明日から「怒濤の11月」です。「芸術の秋」ということで、イベント等が目白押し。申し訳ありませんが、1件ずつの細かい紹介は出来ません。本日は、現在把握している演劇公演情報を3件、まとめてご紹介します。
まずは岡山県から。
閑話休題、続いて埼玉から。市民劇団のようです。
智恵子がグロキシニアの花を抱えて光太郎のアトリエを訪ねた日から二人の愛は始まった 彫刻家・詩人の高村光太郎と画家の高村智恵子。芸術家同士の特異な愛の形を 詩集「智恵子抄」を背景に徐々に悲劇へと向かう愛を描く。
作 平田俊子 出演 松尾伊津恵 境野徹 長谷川功
平田俊子氏作の「れもん」。平成16年(2004)、下北沢のザ・スズナリさんおよび京都芸術センターさんで、柄本明さん、石田えりさんにより初演された2人芝居です。
そちらは拝見に行けなかったのですが、翌年、小学館さんの季刊雑誌『せりふの時代』第10巻第1号(通巻第34号)に平田氏の脚本が掲載され、そちらを数年前に入手して拝読いたしました。
智恵子の描かれ方が、軽く「不思議ちゃん」的な。そういった部分でユーモラスな描写もありますが、やはり悲劇的(トラジディ)。しかし、最終幕では花巻郊外旧太田村に移住してからの光太郎によってカタルシスとして終わります。
平田氏、他に『戯れ言の自由』(平成27年=2015 思潮社)、『低反発枕草子』(平成29年=2017 幻戯書房)などで光太郎智恵子に触れて下さっています。
最後は静岡です。
まずは岡山県から。
期 日 : 2025年11月2日(日)
会 場 : 岡山芸術創造劇場 ハレノワ中劇場 岡山市北区表町3丁目11-50
時 間 : 17:00~19:00
料 金 : 1日参加券2,000円or期間通し参加券4,000円 + 1,000円
劇作家たちが、続々と登場する明治から昭和の日本文学の文豪を演じる、スペシャルな文士劇リーディング。高橋源一郎の同名小説を大胆に戯曲化した、平田オリザの第22回鶴屋南北戯曲賞受賞作。平田オリザも出演!? 劇作家協会会長の瀬戸山美咲とげきじゃ!運営委員長の角ひろみの夢のタッグ企画。
作 平田オリザ 原作 高橋源一郎 企画 角ひろみ 演出 瀬戸山美咲
出演 総勢25名が出演!
天野順一朗 綾門優季 長田育恵 鹿目由紀 工藤千夏 黒澤世莉 桑原裕子 鴻上尚史
ごまのはえ (ジェシカ) 菅原直樹 鈴木聡 角ひろみ 関根信一 高羽彩 竹田モモコ
佃典彦 豊嶋了子 はしぐちしん 平田オリザ 福原充則 古川健 マキノノゾミ 松村武
米内山陽子

今日開幕の「劇作家フェスティバル2025「げきじゃ!」」の一環としての上演です。平田オリザ氏による脚本で、平田氏ご自身も島崎藤村役でご出演とのこと。原作は高橋源一郎氏の同名の小説です。これまでも平田氏主宰の劇団・青年団さんによって各地で上演されてきました。
上の画像でおわかりになるとおり、近代の文豪がずらっと登場。光太郎役は黒澤世莉さんという方だそうです。ただ、「リーディング」と冠されており、あまり動きを伴わない朗読劇のような感じなのかな、と思っております。キャストの方々が皆、本職は劇作家・演出家という方々ですし。
ところで「劇作家フェスティバル」。以前は「日本劇作家大会」という名称でした。令和元年(2019)、光太郎と交流のあった画家・村山槐多の展覧会を見に信州上田に行った際、たまたま同じ会場で開催されていました。その際は、当時の劇作家協会の会長であらせられた、いろいろお世話になっている渡辺えりさんの等身大パネルが据えられていて、笑いました(笑)。
上の画像でおわかりになるとおり、近代の文豪がずらっと登場。光太郎役は黒澤世莉さんという方だそうです。ただ、「リーディング」と冠されており、あまり動きを伴わない朗読劇のような感じなのかな、と思っております。キャストの方々が皆、本職は劇作家・演出家という方々ですし。
ところで「劇作家フェスティバル」。以前は「日本劇作家大会」という名称でした。令和元年(2019)、光太郎と交流のあった画家・村山槐多の展覧会を見に信州上田に行った際、たまたま同じ会場で開催されていました。その際は、当時の劇作家協会の会長であらせられた、いろいろお世話になっている渡辺えりさんの等身大パネルが据えられていて、笑いました(笑)。
期 日 : 2025年11月15日(土)・16日(日)
会 場 : 熊谷市立中央公民館大ホール 埼玉県熊谷市仲町19
時 間 : 11/15 18:30 11/16 14:00
料 金 : 500円 小学生以下無料
智恵子がグロキシニアの花を抱えて光太郎のアトリエを訪ねた日から二人の愛は始まった 彫刻家・詩人の高村光太郎と画家の高村智恵子。芸術家同士の特異な愛の形を 詩集「智恵子抄」を背景に徐々に悲劇へと向かう愛を描く。
作 平田俊子 出演 松尾伊津恵 境野徹 長谷川功
平田俊子氏作の「れもん」。平成16年(2004)、下北沢のザ・スズナリさんおよび京都芸術センターさんで、柄本明さん、石田えりさんにより初演された2人芝居です。
そちらは拝見に行けなかったのですが、翌年、小学館さんの季刊雑誌『せりふの時代』第10巻第1号(通巻第34号)に平田氏の脚本が掲載され、そちらを数年前に入手して拝読いたしました。
智恵子の描かれ方が、軽く「不思議ちゃん」的な。そういった部分でユーモラスな描写もありますが、やはり悲劇的(トラジディ)。しかし、最終幕では花巻郊外旧太田村に移住してからの光太郎によってカタルシスとして終わります。
平田氏、他に『戯れ言の自由』(平成27年=2015 思潮社)、『低反発枕草子』(平成29年=2017 幻戯書房)などで光太郎智恵子に触れて下さっています。
最後は静岡です。
期 日 : 2025年11月29日(土)・30日(日)
会 場 : ギャラリー青い麦 静岡市葵区呉服町2-2-22 呉服町ビル1F
時 間 : 11/29 14:00/18:00 11/30 14:00
料 金 : 一般 2,000円 学生 1,500円 中学生以下 1,000円 当日は500円増
「本当に、私はこんなにも綺麗に死ぬことが出来るのかしら。」
『智恵子抄』で知られる高村光太郎の妻・智恵子。裕福な家庭で育ち画家を志す智恵子は、理想と現実、そして光太郎が作り上げていく自身の虚像に押しつぶされていく…
2020年にも上演したこの作品を、引き続き大石明世の演出で、今回は代表・鳥居初江のひとり芝居でお届けします。
光太郎のモラハラが前面に押し出され、浅い見方しかできない人々には「これを見て光太郎が嫌いになった」と言わしめる作品です。しかし、「見る」ではなく「観る」で、深いところまで味わっていただければ、智恵子は智恵子で「かくあらねば」という幻想に取り憑かれ、そこから抜け出せないまま毀れていくという感じで、光太郎=クソ野郎という内容ではないことがわかります。それが出来ない人には見てほしくない芝居です。野田氏、いわば功罪相半ばですね(笑)。
案内文にある通り、同劇団、令和2年(2020)にもやはり静岡で公演を打って下さっていました。制作サイドとしてもやりがいのある作品だということなのでしょう。
とりあえず現在把握している11月の光太郎智恵子系演劇公演はこの3本です。他に朗読公演、音楽演奏会などもいろいろありまして、追々紹介して参ります。
【折々のことば・光太郎】
むかしは、彫刻家、画家、装飾家、家具製造家、金銀細工師等、一切の芸術家の仕事場で、重要な法則が一時代から一時代へ、師匠から弟子へと伝へられたものです。其頃では仕事場が実際教えへる場所であり、且つ師匠は其処で弟子の見る処で仕事したのです。今日われわれは、此の驚く可き程生産力ある学校即ち此仕事場の代りに何を持つてゐますか。アカデミーでせう。其処で人は何も習へやしない。まるであべこべの見地から出発してゐるからです。
いわゆる徒弟制につき、職人出身のロダンは肯定的でした。伝承されるべき技術は頭で理解して身につけるものではないということで。光太郎もこうした部分は否定しませんでした。
「本当に、私はこんなにも綺麗に死ぬことが出来るのかしら。」
『智恵子抄』で知られる高村光太郎の妻・智恵子。裕福な家庭で育ち画家を志す智恵子は、理想と現実、そして光太郎が作り上げていく自身の虚像に押しつぶされていく…
2020年にも上演したこの作品を、引き続き大石明世の演出で、今回は代表・鳥居初江のひとり芝居でお届けします。
作 野田秀樹 演出 大石明世 出演 鳥居初江
先頃、文化功労者に選出された野田秀樹氏作の「売り言葉」。智恵子のみの一人芝居です。当方、平成14年(2002)の大竹しのぶさんによる初演をテレビで拝見、さらに平体まひろさんによる公演を、昨年、新宿で拝見して参りました。光太郎のモラハラが前面に押し出され、浅い見方しかできない人々には「これを見て光太郎が嫌いになった」と言わしめる作品です。しかし、「見る」ではなく「観る」で、深いところまで味わっていただければ、智恵子は智恵子で「かくあらねば」という幻想に取り憑かれ、そこから抜け出せないまま毀れていくという感じで、光太郎=クソ野郎という内容ではないことがわかります。それが出来ない人には見てほしくない芝居です。野田氏、いわば功罪相半ばですね(笑)。
案内文にある通り、同劇団、令和2年(2020)にもやはり静岡で公演を打って下さっていました。制作サイドとしてもやりがいのある作品だということなのでしょう。
とりあえず現在把握している11月の光太郎智恵子系演劇公演はこの3本です。他に朗読公演、音楽演奏会などもいろいろありまして、追々紹介して参ります。
【折々のことば・光太郎】
むかしは、彫刻家、画家、装飾家、家具製造家、金銀細工師等、一切の芸術家の仕事場で、重要な法則が一時代から一時代へ、師匠から弟子へと伝へられたものです。其頃では仕事場が実際教えへる場所であり、且つ師匠は其処で弟子の見る処で仕事したのです。今日われわれは、此の驚く可き程生産力ある学校即ち此仕事場の代りに何を持つてゐますか。アカデミーでせう。其処で人は何も習へやしない。まるであべこべの見地から出発してゐるからです。
光太郎訳 ロダン「ロダンの手帳 クラデル編」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃
いわゆる徒弟制につき、職人出身のロダンは肯定的でした。伝承されるべき技術は頭で理解して身につけるものではないということで。光太郎もこうした部分は否定しませんでした。














































































































































































































































