術に於ける動静 断片
 カミーユ モークレール筆録
 フレデリク ロートン筆録
  古代芸術の教訓(一) 古代芸術の教訓(二) 断片
 ロダンの手帳(クラデル編)
  昔の仕事場と今日の学校 構造と肉付け 古代芸術の伝統的法則
 解説 尾崎喜八

大正5年(1916)に阿蘭陀書房から出た初版に準ずる内容です。新たに収められた解説は光太郎と交流の深かった尾崎喜八でした。

手持ちのものは昭和39年(1964)6月30日の第4刷です。

昨日まで1泊2日で岩手県に行っておりました。2回に分けてレポートいたします。

2月20日(金)、夕方までに着けばいいので、いつもより遅めの東北新幹線で北へ。途中、智恵子の故郷・福島二本松を通っていきますが、智恵子のソウルマウンテン・安達太良山の山の上には智恵子の「ほんとの空」が広がっていました。
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新花巻へは14時半過ぎに到着。

今回メインの目的は、翌日行われるトークイベント「光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」出演でしたが、こちらは現在、花巻高村光太郎記念館さんで開催中の「高村光太郎花巻疎開80年企画展 光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」の関連イベントでしたので、昨年12月の開幕直後に続き、もう1度展示を見ておさらいしておこうと思い、同館へ。例によってレンタカーです。
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同時開催の特別展「中原綾子への手紙」は2月28日(土)まで。
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隣接する高村山荘。光太郎が戦後の7年間を過ごした山小屋です。
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宿泊は大沢温泉山水閣さん。
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ふだん泊めていただいている自炊部さんとは館内で繋がっています。

自炊部さんの休憩コーナー。桃の節句が近いということで、素朴なひな飾り。
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光太郎ともども、大沢温泉さんに足跡を残す賢治の紹介も為されています。
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翌朝、大沢温泉さんを後に、市街地へ。

トークイベント会場のなはんプラザさん。
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花巻南高校さん他の御協力で、会場内にはいろいろと展示も。

先週まで、高村光太郎記念館さんロビーで展示されていた、授業の芸術書道を選択されていた生徒さんたちが書かれた光太郎詩文の書。
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一昨年に同じこの場で初披露され、その後、二本松の智恵子記念館さん、花巻高村光太郎記念館さんなどでも展示された、家庭クラブさんによる「智恵子のエプロン」。
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さらに、花巻のせがわ京染店さんが同じ型紙から複数作って下さったそうで。
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和装のマネキンに着せると、また違った感じになります。

さて、10:00開会。人が集まるのかな、と不安もありましたが、蓋を開けてみれば超満員でした。ありがたし。
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まず当方。20分ほどパワーポイントのスライドショーを使って語らせていただきました。光太郎と賢治のそもそものつながり、そこに介在した当会の祖・草野心平、生涯にたった1度の光太郎と賢治の出会い(ちょうど100年前です)、その後の4種類にわたる賢治全集への光太郎の関与、やはり賢治全集編纂に力を注いだ賢治実弟・清六や賢治の親友・藤原嘉藤治などについて。
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上画像は、仙台から駆けつけて下さったヴォイスパフォーマー・荒井真澄さんが撮って下さいました。

続いて清六令孫にして㈱林風舎さん代表取締役の宮沢和樹氏。
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いつものことですが、とにかく宮沢家では光太郎に対してものすごい恩義を感じ続けてきたというお話で、逆にこちらとしては恐縮してしまいます。

藤原嘉藤治の顕彰をなさっている瀬川正子氏。賢治の精神を体現する優れた実践的な活動を毎年顕彰する「イーハトーブ賞」を昨年受賞なさいました。
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嘉藤治は最初の文圃堂版全集から編纂に関わりましたが、2度目の十字屋書店版では心平が中国に渡ってしまったこともあり、清六ともども中心的な役割を果たしました。
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さらに戦後は賢治精神を体現すべく、故郷・岩手に帰って開拓に乗り出し、そこでも光太郎と関わります。

休憩を挟んで、質問を受け付けながらのフリートーク。和樹氏は、戦後の昭和21年(1946)から同24年(1949)にかけ、清六と光太郎の二人だけで編んだ日本読書組案版の『宮沢賢治文庫』について。特に「生徒諸君に寄せる」を中心に。

さらに音楽教師だった嘉藤治と、音楽好きだった賢治とのチェロを通しての関わりにも。
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現在、花巻の宮沢賢治記念館さんで展示されている賢治旧蔵のチェロは、嘉藤治のチェロと交換したものだそうで、おかげで花巻空襲による被害を免れたとのこと。そして上画像で嘉藤治が持っている嘉藤治が使っていたチェロには穴が空いていて、それを補修した跡があり、賢治童話「セロ弾きのゴーシュ」で子鼠を穴からチェロに押し込む場面との関連が疑われるといったお話など。これは存じませんでした。
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瀬川氏も、会場からの「嘉藤治はどんな先生だったのですか」という質問に答える中で、やはりゴーシュのモデルは嘉藤治ではないかというお話。嘉藤治はゴーシュ同様、癇癪持ちの面もあって顔を真っ赤にして怒ることから「タコ先生」と呼ばれていたそうで(笑)。

そんなこんなであっという間に予定の時間となり、閉会。

ちなみに来場者のみなさんには、お土産ということで下記の冊子が無料で配られました。
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以前にもちらっと書きましたが、高村光太郎記念館さんでの展示説明パネルを書き始めたところ、あれも書きたい、これも書かなきゃ、とやっていたらかなりの枚数になってしまい、パネルはこの中から適当にセレクトして下さい、残りの部分も含めて冊子にして出版したらどうですかと提案したところ、そうなりました。

50ページ程で、頒価は600円。まだどのような形で販売されるのかよくわからない点がありまして、またのちほど詳しくご紹介いたします。

終了後、講師控え室で昼食。
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花巻で主に食を通じて光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさん(今回の記念館さんでの展示、トークショー、冊子の発行にも御尽力)が光太郎日記などを元に、実際に光太郎が作ったメニューなどを参考に組み立て、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント、ミレットキッチン花(フラワー)さんが毎月15日に限定10食で出品している弁当「光太郎ランチ」のスペシャルバージョンでした。

てっきり今月15日に販売された分と同じメニューだろうと思っていたら、さにあらず。この日のためのスペシャルメニューでした。
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偏食気味のところがある当方を慮ってくださったようなメニュー構成で、恐縮でした(笑)。せっかくなので来月分にでも転用すればいいのに、と思いますが。

とにもかくにも一仕事終わりまして、関係の皆様、ご来場下さった方々に深く感謝しております。この後、盛岡まで足を伸ばしました。そのあたりはまた後ほど。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)52 『詩集 智恵子抄』 紅白版

昭和34年(1959)4月10日 龍星閣 高村光太郎著
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目次
 人に             明治四十五年七月
 或る夜のこころ        明治四十五年八月
 おそれ            明治四十五年八月
 或る宵            大正元年十月
 郊外の人に          大正元年十一月
 冬の朝のめざめ        大正元年十一月
 深夜の雪           大正二年二月
 人類の泉           大正二年三月
 僕等             大正二年十二月
 愛の嘆美           大正三年二月
 晩餐             大正三年四月
 樹下の二人          大正十二年三月十一日
 狂奔する牛          大正十四年六月十七日
 鯰              大正十五年二月五日
 夜の二人           大正十五年三月十一日
 あなたはだんだんきれいになる 昭和二年一月六日
 あどけない話         昭和三年五月十日
 同棲同類           昭和三年八月十六日
 美の監禁に手渡す者      昭和六年三月十二日
 人生遠視           昭和十年一月二十二日
 風にのる智恵子        昭和十年四月二十五日
 千鳥と遊ぶ智恵子       昭和十二年七月十一日
 値ひがたき智恵子       昭和十二年七月十二日
 山麓の二人          昭和十三年六月二十日
 或る日の記          昭和十三年八月二十七日
 レモン哀歌          昭和十四年二月二十三日
 荒涼たる帰宅         昭和十六年六月十一日
 亡き人に           昭和十四年七月十六日
 梅酒             昭和十五年三月三十一日
 うた六首                         
 智恵子の半生         昭和十五年九月
 九十九里浜の初夏       昭和十六年五月
 智恵子の切抜絵        昭和十四年一月 

紙型は昭和26年(1951)に出た戦後新版と同一です。皇太子殿下と美智子さま(現・上皇ご夫妻)のご成婚記念という理由で表紙をおめでたい紅白の布装にし、「紅白版」として出されました。この頃になると結婚披露宴の引出物に『智恵子抄』というのが一つのトレンドだったそうで、そうしたところからの着想もあったように思われます。智恵子の最期を思うと複雑な気持ちになりますが……。

2ヶ月ぶりですが、今年初めて、光太郎第二の故郷・岩手花巻に来ております。
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先月はかなりの積雪だったそうですが、このところ少し暖かくなったとのことで、街なかではあまり雪がありませんでした。

それでもだらだら坂を登り、光太郎が隠棲していた旧太田村まで来ると、それなりに。
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光太郎の山小屋(高村山荘)。
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隣接する高村光太郎記念館さん。
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宿泊は光太郎もよく泊まった大沢温泉さんに。いつもは自炊部さんですが、今回は予約が取れませんで、通常の温泉ホテルタイプの山水閣さん。
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今日は街なかに戻り、駅前のなはんプラザさんで、現在花巻高村光太郎記念館さんで開催中の「高村光太郎花巻疎開80年企画展 光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」の関連イベントとして、賢治実弟・清六の令孫にして㈱林風舎さん代表取締役の宮沢和樹氏、賢治の親友だった藤原嘉藤治の顕彰に当たられている瀬川正子氏とのトークイベントに出演いたします。

詳しくは帰りましてからお伝え致します。



今日明日と、1泊2日で今年初の岩手行です。

明日、現在花巻高村光太郎記念館さんで開催中の「高村光太郎花巻疎開80年企画展 光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」の関連イベントとして、賢治実弟・清六の令孫にして㈱林風舎さん代表取締役の宮沢和樹氏、賢治の親友だった藤原嘉藤治の顕彰に当たられている瀬川正子氏とのトークイベントに出演いたします。
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午前中の開催ですので、今日から前乗りし、例によって大沢温泉さんに宿泊します。

また、午前中の開催ですので、イベント終了後に昼食が用意されています。メニュー的には、花巻で主に食を通じて光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんが光太郎日記などを元に、実際に光太郎が作ったメニューなどを参考に組み立て、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント、ミレットキッチン花(フラワー)さんが毎月15日に限定10食で出品している弁当「光太郎ランチ」だそうで。15日ではありませんが、特別にということで、ありがたし。

今月分がこちら。
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「サメの煮付」「鶏竜田揚げ」「牛蒡と胡桃の甘辛煮」「ポテトサラダ」「ちらし寿司」「チーズ入り蒸しパン」「干し柿と黄桃のゼリー」「漬物」だそうで。

そちらをいただきましたら、盛岡まで足を伸ばすつもりで下ります。つい先日、以下のイベントが開催されていることに気づきまして。

岩手ゆかりの近代詩文書作品展

期 日 : 2026年2月14日(土)~3月8日(日)
会 場 : もりおか町家物語館 岩手県盛岡市鉈屋町10-8
時 間 : 9:00~19:00 最終日は16:00まで
休 館 : 2月24日(火)
料 金 : 無料

今回で4回目の開催です。岩手にゆかりのある近代詩文を題材にした、公募で集まった書道作品を展示します。是非ご覧ください。

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花巻を第二の故郷とした光太郎の詩句を書かれた作品も複数展示されているとのことでして。
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今回で4回目の開催」だそうですが、一昨年に行われた際にはIBC岩手放送さんのローカルニュースで取り上げられ、このブログで紹介させていただきました。そちらは第2回だったようです。

というわけで、行って参ります。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)51 『赤城画帖』特装版

昭和31年(1956)9月5日 龍星閣 高村光太郎著 西山勇太郎編
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目次
 赤城画帖 第一図~第二十八図  赤城相聞歌  赤城山の歌

昨日、内容的には同一の通常版をご紹介しましたが、こちらは百部限定の特装版。二重函で、表紙は羊皮です。

都内からのコンサート情報です。もう明日なのですが、一昨日の夜になって演目に光太郎がらみが含まれるという情報が出たもので……。

イーガルの現代音楽の世界 ー作曲の秘密、演奏の魔法ー Vol.2 現代詩と現代音楽

期 日 : 2026年2月20日(金)
会 場 :  PetitMOA 東京都新宿区歌舞伎町2-19-10 B1
時 間 : 開場 18:00/開演 18:30
料 金 : 予約3,000円 当日3,500円(どちらも+1ドリンク 700円別途)

現代音楽作曲家・ピアニスト イーガルによる、
自作の演奏と創作をめぐる対話を中心にしたライブイベント。今回はゲストに、冬木理森(歌)と
トークゲストに山﨑修平(詩人)を迎え
作曲と詩の関係、表現の奥行きを多角的に探ります。

出演:イーガル(ピアノ・歌) 冬木理森(歌)  こみてつ(チェロ)
トークゲスト:山﨑修平(詩人) 
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トークゲストの山﨑修平氏、昨年開催された目黒学園カルチャースクールさん主催の詩の講座「詩の創作と鑑賞講座 7月期」で光太郎を取り上げて下さった方でした。

当方、明日から花巻出張ですので伺えませんが、ご都合の付く方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)50 『赤城画帖』

昭和31年(1956)9月5日 龍星閣 高村光太郎著 西山勇太郎編
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目次
 赤城画帖 第一図~第二十八図  赤城相聞歌  赤城山の歌

上州赤城山は、光太郎にとってのソウルマウンテン。留学前の明治37年(1904)には5~6月と、7~8月にかけての2回、赤城の猪谷旅館に滞在し、それぞれ、親友の水野葉舟、与謝野鉄幹ら新詩社の面々と過ごしています。留学から帰朝した明治42年(1909)にもすぐ赤城山に登っています。

昭和4年(1929)には、草野心平、高田博厚らを引き連れて登っていますし、確認出来ている最後の赤城行は昭和6年(1931)で、この際には父・光雲も一緒でした。
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画帖は明治37年(1904)の滞在時に光太郎が残したスケッチ帖で、水野葉舟が譲り受けていましたが、詩人の風間光作の手に渡り、さらに風間からやはり詩人の西山勇太郎に。その後行方不明です。

平成12年(2000)、風間が原本から1枚抜き出して額装していたものが売りに出て、驚きました。
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西山の編集で、前半が画帖、後半は明治の第一期『明星』に載った赤城山関連の短歌を収めています。

画帖の存在は光太郎晩年の昭和26年(1951)、西山が光太郎に知らせ、光太郎は西山に以下の内容の書簡を送りました。

赤城写生帖といふやうなもの、まるで忘れても居ましたし、思ひ出さうとしても思い出せません。しかし、小生のものらしく、それがどうして貴下のところにあるのか実に不思議に堪へません。卅七年といへば日露戦当時、小生が美術学校に居た頃と思ひますが、そんなものが出て来ると怖いやうな気がします。

画帖部分、短歌の部分双方に、猪谷旅館の子息・六合雄(くにお)が解説を執筆しています。猪谷六合雄といえば日本スキー界の草分けで、さらに子息の千春氏は光太郎が歿した昭和31年(1956)のコルティナ・ダンペッツォ五輪で、日本人初の冬季五輪メダリストとなりました。現在行われているミラノ・コルティナ2026冬季五輪と会場がかぶります。

ちなみに現在94歳の千春氏、今回の五輪に合わせてコルティナ・ダンペッツォを再訪されたそうで。

コルティナで70年ぶりの再会 猪谷さん、当時の宿泊先家族と

 1956年コルティナダンペッツォ冬季五輪のアルペンスキー男子回転で2位に入った猪谷千春さん(94)が17日、大会で縁のあったマヌエラ・アンジェリさん(86)とコルティナダンペッツォで70年ぶりの再会を果たした。約1時間にわたって談笑し「昔のことを話し合えて楽しいし、うれしい」と感慨に浸った。
 猪谷さんは当時、アンジェリさんの家族が経営していたホテル「ビクトリア」に宿泊し、日本勢初の冬季五輪メダリストに輝いた。フィギュアスケートのイタリア代表だったアンジェリさんは別の滞在先から大会に出場したが、会話を交わした記憶があるという。今大会がきっかけで再会が実現。2人は「ビクトリア」のソファに腰を下ろし、対面した。
 猪谷さんは現役引退後、IOC副会長も務め、名誉委員となった。五輪の意義について問われ「技を競い、友情の輪を広げる。まさにこの2人の再会」と話した。来日したことがないというアンジェリさんには草履をプレゼントし「次は東京で会いましょう」と声をかけた。(共同通信)
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何度か取引させていただいた小金井市の美術専門古書店・えびな書店さんから新しい在庫目録が届きました。
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「一、新蒐品」のページには直接光太郎に関わる品はありませんでしたが、交流のあった人々の絵画作品や書作品、書簡、草稿なども多く、興味深く拝見しました。親友だった水野葉舟、柏亭・鶴三の石井兄弟、留学仲間の津田青楓や有島生馬、光太郎を敬愛していた少し年下の宮崎丈二・岸田劉生、姉貴分・与謝野晶子、智恵子の方でも平塚らいてうなどなど。

それら、他店と比較すると価格設定が明らかに良心的なのですが、さらに驚いたのが「二、精選在庫品」のページ。「開店44周年記念」というよくわからない理由で(笑)、全品2割引とのこと。

こちらには光太郎の書作品が3点出ていました。
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左上が「源にかへるもの力あり」。元ネタは昭和17年(1942)作の翼賛詩「みなもとに帰るもの」の一節のアレンジです。右下で「太田村 やまぐちやまの 山かげに ひえをくらひて 蟬彫る吾は」。花巻郊外旧太田村の山小屋で隠棲中に詠んだ短歌が認(したた)められているマクリです。最後に左下はフランスのことわざ「盃と口とは遠し」を書いた戦前と思われる色紙。「源に……」と「盃と……」は令和3年(2021)9月、「太田村……」は同年12月の目録に初登場でした。

ちなみに一緒に画像が並んでいる小杉放庵(未醒)も光太郎とわずかながら交流がありました。

後の方のページには、色紙「詩とは不可避なり」、詩人の中野秀人に宛てた書簡(昭和2年=1927)、それから光太郎実弟にして鋳金分野の人間国宝だった豊周の作も。色紙は令和2年(2020)6月、中野宛書簡は同年(2020)10月に売りに出ていました。ちなみにそれぞれの際も2割引フェア中でした。
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「二、精選在庫品」のページでは光太郎作品は5点のみですが、表紙には「在庫品全点2割引」とあります。上記以外にも「高村光太郎」で検索すると、以下の通り。
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金に糸目をつけない生活ができていれば、すべて入手したいところですが(笑)。

「二、精選在庫品」にも光太郎智恵子と交流のあった人々の作品等がずらっと出ています。2割引フェアがいつまでかは明記されていませんが、余裕のある方、ぜひどうぞ。できればその後、各種展覧会等への貸与もやぶさかでないよ、という方に買われてほしいものですが。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)49 『詩集 典型以後』

昭和31年(1956)9月5日 中央公論社 高村光太郎著
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目次
 東北の秋        昭和二十五年十一月「婦人の友」
 開拓に寄す              昭和二十五年十一月“岩手県開拓五周年祭”
 大地うるはし      昭和二十六年一月「婦人公論」
 人間拒否の上に立つ   昭和二十六年一月「心」
 明瞭に見よ       昭和二十六年一月「出版ニュース」
 船沈まず        昭和二十六年元旦「中部日本新聞」「西日本新聞」「北海道新聞」
 智恵子と遊ぶ      昭和二十七年一月「新女苑」
 山のともだち      昭和二十七年九月「婦人之友」
 ばた屋         昭和二十七年十月「中央公論」
 餓鬼            〃
 報告          昭和二十八年一月「いづみ」
 お正月に        昭和二十八年元旦「朝日新聞」
 東京悲歌        昭和二十八年四月「心」
 十和田湖畔の裸像に与ふ 昭和二十九年一月「婦人公論」
 かんかんたる君子    昭和二十九年元旦「毎日新聞」
 記者図                      昭和二十九年一月十四日「新聞協会報」
 弦楽四重奏       昭和二十九年三月「婦人之友」
 新しい天の火      昭和三十年元旦「読売新聞」
 開拓十周年       昭和三十年十月“岩手県開拓十周年”
 追悼          昭和三十年十二月「婦人之友」
 開びやく以来の新年   昭和三十一年元旦「中部日本新聞」「西日本新聞」「北海道新聞」
 お正月の不思議     昭和三十一年元旦NHK第二放送「季節のしおり」
 生命の大河       昭和三十一年元旦「読売新聞」
 あとがき  高村豊周

題名の通り、昭和25年(1950)刊行の詩集『典型』の後に書かれた詩の集成です。この年4月に没した光太郎にはこれらをまとめて出版する意図は無かったと思われますが、「あとがき」を執筆した実弟・豊周、当会の祖・草野心平、そして版元の中央公論社の強い希望があったと思われます。

詩人の若松英輔氏。光太郎についても関心がおありのようで、複数のご著作やオンライン講座、ラジオ番組等で光太郎に触れて続けてくださっています。

これまでに配信されたオンライン講座からセレクトされたもの、20余りの講座が「10~15%オフで再配信」だそうです。会員登録が必要とのことですが。

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<講座一覧>
 ■詩を書くための「感覚入門」――感覚とつながる 
 ■小林秀雄・岡潔『人間の建設』――人生の本質を求めて
 ■太宰治『駈込み訴え』――愛は言葉よりコトバによって語られる 
 ■若松英輔『愛について』――誰かを愛するなかで、人は自分に出会う
 ■苦しみについて
 ■よろこびについて
 ■エーリッヒ・フロム『愛するということ』 
 ■はたらくための哲学 言葉とコトバ
 ■高村光太郎訳『ロダンの言葉抄』――言葉のかたち、かたちであるコトバ
 ■『対訳 ブレイク詩集』――詩人になるとは、詩の使者となることである
 ■志村ふくみ『語りかける花』
 ■小林秀雄「信ずることと知ること」
 ■『新編 志樹逸馬詩集』――人生の一語に出会う
 ■遠藤周作 『深い河』
 ■遠藤周作『沈黙』
 ■マルクス・アウレリウス『自省録』――内なる光に出会う
 ■トルストイ『人は何で生きるか』――天使に課せられた3つの問い
 ■トルストイ『イワン・イリッチの死』――消えることのない人生の光を求めて
 ■内村鑑三『後世への最大遺物』――言葉を遺す、コトバを遺す
 ■カリール・ジブラン『預言者』――人生とは、真の自分に出会う旅である
 ■ヘルマン・ヘッセ『シッダルタ』――わたしという秘密をもとめて
 ■フランクル『それでも人生にイエスと言う』――苦しむことは、生きる意味でもある

※このページの音声講座は購入後すぐにお聞き頂けます(3営業日以内にお送りします)。
 他の音声講座とは配信日や聴講期間が異なります。詳しくは下記をご確認下さい。
※講座によっては、収録日時が古いため、現在の形式などと異なる場合がございます。

【配信】お申込み後、3営業日以内にメールにて、聴講のためのURLとレジュメなどをお送り致します。
【聴講期間】4月15日(水)まで ※いつご購入されても、聴講期限は同じです。
【お申込み方法】 「読むと書く」会員様のみご参加頂けます。 会員証をお持ちでない方は、初めての方はこちらよりお申し込み下さい。
・初めての方はアンケート・課題を当事務局で確認後のご入会およびご入金となりますので、お申込のタイミングにより、配信が遅れる場合がございます。お早めにお申込下さい。
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令和4年(2022)に配信のあった「高村光太郎訳『ロダンの言葉抄』――言葉のかたち、かたちであるコトバ」がラインナップに入っています。

高村光太郎訳『ロダンの言葉抄』――言葉のかたち、かたちであるコトバ

 高村光太郎訳の『ロダンの言葉』は、ある時期、画家や彫刻家だけでなく、文学、音楽を含む世界においても、ある種の啓示の書として読まれました。彫刻という「かたち」のなかに潜むコトバを語るロダンに美と叡知の地平を指し示す羅針盤のようなものを感じたのです。
 今日、ロダンはすでに不朽の名を歴史に刻んでいますが、彼は多くの誤解と中傷を受けながら、自らの芸術を深化させてきました。この本には、かたちを変えた詩の極意が語られています。
 言葉を超えたコトバとどのような関係をつむぐことができるのか、ロダンの言葉に導かれながら、皆さんと考えてみたいと思います。 (講師:若松英輔)

【講座時間】約90分
【テキスト】高村光太郎訳『ロダンの言葉抄』(高田博厚編・岩波文庫)
【受講料】★全3回まとめて
・書くワーク付き 18,150円 →<12%オフ>15,972円(税込)
・書くワークなし 13,200円 →<12%オフ>11,616円(税込)

『ロダンの言葉抄』は、いずれ下記の【高村光太郎書誌】で取り上げますが、昭和35年(1960)刊行の岩波文庫の一冊。大正期の『ロダンの言葉』『続ロダンの言葉』から、光太郎と交流のあった彫刻家の菊池一雄と高田博厚がセレクトして編み、高田の「解説」が附されています。『ロダンの言葉』系は正続合わせて10種類近くが刊行されていますが、現在でも新刊で入手が可能なのはこちらと、講談社文芸文庫版『ロダンの言葉』。ただ講談社さん版は店頭で見かけることがほとんどありませんが、岩波さん版は気の利いた新刊書店さんなら置いてありますし、こちらの方が分量も多く、お勧めです。

と、ここまで書いて岩波書店さんのサイトを調べたら、何と「品切れ」。まだ店頭に残っている場合があるかとは存じますが、重刷が待たれます。
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その岩波さん版をテキストとした若松氏の講座です。

他にも上記の通り、さまざまな分野、内容の講座が用意されています。ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)48 『アトリエにて』

昭和31年(1956)6月30日 新潮社 高村光太郎著
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目次
 アトリエにて
  日本芸術院のことについて 父との関係 荻原守衛 モデルいろいろ 生命の創造
  焼失作品おぼえ書
 わたしの青銅時代
 最後の本を前にして 尾崎喜八

雑誌『新潮』に昭和29年(1954)2月から没した直後の昭和31年(1956)5月まで、断続的な連載が為された「アトリエにて」全10回(一つの題で2~3回にわたった項もあります)に、昭和29年(1954)の雑誌『改造』に寄稿した「わたしの青銅時代」をプラスしたものです。光太郎と交流の深かった尾崎喜八が解説を執筆しました。その解説に「最後の本」という語が冠されているのがちょっとひっかかりますが(この後も追悼出版が続きますので)、「焼失作品おぼえ書」の最後の一枚が、発表されたものとしては絶筆になりましたので、そういう意味でしょう。

当会として最大のイベント、高村光太郎を偲ぶ連翹忌を、忌日である4月2日(木)、下記の通り実行いたします。今年は光太郎没後70周年ということで、節目の第70回連翹忌となります。お誘い合わせの上、ご参加下さい。

第70回連翹忌

日 時  令和8年4月2日(木) 午後5時30分~午後8時

会 場  日比谷松本楼 2階宴会場 千代田区日比谷公園1-2 tel 03-3503-1451㈹
     地下鉄日比谷線・千代田線・三田線 日比谷駅 A14 出口
     地下鉄日比谷線・丸ノ内線 霞ヶ関駅 B2 / B1A / B3A 出口 
     JR 山手線・京浜東北線 有楽町駅 日比谷口
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会 費  12,000円(含食事代金)

ご参加申し込みについて
  ご出席の方は、下記の方法にて3月22日(日)までにご送金下さい。
  会費ご送金を以て出席確認とさせていただきます。

  郵便振替 郵便局備え付けの払込取扱票にて郵便局よりお願いいたします。
  ATM、窓口にて取り扱い可能です。申し訳ございませんが手数料はご負担下さい。
   ゆうちょ口座 00100-8-782139  加入者名 小山 弘明
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  ご送金後、急なご都合等でご欠席の場合、3月30日(月)までにご連絡頂ければ、
  後日、返金いたします。

  参加料の当日お支払いも可能ですが、座席数確保、名簿作成のため、
  事前のお申し込み連絡をお願いいたします。

  複数名の方でご参加下さる場合、払込取扱票の通信欄等をご利用の上、
  参加なさる方全員分のご氏名をお知らせ下さい。

配布物について
  会場でパンフレット、チラシ等配付をご希望の方は、150部ほどご用意いただき、
  4月1日(水) 必着で下記までご送付下さい。
  当日、参加の皆様に配付いたし、残部は欠席の方等にお送りいたします。
  公序良俗に反するものでなければ特に光太郎智恵子に関わらないものでも結構です。
  当日ご持参いただく場合には午後4時頃までに会場受付にお持ち下さい。
  書籍、CD等の販売も可能です。

  〒100-0012 千代田区日比谷公園1-2 日比谷松本楼 連翹忌宛(必ず明記)

  当日、お時間に余裕がおありの方には配付資料の袋詰めのお手伝いをお願いたします。
  早めに会場にお越しいただき、ご協力下さい。
  当方、午後4時頃会場入りしております。会場都合により昨年より1時間遅らせました。

当日備考
     着座ビュッフェ形式にて執り行います。ドレスコードは特に設けておりません。
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当会名簿に名のある方には上記要項及び払込取扱票を今日明日には発送いたします。

基本的にはどなたにも門戸を開放しております。政治活動その他全く関係ない目的での申し込みはご遠慮いただきますが。

このところ毎年ほぼ70名余のご参加をいただいておりますが、概ね下記のような方々です。
 ・高村家御血筋に連なる皆さん
 ・生前の光太郎をご存じの方々(年々減っていますが)
 ・光太郎智恵子と交流のあった人々の御血筋に連なる皆さん
 ・光太郎智恵子と交流のあった人々の顕彰活動等をなさっている方々
 ・全国の文学館さん、美術館さん等にお勤めの方々
 ・出版/教育関係の方々
 ・美術・文学・音楽・芸能系等で光太郎智恵子を扱って下さっている方々
 ・単なる光太郎智恵子ファン(当方もそうです)

コロナ禍中の令和2年(2020)から令和4年(2022)までは、松本楼さんでの集いは中止、当方が代表して染井霊園の光太郎墓所に墓参することで1回とカウントいたしましたが、令和5年(2023)より旧に復し、松本楼さんに戻りました。ちなみに松本楼さんは、明治末に光太郎智恵子が「氷菓」を食し、また光太郎も中心メンバーの一人だった芸術至上主義運動「パンの会」会場としても使われたゆかりのお店です。
参加資格はただ一つ「健全な心で光太郎・智恵子を敬愛している」ことのみです。よろしくお願いいたします。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)47 『智恵子抄』

昭和31年(1956)7月15日 新潮社(新潮文庫) 高村光太郎著
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目次
 ――に 
或る夜のこころ おそれ 或る宵 郊外の人に 冬の朝のめざめ 深夜の雪
 人類の泉 人に 僕等 愛の嘆美 晩餐 樹下の二人 狂奔する牛 鯰 金 夜の二人
 あなたはだんだんきれいになる あどけない話 同棲同類 美の監禁に手渡す者 人生遠視
 風に乗る智恵子 千鳥と遊ぶ智恵子 値ひがたき智恵子 山麓の二人 レモン哀歌
 亡き人に 梅酒 荒涼たる帰宅 松庵寺 報告(智恵子に) 若しも智恵子が 元素智恵子
 メトロポオル 裸形 案内 あの頃 吹雪の夜の独白 噴霧的な夢 智恵子と遊ぶ 報告
 うた六首 智恵子の半生 九十九里浜の初夏 智恵子の切抜絵
 「悲しみは光と化す」 草野心平 覚え書 仝

昭和16年(1941)、龍星閣から出されたオリジナルの内容に、同時期の詩でありながら省いていたもの、さらに戦後の白玉書房版『智恵子抄』、『智恵子抄その後』所収のものなどを加えるなどの再編が為されています。

光太郎が没する直前の2月23日、新潮社の佐野英夫が光太郎の元を訪れ、文庫化の話を持ちかけました。光太郎としてはもはや自分で編むことは不可能と判断し、当会の祖・草野心平に託しました。

2度の改版を経て、現在でも版を重ねています。既に120版ぐらいは行っているようです。

正確にどの版からというのを解明していないのですが、昭和35年(1960)頃の版からカラー印刷のカバーがかけられるようになりました。
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カバーのデザインは昭和42年(1967)12月15日の第43刷での改版に伴い、智恵子紙絵画像が使われるようになります。

昨日は妻と共に栃木県佐野市へ行っておりました。レポートいたします。

まず向かったのが東石美術館さん。
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11年前に訪れた際には前身の佐野東石美術館という名称で、殺風景なビルの一角でしたが、一昨年にリニューアル。東石美術館さんを含む複合施設「東石スカイテラス」として生まれ変わりました。その名の通り、屋上は芝生の広がるテラスとなっており、前庭はイベントスペースとしても使用可。テラスに上がる階段が観覧席にもなる造りです。

メイン施設は東石美術館さん。
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こちらでは「令和八年第一回企画展 雪あかりと春のきざし」が開催中です。
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目玉の出品物の一つとしてポスターに画像が使われている狛犬が、光太郎の父・光雲の作です。顔の部分だけを拡大した獅子頭タイプはこれまでも各地で拝見しましたが、狛犬像は初めてでした。ちなみになぜか作品名が「狗犬」となっているのですが。

特に撮影禁止などの表示が見当たらなかったので、撮らせていただきました。
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像高一尺ほど。阿形の宝珠、吽形の角、それから双方の眼や爪牙、そして首飾りに金彩が施されていますが、それ以外は素の木肌で木目を実に上手く生かした造り。見事でした。360度で見られず、光雲の銘も視認出来なかったのが残念でしたが(銘を見ると単独作か工房作かある程度判断出来ます)。

他に光雲の一番弟子・山崎朝雲や、やはり光雲の系譜に連なる円鍔勝三らの彫刻、光雲に学んだ板谷波山の葆光彩磁、横山大観のナイアガラと万里の長城を描いた双幅の大きな屏風、喜多川歌麿(そういえば栃木とも縁がありました)や安藤広重の浮世絵など。
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眼福でした。

リニューアルされたもののそれほど大きな館ではなく、ちょっと物足りないなぐらいの感じが逆に良いと思いました。「これでもか、これでもか」と並べられるとお腹が一杯になり、結局は各出品物の印象が残らないというケースも多いので。

また、通常入館料は1,000円のところ、2人で行くと800円に割引。さらに今回の半券を次回に提示すればまた800円で入館可と、どこまで良心的なんだ、と思いました。

続いて、御朱印コレクターの妻のリクエストで、車で数分の佐野厄除大師さんへ。関東圏ではテレビCMもよく眼にします。
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分骨と言う定、かの田中正造翁の墓もあり「へ~」でした。また、佐野は「天明鋳物」と呼ばれる鋳造の町としても知られ、梵鐘は地元産だそうで。

帰ってから気づいたのですが、境内には石川啄木の歌碑もあったそうです。やはり足尾銅山の鉱毒事件にまつわるもので、社会問題にも意識高い系だった啄木ならではの歌ですね。

さらに道の駅マニアでもある妻の指示で、郊外の道の駅どまんなかたぬまさん。
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これまでに行ったどの道の駅よりも混雑していました。土曜ということもあったでしょうし、我々同様に佐野厄除大師さんからの流れという方も少なくなかったかもしれません。

ちょうど昼時になる頃でしたので、こちらで名物の佐野ラーメン。
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自分はチャーシュー麺、妻は野菜ラーメン。専門店でのそれには及ばないのかもしれませんが、十分に美味でした。

というわけで、佐野レポートを終わります。東石美術館さんの狛犬展示は3月24日(火)まで。ぜひ足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)46 『山の四季』

昭和31年(1956)5月20日 中央公論社 高村光太郎著
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目次

 山の四季
  山の雪 山の人々 山の春 山の秋 花卷温泉 みちのく便り 七月一日 年越し
  雪解けず 開墾 早春の山の花 季節のきびしさ 淋しさ知らぬ孤独 夏の食事
  十二月十五日
 工房にて
  制作現況 人体について 工房にて 美と真実の生活 書についての漫談 書の深淵
  黄山谷について
 回想録
 あとがき

この年4月2日に光太郎が没し、それまで単行書に収録されていなかった詩文等を集めた追悼出版的なものが相次いで出されますが、その第一弾。雑誌『婦人之友』、『婦人公論』などに載った戦後(特に花巻郊外旧太田村時代のもの)の随筆をまとめたものです。クレジットがありませんが、編集は「あとがき」を書いた当会の祖・草野心平でした。

この季節、この手の公演が少ないのでありがたいところです。神奈川県から朗読の公演情報です。

朗読スペース・春の公演

期 日 : 2026年2月27日(金)
会 場 : 文化創造拠点シリウスマルチスペース 神奈川県大和市大和南1丁目8番1号
時 間 : 14:00~
料 金 : 無料

時は春 日は朝(あした) / R・ブラウン作、上田敏訳「春の朝」。山村暮鳥は/おおい雲よ/と、みちのくの空に、おのが心の在り様をゆったりと広げる。「レモン哀歌」「落葉」など、「アンソロジー四季の詩歌」19篇。「枕草子」は清少納言が里住まいのつれづれと中宮とのやりとりなどを個性豊かに綴る。「春はあけぼの・・・むらさきだちたる雲の・・・」に始まり、エピローグを含めいくつかの段を抽き出し現代文と共に紹介します。
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ただ、ネット上にあまり詳しい情報が出ていませんで、出演者の方など不明ですが、ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)45 『詩集 天上の炎』

昭和30年(1955)6月15日 新潮社(新潮文庫) 高村光太郎訳
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目次
 未来(序詩) 新しい都 昔の信仰 私の眼よ 誇 機械 熱烈な生活 港の突堤で
 今日の人に 健康 死者 問題 機会 トンネル 波止場で 私の都 わが友風景 木蔦
 東西南北 森 花の方へ 並木の第一樹 散歩 或る夕暮の路ゆく人に 私の集(題跋詩)
 ヴェルハアラン
 解説(金子光晴)

金子光晴による解説も含め、昭和28年(1953)に出た創元文庫版とほぼ同一の内容です。ただし、創元文庫版にあった、F・ヴァロトンによるヴェルハーラン肖像画の口絵は割愛され、逆に光太郎による評伝「ヴェルハアラン」(昭和8年=1933 原題「ヹルハアラン」)が追補されています。

なぜ立て続けに複数社から文庫化されたのか、そこは不明です。

昨日、途中まで書いて保存しておいた状態だったのを投稿してしまっていました。夕方になって削除したのですが「なんだこりゃ?」と思われた方、すみません。

あらためまして、この時期、中高大その他、入学試験がたけなわです。

そんな中、関西大学さんの日本史の問題に、光太郎の父・光雲が取り上げられました。
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(6)が、上野の西郷隆盛像制作の中心となった人物を問う穴埋め問題で、光雲の名が入ります。

予備校の先生によると思われる「評」が以下の通り。
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やや細かい知識が問われた」。常識の範疇かなと思っていましたが、確かに西郷像に関わるSNS投稿等には、「作者は高村光雲だったんだ、意外」といった文言も見られます。特に関西圏以西の方々にとってはこの像そのものが身近な存在ではないせいかもしれません。
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画像は像の鋳造完成後、西郷の故郷・鹿児島に移されて保存されていた木彫原型です。惜しくも太平洋戦争による空襲で焼け落ち、現存しません。

それでも「「老猿」などの作品でも知られる彫刻家」とヒントが書かれていますので、「高村光雲」とすぐ解るのではないかと思われます。「老猿」は中学校の歴史の教科書に出て来ます。
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上画像は平成27年(2015)検定、同28年(2016)発行の東京書籍さん中学生向け歴史教科書。裏表紙に「老猿」があしらわれています。

ちなみに表紙には智恵子が表紙絵を描いた『青鞜』も小さく。
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現行のものはデザインが変わってしまい、表紙/裏表紙にこれらの画像は含まれていませんが、本文では双方しっかり載っています。

関西大さんの入試に戻りますが、他に選択肢で彫刻家は「キ」に荻原守衛、「フ」で平櫛田中。逆に「平櫛田中って誰?」という声が聞こえそうですが。そう考えるとこの問題の正答率は高かったように思われますが、どうでしょうか。

それから今年は私立中学校の入試に、光太郎が取り上げられました。横浜市にある捜真女学校さん中学部の問題です。先週、ネット上にPDFファイルがアップされました。大問ひとつ丸々使われており、問題文が昨年2月2日の『朝日新聞』さん一面コラム「天声人語」。光太郎詩「道程」(大正3年=1914)をネタにしたものでした。

PDFファイルで読んで、なかなかよくできた問題だな、と思っていたのですが、なぜか程なく削除されてしまいました。出た時点でスクリーンショットを取っておけばよかったのですが……。ただ、いまだに検索エンジン上に痕跡が残っていまして、そこから小問一つのみ復元できました。

筆者が冬の雪景色を高村光太郎の「道程」と重ねて想像した理由としてふさわしいものを次の. ア. ~. エ. の中から一つ選び、記号で. 答えなさい。
 ア. 冬の寒さの厳しさが、努力の大変さや 決断することの難しさにたとえられたから。
 イ. 雪が積もった道の美しさが、作品の舞台にふさわしいと思えたから
 ウ. 新しい雪を一人で踏みしめて進む姿が、人生を切り開く決意と重なったから。
 エ. 降り積もった雪が、未来へ続く道しるべのように感じられたから。

どれを正解としても大間違いではないような気がしますが、まぁ「ウ」なのでしょう。

ちなみに捜真女学校さん、かつてかの小倉遊亀が美術教師として教壇に立っていたそうで。

ところで入試というと、昨年の今ごろ、大学入試共通テストにやはり「老猿」が取り上げられたよ、という記事を書きました。その際に貼り付けた画像が違ってるよ、と、つい最近コメント欄からご指摘がありました。慌てて訂正しました。面目ありません。

最初に書いた通り、入試たけなわ。公立高校などはこれからがピークですね。またどこかで光太郎智恵子、光雲が取り上げられてほしいものです。

常々思っていますが、歴史上の主な事項や主要(と思われる)人物の事績などは、受験に向けての知識というよりこの国に生きる人間としての教養として身につけておくべきものだと思います。あまりに細かいところまでは別として、ですが。昨今、あまりにも歴史に学んでいない言動を多く耳にしますので……。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)44 『ヴェルハアラン詩集』

昭和28年(1953)12月25日 創元社 高村光太郎訳
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目次
 フラマンド
  パン焼
 路傍
  たとへ
 錯覚の村村
  風
 生活の相貌
  海に向つて
 沸きかへる力
  わが人種 不可能 朝 砂浜で
 無量の壮麗
  空をたたふ 思想家 風を称ふ 吾家のまはり
 至上律
  ミケランジユ
 波うつ麦
  田舎の対話(六番) 燃える娘(村の唄) あけ渡せ(村の唄)
 全フランドル平原
  種馬 農家の庭
 小伝説
  小さな聖母(五月) サンジヤンさま(六月)
 天上の炎
  今日の人に 死者 東西南北 或る夕暮の路ゆく人に
 戦争の赤い翼
  一九一五年の春 病院 葬式
 あとがき 真壁仁

ベルギーの詩人、エミール・ヴェルハーレン(1855~1916)の翻訳です。主な詩集から光太郎がセレクトし、大正から戦前にかけてさまざまな雑誌などに発表したものの集成で、この時点での新たな訳は含まれません。

4月に都内で行われる演劇公演に向け、出演者の募集が為されています。

朗読劇「ほんとの空・青い空」女性キャスト募集

 来る2026年4月9日(木)〜12日(日)シアター風姿花伝にて公演の朗読劇「ほんとの空・青い空」にご出演いただける女優の皆様を広く募集致します。
 本作は2020年に全国のコミュニティFMで放送したラジオドラマを朗読劇用に加筆してリメイクしたものになります。
 昭和19年〜20年・平成25年・令和8年の3年号を4世代にわたって描く平和と希望をテーマにしたファミリーヒストリーです。
 この作品の柱となる太平洋戦争中の女学校に通う女学生と、この女学校に通った主人公の孫で平成の女子大生の友人たちを募集します。メインキャストなどの詳細はSMASH ENTERTAINMENTの公式Xですでに公開しています。

オーディションのスケジュール
 2月23日募集締め切り 書類通過の方に連絡 必要に応じて面接・朗読オーディション
 2月末日出演者決定

合格後のスケジュール
 3月30日(月)夜間顔合わせ  3月31日(火)稽古開始(平日夜間・土日午後夜間)
 4月8日(水)劇場入り      4月9日(木)〜12日(日) 本番(全6公演)

オーディション参加費
 なし

合格後にかかる費用
 稽古場・劇場までの交通費と期間中の食費(自己負担) その他負担なし

報酬や給与、賞金や賞品、手当など
 報酬:チケットバック制 1枚目から1500円バック ノルマはありません。

応募資格
 プロ・アマ不問
 応募対象者は18歳から30歳くらいまでの女性
 昭和女学生・平成女子大生役の相応に見える方

応募方法
 メールにてご応募ください。
 メールの件名:ほんとの空・青い空 オーディション応募
 本文:送り主様の氏名・会社名・住所・連絡先・応募者の氏名を明記
 添付:全身&バストアップ写真・応募者プロフィール(ひとりにつき3MB未満)
 送り先アドレス:smash@itoa.co.jp
 締切:2020年2月23日(日)
 書類選考後2月25日までに必要に御応じて面接・朗読オーディション
 日時・場所は書類通過者のみに連絡

お問い合わせ
 smash@itoa.co.jp
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元になったラジオドラマは令和2年(2020)にオンエアされたもので、「仮面女子 雪乃しほりのワクワクサワー」という番組の中ででした。現在はメインパーソナリティーの交替に伴い「みんなあつまれ!ワクワクサワー」と改題されています。

その際のタイトルは「ほんとうの空・青い空」と、「う」が入っていましたが、今回は「う」が無くなり「ほんとの空・青い空」。本来、光太郎が詩「あどけない話」に書いた文言は「う」の無い「ほんとの空」ですので、正しく訂正されたわけです。さらに「加筆してリメイク」だそうで。ただ、どの程度「あどけない話」オマージュになっているのか、何ともいえませんが。

オーディション応募の条件として「昭和女学生・平成女子大生役の相応に見える方」だそうです。突っ込みどころがありますが(笑)、我こそはと思う方、ぜひどうぞ。

公演の詳細に関してはまた近くなりましたらご紹介します。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)43 『詩集 天上の炎』

昭和28年(1953)2月15日 創元社(創元文庫) エミイル・ヹルハアラン著 高村光太郎訳
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目次
 未来(序詩) 新しい都 昔の信仰 私の眼よ 誇 機械 熱烈な生活 港の突堤で
 今日の人に 健康 死者 問題 機会 トンネル 波止場で 私の都 わが友風景 木蔦
 東西南北 森 花の方へ 並木の第一樹 散歩 或る夕暮の路ゆく人に 私の集(題跋詩)
 解説(金子光晴)

ベルギーの詩人、エミール・ヴェルハーレン(1855~1916)の詩集の翻訳です。

光太郎訳のオリジナルは大正14年(1925)に新しき村出版部からハードカバーで刊行され、さらに昭和26年(1951)には白玉書房版のペーパーバックも出ています。そして文庫本化が為されました。

解説を金子光晴が書いています。

北の大地から特別展情報です。

開館30周年特別展「文学館コレクションの輝き」

期 日 : 2026年1月31日(土)~3月22日(日)
会 場 : 北海道立文学館 札幌市中央区中島公園1番4号
時 間 : 9:30~17:00
休 館 : 月曜日 ただし2月23日(月・祝)は開館し、2月24日(火)休館
料 金 : 一般500(400)円、高大生250(200)円 中学生以下・65歳以上無料
      *観覧料のうち( )内は10名以上の団体料金

1966年の最初の北海道文学展以来、連綿と続けられてきた収集活動。現在の資料点数は38万点を超えます。 原則、分野別・作家別などに分類され配架される資料ですが、中には収蔵時のまとまりを保ちそれぞれの特色を存分に発揮しているものもあります。 装幀の美しい本が揃う蘭繋之文庫、作家の書斎を覗いたような船山馨文庫、北海道文学論考の基礎資料が集まる小笠原克文庫……。 本展では「〇〇文庫」「〇〇コレクション」などと称されるそれらの資料群に光を当て、文学の魅力を掘り下げていきます。意外性のある資料との出会いもお楽しみに。

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関連行事
 講演会「『声』から探る近代文学―昭和初期の自作朗読を聴く」
  日時 2月23日(月・祝)14:00~15:30
  当館講堂(聴講無料)  講師 新井高子(詩人)
  定員 60名 2月10日(火)9:00から電話受付(要申込、先着順)
 ギャラリーツアー
  日時 2月14日(土)、21日(土)、3月7日(土)、14日(土)、21日(土)
  いずれも11:00~約40分 特別展示室  ご案内 当館学芸員
  定員 先着約10名 当日自由参加 ※観覧券をお求めの上、展示室入口へ。
 ミニ解説&朗読会
  学芸員による10分間ミニ解説後の朗読
  日時 2月18日(水)、28日(土)、3月4日(水)、11日(水)、18日(水)
  いずれも11:00~約40分 特別展示室
  朗読作品
   (順不同) 萩原朔太郎「猫町」/三浦綾子「銃口」より一部/船山馨「笛」/
   小笠原克「北海道 風土と文学運動」より一部/森田たま「石狩少女」より一部
  定員 先着約30名 当日自由参加 ※観覧券をお求めの上、展示室入口へ。
 講座「コレクションを語る」
  日時 3月15日(日)14:00~15:00
  当館講堂(聴講無料)  ご案内 当館学芸員
  定員 60名 3月1日(日)9:00から電話受付(要申込、先着順)

館蔵資料のうち、肉筆もの、稀覯本など含む、まとめて寄贈されたコレクションにスポットを当てての展示だそうです。

公式サイトに出品リストは出ていませんが、光太郎の第一詩集『道程』(大正3年=1914)も出ているとのこと。地元紙『北海道新聞』さんの報道で知りました。ネット上ではリード文的なところしか読めませんが。

初版本、直筆稿…寄贈資料で作品に光 道立文学館で開館30周年特別展「文学館コレクションの輝き」

北海道立文学館(札幌市中央区中島公園)が作家や収集家からまとめて寄贈を受けた資料に光を当てた開館30周年特別展「文学館コレクションの輝き」が、同館で開かれている。詩人で彫刻家、画家の高村光太郎の初詩集「道程」(1914年)の初版本や、札幌出身の小説家船山馨(14~81年)の代表作「石狩平野」の自筆原稿など貴重な資料が並ぶ。
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小説家船山馨の代表作「石狩平野」の自筆原稿や親友の佐藤忠良が描いた口絵原画などが並ぶコーナー

同館では大正3年(1914)の『道程』を二冊お持ちで、一冊は通常のもの、それからもう一冊は白布装の異装本。こちらには光太郎自筆の書き込みも為されています。それらは一昨年に開催された特別展「100年の時を超える ―〈明治・大正期刊行本〉探訪―」で展示されました。今回も2種類出しているのかどうかは不明ですが。

どちらも今回のコンセプトであるまとめて寄贈されたコレクション中の「高橋留治文庫」に含まれています。「北海道拓殖銀行に勤める傍ら詩書を愛読した高橋留治氏(1911(明治44)年-1984(昭和59)年)が遺した膨大なコレクション」だそうで。高橋氏は、光太郎と交流の深かった詩人・宮崎丈二の研究もなさっていて、『評伝 無冠の詩人 宮崎丈二――その芸術と生涯――』(昭和49年=1974 北書房)という著書もおありでした。そこで同館ではやはり「高橋留治文庫」中の資料を中心に、平成28年(2016)には「文学館の中の美術―宮崎丈二」が開催されたりもしています。

公式サイトに出品リストは出ていませんが、フライヤーで紹介されているいわば「目玉」は、以下の通り。

・「北海道国郡全図」松浦開拓判官阿部弘(松浦武四郎) 明治2年(1869)
・船山馨自筆原稿「石狩平野」 昭和40年(1965)頃
・小笠原克『北海道 風土と文学運動』 昭和53年(1978)
・宮沢賢治『春と修羅』 大正13年(1924)
・蘭繁之によって作られた豆本全422集の内の一部 


このうち賢治の『春と修羅』も「高橋留治文庫」に含まれるものです。

関連行事も充実していますね。

ぜひ足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)42 『みちのくの手紙 ―高村光太郎書簡集』

昭和28年(1953)2月5日 中央公論社 宮崎稔編
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目次
 昭和二十年 昭和二十二年 昭和二十三年 昭和二十四年 あとがき
 口絵写真 高村光太郎


姻戚だった茨城在住の詩人・宮崎稔が、自身や父で素封家だった仁十郎、妻・春子(智恵子の姪)に宛てた光太郎書簡を活字にしたものです。

収められているのは昭和20年(1945)と、同22年(1947)~24年(1949)のもの。抜けている21年(1946)と25年(1950)以後のものもあるのですが、採録されませんでした。その理由は不明です。

昭和22年(1947)の歌集『白斧』もそうでしたが、光太郎はこの出版に不同意。したがって奥付に光太郎の名は記されていません。それでも宮崎は強引に刊行に踏み切りました。こうした点が光太郎にとっては悩みの種の一つで、『高村光太郎全集』別巻の年譜では、当会顧問であらせられた北川太一先生、宮崎が没したこの年4月27日の項に「何かと光太郎の身辺を案じ、一面では光太郎の心労の一因でもあった宮崎稔が胃潰瘍による吐血の末、四十三歳で没した」と書きました。

過日、2月15日(日)に信州安曇野市で開催予定の「高校演劇部発表会 青春ドラマシアター2026」についてご紹介しましたが、同市には光太郎彫刻が常設展示されている碌山美術館さんがあるよ、ということでリンクを貼り付けました。

その作業の際に、久々にサイトを覗いてみたところ、同館発行の今年のカレンダーに光太郎作品2点の写真が使われていると知り、慌てて注文たところ、昨日届きました。

届いたのがこちら。
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A3版厚手の紙で、表紙的なのを含め各月1枚の全13枚。無綴です。一昨年の同館カレンダーはA4横版の冊子タイプだったので、この変更には驚きました。

いきなり1月と、それから11月が光太郎作品。
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左は11月で、光太郎絶作の「倉田雲平胸像」。右が1月で、「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の中型試作です。

他のラインナップは以下の通り。
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当然、碌山荻原守衛の作品が中心ですが、守衛と直接交流があった光太郎、戸張孤雁や、やや遅れての笹村草家人と喜多武四郎、さらにほぼ現代の基俊太郎の作品が取り上げられています。全て彩色されていないものですので、モノクロ写真で十分その魅力が伝わってきます。

圧巻はやはり守衛の代表作「女」かな、という気がします。
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それから表紙的な1枚にあしらわれた、今井兼次設計になる本館・碌山館の尖塔部分もいい感じですね。

商品詳細、以下の通りです。

2026年碌山カレンダー

1月始まり・A3サイズ  150冊の限定販売品です

価格1,900円(税込)  別途:送料660円+払込手数料

碌山作品をメインに当館の収蔵作品を掲載しております。表紙、背表紙を含め14枚、すべてモノクロ写真。お好きなクリップに挟んでご掲示ください。(本品にクリップは付属されておりません)

商品のお問い合わせはこちら

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ぜひお買い求め下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)41 『智恵子抄』特装版 

昭和27年(1952)9月30日 龍星閣 高村光太郎著
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目次
 人に             明治四十五年七月
 或る夜のこころ        明治四十五年八月
 おそれ            明治四十五年八月
 或る宵            大正元年十月
 郊外の人に          大正元年十一月
 冬の朝のめざめ        大正元年十一月
 深夜の雪           大正二年二月
 人類の泉           大正二年三月
 僕等             大正二年十二月
 愛の嘆美           大正三年二月
 晩餐             大正三年四月
 樹下の二人          大正十二年三月十一日
 狂奔する牛          大正十四年六月十七日
 鯰              大正十五年二月五日
 夜の二人           大正十五年三月十一日
 あなたはだんだんきれいになる 昭和二年一月六日
 あどけない話         昭和三年五月十日
 同棲同類           昭和三年八月十六日
 美の監禁に手渡す者      昭和六年三月十二日
 人生遠視           昭和十年一月二十二日
 風にのる智恵子        昭和十年四月二十五日
 千鳥と遊ぶ智恵子       昭和十二年七月十一日
 値ひがたき智恵子       昭和十二年七月十二日
 山麓の二人          昭和十三年六月二十日
 或る日の記          昭和十三年八月二十七日
 レモン哀歌          昭和十四年二月二十三日
 荒涼たる帰宅         昭和十六年六月十一日
 亡き人に           昭和十四年七月十六日
 梅酒             昭和十五年三月三十一日
 うた六首                         
 智恵子の半生         昭和十五年九月
 九十九里浜の初夏       昭和十六年五月
 智恵子の切抜絵        昭和十四年一月 

「乙女の像」制作のため、光太郎が帰京した記念という今一つよく分からないコンセプトで発行されました。この頃、出版界では一種の限定本ブームが起こっており、その流れに乗ってのものでしょう。

内容、紙型は前年に刊行された「新版」と同一ですが、二重函で内函は布装、表紙は羊皮、限定200冊ということになっています。しかも外函には「百七拾冊製本、参拾冊廃棄」と書かれており、世に出た冊数はそんなものだったようです。

定価は通常の版が180円だったのに対し、こちらは1,500円でした。

よくある図書館さんでのミニ展示情報です。直接は光太郎に関わりませんが。

今月の展示 「種をまく」

期 日 : 2026年2月3日(火)~2月12日(木)
会 場 : さいたま市立中央図書館 さいたま市浦和区東高砂町11-1 (コムナーレ8階)
時 間 : 午前9時~午後9時
休 館 : 期間中無休
料 金 : 無料

節分が過ぎれば、暦の上では春。まだまだ寒い日が続きますが、暖かくなって種蒔きの時期が来る前に、種について学んでみませんか。

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配付されているリーフレットだと思うのですが、PDFが公開されていました。3ページ目に光太郎の名。

「種まく人」と社章 
 昭和8年12月から、出版社の岩波書店はミレーの〈種まき〉によるマークを使用している。創業者の岩波茂男が農家の出であることなどが理由とされ、文化の種を蒔くという意味も込められている。 
 なお、岩波茂男はマークに使うためのメダル作りを詩人で彫刻家の高村光太郎に依頼したが、その出来栄えが気に入らず、別の人が描いたものがマークに使用された。その後、岩波書店30周年に、再度鋳造された高村のメダルが贈られ、高村の没後には広告などに用いられている。 
参考資料 『岩波書店七十年』、『高村光太郎選集別巻』 

問題のメダルはこちら。
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以前にも書きましたが、光太郎自身の回想が残っています。

 直径五寸、石膏型。(略)これは岩波茂雄さんにたのまれて作つたものだが、結局は岩波さんの気に入らないで、私がひきとつて持つてゐたものである。戦争がまだあまり烈しくなかつた頃だと思ふが、或日岩波さんがきて店のマークにするのだからミレーの種まく人をメダルに作つてくれといふことだつた。頭や手がメダルの円の外へはみ出しても構はないから、のびのびと作つてくれといふ。私も面白いと思つて、ニユーヨークのメトロポリタン美術館にある種まき絵を原本にして直径五寸の粘土メダルを作り、それを石膏型にして根津に居たメダル縮圧工作家にたのんで洋服の胸につけるバツジ大にプレツスしてもらつた。ところがこれを岩波さんの店に届けると物議がおこつた。種まきの人物があまり威勢がよく、かぶつてゐるおかま帽がまるで鉄かぶとのやうに見え、総体に軍国調のにほひがするといふことであつた。さういはれてみると、あの農夫のおかま帽はその頃みなのかぶつてゐた鉄かぶとじみてゐるのに気づき、私も苦笑してこれは止すことにした。その後岩波さんは誰かにたのんで、もつとおだやかな種まく人を描いてもらひ、それを店のマークにして岩波文庫はじめ其他の出版物に用ゐ、今日でもつづいてゐる。バツジに作つたかどうかは知らない。私は石膏の原型を引きとつて、アトリエにぶらさげて置いたが、これも焼けた。
(「焼失作品おぼえ書」 昭和31年=1956)

光太郎が引き取った原型以外に、鋳造のために取った原型が残っていたのでしょう。新たに贈られたメダルを元にしたというエッチングが、現在でもロゴとしていろいろなところで使用されています。
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ちなみにエッチングについて光太郎は「その後岩波さんは誰かにたのんで、もつとおだやかな種まく人を描いてもらひ、それを店のマークにして岩波文庫はじめ其他の出版物に用ゐ、今日でもつづいてゐる」と書きましたが、その「誰か」は画家の児島喜久雄という情報を得ています。ただ、まだよく分からない感じでして、もう少し調べてみます。

情報をお持ちの方はご教示いただけると幸甚です。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)40 『道程』復元版 

昭和26年(1951)7月15日 角川書店(角川文庫) 高村光太郎著
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目次
 一九一〇年
  失はれたるモナ・リザ 生けるもの 根付の国
 一九一一年
  画室の夜 熊の毛皮 人形町 甘栗 庭の小鳥 亡命者 鳩 食後の酒 寂寥 声 風
  新緑の毒素 頽廃者より 「河内屋与兵衛」 髪を洗ふ女 「心中宵庚申」 夏 なまけもの
  手 金秤 はかなごと めくり暦 地上のモナ・リザ 葛根湯 夜半 けもの あつき日
  父の顔 泥七宝 ビフテキの皿
 一九一二年
  青い葉が出ても 赤鬚さん あをい雨 友の妻 ――に 夏の夜の食慾 或る夜のこころ
  おそれ 犬吠の太郎 さびしきみち カフエにて 梟の族 冬が来る カフエにて
  或る宵 夜 狂者の詩 郊外の人に 冬の朝のめざめ カフエにて 師走十日 戦闘
 一九一三年
  人に カフエにて 深夜の雪 人類の泉 山 よろこびを告ぐ 現実 冬が来た 冬の詩
  牛 僕等
 一九一四年
  道程 愛の嘆美 群集に 婚姻の栄誦 万物と共に踊る 瀕死の人に与ふ 晩餐
  五月の土壌 淫心 秋の祈
 解説 草野心平

昭和22年(1947)に札幌青磁社から出た『道程』復元版を文庫化というコンセプトです。仕掛け人はおそらく解説を執筆した当会の祖・草野心平。

この後、文庫本ブームが起きたのに伴い、光太郎の旧著が相次いで文庫化されていきます。

手持ちのものは昭和30年(1955)1月15日の9版でした。

現在、花巻高村光太郎記念館さんで開催中の高村光太郎花巻疎開80年企画展「光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」につき、先月の地元紙『岩手日報』さんに続き、やはり地元紙の『岩手日日』さんが報じて下さいました。

花巻ゆかり 2人に焦点 高村光太郎記念館 賢治全集、写真展示

 詩人、童話作家の宮沢賢治(1896~1933年)と、彫刻家で詩人の高村光太郎(1883~1956年)の関わりに焦点を当てた企画展は、花巻市太田の高村光太郎記念館で開かれている。
 賢治を世に広めるために光太郎が果たした役割などを資料で紹介し、花巻にゆかりある両偉人の人生が交錯した軌跡をたどる。3月31日まで。
 光太郎と賢治は、東京の光太郎のアトリエで1度だけ面会した。賢治没後の34(昭和9)年、東京で開かれた賢治追悼の会に賢治の実弟・清六が「雨ニモマケズ」の記された手帳を含む遺稿を持ち込み、これに光太郎をはじめとする著名人が感銘を受けた。それから全集刊行の動きが起こり、光太郎と詩人草野心平の手により同年、「宮沢賢治全集」(全3巻)が初めて文圃堂から刊行された。
 高村光太郎花巻疎開80年企画展「光太郎と賢治-宮沢賢治全集ができるまで」と銘打った同展では、最初の全集に加え、宮沢賢治全集全7巻(十字屋書店)、宮沢賢治文庫全7巻(日本読書組合)、宮沢賢治全集全11巻(筑摩書房)、光太郎揮毫(きごう)の書軸「東ニ病気ノ母アレバイッテ看病シテヤリ」、花巻で過ごす光太郎の写真などを展示。編さん者の一員として関わった賢治の友人の藤原嘉藤治の生涯や、光太郎、嘉藤治、清六の関係性にも触れている。
 展示している全集は、いずれも光太郎が編集や装幀作業に関わっており、自ら書きつづった題字や表紙の印刷についての所感も残されている。
 同展は市が主催。監修した高村光太郎連翹(れんぎょう)忌運営委員会の小山弘明代表は「賢治を世の中に出す大きな力になった一人が光太郎。2人をつないだ草野心平、清六、そこを埋めた嘉藤治らにより、賢治の作品が現在も読まれているということを知ってもらいたい」と意義を語る。
 今月21日午前10時からは、同市大通りのなはんプラザで小山代表、宮沢和樹林風舎代表取締役、瀬川正子共同園芸取締役によるトークイベントを開催する。参加無料。

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取材を受けたのは昨年12月でして、その折には「年内には記事にしたい」ということでしたが、一昨日に掲載されました。感触としては、記者氏、全くといっていいいほど賢治と光太郎の関わりをご存じなく、実に興味深そうで、「こりゃベタ記事にはするべきでない」と考えられたようで、お渡しした50ページほどの冊子資料を読み込まれてから大きく取り上げて下さったようです。ネット上ではリード文部分のみの公開となっていますが。

冊子資料は同館で販売されているかどうか(いろいろ面倒な事情がありまして)。記事の最後にあるトークイベントの際には大々的に売られると思われます。
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ぜひ足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)39 『独居自炊』 

昭和26年(1951)6月15日 龍星閣 高村光太郎著
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目次
 独居自炊
 子供の頃
  父光雲のこと 母と姉 父の道をついで
 姉のことなど 母のこと 美術学校時代 彫刻家ガツトソン・ボオグラム氏
 ロダンの手記談話録 七月の言葉 一夏安居の弁 「道程」について 自分と詩との関係
 小刀の味 生きた言葉 触覚の世界 自作肖像漫談 へんな貧 春さきの好物 雷ぎらひ
 しやつくり病 ほくろ 悠久山の一本欅 谷中の家 二世代 蟻と遊ぶ 日記より
 がんがん三つ口 新茶の幻想 三十年来の常用卓 智恵子のにひ盆

光太郎エッセイ集としては2冊目。ただし戦時中の昭和18年(1943)、同じ龍星閣から出た『某月某日』とかなりの部分がかぶっています。

昨日、光太郎ゆかりの地・宮城県女川町の話題で『石巻かほく』さんの記事をご紹介しましたが、系列の『河北新報』さんが一面コラムで昨年12月に光太郎の名を出して下さっていました。見落としていました。

河北春秋(12/5)009

正直は美徳だと思っていた。通用しない世界があるようだ。台湾有事を巡る高市早苗首相の発言に中国の反発が収まらない。「武力の行使を伴うものであれば存立危機事態になり得る」。つい本音が出てしまった▼台湾は民主主義が根付き、独自の統治機構がある。東日本大震災では多大な支援を頂いた。武力行使はあってはならない。ただ中国にも立場がある。1972年の日中共同声明で中国は「台湾は領土の不可分の一部」と表明し、日本は「十分理解し、尊重」すると応えた▼歴代政権が台湾問題にあいまいな表現を戦略的にとり続けたゆえんだ。とかく世論はリーダーに力強さを求め、物事に黒白をつけたがる。84年前の太平洋戦争前夜もそうだった。斎藤茂吉や高村光太郎、志賀直哉…。名だたる知識人が開戦の一報に快哉(かいさい)を叫んだ▼政治学者の中西輝政さんは、どちらにも決まらぬ気持ち悪さに延々と耐え抜くことが世界史に大をなす国の必要条件と指摘する。秘すれば花である。尖閣諸島も対立必至の国有化は避け、したたかに権益を保全する手があったのではないか▼外交は相手国と51対49を争う。完勝はない。首相は内輪受けする威勢のよさではなく、冷徹さと誠実さを併せ持ち、日本の国益と東アジアの平和を守り抜いてほしい。(2025・12・5)

2ヶ月前のものですが、事態は好転どころか、悪化の一途を辿っていますね。10月初めに自民党総裁選が行われ、明日はこの時期としては異例の衆議院選挙。総裁選前から続く政治的空白は4ヶ月以上に及び、物価高や円安、旧統一協会の問題など喫緊の課題がなおざりになったままです。逆にコラムでも取り上げられている問題発言など、余計なことばかり。ちなみに衆議院解散に伴って、審議中だったりした法案が何と74本も廃案となったそうで。永らく議論されてきた選択的夫婦別姓法案や、先の参院選で問題となった企業・団体献金を規制する政治資金規正法改正案もです(まぁ、74本の中にはギャグとしか思えない「ナントカ損壊罪」についても含まれるようですが)。ついでに言うなら来年度予算の編成にも大きく影響します。

さらに嘆かわしいのが、平和憲法を軽視し、息を吐くように嘘を吐き、G7や党首討論で敵前逃亡を繰り返す騒動の当事者やその取り巻きをもてはやす声の多さ。まさに戦前の我が国を彷彿とさせるという論評がありますが、その通りですね。

過日ご紹介した小関素明氏著『「大東亜戦争」幻想化と「戦争責任」の精神史 擬態に対峙する詩人たち』は、そのあたりで非常に示唆に富むものでした。昭和16年(1941)の太平洋戦争開戦直前、日中戦争の泥沼化、対日禁輸による各種の統制などで日本全体が包まれていた閉塞感に、開戦の詔勅や報が風穴を開け、これから訪れるであろうさらなる苦難の日々に思いを馳せることなく、ほとんどの国民がある種の開放感に包まれていたというものです。

コラムに名が上げられている通り、光太郎もその急先鋒の一人でした。同書では12月8日当日、大政翼賛会中央協力会議に参加していた光太郎の随想「十二月八日の記」が引用されています。

 時計の針が十一時半を過ぎた頃、議場の方で何かアナウンスのやうな声が聞えるので、はつと我に返つて議場の入口に行つた。丁度詔勅が捧読され始めたところであつた。かなりの数の人が皆立つて首をたれてそれに聴き入つてゐた。思はず其処に釘づけになつて私も床を見つめた。聴きゆくうちにおのづから身うちがしまり、いつのまにか眼鏡が曇つて来た。私はそのままでゐた。捧読が終ると皆目がさめたやうに急に歩きはじめた。私も緊張して控室に戻り、もとの椅子に坐して、ゆつくり、しかし強くこの宣戦布告のみことのりを頭の中で繰りかへした。頭の中が透きとほるやうな気がした。
 世界は一新せられた。時代はたつた今大きく区切られた。昨日は遠い昔のやうである。現在そのものは高められ、確然たる軌道に乗り、純一深遠な意味を帯び、光を発し、いくらでもゆけるものとなつた。
 この刻々の瞬間こそ後の世から見れば歴史転換の急曲線を描いてゐる時間だなと思つた。時間の重量を感じた。

ちなみに光太郎はこの頃の自分の愚かさを戦後になってしっかりと反省し、7年間もの過酷な蟄居生活を送ることとなります。

他の文学者たちのそれも紹介されています。

 今こそ全文化を目的意識と観念的規定の室から出して、凛然たる外気に当て、自然のままに生きてゆくものだけを生育せしめるやう、純粋化し、淘汰せねばならぬ。
 かういふ時期にこそ、文学には「文」の領域があることをはつきり認識することが出来る訳だ。今までのやうに「軍」や「政治」に追従してゐたのから去つて、明確に己が本然の使命の下に、今日の栄えある国民的試練の時を自力で生きてゆかなければならぬ。(河上徹太郎)

 本日みたいにうれしい日はまたとない。うれしいといふか何といふかとにかく胸の清々しい気持だ。(略)宣戦の大詔を三度聞き三度読んだ。(黒田三郎)

 涙が流れた。言葉のいらない時が来た。(坂口安吾)

 ふと、自分は、ラジオを聴く前と、別人になつてゐるやうな気がした。(略)一間も二間もある濠を、一気に飛び越えたやうな気持がした。(獅子文六)

 それを、ぢつと聞いてゐるうちに、私の人間は変わつてしまつた。強い光線を受けて、からだが透明になるやうな感じ、あるひは、聖霊の息吹きを受けて、つめたい花びらを胸の中に宿したやうな気持。日本も、けさから、ちがふ日本になつたのだ。(太宰治)

 まつたく一日として神経の安まる日はないのであつた。私たちは今の言葉でいふ、ノイローゼになつてゐた。これ以上、こんな緊張の日々が続くのは耐へられない。そこへもつて十二月八日の太平洋開戦だ。なにはとまれ、これでどつちかへ片づく。ヤレヤレといふ気もちであつた。(徳川夢声)

 十二月八日、大詔が渙発せられ、米英との国交が断絶せられた事は、生をこの聖代にうけたものの真に重大事と考ふべき事である。
 これこそ世界歴史への一大転換の御命令であつて、吾々は過去と遮断して全く別の体系に這入つたことを自覚せねばならぬのである。(中河与一)

 真剣になれるにはいい気持だ。僕は米英と戦争が始まつた日は、何となく昂然とした気持で往来を歩いた。
 くるものなら来いといふ気持だ。自分の実力を示して見せるといふ気持だ。(武者小路実篤)

今回の選挙について、開票結果が明らかとなる明日以降、この手の感想を抱く人がたくさん現れるような事態を懸念して已みません。杞憂に終わることを祈りますが……。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)38 詩集『天上の炎』 

昭和26年(1951)4月25日 白玉書房 エミイル ヹルハアラン著 高村光太郎訳
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目次
 序詩 未来 新しい都 昔の信仰 私の眼よ 誇 機械 熱烈な生活 港の突堤で
 今日の人に 健康 死者 問題 機会 トンネル 波止場で 私の都 わが友風景 木蔦
 東西南北 森 花の方へ 並木の第一樹 散歩 或る夕暮の路ゆく人に 題跋詩 私の集
 ヹルハアラン

ベルギーの詩人、エミール・ヴェルハーレン(1855~1916)の詩集の翻訳です。

大正14年(1925)、新しき村出版部から出た初版の内容に、評伝「ヹルハアラン」(昭和8年=1933)を追補して刊行されました。

まず、毎年8月9日に「女川光太郎祭」を開催して下さっている宮城県女川町からのニュースです。地元紙『石巻かほく』さんより。1月31日(土)の記事です。

「女川から日本一、うれしい」トレーラーホテル・エルファロ 63室、国内最多に認定

 トレーラーハウスを活用した女川町女川2丁目の「ホテル・エルファロ」(63室)が、日本記録認定協会から部屋数が最も多い「日本最大の国産トレーラーハウスホテル」に認定された。女将(おかみ)の佐々木里子さん(57)は「アットホームなホテルが日本一になれてうれしい。多くの人に泊まってみてほしい」と語る。
   エルファロはトレーラーハウス40台を宿泊部屋に使う。東日本大震災で被災した旅館業者4社と株式会社エルファロで組織する共同事業体が運営。復興事業者の宿泊場所確保などにつなげようと、2012年12月に同町清水地区に開業した。復興事業の進展に伴い、17年8月に現在地のJR女川駅近くに移転した。
 車両は国産のトレーラーハウスを製造、販売する「カンバーランド・ジャパン」(長野県)の製品。国産木材を使い、梅雨や雪の湿気に強いという。カンバーランド社の関係者から「台数が日本一かもしれない」といった声を聞いていたため、ホテルの付加価値を高めて国内外に発信しようと、昨年12月に協会に申請し、今月9日に認定がかなった。
 エルファロの田中雄一朗社長(39)は「営業を続けてこられたのは地域の皆さんのおかげ。女川に日本一があるといういいニュースを届けられた」と喜ぶ。
 ピンクや緑などトレーラーのカラフルな外観も人気で、宿泊を目的にした旅行者も全国から集まる。能登半島地震で被災した石川県輪島市の旅館経営者や、セカンドハウスや集会所として購入を検討している人らも視察に訪れるという。佐々木さんは「いろいろな使い方ができるのも魅力」と語る。
 今後はギネス世界記録への申請も視野に入れる。田中社長は「メード・イン・ジャパンの魅力を女川から世界に発信したい」と話した。
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家族連れに人気なロフト付きの部屋。女将の佐々木さんは「アットホームな雰囲気を楽しんでほしい」と話す

JR石巻線女川駅裏のエルファロさん、女川光太郎祭でお邪魔した際にはほぼ毎回こちらに2泊させていただいており、それ以外にも個人的に宿泊したこともありまして、もう20泊以上しているはずです。

最初に泊めていただいたのが、平成26年(2014)。この頃は現在地ではなく、一山越えた谷間でした。平成23年(2011)の東日本大震災により壊滅した市街地の区画整理等がまだ進んでいなかったためです。「建築」ではないので認可がすぐおりたとのこと。その後、中心街の復興が進んだのに合わせ、可動式のトレーラーハウスとしての特性を生かして、平成29年(2017)に現在地に移転しました。
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トレーラー部分1台を前後に分割して2室になっているタイプにいつも泊めていただいておりますが、それでもベッドはツインでへたなビジネスホテルの部屋より広く、冷暖房やユニットバスなども完備されており、なかなかに快適です。難をいえば、方向音痴の方が敷地内で迷子になることくらい(笑)。

その他、1台で1室、ベッドが4つの大部屋もあり(ロフト付きというのはこのタイプでしょう)、ファミリー向けの対応も成されています。当会顧問であらせられた北川太一先生がご存命の頃、奥様、息子さんと3人でいらした際にご利用されていました。

メーカーのカンバーランド・ジャパンさんの所在地は長野市だそうで、それは存じませんでした。自宅兼事務所から車で10分足らずの川沿いにも、おそらく釣り人をメインターゲットとしたトレーラーハウス式の宿泊施設があり、そちらもそうなのかな、と思いました。能登半島地震に際しても活用が成されているとのことです。すばらしい。

そしてエルファロさん、日本版ギネスともいうべき日本記録認定協会さんから部屋数が最も多い「日本最大の国産トレーラーハウスホテル」に認定とのこと。さらに本家ギネスブック登録ということになれば、その話題性からも女川の活性化につながると存じます。そうなってほしいものです。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)37 『智恵子抄』 新版

昭和26年(1951)2月20日 龍星閣 高村光太郎著
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目次

 人に             明治四十五年七月
 或る夜のこころ        明治四十五年八月
 おそれ            明治四十五年八月
 或る宵            大正元年十月
 郊外の人に          大正元年十一月
 冬の朝のめざめ        大正元年十一月
 深夜の雪           大正二年二月
 人類の泉           大正二年三月
 僕等             大正二年十二月
 愛の嘆美           大正三年二月
 晩餐             大正三年四月
 樹下の二人          大正十二年三月十一日
 狂奔する牛          大正十四年六月十七日
 鯰              大正十五年二月五日
 夜の二人           大正十五年三月十一日
 あなたはだんだんきれいになる 昭和二年一月六日
 あどけない話         昭和三年五月十日
 同棲同類           昭和三年八月十六日
 美の監禁に手渡す者      昭和六年三月十二日
 人生遠視           昭和十年一月二十二日
 風にのる智恵子        昭和十年四月二十五日
 千鳥と遊ぶ智恵子       昭和十二年七月十一日
 値ひがたき智恵子       昭和十二年七月十二日
 山麓の二人          昭和十三年六月二十日
 或る日の記          昭和十三年八月二十七日
 レモン哀歌          昭和十四年二月二十三日
 荒涼たる帰宅         昭和十六年六月十一日
 亡き人に           昭和十四年七月十六日
 梅酒             昭和十五年三月三十一日
 うた六首                         
 智恵子の半生         昭和十五年九月
 九十九里浜の初夏       昭和十六年五月
 智恵子の切抜絵        昭和十四年一月 

昭和16年(1941)にオリジナルの『智恵子抄』を刊行した龍星閣が戦時の休業から復興、前年に出した『智恵子抄その後』に続き、満を持して『智恵子抄』を再刊しました。

それに伴い、昭和22年(1947)から5版まで出ていた白玉書房版は絶版。そちらに収められていた戦後の詩「松庵寺」「報告」は削除されて、オリジナルの形に戻りました。

この赤い表紙の新版が、平成まで版を重ねることになります。

信州松本平地区から演劇公演の情報です。

高校演劇部発表会「青春ドラマシアター2026」

期 日 : 2026年2月15日(日)
会 場 : 安曇野市豊科公民館ホール 長野県安曇野市豊科4289番地1
時 間 : 10:00~14:20
料 金 : 無料

さあ、青春ドラマシアターの季節がやってきました。高校生たちの熱く充実した芝居を思う存分にお楽しみください。そして今年も、松本地区2高校演劇部が参加します。これは例年以上に盛り上がること間違いなし! こんな近くで高校生の芝居をまとめて観られる機会はありません。ぜひ、お越しいただき、高校演劇のパワーを感じてください。 

参加予定(出演順)
 ◎豊科高校    10:15~10:45 「さいのはな」 
 ◎南安曇農業高校 11:00~11:30 「サヨナラは雨の日・・・」 
 ◎松本県ヶ丘高校 11:45~12:05 「私には、言えない。」 
 ◎松本深志高校  13:00~13:35  「智恵子の深呼吸」 
 ◎穂高商業高校  13:50~14:20  「豚がいれば良かった教室」
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松本市と安曇野市の高校5校の演劇部さんによる競演。そのうち松本深志高校さんが「智恵子の深呼吸」という演目です。
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登場人物は光太郎智恵子の二人のみ。脚本はやはり地元で演劇部顧問をなさっている郷原玲氏という方だそうです。

松本深志高校さんといえば、旧開智学校の流れを汲む伝統校。松本市に隣接する安曇野市には光太郎の親友だった碌山荻原守衛を顕彰し、当方もさんざんお世話になっている碌山美術館さんがあり、光太郎ブロンズが複数常設展示されている他、企画展でもたびたび光太郎智恵子関連を取り上げて下さっています。明治43年(1910)に守衛が早世した際には、光太郎も安曇野に足を運びました。

その安曇野で光太郎智恵子の演劇ということで、喜びに堪えません。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)36 『智恵子抄その後』 

昭和25年(1950)11月15日 龍星閣 高村光太郎著
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目次
 智恵子抄その後
  元素智恵子 メトロポオル 裸形 案内 あの頃 吹雪の夜の独白
 太田村山口にて
  年越し 雪解けず 開墾 早春の山の花 田植急調子 もしも智恵子が
  季節のきびしさ 七月一日 山の少女 噴霧的な夢 ある夫人への返事 信親と鳴瀧
  智恵子の遺作展 村にて 再び村にて 女医になつた少女 夏の食事 九月三十日
 あとがき

函には「詩集」と冠されていますが大半は散文で、言わば「詩文集」というべきものです。オリジナル『智恵子抄』(昭和16年=1941)の版元・龍星閣が昭和19年(1944)に戦争の激化に伴い休業を余儀なくされましたが、この年、再開。その記念出版的な意味合いもありました。

標題になっている連作詩「智恵子抄その後」は、この年1月の雑誌『新女苑』に発表されたもので、他に智恵子に直接関わるものは詩「もしも智恵子が」(昭和24年=1949)、詩「噴霧的な夢」(昭和23年=1948)、散文「智恵子の遺作展」(昭和25年=1950)のみ。「智恵子抄」を舞踊にした藤間節子のリサイタルのパンフレットに寄せた「村にて」(昭和24年=1949)、「再び村にて」(昭和25年=1950)に智恵子の名が出て来ますが、メインではありません。

そういった意味では若干の羊頭狗肉感があるものです。

手持ちのものは昭和32年(1957)の版ですが、その時点で既に第18刷。翌年に刊行された新版『智恵子抄』とセットでよく売れていたようです。

今週土曜日のオンエアです。

土曜ゴールデン 温泉タオル集め旅21 この冬行きたい雪見の絶景露天SP 八幡平~花巻12湯 in岩手

地上波テレビ東京 2026年2月7日(土) 18:30〜20:55

これまで全国各地の温泉地を巡ってきた大久保・川村の温泉タオル集め旅。21回目の舞台となるのは、歴史と自然に包まれ、さまざまな泉質の名湯・秘湯がひしめく“岩手県”へ!旅をするのは、温泉好きな大久保佳代子と、温泉ソムリエアンバサダーの資格を持つ、たんぽぽの川村エミコ。道中には・・・
▽乳白色の野趣あふれる露天風呂
▽立ったまま入浴する深さ1.25mの足元湧出の混浴
▽あわい緑色の美肌の湯など

岩手山の美しい稜線を望み、八幡平の山並みに囲まれた秘湯・松川温泉をスタート。入浴ヘビーローテーション。各施設のロゴ入り温泉タオルを計9枚集めながら、花巻温泉郷の奥座敷、新鉛温泉にある愛隣館の露天風呂に翌日午後5時までのゴールを目指す、1泊2日のガチンコ旅です!地元の人に聞き込みをしながら、その土地ならではの“絶品グルメ”や、“絶景の観光スポット”を大満喫。

スタートとゴール以外、向かう温泉地は2人で自由に決めてOK。ただし、温泉に入浴してからでなければタオルを買うことができない!せっかく温泉に入っても、タオルがレンタルのみや無地だった場合はノーカウントという厳しいルールも健在。今回の助っ人には、特別に2名が参戦!さらに旅を盛り上げます! 1日目に迎えたのは、お笑いトリオ3時のヒロインのゆめっち。2日目に迎えたのは、タレントの岡田結実。

2019年『女芸人No.1決定戦 THE W』で優勝を飾り、人気の波に乗るゆめっちと、2025年4月に一般男性との結婚を発表し、幸せオーラ全開の岡田は、1日5回以上の度重なる入浴や、モデル顔負けの早着替えに耐え、旅の助っ人として活躍できるのか? これまで13勝7敗と高い確率で成功を収めている大久保・川村。果たして21弾の舞台となる岩手県で無事ロゴ入り温泉タオルをゲットし、ゴールできるのか?

出演者 大久保佳代子(オアシズ)、川村エミコ(たんぽぽ) 
ゲスト ゆめっち(3時のヒロイン)、岡田結実
ナレーション 杉本るみ
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温泉好きの当方としては外せない番組で(笑)、ほぼ毎回拝見しています。

大久保佳代子さん、川村エミコさんのコンビと、毎回異なるゲストの方が温泉地巡りをし、温泉宿や公共入浴施設で販売されているタオルをゲット、そこに宿や施設オリジナルのロゴが入っていればOK、おおむね1泊2日で設定された規程枚数のタオルを集められればご褒美の豪華料理にありつけるというルールです。

令和3年(2021)4月に放映が始まり、今回で21回目。これまで光太郎智恵子の足跡が残る温泉地が何度か取り上げられました。福島岳温泉さん、栃木那須塩原温泉さん、信州別所温泉さんなど。しかし岩手が舞台になったことはなかったように思います。ただ、その2ヶ月前に放映されたシーズンゼロ的な「土曜スペシャル 冬本番! 雪見の名湯&絶景露天風呂SP~いいお湯・夢気分~」では、光太郎や宮沢賢治が愛した大沢温泉さんが取り上げられました。

今回は「花巻12湯」がサブタイトルに入っています。12湯には大沢温泉さん、それからやはり光太郎が通った鉛温泉さん、花巻温泉さん、台温泉さん、そして志戸平温泉さんが含まれます。番組説明欄に「立ったまま入浴する深さ1.25mの足元湧出の混浴」とあるのは鉛温泉さんですね。それからゴールは
新鉛温泉の愛隣館さん。こちらは新しい宿ですが、12湯で初めて光太郎が浸かった西鉛温泉の系譜を継ぐ温泉地です。

2年程前だったか、番組のオリジナルグッズプレゼントにスマホから応募しまして、その際にコメント欄的な項目があったので「ぜひ花巻12湯を」と書きました。おそらく他にも同じような意見が寄せられていたのでしょう。

視聴可能な方、ぜひご覧下さい。テレ東系の放映が無い地域の方は、TVerさんなどの配信サービスでどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)35 『典型』 

昭和25年(1950)10月25日 中央公論社 高村光太郎著
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目次
 序
 雪白く積めり
 暗愚小伝
  家
   土下座 ちよんまげ 郡司大尉 日清戦争 御前彫刻 建艦費 楠公銅像
  転調
   彫刻一途 パリ
  親不孝
   親不孝 デカダン
  蟄居
   美に生きる おそろしい空虚
  二律背反
   協力会議 真珠湾の日 ロマン ロラン 暗愚 終戦
  炉辺
   報告 山林
 「ブランデンブルグ」
 脱卻の歌
 人体飢餓
 東洋的新次元
 おれの詩 悪婦
 山荒れる
 月にぬれた手
 鈍牛の言葉
 典型 
 田園小詩
  山菜ミヅ 山のひろば 山口部落 かくしねんぶつ クロツグミ クチバミ 別天地
  岩手の人 山からの贈物 この年

旧著の再編や選詩集的なものを除くと、光太郎生涯最後のオリジナル詩集です。光太郎没後に『典型以後』が出されますが、そこに光太郎の意図は介在されていません。光太郎としてもおそらく生涯最後のオリジナル詩集となるだろうという予感はあったと思われます。

発行日が10月25日。第一詩集『道程』(大正3年=1914)も10月25日でした。意図してこの日にしたのか、偶然なのか、何ともいえないところですが。

短歌系の話題で2件。

まずは1月14日(水)に皇居・宮殿「松の間」で開かれた歌会始の儀に関連して、『福島民友新聞』さんから。

「空がきれい」亡き妻の言葉歌に…歌会始、福島の86歳佳作

007 新春恒例の「歌会始の儀」が14日、皇居・宮殿「松の間」で開かれた。題は「明」で、天皇、皇后両陛下や皇族、一般の入選者10人の歌が独特の節回しで披露された。天皇陛下は、新たな年の平安を祈った時の気持ちを詠まれた。昨年9月に成年式を終えた秋篠宮家の長男悠仁さまは初めて出席した。
 福島県内関係では、福島市の逸見征勝さん(86)が詠んだ「退院にあらず転医の道すがら『空がきれい』と妻は明るし」が佳作に選ばれた。逸見さんは2019年に初入選して以来の応募で、24年に亡くなった妻静子さんとの日常を歌にした。
 逸見さんは「図らずも妻にささげる歌になった。ご厚意に感謝する」と喜ぶ。
 登山好きで長年「山」を短歌にし続け、吾妻山を歌った19年の歌会始で初入選した。しかしこの後、静子さんが倒れ、リハビリ生活に。「そんな中、妻が空を見て『きれい』と言った。この言葉を歌にしたかった」。気丈な静子さんの姿がお題の「明」に重なった。自身もここ数年で足腰を痛め、リハビリのため通院する日々を送る。山や短歌から遠のいた。応募は19年以来。
 きっかけは知人が持ってきた今年の歌会始の募集記事だった。作品を練る中で、妻の何げない一言が思い出されたという。
 「山にこだわってきたが、生活の変化に合った短歌を詠みたい」。共にリハビリに励む仲間との時間をはじめ、日常の一こまを歌にしようと思いを巡らせる逸見さん。創作意欲に火を付けてくれた静子さんに「ヒントをありがとう」と口にした。

佳作に選ばれた短歌、直接光太郎智恵子に関わるわけではありませんし、作者の方がそれを意識していなかったのではとも思いますが、「福島」「空」「山」「病妻」といったキーワードから、光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)が彷彿とさせられるものですね。あと一歩及ばず「佳作」ということで、皇居・宮殿「松の間」でのご本人による披露には至りませんでしたが。

平成25年(2013)の歌会始では、やはり福島の方が「安達太良の馬の背に立ちはつ秋の空の青さをふかく吸ひ込む」という歌で入選され、「(高村光太郎の)『智恵子抄』にうたわれたように、安達太良山の上には福島の本当の空がある。津波の影響や原発の問題がある中、福島のよさを知ってもらおうと歌を作りました」とのコメントを発表されました。それが頭にあったので、今回の方の作にも一脈通じるものがあるなと思った次第です。

続いてNHK財団さん、NHK厚生文化事業団さん主催の「新・介護百人一首」。2ヶ月前の話ですが、発表された入選作中の一首に、こちらは完全に「智恵子抄」の語。

「新・介護百人一首2025」入選作品100首が決定!

 このたび、皆さまからたくさんのご応募をいただきました「新・介護百人一首2025」につきまして、厳正なる選考の結果、入選作品100首が決定いたしました。
 入選作品100首は、こちら→(2025 入選作品100首)よりご覧いただけます。ぜひ「介護する」「介護される」中で感じた思いが込められた短歌をお楽しみください。
 今回も全国から 5,840人の皆さまより、合計 12,943首の短歌が寄せられました。ご応募いただいた皆さま、誠にありがとうございました。
 なお、入選作品を収めた作品集は 2026年2月頃 に発行し、応募者の皆さまへ進呈する予定です。
 これからも「新・介護百人一首」にご注目ください。
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百首に選ばれたうちの一首がこちら
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手を振りてデイサービスに妻は行き静かになりて智恵子抄読む」。歌会始の福島の方の作品に通じる内容。これも福島の方の作歌だったら出来過ぎかなと思いましたが、茨城県の方の作品です。

どちらの歌も、作者の方の姿に光太郎が重なって見えます。光太郎の場合は智恵子に対し「介護」ではなく「看護」でしたが。

それにしても、いずれこうした立場になることもあり得るな、と思いました。逆も然りです。心の準備はしておきたいものですね。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)34 『印象主義の思想と芸術』 筑摩選書

昭和24年(1949)8月5日 筑摩書房 高村光太郎著
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目次
 一 概観  二 エドワール マネ  三 クロード モネ及び新印象派画家
 四 アルフレ シスレー  五 カミーユ ピサロ  六 オーギユスト ルノワール
 七 エドガー ドガ其他  八 ポール セザンヌ 附 後期印象派
 九 附言  年表

昨日ご紹介した『造型美論』とセットで、戦時中の昭和17年(1942)に厚冊のハードカバーで出された『造型美論』を、2分割してペーパーバック化したうちの一冊です。「印象主義の思想と芸術」は、元々は大正4年(1915)に単体で刊行されたものでしたが、昭和17年(1942)の『造型美論』に組み入れられ、そしてまた切り離されて刊行されました。

ちょっと前ですが、1月21日(水)の『朝日新聞』さん岩手版に以下の記事が載りました。

岩手独特の住所表記「地割=チワリ」の謎 逆境公務員の苦心の結果?

 岩手では普通でも、県外出身者は首をかしげる住所表記の「地割」。私も昨年4月に盛岡に赴任して初めて知った。「ちわり」と読むらしい。これは岩手だけ? だとしたらなぜ? 1年足らずぼんやり抱えていた疑問について、探ってみた。
 「○○市××第5地割30番」のように使われる「地割」。私は岩手に接する青森、秋田、宮城の3県で勤務経験があるが、大字(××)に続く表記は「丁目」「番地」が一般的だ。
 ネットで検索すれば関連情報は出てくるが、確証が持てない。まずは手堅そうな岩手県庁のいくつかの部署に尋ねたが、答えは出ず。中には「他県にはないのですか?」と驚く職員もいた。かつて調査したことがあるという県立図書館も、当時の担当者が不明で詳細な説明はできないとのこと。
 探し回った結果、かつて似た疑問を覚え、調べたという県立博物館専門学芸調査員の工藤健さんに出会えた。
 「『地割』は岩手で独自に生まれたと考えられます。確認できる史料で最初に現れるのは、明治初期の地租改正時。県が地権者に発行した『地券』に出てくるんです」
 地租改正は、明治新政府が行った課税制度の改革だ。それまで村落単位で課せられていた税は、個人への課税に変わった。県や府が実態調査し、土地の所有者を証明する「地券」を地権者に発行。そこに「地割」の文字が記されたという。
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■仙台藩領はなし008
 ではなぜ、そんな文言が記されたのか? ヒントは江戸後期、盛岡藩が徴税のために作った地図にあった。
 各村の地図には、線引きされて「い」「ろ」「は」などと仮名で印が付いた区画が記されていた。その各区画が地租改正後、「第○地割」となっていったことが史料から確認できたという。
 「この『い』『ろ』『は』にもそれぞれ、元来の地名がありました。しかし、個人の土地所有の根拠となる地券に『地割』と記されたことで、そっちが正式な地名になっていったんです」
 このため、北上市近辺より南の仙台藩領だった地域は「地割」がない。元は盛岡藩でも、地租改正の作業時には岩手県ではなかった今の八幡平市の一部も同様だ。こうしたことからも地租改正時、岩手県が盛岡藩の資料を基に、独自に「地割」を導入したことが分かる、と工藤さんは解説する。
 しかし、元の地名をなくして数字化するとはずいぶん大胆な……。
 「証拠がなく、あくまで想像ですが」と断った上で、工藤さんは語る。
 「明治の新政府から届く膨大な命令に、なんとか対応しようとした県職員の苦心の末の策だったのでは。大量の事務仕事を乗り切るため、整理しやすい地名にしたのかもしれません」

■3分割に耐えて
 戊辰戦争で幕府側に付き、賊軍となった盛岡藩は明治に入り3分割され、他藩の管理下に。1870(明治3)年にそのひとつが盛岡県になった後も、江刺県(旧盛岡藩領)や胆沢県(旧仙台藩領)との統廃合などを経て、今の岩手県として落ち着くのは76(明治9)年。地租改正は、そのさなかの大事業だった。
 「岩手で『地割』が生まれた時代の印象は、高村光太郎が『岩手の人沈深牛の如(ごと)し』とうたった詩に重なります。逆境でも人々は思慮深い牛のように沈着に耐え、『その成すべきを成す』日に備えていたのでしょう」
 地租改正から45年。盛岡出身の原敬が初の平民宰相に就いた。そう考えると、「地割」の語感も味わい深く響いた。


「地割」。当方も以前から気になっていました。実際、花巻の高村光太郎記念館さんの住所が「花巻市太田第3地割3-9」だったり、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんは「花巻市轟木第7地割203」だったりするものですから。

地租改正、地券発行の際に分かりやすく、という説はうなずけますね。ちなみに以前に書きましたが、自宅兼事務所のある千葉県北東部では住所に「イ」「ロ」「ハ」が使われていて、これも珍しいケースだそうです(他に石川県にもあるそうですが)。自分の生まれた場所は「佐原市佐原ロ」でしたし、よく行く隣町の県立図書館さんの分館は「旭市ハ」。「くち」や「はち」と間違えられます(笑)。これらも同じような由来なのかも知れないなと思いました。

記事にある「岩手の人沈深牛の如(ごと)し」は、詩「岩手の人」(昭和23年=1948)の一節です。

    岩手の人009

 岩手の人眼(まなこ)静かに、
 鼻梁秀で、
 おとがひ堅固に張りて、
 口方形なり。
 余もともと彫刻の技芸に游ぶ。
 たまたま岩手の地に来り住して、
 天の余に与ふるもの
 斯の如き重厚の造型なるを喜ぶ。
 岩手の人沈深牛の如し。
 両角の間に天球をいただいて立つ
 かの古代エジプトの石牛に似たり。
 地を往きて走らず、
 企てて草卒ならず、
 つひにその成すべきを成す。
 斧をふるつて巨木を削り、
 この山間にありて作らんかな、
 ニツポンの脊骨(せぼね)岩手の地に
 未見の運命を担ふ牛の如き魂の造型を。

記事ではちょっと無理くり取って付けたような引用ですが(笑)、光太郎に触れて下さりありがとうございます。

こうした先人の遺した地名も、一つの文化遺産です。そうした意味でしっかりと受け継いでいくべきものと思われます。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)33 『造型美論』 筑摩選書

昭和24年(1949)3月10日 筑摩書房 高村光太郎著
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目次
 現代の彫刻
  実技家の場合 概観 二つの源流について 時間的一瞥 フランスの彫刻 ブルデル
  マイヨル デスピオ ベルナアル 「ぢか彫り」騒動 穏健群 形式主義群団
  ドイツの彫刻 イギリスの彫刻 残余の諸国 現代日本の彫刻
 素材と造型
  素材と造型 造型といふ語 造型芸術 造型本能 造型芸術の本質 造型的諸要素
  造型美 造型芸術の種類 素描 日本画と色彩 日本画に於ける油画について 彫刻
 造型小論
  彫刻に何を見る ミケランジエロの彫刻写真に題す 蝉の美と造型 ロダンの素描
  鷗外先生の「花子」 木彫地紋の意義 仏画賛 彫刻性について 展覧会偏重の弊 手
  能面の彫刻美 九代目団十郎の首 本面について アンドレ ドラン 彫刻十箇條

戦時中の昭和17年(1942)に厚冊のハードカバーで出された同名の書を、2分割してペーパーバック化したうちの一冊です。もう一冊は『印象主義の思想と芸術』。明日、紹介します。

光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のライトアップも行われているイベント「十和田湖冬物語2026」。一昨日開幕し、報道が為されています。残年ながら「乙女の像」にからめてのそれが見当たりませんが。

地方紙『東奥日報』さん。

きらめく"冬花火" 十和田湖畔で「冬物語」開幕/2月23日まで

 十和田湖畔の冬を満喫できるイベント「十和田湖冬物語」(実行委員会主催)が30日、青森県十和田市休屋地区の多目的広場で開幕した。会場では恒例の花火が打ち上げられ、冬の夜空を彩った。2月23日まで。
 雪が降りしきる中、午後8時に花火がスタート。次々に打ち上がる花火が辺り一面を照らし、訪れた観光客らが見入った。おいらせ町から家族5人で訪れた、百石小4年の山田胡桃さん(10)は「紫色の花火がきれいだった」と笑顔で話した。
 会場には屋台村「雪あかり横丁」が登場。ヒメマスの塩焼きや馬肉鍋、きりたんぽなど、十和田市や秋田県の温かいグルメが並び、多くの来場者が列を作った。このほか、雪の滑り台や、奥入瀬渓流の氷瀑(ひょうばく)をイメージしたフォトスポットが設けられ、会場はにぎわった。
 火曜から木曜は定休日(祝日の2月11日は営業)。花火は期間中、毎日午後8時から約150発を打ち上げる。土曜、日曜は「冬の国境祭」と題し、北東北3県の芸能パフォーマンスなどが披露される。イベントの詳細は公式ホームページで確認できる。
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『東奥日報』さんでは別の記事でも。

雪遊び、グルメ 多彩に/十和田湖冬物語

 青森県十和田市の十和田湖畔休屋地区で開かれている「十和田湖冬物語」。多くの観光客や親子連れらが訪れ、雪遊びやグルメ、花火など多彩なイベントを楽しんでいる。
 全長約15メートルの雪の滑り台は子どもたちに大人気。家族4人で初めて訪れた、大阪府豊中市の茨木咲良さん(7)は「雪は初めて見た。楽しくて、雪が好きになった」と笑顔を見せた。
 期間中は雪上で楽しむバナナボートや、青森県や秋田県のグルメが並ぶ屋台村「雪あかり横丁」、奥入瀬渓流の氷瀑(ひょうばく)をイメージしたフォトスポットなどを楽しむことができ、夜には花火が打ち上がる。土曜、日曜には北東北3県の芸能パフォーマンスなどを行う。
 会期は23日まで。火曜から木曜は定休日(祝日の11日は営業)。イベントの詳細は公式ホームページで確認できる。
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鹿角きりたんぽFMさん。

冬花火の美しさで魅了 十和田湖冬物語

 秋田と青森にまたがる十和田湖で冬の恒例のイベントが始まり、名物の花火の美しさが来場者たちを魅了しました。
 ことしで28回めとなる「十和田湖冬物語」が30日に始まり、夜には呼び物の花火のショーが休屋地区で行われました。
 音楽と一体化した演出になっており、曲の場面ごとにふさわしい色と形の花火がおよそ5分間、打ち上げられました。
 冬の澄んだ夜空に映る花火の美しさは格別で、赤やオレンジの光りが広がるたびに、訪れた人たちから歓声が上がっていました。
 東京都世田谷区から訪れていた30代の男性は、「東京から来たので雪自体が珍しいのに、花火と一緒の幻想的な世界を見られて感動しました。息子の2歳の誕生日なので、いい思い出になりました」と話していました。
 会場には、両県の名物などが提供される飲食のブースや、雪の大型滑り台なども設けられていて、訪れた人たちが思い思いのスタイルで楽しんでいました。
 また去年に続き、イベントと連動した冬の体験型アクティビティーも用意されていて、カヌー遊びやガイドウオーク、湖畔でのサウナなどで楽しませています。
 実行委員会では、「雪を楽しみたい外国人などが近年増えていて、手ごたえを感じている。ことしもイベントの期間中、十和田湖から青森、秋田の周遊を活発にしたい」と話しています。
 十和田湖冬物語は来月23日までの、祝日以外の火曜、水曜、木曜を除き、十和田湖休屋の多目的広場で開かれます。
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地方紙『北鹿新聞』さん。

十和田湖の魅力発信 花火や屋台村 23日まで「冬物語」 土、日は「冬の国境祭」も

 冬の北東北を代表するイベント「十和田湖冬物語」が先月30日、十和田湖畔の休屋で開幕した。今月23日まで土、日、祝日と月、金曜日に開かれる。夜に花火が打ち上げられるほか、会場の屋台村では温かい地元グルメが販売される。
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ぜひ足をお運びの上、幻想的な「乙女の像」ライトアップもご覧いただければと存じます。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)32 詩集『智恵子抄』

昭和22年(1947)11月25日 白玉書房 高村光太郎著
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目次
 人に             明治四十五年七月
 或る夜のこころ        明治四十五年八月
 おそれ            明治四十五年八月
 或る宵            大正元年十月
 郊外の人に          大正元年十一月
 冬の朝のめざめ        大正元年十一月
 深夜の雪           大正二年二月
 人類の泉           大正二年三月
 僕等             大正二年十二月
 愛の嘆美           大正三年二月
 晩餐             大正三年四月
 樹下の二人          大正十二年三月十一日
 狂奔する牛          大正十四年六月十七日
 鯰              大正十五年二月五日
 夜の二人           大正十五年三月十一日
 あなたはだんだんきれいになる 昭和二年一月六日
 あどけない話         昭和三年五月十日
 同棲同類           昭和三年八月十六日
 美の監禁に手渡す者      昭和六年三月十二日
 人生遠視           昭和十年一月二十二日
 風にのる智恵子        昭和十年四月二十五日
 千鳥と遊ぶ智恵子       昭和十二年七月十一日
 値ひがたき智恵子       昭和十二年七月十二日
 山麓の二人          昭和十三年六月二十日
 或る日の記          昭和十三年八月二十七日
 レモン哀歌          昭和十四年二月二十三日
 荒涼たる帰宅         昭和十六年六月十一日
 亡き人に           昭和十四年七月十六日
 梅酒             昭和十五年三月三十一日
 松庵寺            昭和二十年十月五日
 報告             昭和二十一年十月五日
 うた六首                         
 智恵子の半生         昭和十五年九月
 九十九里浜の初夏       昭和十六年五月
 智恵子の切抜絵        昭和十四年一月
 記

昭和16年(1941)龍星閣発行のオリジナルの内容に、戦後の詩「松庵寺」と「報告」を追加して出版されました。

沢田伊四郎の龍星閣は太平洋戦争の激化に伴い昭和19年(1944)に休業。『智恵子抄』は店頭から姿を消していましたが、需要があると踏んだ白玉書房の鎌田敬止が復刊させました。

巻末に置かれた光太郎筆の「記」には以下の記述があります。

 今度あたらしく白玉書房をはじめられる鎌田敬止氏は沢田伊四郎氏の快諾を得て、「智恵子抄」の再出版を企てられ、その事を私に諮られた。

しかしこの件に関しては鎌田と沢田で認識の違いがあったようで、沢田は認めたつもりはないと激怒。沢田は昭和24年(1949)に龍星閣を再興し、翌年には『智恵子抄』を再刊します。それに伴い白玉書房版は昭和25年(1950)の第五版を以て絶版となりました。

手持ちのものはその第五版です。

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