2025年11月

平凡社さんで刊行が続いているアンソロジー「作家と〇〇」シリーズ、第8弾だそうです。同じシリーズで令和3年(2021)に刊行された『作家と酒』にも光太郎作品が載っていますが、今回も採用して下さいました。
002

作家とお風呂

発行日 : 2025年11月18日(火)
著者等 : 平凡社編集部
版 元 : 平凡社
定 価 : 2,000円+税

文豪から現代の人気作家まで、お風呂への愛が詰まったエッセイ、詩、漫画作品を収録。大好評の「作家と〇〇」シリーズ、第8弾。
001
【収録作品(掲載順)】
 Ⅰ 女湯のできごと
    花嫁 石垣りん
    久しぶりの銭湯 俵万智
    ゆず湯 星野博美
    女湯のほうが楽しいに決まってる! 鈴木いづみ
    摩周湖紀行─北海道の旅より─ より 林芙美子
 Ⅱ 銭湯大好き
    底なし銭湯 さくらももこ
    フルーツ牛乳の味 ヤマザキマリ
    銭湯好き 高橋みどり
    銭湯入口のサボテン 大竹伸朗
    銭湯 別役実
    湯の思い出 古井由吉
    ぼくの銭湯論 より 田村隆一
    江戸っ子比べ 前川つかさ
 Ⅲ 我が家のお風呂
    苦笑風呂 古川緑波
    住居 長谷川時雨
    セントウ開始! 青島幸男
    きりなしうた 谷川俊太郎
    風呂を買うまで 岡本綺堂
    トキワ荘物語 赤塚不二夫
 Ⅳ 温泉郷にて その1
    忘れられぬ印象 芥川龍之介
    温泉のお婆ちゃん 宇野千代
    男湯と女湯 より 山下清
    私の温泉 木村荘八
    年頭の混浴 津島佑子
    湧き出ずる泉 小林エリカ
    「浴泉記」など 堀辰雄
    其中日記 より 種田山頭火
 Ⅴ 温泉郷にて その2
    温泉 太宰治
    石段上りの街 萩原朔太郎
    伊香保土産 島崎藤村
    湯ぶねに一ぱい 高村光太郎
    山の湯の旅 上村松園
    天谷温泉は実在したか 種村季弘
    下部 つげ義春
    サウナの正しい入り方 椎名誠
 Ⅵ なぜ人は風呂を好むか
    更くる夜 内海誓一郎に 中原中也
    温泉雑記 より 川端康成
    人生三つの愉しみ より 坂口安吾
    電車と風呂 寺田寅彦
    銭湯の熱さ 半藤一利
    習慣というもの より 北杜夫
    フロマンガ より 吉田戦車
    南太平洋科学風土記 より 海野十三(佐野昌一)
    ホテル―旅館―銭湯考 朝永振一郎
    温泉2 中谷宇吉郎
    入湯戯画 小出楢重
    混浴の思想 浅田次郎
    お風呂で考えた○○ 大槻ケンヂ
 著者略歴・出典

光太郎詩「湯ぶねに一ぱい」(大正5年=1916)が掲載されています。

    湯ぶねに一ぱい

 湯ぶねに一ぱい003
 湯は
 しづかに満ちこぼれてゐる
 爪さきからそろそろと私がはいれば
 ざあつとひとしきり溢れさわいで
 またもとの湯ぶねに一ぱい――
 かすかに湧き出る地中の湯は
 肩をこえて
 なめらかに岩角から流れ落ちる
 涌いてはながれ
 涌いてはながれ
 しづまり返つた山間の午後
 私は止め度もなく湧いて流れる
 温泉に身をとろかして
 心のこゑをきく
 止め度なく湧いて来るのは地中の泉か
 こころのひびきか
 しづかにして力強いもの
 平明にして奥深いもの
 人知れず常にこんこんと湧き出でるもの
 ああ湧き出でるもの
 声なくして湧き出でるもの
 止め度なく湧き出でるもの
 すべての人人をひたして
 すべての人人を再び新鮮ならしめるもの
 しづかに、しづかに
 満ちこぼれ
 流れ落ちるもの
 まことの力にあふれるもの


この時期は日記も残って居らず、今一つ光太郎の詳細な行動が不明なのですが、執筆とそう遠くない時期にどこか山間の温泉に身を浸したことがうかがえます。温泉好きだった光太郎、ふらりと上州や那須などの温泉に浸かりにいくことがしばしばありました。

だいぶ後ですが、昭和17年(1942)、上州宝川温泉で入浴中の光太郎を写したショットが残っています。
011
また、尾崎士郎の『関ヶ原』というエッセイ集(昭和16年=1941)に、こんな逸話が。

 記憶がよくないからまちがつてゐたら訂正するが、高村光太郎氏(だつたらうと思ふ)が、何時であつたか水上(温泉)のずつと奥にある藤原の高原地方を旅行してゐるときに、ある村の温泉にひたつたことがある。川の流れをうまく利用して自然に噴出する温泉を引き入れた石垣でかこんだ野天風呂でやつと一人がのうのうと両足を伸ばすに足るほどの広さであつたが、いい気持でぐつたり腰を落ちつけてゐるうちに、ふと眼の前で何か動き出したものがあるので何気なく眼を向けると、石垣の窪みに出来た穴の中から一ぴきの蛇が首(といつても首だが頭だかよくわからないが)をつき出してゐるのである。これはいかんと思つて反対側の石垣からとび出さうとすると、そつちの穴にも同じやうなやつが一ぴき首を出してゐる。右にも左にもゐるのである。まるで蛇にかこまれたやうなかたちであるが、今となると出ることも出来なければ引つ込むこともできず、ぢつとしてゐるうちにふと気がついて、それも窮余の策であつたにちがひないが、身に寸鉄も帯びないときであるだけに、恐らくそんな考へがうかんだものと思はれる。そのまま身体をうかすやうにして立ちあがつた。すると××××××××つきつけられた蛇が慌てて首をひつこめたのである。到底敵すべからずと思つたのか、それとも見るに忍びないと観じたのか、――まるで嘘のやうな話であるが一ぴき一ぴきと首を引つこめて、そのまま消えるやうに穴のおくへ逃げこんでしまつた。達人といへども裸でなかつたらこんな堂々たる応対のできる筈もなかつたであらう。蛇の眼には心頭を滅却した××××××槍の穂先のごとく見えたのかも知れぬ。かういふ芸当がいかなるときにでもできるといふ性質のものではない。

××××××××」は最初から伏せ字になっています。「高村光太郎氏(だつたらうと思ふ)」なので、確実に光太郎のエピソードとは言い切れませんが、有り得なくはないかな、と思います(笑)。蛇をも震え上がらせる「××××××××」、どんだけだよ、という感じですが(笑)。

閑話休題、『作家とお風呂』、ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・智恵子】

今日この庭を立ち離るゝもひたすら畏き勅語の主旨に従ひさとし給ひし日頃の御教をしるべとして婦女たる道を踏迷ふことなく天晴本校卒業生たるの名誉を保たんことをつとむべしと思ふ心を一同に代りて聊か答ひ奉るになん


「町立福島高等女学校卒業式答辞」より 明治36年(1903) 智恵子18歳

高等女学校卒業式で、総代として読んだ答辞の終末部分です。『福島民友新聞』に全文が引用されました。

例年は声の良い生徒が答辞を読むという慣例があったそうですが、この年は、智恵子の成績が余りに優秀で、声の善し悪しなど関係なく、総代は智恵子と衆目の一致だったそうです。

しかし、その後の智恵子は「ひたすら畏き勅語の主旨に従ひさとし給ひし日頃の御教をしるべとして婦女たる道を踏迷ふことなく」という人生は送りませんでしたが……。
012

まず昨日から今日にかけマスコミ各社で報じられた訃報から。

それも2件立て続けでしたが、最初に長野県安曇野市の太田寛市長。光太郎の親友だった碌山荻原守衛の個人美術館・碌山美術館さんの理事を務められ、昨年今年の碌山忌では同じテーブルに着かせていただき、いろいろお話しさせていただいた方ですので、非常に驚いております。

共同通信さん。

太田寛さん死去 長野県安曇野市長

 太田 寛さん(おおた・ゆたか=長野県安曇野市長)28日午前8時59分、急性心臓死のため市内の病院で死去、69歳。
 同県出身。自宅は同市堀金烏川。葬儀の日取りは未定。
 長野県副知事を経て2021年の市長選で初当選。現在2期目だった。 
001
SBC信越放送さんのローカルニュース。

安曇野市の太田寛市長が急逝 自宅で就寝中に亡くなったか 死因は急性心臓死 前日夕方まで会議に出席するなど公務 元長野県副知事

 安曇野市の太田寛市長が28日、亡くなりました。69歳でした。死因は急性心臓死だということです。
  10月の安曇野市長選挙で、無投票で2度目の当選を果たした太田寛市長。自宅で就寝中に亡くなったと見られています。
002
 市は28日午後1時から緊急の会見を開きました。
 安曇野市 中山栄樹副市長:「突然の訃報に職員一同、深い悲しみと喪失感を抱いております」
 市によりますと、太田市長は、27日夕方まで会議に出席するなど公務を行っていました。しかし、自宅で就寝したまま起きてこなかったため28日朝、家族が119番通報し搬送先の市内の病院で、午前9時前に死亡が確認されました。急性心臓死だということです。
 太田市長は安曇野市堀金出身で県の総務部長や副知事を務めた後、2021年に安曇野市長に初当選しました。
003
 今年5月の「安曇野」ナンバーの実現に奔走するなど地元愛の強かった太田市長。
004
 28日から職務代理者を務める中山栄樹副市長は。
 安曇野市 中山栄樹副市長:「4年間足場を作って、これから芽を出して根付かせようという時で、4年間のいろいろな面から考えると安曇野市にとって大きな損失です」
005
 市長選挙は29日以降、市が選挙管理委員会に市長の死亡を通知し、そこから50日以内に行われます。

地元紙『信濃毎日新聞』さん。

安曇野市長の太田寛さん死去 69歳、10月に再選したばかり

 安曇野市の太田寛(おおた・ゆたか)市長が28日午前8時59分、急性心臓死のため安曇野市内の病院で死去した。69歳。安曇野市出身。自宅は安曇野市堀金烏川。
 太田氏は京都大卒。1979(昭和54)年に県職員になり、商工労働部長や総務部長を経て副知事を務め、2021年の市長選で初当選。10月5日告示の市長選で無投票で再選したばかりだった。
 太田氏の死去に伴う安曇野市長選は、公職選挙法に基づき、市選挙管理委員会に死亡の通知が届いてから50日以内に行われる。
 死去したことが28日に分かった安曇野市長の太田寛さん。経歴はこちら。
   ◇
 1956年生まれ。安曇野市出身で、松本深志高校(松本市)、京都大法学部を卒業し、1979(昭和54)年から県職員。企画局長や商工労働部長、総務部長を歴任し、2015年2月から副知事を務めた。2021年の安曇野市長選で、無所属新人2人を破って初当選。今年10月から2期目を務めていた。
 趣味は読書で、安曇野市出身の作家臼井吉見(1905~87年)の小説「安曇野」が愛読書。
008
『朝日新聞』さん。

長野・安曇野市長が死去 自宅から救急搬送、10月に再選された矢先

 長野県安曇野市の太田寛(ゆたか)市長(69)が28日、急性心臓死のため死去した。市によると、28日朝に自宅から救急搬送され、市内の病院で午前8時59分に死亡が確認された。通夜・葬儀の日程は未定。太田市長は10月5日に告示された市長選で、無投票で再選したばかりだった。市が28日、記者会見を開いて発表した。
 市によると、太田市長は27日に市議会定例会に出席。夜は松本市内であった連合長野松本広域協議会の定期総会に来賓として出席し、午後8時半ごろに安曇野市内の自宅に帰宅した。28日午前8時半ごろ、市職員が公用車で迎えに行くと、自宅前に救急車が来ていて病院に搬送された。
 中山栄樹副市長によると、27日の市議会定例会でも特に変わった様子はなかったが、「この2、3日、風邪っぽい」と言って、マスクを着用していた。中山副市長は「突然の訃報(ふほう)に、職員一同、深い悲しみと喪失感を抱いている。行政の継続性に万全を期したい」と語った。市長の職務代理者には中山副市長が就いた。
 太田市長は元県職員で、県総務部長や副知事を経て、2021年10月の市長選で初当選した。2期目では、企業誘致の推進やフィルムコミッション機能の強化を盛り込んだ観光政策などを公約に掲げていた。市の知名度を上げることに力を入れ、首都圏で安曇野産農産物をPRする事業を開催したり、臼井吉見の小説「安曇野」を復刊させることに取り組んだりした。中山副市長は「元副知事としての人脈でできたことが、相当あった」と振り返った。
 公職選挙法では市長に欠員が出た場合、5日以内に職務代理者が選挙管理委員会に通知し、通知から50日以内の選挙の実施が定められている。
 阿部守一知事は「あまたのご功績に深甚なる敬意と感謝の意を表するとともに、謹んでお悔やみを申し上げます」とコメントを出した。
006 007
『信毎』さんと『朝日』さんで触れられている、小説『安曇野』。光太郎の連作詩「暗愚小伝」(昭和22年=1947)が掲載された雑誌『展望』編集長を務め、光太郎とも交流のあった同市出身の臼井吉見が昭和40年代に執筆した長編で、守衛を含む安曇野の人々が中心に描かれ、守衛との絡みで光太郎も登場します。

太田市長、その復刊に尽力された他、NHK大河ドラマ化運動、さらに理事を務められていた碌山美術館さんでの講演などもなさっていました。こうした地元の文化遺産に対するご理解の点では、地方首長の鑑と言える方でしたので、非常に残念でなりません。後任の方にも太田市長の功績を受け継いでいっていただきたいものです。

もう1件、やはり昨日出た訃報です。

作家の嵐山光三郎さん死去 エッセーやテレビ番組で人気

009 軽妙なエッセーやテレビのバラエティー番組でも人気を集めた作家の嵐山光三郎(あらしやま・こうざぶろう)さんが14日午後、肺炎のため死去したことが28日、分かった。83歳。静岡県出身。葬儀は近親者で行った。
 国学院大を卒業後、平凡社に入社。雑誌「太陽」編集長などを務めた。独立後に雑誌「ドリブ」やテレビの人気バラエティー番組「笑っていいとも!増刊号」編集長を務め、1980年代の若者文化の担い手となった。
 「たのC(シー)のでR(アール)」といった「ABC文体」を駆使したエッセー、インスタントラーメンの評論なども手がけ、料理や温泉などにも健筆を振るった。「素人庖丁記」で講談社エッセイ賞を受賞した。
 「文人悪食」「文人暴食」では作家や歌人、学者らの食欲と創作欲の関わりに注目。松尾芭蕉の人間くさい側面に迫った「悪党芭蕉」では泉鏡花文学賞と読売文学賞を受けた。
 92年には日本人のコメ離れに歯止めをかけようと「日本ごはん党」を結成したことでも話題に。旅や釣りの愛好家としても知られた。

探せば他にもあるのかも知れませんが、「食」にもこだわりの強かった嵐山氏、『文人悪食』、『文士の料理店(レストラン)』『文士の御馳走帖』で、光太郎に触れて下さいました。
001
『悪食』は「高村光太郎…咽喉に嵐」。「レモン哀歌」(昭和14年=1939)をはじめ、光太郎の「食」に関わる詩文を15篇ほども引用、マイナーなそれも含まれていて、感心いたしました。『料理店(レストラン)』では「高村光太郎と米久」と題し、詩「米久の晩餐」(大正10年=1921)を中心に。浅草米久さんのレポートもカラー画像入りで入っています。『御馳走帖』でも米久さんが取り上げられ、小題は「高村光太郎 米久の晩餐 梅酒 こごみの味」でした。こちらはアンソロジーです。

最後に、宮城県歌人協会会長などを務められた佐久間晟氏。亡くなったのは今年3月ということでしたが存じ上げず、つい先日、奥様のすゑ子様から喪中葉書が届いて知った次第です。氏は大正15年(1926)のお生まれで、亡くなった際は満99歳だったそうです。
010 002
光太郎とも交流のあった歌人の前田夕暮に師事、奥様ともども歌誌『地中海』同人としてもご活躍。そして昭和26年(1951)、奥様との新婚旅行で花巻郊外旧太田村の光太郎の寓居を訪ねられました。右上の画像がその際のもの。右端が氏で、そのお隣が奥様、光太郎、左端はお二人を光太郎の元に案内してくれた花巻温泉の仲居さん・八重樫マサです。

昭和26年(1951)11月9日の光太郎日記より。

塩がまの人佐久間氏といふ人新婚にて花巻松雲閣より八重樫マサさんの案内で来訪、前田夕暮の弟子の由。

この際の様子を奥様が『地中海』平成17年1月号に短歌と文章で書かれ、たまたまその情報を得ましてお二人に連絡、お二人がお住まいの仙台でお会いし、貴重なお話を伺う事が出来ました。さらに晟氏の運転で松島まで行き、豪華海鮮料理を御馳走になってしまった次第です。
004 003
さらに上記写真を送った光太郎からの礼状(『高村光太郎全集』にもれていたもの)も拝見。
005
その際お聞きした内容を『高村光太郎研究』第28号(平成19年=2007)に「高村山荘訪問記 佐久間晟・すゑ子夫妻聞き書き」として掲載させていただきました。

そんなこんなが昨日のことのように思い出されます。

お三方のご冥福、心より祈念いたします。

【折々のことば・智恵子】

いとほしい髪の一すぢより 感情のはげしい瞬刻の閃光まで 私にとつては宝玉だ 抜きさしならない玉条だ


詩「無題録」より 大正3年(1914) 智恵子29歳

智恵子肖像このブログでは平成29年(2017)の元日から【折々のことば・光太郎】と題し、光太郎の書き残したもの、談話筆記、講演会筆録などから「これは」と思う一節を取り上げ続けてきました。それもそろそろネタ切れとなって参りまして、今日からは【折々のことば・智恵子】にします。智恵子が書き残したものはあまり多くないのですが、それでもやはり「これは」というものがありますので。

また、あまり取り上げられることの多くない智恵子自身の言葉を紹介することで、『智恵子抄』の裏側にどういう智恵子が居たのか、そんなことも語りたいと思っております。

初回は確認出来ている限り唯一の智恵子が書いた詩から。大正3年(1914)ですので、光太郎と結婚披露をする年で、その4ヶ月前に母校・日本女子大学校の同窓会誌『家庭週報』に寄稿したものです。当時としては遅まきの結婚でしたが、万物がキラキラ輝いて見えていた結婚直前の心境が垣間見えます。

本日から開始、京都の画廊での展示情報です。

日本の工芸品展

期 日 : 2025年11月28日(金)~12月23日(火)の火、金曜日
会 場 : Art Space癒心庵 京都府長岡京市今里畔町24-8
時 間 : 10:00〜15:30 午前、午後各1組4名様まで完全予約制
休 館 : 毎週火、金曜日以外
料 金 : 無料

 Art Space 「癒心庵」は京都府長岡京市岡村医院 腎•泌尿器科クリニック南側にございます。
 患者様にも楽しんで頂けますよう、貴重な美術品を、不定期に開催し展示しています。
 美術品をごゆっくりご覧頂けるようコンパクトに設計された空間で、作品のファンの方から、初めてご覧になる方までお気軽に楽しんでいただける癒しのArt Spaceとなっております。お気軽にご来館お待ちしております。
 癒心庵の展示は浮世絵版画、新版画、漆芸、陶磁器 (西洋陶磁器、日本陶磁器)、絵画、ガラス工芸等、幅広いジャンルの美術品を期間ごとに展示いたしております。
料金は無料。ご来館いただける方々の心の癒しになればと願い、貴重な美術品を展示しています。
 当館は多くの方々、特に普段気軽に美術館に出向く事が困難な高齢者や要介護者等の方々に心休まる一時、心躍る一時を感じて頂ける事を目的といたしております。
 当館では一時間帯一組(一組3名程度まで) のみですので 、 気兼ねなくゆっくりとご鑑賞いただけます。
 展示は年間 6テーマを2ケ月間隔で開催いたしております。
 また作品を単に展示するのみではなく、スタッフが詳細に作品の説明を行い、出来るだけ有意義な一時を過ごしていただき、皆様にとって心豊かな時間となりますようようご体験いただければ幸いです。
美術品の展示によって、作品に対する興味、理解 等を深めていただく事が、さらなる文化の普及と美の創造に真献できるものと信じております。
 展示室では、主として江戸期から現代までの様々なジャンルの美術品を展示しており、その美しさや歴史的価値を伝えています。
 患者様の心の癒しになれるよう、ご来場は無料。
幅広い年齢層の方々に、芸術の素晴らしさを伝えることができます。また、初めてアートに触れる方々にとっても、アートの世界を探求することができる貴重な場所です。
美術に興味がある方はもちろん、初めて美術館に足を運ぶ方も楽しめるような展示を心がけていますので、ぜひお越しください。
003
癒心庵さんのinstagram投稿から情報を得ました。光太郎の父・光雲作の木彫「鯉」が出品されるとのこと。一見して見事な造りですね。

ほぼ同一と思われる作が、山梨県の嘯月美術館さんに所蔵されていて、平成14年(2002)に茨城県近代美術館さん他を巡回した「高村光雲とその時代展」に出品されました。
001
また、京都の清水三年坂美術館さんには、鯉に乗った琴高(きんこう)仙人像が所蔵されています。
003
さらに鯉というと端午の節句の関係での注文が多かったようで、鯉のぼりをあしらったレリーフも複数例確認出来ています。
002 010
光太郎も鯉の木彫のチャレンジしました。新潟の素封家・松木喜之七の依頼で、やはり端午の節句がらみだったようです。
9f1462ed 004
ところが結局、光太郎の鯉は完成しませんでした。鱗の処理が難しいというのがその理由でした。右上は光雲の「琴高仙人像」の鱗ですが、こういういわばお約束的な様式化はやりたくない、しかしリアルな鱗を彫ろうとしてもどうもうまくゆかない、ということでした。

閑話休題、癒心庵さんでの光雲「鯉」、ぜひ足をお運びになってご覧下さい。他にフライヤーでは 前史雄、葉山有樹、宍戸濤雲の作が紹介されていますし、ハッシュタグには板谷波山、松田権六らの名もありました。

【折々のことば・光太郎】

彼は光と陰とを彫刻した。炎の教訓の前に熱狂した。

光太郎訳 マルセル チレル「ロダンのモデエル達」より
大正12年(1920)訳 光太郎41歳

ロダンもそうですし、光太郎、そして光雲にも、彫刻は「業(ごう)」のようなものだった気がします。

テレビ放映の情報です。

東北ココから 鈴木京香の東北オトナ旅 青森県十和田市編

地上波NHK Eテレ 2025年11月29日(土) 16:30〜16:59

宮城県出身の鈴木京香さんが新しい東北の魅力を発見する旅番組!今回の目的地は、アート好きの京香さんがずっと行きたかった青森県十和田市。草間彌生など世界的アーティストの作品が並び、有名建築家が設計した美術館には国内外からアート好きが訪れる知る人ぞ知る人気スポット。京香さんはアート作品に大興奮!さらに“ひとりスナック”や伝統工芸「南部裂織」の体験にも挑戦!今まで見たことがない“素の鈴木京香”がいっぱい!(8月29日東北地方で放送)

出演者 【出演】鈴木京香 【語り】久保史緒里
000
001
番組説明欄に「8月29日東北地方で放送」とあるのですが、7月29日だったはず。単純な間違いでしょうか? 当方、当時の配信サービス「NHKプラス」で拝見しました。

今回の放映は30分の「パイロット版」だそうで、10月17日(金)には43分の「完全版」の放映もあった由、『朝日新聞』さんの青森版に記事が出ていました。そちらをご紹介した際「こうした地方限定の番組、系列のBS局などで放映してほしい」と書いたのですが、Eテレさんでオンエアされるとは意外でした。ただ、尺の関係もあるのでしょうか、「完全版」ではなく「パイロット版」です。それでも録画してDVDに残すことができますので大歓迎です。ネット上の動画等もDVD等に残す技があるのかも知れませんが、当方、そういうスキルはありません。

光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」が取り上げられます。
004
その他、市街地の十和田市現代美術館さん(先日の『朝日新聞』さんではそこのところを大きく取り上げていました)、南部裂織の工房、新刊書店、それから鈴木さん人生初スナック(笑)など。
005 006
皆様もぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

ロダン夫人は、大きなサロンの中へ移されて、まるで睡つてゐるやうな様子であつた。ロダンはそれを見たがつた。彼は死者の顔の上へ身を屈めて、顔の上に接吻し、長い間つぶやきながら見てゐた。  ――美しい……古代彫刻の様に美しい……

光太郎訳 マルセル チレル「ロダン夫人の死」より
大正12年(1920)訳 光太郎41歳

ロダン夫人のローズ・ブーレは大正6年(1917)2月14日に亡くなりました。出会ったのは文久4年(1864)で、慶応2年(1866)には長男も誕生しますが、久しく内縁関係で(フランスでは事実婚は珍しくありませんでした)、正式な入籍は亡くなる2週間前の1月29日。ロダン自身も同じ年の11月17日に歿します。

このあたり、光太郎智恵子の関係にも通じますね。2人が出会ったのは明治44年(1911)、籍を入れずの結婚披露は大正3年(1914)、入籍は智恵子の心の病が昂進してからの昭和8年(1933)でした。そして妻に先立たれたという点も。

ローズが亡くなった際のロダンの様子からも、光太郎詩「レモン哀歌」や「荒涼たる帰宅」が想起されます。

ロダン貧窮時代にはさんざん苦労をかけられ、世に認められてからはカミーユ・クローデルとの愛人関係でまた一悶着。全てから解放されて亡くなって「古代彫刻の様に美しい」と言われて、嬉しかったかどうか……。

11月22日(土)と23日(日)、全日本合唱連盟さん主催の第78回全日本合唱コンクール全国大会の大学職場一般部門が開催されました。

そのうち大学ユースの部の結果を報じる『朝日新聞』さん記事。

都留文化大とソレイユ大臣賞 全日本合唱コン

 第78回全日本合唱コンクール全国大会の大学職場一般部門が22日、佐賀市文化会館で始まった。大学ユースの部と室内合唱の部で計10団体が金賞に輝き、それぞれ都留文化大合唱団(山梨)と女声合唱団ソレイユ(佐賀)が最優秀にあたる文部科学大臣賞を受けた。
 審査結果は次の通り。(特別賞以外の並びは出演順)
 ◇大学ユース(6人以上、28歳以下)
【金賞】都留文科大合唱団(山梨)=文部科学大臣賞=、
    Ensemble SAKAE(埼玉)=佐賀市教育委員会教育長賞=、
    
早稲田大コール・フリューゲル(東京)=日本放送協会賞=、
    関西学院グリークラブ(兵庫)、東京科学大混声合唱団コール・クライネス(東京)
【銀賞】早稲田大女声合唱団(東京)、九大混声合唱団(福岡)、金沢大合唱団(石川)、
    同志社グリークラブ(京都)、新潟大合唱団(新潟)
【銅賞】愛媛大合唱団(愛媛)、福島大混声合唱団(福島)、Chor Karmin(鳥取)、
    北海道大合唱団(北海道)

 ◇室内(6~24人)
【金賞】女声合唱団ソレイユ(佐賀)=文部科学大臣賞=、
    Chor Alyssum(東京)=佐賀市長賞=、
    AF合唱団(千葉)=日本放送協会賞=、
    Choeur Premier(千葉)、Ensemble Nisi(京都)
【銀賞】アンサンブルVine(京都)、札幌チェンバークワイア(北海道)、
    こそり(福島)、倉敷少年少女合唱団(岡山)
【銅賞】エシュコル(愛知)、Serenitatis Ensemble(徳島)、Ensemble Nix(福岡)

東京都代表の早稲田大コール・フリューゲルさんが、金賞および日本放送協会賞に輝きました。自由曲に新実徳英氏作曲の「愛のうた -光太郎・智恵子-男声合唱とフルート、クラリネット、弦楽オーケストラのために」から「レモン哀歌」を演奏されての受賞でした。おめでとうございます。
004
昨年も金賞ということで、9月に開催された都大会はシードで特別扱い。課題曲・自由曲1曲ずつのみの他団体とは異なり、自由曲としては「レモン哀歌」を含む4曲が演奏されました。全国大会出場は約束されていましたが、全国での自由曲が4曲の内のどれとその時点では発表されていませんでした。

以前ですと事前に各出場団体の演奏曲目がテキストデータでネット上に上がっていたのですが、今回はPDFや画像データでの予告で、見落としていました。来年以降、気をつけます。
006
コンクール後に行われる各団体の定期演奏会等で、コンクールの自由曲として演奏した作品をプログラムに入れるケースが結構あります。フリューゲルさんもそうで、来月開催予定のコンサートに「レモン哀歌」も入っていました。

早稲田大学コール・フリューゲル 第70回定期演奏会

期 日 : 2025年12月12日(金)
会 場 : 小金井宮地楽器ホール 大ホール 東京都小金井市本町6-14-45
時 間 : 18:30~ 
料 金 : 全席自由 1,000円

曲 目
 ・ 『レモン哀歌』 《愛のうた -光太郎・智恵子-》
   男声合唱とフルート、クラリネット、弦楽オーケストラのためにより
   [ピアノ-リダクション(四手連弾)版] 作曲:新実徳英  作詩:高村光太郎
 ・ 『彼岸花』 男声合唱組曲《雪と花火》より 作曲:多田武彦  作詩:北原白秋
 ・ 《Missa Papae Marcelli》より 作曲:Pierluigi da Palestrina
 ・ 男声合唱とピアノのための《あらゆる日も夜も》 作曲:根岸宏輔  作詩:川崎麻希
 ・ ポップス アラカルト 編曲:清水昭
 ・ 男声合唱と三つの打楽器のための《紋》 作曲:松本望  作詩:金子光晴

出 演
 指 揮:清水敬一(常任指揮者)/清水昭/真下洋介/小野由寛(学生指揮者)
 演 奏:早稲田大学コール・フリューゲル
 ピアノ:小田裕之/井川弘毅  パーカッション:篠崎智 

007
「レモン哀歌」、本来はオーケストラ伴奏として作曲され、令和4年(2022)の慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団さんの第146回定期演奏会で同団依嘱作品としてオケ伴で初演され、その際のライブ演奏を録画したDVDで拝聴しました。全音さんから刊行された楽譜はピアノ連弾の伴奏となっており、フリューゲルさん、コンクールでも定演でもその形での演奏です。

ピアノ連弾バージョンは聴いたことがないので、行ってみようかなと思っております。みなさまもぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

ロダンにとつては、生きてゐるといふ理由のみであらゆる生きて居るものは美しい。そしてあらゆるものは同等に美しい。

光太郎訳 アサア サイマンス「ロダン論」より
大正3年(1914)訳 光太郎32歳

名もない草花にも「美」を見出す、言うのは簡単ですが、それを常に意識するのは難しいような気がします。

東京藝術大学大学美術館取手館さんで開催中の「藝大取手コレクション展 2025」につき、地元紙『茨城新聞』さんが光太郎の名を出して報道して下さいました。

新収蔵棟完成し展覧会 東京芸大美術館取手館 自画像など50点 スペース不足解消 30日まで001

 東京芸術大の大学美術館取手館(茨城県取手市小文間)の多目的ホールで30日まで、収蔵作品を展示する「藝大取手コレクション展2025」が開かれている。卒業制作や資料など約50点が並ぶ。隣に新収蔵棟が完成し、保管スペース不足が解消されたことで実現した。同大と市が主催した。
 1994年に開館した取手館は開学当初からの卒業生の自画像はじめ、優秀な卒業制作など大学買い上げの作品や資料などを収蔵している。だが、保管場所が不足し、展示を想定した多目的ホールも収蔵品で埋まり、一般公開がほとんどできなかった。渡り廊下で結ぶ新収蔵棟が昨年完成してスペースが広がり、取手館の30周年も記念して今回の展示が実現した。
 取手館で収蔵する約1万3000件の中から厳選した作品を公開している。自画像約7000件のうち、明治から現在までの24点をはじめ、卒業・修了作品の絵や造形、先端芸術をそろえる。同大前身の東京美術学校の校長だった岡倉天心使用の椅子や高村光太郎の彫刻などの資料も見ることができる。
 大内伸輔特任准教授は「これまでなかなか公開できなかった貴重なコレクションを見てほしい」と話す。
 観覧無料。時間は午前10時から午後5時まで(入館は午後4時半まで)。25日は休館。
000
画像も上げていただいた光太郎作品は、明治35年(1902)の彫刻科卒業制作「獅子吼」石膏原型。腕まくりをして憤然と立つ日蓮をモチーフとしています。調べてみましたところ、取手キャンパスの収蔵棟は主に卒業制作を保管しているということで、まさにその対象でした。

ところで同展につき最初にご紹介した際、うっかり関連行事について書き忘れていたことに気づきました。すでに予約で一杯かもしれませんが、一応ご紹介しておきます。

藝大取手コレクション展2025 関連プログラム②:対話型鑑賞プログラム

藝大コレクションの作品を囲み、アート・コミュニケータ「トリばァ」とともに参加者同士の自由な対話を通じて、作品の持つ新たな魅力や、ご自身の内面にある気づきを発見する、豊かな鑑賞体験をお届けします。どうぞお気軽にご参加ください。

 日時 11月29日(土)11:00-12:00・14:00-15:00  11月30日(日)11:00-12:00・14:00-15:00
 会場 東京藝術大学大学美術館取手館 多目的ホール
 各回 定員12名
 ※以下のサイトより事前予約が必要です。

 アクセス 東京藝術大学取手キャンパス大学美術館取手館(茨城県取手市小文間5000)
 JR常磐線・関東鉄道常総線取手駅東口前2番乗り場から大利根交通バスで約15分、
 「東京藝術大学」または「東京芸大前」下車 徒歩5分
002
【折々のことば・光太郎】

信仰無ければ、美は忘却される。

光太郎訳 ロダン「続ロダンの言葉 「本寺」より(手記)」より
大正9年(1920)頃訳 光太郎38歳頃

我々日本人の多くは欧米の人々のようにキリスト教への篤い信仰というようなバックボーンを持ちませんが、決して「美」を忘却した民族ではないと思います。個々が宗教心を強く持たなくとも、身近に鎮守の杜やちょっとしたお堂などがあったりする環境が、民族全体として敬虔な心持ちを保っているように思われます。

昨日は都内で開催された第68回高村光太郎研究会に参加しておりました。レポートいたします。

会場は文京区のアカデミー向丘さん。
PXL_20251123_045504387
PXL_20251123_045544774
お二人の方の発表でした。

まず、中島宏美氏。「吹木文音」のペンネームで詩人として活動されています。
PXL_20251123_051342872
発表題は「智恵子へ寄せる思い」。

氏は智恵子のソウルマウンテン・安達太良山を望む福島郡山にお住まいだったこともおありだそうで、小学校4年生の頃に読まれた新潮文庫版の『智恵子抄』の思い出、智恵子紙絵の美しさ、そして智恵子という人物そのものの魅力などについて、詩人ならではの視点で語られました。

下画像はレジュメ1ページ目です。
001
稀有な詩集としての『智恵子抄』の特徴、価値などについて、「私見」と断りながらもなかなかに的確な解釈で、首肯させられました。

また、現代人の感覚だけで読むことの危うさ、と言ったお話も。氏は『源氏物語』のご研究もなさっており、その際の態度が『智恵子抄』解釈にも生かされているような気がしました。氏曰く「安易なフェミニズム/ジェンダー論で語るのは危険」、「智恵子を悲劇のヒロインと捉えるべきでない」とのことで。

つい先日も書きましたが、当会顧問であらせられた故・北川太一先生も、「はじめこの詩集は光太郎の一方的な思いこみにすぎず、光太郎の声だけしか聞こえない単なる幻想の産物だと批判した者もあった。しかし智恵子に関する資料が徐々に発掘され、智恵子が肉声で語りはじめるにつれて、その生の軌跡はますますリアリティを加え、文学としての評論、創作はもとより、ドラマ、オペラ、歌曲、舞踊、邦楽等々芸術のあらゆる分野の作者、演技者を動かし、それぞれがそれぞれの思いを込めて、その問いかけに答えようとする。」と述べられ、「安易なフェミニズム/ジェンダー論」などに疑問を呈されています。

かつてテレビ等で引っ張りだこだった「フェミニズム/ジェンダー論」者の女性は、もう最初から『智恵子抄』には拒絶反応を示し、ろくに確かめもしないまま「家事労働に追われて智恵子は才能を発揮出来なかった」とか「『智恵子抄』は智恵子の才能を押し潰す男の論理」といった発言を現在も繰り返しているようですが、そういう見方は論外ですね。

続いて武蔵野美術大学の前田恭二教授。
PXL_20251123_061542604
PXL_20251123_065746833.MP
雑司ヶ谷の季節――ヒューザン会、智恵子と読売新聞」と題されてのご発表でした。

雑司ヶ谷は現在の豊島区、文京区にまたがる一帯の地名で、明治末から大正初め、ここに集った美術家・文学者たちが一種のコミュニティーを形成していたというお話。同様のケースで「田端文士村」「池袋モンパルナス」などは有名ですが、雑司ヶ谷のそれはまだ注目度が低いものの、美術史・文学史上、いろいろと重要な出来事の背景に雑司ヶ谷での地縁が作用している、というわけで。なるほど、炯眼だなと思わせられました。

美術方面では斎藤与里、津田青楓、柳敬助、戸張孤雁、正宗得三郎、本間国雄、坂本繁二郎ら。文士としては上司小剣、正宗白鳥、三木露風、相馬御風、小川未明、徳田秋声、内田百閒、人見東明、谷崎潤一郎、秋田雨雀、中村星湖など。光太郎と何らかの関わりのあった面々が大半です。

そして智恵子も。智恵子は明治44年(1911)のおそらく3月から、すぐ下の妹・セキと共に雑司ヶ谷719番地に住んでいました。近くに住んでいた津田青楓には、師事、とまではいかないものの、絵のアドバイスを受けたりもしています。智恵子の言葉として有名な「世の中の習慣なんて、どうせ人間のこさへたものでせう。それにしばられて一生涯自分の心を偽つて暮すのはつまらないことですわ。わたしの一生はわたしがきめればいいんですもの、たつた一度きりしかない生涯ですもの」は、その頃、青楓に語られたものです。ただ、青楓が『漱石と十弟子』中でその言葉を文字にしたのは昭和23年(1948)になってからなので、微妙なニュアンスの違いはあるかも知れませんが。

先程の面々、共通点としては、早稲田出身者が多いということが挙げられます。それから、『読売新聞』の関係者も。人見東明は読売新聞社に勤務していたそうですし。それから、智恵子も所属していた太平洋画会や、光太郎も出入りしていた中村屋サロンの関係も垣間見えます。

またまた智恵子ですが、智恵子にも早稲田や『読売新聞』の影がちらつきます。雑司ヶ谷在住時の明治45年(1912)4月には早稲田大学高等予科教室で開催された早稲田文学者主催の装飾美術展覧会に作品を出品しています(前年に智恵子と知り合った光太郎もですが)。それから、同じ年の6月には『読売新聞』に連載「新しい女」の第17回として、「最も新しい女画家」の題で智恵子が好意的に紹介されています。
無題
このあたり、雑司ヶ谷という地縁も無関係ではないだろうということです。連載「新しい女」は、第1回が与謝野晶子。その他、松井須磨子や三浦環、『青鞜』にも寄稿していた国木田独歩の妻・治子、中村屋の相馬黒光などが取り上げられましたが、この時点での知名度は智恵子は彼女たちほどではなく、確かにおかしいといえばおかしいところです。

そして雑司ヶ谷に集った美術家たちが、光太郎も参加したヒユウザン会(会場が読売新聞社)や、文展に反旗を翻した二科会にも繋がっていくというお話。「おお」という感じでした。

来月、明星研究会さんでの発表を仰せつかっており、明治末から大正前半頃の光太郎の立ち位置について光太郎を中心とした人物相関図なども作成し、お話しする予定なのですが、大いに参考になりました。

発表はこのように素晴らしいものでしたが、残念なことに参加者があまり多くありませんでした。まぁ、毎年のことといえばそうなのですが(今時、ホームページが存在しない団体ですので……)。ほぼ毎回欠かさず参加されている方の中には他の外せない会合があるやに聞きまして、どうもこの時期はこの手のイベントが重なるので致し方ないかなとも思います。当方も来週は「十和田湖の未来を語る東京フォーラム ~大町桂月と名勝価値の再発見~」で発表がありますし、どちらかが1週ずれていたらアウトでした。それでも、当方の投稿を読まれて初めてご参加下さった京都大学の学生さんなどもいらっしゃり、良かったと思いましたが。

高村光太郎研究会、こんな感じで年に一度の研究発表会をおこなっていますし、年会費3,000円で入会されると会誌『高村光太郎研究』(4月発行で、主に前年に研究発表をなさった方がそれを元にご執筆。それプラス当方の連載「光太郎遺珠」「高村光太郎没後年譜」など)が送られてきます。

ぜひご入会下さい。

【折々のことば・光太郎】

一体大家達があとからあとからいろんな違つた技巧を採用するといふ事が確かでせうか。どうも怪しい。私はさう思ひません。


光太郎訳 ロダン「続ロダンの言葉 ポール グゼル筆録」より
大正9年(1920)頃訳 光太郎38歳頃

「不易と流行」ということを考えさせられます。

4件ご紹介します。

まず、石川県立美術館さん他で開催中の「令和6年能登半島地震・令和6年奥能登豪雨復興支援事業 ひと、能登、アート。」について、地元紙『北国新聞』さん。

教科書で見た至宝集う 「ひと、能登、アート。」開幕 国宝、重文など86点

●県立美術館など3会場で順次
 東京の美術館や博物館の名品が金沢に集結する特別展「ひと、能登、アート。」(北國新聞社共催)は15日、石川県立美術館で開幕した。東京国立博物館(東博)をはじめ、約30の文化施設や個人が所有する国宝、重要文化財(重文)など86点が、金沢市内3会場で展示される。県立美術館では43点が並び、来場者は教科書で目にするほど著名な文化財の「オールスター」を心ゆくまで鑑賞した。
 同展は県、金沢市、東博などが来年3月1日まで主催し、県立美術館、国立工芸館、金沢21世紀美術館で順次、名品を並べる。3館合同の展覧会は初めて。
 重文に指定されている高村光雲の彫刻「老猿」は、オオワシと格闘した後の気迫に満ちたサルの姿を表現している。大正天皇のご成婚25周年を祝い献上された平福百穂(ひゃくすい)の屏風「丹鶴青瀾(たんかくせいらん)」は青い波と金泥が織りなすダイナミックな背景に、夫婦円満や長寿を象徴する鶴が対照的に描かれている。
 このほか、七尾生まれの画聖・長谷川等伯の重文「牧馬図屏風(ぼくばずびょうぶ)」と「烏鷺図(うろず)屏風」、高い人気を誇る江戸時代中期の絵師伊藤若冲の「松梅孤鶴図(しょうばいこかくず)」、菱川師宣の「見返り美人図」なども来場者の注目を集めた。
●知事「オールスター」
 開会式では、馳浩知事があいさつで今回の特別展を「美術・工芸・博物館のオールスター戦」とたとえ、「石川にはアートの底力がある。県民の湧き上がる力をもっと応援していきたい」と語った。東博の藤原誠館長、北國新聞社の小中寿一郎社長もあいさつした。
 会期は県立美術館が12月21日まで、国立工芸館が12月9日〜来年3月1日、金沢21世紀美術館が12月13日〜来年3月1日となる。入場料は一般千円、大学生800円、高校生以下無料。昨年の能登半島地震と豪雨の復興支援を目的としており、内灘町以北の住民のほか、被災後に能登から移住した人は無料となる。
006
同じ件で『朝日新聞』さん石川版。

国宝、重文が金沢に集合、復興応援 3施設に86件の文化財

 2024年の能登半島地震や奥能登豪雨で被災した地域と人々を励まそうと、東京を中心とする美術館・博物館などの文化財を、金沢市内で展示する「ひと、能登、アート。」(朝日新聞社など後援)が15日、始まった。
001
 東京国立博物館が呼びかけ、約30の美術館・博物館や個人などが所有する文化財計86件を、金沢の3館に分けて展示する。15日に開幕した石川県立美術館(12月21日まで)では、室町時代の雪舟等楊(とうよう)による国宝の水墨画「秋冬山水図」をはじめ、重要文化財では江戸時代の尾形光琳の「風神雷神図屛風(びょうぶ)」、明治時代の高村光雲の「老猿」、黒田清輝の「湖畔」など、教科書でも取り上げられるような名作40件あまりが展示されている。
002
004
 開会式で東京国立博物館の藤原誠館長は「作品の背後にある人の思いや祈りに触れ、再生への希望を感じ取ってもらいたい。多くの人が足を運んで、被災地へ思いをはせていただけたら大変光栄です」と話した。
 野々市市から夫婦で訪れた主婦の高田みどりさん(51)は「有名な作品を直接見ることができて感激した」と話す。「被災された方も、作品を見て前向きな気持になってもらいたい」
 金沢21世紀美術館(12月13日~2026年3月1日)では、ルノワールやルソーといった西洋の名画など15件が展示される予定。国立工芸館(12月9日~26年3月1日)では30件近くが出展され、重要文化財の遮光器土偶のほか、国宝の「秋草文壺(あきくさもんつぼ)」など工芸品が中心となる見込み。
 問い合わせは県文化振興課(076・225・1371)へ。


続いて、少し前ですが『毎日新聞』さん北九州版。読者の方の投稿欄のようです。

はがき随筆 冬 小倉南区星和台 山口敬司(73)/福岡

 少年時代に読んだ高村光太郎の詩「冬が来た」をこの日、独唱した。冒頭、「きっぱりと冬が来た」、末尾「刃物のやうな冬が来た」。
 霜月、未明にベッド頭上の窓をまるで切り裂くような雷が鳴り、カサカサと音をたてて落ち葉の上をたたく時雨の音を聞いた。
 ふと目を覚まし、暦を見る。残すところ、あと2枚だ。独唱のごとく、ものみな枯れる冬に立ち向かわなければならない。
 73歳という人生を。厳しく生きる術を。そこに老齢の未来があることを信じて。そして輝かしいということも。冬が来た。

まだ11月ですが、たしかにもう冬が来た感がいっぱいですね。秋はどこへ行ってしまったんだ? と思わされます。

光太郎詩「冬が来た」(大正2年=1913)、この時期のコラム等にはよく取り上げられます。
012
最後に『朝日新聞』さん青森版。

森佳正の青森ウォッチング アートは全身で体感が大事 NHK「鈴木京香の東北おとな旅」

000 宮城県出身の俳優・鈴木京香さんが、改めて東北の魅力を再発見してみようというNHKの紀行番組「鈴木京香の東北オトナ旅」。今回の「青森県十和田市編」は8月にパイロット版の30分で放送され、10月には43分の完全版として放送された。
 「オトナ旅」ということもあって、番組では、自然・建築・アート・人気スポット・伝統工芸・夜の街の六つのテーマで十和田を紹介していた。
 冒頭で、十和田の代名詞である十和田湖を久しぶりに訪れた京香さんは、湖畔にたたずむ乙女の像を鑑賞した。
 像を造った高村光太郎による直筆の詩が刻まれた碑銘を読み上げる。
 「この原始林の圧力に堪へて立つなら幾千年でも黙って立ってろ」
 作品名の「乙女」から抱くイメージとは大きく異なる光太郎のメッセージに京香さんは、「ものすごく生命の力強さを詠んだ言葉ですね」と感嘆していた。
 番組のハイライトは、十和田市現代美術館に常設展示されている作品《ザンプラントSumpf Land》だ。
 造型作家の栗林隆氏の空間芸術作品で、真っ白の部屋の天井にポコっと首だけが出せる穴が空いている。その天井穴から顔を出した京香さんは、眼前の別世界を見て思わず声を上げた。
 「私、『地獄の黙示録』になっている!」
 主人公が、ジャングルの沼からすっと顔を出す、あの名シーンをさながら再現したかのような、緑が生い茂る湿地に鏡のように張る一面の水面が飛び出した首の周りを360度囲んでいたのだった。
 京香さんも、「全く予備知識なく来てよかった」と大満足。作品名を調べたら、ザンプ(Sumpf)が湿地の意味だから感動は半減していたかもしれない。アート作品は、まず、予備知識なく全身で体感するのが大事だと、この番組は教えてくれた。


NHKさんの東北限定番組「鈴木京香の東北オトナ旅」。「8月にパイロット版の30分で放送」とありますが、そちらは旧NHKプラスさんの配信で拝見しました。
008 009
その後、10月17日(金)に「43分の完全版」の放映があったそうで、そちらは存じませんでした。
010
民放さんでもそうですが、こうした地方限定の番組、系列のBS局などで放映してほしいものだと思いました。

さて、最初に戻りますが、「令和6年能登半島地震・令和6年奥能登豪雨復興支援事業 ひと、能登、アート。」、それから十和田湖も、ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

一つの胴と四つの肢体。此が実に無限だ。どんなにいろいろの事が此で物語れる事ぞ!

光太郎訳 ロダン「続ロダンの言葉 フランシス ド ミオマンドル筆録」より
大正9年(1920)頃訳 光太郎38歳頃

作品モチーフとしての人体について。胸像や頭部のみと異なり、四肢を使うことができれば表現の幅はぐっと広がるわけで。ロダン代表作の一つ「カレーの市民」など、まさにその具体例ですね。
011
光太郎の「乙女の像」、それから人体ではありませんが、光雲の「老猿」などにも言えることだと思います。

会期残りわずかとなってしまって申し訳ありませんが、福岡から写真展の情報です。

Fixtyle Portrait Fukoka 8th

期 日 : 2025年11月20日(木)~11月24日(月・振休)
会 場 : 久留米市美術館1階ギャラリー 福岡県久留米市野中町1015
時 間 : 10:00~17:00(最終日 16:00まで)
休 館 : 会期中無休
料 金 : 無料

PASHA STYLEアンバサダーのUGタナカユウジさんが主宰するグループ写真展『Fixtyle Portrait Fukuoka 8th』が、今年も久留米市美術館で開催される。

「Fixtyle」は“自分らしさを固定する”という想いを込めた造語で、2018年の開始以来、個性豊かなフォトグラファーが集う発表の場として成長してきた。今回も学生からプロまで幅広い参加者が集まり、国内外で活躍するアーティストの作品も図録に掲載される。

会場は第7回に続き久留米市美術館1Fギャラリー。美しい展示空間がポートレート作品を一層引き立てる。会期中は写真機材メーカーによる最新機材展示やライブセミナーなど、来場者が楽しめる関連イベントも予定されている。

Fixtyle Portrait Fukuokaは年々規模を拡大し、西日本を代表するポートレート写真展へと進化を続けている。ぜひ会場で、表現の多様性と作品に込められた“スタイル”を感じてほしい。
007 006
「ポートレート展」と謳われていますので、風景写真等ではなく人物中心と思われます。

出品者のうち、Yasuyuki Ibaraki氏という方が、「智恵子抄」オマージュの作品を出展なさっています。

氏のx(旧ツィッター)投稿から。
008

今回の展示テーマ
 高村光太郎著 智恵子抄 レモン哀歌のオマージュです
 芸術を志す高村夫婦が生活に困窮し智恵子さんは家事に追われ創作は諦めざるをえなくなります。辛く希望も少ない日々に智恵子さんは少しずつ壊れてしまう。結果心と身体の病に臥してしまった病床の智恵子さんが、光太郎が手渡したレモンをかじった瞬間、壊れたはずの智恵子さんが一瞬健やかだった頃の意識を取り戻してから逝ってしまった瞬間を、光太郎さんが詩に綴ったものです。
 どの程度表現できているかは分かりませんが、少しでも感じていただけたら嬉しいです😌

氏は昨年の同展でも「智恵子抄」所収の「狂奔する牛」(大正14年=1925)がらみの作品を出展なさったそうですが、そちらは存じませんでした。

「智恵子抄」からインスパイアされた二次創作は実に多岐に亘り、文学、音楽、舞台芸術、食品香水、そして写真も含む造型美術など、まさに五感それぞれに訴えかけるさまざまなものが生み出されていて、ありがたいかぎりです。それだけ「智恵子抄」の世界観が人々に訴えかける何かを持っているということの証しだと思われますが。

当会顧問であらせられた故・北川太一先生曰く

 はじめこの詩集は光太郎の一方的な思いこみにすぎず、光太郎の声だけしか聞こえない単なる幻想の産物だと批判した者もあった。しかし智恵子に関する資料が徐々に発掘され、智恵子が肉声で語りはじめるにつれて、その生の軌跡はますますリアリティを加え、文学としての評論、創作はもとより、ドラマ、オペラ、歌曲、舞踊、邦楽等々芸術のあらゆる分野の作者、演技者を動かし、それぞれがそれぞれの思いを込めて、その問いかけに答えようとする。 
  (『芸術夢紀行シリーズ 智恵子抄アルバム』 芳賀書店 平成7年=1995)

今後とも、様々な分野の方に「智恵子抄」を取り上げていただきたいものです。ただし、そこにリスペクトの精神を以て、ですが。

さて、「Fixtyle Portrait Fukoka 8th」。明後日までとなっています。ご都合の付く方、ぜひどうぞ。
009
余談ですが、久留米というと、光太郎の遺作「倉田雲平胸像」。倉田は倉田はツチヤ地下足袋(現・ムーンスターさん)の初代社長で、久留米出身でした。そこで久留米の「つきほし歴史館」さんに「倉田雲平胸像」が展示されていて、今回の会場に近い場所なら「ついでに足をお運び下さい」と書くつもりでいましたが、改めて調べたところ、同館は令和2年(2020)に閉館していました。「ありゃま」という感じです。所蔵されていた「倉田雲平胸像」、どうなったのかご存じの方がいらっしゃいましたらご教示いただけると幸いです。

【折々のことば・光太郎】

幾何学は、実際、自然の到る処に存在します。してみれば、腕を挙げたり、又脚をわれ知らず動かしたりする事に其が無くてどうしませう。髪を梳く女は美しい調和――最高度の優美――を構成するリヅムある動勢の連続を行つてゐるのです。身体の全リヅムは理法によつて支配される。


光太郎訳 ロダン「続ロダンの言葉 フレデリク ロートン筆録」より
大正9年(1920)頃訳 光太郎38歳頃

人体大好きのロダンならではの言ですが、光太郎もこうした考えにがっつり影響されたようです。

ちなみに「動勢」の語は訳出の上での光太郎の造語です。

都内からイベント情報です。東京青森県人会さんの主催で、当方もパネリストの一人として登壇させていただきます。

十和田湖の未来を語る東京フォーラム ~大町桂月と名勝価値の再発見~

期 日 : 2025年11月30日(日)
会 場 : 港区赤坂区民センター 港区赤坂4丁目18-13
時 間 : 展示/13:00〜16:30 トークイベント/14:15〜16:30
料 金 : 無料(事前申込制) 参加登録フォームはこちら

 明治・大正期に活躍した文人・大町桂月(1869〜1925)の没後100年を記念し、十和田湖・奥入瀬渓流の自然と文化の価値を再発見しながら、国立公園としての未来を展望するトークイベントです。
 桂月が全国を旅して自然の美を詠んだ足跡や、彼の影響で全国に広まった保勝運動、そして高村光太郎による**「乙女の像」**制作の背景などを紹介。
 また、日本とアメリカの国立公園制度を比較しながら、自然と文化の融合的価値を見つめ直します。会場では、桂月ゆかりの掛け軸や資料の展示も行われ、彼の文学と思想に触れられる貴重な機会です。

パネリスト(予定)
 谷川妙子(大町桂月を語る会)
 小坂竜(建築デザイナー)
 小山弘明(高村光太郎連翹忌運営委員会代表) ほか
 
006
大町桂月は明治の文豪。十和田湖や周辺の景観を愛し、明治末にそれまで全国区では知られていなかったその美しさををさまざまな紀行文で広く世に紹介しました。明治44年(1911)、それらを読んだ皇太子時代の大正天皇が十和田湖に興味を持ち、当時の青森県知事・武田千代三郎に、北海道巡啓のついでに十和田湖に行ってみたいのだが現地の様子はどんな感じか? と問うたのですが、武田は十和田湖に足を運んだことがなく、ろくに答えられませんでした。それを恥じた武田は、地元の法奥沢村長兼県会議員の小笠原耕一と共に道路整備、国立公園指定の請願等に腐心、彼等の活動が実り、昭和11年(1936)には十和田湖周辺が国立公園に指定されました。
007
下って戦後の昭和26年(1951)、当時の青森県知事・津島文治(太宰治実兄)が中心となり、国立公園指定15周年を期に、桂月等を「十和田の三恩人」として顕彰するモニュメントの建設を計画。しかしそういう前例のほとんど無かった時代で、どんな物を作るべきか、誰に頼めばいいのかなど、さっぱりわからずに頭を抱えていたところ、たまたま十和田の三本木高校の校歌を作詞した佐藤春夫が来県。津島知事から相談を受けた佐藤は「そういうことなら日本で一番の造型作家は高村光太郎先生だから」と、光太郎を推薦しました。
008
光太郎は当時、花巻郊外旧太田村の山小屋に隠棲していましたが、佐藤からの「あなた以外の作品が十和田湖に建っては日本の恥だ」的な内容の懇切丁寧な書簡を読み、また、自身でも死期がそう遠くないことを自覚しており、そろそろ生涯最後の大作にかからねば、と考えていた時期だったこともあり、いろいろ逡巡したものの、結局、制作を引き受けました。その結果、「乙女の像」が誕生したわけです。ざっくりですが。
010
太田村での山小屋では巨大彫刻の制作は不可能なので、光太郎は昭和27年(1952)、7年半ぶりに上京。貸しアトリエとして運用されていた中野区の中西利雄アトリエに入り、助手として野辺地町出身の彫刻家・小坂圭二を雇い、像の芯に針金を巻き付けたり、粘土をこねたりなどの力仕事を手伝ってもらいました。
009
今回のイベントでは、小坂の子息・建築デザイナーとして活躍されている竜氏もご登壇なさるそうです。

メインは没後100年となった桂月。桂月といえば、光太郎の姉貴分・与謝野晶子が日露戦争に出征した弟・籌三郎の身を案じた「君死にたまふこと勿れ」(明治37年=1904)を痛烈に批判したことでも知られています。時を経て光太郎がその桂月顕彰に携わったというのも面白いところです。

当日はざっくりとそんな話をさせていただこうと思っております。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

いのちあるものに醜はない。人間の感情を暗示するもの、悲愁にしても苦痛にしても、温良にしても忿怒にしても、憎悪にしても、恋愛にしても、其は皆それぞれの美の刻印を持つてゐる。それ故、私は一切の存在は美であり、一切の美は真であるとする――人は真なるものの中から選択する権利を持つてゐる。

光太郎訳 ロダン「続ロダンの言葉 クラリ筆録」より
大正9年(1920)頃訳 光太郎38歳頃

ロダンはつくづく「人間」が好きだったんだなぁと思わせられます。

光太郎第二の故郷・岩手花巻で主に「食」を通じての光太郎顕彰を続けられているやつかの森LLCさんの取り組み。

毎月15日は、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナントのミレットキッチン花(フラワー)さんで、やつかの森さんがメニュー考案に当たられている弁当「光太郎ランチ」が販売されていまして、その今月分。
1763205161439
1763205276053
1763205251881
品目は「鱈フライ」「大根と牛肉のきんぴら」「ポテトサラダ」「卵焼き」「漬物」「ハムカツサンド」「麦ご飯」「南瓜の茶巾と秋の果物」だそうです。基本的には、光太郎が実際に自作したメニューや使った食材を参考に組み立てられています。

同様の方法で、ランチを提供する「こうたろうカフェ」としての活動。市内のワンデイシェフの大食堂さんで、こちらも月に一度行われています。今月は一昨日でした。
無題
画像2枚、追加いたします。
1763453463276
1763508171530
こちらのメニューは「こうたろう春巻き」「手羽元とコンニャクの甘辛煮」「柿ドレッシングサラダ」「のり巻き卵焼き」「ほうれん草のピーナッツ和え」「漬け物」「手作り味噌の具だくさん豚汁」「新米ごはん」「林檎のケーキ」「コーヒー」。

いずれも秋の実りがふんだんですね。秋、といっても、もうあちらでは既に初雪も降ったそうで、冬本番も間近のようですが。

双方の取り組み、末永く続く事を祈念いたします。

【折々のことば・光太郎】

天賦の才といふものも其を価値あらしめるだけの意志がなければ何にもなりません。芸術家は一滴一滴岩に喰ひ込む水の辛抱強さを持たねばなりません。

光太郎訳 ロダン「続ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正9年(1920)頃訳 光太郎38歳頃

才能を生かすことができる才能というものも、確かにあるような気がします。逆にそれが欠けているばかりに、あたら天賦の才を無駄にしてしまった例も。

3件ご紹介します。

まずは完全に光太郎がらみで、ラジオ放送。

朗読のヒロバ 第59回 高村光太郎「智恵子抄」

TBSラジオ 11月23日(日) 05:05 ~05:15

日々研鑚したプロの技術で朗読すると、物語はより立体的に瑞々しく聞こえてくるものです。この番組では、TBSアナウンサーはじめ“声のプロ”である、アナウンサー、ナレーター、俳優、声優などが「ヒロバ」に集まる様な感覚で、毎月テーマを決めてお届けします。自らの技術を活かして、古今東西の名作を朗読!お楽しみに。

次回は、高村光太郎「智恵子抄」の作品を朗読!

【出演】佐藤文康 皆川玲奈 御手洗菜々
007
続いてはテレビ番組。光太郎智恵子には触れられないような気もしますが……。

秘湯ロマン

地上波テレビ朝日 11月21日(金) 03:00~03:30

日本全国の秘湯と呼ばれる温泉の魅力を紹介します。今回の秘湯は福島県、飯坂温泉「鯖湖湯」「青葉旅館」「鯖湖湯」、穴原温泉「吉川屋」。

出演者 【旅人】佐藤あかり 【ナレーション】丸山未沙希
008
福島市の穴原温泉・吉川屋さんが取り上げられます。光太郎智恵子が大正9年(1920)に泊まった宿です。画像は当方手持ちの古絵葉書。
006
さらに、交流のあった作家・田村松魚に宛てた絵葉書。大正9年(1920)5月9日の消印です。
002
001
穴原といふのは弦歌の巷 飯坂温泉の奥の幽邃の勝地です。君と一緒に一度遊びたいやうな気がします。
大阪時事の方はどうなつたか心懸りになつてゐます。
よろしく

松魚は智恵子の親友・田村俊子の夫で、夫婦ぐるみの交流がありましたが、この時点では既に離婚、俊子は新たな恋人・鈴木悦を追ってカナダに渡っていました。

建物は近代的な物に建て替わっているはずですが。

それから、番組では飯坂温泉も紹介されます。

「鯖湖湯」は共同浴場。
009
平成14年(2002)に、飯坂温泉で故・北川太一先生を囲んで高村光太郎研究会が催されたことがあり、その際に入浴しました。50℃ほどもある熱い湯でしたが、ぬる湯は嫌いな当方としては大満足でした(笑)。

研究会会場で、宿泊もしたのは、なかむらやさんという蔵造りの宿でした。当時の写真を引っぱり出してみました。
003
この研究会席上、北川先生から、行方不明になっていた光太郎木彫「栄螺」(現在は愛知小牧のメナード美術館さん所蔵)が見つかったと報告があり、仰天しました。昨日のように思い出します。

残念ながらなかむらやさんではく、近くの「旅館青葉」さん、それからやはり共同浴場の「十綱湯」さんが取り上げられます。

もう1件。こちらも光太郎智恵子の名は出て来ないとは思いますが……。

いいね!じゃぱん【行って楽しむ!日本のおすすめエリア特集!!】

BSテレ東 11月23日(日) 14:30〜16:00

毎回、日本全国にある「いいね!」と呼べるトピックを《いいね!探し隊》が、その土地ならではの良さを堀りさげてリポートします。まだまだ知られてない日本の魅力を徹底取材。観光スポットだけでなく、その地域ならではの産品や取り組み、人との繋がりなどたくさんのいいね!をお届けする地域情報番組です。

<山口県岩国市> 
 豪快!岩国寿司&清流が育む銘酒。着物で錦帯橋散策。老舗漬物店でぬか床作り体験。旅行のプロが注目する新たな岩国の魅力とは?

<岩手県花巻市> 
大谷翔平が育ったまちで未来のスターに遭遇? グルメもたっぷり堪能! 絶品ブランド豚&極上厚切り牛タン! &温泉地で見つけた売切必至の(秘)スイーツ

<福岡県八女市>
八女市を代表する“八女茶”は、この地域でしか出せない極上の味わい。100g10万円?高級玉露の味とは?さらに、八女に魅了された移住者たちに密着!

出演者 山川恵里佳(いいね!調査隊) 伊藤聡子(いいね!調査隊) <ナレーター> 根岸朗
010
光太郎第二の故郷・岩手花巻が取り上げられます。

それぞれぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

私は五十歳頃まで、貧乏のあらゆる当惑を持つてゐました。しかし仕事する事の幸福が私をまつたく支へてゐました。それに、仕事しないと直ぐ、私は退屈します。物を作らないのは堪らない。

光太郎訳 ロダン「続ロダンの言葉 ギユスターヴ コキヨ筆録」より
大正9年(1920)頃訳 光太郎38歳頃

ロダンが世に広く認められたのは、40歳近くなってから。さらにその後も経済的な困窮は暫く続きました。それでも彫刻制作ができるよろこびが自分を支えていた、と。

若干先の話ですが、申込〆切が近いもので……。

令和7年度第9回『はなまき通検定』

期 日 : 2025年12月14日(日)
会 場 : 花巻市交流会館 岩手県花巻市葛3-183-1
時 間 : 10:00~ 試験時間50分間
料 金 : 無料

◆はなまき通検定とは?
 花巻に関する知識の深さを認定する検定試験です。この検定を通じて、花巻の良さを再認識していただくとともに、観光に従事する方だけではなく市民皆で観光客をおもてなしできるよう、花巻の知識を習得していただくことを目的に実施します。今回は初級編の検定となります。

◆合格特典
 合格者全員に合格証と合格記念ピンバッジを進呈いたします。

◆お申込みについて
 お申込み期間:令和7年10月14日(火)~11月21日(金)
 お申込み方法:以下の申込み方法を参考にFAX(FAX:0198-29-4447)
        またはメール(kero@kanko-hanamaki.ne.jp)でお申込みください。
◆合格基準等
 出題・配点:4択問題形式、全50問(1問2点、100点満点)
 合格基準:80点以上合格 ※今回は簡単な初級編です。
 出題内容:花巻の市勢、歴史、文化、先人、観光、時事、旬な話題など

◆合格発表
 発表日時:令和6年12月18日(水)午前10時
 発表方法:花巻観光協会ホームページに合格者の受験番号を掲載します。
      合格者へは合格証と記念ピンバッジを併せて郵送いたします。 

006
004
005
今回で第9回となる検定。事前にテキストが提示され、その内容を中心に出題されます。テキスト以外からも問題になるようで、注意が必要ですが。テキストはこれまでとほぼ同一と思われ、花巻を第二の故郷とした光太郎についても5ページにわたり記述があります。

昨年度の第8回検定の際には、光太郎に関する問題が4問出題されました。
000
このブログの愛読者の皆さん(あまり居ないと思われますが(笑))にはチョロい問題ですね。念のため正解を書いておきますと、【問題30】は「3」の「約7年間」、【問題31】が「2」で「1936年(昭和11年)」、【問題32】だと「1」の「非常の時」、【問題33】では「3」の「れんぎょう」です。

他に宮沢賢治がらみの問題が15問ほど出ていまして、それも楽勝でしたが、方言の問題などはお手上げでした。「ごしゃっぱらげる」「とのげる」、何語ですか?(笑)

後は、花巻ゆかりの新渡戸稲造、萬鉄五郎、菊池雄星選手などについても出題されていました。

我こそはと思う方、ぜひどうぞ。また、全国の自治体/観光協会などの方、ご参考までに。

【折々のことば・光太郎】

だが幾度も繰返すのが恥かしいほど、自明な、解り切つた、根本的な真理を再建するのに、何といふ努力のいる事だ! それにも拘らず此等の事は肝腎な事である。


光太郎訳 ロダン「ロダン手記 ゴチツクの天才 復興期及十八世紀に及ぶ」より
大正9年(1920)頃訳 光太郎38歳頃

芸術に於いて、いわゆる「王道」を突き進もうとすると却って困難である、ということです。目先の新しさにとらわれ、変化球的なものがもてはやされる傾向がありますので。

ロダンに学んだ光太郎の芸術も、彫刻にしても詩にしても、外連味のない「王道」を根幹としています。しかし、それが却って正統派過ぎて高い評価を得られないことにもなっているような気もします。

朗読系の公演情報を2件。

まずは石川県から。

語りとチェロでつたえる~智恵子抄~

期 日 : 2025年11月23日(日)
会 場 : 美川コミュニティセンター 石川県白山市美川浜町ヨ103
時 間 : 14:00~15:00
料 金 : 無料

詩集「智恵子抄」に描かれた詩人・彫刻家の高村光太郎と妻・智恵子の日々を語りとチェロで辿ります。

出演   本田和さん(語り) 林口眞也さん(チェロ奏者)
004
本田和さんという方、平成21年(2009)には、「智恵子抄―語りとギターのための―」を含む朗読CD「本田和語りの世界 セロ弾きのゴーシュ」をリリースされ、その後も「智恵子抄」を含む公演を地元や神戸でなさっています。その際も今回と同じくチェロ奏者の林口氏とのコラボでした。

もう1件、鹿児島から。

劇団風見鶏「朗読のつどい」

期 日 : 2025年11月29日(土)
会 場 : カクイックス交流センター 鹿児島市山下町14-50
時 間 : 昼の部 14:00~15:30 / 夜の部 19:00~20:30
料 金 : 高校生以上1500円(当日300円増し)
      子ども(小学高学年~中学生)は500円で昼のみ。昼夜とも入場の場合割引あり

地元紙『南日本新聞』さんに予告記事が出ていました。

与謝野晶子の児童文学、宮沢賢治の詩、チェーホフの短編…鹿児島市の劇団「風見鶏」が29日に6年ぶりの朗読会 「場面思い浮かべ楽しんで」

 鹿児島市のアマチュア劇団「風見鶏」が29日、同市のカクイックス交流センターで6年ぶりとなる「朗読のつどい」を開く。代表の大重英之は「朗読は聴く人が場面を思い浮かべることで成立する。一緒に作品をつくる時間を楽しんでほしい」と呼びかける。
 劇団は1974(昭和49)年創立。朗読には97年から取り組み、これまで学校など県内各地で250回以上、上演してきた。コロナ禍で2020年以降中断して
いた。
 朗読会は昼夜2部制。昼は歌人の与謝野晶子が書いた児童文学「黄色の土瓶」のほか宮沢賢治、高村光太郎の詩など、親子で楽しめる作品を中心に披露する。夜はロシアの劇作家チェーホフの短編と明治期の作家樋口一葉の「大つごもり」を上演する。
 10月26日は6人が集まり、鹿児島市内でそれぞれの演目を練習した。創立時からのメンバー末吉みつ子は「久しぶりにお客さんと会えるので興奮している。当日が楽しみ」と話した。
 昼は午後2時、夜は7時からで、いずれも90分。前売りは高校生以上1500円(当日300円増し)、子ども(小学高学年~中学生)は500円で昼のみ。昼夜とも入場の場合、割引あり。大重さん=090(7980)3628。
001
本番へ向け練習に励む団員=鹿児島市

記事によれば、昼の部で光太郎詩が取り上げられるそうです。

何度も書いていますが、光太郎の詩や散文、意外と朗読に向いています。あからさまに七五調・五七調になっているものは少ないのですが、言葉本来の持つ内在律と言いましょうか、そういったものに対する感覚・センスを持っていたんだなというのがよくわかります。また、平易な言葉遣いでありながら深い内容も表されたり、日本語の美しさを十分に生かしたりという面も見られます。

全国の朗読愛好者の皆さん、もっともっと光太郎作品を取り上げていただきたいものです。

【折々のことば・光太郎】

見る事と感ずる事とを知る者は到る処にいつでも讃嘆すべきものを見出すだらう。見る事と感ずる事とを知る者は倦怠(アンニユイ)といふあの近代社会の「黒い畜生(ベート ノワール)」に襲はれない。深く見且つ感ずる者は自分の感情を表現する欲望、芸術語る欲望を決して失はない。

光太郎訳 ロダン「ロダン手記 芸術と自然」より
大正9年(1920)頃訳 光太郎38歳頃

「見る事と感ずる事」ここに「聴く事」も加えたいものです。

ちなみに今日、11月17日はロダンの命日です。大正6年(1917)に亡くなりました。

昨日は神奈川県の北鎌倉に出向いておりました。明月院さん裏手のカフェ兼ギャラリー・笛さんで開催中の「回想「高村光太郎 尾崎喜八」詩と友情 その12」の拝観及び関連行事としての「詩の朗読会」でした。
PXL_20251115_053104869.MP
PXL_20251115_053117834.MP PXL_20251115_053120907
笛さんのオーナーご夫人が光太郎の直ぐ下の妹・しづ(静子)の令孫にあたり、またすぐ近くに光太郎と交流の深かった詩人・尾崎喜八の令孫もお住まいということで、両家に伝わる品々が展示され(12回目)、さらに令和4年からは関連行事としての朗読会も行われています。

14:30頃に着き、まずは展示を拝見。

光太郎の書。色紙類はほとんどが複製ですが、一点のみ真筆。「此珠無価数」、中国の寒山詩の一節を揮毫したものです。
PXL_20251115_053506285 PXL_20251115_053518775
書簡系三通はオーナーご夫人の令祖父母に宛てたもので、こちらも真筆。昭和20年(1945)4月に本郷区駒込林町のアトリエ兼住居が空襲で全焼した直後、焼け跡から出てきた炭化した香木を「茶を点てるのにでも使って下さい」と贈った添え状、それから戦後、花巻郊外旧太田村の陋屋に蟄居してからの近況報告。
PXL_20251115_053534034 PXL_20251115_053530807
尾崎の書も。こちらも一点を除いて複製だそうですが。
PXL_20251115_053719607 PXL_20251115_053724007
PXL_20251115_053733531
PXL_20251115_053701351
大正13年(1924)、尾崎と、光太郎の親友だった水野葉舟の息女・實子の結婚祝いに贈ったミケランジェロ模刻の「聖母子像」。

書籍類。
PXL_20251115_053907873
15:00となり、朗読会開始。
PXL_20251115_063303196.MP
001
まずはオーナーご夫人による「妹に」(大正6年=1917)、「御前彫刻」(昭和22年=1947)。ともに光太郎が家族を謳った詩です。
PXL_20251115_060328641
「妹に」の「妹」はオーナーご夫人のおばあさまではなく、その下の妹・よし(喜子)ですが、オーナーご夫人、喜子にも会われたことがおありだそうで。ちなみに喜子は藤岡光田(こうでん)という木彫家に嫁ぎました。昭和20年(1945)4月の空襲の後、光太郎は約1ヶ月、近くにあって辛くも焼失を免れた藤岡家に世話になった後、花巻の宮沢賢治実家に疎開しました。

続いて、尾崎喜八・實子夫妻の息女、故・榮子さんの肉声による喜八詩の朗読を録音された音源で。榮子さんは当方が会ったことのある生前の智恵子を知る人物お二方のうちのお一人です。

次に、当方がお声がけしたお二人、フリーアナウンサーの早見英里子さんと朗読家の出口佳代さん。
PXL_20251115_061935641
お二人には、今年の第69回連翹忌の集い、さらに7月に開催された「中西アトリエをめぐる文人たちの朗読会」でも光太郎詩の朗読をお願いしました。
PXL_20251115_061307364.MP
続いては、やはり録音された音源から音楽に造詣の深かった尾崎による「The wind from the west」。リコーダー演奏と歌唱でした。

光太郎実弟・豊周の令孫(オーナーご夫人とは「はとこ」)の櫻井美佐さんで、光太郎詩「鉄を愛す」(大正12年=1923)。尾崎夫人實子の父・水野葉舟に贈った詩です。
PXL_20251115_064441272
ここで、当方にもしゃべれというので、光太郎や尾崎、實子や榮子さんなどについてお話しさせていただきました。プログラムにその項が入っていることを、当日の朝まで存じませんでしたが(笑)。

尾崎令孫(母方では葉舟令曾孫)の石黒敦彦氏が尾崎について。
PXL_20251115_065818443
合間にはオーナーの山端夫妻による笛の合奏。ご夫婦でこういうことができるというのはいいですね。
PXL_20251115_063842518 PXL_20251115_063924789
最後にオーナー・山端氏による光太郎詩「山からの贈り物」(昭和24年=1949)。
PXL_20251115_072023447
プログラム的には以上でしたが、この後はNHKさんの「グレーテルのかまど 高村光太郎のレモンコーヒー」で取り上げられたレモンコーヒー、智恵子の故郷・福島二本松の地酒(智恵子実家の銘酒の銘柄「花霞」の名を継いだもの)などが振る舞われました。
PXL_20251115_073830456
それから、これも恒例となりつつある、近くで採れた巨大な冬瓜(とうがん)の解体ショー(笑)。
PXL_20251115_072413138.MP PXL_20251115_072426412.MP
さらに山端氏は店内所狭しと置かれている笛を代わるがわる手に取られて即興演奏。
PXL_20251115_074728372
17:00、終了。肩のこらないアットホームなひとときでした。

来年以降もこの時期に開催されるはずですので、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

真の芸術家は創造の原始的原理に透徹しなければならぬ。美しきものを会得することによつてのみ彼は霊感を得る。決して彼の感受性の出し抜けな目覚めからではなく、のろくさい洞察と理解とにより辛抱強い愛によつて得るのである。心は敏捷であるに及ばぬ。なぜといへばのろい進歩はあらゆる方面に念を押す事になるからである。


光太郎訳 ロダン「ロダン手記 ゴチツクの線と構造」より
大正9年(1920)頃訳 光太郎38歳頃

特に造型芸術に於いては、気の長い「のろい」取り組みも必要だというわけですね。その実践ともいえるでしょう、ロダンも光太郎も一つの作品に何年もかけることがありました。

昨日は茨城県取手市にて「藝大取手コレクション展 2025」を拝観して参りました。

会場は東京藝術大学大学美術館取手館さん。
PXL_20251114_021834736.MP
PXL_20251114_021859798 PXL_20251114_022048307
同館の開館30周年記念、さらに隣接して大きな収蔵庫が竣工した記念を兼ねて、ということでした。
001 002
出品目録。
007
008
無料のパンフレット。A3判両面印刷二つ折りです。
003  004
006
三章構成で、入ってすぐは藝大さん名物の一つ、卒業制作の自画像。大正14年(1925)、昭和50年(1975)、平成5年(1993)、そして今年と、四つの元号にまたがるものでした。

続いても卒業/修了制作で、古いものは昭和35年(1960)の一色邦彦(高村光太郎賞受賞者)、同59年の千住博、それ以外は平成・令和のものでした。
PXL_20251114_022224484
そして最も見たかったのが、第三章「過去に学ぶ:未来へ繋ぐ教育資料」。明治/大正のものが中心です。

こちらに光太郎の卒業制作「獅子吼」(明治35年=1902)の石膏像。
PXL_20251114_022409030
PXL_20251114_022323787 PXL_20251114_022337597
PXL_20251114_022347941 PXL_20251114_022358212
360°見て廻れるように展示して下さっていました。ありがたし。
PXL_20251114_022429953
PXL_20251114_022448047
彫刻科のうちの木彫専攻で入学した光太郎ですが、在学中に粘土や石膏を使ったモデリングの授業も始まり(塑造専攻も設けられました)、転籍はしなかったものの、卒業制作はこの塑像でした。
PXL_20251114_022413658
台座に彫られた「獅子吼」の文字。若き光太郎の気概がこういうところにも見て取れます。

これを拝見するのは平成29年(2017)に上野キャンパスで開催された「東京藝術大学創立130周年記念特別展  藝「大」コレクション パンドラの箱が開いた!」以来2度目(ブロンズは数知れず)でしたが、その生々しさに圧倒されます。

石膏原型といえば、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の石膏原型も同大に所蔵されています。そちらは見たことが無く、またの機会にはぜひ出品していただきたいものだと思いました。

他に、ともに光太郎の父・光雲に学んだいわば光太郎の兄弟弟子、新納忠之介板谷波山のレリーフ。
PXL_20251114_022817727 PXL_20251114_022811424.MP
PXL_20251114_022709814 PXL_20251114_022703695
新納は仏像修復、板谷は陶芸と、それぞれ彫刻とは異なる道で名を成しましたが、それぞれそのバックボーンには光雲に学んだ木彫のメチエあってこそだったんだなと改めて思いました。

教材としての手板の手本。石膏かと思ったら大理石でした。
PXL_20251114_022838226.MP
PXL_20251114_022845531.MP
もしかすると光雲の手になるものかもしれません。明治26年(1893)の時点では、彫刻科の教授陣は光雲、竹内久一、石川光明、山田鬼斎、林美雲、後藤貞行、藤田文蔵でした。また、この頃には石彫教場も存在し、明治27年(1894)には俵光石が助手に雇われたと記録にあります。

光太郎入学時の校長だった岡倉天心が使っていたと伝わる椅子。
PXL_20251114_022600936
PXL_20251114_022644426.MP PXL_20251114_022624740
上野キャンパスに鎮座する平櫛田中作の天心像が腰かけているのもこの椅子だそうで。

「日本最古のオルガン」。
PXL_20251114_022911728
PXL_20251114_022918036
東京音楽学校との関連もありますが、外装の部分が才田光則という指物師の手になることにも注目されています。

こんな感じで、それほど出品点数は多くないものの、実に興味深い展示でした。同大には膨大な数の歴史的に貴重な収蔵品が存在しますので、今後も手を変え品を変え、この手の展示が為されることを期待します。

というわけで、ぜひ足をお運び下さい。会期は今月いっぱいです。

【折々のことば・光太郎】

芸術に於て、われわれは何を生命と呼ぶか。君達のすべての感覚を通して君達に話しかけるものの事だ。


光太郎訳 ロダン「ロダン手記 芸術家の一日」より
大正9年(1920)頃訳 光太郎38歳頃

120年以上経った「獅子吼」からも「生命」を確かに感じました。

いわゆる「読書会」の情報を2件。

まずは三重県から。

日本の詩を読もうぜ 第8回 高村光太郎

期 日 : 2025年11月21日(金)
会 場 : ブックハウスひびうた 三重県津市久居幸町1116番地
時 間 : 15:00~16:00
料 金 : 無料

「こころをうたう古本屋」ブックハウスひびうたがお送りする、詩に親しむための読書会です。イベント「日本の詩を読もうぜ」は今後も開催していきます!みなさんがもっと参加しやすい方法を模索しつつ...11月は21(金)15時~16時開催予定です。高村光太郎の詩を読む予定です。ぜひ!
003
ブックハウスひびうたさん、古書店だそうですが、参加者の方々で朗読して紹介し合う「日本の詩を読もうぜ!」を昨年から開催されているそうです。これまでに宮沢賢治、中原中也、北原白秋などが取り上げられたとのことです。それ以外に特定の詩人に限定せず、「女性詩人」「十五年戦争の詩」といった枠取りでやられたこともあるそうです。

続いて、仙台。

読書会アパート3号室 11月読書会『智恵子抄』

期 日 : 2025年11月23日(日)
会 場 : 八木山市民センター和室1 仙台市太白区八木山本町1丁目43
時 間 : 13:00~16:00
料 金 : 一般800円 学生500円

なかなか本を読めない人のためのゆるい読書会。名作と呼ばれているのに「今まで読んでなかった」そんな作品を読むきっかけになれば。本はひとりで読んでも楽しいけれど、他の人の感想を聞くと、ますますおもしろくなります。お気軽にご参加ください。

失ってもなお、愛は残るのだろうか 11月『智恵子抄』読書会、申し込み開始します!

004
こちらも単発ではなく、さまざまなラインナップで月に1回開催されてきた中の一環です。もう既に来年のプログラムも決まっているようです。こちらのラインナップは小説系がメインのようですが、「智恵子抄」はある意味、連作叙事詩でもあり、この流れの中に置いても違和感がありませんね。
005 006
それぞれご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

着物を脱ぐモデルが美術家に示す眩い立派さは雲を貫く太陽の効果を持つてゐる。ヹヌス、イブ、此等は女の美を現すには弱い言葉だ。

光太郎訳 ロダン「ロダン手記 女の肖像」より
大正9年(1920)頃訳 光太郎38歳頃

人体の持つ美についての礼讃ですが、やはり構造上の性差は厳然としてあるわけで、ここでは女体の持つ美しさが延々と語られています。「ヹヌス」はヴィーナスです。

学会発表の情報です。

第68回高村光太郎研究会

期 日 : 2025年11月23日(日)
会 場 : アカデミー向丘 東京都文京区向丘1-20-8
時 間 : 14:00~17:00
料 金 : 500円

発 表 :
「智恵子へ寄せる想い」 吹木文音(中島宏美)氏(日本詩人クラブ・栃木県現代詩人会理事)
「雑司ヶ谷の季節――ヒューザン会、智恵子と読売新聞」 前田恭二氏(武蔵野美術大学教授)

002
今時、ホームページやSNSのアカウントすらない団体主催の学会というのも何だかなあ、という感じですが……。

高村光太郎研究会は、昭和38年(1963)、光太郎と親交のあった詩人・風間光作が立ち上げた「高村光太郎詩の会」に端を発し、明治大学や東邦大学などで講師を務められた故・請川利夫氏に運営が移って「高村光太郎研究会」と改称、請川氏没後は都立高校勤務の野末明氏に受け継がれ、細々と続いています。かつては当会と共に故・北川太一先生が顧問を務められていまして、当方も会員に名を連ねています。

今回、ご発表はお二人。

このところ連翹忌の集いに欠かさずご参加下さっている詩人の吹木文音(ご本名・中島宏美)氏。どちらかというと光太郎より智恵子ファンで、これまでも智恵子光太郎に触れられた文章の載った同人誌等戴いています。また、今年7月には中西利雄・高村光太郎アトリエを保存する会主催の「中西アトリエをめぐる文人たちの朗読会」で光太郎詩朗読をなさって下さいました。

それから武蔵野美術大学の前田恭二教授。元読売新聞記者ということで、同紙に「ムササビ先生の「ヨミダス」文化記事遊覧」という連載をなさり、そこから文化資源社さんの『よみうり抄』全五巻に繋がっています。一昨年の第66回高村光太郎研究会でも、「米原雲海と口村佶郎――新出“手”書簡の後景――」という発表をなさいました。今回は「雑司ヶ谷の季節――ヒューザン会、智恵子と読売新聞」ということで、やはり「よみうり抄」がらみと思われます。

光太郎が大正元年(1912)に岸田劉生らと立ち上げたヒユウザン会展には、智恵子も出品予定者として名を連ねていました。しかし、それは果たされずじまい。
ヒユウザン会
そのあたりの経緯等、まだまだ研究の余地がたくさんあります。

参加費はワンコイン、それ以外に研究会員になると年会費3,000円で研究発表会の案内、機関誌『高村光太郎研究』が郵送されます。もちろん入会せず、発表のみ聴くことも可能です。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

花は彼等の生命をわれわれにくれる。彼等はペルシヤの花瓶の中に置かる可きだ。彼等の傍では、金銀は値ひ無く見える。


光太郎訳 ロダン「ロダン手記 花について」より
大正9年(1920)頃訳 光太郎38歳頃

さまざまな花――アネモネ、ヒヤシンス、チューリップ、マーガレットなど――の美について語ったロダンの言葉の一節です。

朗読のワークショップだそうで。

壤晴彦・演技/朗読短期ワークショップ 11月『「ニュアンス」ってどうやって付けるの? 智恵子抄』

期 日 : 2025年11月21日(金)~11月23日(日)
会 場 : 演劇倶楽部『座』サロン 新宿区新宿5-9-11 アルメリア新宿1F
時 間 : 金・土/18時〜21時、日/13時〜17時 計10時間
料 金 : 20,000円
講 師 : 壤晴彦

あなたは自分の『本当の声』を知っていますか?
「良い声」だと思い込んだ、あるいは教えられた「声」に必死に近づこうとしていませんか?
「自分には遠くまで届く張りのある声は出ないんだ」とあきらめていませんか?

「声真似」ではない、自分の『本当の声』に出会い、「聞く耳に心地良く」「健康効果も抜群」の『省エネ発声法』の他、朗読や台詞・演技のスキルアップに役立つ技術を、テーマ別に指導します。

11月『「ニュアンス」ってどうやって付けるの?』
動詞・形容詞・形容動詞、時には名詞‥‥声の強弱・高低・圧・スピード・温度・湿度‥‥単語ごとの立体化・有機化が「文章の味わい」となります。一つ一つのフレーズを丁寧に扱い、瑞々(みずみず)しい言葉世界を目指します。
教材:智恵子抄(高村光太郎)
002
001
講師の壤晴彦氏は、ご自分でも朗読の公演をなさるかたわら、朗読教育にもご関心が高く、教材としてのCDも出されています。

こちらで把握している限りでは、昨年さいたま市で、今年は都内秋田県で、それぞれ「智恵子抄」朗読を含む公演にご出演。当方は都内での公演を拝聴に伺いました。教材的なCDは平成24年(2012)にリリースされています。

今回の講座は、4月から12月まで3日間ずつ、計27日間。そのうち今月開催分で「智恵子抄」がテキストとして使われます。他の月で取り上げられた/取り上げられる作品は、宮沢賢治「どんぐりと山猫」、アンデルセン「絵のない絵本」、小川未明「野ばら」、夏目漱石「夢十夜」、芥川龍之介「藪の中」など。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

肝腎な点は感動する事、愛する事、望む事、身ぶるひする事、生きる事です。芸術家である前に人である事!


光太郎訳 ロダン「若き芸術家達に(遺稿)」より
大正9年(1920)頃訳 光太郎38歳頃

当会顧問であらせられた故・北川太一先生は、光太郎が訳したこの一節を好まれ、頼まれて書く揮毫などによくこの一節、それから昨日ご紹介した一節を選ばれていました。
001 002

昨日に続き、光太郎の父・光雲の代表作「老猿」関係で2件のイベント、いずれも栃木県鹿沼市で開催されます。「鹿沼・粟野合併20周年記念 高村光雲作《老猿》を学ぶ」と冠された事業の一環です。

まずは「老猿」の原材料となった栃の木の子孫を見学するツアー。平成24年(2012)にも同様の催しがありました。

《老猿》のふるさと探訪

期 日 : 2025年11月24日(月・振休)
会 場 : 集合場所 高見林業 栃木県鹿沼市上粕尾870-2
時 間 : 午前9時~正午 
料 金 : 500円
持ち物 : 飲み物・登山向けの靴と服装
定 員 : 中学生以上10組20人(先着)

 高村光雲《老猿》は、明治26年(1893)のシカゴ万博に出品された彫刻作品です。現在は東京国立博物館に収蔵され、国指定重要文化財に指定されています。
 実は、その材は鹿沼の上粕尾発光路から伐りだされた「栃の木」でした。
 この度、鹿沼市・粟野町合併20周年を記念して「Made in 鹿沼」の代表する作品の一つとして《老猿》と高村光雲について学ぶ連続企画を開催します。
 第2弾は、《老猿》の材になった木の孫木と伝わる木を見に行きます。

申し込み方法
11月14日(金曜日)までに、文化課へ電話(0289-62-1172)またはフォームよりお申し込みください。


続いて、講演会。

記念講演会

期 日 : 2025年11月29日(土)
会 場 : 粟野コミュニティセンター大会議室 栃木県鹿沼市口粟野1780
時 間 : 午後1時30分~3時 
料 金 : 無料
定 員 : 100人(先着)

《老猿》を所蔵する東京国立博物館から児島大輔先生(東京国立博物館保存修復室長)をお招きしての講演会です。

11月14日(金曜日)までに、文化課へ電話(0289-62-1172)またはフォームよりお申し込みください。
001
それぞれ「第2弾」「第3弾」となっていますが、「第1弾」は9月に開催された鹿沼市民向けの東京国立博物館で「老猿」を見るツアーということで、このブログではご紹介しませんでした。

「老猿」の材となったは、光雲自ら鹿沼の山中に買い付けに赴き、伐採前の巨木を当時の金額で3円という安価で手に入れることができました。しかし運搬に苦労し、そちらにかかった金額が200円以上。シカゴ万博出品作ということで政府から補助金が出ていましたが、その半分以上を運送に費やしてしまいました。落語のような話です(笑)。そのあたりは昭和4年(1929)に出版された『光雲懐古談』で語られ、青空文庫さんにも入っています。

見学ツアー、講演会、それぞれご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

深く、恐ろしく真実を語る者であれ。自分の感ずる所を表現するに決してためらうな。たとひ公定思想と反対である事がわかつた時でさへもです。


光太郎訳 ロダン「若き芸術家達に(遺稿)」より
大正9年(1920)頃訳 光太郎38歳頃

光太郎は光雲やその弟子筋の仕事をあまり高く評価しませんでしたが(「芸術」とは言えないと)、しかし光雲は光雲で、「決してためら」わず「自分の感ずる所を表現」し、光雲なりに「深く、恐ろしく真実を語」ろうとしていたのは間違いありません。ロダンや光太郎とは、その道筋が異なっていただけですね。

今年の年明けぐらいから、鳴り物入りで宣伝されています。

令和6年能登半島地震・令和6年奥能登豪雨復興支援事業「ひと、能登、アート。」

石川県立美術館
 期 日 : 2025年11月15日(土)~12月21日(日)
 会 場 : 石川県立美術館 石川県金沢市出羽町2-1
 時 間 : 9:30~18:00
 休 館 : 会期中無休
 料 金 : 一般 1,000円(800円) 大学生 800円(600円) 高校生以下 無料
       能登(内灘町以北)の方は観覧無料 ※被災後、能登から移住された方も無料
       ( )内は65歳以上の方、または20名以上の団体料金

金沢21世紀美術館
 期 日 : 2025年12月13日(土)~2026年3月1日(日)
 会 場 : 金沢21世紀美術館 石川県金沢市広坂1-2-1
 時 間 : 10:00~18:00
 休 館 : 月曜日(ただし1月12日、2月23日は開場)、
       12月30日〜1月1日、1月13日、2月24日
 料 金 : 無料

国立工芸館
 期 日 : 2025年12月9日(火)~2026年3月1日(日)
 会 場 : 国立工芸館 石川県金沢市出羽町3-2
 時 間 : 9:30~17:30
 休 館 : 月曜日(ただし1月12日、2月23日は開館)、
       年末年始(12月28日~1月1日)、1月13日、2月24日
 料 金 : 一般 1,200円(1,100円) 大学生 700円(600円) 高校生500円(400円)
       能登(内灘町以北)の方は観覧無料 ※被災後、能登から移住された方も無料
       ( )内は20名以上の団体料金、他館の半券提示の場合

 2024年1月に発生した能登半島地震、さらに9月の奥能登地域における豪雨災害により被災された皆様に寄り添うべく、復興を支援する想いを込めた展覧会を開催します。
 東京所在の美術館・博物館が連携し、本事業趣旨に賛同する各館が自ら選んだ、復興を支援する想いを込めた文化財を石川県金沢市内各施設で展示する展覧会です。また能登に生まれた桃山絵画の巨匠・長谷川等伯の国宝「松林図屛風」を題材とした映像コンテンツ事業や普及事業(訪問授業)を、石川県内で開催予定です。
 数百年の時を重ねて大切に守り伝えられてきた文化財の数々は、自然災害が絶え間なく襲う日本において、時に人々の安らぎの心を求める強い祈りが込められて造られてきたものです。そうした想いの詰まった文化財を、被災された皆様への励ましのメッセージとすることを目指します。
002
003
004
関連イベント
 ■井上涼の”びじゅつ”コンサート!
  NHK Eテレ「びじゅチューン!」でおなじみの井上涼さんによるコンサート。
  本展覧会で展示される作品にゆかりのある楽曲を披露。
  日時:11月23日(日・祝)
     午前の部|11時~12時(開場10時30分) 午後の部|14時~15時(開場13時30分)
  会場:石川県立美術館 ホール
  定員:各回200名  参加費:無料

 ■トークセッション「いつも、”能登の”そばに」
  俳優の常盤貴子さんと珠洲焼作家の篠原敬さんによる、能登とその文化を想う語らい。
  日時:11月30日(日)  13時30分~14時30分(開場13時)
  会場:石川県立美術館 ホール
  定員:200名
  参加費:無料

 ■東京国立博物館研究員による3館合同展示解説
  日時:12月14日(日)  ※各会場45分程度
  ①11時~            金沢21世紀美術館展示室13
   ※申込不要、先着順(定員30名程度)
  ②13時30分~ 石川県立美術館企画展示室
   ※申込不要、要観覧料
  ③15時~            国立工芸館多目的室
   ※要ウェブ申込、先着順(定員50名)

 ■土曜講座 いずれも 会場:石川県立美術館 講義室  *参加無料、申込不要
  ①「高村光雲の古仏復元事業」
   11月29日(土)13時30分~15時 
担当:寺川和子(当館学芸第二課長)
   東京美術学校で木彫の教授として教鞭を取った彫刻家・高村光雲。
   木彫技術を教えるだけでなく、古い仏像の保存修復、復元事業にも携わっています。
   創作以外の高村の側面を紹介します。
   12月6日(土)13時30分~15時 担当:竹内唯(当館学芸主任)
   日本美術のあけぼのの時代に、木彫の分野で活躍した高村光雲。江戸末期に生まれた
   高村が、明治の激変を懐古したライブ感あふれる回想録をご紹介します。明治初期の
   美術界に飛び込んだ気分になること間違いなし!


能登地震・豪雨災害の復興支援事業という位置づけで、都内の美術館・博物館から国宝・重文級の所蔵品がごっそり出張します。

目玉として紹介されているのは、菱川師宣の「見返り美人図」、長谷川等伯筆「松林図屏風」、黒田清輝で「湖畔」、そして光太郎の父・光雲の手になる「老猿」(明治26年=1893)。
005
これらはメイン会場の石川県立美術館さんでの展示と思われます。

「老猿」のフットワークは意外と軽く、近年も台湾ワシントンD・Cで展示されました。まぁ、元々がシカゴ万博のための制作だったものですから、さもありなんですが。

関連行事も充実しており、特に2回行われる「土曜講座」はともに光雲・「老猿」がらみです。また、井上涼さんのコンサートも「本展覧会で展示される作品にゆかりのある楽曲を披露」だそうですので、「老猿は主役じゃなくても」も演奏されそうな気がします。

ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

眼を欺く事で満足し又つまらない細部をむやみと拘泥して表現する芸術家は決して大家にならない。

光太郎訳 ロダン「若き芸術家達に(遺稿)」より
大正9年(1920)頃訳 光太郎38歳頃

造型に限らず全ての芸術にいえることでしょうが、それでも細部をおろそかには出来ませんし、どこから、またどこまでが「むやみと」なのか、このあたりはセンスとしか言いようがないのかも知れません。

フライヤーに光太郎作品をメインで使っていただきました。

取手収蔵棟竣工記念・取手館開館30周年記念 藝大取手コレクション展 2025

期 日 : 2025年11月13日(木)~11月30日(日)
会 場 : 東京藝術大学大学美術館取手館 茨城県取手市小文間5000
時 間 : 10:00~17:00
休 館 : 11月17日(月)、18日(火)、25(火)
料 金 : 無料

 東京藝術大学大学美術館取手館は、昨年で開館30周年を迎えました。さらに、未来の学生たちの作品を十分に保管できるスペースを持った取手収蔵棟が、令和6年(2024)に竣工いたしました。これを記念し、取手市と共催で「藝大取手コレクション展 2025」を開催いたします。
 取手館ならびに取手収蔵棟には、約13,000件の作品が収蔵されています。その多くは明治から現代に至るまでの、本学で研鑽を積み卒業していった学生たちの作品です。一方で、明治時代に納入されたデッサン用の石膏像や古墳時代の埴輪といった、後進育成のために収集された教育資料もまた、取手における藝大コレクションの特色の一つです。
 そこで、本展では「自画像:1925→2025」、「卒業・修了制作:学びの集大成」、「過去に学ぶ:未来へ繋ぐ教育資料」の3つのセクションから、当館収蔵品の粋と魅力をご紹介いたします。まもなく創立140周年を迎える本学の、長きにわたる学びと教育の結晶をご堪能ください。
002
光太郎の母校である上野の東京藝術大学さん、平成3年(1991)に茨城県取手市の郊外に取手キャンパスを開設、大学美術館さんの分館も作られ、昨年で30周年だそうです。それを記念しての展覧会で、収蔵品の一部が展示されます。

光太郎作品は、「卒業・修了制作:学びの集大成」のセクションで、明治35年(1902)、東京美術学校彫刻科の卒業制作として作られた「獅子吼」の石膏原型。これから型を取ってブロンズに鋳造したものが各地に存在しますが、その大元です。光太郎はこの形で卒業制作として提出しました。

昨今、ブロンズ彫刻の石膏原型に注目する展示がちょっとした流行りです。光太郎の親友だった碌山荻原守衛の個人美術館・信州安曇野の碌山美術館さんでは、平成30年(2018)に「彫刻家 荻原守衛 -石膏原型に彫刻の生命を観る-」という展示もなさいました。

石膏原型とブロンズ、結局は同じ形なのですが、型抜きや鋳造の過程などで、石膏原型にあった細かな部分がわからなくなってしまうこともあり、やはり石膏原型の方が作者の意図をよく表しているところがあります。

まぁ、それを言うと、石膏原型よりもその前の段階の粘土原型の方が、ということになりますが、粘土原型は通常、石膏に取る際に破壊されてしまいますので……。

「獅子吼」の石膏原型は、上野の大学美術館さんで開催された「東京藝術大学創立130周年記念特別展  藝「大」コレクション パンドラの箱が開いた!」(平成29年=2017)の際に拝見しました。その時は石膏原型とブロンズとが並べて展示されていて、見比べられるようになっていました。
003
今回は石膏原型のみの出展ではないかと思われますが、経巻を擲って憤然とした表情で立つ日蓮の姿、生々しく表現されています。

また、取手市内には、光太郎の足跡があちこちに残されています。また、今回の会場に近い明星院さんという寺院そばの共同墓地には、光太郎が揮毫した墓石も残っていることを数年前に発見しました。

ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

画家諸君。やはり現実を奥行で観察せよ。例へば、ラフワエルの画いた肖像を見よ。此の大家は一人の人物を正面から描出する時、胸を斜めに奥まらせる。さうやつて彼は第三伸張(デマンシヨン)の幻覚を与へる。


光太郎訳 ロダン「若き芸術家達に(遺稿)」より
大正9年(1920)頃訳 光太郎38歳頃

昨日のこの項でご紹介した「彫刻家諸君」で始まる一節を対を為す部分です。言っていることはほぼ同じです。

「第三伸張(デマンシヨン)」は、いわゆる「3D」ですね。「3D」の「D」は「dimensions」の「D」。「dimensions」に光太郎は「デマンシヨン」とルビを振り「第三伸張」と漢語に翻訳していますが、大正期に既に「3D」に近い語が使われていたというのは驚きでした。






一昨日、昨日と、みちのくひとり旅でした。レポートいたします。

まずは光太郎第二の故郷・岩手花巻。
PXL_20251106_030321152.MP
東北新幹線で新花巻駅に降り立ち、いつもそうしていますが、レンタカーを借り受けました。

まずは道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんへ。
PXL_20251106_035801080
リンゴを箱買いし、自宅兼事務所に宅配便で発送。この季節のルーティンです(笑)。

続いて、光太郎の暮らした山小屋(高村山荘)/高村光太郎記念館さんへ。そこに到るまでも既にそうでしたが、紅葉が実にいい感じでした。
1000005561
PXL_20251106_041612160
PXL_20251106_041659946
ここでも問題となっている熊の対策。
PXL_20251106_041856132 PXL_20251106_041544564
山荘脇には電気柵が設置されていました。とうとうここまでやる必要が出てきたか、という感じでした。

隣接する高村光太郎記念館さん。
1000005557
富山県ご在住で、連翹忌の集いにもご参加下さったり、地元で光太郎智恵子に関する講座をなさったり、ご自宅を開放なさって花巻のやつかの森LLCさん考案の「光太郎レシピ」を元に調理された「光太郎ランチ」を予約の方に振る舞われたり、地元都内で一人芝居「智恵子抄」の公演をなさったりと、精力的に活動されている茶山千恵子さんとばったり出会いました。
PXL_20251106_043136838.MP
SNSで、二本松・花巻に行かれるというお話は存じておりましたが、細かな行程は訊いておりませんでしたので、ここで出会うかと驚きました。

記念館で現在開催されている企画展「昔なつかし花巻駅」。土屋直久氏・石井彰英氏による精巧なジオラマがメインです。
PXL_20251106_042606089
PXL_20251106_042907925 PXL_20251106_042858265
7月に伺った時には機器の故障で見られなかった、昭和11(1936)年に撮影された岩手軽便鉄道の記録フィルムも拝見。
PXL_20251106_042707460 PXL_20251106_042756650
PXL_20251106_042651615.MP PXL_20251106_042750145.MP
PXL_20251106_043110253
こちらは今月いっぱいです。

同時開催で、特別展「中原綾子への手紙」。与謝野晶子門下の歌人・中原綾子に宛てた書簡、中原主宰の雑誌への寄稿の原稿などが、中原ご遺族からごっそり寄贈され、4期に分けて来年2月末まで展示しています。現在は第3期です。光太郎が序文や題字を書いた中原の歌集・詩集・主宰の雑誌、中原が光太郎を詠んだ短歌が載った歌集、光太郎から中原に贈られた書など、当方手持ちのものも展示されています。
PXL_20251106_042414440.MP PXL_20251106_042425804
事務室で、新たに寄贈された光太郎の写った写真を拝見。
PXL_20251106_050032935
一緒に写っているのは光太郎が名付け親となった児童劇団「花巻賢治子供の会」の皆さんと思われます。メンバーにはご存命の方もいらっしゃり、昨年、公開対談をさせていただきました。

高村山荘・高村光太郎記念館さんを後に、一旦、宿泊先の鉛温泉藤三旅館さんにチェックイン。過去3回、光太郎が泊まった31号室をはじめ、いずれも本館の方に泊めていただいたのですが、今回は自炊部。
PXL_20251106_055627804 PXL_20251106_060158688
PXL_20251106_110008610 PXL_20251106_105918394
深さ約1.3㍍、立って入る白猿の湯が有名ですが、内部は撮影禁止なので、廊下に掲げてあったタペストリー。光太郎も堪能した湯です。

その後、再びレンタカーで市街に出て、来月から高村光太郎記念館さんで開催予定の企画展「光太郎と賢治―宮沢賢治全集ができるまで―」及び来春2月21日(金)に開催予定の、賢治実弟・宮沢清六令孫の和樹氏、賢治の親友だった藤原嘉藤治の顕彰に当たられている瀬川正子氏と当方によるトークイベントに向けて、両氏、市役所の方々、企画されたやつかの森LLCの皆さんなどと打ち合わせ。

フライヤーの原案が出来ていました。まだ原案ですので小さく載せておきます。
001 002
賢治の全集は、「全集」と銘打たなかった戦後の日本読書購買組合版『宮沢賢治文庫』(昭和21年=1946~同24年=1949)を含め、4種類の刊行に光太郎が関与しました。最初の文圃堂版(昭和9年=1934~同10年=1935)、それを引き継いだ十字屋書店版(昭和14年=1939~同19年=1944)、先述の『宮沢賢治文庫』、そして光太郎最晩年の筑摩書房版(昭和31年=1956~)。さらにそれぞれに関わった清六や藤原、さらに当会の祖・草野心平他の人々にもスポットを当てます。

和樹氏が打ち合わせに持参された文圃堂版。題字揮毫は光太郎。
PXL_20251106_075100391 PXL_20251106_080432370
あまりに状態が良く、瞠目しました。経年劣化の進んだものでも現在の市場価格が20万円以上です。

打ち合わせ後に会食、それも終わり、宿に戻りました。その時点でとっぷり日も暮れていましたので、駐車場から玄関までは熊に遭遇しないかとヒヤヒヤものでした。翌朝、昨日書いたように露天風呂で熊騒ぎ。まったく困ったものです。

チェックアウト後、レンタカーを新花巻駅で返し、新幹線はやぶさとやまびこを乗り継いで福島駅へ。そこで改めてレンタカーを借り、南下。さすがに花巻からレンタカーを運転し続けるパワーはありませんで(笑)。

福島での最初の目的地は、智恵子の故郷・二本松市の道の駅安達智恵子の里さん。智恵子のソウルマウンテン・安達太良山が遠望出来る場所です。
PXL_20251107_024106748
PXL_20251107_022934488.MP
PXL_20251107_023440244 PXL_20251107_023413894
こちらでは新商品のパッケージに智恵子をあしらったドリップコーヒーなどをゲット。これを買いに寄ったようなものです。他に二本松のリンゴも買いましたが(笑)。
003
続いて、智恵子生家/智恵子記念館さん。
PXL_20251107_030851253.MP
PXL_20251107_031041615
先月から開催されている「高村智恵子レモン祭」期間中です(11月16日(日)まで)。平日でしたので、生家二階の智恵子の居室に上がることはできませんでしたし、居るかなと思っていたゆるキャラ「ちえこちゃん」もお休みでした。

見たかったのはこちら。
PXL_20251107_031158317
4月から5月にかけて開催された「高村智恵子生誕祭」で、来場の人々が折った折り鶴です。
PXL_20251107_031115478
PXL_20251107_031136143 PXL_20251107_031143142
心を病んで入院した南品川ゼームス坂病院で、智恵子は紙絵の制作を始めますが、その前段階として、まずは折り鶴を盛んに作りました。

光太郎のエッセイ「智恵子の切抜絵」(昭和14年=1939)から。

精神病者に簡単な手工をすすめるのはいいときいてゐたので、智恵子が病院に入院して、半年もたち、昂奮がやや鎮静した頃、私は智恵子の平常好きだつた千代紙を持つていつた。智恵子は大へんよろこんで其で千羽鶴を折つた。訪問するたびに部屋の天井から下つてゐる鶴の折紙がふえて美しかつた。

生誕祭の際には、当会プロデュースで「音楽と朗読『智恵子抄』~愛はここから生まれた」「智恵子のエプロン 復刻展示」を盛り込んでいただきまして、コンサートにご出演のヴォイスパフォーマー・荒井真澄さん、テルミン奏者大西ようこさんご夫妻、エプロンを制作して下さった花巻南高校家庭クラブの生徒さんたちも折り鶴にチャレンジなさいました。もちろん当方も。
fea5c1b0-s 22837f2a-s
その鶴がどこかにはあるのでしょう。
PXL_20251107_031216802 PXL_20251107_031244255
その後またレンタカーで南下、郡山駅で返却し、新幹線で帰りました。というわけで、なかなか強行軍のみちのく一人旅でした。

花巻、二本松、みなさまもぜひどうぞ。ただし、熊には十分お気をつけ下さい。

【折々のことば・光太郎】

彫刻家諸君。君達の内に奥行(深み)の感を強めよ。精神はなかなか此の観念と親しみにくい。表面だけしか明らかには心に描かれない。形を奥行で想像する事はむづかしい。それにも拘らず此が君達の務めです。


光太郎訳 ロダン「若き芸術家達に(遺稿)」より
大正9年(1920)頃訳 光太郎38歳頃

「奥行」は「立体感」であると同時に、形而上的な「精神性」といった意味も含むと思われます。花巻高村光太郎記念館さんで光太郎ブロンズを見、そんなことも考えました。









今年4回目、来月もまた来るのですが、光太郎第二の故郷・花巻に来ております。
1000005554
今回の宿泊は、いつもの花巻南温泉峡・大沢温泉さんではなく、さらに奥まった鉛温泉さん。こちらも光太郎がたびたび泊まった宿です。
1000005578
先程、川岸の露天風呂に行ったら、先に入浴されていた方々が「熊が出た!」と騒がれていました。対岸に親子連れの熊がいたそうです。当方が行ったらもう立ち去った後でしたが。

今回は来春行われる市主催のイベントの打ち合わせで参りました。のちほど詳しくご紹介いたしますが、「光太郎と賢治―宮沢賢治全集ができるまで―」という企画展示が来月から始まり、その関連行事として来春2月21日(金)に、賢治実弟・宮沢清六令孫の和樹氏、賢治の親友だった藤原嘉藤治の顕彰に当たられている瀬川正子氏と当方によるトークイベントが予定されています。昨夜はその方々や市の皆さんなどとの打ち合わせでした。

その前に、花巻高村光太郎記念館さん、隣接する高村山荘(光太郎が7年間暮らした山小屋)に。
1000005557
1000005561
記念館では現在は企画展「昔なつかし花巻駅」と特別展示「中原綾子への手紙」(第三期)が同時進行で開催されています。

先週、地元のIBC岩手放送さんのローカルニュースで「中原綾子への手紙」が紹介されました。ついでというと何ですが、このタイミングでないと紹介できませんので引用しておきます。他に取り上げる事項が山積しておりますので。

親しい友人に宛てた手紙から高村光太郎の素顔や苦悩を感じられる企画展「中原綾子への手紙」 岩手・花巻市

 詩人で、彫刻家としても活躍した高村光太郎が、友人で歌人の中原綾子に送った手紙を集めた企画展が、花巻市で開かれています。
 この企画展は中原綾子の親族から花巻市に寄贈された、高村光太郎が中原綾子に送った手紙60点を4期に分けて行われているもので、今回がその3期にあたります。
今回の展示では高村光太郎の直筆の葉書、封書や関連資料合わせて30点あまりが公開されています。
中原綾子に宛てた直筆での手紙が公開されるのは今回が初めてです。
 高村光太郎が書いた葉書は下書きをせず、一気に書き進めているため、最初は行間が広めに設けられているのに、後半になると行間が狭まり、左下の隅のほうまで文字が細かく書き込まれています。
このことにより、光太郎と綾子が気の置けない友人であり、光太郎には綾子に伝えたいことがあふれていたことが想像できます。
 また一方で封書には「ちえ子の狂気は日増しにわろく」や「此を書いているうちにもちえ子は治療の床の中で出たらめの嚀語を絶叫してゐる始末でございます」などと、精神分裂病(現在は統合失調症)を患っていた智恵子の病状を伝えています。光太郎は「智恵子抄」を発表するまで、親類にしか智恵子の病気のことを伝えていなかったといわれていることから、綾子のことを信頼し、話を聞いて欲しかったのではないか、ということが感じられます。
 花巻高村光太郎記念会事務局の高橋卓也さんは「智恵子抄に至るまでの道のりを示す貴重な資料です」と話していました。
 この企画展は年内いっぱい第3期の展示が続けられます。
そして、展示内容を入れ替えて1月から第4期の展示となり、2月28日まで行われる予定です。
009
027 001
002 003
004 005
006 007
008 010
011 012
013 014
015 016
017 018
019 020
021 022
023 024
025 026
今回はあまり長居ができませんで、この後、智恵子の故郷・福島二本松に立ち寄って帰ります。そちらではまだ「高村智恵子レモン祭」が開催中でして。

それに関しては、帰りましてからレポートいたします。

本日のキーワードは「今週末」。紹介すべき事項があとからあとから出て参りまして、ギリギリの紹介となってしまい、すみません。

まず、都内から朗読公演の情報。

四季の朗読会〜秋の部〜

期 日 : 2025年11月8日(土)
会 場 : 秋葉原ハンドレッド2 東京都台東区浅草橋5-3-2
時 間 : 12:00~
料 金 : ¥6,000

文豪達の四季折々の名作が俳優の紡ぐ言葉によって現代に再び蘇る朗読会。俳優達と一緒に過去の名作を楽しみましょう。


十二時の回 高村光太郎「山の秋」 十五時の回 久米正雄「虎」 十八時の回  泉鏡花「貴婦人」

出演者 谷佳樹 山口渓 町田尚規 灰塚宗史

005
「山の秋」は、花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)周辺の思い出を再上京してから書いたもので、雑誌『婦人公論』第37巻第10号(昭和28年=1953 10月)に発表されました。

谷佳樹さんという方、舞台「文豪とアルケミスト 旗手達ノ協奏(デュエット)」で、主人公の志賀直哉役を演じられた方でした。他にも同作でアンサンブルという敵の戦闘員役を演じられた方も。今一つ公演の詳細が分からなかったのですが、なるほど、そういう系かと。

もう1件、智恵子の故郷・福島二本松からコンサート情報です。

トランペット&ピアノ デュオ 駅に響け「ほんとの空」コンサート

期 日 : 2025年11月9日(日)
会 場 : JR東北本線安達駅東西自由通路西口1階コンコース
時 間 : 午後1時15分(約50分)
料 金 : 無料

トランペッター Noby
本宮市出身二本松在住のプロトランペッター。中学時代にイタリア人トランペッターニニ・ロッソに憧れ、趣味で吹き続けてきた事がプロの道へ。国内各地、海外での演奏経験もあり、ジャンルを問わない演奏は好評である。

ピアノ 坂本ひとみ(市内在住)

(当初出演予定でフライヤーに名がある千葉貴利氏は、お身内にご不幸があり、急遽出演できなくなったそうです)
006
光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)由来の「ほんとの空」の語を冠したコンサートです。会場は二本松市名誉市民であらせられた彫刻家の故・橋本堅太郎氏の最後の作品にして智恵子像の「今、ここから」が立つ安達駅。トランペットのNobyさんは、これまでも二本松での智恵子関連イベントなどに繰り返し出演なさっています。当方も一度、演奏を拝聴しました。

当初出演予定だった千葉貴利氏という方は存じませんでしたが、プロフィール欄に「生まれつき、右手首より先が無い」とあります。それで鍵盤楽器を弾かれるというのですから、つくづく人間というものは凄いんだな、と改めて思います。

それぞれご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

辛抱です! 神来を頼みにするな。そんなものは存在しません。芸術家の資格は唯智慧と、注意と、意志とだけです。正直な労働者のやうに君達の仕事をやり遂げよ。

光太郎訳 ロダン「若き芸術家達に(遺稿)」より
大正9年(1920)頃訳 光太郎38歳頃

やはりロダンも光太郎同様、ポジティブですね。光太郎がそれに学んだ、と言うべきかも知れませんが。

この場合の「芸術家」は、造型作家のみと限らないでしょう。

まずは訃報。光太郎の師・与謝野夫妻研究の第一人者であらせられた逸見久美氏が一昨日、亡くなられました。

『朝日新聞』さん。

逸見久美さん死去

 逸見久美さん(いつみ・くみ=日本近代文学研究者・歌人)3日、急性心筋梗塞(こうそく)で死去、99歳。葬儀は近親者で営む。喪主は長男で青林書院社長慎一さん。
 与謝野鉄幹・晶子研究の第一人者で知られ、著書に「評伝与謝野寛晶子」(明治篇、大正篇、昭和篇)、編著に「与謝野寛晶子書簡集成」、編集代表として関わった「鉄幹晶子全集」など。作家・ジャーナリストの翁久允(おきな・きゅういん)の三女。

昨日、明星研究会を主宰されている松平盟子氏からメールを頂き、その中でご逝去に触れられていて知った次第ですが、その際、急いでネットで調べたところ、KNB北日本放送さんのローカルニュースで既に取り上げられていました。

与謝野晶子研究の第一人者 逸見久美さん死去 作家・翁久允の三女

 立山町出身の作家・ジャーナリスト翁久允の娘で与謝野鉄幹・晶子研究の第一人者として知られる、国文学者の逸見久美さんが、きのう亡くなりました。99歳でした。
 逸見さんは1926年、翁久允の三女として生まれ、早稲田大学大学院を卒業後、実践女子大学大学院で第1号となる文学博士の博士号を取得しました。
 そして、歌人である与謝野鉄幹・晶子夫妻の研究で多数の書籍を執筆した、日本近代文学の女性研究者の草分け的存在でした。
 また、父の翁久允が主宰した富山の郷土研究雑誌「高志人」にも寄稿を重ねました。高志の国文学館館長で俳優の室井滋さんは、逸見さんの遠縁にあたります。逸見さんは、きのう99歳で亡くなりました。葬儀などは親族だけでとり行う予定だということです。
002
ここ数年、お加減があまりよろしくないと聞いており、疎遠になっていましたが、かつていろいろとお世話になりました。

初めてお会いしたのは平成24年(2012)、神保町の東京堂書店さんで開催された氏の講演会「晶子没後70年記念出版『新版評伝与謝野寛晶子』完結記念公演 与謝野夫妻の評伝を書き終えて -収集した二五〇〇通の書簡と全集・全釈編纂から-」を拝聴した折でした。それ以前から氏の編著にして『高村光太郎全集』にもれていた光太郎短歌を収めた『与謝野寛晶子宛書簡集成』を拝読させていただいており、聴きに行かずば、というわけでした。

以後、何度か、大阪の晶子忌日・白桜忌明星研究会さんの研究発表会などでご一緒し、さらに当会主催の連翹忌にもご参加下さいました。

平成27年(2015)には、NHK Eテレさんで放映された生涯学習の番組「趣味どきっ!女と男の素顔の書 石川九楊の臨書入門」の第2回放送「愛と情熱の歌人 夫のための百首 与謝野晶子×与謝野鉄幹」にご出演。同じ番組の第5回が「智恵子、愛と死 自省の「道程」 高村光太郎×智恵子」で、NHKさんに制作協力者として当方を紹介して下さいました。
005 006
さらに平成28年(2016)には、お父さまの翁久允と竹久夢二との交流についてまとめられた『夢二と久允 二人の渡米とその明暗』を刊行され、これまた『高村光太郎全集』にもれていた光太郎からお父さま宛の書簡が載っているということで、御恵贈下さいました。
001 007
こちらには、氏が幼き日に夢二が描いたお姉様とのスケッチも掲載されています。左が氏で、右はお姉様です。
003
夢二に描かれた、というお話を伺った時には実に驚いた記憶がございます。

最後にお会いしたのはコロナ禍前の令和元年(2019)でした。その後、御元気でいらっしゃるかと気にかけてはいたのですが……。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

もう1件、こちらは朗報です。平成9年(1997)、講談社さんから出版され、翌年、芸術選奨文部科学大臣賞に選ばれた智恵子が主人公の小説『智恵子飛ぶ』の作者・津村節子氏が今年度の旭日中綬章を受賞されました。

『朝日新聞』さん。残念ながら『智恵子飛ぶ』には触れられていませんでしたが。

秋の叙勲、受章者の横顔 津村節子さん(97) 書けたのは編集者いてこそ

003 「ひたすら書いてきただけなのに、いただいていいのかな。たぶん吉村もびっくりしてますよ」
 夫で小説家の故・吉村昭と知り合った文芸誌に参加してから70年余。長く書き続けられた理由に編集者たちの存在をあげる。ある短編を新潮社に届けたところ、自社では載せにくいからと文芸春秋に持っていくように勧められた。それが1965年の芥川賞「玩具」になった。「商売敵に渡すなんて、えらい編集者がいるもんだと驚いた」
 おしどり夫婦として知られた吉村を06年に亡くしたときもそう。小説が書けなくなり、お遍路に出てからしばらくして、「そろそろいいのではないか」と背中を押してくれた。先立たれた者の痛切な思いが伝わる私小説「遍路みち」「紅梅」を書けたのも編集者がいてこそだった。
 人生のモットーは「転んでもただじゃ起きない」。いまでも背筋をピンと伸ばし、60年前から続けているヨガの教室に週1回、歩いて通う。
 「もう日常の随想しか書けないけれど、少しでも読者の参考になればいいですね」


吉村昭氏との夫婦同業ぶりは、光太郎智恵子にも通じる部分があり、津村氏ご自身、そういう思いで書かれたようです。そして吉村氏に先立たれ、あたかも逆智恵子抄的な感じになったところも。編集者の方が背中を押して下さり、再び描く意欲が……というエピソードには、光太郎に『智恵子抄』出版を強く勧めた龍星閣の澤田伊四郎を連想させられました。

『智恵子飛ぶ』は、平成12年(2000)には新橋演舞場、翌年には京都南座で舞台化されました。智恵子役は共に片岡京子さん、光太郎役は、東京公演が故・平幹二朗さん、京都公演で近藤正臣さんでした。
008 009
片岡さんのお父さま・仁左衛門氏は先頃文化勲章を受章されましたが、津村氏は平成28年(2016)には文化功労者に選ばれています。それに続いての旭日中綬章、まことにおめでとうございます。

97歳とのことですが、まだまだお元気で、と祈念いたします。

【折々のことば・光太郎】

かぶりついて仕事せよ。


光太郎訳 ロダン「若き芸術家達に(遺稿)」より
大正9年(1920)頃訳 光太郎38歳頃

この一節、後に『智恵子抄』にも収められた光太郎短歌「ひとむきにむしやぶりつきて為事(しごと)するわれをさびしと思ふな智恵子」(大正13年=1924)の源流を見るような気がしています。

津村氏、そして亡くなった逸見氏、共に「かぶりついて仕事」なさってきたこれまでのような気もします。

まだまだ情報収集力が足りないようで、事前に気づかなかった展覧会がさらにありまして、昨日は実地に拝見して参りました。
PXL_20251102_235907885
PXL_20251103_000042962
ちなみに建物の設計は前川國男だそうで。
PXL_20251103_000124036.MP
展覧会詳細。

特別展 大名と菩提所

期 日 : 2025年10月11日(土)~11月24日(月・振休)
会 場 : 埼玉県立歴史と民俗の博物館 さいたま市大宮区高鼻町4-219
時 間 : 9:00 ~16:30
休 館 : 月曜日(ただし11/24は開館)
料 金 : 一般600円 高校生・学生300円

 埼玉県立歴史と民俗の博物館では令和7年10月11日(土)から、特別展「大名と菩提所」を開催します。
 江戸時代の埼玉県域には忍・岩槻・川越に城郭が存在し、いずれも江戸近郊の要所の守りを固めるため、城主には幕府の要職に就いた譜代大名らが任ぜられました。
 これらの大名たちは、参勤交代や転封(てんぽう)を繰り返すなかで江戸と国許(くにもと)の両方に菩提寺を持ったり、転封に伴い菩提所を変えたり、一貫した墓域を形成したりと、菩提所や墓の在り方は「家」ごとに異なりました。
 そもそも菩提所とは、菩提を弔(とむら)う場所のこと、すなわち先祖の供養(くよう)を行う場のことを指します。江戸時代の大名たちにとって先祖を供養し、子として親の葬儀を執行することは、正当な後継者としての立場を表明する重要な場でもありました。
 本展では260余年の泰平の世を支えた大名が眠る菩提所に注目します。
006
007
江戸時代、主に現在の埼玉県内に領地を与えられていた大名家の「菩提所」にスポットを当てた展覧会です。当時の文書や図絵、刀剣やら甲冑やらのゆかりの品々、古写真などなど。

で、光太郎の父・光雲作の木彫が一体出ていると数日前に知り、馳せ参じた次第です。
002
003
現在の行田市にあたる忍(おし)城、や川越城の城主で、老中も務めた「知恵伊豆」こと松平伊豆守信綱の坐像です。伊豆守というと、島原の乱で幕府軍の総大将としてキリシタン虐殺を行った人物ということもあり、あまり良いイメージはないのですが……。
000
像高1尺はないかという小さな像で、厨子に収められていました。似たような感じとしては、今年特別開帳が行われている鎌倉覚園寺さんの後醍醐天皇像。時期的にも同じ頃(明治中期)と思われます。ただ、あちらは白木でしたが、こちらは彩色が施されています。驚いたのは、厨子の上部に設(しつら)えられた帳(とばり)。これも木彫でした。

外側は黒漆塗り、内側に金箔を貼った厨子も見事な造作でした。蝶番(ちょうつがい)も精緻な彫金が施されています。ただし、この手の仕事は分業制が通常で、厨子は厨子、彫金は彫金で、それぞれ専門の職人の手になるものでしょう。そのあたり、光雲の『光雲懐古談』(昭和4年=1929)に記述があります。

所蔵は新座市の金鳳山平林寺さん。こちらにこの像が納められていることは以前から存じ上げていましたが、寺院の場合、こういった像が平時に公開されているとは限らず、無駄足になってはと思い、これまで足を運んだことがありませんでした。その意味でもこの機会に、と思った次第です。
PXL_20251103_000559203
これ以外に「おっ」と思ったのが、芝増上寺の「台徳院殿霊廟」関連。広大な面積を持った徳川二代将軍・秀忠の墓所ですが、現物は太平洋戦争の空襲で焼失してしまいました。しかし、それ以前の明治43年(1910)、イギリスで開催された日英博覧会にその10分の1スケールの精巧模型が作られて出品されました。手がけたのは東京美術学校、監督が光雲でした。

模型は当時の英国王・ジョージ5世に献上されましたが、平成25年(2013)に日本に里帰り。現在は平成27年(2015)にオープンした増上寺さんの宝物展示室に展示されています。

そのオリジナルの霊廟も描かれた屏風絵。
005
霊廟自体の絵図面。
004
こちらに関する出品物もあるとは思っていなかったので、望外の喜びでした。

帰りがけ、図録(1,300円也)を購入。
001
おまけ。駐車場にいたにゃんこ(笑)。
PXL_20251102_235214612.MP PXL_20251102_235250603
光雲木彫を間近で見られる機会はそう多くありません。ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

「自然」をして唯一の神たらしめよ。


光太郎訳 ロダン「若き芸術家達に(遺稿)」より
大正9年(1920)頃訳 光太郎38歳頃

ロダンは無神論者というわけでもありませんでしたが、キリスト教の教義に縛られる「××を表す時にはこうするのが決まりだ」的な暗黙のルール等はほとんど無視していました。

まだまだ情報収集力が足りないようで、事前に気づきませんでした。昨日開幕の展覧会です。

特別展 プラカードのために

期 日 : 2025年11月1日(土)~2026年2月15日(日)
会 場 : 国立国際美術館 大阪市北区中之島4-2-55
時 間 : 10:00 ~17:00 金曜は20:00まで
休 館 : 月曜日(ただし11月3日、11月24日、1月12日は開館)
      11月4日、11月25日、1月13日、年末年始(12月28日~1月5日)
料 金 : 一般 1,500円(1,300円) 大学生 900円(800円)
      ()内20名以上の団体料金および夜間割引料金(対象時間:金曜の17:00~20:00)

 美術家・田部光子(1933-2024)は1961年に記した短い文章において「大衆のエネルギーを受け止められるだけのプラカードを作」り、その「たった一枚のプラカードの誕生によって」社会を変える可能性を語っています。過酷な現実や社会に対する抵抗の意思や行為、そのなかに田部が見出した希望は、同年発表された作品《プラカード》に結実しました。 「プラカードの為に」と題されたこの文章は、作品が生まれるまでの思考の過程を語ったものであると同時に、社会の動きを意識し活動するひとりの美術家の宣言としても読むことができます。「たった一枚のプラカード」とは、行き場のない声をすくいあげ、解放の出発点となるような、生きた表現の象徴でもあるのです。
 田部の言葉と作品を出発点とする本展覧会は、それぞれの生活に根ざしながら生きることと尊厳について考察してきた、田部を含む7名の作品で構成します。各作家は、これまで社会に覆い隠されてきた経験や心情に目を凝らし、あるいは自ら実践することで、既存の制度や構造に問いを投げかけます。彼女・彼らの作品を通じて、私たちを取り巻く社会や歴史を見つめ直し、抵抗の方法を探りながら、表現することの意味に立ち返ります。

出品予定作家
 田部光子、牛島智子、志賀理江子、金川晋吾、谷澤紗和子、飯山由貴、笹岡由梨子

003
関連イベント

 2025年12月6日(土)   キュレーター・トーク
 2025年12月21日(日) 対談 志賀理江子×斉藤綾子
 2026年1月17日(土)   対談 金川晋吾×笠原美智子
 2026年2月1日(日)  牛島智子ワークショップ
 2026年2月15日(日)   鼎談 飯山由貴×FUNI×宮崎理

出展作家のお一人、谷澤紗和子氏は、令和4年(2022)に上野の森美術館さんで開催された若手現代アーティストの登竜門的な「VOCA展」において、智恵子紙絵オマージュの「はいけい ちえこ さま」で佳作を受賞され、以後、そのシリーズをさまざまなところで発表なさったりしています。

VOCA展2022 現代美術の展望─新しい平面の作家たち─/「Emotionally Sweet Mood - 情緒本位な甘い気分 - 」。
都内レポートその2「VOCA展2022 現代美術の展望―新しい平面の作家たち―」。
谷澤紗和子個展「お喋りの効能」。

今回は、「はいけいちえこさま」シリーズの全点が展示とのこと。さらに新作《目の前に開ける明るい新しい道》では、智恵子、18世紀イギリスのメアリー・ディレイニー、中国の切り絵作家・庫淑蘭(クー・シューラン)、アプリケ作家・宮脇綾子という4名の女性作家との対話を試みたそうです。
002
他の出展作家の方々も、それぞれにひとくせもふたくせも、といった展示のようです。

会期が意外と長いので、あちこち飛び回らねばならない怒濤の時期が終わったあたりで拝見に伺おうかと考えております。皆様もぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

君達に先だつ大家達を心を傾けて愛されよ。


光太郎訳 ロダン「若き芸術家達に(遺稿)」より
大正9年(1920)頃訳 光太郎38歳頃

大正6年(1917)にロダンが歿し、翌年、フランスで刊行された雑誌に載った「LES ARTS FRANÇAIS」ロダン追悼号に載ったものが原典です。

光太郎第二の故郷・花巻市のワンデイシェフの大食堂さん。日替わりで個人やグループの方々がランチタイムにシェフを務めるというスタイルのレストランです。同地で主に食を通じての光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんが、おおむね月に一度「こうたろうカフェ」として出店なさっています。

10月29日(水)分の画像。42食完売だそうです。
1761725316827
1761725316786
1761725316840
1000000232
品目は、「白身魚のフライ&タルタルソース」「コールスローサラダ」「鶏つくねの串焼き」「菊の胡麻和え」「バターナッツのポタージュスープ」「蕪の漬物」「新米ご飯」「マロンブラウニー」「コーヒー」。基本、光太郎が自炊した料理や使った食材などを参考にというコンセプトです。諸物価高騰の折、これまで1,000円だった定価が1,200円に値上げ(全出店者共通です)だそうですが、それでも割安感がありますね。

やつかの森さんからのメールの一節。

菊の花の胡桃和えやバターナッツのポタージュは、初めてという方も結構いらしてとても喜ばれました。根生姜が効いたつくねは絶品‼️ 白身魚フライはサクサクで軽く何枚でもいけちゃう美味しさ。サラダも沢山の食材で好評。かぶと白菜ときゅうりの漬物も赤かぶを添えて彩り良く柔らかくて美味。北上市の二子の里芋と昆布の煮物も蓮根、人参、枝豆を入れてほっとする味。ブラウニーは大きな栗たっぷりと胡桃を散らして。誰一人残さずにペロリと完食でした‼️ 八幡平市から友人がきてくれたり、赤ちゃん連れのご家族もゆっくりランチを楽しんでました。ありがたきかな。

次回ご出店は11月18日(火)だそうです。

ところで最近、こんな雑誌を入手しました。
001
タイトルが『鶏の研究』。そのまんま「鶏の研究社」という社からの刊行物ですが、養鶏業者や食肉加工業者向けの月刊誌です。巻号は第26巻第10号、光太郎が花巻郊外旧太田村の山小屋に蟄居していた昭和26年(1951)10月号です。

なぜこんなマニアックな古雑誌を購入したかというと、以下のアンケートが載っており、光太郎の回答もありましたので。『高村光太郎全集』に洩れていたものです。
002
こうあってほしい鶏卵肉」というテーマで、質問項目は8つ。

一、鶏卵はお好きですか。
二、生ですか、それとも料理(例えば?)したものを好まれますか。
三、卵殻は赤いのと白いのとどちらを好まれますか。
四、卵を召上がつてこうだつたら良い、こういうのは嫌だと思われること。例えば栄養、価格、内容、外観、何でも結構です。
五、鶏肉はお好きですか。
六、どんな料理をして召上りますか、お得意の料理法がありましたら公開して下さい。
七、鶏を飼つて居られますか、どんな鶏がお好きですか。
八、その他養鶏についての御所感を。


これらに対しての光太郎の回答は、

一、好きです。殊に夏は肉が腐り易いので鶏卵は恰好な動物質蛋白質源と思います。
二、非常に急な場合は生で食べ、時間のある時は料理します。生みたてに近い卵がいつでもあります。
三、殻の赤白に好き嫌いはありません。
四、殻に必ず日附をつけたいと思います。飼養の條件がすぐ卵にあらわれます。
五、鶏肉は好きです。殊に所謂モツを賞味します。
六、特別変つた料理法も知りません。多く中華料理風にして食べます。卵は五分間半熟が甚だ便利です。
七、独居自炊の山中生活なので自家では飼えません。飼うと外出が出来なくなります。
八、人がもつと多く鶏を飼つて利用するといいと思います。

004
編集部で描いたのでしょうが、似ているような似ていないような光太郎横顔のカットも(笑)。それはさておき、しっかり自炊していた光太郎の言だけに説得力があるように感じました。

他の回答者は山川菊栄、越路吹雪、藤山一郎、横綱千代の山、元首相片山哲、箏曲の宮城道雄、歌舞伎の市川海老蔵、将棋の木村義雄名人など割と豪華なメンバーでした。

こんなふうに昔の雑誌には各界著名人に回答を求めるアンケート欄が普通にあり、光太郎のアンケート回答はこれまでに100篇超が見つかっています。最近も見つけ続けていますし、これからも見つかるでしょう。ただ、アンケートの場合、掲載誌の目次に回答者名が全て載って居らず「諸名家」などとなっている場合も少なくありませんで、なかなか大変です。

さて、やつかの森さんには、いずれ光太郎回答にあるような「中華料理風」や「所謂モツ」を使ったメニューも考案していただきたいものです(笑)。今回の「こうたろうカフェ」でも「鶏つくねの串焼き」が入っていましたが。

【折々のことば・光太郎】

われらの不安、われらの失望、われらの感激、われらの壮烈、われらの情熱、われらの肉感、彼は一切を訳出し、一切を表現した。詩人よりも善く、言葉によるよりも善く、形によつてだ。

光太郎訳 オクーヴ・ミルボー「アウギユスト ロダン」より
大正9年(1920)頃訳 光太郎38歳頃

訳書『続ロダンの言葉』巻頭に置かれた評論の一節です。光太郎の目指した彫刻のありようも、こういうことだったのかもしれません。

キーワードは「テレビ」です。

まず、10月29日(水)、IAT岩手朝日テレビさんのローカルニュース。花巻高村光太郎記念館さんで開催中の企画展「昔なつかし花巻駅」を紹介して下さいました。

高村光太郎の花巻市疎開から80年 企画展「昔なつかし花巻駅」【岩手・花巻市】

詩人で彫刻家の高村光太郎の花巻疎開80周年を記念した企画展が開かれています。
006 003
岩手県花巻市にある高村光太郎記念館には、昭和初期の花巻駅周辺を当時の映像を参考に再現したジオラマが展示されています。
002 007
花巻駅は、岩手軽便鉄道や花巻電鉄の開業とともに交通の要所として発展しました。
004 008
会場では、秘蔵の映像を見ることができます。
009 011
「昔なつかし花巻駅」と題したこの企画展は、11月30日まで開かれています。
005 010
同じ件を既に地方紙『岩手日日』さん、NHKさん、IBC岩手放送さんでもご紹介下さっていますが、こうして時間差で取り上げていただいたほうがありがたいところです。報道を見て「行ってみようか」という方がいらっしゃるでしょうし、それが一気にではなく、その都度ということになったほうが、と思われますので。

もう1件、番組の再放送情報です。

わたしの芸術劇場 中村屋サロン美術館/中村彝アトリエ記念館

BS11(イレブン) 2025年11月3日(月) 01:05〜01:30

「美術館」をちょっと堅苦しい場所だと思っている方々へ送る番組。学芸員の方々が見せ方を工夫したり、今までにないテーマで企画展を開催したり、並々ならぬ苦労と最高のセンスで展示している。そんな美術館を「芸術を体験できる劇場」として捉え、舞台を鑑賞しているようなわくわくした気持ちにしてくれる番組。番組を見た後は、きっと美術館に足を運び、芸術に浸りたくなること間違いなし。

今回の舞台は東京都新宿区にある中村屋サロン美術館。お菓子やカレーパンで有名な新宿中村屋が運営している美術館。創業者の相馬愛蔵は同郷の彫刻家 荻原守衛(碌山)や荻原を慕う若き芸術家などを支援し、明治末から大正、昭和初期にかけて多くの芸術家・文化人たちが、ここ中村屋に集った。日本近代美術の発展に大きく貢献した「芸術家たちのトキワ荘」、中村屋サロンに大きな拍手を!

出演者 片桐仁
19b93758
新宿の中村屋サロン美術館さんが取り上げられた回です。初回放映はTOKYO MXテレビさんで令和3年(2021)。BS11さんでは今年の7月2日(水)に放映がありました。

メインは中村彝。それから光太郎の親友だった荻原守衛にも触れられました。
6cb3e775 4aa8b49e
そして同館所蔵の光太郎油彩画「自画像」(大正2年=1913)も。
0165ff58-s bdaa02fa-s
acdebb55-s
BS11さんでのこの番組、以前からなのか最近のことなのか、ちょっと把握できていませんが、いろいろな曜日のさまざまな時間帯に放映されています。メインは土曜の午前中という位置づけのようですが、再放送がてんでバラバラの曜日・時間帯。
013
他にも光太郎作品が取り上げられる回があり、今後も放映情報に注意してみます。

それはさておき、中村屋サロン美術館さんの回、ご覧になっていない方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

彼等は講義を聴く。或は実際の現実とは何の関係もない、曖昧な、抽象的な名辞のある術語で書かれた審美学の書物を読む。――其書物にはよく同じ誤謬が繰返されて居ます。互に引用し合ふ事がよくあるからです。かやうな有害な状態の下で何んな生徒が発達し得るでせう。


光太郎訳 ロダン「ロダンの手帳 クラデル編」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

「彼等」は官立美術学校の生徒たち。ロダンのアカデミズム嫌いは徹底していました。

ところで「よく同じ誤謬が繰返されて居ます。互に引用し合ふ事がよくあるからです」。ネット上の情報でもそうですね。むしろ現代ではコピペが容易に出来るので、そうなりがちです。

閉口しているのは、光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」についての次の記述がネット上に溢れていること。

高村光太郎の最後の作品としても知られ、完成まで1年余りかかったと言われています。高さ2.1mの2人の裸婦が左手を合わせ向かい合っており、モデルは光太郎の愛妻で詩集「智恵子抄」で知られる智恵子夫人です。台座には婦人の故郷、福島産の黒御影石を利用しています。

まんまコピペしているサイト、多少の換骨奪胎がみられるものを含め、数十件見られますし、十和田湖に行かれた個人の方のブログなどでもあとからあとからこのフレーズ。見つけるたびに「またか」と頭を抱えています。

以前にも書きましたが、「乙女の像」は最後の作品ではありませんし(最後の作品は「乙女の像」除幕式で関係者に配付された記念メダル)、台座の石は福島産ではなく岩手産です。完成までにかかった時間は約半年ですし、「完成まで1年余りかかった」という書き方は「すごく長い時間をかけた」というニュアンスですが、逆にこの像は自らの死期の遠くないことを自覚していた光太郎が、異例の早さで仕上げたものです。

また改めてご紹介しますが、今月末に都内で開かれる「十和田湖の未来を語る東京フォーラム ~大町桂月と名勝価値の再発見~」という催しで、パネルディスカッションのパネラーを仰せつかっており、ふと思い出した次第です。

↑このページのトップヘ