平凡社さんで刊行が続いているアンソロジー「作家と〇〇」シリーズ、第8弾だそうです。同じシリーズで令和3年(2021)に刊行された『作家と酒』にも光太郎作品が載っていますが、今回も採用して下さいました。
光太郎詩「湯ぶねに一ぱい」(大正5年=1916)が掲載されています。
湯ぶねに一ぱい
湯ぶねに一ぱい
湯は
しづかに満ちこぼれてゐる
爪さきからそろそろと私がはいれば
ざあつとひとしきり溢れさわいで
またもとの湯ぶねに一ぱい――
かすかに湧き出る地中の湯は
肩をこえて
なめらかに岩角から流れ落ちる
涌いてはながれ
涌いてはながれ
しづまり返つた山間の午後
私は止め度もなく湧いて流れる
温泉に身をとろかして
心のこゑをきく
止め度なく湧いて来るのは地中の泉か
こころのひびきか
しづかにして力強いもの
平明にして奥深いもの
人知れず常にこんこんと湧き出でるもの
ああ湧き出でるもの
声なくして湧き出でるもの
止め度なく湧き出でるもの
すべての人人をひたして
すべての人人を再び新鮮ならしめるもの
しづかに、しづかに
満ちこぼれ
流れ落ちるもの
まことの力にあふれるもの
この時期は日記も残って居らず、今一つ光太郎の詳細な行動が不明なのですが、執筆とそう遠くない時期にどこか山間の温泉に身を浸したことがうかがえます。温泉好きだった光太郎、ふらりと上州や那須などの温泉に浸かりにいくことがしばしばありました。
だいぶ後ですが、昭和17年(1942)、上州宝川温泉で入浴中の光太郎を写したショットが残っています。
また、尾崎士郎の『関ヶ原』というエッセイ集(昭和16年=1941)に、こんな逸話が。
記憶がよくないからまちがつてゐたら訂正するが、高村光太郎氏(だつたらうと思ふ)が、何時であつたか水上(温泉)のずつと奥にある藤原の高原地方を旅行してゐるときに、ある村の温泉にひたつたことがある。川の流れをうまく利用して自然に噴出する温泉を引き入れた石垣でかこんだ野天風呂でやつと一人がのうのうと両足を伸ばすに足るほどの広さであつたが、いい気持でぐつたり腰を落ちつけてゐるうちに、ふと眼の前で何か動き出したものがあるので何気なく眼を向けると、石垣の窪みに出来た穴の中から一ぴきの蛇が首(といつても首だが頭だかよくわからないが)をつき出してゐるのである。これはいかんと思つて反対側の石垣からとび出さうとすると、そつちの穴にも同じやうなやつが一ぴき首を出してゐる。右にも左にもゐるのである。まるで蛇にかこまれたやうなかたちであるが、今となると出ることも出来なければ引つ込むこともできず、ぢつとしてゐるうちにふと気がついて、それも窮余の策であつたにちがひないが、身に寸鉄も帯びないときであるだけに、恐らくそんな考へがうかんだものと思はれる。そのまま身体をうかすやうにして立ちあがつた。すると××××××××つきつけられた蛇が慌てて首をひつこめたのである。到底敵すべからずと思つたのか、それとも見るに忍びないと観じたのか、――まるで嘘のやうな話であるが一ぴき一ぴきと首を引つこめて、そのまま消えるやうに穴のおくへ逃げこんでしまつた。達人といへども裸でなかつたらこんな堂々たる応対のできる筈もなかつたであらう。蛇の眼には心頭を滅却した××××××槍の穂先のごとく見えたのかも知れぬ。かういふ芸当がいかなるときにでもできるといふ性質のものではない。
「××××××××」は最初から伏せ字になっています。「高村光太郎氏(だつたらうと思ふ)」なので、確実に光太郎のエピソードとは言い切れませんが、有り得なくはないかな、と思います(笑)。蛇をも震え上がらせる「××××××××」、どんだけだよ、という感じですが(笑)。
閑話休題、『作家とお風呂』、ぜひお買い求め下さい。
【折々のことば・智恵子】
今日この庭を立ち離るゝもひたすら畏き勅語の主旨に従ひさとし給ひし日頃の御教をしるべとして婦女たる道を踏迷ふことなく天晴本校卒業生たるの名誉を保たんことをつとむべしと思ふ心を一同に代りて聊か答ひ奉るになん
高等女学校卒業式で、総代として読んだ答辞の終末部分です。『福島民友新聞』に全文が引用されました。
例年は声の良い生徒が答辞を読むという慣例があったそうですが、この年は、智恵子の成績が余りに優秀で、声の善し悪しなど関係なく、総代は智恵子と衆目の一致だったそうです。
しかし、その後の智恵子は「ひたすら畏き勅語の主旨に従ひさとし給ひし日頃の御教をしるべとして婦女たる道を踏迷ふことなく」という人生は送りませんでしたが……。
作家とお風呂
発行日 : 2025年11月18日(火)
著者等 : 平凡社編集部
版 元 : 平凡社
定 価 : 2,000円+税
文豪から現代の人気作家まで、お風呂への愛が詰まったエッセイ、詩、漫画作品を収録。大好評の「作家と〇〇」シリーズ、第8弾。
文豪から現代の人気作家まで、お風呂への愛が詰まったエッセイ、詩、漫画作品を収録。大好評の「作家と〇〇」シリーズ、第8弾。
【収録作品(掲載順)】
Ⅰ 女湯のできごと
花嫁 石垣りん
久しぶりの銭湯 俵万智
ゆず湯 星野博美
女湯のほうが楽しいに決まってる! 鈴木いづみ
摩周湖紀行─北海道の旅より─ より 林芙美子
Ⅱ 銭湯大好き
底なし銭湯 さくらももこ
フルーツ牛乳の味 ヤマザキマリ
銭湯好き 高橋みどり
銭湯入口のサボテン 大竹伸朗
銭湯 別役実
湯の思い出 古井由吉
ぼくの銭湯論 より 田村隆一
江戸っ子比べ 前川つかさ
Ⅲ 我が家のお風呂
苦笑風呂 古川緑波
住居 長谷川時雨
セントウ開始! 青島幸男
きりなしうた 谷川俊太郎
風呂を買うまで 岡本綺堂
トキワ荘物語 赤塚不二夫
Ⅳ 温泉郷にて その1
忘れられぬ印象 芥川龍之介
温泉のお婆ちゃん 宇野千代
男湯と女湯 より 山下清
私の温泉 木村荘八
年頭の混浴 津島佑子
湧き出ずる泉 小林エリカ
「浴泉記」など 堀辰雄
其中日記 より 種田山頭火
Ⅴ 温泉郷にて その2
温泉 太宰治
石段上りの街 萩原朔太郎
伊香保土産 島崎藤村
湯ぶねに一ぱい 高村光太郎
山の湯の旅 上村松園
天谷温泉は実在したか 種村季弘
下部 つげ義春
サウナの正しい入り方 椎名誠
Ⅵ なぜ人は風呂を好むか
更くる夜 内海誓一郎に 中原中也
温泉雑記 より 川端康成
人生三つの愉しみ より 坂口安吾
電車と風呂 寺田寅彦
銭湯の熱さ 半藤一利
習慣というもの より 北杜夫
フロマンガ より 吉田戦車
南太平洋科学風土記 より 海野十三(佐野昌一)
ホテル―旅館―銭湯考 朝永振一郎
温泉2 中谷宇吉郎
入湯戯画 小出楢重
混浴の思想 浅田次郎
お風呂で考えた○○ 大槻ケンヂ
著者略歴・出典
光太郎詩「湯ぶねに一ぱい」(大正5年=1916)が掲載されています。
湯ぶねに一ぱい
湯ぶねに一ぱい

湯は
しづかに満ちこぼれてゐる
爪さきからそろそろと私がはいれば
ざあつとひとしきり溢れさわいで
またもとの湯ぶねに一ぱい――
かすかに湧き出る地中の湯は
肩をこえて
なめらかに岩角から流れ落ちる
涌いてはながれ
涌いてはながれ
しづまり返つた山間の午後
私は止め度もなく湧いて流れる
温泉に身をとろかして
心のこゑをきく
止め度なく湧いて来るのは地中の泉か
こころのひびきか
しづかにして力強いもの
平明にして奥深いもの
人知れず常にこんこんと湧き出でるもの
ああ湧き出でるもの
声なくして湧き出でるもの
止め度なく湧き出でるもの
すべての人人をひたして
すべての人人を再び新鮮ならしめるもの
しづかに、しづかに
満ちこぼれ
流れ落ちるもの
まことの力にあふれるもの
この時期は日記も残って居らず、今一つ光太郎の詳細な行動が不明なのですが、執筆とそう遠くない時期にどこか山間の温泉に身を浸したことがうかがえます。温泉好きだった光太郎、ふらりと上州や那須などの温泉に浸かりにいくことがしばしばありました。
だいぶ後ですが、昭和17年(1942)、上州宝川温泉で入浴中の光太郎を写したショットが残っています。
また、尾崎士郎の『関ヶ原』というエッセイ集(昭和16年=1941)に、こんな逸話が。
記憶がよくないからまちがつてゐたら訂正するが、高村光太郎氏(だつたらうと思ふ)が、何時であつたか水上(温泉)のずつと奥にある藤原の高原地方を旅行してゐるときに、ある村の温泉にひたつたことがある。川の流れをうまく利用して自然に噴出する温泉を引き入れた石垣でかこんだ野天風呂でやつと一人がのうのうと両足を伸ばすに足るほどの広さであつたが、いい気持でぐつたり腰を落ちつけてゐるうちに、ふと眼の前で何か動き出したものがあるので何気なく眼を向けると、石垣の窪みに出来た穴の中から一ぴきの蛇が首(といつても首だが頭だかよくわからないが)をつき出してゐるのである。これはいかんと思つて反対側の石垣からとび出さうとすると、そつちの穴にも同じやうなやつが一ぴき首を出してゐる。右にも左にもゐるのである。まるで蛇にかこまれたやうなかたちであるが、今となると出ることも出来なければ引つ込むこともできず、ぢつとしてゐるうちにふと気がついて、それも窮余の策であつたにちがひないが、身に寸鉄も帯びないときであるだけに、恐らくそんな考へがうかんだものと思はれる。そのまま身体をうかすやうにして立ちあがつた。すると××××××××つきつけられた蛇が慌てて首をひつこめたのである。到底敵すべからずと思つたのか、それとも見るに忍びないと観じたのか、――まるで嘘のやうな話であるが一ぴき一ぴきと首を引つこめて、そのまま消えるやうに穴のおくへ逃げこんでしまつた。達人といへども裸でなかつたらこんな堂々たる応対のできる筈もなかつたであらう。蛇の眼には心頭を滅却した××××××槍の穂先のごとく見えたのかも知れぬ。かういふ芸当がいかなるときにでもできるといふ性質のものではない。
「××××××××」は最初から伏せ字になっています。「高村光太郎氏(だつたらうと思ふ)」なので、確実に光太郎のエピソードとは言い切れませんが、有り得なくはないかな、と思います(笑)。蛇をも震え上がらせる「××××××××」、どんだけだよ、という感じですが(笑)。
閑話休題、『作家とお風呂』、ぜひお買い求め下さい。
【折々のことば・智恵子】
今日この庭を立ち離るゝもひたすら畏き勅語の主旨に従ひさとし給ひし日頃の御教をしるべとして婦女たる道を踏迷ふことなく天晴本校卒業生たるの名誉を保たんことをつとむべしと思ふ心を一同に代りて聊か答ひ奉るになん
「町立福島高等女学校卒業式答辞」より 明治36年(1903) 智恵子18歳
高等女学校卒業式で、総代として読んだ答辞の終末部分です。『福島民友新聞』に全文が引用されました。
例年は声の良い生徒が答辞を読むという慣例があったそうですが、この年は、智恵子の成績が余りに優秀で、声の善し悪しなど関係なく、総代は智恵子と衆目の一致だったそうです。
しかし、その後の智恵子は「ひたすら畏き勅語の主旨に従ひさとし給ひし日頃の御教をしるべとして婦女たる道を踏迷ふことなく」という人生は送りませんでしたが……。






















































































































































































































































































