2026年02月

よくある図書館さんでのミニ展示情報です。直接は光太郎に関わりませんが。

今月の展示 「種をまく」

期 日 : 2026年2月3日(火)~2月12日(木)
会 場 : さいたま市立中央図書館 さいたま市浦和区東高砂町11-1 (コムナーレ8階)
時 間 : 午前9時~午後9時
休 館 : 期間中無休
料 金 : 無料

節分が過ぎれば、暦の上では春。まだまだ寒い日が続きますが、暖かくなって種蒔きの時期が来る前に、種について学んでみませんか。

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配付されているリーフレットだと思うのですが、PDFが公開されていました。3ページ目に光太郎の名。

「種まく人」と社章 
 昭和8年12月から、出版社の岩波書店はミレーの〈種まき〉によるマークを使用している。創業者の岩波茂男が農家の出であることなどが理由とされ、文化の種を蒔くという意味も込められている。 
 なお、岩波茂男はマークに使うためのメダル作りを詩人で彫刻家の高村光太郎に依頼したが、その出来栄えが気に入らず、別の人が描いたものがマークに使用された。その後、岩波書店30周年に、再度鋳造された高村のメダルが贈られ、高村の没後には広告などに用いられている。 
参考資料 『岩波書店七十年』、『高村光太郎選集別巻』 

問題のメダルはこちら。
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以前にも書きましたが、光太郎自身の回想が残っています。

 直径五寸、石膏型。(略)これは岩波茂雄さんにたのまれて作つたものだが、結局は岩波さんの気に入らないで、私がひきとつて持つてゐたものである。戦争がまだあまり烈しくなかつた頃だと思ふが、或日岩波さんがきて店のマークにするのだからミレーの種まく人をメダルに作つてくれといふことだつた。頭や手がメダルの円の外へはみ出しても構はないから、のびのびと作つてくれといふ。私も面白いと思つて、ニユーヨークのメトロポリタン美術館にある種まき絵を原本にして直径五寸の粘土メダルを作り、それを石膏型にして根津に居たメダル縮圧工作家にたのんで洋服の胸につけるバツジ大にプレツスしてもらつた。ところがこれを岩波さんの店に届けると物議がおこつた。種まきの人物があまり威勢がよく、かぶつてゐるおかま帽がまるで鉄かぶとのやうに見え、総体に軍国調のにほひがするといふことであつた。さういはれてみると、あの農夫のおかま帽はその頃みなのかぶつてゐた鉄かぶとじみてゐるのに気づき、私も苦笑してこれは止すことにした。その後岩波さんは誰かにたのんで、もつとおだやかな種まく人を描いてもらひ、それを店のマークにして岩波文庫はじめ其他の出版物に用ゐ、今日でもつづいてゐる。バツジに作つたかどうかは知らない。私は石膏の原型を引きとつて、アトリエにぶらさげて置いたが、これも焼けた。
(「焼失作品おぼえ書」 昭和31年=1956)

光太郎が引き取った原型以外に、鋳造のために取った原型が残っていたのでしょう。新たに贈られたメダルを元にしたというエッチングが、現在でもロゴとしていろいろなところで使用されています。
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ちなみにエッチングについて光太郎は「その後岩波さんは誰かにたのんで、もつとおだやかな種まく人を描いてもらひ、それを店のマークにして岩波文庫はじめ其他の出版物に用ゐ、今日でもつづいてゐる」と書きましたが、その「誰か」は画家の児島喜久雄という情報を得ています。ただ、まだよく分からない感じでして、もう少し調べてみます。

情報をお持ちの方はご教示いただけると幸甚です。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)40 『道程』復元版 

昭和26年(1951)7月15日 角川書店 高村光太郎著
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目次
 一九一〇年
  失はれたるモナ・リザ 生けるもの 根付の国
 一九一一年
  画室の夜 熊の毛皮 人形町 甘栗 庭の小鳥 亡命者 鳩 食後の酒 寂寥 声 風
  新緑の毒素 頽廃者より 「河内屋与兵衛」 髪を洗ふ女 「心中宵庚申」 夏 なまけもの
  手 金秤 はかなごと めくり暦 地上のモナ・リザ 葛根湯 夜半 けもの あつき日
  父の顔 泥七宝 ビフテキの皿
 一九一二年
  青い葉が出ても 赤鬚さん あをい雨 友の妻 ――に 夏の夜の食慾 或る夜のこころ
  おそれ 犬吠の太郎 さびしきみち カフエにて 梟の族 冬が来る カフエにて
  或る宵 夜 狂者の詩 郊外の人に 冬の朝のめざめ カフエにて 師走十日 戦闘
 一九一三年
  人に カフエにて 深夜の雪 人類の泉 山 よろこびを告ぐ 現実 冬が来た 冬の詩
  牛 僕等
 一九一四年
  道程 愛の嘆美 群集に 婚姻の栄誦 万物と共に踊る 瀕死の人に与ふ 晩餐
  五月の土壌 淫心 秋の祈
 解説 草野心平

昭和22年(1947)に札幌青磁社から出た『道程』復元版を文庫化というコンセプトです。仕掛け人はおそらく解説を執筆した当会の祖・草野心平。

この後、文庫本ブームが起きたのに伴い、光太郎の旧著が相次いで文庫化されていきます。

手持ちのものは昭和30年(1955)1月15日の9版でした。

現在、花巻高村光太郎記念館さんで開催中の高村光太郎花巻疎開80年企画展「光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」につき、先月の地元紙『岩手日報』さんに続き、やはり地元紙の『岩手日日』さんが報じて下さいました。

花巻ゆかり 2人に焦点 高村光太郎記念館 賢治全集、写真展示

 詩人、童話作家の宮沢賢治(1896~1933年)と、彫刻家で詩人の高村光太郎(1883~1956年)の関わりに焦点を当てた企画展は、花巻市太田の高村光太郎記念館で開かれている。
 賢治を世に広めるために光太郎が果たした役割などを資料で紹介し、花巻にゆかりある両偉人の人生が交錯した軌跡をたどる。3月31日まで。
 光太郎と賢治は、東京の光太郎のアトリエで1度だけ面会した。賢治没後の34(昭和9)年、東京で開かれた賢治追悼の会に賢治の実弟・清六が「雨ニモマケズ」の記された手帳を含む遺稿を持ち込み、これに光太郎をはじめとする著名人が感銘を受けた。それから全集刊行の動きが起こり、光太郎と詩人草野心平の手により同年、「宮沢賢治全集」(全3巻)が初めて文圃堂から刊行された。
 高村光太郎花巻疎開80年企画展「光太郎と賢治-宮沢賢治全集ができるまで」と銘打った同展では、最初の全集に加え、宮沢賢治全集全7巻(十字屋書店)、宮沢賢治文庫全7巻(日本読書組合)、宮沢賢治全集全11巻(筑摩書房)、光太郎揮毫(きごう)の書軸「東ニ病気ノ母アレバイッテ看病シテヤリ」、花巻で過ごす光太郎の写真などを展示。編さん者の一員として関わった賢治の友人の藤原嘉藤治の生涯や、光太郎、嘉藤治、清六の関係性にも触れている。
 展示している全集は、いずれも光太郎が編集や装幀作業に関わっており、自ら書きつづった題字や表紙の印刷についての所感も残されている。
 同展は市が主催。監修した高村光太郎連翹(れんぎょう)忌運営委員会の小山弘明代表は「賢治を世の中に出す大きな力になった一人が光太郎。2人をつないだ草野心平、清六、そこを埋めた嘉藤治らにより、賢治の作品が現在も読まれているということを知ってもらいたい」と意義を語る。
 今月21日午前10時からは、同市大通りのなはんプラザで小山代表、宮沢和樹林風舎代表取締役、瀬川正子共同園芸取締役によるトークイベントを開催する。参加無料。

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取材を受けたのは昨年12月でして、その折には「年内には記事にしたい」ということでしたが、一昨日に掲載されました。感触としては、記者氏、全くといっていいいほど賢治と光太郎の関わりをご存じなく、実に興味深そうで、「こりゃベタ記事にはするべきでない」と考えられたようで、お渡しした50ページほどの冊子資料を読み込まれてから大きく取り上げて下さったようです。ネット上ではリード文部分のみの公開となっていますが。

冊子資料は同館で販売されているかどうか(いろいろ面倒な事情がありまして)。記事の最後にあるトークイベントの際には大々的に売られると思われます。
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ぜひ足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)39 『独居自炊』 

昭和26年(1951)6月15日 龍星閣 高村光太郎著
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目次
 独居自炊
 子供の頃
  父光雲のこと 母と姉 父の道をついで
 姉のことなど 母のこと 美術学校時代 彫刻家ガツトソン・ボオグラム氏
 ロダンの手記談話録 七月の言葉 一夏安居の弁 「道程」について 自分と詩との関係
 小刀の味 生きた言葉 触覚の世界 自作肖像漫談 へんな貧 春さきの好物 雷ぎらひ
 しやつくり病 ほくろ 悠久山の一本欅 谷中の家 二世代 蟻と遊ぶ 日記より
 がんがん三つ口 新茶の幻想 三十年来の常用卓 智恵子のにひ盆

光太郎エッセイ集としては2冊目。ただし戦時中の昭和18年(1943)、同じ龍星閣から出た『某月某日』とかなりの部分がかぶっています。

昨日、光太郎ゆかりの地・宮城県女川町の話題で『石巻かほく』さんの記事をご紹介しましたが、系列の『河北新報』さんが一面コラムで昨年12月に光太郎の名を出して下さっていました。見落としていました。

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正直は美徳だと思っていた。通用しない世界があるようだ。台湾有事を巡る高市早苗首相の発言に中国の反発が収まらない。「武力の行使を伴うものであれば存立危機事態になり得る」。つい本音が出てしまった▼台湾は民主主義が根付き、独自の統治機構がある。東日本大震災では多大な支援を頂いた。武力行使はあってはならない。ただ中国にも立場がある。1972年の日中共同声明で中国は「台湾は領土の不可分の一部」と表明し、日本は「十分理解し、尊重」すると応えた▼歴代政権が台湾問題にあいまいな表現を戦略的にとり続けたゆえんだ。とかく世論はリーダーに力強さを求め、物事に黒白をつけたがる。84年前の太平洋戦争前夜もそうだった。斎藤茂吉や高村光太郎、志賀直哉…。名だたる知識人が開戦の一報に快哉(かいさい)を叫んだ▼政治学者の中西輝政さんは、どちらにも決まらぬ気持ち悪さに延々と耐え抜くことが世界史に大をなす国の必要条件と指摘する。秘すれば花である。尖閣諸島も対立必至の国有化は避け、したたかに権益を保全する手があったのではないか▼外交は相手国と51対49を争う。完勝はない。首相は内輪受けする威勢のよさではなく、冷徹さと誠実さを併せ持ち、日本の国益と東アジアの平和を守り抜いてほしい。(2025・12・5)

2ヶ月前のものですが、事態は好転どころか、悪化の一途を辿っていますね。10月初めに自民党総裁選が行われ、明日はこの時期としては異例の衆議院選挙。総裁選前から続く政治的空白は4ヶ月以上に及び、物価高や円安、旧統一協会の問題など喫緊の課題がなおざりになったままです。逆にコラムでも取り上げられている問題発言など、余計なことばかり。ちなみに衆議院解散に伴って、審議中だったりした法案が何と74本も廃案となったそうで。永らく議論されてきた選択的夫婦別姓法案や、先の参院選で問題となった企業・団体献金を規制する政治資金規正法改正案もです(まぁ、74本の中にはギャグとしか思えない「ナントカ損壊罪」についても含まれるようですが)。ついでに言うなら来年度予算の編成にも大きく影響します。

さらに嘆かわしいのが、平和憲法を軽視し、息を吐くように嘘を吐き、G7や党首討論で敵前逃亡を繰り返す騒動の当事者やその取り巻きをもてはやす声の多さ。まさに戦前の我が国を彷彿とさせるという論評がありますが、その通りですね。

過日ご紹介した小関素明氏著『「大東亜戦争」幻想化と「戦争責任」の精神史 擬態に対峙する詩人たち』は、そのあたりで非常に示唆に富むものでした。昭和16年(1941)の太平洋戦争開戦直前、日中戦争の泥沼化、対日禁輸による各種の統制などで日本全体が包まれていた閉塞感に、開戦の詔勅や報が風穴を開け、これから訪れるであろうさらなる苦難の日々に思いを馳せることなく、ほとんどの国民がある種の開放感に包まれていたというものです。

コラムに名が上げられている通り、光太郎もその急先鋒の一人でした。同書では12月8日当日、大政翼賛会中央協力会議に参加していた光太郎の随想「十二月八日の記」が引用されています。

 時計の針が十一時半を過ぎた頃、議場の方で何かアナウンスのやうな声が聞えるので、はつと我に返つて議場の入口に行つた。丁度詔勅が捧読され始めたところであつた。かなりの数の人が皆立つて首をたれてそれに聴き入つてゐた。思はず其処に釘づけになつて私も床を見つめた。聴きゆくうちにおのづから身うちがしまり、いつのまにか眼鏡が曇つて来た。私はそのままでゐた。捧読が終ると皆目がさめたやうに急に歩きはじめた。私も緊張して控室に戻り、もとの椅子に坐して、ゆつくり、しかし強くこの宣戦布告のみことのりを頭の中で繰りかへした。頭の中が透きとほるやうな気がした。
 世界は一新せられた。時代はたつた今大きく区切られた。昨日は遠い昔のやうである。現在そのものは高められ、確然たる軌道に乗り、純一深遠な意味を帯び、光を発し、いくらでもゆけるものとなつた。
 この刻々の瞬間こそ後の世から見れば歴史転換の急曲線を描いてゐる時間だなと思つた。時間の重量を感じた。

ちなみに光太郎はこの頃の自分の愚かさを戦後になってしっかりと反省し、7年間もの過酷な蟄居生活を送ることとなります。

他の文学者たちのそれも紹介されています。

 今こそ全文化を目的意識と観念的規定の室から出して、凛然たる外気に当て、自然のままに生きてゆくものだけを生育せしめるやう、純粋化し、淘汰せねばならぬ。
 かういふ時期にこそ、文学には「文」の領域があることをはつきり認識することが出来る訳だ。今までのやうに「軍」や「政治」に追従してゐたのから去つて、明確に己が本然の使命の下に、今日の栄えある国民的試練の時を自力で生きてゆかなければならぬ。(河上徹太郎)

 本日みたいにうれしい日はまたとない。うれしいといふか何といふかとにかく胸の清々しい気持だ。(略)宣戦の大詔を三度聞き三度読んだ。(黒田三郎)

 涙が流れた。言葉のいらない時が来た。(坂口安吾)

 ふと、自分は、ラジオを聴く前と、別人になつてゐるやうな気がした。(略)一間も二間もある濠を、一気に飛び越えたやうな気持がした。(獅子文六)

 それを、ぢつと聞いてゐるうちに、私の人間は変わつてしまつた。強い光線を受けて、からだが透明になるやうな感じ、あるひは、聖霊の息吹きを受けて、つめたい花びらを胸の中に宿したやうな気持。日本も、けさから、ちがふ日本になつたのだ。(太宰治)

 まつたく一日として神経の安まる日はないのであつた。私たちは今の言葉でいふ、ノイローゼになつてゐた。これ以上、こんな緊張の日々が続くのは耐へられない。そこへもつて十二月八日の太平洋開戦だ。なにはとまれ、これでどつちかへ片づく。ヤレヤレといふ気もちであつた。(徳川夢声)

 十二月八日、大詔が渙発せられ、米英との国交が断絶せられた事は、生をこの聖代にうけたものの真に重大事と考ふべき事である。
 これこそ世界歴史への一大転換の御命令であつて、吾々は過去と遮断して全く別の体系に這入つたことを自覚せねばならぬのである。(中河与一)

 真剣になれるにはいい気持だ。僕は米英と戦争が始まつた日は、何となく昂然とした気持で往来を歩いた。
 くるものなら来いといふ気持だ。自分の実力を示して見せるといふ気持だ。(武者小路実篤)

今回の選挙について、開票結果が明らかとなる明日以降、この手の感想を抱く人がたくさん現れるような事態を懸念して已みません。杞憂に終わることを祈りますが……。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)38 詩集『天上の炎』 

昭和26年(1951)4月25日 白玉書房 エミイル ヹルハアラン著 高村光太郎訳
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目次
 序詩 未来 新しい都 昔の信仰 私の眼よ 誇 機械 熱烈な生活 港の突堤で
 今日の人に 健康 死者 問題 機会 トンネル 波止場で 私の都 わが友風景 木蔦
 東西南北 森 花の方へ 並木の第一樹 散歩 或る夕暮の路ゆく人に 題跋詩 私の集
 ヹルハアラン

ベルギーの詩人、エミール・ヴェルハーレン(1855~1916)の詩集の翻訳です。

大正14年(1925)、新しき村出版部から出た初版の内容に、評伝「ヹルハアラン」(昭和8年=1933)を追補して刊行されました。

まず、毎年8月9日に「女川光太郎祭」を開催して下さっている宮城県女川町からのニュースです。地元紙『石巻かほく』さんより。1月31日(土)の記事です。

「女川から日本一、うれしい」トレーラーホテル・エルファロ 63室、国内最多に認定

 トレーラーハウスを活用した女川町女川2丁目の「ホテル・エルファロ」(63室)が、日本記録認定協会から部屋数が最も多い「日本最大の国産トレーラーハウスホテル」に認定された。女将(おかみ)の佐々木里子さん(57)は「アットホームなホテルが日本一になれてうれしい。多くの人に泊まってみてほしい」と語る。
   エルファロはトレーラーハウス40台を宿泊部屋に使う。東日本大震災で被災した旅館業者4社と株式会社エルファロで組織する共同事業体が運営。復興事業者の宿泊場所確保などにつなげようと、2012年12月に同町清水地区に開業した。復興事業の進展に伴い、17年8月に現在地のJR女川駅近くに移転した。
 車両は国産のトレーラーハウスを製造、販売する「カンバーランド・ジャパン」(長野県)の製品。国産木材を使い、梅雨や雪の湿気に強いという。カンバーランド社の関係者から「台数が日本一かもしれない」といった声を聞いていたため、ホテルの付加価値を高めて国内外に発信しようと、昨年12月に協会に申請し、今月9日に認定がかなった。
 エルファロの田中雄一朗社長(39)は「営業を続けてこられたのは地域の皆さんのおかげ。女川に日本一があるといういいニュースを届けられた」と喜ぶ。
 ピンクや緑などトレーラーのカラフルな外観も人気で、宿泊を目的にした旅行者も全国から集まる。能登半島地震で被災した石川県輪島市の旅館経営者や、セカンドハウスや集会所として購入を検討している人らも視察に訪れるという。佐々木さんは「いろいろな使い方ができるのも魅力」と語る。
 今後はギネス世界記録への申請も視野に入れる。田中社長は「メード・イン・ジャパンの魅力を女川から世界に発信したい」と話した。
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家族連れに人気なロフト付きの部屋。女将の佐々木さんは「アットホームな雰囲気を楽しんでほしい」と話す

JR石巻線女川駅裏のエルファロさん、女川光太郎祭でお邪魔した際にはほぼ毎回こちらに2泊させていただいており、それ以外にも個人的に宿泊したこともありまして、もう20泊以上しているはずです。

最初に泊めていただいたのが、平成26年(2014)。この頃は現在地ではなく、一山越えた谷間でした。平成23年(2011)の東日本大震災により壊滅した市街地の区画整理等がまだ進んでいなかったためです。「建築」ではないので認可がすぐおりたとのこと。その後、中心街の復興が進んだのに合わせ、可動式のトレーラーハウスとしての特性を生かして、平成29年(2017)に現在地に移転しました。
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トレーラー部分1台を前後に分割して2室になっているタイプにいつも泊めていただいておりますが、それでもベッドはツインでへたなビジネスホテルの部屋より広く、冷暖房やユニットバスなども完備されており、なかなかに快適です。難をいえば、方向音痴の方が敷地内で迷子になることくらい(笑)。

その他、1台で1室、ベッドが4つの大部屋もあり(ロフト付きというのはこのタイプでしょう)、ファミリー向けの対応も成されています。当会顧問であらせられた北川太一先生がご存命の頃、奥様、息子さんと3人でいらした際にご利用されていました。

メーカーのカンバーランド・ジャパンさんの所在地は長野市だそうで、それは存じませんでした。自宅兼事務所から車で10分足らずの川沿いにも、おそらく釣り人をメインターゲットとしたトレーラーハウス式の宿泊施設があり、そちらもそうなのかな、と思いました。能登半島地震に際しても活用が成されているとのことです。すばらしい。

そしてエルファロさん、日本版ギネスともいうべき日本記録認定協会さんから部屋数が最も多い「日本最大の国産トレーラーハウスホテル」に認定とのこと。さらに本家ギネスブック登録ということになれば、その話題性からも女川の活性化につながると存じます。そうなってほしいものです。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)37 『智恵子抄』 新版

昭和26年(1951)2月20日 龍星閣 高村光太郎著
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目次

 人に             明治四十五年七月
 或る夜のこころ        明治四十五年八月
 おそれ            明治四十五年八月
 或る宵            大正元年十月
 郊外の人に          大正元年十一月
 冬の朝のめざめ        大正元年十一月
 深夜の雪           大正二年二月
 人類の泉           大正二年三月
 僕等             大正二年十二月
 愛の嘆美           大正三年二月
 晩餐             大正三年四月
 樹下の二人          大正十二年三月十一日
 狂奔する牛          大正十四年六月十七日
 鯰              大正十五年二月五日
 夜の二人           大正十五年三月十一日
 あなたはだんだんきれいになる 昭和二年一月六日
 あどけない話         昭和三年五月十日
 同棲同類           昭和三年八月十六日
 美の監禁に手渡す者      昭和六年三月十二日
 人生遠視           昭和十年一月二十二日
 風にのる智恵子        昭和十年四月二十五日
 千鳥と遊ぶ智恵子       昭和十二年七月十一日
 値ひがたき智恵子       昭和十二年七月十二日
 山麓の二人          昭和十三年六月二十日
 或る日の記          昭和十三年八月二十七日
 レモン哀歌          昭和十四年二月二十三日
 荒涼たる帰宅         昭和十六年六月十一日
 亡き人に           昭和十四年七月十六日
 梅酒             昭和十五年三月三十一日
 うた六首                         
 智恵子の半生         昭和十五年九月
 九十九里浜の初夏       昭和十六年五月
 智恵子の切抜絵        昭和十四年一月 

昭和16年(1941)にオリジナルの『智恵子抄』を刊行した龍星閣が戦時の休業から復興、前年に出した『智恵子抄その後』に続き、満を持して『智恵子抄』を再刊しました。

それに伴い、昭和22年(1947)から5版まで出ていた白玉書房版は絶版。そちらに収められていた戦後の詩「松庵寺」「報告」は削除されて、オリジナルの形に戻りました。

この赤い表紙の新版が、平成まで版を重ねることになります。

信州松本平地区から演劇公演の情報です。

高校演劇部発表会「青春ドラマシアター2026」

期 日 : 2026年2月15日(日)
会 場 : 安曇野市豊科公民館ホール 長野県安曇野市豊科4289番地1
時 間 : 10:00~14:20
料 金 : 無料

さあ、青春ドラマシアターの季節がやってきました。高校生たちの熱く充実した芝居を思う存分にお楽しみください。そして今年も、松本地区2高校演劇部が参加します。これは例年以上に盛り上がること間違いなし! こんな近くで高校生の芝居をまとめて観られる機会はありません。ぜひ、お越しいただき、高校演劇のパワーを感じてください。 

参加予定(出演順)
 ◎豊科高校    10:15~10:45 「さいのはな」 
 ◎南安曇農業高校 11:00~11:30 「サヨナラは雨の日・・・」 
 ◎松本県ヶ丘高校 11:45~12:05 「私には、言えない。」 
 ◎松本深志高校  13:00~13:35  「智恵子の深呼吸」 
 ◎穂高商業高校  13:50~14:20  「豚がいれば良かった教室」
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松本市と安曇野市の高校5校の演劇部さんによる競演。そのうち松本深志高校さんが「智恵子の深呼吸」という演目です。
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登場人物は光太郎智恵子の二人のみ。脚本はやはり地元で演劇部顧問をなさっている郷原玲氏という方だそうです。

松本深志高校さんといえば、旧開智学校の流れを汲む伝統校。松本市に隣接する安曇野市には光太郎の親友だった碌山荻原守衛を顕彰し、当方もさんざんお世話になっている碌山美術館さんがあり、たびたび光太郎智恵子関連も取り上げて下さっています。明治43年(1910)に守衛が早世した際には、光太郎も安曇野に足を運びました。

その安曇野で光太郎智恵子の演劇ということで、喜びに堪えません。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)36 『智恵子抄その後』 

昭和25年(1950)11月15日 龍星閣 高村光太郎著
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目次
 智恵子抄その後
  元素智恵子 メトロポオル 裸形 案内 あの頃 吹雪の夜の独白
 太田村山口にて
  年越し 雪解けず 開墾 早春の山の花 田植急調子 もしも智恵子が
  季節のきびしさ 七月一日 山の少女 噴霧的な夢 ある夫人への返事 信親と鳴瀧
  智恵子の遺作展 村にて 再び村にて 女医になつた少女 夏の食事 九月三十日
 あとがき

函には「詩集」と冠されていますが大半は散文で、言わば「詩文集」というべきものです。オリジナル『智恵子抄』(昭和16年=1941)の版元・龍星閣が昭和19年(1944)に戦争の激化に伴い休業を余儀なくされましたが、この年、再開。その記念出版的な意味合いもありました。

標題になっている連作詩「智恵子抄その後」は、この年1月の雑誌『新女苑』に発表されたもので、他に智恵子に直接関わるものは詩「もしも智恵子が」(昭和24年=1949)、詩「噴霧的な夢」(昭和23年=1948)、散文「智恵子の遺作展」(昭和25年=1950)のみ。「智恵子抄」を舞踊にした藤間節子のリサイタルのパンフレットに寄せた「村にて」(昭和24年=1949)、「再び村にて」(昭和25年=1950)に智恵子の名が出て来ますが、メインではありません。

そういった意味では若干の羊頭狗肉感があるものです。

手持ちのものは昭和32年(1957)の版ですが、その時点で既に第18刷。翌年に刊行された新版『智恵子抄』とセットでよく売れていたようです。

今週土曜日のオンエアです。

土曜ゴールデン 温泉タオル集め旅21 この冬行きたい雪見の絶景露天SP 八幡平~花巻12湯 in岩手

地上波テレビ東京 2026年2月7日(土) 18:30〜20:55

これまで全国各地の温泉地を巡ってきた大久保・川村の温泉タオル集め旅。21回目の舞台となるのは、歴史と自然に包まれ、さまざまな泉質の名湯・秘湯がひしめく“岩手県”へ!旅をするのは、温泉好きな大久保佳代子と、温泉ソムリエアンバサダーの資格を持つ、たんぽぽの川村エミコ。道中には・・・
▽乳白色の野趣あふれる露天風呂
▽立ったまま入浴する深さ1.25mの足元湧出の混浴
▽あわい緑色の美肌の湯など

岩手山の美しい稜線を望み、八幡平の山並みに囲まれた秘湯・松川温泉をスタート。入浴ヘビーローテーション。各施設のロゴ入り温泉タオルを計9枚集めながら、花巻温泉郷の奥座敷、新鉛温泉にある愛隣館の露天風呂に翌日午後5時までのゴールを目指す、1泊2日のガチンコ旅です!地元の人に聞き込みをしながら、その土地ならではの“絶品グルメ”や、“絶景の観光スポット”を大満喫。

スタートとゴール以外、向かう温泉地は2人で自由に決めてOK。ただし、温泉に入浴してからでなければタオルを買うことができない!せっかく温泉に入っても、タオルがレンタルのみや無地だった場合はノーカウントという厳しいルールも健在。今回の助っ人には、特別に2名が参戦!さらに旅を盛り上げます! 1日目に迎えたのは、お笑いトリオ3時のヒロインのゆめっち。2日目に迎えたのは、タレントの岡田結実。

2019年『女芸人No.1決定戦 THE W』で優勝を飾り、人気の波に乗るゆめっちと、2025年4月に一般男性との結婚を発表し、幸せオーラ全開の岡田は、1日5回以上の度重なる入浴や、モデル顔負けの早着替えに耐え、旅の助っ人として活躍できるのか? これまで13勝7敗と高い確率で成功を収めている大久保・川村。果たして21弾の舞台となる岩手県で無事ロゴ入り温泉タオルをゲットし、ゴールできるのか?

出演者 大久保佳代子(オアシズ)、川村エミコ(たんぽぽ) 
ゲスト ゆめっち(3時のヒロイン)、岡田結実
ナレーション 杉本るみ
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温泉好きの当方としては外せない番組で(笑)、ほぼ毎回拝見しています。

大久保佳代子さん、川村エミコさんのコンビと、毎回異なるゲストの方が温泉地巡りをし、温泉宿や公共入浴施設で販売されているタオルをゲット、そこに宿や施設オリジナルのロゴが入っていればOK、おおむね1泊2日で設定された規程枚数のタオルを集められればご褒美の豪華料理にありつけるというルールです。

令和3年(2021)4月に放映が始まり、今回で21回目。これまで光太郎智恵子の足跡が残る温泉地が何度か取り上げられました。福島岳温泉さん、栃木那須塩原温泉さん、信州別所温泉さんなど。しかし岩手が舞台になったことはなかったように思います。ただ、その2ヶ月前に放映されたシーズンゼロ的な「土曜スペシャル 冬本番! 雪見の名湯&絶景露天風呂SP~いいお湯・夢気分~」では、光太郎や宮沢賢治が愛した大沢温泉さんが取り上げられました。

今回は「花巻12湯」がサブタイトルに入っています。12湯には大沢温泉さん、それからやはり光太郎が通った鉛温泉さん、花巻温泉さん、台温泉さん、そして志戸平温泉さんが含まれます。番組説明欄に「立ったまま入浴する深さ1.25mの足元湧出の混浴」とあるのは鉛温泉さんですね。それからゴールは
新鉛温泉の愛隣館さん。こちらは新しい宿ですが、12湯で初めて光太郎が浸かった西鉛温泉の系譜を継ぐ温泉地です。

2年程前だったか、番組のオリジナルグッズプレゼントにスマホから応募しまして、その際にコメント欄的な項目があったので「ぜひ花巻12湯を」と書きました。おそらく他にも同じような意見が寄せられていたのでしょう。

視聴可能な方、ぜひご覧下さい。テレ東系の放映が無い地域の方は、TVerさんなどの配信サービスでどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)35 『典型』 

昭和25年(1950)10月25日 中央公論社 高村光太郎著
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目次
 序
 雪白く積めり
 暗愚小伝
  家
   土下座 ちよんまげ 郡司大尉 日清戦争 御前彫刻 建艦費 楠公銅像
  転調
   彫刻一途 パリ
  親不孝
   親不孝 デカダン
  蟄居
   美に生きる おそろしい空虚
  二律背反
   協力会議 真珠湾の日 ロマン ロラン 暗愚 終戦
  炉辺
   報告 山林
 「ブランデンブルグ」
 脱卻の歌
 人体飢餓
 東洋的新次元
 おれの詩 悪婦
 山荒れる
 月にぬれた手
 鈍牛の言葉
 典型 
 田園小詩
  山菜ミヅ 山のひろば 山口部落 かくしねんぶつ クロツグミ クチバミ 別天地
  岩手の人 山からの贈物 この年

旧著の再編や選詩集的なものを除くと、光太郎生涯最後のオリジナル詩集です。光太郎没後に『典型以後』が出されますが、そこに光太郎の意図は介在されていません。光太郎としてもおそらく生涯最後のオリジナル詩集となるだろうという予感はあったと思われます。

発行日が10月25日。第一詩集『道程』(大正3年=1914)も10月25日でした。意図してこの日にしたのか、偶然なのか、何ともいえないところですが。

短歌系の話題で2件。

まずは1月14日(水)に皇居・宮殿「松の間」で開かれた歌会始の儀に関連して、『福島民友新聞』さんから。

「空がきれい」亡き妻の言葉歌に…歌会始、福島の86歳佳作

007 新春恒例の「歌会始の儀」が14日、皇居・宮殿「松の間」で開かれた。題は「明」で、天皇、皇后両陛下や皇族、一般の入選者10人の歌が独特の節回しで披露された。天皇陛下は、新たな年の平安を祈った時の気持ちを詠まれた。昨年9月に成年式を終えた秋篠宮家の長男悠仁さまは初めて出席した。
 福島県内関係では、福島市の逸見征勝さん(86)が詠んだ「退院にあらず転医の道すがら『空がきれい』と妻は明るし」が佳作に選ばれた。逸見さんは2019年に初入選して以来の応募で、24年に亡くなった妻静子さんとの日常を歌にした。
 逸見さんは「図らずも妻にささげる歌になった。ご厚意に感謝する」と喜ぶ。
 登山好きで長年「山」を短歌にし続け、吾妻山を歌った19年の歌会始で初入選した。しかしこの後、静子さんが倒れ、リハビリ生活に。「そんな中、妻が空を見て『きれい』と言った。この言葉を歌にしたかった」。気丈な静子さんの姿がお題の「明」に重なった。自身もここ数年で足腰を痛め、リハビリのため通院する日々を送る。山や短歌から遠のいた。応募は19年以来。
 きっかけは知人が持ってきた今年の歌会始の募集記事だった。作品を練る中で、妻の何げない一言が思い出されたという。
 「山にこだわってきたが、生活の変化に合った短歌を詠みたい」。共にリハビリに励む仲間との時間をはじめ、日常の一こまを歌にしようと思いを巡らせる逸見さん。創作意欲に火を付けてくれた静子さんに「ヒントをありがとう」と口にした。

佳作に選ばれた短歌、直接光太郎智恵子に関わるわけではありませんし、作者の方がそれを意識していなかったのではとも思いますが、「福島」「空」「山」「病妻」といったキーワードから、光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)が彷彿とさせられるものですね。あと一歩及ばず「佳作」ということで、皇居・宮殿「松の間」でのご本人による披露には至りませんでしたが。

平成25年(2013)の歌会始では、やはり福島の方が「安達太良の馬の背に立ちはつ秋の空の青さをふかく吸ひ込む」という歌で入選され、「(高村光太郎の)『智恵子抄』にうたわれたように、安達太良山の上には福島の本当の空がある。津波の影響や原発の問題がある中、福島のよさを知ってもらおうと歌を作りました」とのコメントを発表されました。それが頭にあったので、今回の方の作にも一脈通じるものがあるなと思った次第です。

続いてNHK財団さん、NHK厚生文化事業団さん主催の「新・介護百人一首」。2ヶ月前の話ですが、発表された入選作中の一首に、こちらは完全に「智恵子抄」の語。

「新・介護百人一首2025」入選作品100首が決定!

 このたび、皆さまからたくさんのご応募をいただきました「新・介護百人一首2025」につきまして、厳正なる選考の結果、入選作品100首が決定いたしました。
 入選作品100首は、こちら→(2025 入選作品100首)よりご覧いただけます。ぜひ「介護する」「介護される」中で感じた思いが込められた短歌をお楽しみください。
 今回も全国から 5,840人の皆さまより、合計 12,943首の短歌が寄せられました。ご応募いただいた皆さま、誠にありがとうございました。
 なお、入選作品を収めた作品集は 2026年2月頃 に発行し、応募者の皆さまへ進呈する予定です。
 これからも「新・介護百人一首」にご注目ください。
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百首に選ばれたうちの一首がこちら
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手を振りてデイサービスに妻は行き静かになりて智恵子抄読む」。歌会始の福島の方の作品に通じる内容。これも福島の方の作歌だったら出来過ぎかなと思いましたが、茨城県の方の作品です。

どちらの歌も、作者の方の姿に光太郎が重なって見えます。光太郎の場合は智恵子に対し「介護」ではなく「看護」でしたが。

それにしても、いずれこうした立場になることもあり得るな、と思いました。逆も然りです。心の準備はしておきたいものですね。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)34 『印象主義の思想と芸術』 筑摩選書

昭和24年(1949)8月5日 筑摩書房 高村光太郎著
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目次
 一 概観  二 エドワール マネ  三 クロード モネ及び新印象派画家
 四 アルフレ シスレー  五 カミーユ ピサロ  六 オーギユスト ルノワール
 七 エドガー ドガ其他  八 ポール セザンヌ 附 後期印象派
 九 附言  年表

昨日ご紹介した『造型美論』とセットで、戦時中の昭和17年(1942)に厚冊のハードカバーで出された『造型美論』を、2分割してペーパーバック化したうちの一冊です。「印象主義の思想と芸術」は、元々は大正4年(1915)に単体で刊行されたものでしたが、昭和17年(1942)の『造型美論』に組み入れられ、そしてまた切り離されて刊行されました。

ちょっと前ですが、1月21日(水)の『朝日新聞』さん岩手版に以下の記事が載りました。

岩手独特の住所表記「地割=チワリ」の謎 逆境公務員の苦心の結果?

 岩手では普通でも、県外出身者は首をかしげる住所表記の「地割」。私も昨年4月に盛岡に赴任して初めて知った。「ちわり」と読むらしい。これは岩手だけ? だとしたらなぜ? 1年足らずぼんやり抱えていた疑問について、探ってみた。
 「○○市××第5地割30番」のように使われる「地割」。私は岩手に接する青森、秋田、宮城の3県で勤務経験があるが、大字(××)に続く表記は「丁目」「番地」が一般的だ。
 ネットで検索すれば関連情報は出てくるが、確証が持てない。まずは手堅そうな岩手県庁のいくつかの部署に尋ねたが、答えは出ず。中には「他県にはないのですか?」と驚く職員もいた。かつて調査したことがあるという県立図書館も、当時の担当者が不明で詳細な説明はできないとのこと。
 探し回った結果、かつて似た疑問を覚え、調べたという県立博物館専門学芸調査員の工藤健さんに出会えた。
 「『地割』は岩手で独自に生まれたと考えられます。確認できる史料で最初に現れるのは、明治初期の地租改正時。県が地権者に発行した『地券』に出てくるんです」
 地租改正は、明治新政府が行った課税制度の改革だ。それまで村落単位で課せられていた税は、個人への課税に変わった。県や府が実態調査し、土地の所有者を証明する「地券」を地権者に発行。そこに「地割」の文字が記されたという。
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■仙台藩領はなし008
 ではなぜ、そんな文言が記されたのか? ヒントは江戸後期、盛岡藩が徴税のために作った地図にあった。
 各村の地図には、線引きされて「い」「ろ」「は」などと仮名で印が付いた区画が記されていた。その各区画が地租改正後、「第○地割」となっていったことが史料から確認できたという。
 「この『い』『ろ』『は』にもそれぞれ、元来の地名がありました。しかし、個人の土地所有の根拠となる地券に『地割』と記されたことで、そっちが正式な地名になっていったんです」
 このため、北上市近辺より南の仙台藩領だった地域は「地割」がない。元は盛岡藩でも、地租改正の作業時には岩手県ではなかった今の八幡平市の一部も同様だ。こうしたことからも地租改正時、岩手県が盛岡藩の資料を基に、独自に「地割」を導入したことが分かる、と工藤さんは解説する。
 しかし、元の地名をなくして数字化するとはずいぶん大胆な……。
 「証拠がなく、あくまで想像ですが」と断った上で、工藤さんは語る。
 「明治の新政府から届く膨大な命令に、なんとか対応しようとした県職員の苦心の末の策だったのでは。大量の事務仕事を乗り切るため、整理しやすい地名にしたのかもしれません」

■3分割に耐えて
 戊辰戦争で幕府側に付き、賊軍となった盛岡藩は明治に入り3分割され、他藩の管理下に。1870(明治3)年にそのひとつが盛岡県になった後も、江刺県(旧盛岡藩領)や胆沢県(旧仙台藩領)との統廃合などを経て、今の岩手県として落ち着くのは76(明治9)年。地租改正は、そのさなかの大事業だった。
 「岩手で『地割』が生まれた時代の印象は、高村光太郎が『岩手の人沈深牛の如(ごと)し』とうたった詩に重なります。逆境でも人々は思慮深い牛のように沈着に耐え、『その成すべきを成す』日に備えていたのでしょう」
 地租改正から45年。盛岡出身の原敬が初の平民宰相に就いた。そう考えると、「地割」の語感も味わい深く響いた。


「地割」。当方も以前から気になっていました。実際、花巻の高村光太郎記念館さんの住所が「花巻市太田第3地割3-9」だったり、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんは「花巻市轟木第7地割203」だったりするものですから。

地租改正、地券発行の際に分かりやすく、という説はうなずけますね。ちなみに以前に書きましたが、自宅兼事務所のある千葉県北東部では住所に「イ」「ロ」「ハ」が使われていて、これも珍しいケースだそうです(他に石川県にもあるそうですが)。自分の生まれた場所は「佐原市佐原ロ」でしたし、よく行く隣町の県立図書館さんの分館は「旭市ハ」。「くち」や「はち」と間違えられます(笑)。これらも同じような由来なのかも知れないなと思いました。

記事にある「岩手の人沈深牛の如(ごと)し」は、詩「岩手の人」(昭和23年=1948)の一節です。

    岩手の人009

 岩手の人眼(まなこ)静かに、
 鼻梁秀で、
 おとがひ堅固に張りて、
 口方形なり。
 余もともと彫刻の技芸に游ぶ。
 たまたま岩手の地に来り住して、
 天の余に与ふるもの
 斯の如き重厚の造型なるを喜ぶ。
 岩手の人沈深牛の如し。
 両角の間に天球をいただいて立つ
 かの古代エジプトの石牛に似たり。
 地を往きて走らず、
 企てて草卒ならず、
 つひにその成すべきを成す。
 斧をふるつて巨木を削り、
 この山間にありて作らんかな、
 ニツポンの脊骨(せぼね)岩手の地に
 未見の運命を担ふ牛の如き魂の造型を。

記事ではちょっと無理くり取って付けたような引用ですが(笑)、光太郎に触れて下さりありがとうございます。

こうした先人の遺した地名も、一つの文化遺産です。そうした意味でしっかりと受け継いでいくべきものと思われます。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)33 『造型美論』 筑摩選書

昭和24年(1949)3月10日 筑摩書房 高村光太郎著
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目次
 現代の彫刻
  実技家の場合 概観 二つの源流について 時間的一瞥 フランスの彫刻 ブルデル
  マイヨル デスピオ ベルナアル 「ぢか彫り」騒動 穏健群 形式主義群団
  ドイツの彫刻 イギリスの彫刻 残余の諸国 現代日本の彫刻
 素材と造型
  素材と造型 造型といふ語 造型芸術 造型本能 造型芸術の本質 造型的諸要素
  造型美 造型芸術の種類 素描 日本画と色彩 日本画に於ける油画について 彫刻
 造型小論
  彫刻に何を見る ミケランジエロの彫刻写真に題す 蝉の美と造型 ロダンの素描
  鷗外先生の「花子」 木彫地紋の意義 仏画賛 彫刻性について 展覧会偏重の弊 手
  能面の彫刻美 九代目団十郎の首 本面について アンドレ ドラン 彫刻十箇條

戦時中の昭和17年(1942)に厚冊のハードカバーで出された同名の書を、2分割してペーパーバック化したうちの一冊です。もう一冊は『印象主義の思想と芸術』。明日、紹介します。

光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のライトアップも行われているイベント「十和田湖冬物語2026」。一昨日開幕し、報道が為されています。残年ながら「乙女の像」にからめてのそれが見当たりませんが。

地方紙『東奥日報』さん。

きらめく"冬花火" 十和田湖畔で「冬物語」開幕/2月23日まで

 十和田湖畔の冬を満喫できるイベント「十和田湖冬物語」(実行委員会主催)が30日、青森県十和田市休屋地区の多目的広場で開幕した。会場では恒例の花火が打ち上げられ、冬の夜空を彩った。2月23日まで。
 雪が降りしきる中、午後8時に花火がスタート。次々に打ち上がる花火が辺り一面を照らし、訪れた観光客らが見入った。おいらせ町から家族5人で訪れた、百石小4年の山田胡桃さん(10)は「紫色の花火がきれいだった」と笑顔で話した。
 会場には屋台村「雪あかり横丁」が登場。ヒメマスの塩焼きや馬肉鍋、きりたんぽなど、十和田市や秋田県の温かいグルメが並び、多くの来場者が列を作った。このほか、雪の滑り台や、奥入瀬渓流の氷瀑(ひょうばく)をイメージしたフォトスポットが設けられ、会場はにぎわった。
 火曜から木曜は定休日(祝日の2月11日は営業)。花火は期間中、毎日午後8時から約150発を打ち上げる。土曜、日曜は「冬の国境祭」と題し、北東北3県の芸能パフォーマンスなどが披露される。イベントの詳細は公式ホームページで確認できる。
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『東奥日報』さんでは別の記事でも。

雪遊び、グルメ 多彩に/十和田湖冬物語

 青森県十和田市の十和田湖畔休屋地区で開かれている「十和田湖冬物語」。多くの観光客や親子連れらが訪れ、雪遊びやグルメ、花火など多彩なイベントを楽しんでいる。
 全長約15メートルの雪の滑り台は子どもたちに大人気。家族4人で初めて訪れた、大阪府豊中市の茨木咲良さん(7)は「雪は初めて見た。楽しくて、雪が好きになった」と笑顔を見せた。
 期間中は雪上で楽しむバナナボートや、青森県や秋田県のグルメが並ぶ屋台村「雪あかり横丁」、奥入瀬渓流の氷瀑(ひょうばく)をイメージしたフォトスポットなどを楽しむことができ、夜には花火が打ち上がる。土曜、日曜には北東北3県の芸能パフォーマンスなどを行う。
 会期は23日まで。火曜から木曜は定休日(祝日の11日は営業)。イベントの詳細は公式ホームページで確認できる。
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鹿角きりたんぽFMさん。

冬花火の美しさで魅了 十和田湖冬物語

 秋田と青森にまたがる十和田湖で冬の恒例のイベントが始まり、名物の花火の美しさが来場者たちを魅了しました。
 ことしで28回めとなる「十和田湖冬物語」が30日に始まり、夜には呼び物の花火のショーが休屋地区で行われました。
 音楽と一体化した演出になっており、曲の場面ごとにふさわしい色と形の花火がおよそ5分間、打ち上げられました。
 冬の澄んだ夜空に映る花火の美しさは格別で、赤やオレンジの光りが広がるたびに、訪れた人たちから歓声が上がっていました。
 東京都世田谷区から訪れていた30代の男性は、「東京から来たので雪自体が珍しいのに、花火と一緒の幻想的な世界を見られて感動しました。息子の2歳の誕生日なので、いい思い出になりました」と話していました。
 会場には、両県の名物などが提供される飲食のブースや、雪の大型滑り台なども設けられていて、訪れた人たちが思い思いのスタイルで楽しんでいました。
 また去年に続き、イベントと連動した冬の体験型アクティビティーも用意されていて、カヌー遊びやガイドウオーク、湖畔でのサウナなどで楽しませています。
 実行委員会では、「雪を楽しみたい外国人などが近年増えていて、手ごたえを感じている。ことしもイベントの期間中、十和田湖から青森、秋田の周遊を活発にしたい」と話しています。
 十和田湖冬物語は来月23日までの、祝日以外の火曜、水曜、木曜を除き、十和田湖休屋の多目的広場で開かれます。
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地方紙『北鹿新聞』さん。

十和田湖の魅力発信 花火や屋台村 23日まで「冬物語」 土、日は「冬の国境祭」も

 冬の北東北を代表するイベント「十和田湖冬物語」が先月30日、十和田湖畔の休屋で開幕した。今月23日まで土、日、祝日と月、金曜日に開かれる。夜に花火が打ち上げられるほか、会場の屋台村では温かい地元グルメが販売される。
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ぜひ足をお運びの上、幻想的な「乙女の像」ライトアップもご覧いただければと存じます。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)32 詩集『智恵子抄』

昭和22年(1947)11月25日 白玉書房 高村光太郎著
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目次
 人に             明治四十五年七月
 或る夜のこころ        明治四十五年八月
 おそれ            明治四十五年八月
 或る宵            大正元年十月
 郊外の人に          大正元年十一月
 冬の朝のめざめ        大正元年十一月
 深夜の雪           大正二年二月
 人類の泉           大正二年三月
 僕等             大正二年十二月
 愛の嘆美           大正三年二月
 晩餐             大正三年四月
 樹下の二人          大正十二年三月十一日
 狂奔する牛          大正十四年六月十七日
 鯰              大正十五年二月五日
 夜の二人           大正十五年三月十一日
 あなたはだんだんきれいになる 昭和二年一月六日
 あどけない話         昭和三年五月十日
 同棲同類           昭和三年八月十六日
 美の監禁に手渡す者      昭和六年三月十二日
 人生遠視           昭和十年一月二十二日
 風にのる智恵子        昭和十年四月二十五日
 千鳥と遊ぶ智恵子       昭和十二年七月十一日
 値ひがたき智恵子       昭和十二年七月十二日
 山麓の二人          昭和十三年六月二十日
 或る日の記          昭和十三年八月二十七日
 レモン哀歌          昭和十四年二月二十三日
 荒涼たる帰宅         昭和十六年六月十一日
 亡き人に           昭和十四年七月十六日
 梅酒             昭和十五年三月三十一日
 松庵寺            昭和二十年十月五日
 報告             昭和二十一年十月五日
 うた六首                         
 智恵子の半生         昭和十五年九月
 九十九里浜の初夏       昭和十六年五月
 智恵子の切抜絵        昭和十四年一月
 記

昭和16年(1941)龍星閣発行のオリジナルの内容に、戦後の詩「松庵寺」と「報告」を追加して出版されました。

沢田伊四郎の龍星閣は太平洋戦争の激化に伴い昭和19年(1944)に休業。『智恵子抄』は店頭から姿を消していましたが、需要があると踏んだ白玉書房の鎌田敬止が復刊させました。

巻末に置かれた光太郎筆の「記」には以下の記述があります。

 今度あたらしく白玉書房をはじめられる鎌田敬止氏は沢田伊四郎氏の快諾を得て、「智恵子抄」の再出版を企てられ、その事を私に諮られた。

しかしこの件に関しては鎌田と沢田で認識の違いがあったようで、沢田は認めたつもりはないと激怒。沢田は昭和24年(1949)に龍星閣を再興し、翌年には『智恵子抄』を再刊します。それに伴い白玉書房版は昭和25年(1950)の第五版を以て絶版となりました。

手持ちのものはその第五版です。

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