2025年10月

明日から「怒濤の11月」です。「芸術の秋」ということで、イベント等が目白押し。申し訳ありませんが、1件ずつの細かい紹介は出来ません。本日は、現在把握している演劇公演情報を3件、まとめてご紹介します。

まずは岡山県から。

文士劇リーディング『日本文学盛衰史』(作:平田オリザ)

期 日 : 2025年11月2日(日)
会 場 : 岡山芸術創造劇場 ハレノワ中劇場 岡山市北区表町3丁目11-50
時 間 : 17:00~19:00
料 金 : 1日参加券2,000円or期間通し参加券4,000円 + 1,000円

劇作家たちが、続々と登場する明治から昭和の日本文学の文豪を演じる、スペシャルな文士劇リーディング。高橋源一郎の同名小説を大胆に戯曲化した、平田オリザの第22回鶴屋南北戯曲賞受賞作。平田オリザも出演!? 劇作家協会会長の瀬戸山美咲とげきじゃ!運営委員長の角ひろみの夢のタッグ企画。

作 平田オリザ 原作 高橋源一郎 企画 角ひろみ 演出 瀬戸山美咲
出演 総勢25名が出演!
 天野順一朗 綾門優季 長田育恵 鹿目由紀 工藤千夏 黒澤世莉 桑原裕子 鴻上尚史
 ごまのはえ (ジェシカ) 菅原直樹 鈴木聡 角ひろみ 関根信一 高羽彩 竹田モモコ
 佃典彦 豊嶋了子 はしぐちしん 平田オリザ 福原充則 古川健 マキノノゾミ 松村武
 米内山陽子
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今日開幕の「劇作家フェスティバル2025「げきじゃ!」」の一環としての上演です。平田オリザ氏による脚本で、平田氏ご自身も島崎藤村役でご出演とのこと。原作は高橋源一郎氏の同名の小説です。これまでも平田氏主宰の劇団・青年団さんによって各地で上演されてきました。

上の画像でおわかりになるとおり、近代の文豪がずらっと登場。光太郎役は黒澤世莉さんという方だそうです。ただ、「リーディング」と冠されており、あまり動きを伴わない朗読劇のような感じなのかな、と思っております。キャストの方々が皆、本職は劇作家・演出家という方々ですし。

ところで「劇作家フェスティバル」。以前は「日本劇作家大会」という名称でした。令和元年(2019)、光太郎と交流のあった画家・村山槐多の展覧会を見に信州上田に行った際、たまたま同じ会場で開催されていました。その際は、当時の劇作家協会の会長であらせられた、いろいろお世話になっている渡辺えりさんの等身大パネルが据えられていて、笑いました(笑)。

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閑話休題、続いて埼玉から。市民劇団のようです。

劇団ダウト第15回公演「れもん」

期 日 : 2025年11月15日(土)・16日(日)
会 場 : 熊谷市立中央公民館大ホール 埼玉県熊谷市仲町19
時 間 : 11/15 18:30 11/16 14:00
料 金 : 500円 小学生以下無料

智恵子がグロキシニアの花を抱えて光太郎のアトリエを訪ねた日から二人の愛は始まった 彫刻家・詩人の高村光太郎と画家の高村智恵子。芸術家同士の特異な愛の形を 詩集「智恵子抄」を背景に徐々に悲劇へと向かう愛を描く。


作 平田俊子  出演 松尾伊津恵 境野徹 長谷川功

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平田俊子氏作の「れもん」。平成16年(2004)、下北沢のザ・スズナリさんおよび京都芸術センターさんで、柄本明さん、石田えりさんにより初演された2人芝居です。
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そちらは拝見に行けなかったのですが、翌年、小学館さんの季刊雑誌『せりふの時代』第10巻第1号(通巻第34号)に平田氏の脚本が掲載され、そちらを数年前に入手して拝読いたしました。
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智恵子の描かれ方が、軽く「不思議ちゃん」的な。そういった部分でユーモラスな描写もありますが、やはり悲劇的(トラジディ)。しかし、最終幕では花巻郊外旧太田村に移住してからの光太郎によってカタルシスとして終わります。

平田氏、他に『戯れ言の自由』(平成27年=2015 思潮社)、『低反発枕草子』(平成29年=2017 幻戯書房)などで光太郎智恵子に触れて下さっています。

最後は静岡です。

劇団静火🔥第17回公演『売り言葉』

期 日 : 2025年11月29日(土)・30日(日)
会 場 : ギャラリー青い麦 静岡市葵区呉服町2-2-22 呉服町ビル1F
時 間 : 11/29 14:00/18:00 11/30 14:00
料 金 : 一般 2,000円 学生 1,500円 中学生以下 1,000円 当日は500円増

「本当に、私はこんなにも綺麗に死ぬことが出来るのかしら。」
 『智恵子抄』で知られる高村光太郎の妻・智恵子。裕福な家庭で育ち画家を志す智恵子は、理想と現実、そして光太郎が作り上げていく自身の虚像に押しつぶされていく…
 2020年にも上演したこの作品を、引き続き大石明世の演出で、今回は代表・鳥居初江のひとり芝居でお届けします。

作 野田秀樹 演出 大石明世 出演 鳥居初江
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先頃、文化功労者に選出された野田秀樹氏作の「売り言葉」。智恵子のみの一人芝居です。当方、平成14年(2002)の大竹しのぶさんによる初演をテレビで拝見、さらに平体まひろさんによる公演を、昨年、新宿で拝見して参りました。

光太郎のモラハラが前面に押し出され、浅い見方しかできない人々には「これを見て光太郎が嫌いになった」と言わしめる作品です。しかし、「見る」ではなく「観る」で、深いところまで味わっていただければ、智恵子は智恵子で「かくあらねば」という幻想に取り憑かれ、そこから抜け出せないまま毀れていくという感じで、光太郎=クソ野郎という内容ではないことがわかります。それが出来ない人には見てほしくない芝居です。野田氏、いわば功罪相半ばですね(笑)。

案内文にある通り、同劇団、令和2年(2020)にもやはり静岡で公演を打って下さっていました。制作サイドとしてもやりがいのある作品だということなのでしょう。

とりあえず現在把握している11月の光太郎智恵子系演劇公演はこの3本です。他に朗読公演、音楽演奏会などもいろいろありまして、追々紹介して参ります。

【折々のことば・光太郎】

むかしは、彫刻家、画家、装飾家、家具製造家、金銀細工師等、一切の芸術家の仕事場で、重要な法則が一時代から一時代へ、師匠から弟子へと伝へられたものです。其頃では仕事場が実際教えへる場所であり、且つ師匠は其処で弟子の見る処で仕事したのです。今日われわれは、此の驚く可き程生産力ある学校即ち此仕事場の代りに何を持つてゐますか。アカデミーでせう。其処で人は何も習へやしない。まるであべこべの見地から出発してゐるからです。

光太郎訳 ロダン「ロダンの手帳 クラデル編」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

いわゆる徒弟制につき、職人出身のロダンは肯定的でした。伝承されるべき技術は頭で理解して身につけるものではないということで。光太郎もこうした部分は否定しませんでした。

10月28日(火)、愛車を駆って北関東三県を巡りましたレポートの続きです。

栃木市立文学館さんの「『歴程』と逸見猶吉、岡安恒武」展、群馬県立土屋文明記念文学館さんの第127回企画展「愛の手紙-友人・師弟篇-」を制覇し、最終目的地は埼玉県東松山市の総合会館さん。こちらでは光太郎に私淑していた彫刻家・高田博厚の作品を集めた「彫刻家 高田博厚展2025―Vitrail(ヴィトロー)―「窓」から見る高田博厚」を拝見しました。
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同市の元教育長で、光太郎と交流のあった故・田口弘氏が光太郎繋がりで高田とも意気投合、同市での高田の個展や、東武東上線高坂駅前の高田作品を集めた彫刻プロムナード設置などに尽力され、その関係で高田遺族から鎌倉にあったアトリエ閉鎖の際に高田作品や遺品がごっそり寄贈され、それらを毎年、少しずつ展示する催しです。

今年の目玉は、ジョルジュ・ルオーの息女であるイザベル・ルオー作のステンドグラス。鎌倉の高田アトリエに設置されていたものです。
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裏にLEDライトが仕込んであり、良い感じに光が洩れていました。
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そのルオー父娘を高田が作った肖像彫刻。
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父ルオーが元々ステンドグラス職人だったというのは存じませんでした。そういわれてみると、あの太い輪郭線で描いた宗教画には、ステンドグラスの影響がありありと見えます。

いただいてきた無料の簡易図録。
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拝観後、会場を出て、前橋ICから乗って東松山ICで下りた関越道には戻らず一般道を南下。隣接する川島町の川島ICから圏央道に入り、一気に自宅兼事務所最寄りの神崎ICまで。我ながらがっつり走ったな、という感じでした(走ったのは愛車ですが(笑))。
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さて、帰宅したところ、東松山市役所の方からLINEにメッセージ。この日、同市を訪れたこととは関係なく、まったくの偶然ですが「今夜のテレビ東京『開運! なんでも鑑定団』で高田博厚の彫刻が出るそうです」とのことでした。何とタイムリーな。

拝見しましたところ、鑑定依頼品は「ロマン・ロラン像」。さっき見てきたばかりの高田博厚展に並んでいたものと同じものでしたので、さらにびっくり。
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「高田は精神を……」云々は、ロランが語った言葉だそうで。

高田の紹介Vの部分では、光太郎についてもかなり触れて下さいました。
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光太郎没後、記憶と写真を基に高田が作った光太郎像も。同一のものは東松山市の東武東上線高坂駅前彫刻プロムナードにも据えられています。
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で、「ロマン・ロラン像」。鑑定金額は思ったより伸びませんでした。「ニセモノではないが、数多く鋳造されたうちの一つ」という扱いで。たしかにブロンズ彫刻は同一の型から鋳造されたものでも、いつ、どんなコンセプトで、誰が鋳造したか、といった要素でかなり価値の幅が出ます。それにしてもちょっと辛い鑑定のような気もしましたが。

TVerさんなどで配信が見られます。ぜひご覧下さい。東松山市の高田展も11月13日(木)までの開催でして、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

お前の葉は皆平たい。さうでなく、お前の方へ葉の先が向く様におし。奥行きで作るのだ。平(ひら)で無くだ。いつでもさういふ様に仕事をおし。さうすれば表面が一つの塊まりの端と見える様になる。それでなくては彫刻はうまく行かない。

光太郎訳 ロダン「ロダンの手帳 クラデル編」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

まだ一人前の彫刻家となる前の若き日のロダンが、修業先の石膏細工の先輩職人から言われた言葉です。無名のこの職人の教えが、ロダンの眼を開かせました。

彼等が手がけていたのは主に建造物の外壁の装飾でしたが、そこに葉っぱをあしらう際、葉っぱと言われて誰もが思い浮かべるこういうアングルでは立体感が出ない、というのです。
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こうではなく、先端を手前に配せ、と先輩職人。
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なるほど。

ちなみにこの葉は、光太郎智恵子ゆかりの花、グロキシニアです。5月くらいに咲き始め、以来、半年近くしぶとく花をつけ続けています(笑)。
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昨日は高速道路5本を乗り継ぎ、北関東三県を廻っていました。レポートいたします。

まずは千葉県北総地域の自宅兼事務所を出、茨城県の鉾田ICから東関東自動車道に。茨城町JCTで北関東自動車道、栃木都賀JCTで東北自動車道に入り、栃木ICで下道に下りまして、栃木市立文学館さんへ。こちらで「『歴程』と逸見猶吉、岡安恒武」展を拝見しました。
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こちらは初めての訪問でしたが、館の建物は旧栃木町の役場庁舎を保存活用しているもので、古建築好きにはたまりませんでした。大正10年(1921)竣工だとのことですが、なんと平成26年(2014)まで現役の町役場・市役所庁舎として使われていたそうで。取り壊しを惜しんで移築、文学館として再利用というわけで、素晴らしいと思いました。

『歴程』は当会の祖・草野心平主宰でしたが、初代の編輯兼発行人は逸見猶吉。岡安恒武も後に同人に加わりました。共に栃木出身の二人にスポットを当てるということで、地方文学館ならではの取り組みですね。『歴程』には光太郎もたびたび寄稿していますし、逸見・岡安、ともに光太郎と交流がありましたので、足を運んだ次第です。
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逸見と岡安の稿の載った『歴程』などが中心の展示でした。その中には光太郎の素描を表紙に使った号も(そうである旨のキャプションが為されて居らず残念でしたが)。それから、光太郎も寄稿した歴程同人によるアンソロジー『歴程詩集 紀元貳千六百年版』(昭和16年=1941)、光太郎が序文を書いた石川善助詩集『亜寒帯』なども並んでいました。

二人に充てた書簡類の展示があって、そこに光太郎からのものなど含まれていないかと淡い期待をしていたのですが、やはりそれはありませんでした。帰りけに訊いてみたところ、所蔵もされていないとのことでした。

再び栃木ICから東北道、岩舟JCTで北関東道、高崎JCTで関越道に入り北上、前橋ICで下りて、次なる目的地・群馬県立土屋文明記念館さんへ。第127回企画展「愛の手紙-友人・師弟篇-」が開催中で、セコい話ですが、昨日は群馬県民の日で入場無料ということで、昨日を狙いました(笑)。
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こちらでは光太郎の名も前面に押し出して下さっています。
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他にもメジャーどころの文豪たち。
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光太郎の書簡は2通、ともに親友だった水野葉舟に宛てたものでした。同館所蔵のものが出ているかと思っていたのですが、駒場の日本近代文学館さんからの貸与でした。他の作家のそれを含め、今回の展示品は7割方が日本近代文学館さんの所蔵品、残りの2割が土屋文明記念文学館さん、1割がこおりやま文学の森資料館さんといった感じでした。

で、葉舟に宛てた2通の書簡。ともに昭和9年(1934)のもので、『高村光太郎全集』では連続して掲載されています。1通めが5月9日、2通めは5月16日。智恵子の心の病が昂進し、千葉の九十九里浜に移り住んでいた智恵子の母・センと妹夫婦のところに智恵子を預けた直後のものです。翌年には智恵子は南品川ゼームス坂病院に入院します。
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『智恵子抄』の裏面史、といったキャプションとなっていましたが、そのとおりですね。ちなみに現在、花巻の高村光太郎記念館さんで展示されている中原綾子宛の書簡群もそうした一面を持っています。

他の書簡群も興味深く拝見いたしました。やはり書簡という私的なものなので、文学史上の裏面史といった部分が色濃く出ていますし、「この人はこういう字を書くんだ」的な意味でも面白く感じました。

図録は発行されていませんでしたが、それに代わる感じで、日本近代文学館さん編の『愛の手紙 友人・師弟篇』という書籍が販売されていて、購入してきました。平成15年(2003)刊行のデッドストックですが、存じませんでした。今回展示されている書簡で日本近代文学館さんからの貸与品のうち、その殆どが掲載されているようです。
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それから、テレビモニターを使った動画の上映が2箇所で為されていました。展示室では芥川龍之介(約2分)。智恵子や南品川ゼームス坂病院などにも触れられた平成25年(2013)刊行の『脳病院をめぐる人びと  帝都・東京の精神病理を探索する』で紹介されていたものですし、一昨年には「NHKスペシャル 映像記録 関東大震災 帝都壊滅の三日間 後編」の中で放映されました。
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撮影は昭和2年(1927)、芥川の死の年です。

それからロビーでは、他の文豪達が写し出される約15分の動画。
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改造社が大正15年(1926)から刊行を始めた「日本文学全集」(いわゆる「円本」)のプロモーションのために制作したものだそうで、徳富蘇峰、菊地寛、さらに光太郎と縁の深かった佐藤春夫や武者小路実篤などが登場していました。佐藤に関しては光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」除幕式の動画で老境に入った頃の動く姿を見たことがありますが、こちらはまだ30代で「若っ」という感じでした。

同全集では第37篇の『現代日本詩集 現代日本漢詩集』、第38篇の『現代短歌集 現代俳句集』に光太郎の作品も多数掲載されていますが、残念ながらプロモーション動画への光太郎出演はなかったようです。

さて、同館を後に、再び前橋ICから関越道に乗り、埼玉県の東松山ICまで。最後の目的地、同市の総合会館さんへ。こちらでは例年の催しとして、光太郎に私淑していた彫刻家・高田博厚の作品を集めた「彫刻家 高田博厚展2025―Vitrail(ヴィトロー)―「窓」から見る高田博厚」が開かれています。

一気にそこまで書いてしまおうかとも考えましたが、長くなりましたし続きも長くなりますので、明日に廻します。

【折々のことば・光太郎】

細部は全体と一致する様に肉づけせられねばならない。面を重んずる事は肉づけの正確を余儀なくさせる。一つのものは他のものから出てゐる。前者は後者を生む。


光太郎訳 ロダン「ロダンの手帳 クラデル編」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

一つの彫刻作品でもそうですが、栃木と群馬で様々な文学者達の相関についての展示を見て、人間関係などにも言えることのような気がしました。個々の作家を単体で見るのでなく、幅広い人間関係の中で位置づけることの大切さ、とでもいいましょうか。

再来月になりますが、明星研究会さんでの研究発表を依頼されまして、主に明治末から大正前半の光太郎の立ち位置について、考えているところです。

今週末から11月ですね。毎年そうなのですが「芸術の秋」ということで、関連するイベントが集中しています。「怒濤の11月」という感じです(笑)。既にこのブログで取り上げ開催中である諸館の企画展示や各種イベントも継続、さらにこれからご紹介すべき事項も20件を下りません。そこで関連するようなものは一括して扱わせていただきます。

今日のキーワードは「ライトアップ」。3件ご紹介します。

まず、光太郎の親友・碌山荻原守衛の個人美術館にして、光太郎ブロンズ彫刻も多数展示して下さっている信州安曇野碌山美術館さん。

碌山美術館 秋の紅葉ライトアップ

期 日 : 2025年11月1日(土) 雨天中止
会 場 : 碌山美術館 長野県安曇野市穂高5095-1
時 間 : 17:00~19:00
料 金 : 無料

展示室は碌山館のみご覧いただけます。
暖かい服装でお出かけください。昨年は雨で中止でしたので晴れるといいな~
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通常の閉館後、無料開放だそうで。ただし複数ある展示棟のうちの本館にあたる碌山館のみライトアップ及び内部の観覧が可となります。

昨年は降雨のため中止となってしまったので、今年こそは、ですね。フライヤー画像は一昨年のものと思われます。建築家・今井兼次の設計になる教会風のロマネスク様式が実にいい感じですね。

開催順に、続いては福島二本松の智恵子生家。10月5日(日)、智恵子忌日の「レモンの日」に続いて2回目の開催です。

蘇る智恵子season3~生家のライトアップ~

期 日 : 2025年11月16日(日)
会 場 : 智恵子生家 福島県二本松市油井字漆原町36
時 間 : 17:00~20:00
料 金 : 無料
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こちらも通常の閉館後、無料開放となりますが、ライトアップ自体は館外から観る形になる感じです。開催中の「高村智恵子レモン祭」最終日を飾るイベント、といった位置づけのようです。

最後は京都から。

浄土宗総本山知恩院 秋のライトアップ

期 日 : 2025年11月19日(水)~12月7日(日)
会 場 : 浄土宗総本山知恩院 京都市東山区林下町400
時 間 : 17:30~21:30
料 金 : 大人800円 小中学生400円
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知恩院さんでは毎年、春と秋にライトアップが為され、光太郎の父・光雲が主任となって作られた露座のブロンズ聖観音菩薩像も照らし出されています。
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こちらは期間が長く、関連行事等も充実しています。当方、ライトアップの時期には行ったことがありませんが、令和4年(2022)に妻がお友達と行きまして、画像を京都から送ってもらいました。自分でも行きたいのですが、先述の通り「怒濤の11月」で、あちこち飛びまわらなければなりませんで、なかなか京都までは足が向きません。

皆様はそれぞれぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

それ故此の正確な返相に忠実なら、モデルの実相は、皮相の再現でなくて、内面から発して来る様に見える。全体の確実、面の正確、芸術品の生命は其処から出て来ます。


光太郎訳 ロダン「ロダンの手帳 クラデル編」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

「辺相」は、ほぼ「輪郭線」と同じ意味で、光太郎の造語と言われています。

まず東北の地方紙記事から3件ご紹介します。

最初は仙台に本社を置く『河北新報』さん、昨日の一面コラムです。

河北春秋

詩人、彫刻家の高村光太郎(1883~1956年)の詩に<その詩を戦地の同胞がよんだ。人はそれをよんで死に立ち向つた>という一節がある。光太郎が戦後に書いた『わが詩をよみて人死に就けり』。光太郎は戦時中、戦意高揚の詩を量産した。その反省に立った詩だ▼光太郎の父は皇室をあつく敬い、光太郎も天皇崇拝は変わらなかった。1945年5月に岩手県花巻市に疎開したまま、戦後も7年間を花巻郊外の山小屋に暮らした光太郎には戦争協力への贖罪(しょくざい)意識があったとされる▼「妻智恵子が生きていたら、光太郎は戦争に協力しただろうか」。こんな疑問を抱くのは、智恵子の古里、福島県二本松市の熊谷健一さん(75)。20年前から智恵子顕彰活動に取り組む「智恵子のまち夢くらぶ」の代表を務める▼智恵子は関東大震災後に社会運動家の大杉栄らが憲兵に殺害された事件に関し、婦人雑誌のアンケートに「暴力は臆病の変形」と寄せた。智恵子が他界した38年に国家総動員法が制定され、光太郎も戦争に巻き込まれる。熊谷さんが想像を巡らせるゆえんだ▼くらぶは11月、智恵子没後の光太郎をテーマに講座を3回開く。戦争との関わりも考える。「事実から目をそらさずに学びたい」。熊谷さんの姿勢から2人への愛が伝わる。

最初に紹介されている「わが詩をよみて……」は、昭和22年(1947)、連作詩「暗愚小伝」に組み込むつもりで書いたものの、結局はボツにした詩篇です。全文はこちら。光太郎の精神史を語る上では外せない一篇ではあります。

智恵子の「暴力は臆病の変形」は、コラムにある通り、大正12年(1923)の関東大震災後、光太郎も支援していた大杉栄と妻の伊藤野枝が、憲兵大尉・甘粕正彦によって虐殺された事件に対してのもの。全文はこちら

その智恵子の故郷・福島二本松で顕彰を続ける智恵子のまち夢くらぶ~高村智恵子顕彰会さんの講座については、改めて記事にするつもりでいましたが、ついでですのでご紹介してしまいます。

智恵子講座2025 智恵子没後の高村光太郎~晩年の人生と芸術に迫る~

期 日 : 2025年11月3日(月・祝) 11月16日(日) 11月24日(月・振休)
会 場 : 11/3・11/16 ラポートあだち 11/24 安達公民館
時 間 : 10:00~12:30
料 金 : 3,000円
講 師 : 熊谷健一(智恵子のまち夢くらぶ~高村智恵子顕彰会代表)

美の求道者として同志愛を貫いた高村光太郎と智恵子。智恵子亡き後の光太郎はどのように生き、どんな作品を残したのでしょうか。光太郎晩年の人生と芸術に肉迫します。
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次に、光太郎第二の故郷・岩手の『岩手日日』さん。これも昨日掲載されました。

光太郎直筆の手紙初展示 花巻・記念館特別展 人柄や悩み伝える

 高村光太郎記念館の特別展「中原綾子への手紙」は、花巻市太田の同館で開かれている。同人の中原綾子に宛てた光太郎直筆の手紙が展示され、光太郎の人柄や当時抱えていた悩みなどを伝えている。2026年2月28日まで。
 中原は与謝野晶子門下の歌人。文芸誌「明星」に作品を発表しており、同誌に作品を寄せていた光太郎とは交流があった。交流は光太郎が花巻に疎開してからも続き、1951年9月に山荘を訪れて光太郎を見舞うなど生涯にわたり古流を持つ間柄であつたとされる。
 特別展では「智恵子抄」などの作品に通じる光太郎の心境を、中原に宛てた手紙でたどっている。手紙の内容自体は既出で、市内の図書館にある「高村光太郎全集」などで確認できるが、直筆の手紙を展示するのは初という。
 34年12月28日付の手紙には、「ちえ子の狂気は日増しにわろく、最近は転地先にも居られず、再び自宅に引きとりて看病と療治とに尽していますが連日連夜の狂暴状態に徹夜つづき、さすがの小生もいささか困却いたして居ります」とあり、統合失調症を患う妻智恵子に対する苦悩が赤裸々につづられている。
 51年10月5日付の手紙では、体調が優れない中原に対し「食事の十分とれますまで酒タバコは一寸お休みになる方がいいかと存じます」と助言しており、2人の関係性や光太郎の人柄がうかがえる。
 特別展を担当する花巻高村光太郎記念会の高橋卓也事務局長補佐は「活字ではなく、光太郎直筆の手紙が見られる珍しい機会を通じて、光太郎の人柄や中原との関係性などを感じてほしい」と話す。
 開館時間は午前8時30分~午後4時30分。問い合わせは同館=0198(28)3012へ。
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4月から4期に分けて開催されている特別展「中原綾子への手紙」に関してです。4月から始まっているのに「なぜ今?」という感じなのですが、どうも岩手県ではこういう風習なのだと思われます。光太郎も岩手在住中、服の仕立を頼んだものの、その後梨のつぶてで困惑する記述を残していましたが、出来上がってみると実に丁寧な仕事で、文句の附けようもない、みたいな。

今回出品されている書簡関しても、全文を翻字し、画像をつけて図録として出版という話で、原稿はとっくに送ってあるのですが、いつになるやら……という感じです。通常は会期が始まる前に作っておいて販売するものだと思うのですが……。

後は、記事に誤りがありますので訂正しておきます。「手紙の内容自体は既出で、市内の図書館にある「高村光太郎全集」などで確認できる」とありますが、『高村光太郎全集』にもれている書簡も5通ほど。その意味でも図録の完成が待たれます。

続いて同じく花巻ネタで『岩手日報』さん。一昨日の掲載でした。

おいでよ道の駅 はなまき西南 偉人ゆかり 弁当人気

005 今後も地域住民とドライバーの憩いの場であり続けます――。県道盛岡和賀線沿いに位置し、今年開業5周年を迎えた花巻市轟木の道の駅はなまき西南(高橋有希駅長)は、地元の偉人にちなんだオリジナルメニューが好評を博している。
 戦争空襲で宮沢賢治の実家を頼り、花巻市の旧太田村に疎開した高村光太郎(1883~1956年)に関連し、駅の愛称は「賢治と光太郎の郷(さと)」。光太郎の日記を基に再現し、毎月15日に10食限定で販売する地元食材が中心の月替わり弁当は常連客の人気商品だ。
 ボリューム満点のランチを食べたい時は、 地元住民が愛してやまない焼き肉の老舗・味楽苑「道の駅店」へ。名物のささまホルモン(単品660円)は、貴重な豚の直腸を全国から厳選して仕入れている。自家製のみそダレが絶妙に絡み、ぽっべたが落ちそうだ。
 近くに大型商業施設がなく、人口減少が進む太田・笹間地区を活気づけようと、住民の働きかけで2020年に開業。今年8月には来場者200万人を達成した。高橋駅長(38)は「ここにしかない歴史と『魅力』を届けたい。皆さんにとって居心地のよい場所になってもらえばうれしい」と願う。
 売店の営業時間は午前9時~午後5時。年末年始は一部施設休業。
イチ押し しっとり塩あんぱん
 はなまき西南限定の塩あんぱん(300円)を食べてほしい。花巻温泉の温泉ベーカリーとのコラボ商品。ぎっしり詰まった粒あんは、ほのかな塩気でしっとりした味わい。自動販売機で冷凍販売しており、解凍するのを待ちながら周囲の観光地を巡ってみよう。同温泉の日帰り入浴200円割引券付きのお得なセットで、心も体も「ほっと」一息ついてみてはいかが。

花巻で主に「食」を通じて光太郎顕彰をなさっているやつかの森LLCさんがメニュー考案に当たられ、毎月15日に道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント・ミレットキッチン花(フラワー)さんが販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」に触れられています。

そのやつかの森さん、今月行われた土澤アートクラフトフェアなど、花巻南高校家庭クラブさんといろいろ共同でなさっている関係で、10月23日(木)には同市で開催された岩手県高等学校家庭クラブ研究発表大会に招聘され、光太郎に関わる寸劇を披露されたとのこと。
人物紹介
小岩井バター 雪白く朗読
コーヒー煎れる 姪宛てハガキ
勝治と訪問者 お礼にお菓子
そんなこんなで、光太郎智恵子ゆかりの東北では、二人の顕彰活動が活発ですが、こういう動きが東北に留まらず、全国に広がって欲しいものです。

【折々のことば・光太郎】

量とは何か。其は物体が空気の中で位置を占める空間(スペース)の事です。芸術の本質的基礎は此の正確な空間を定める事です。此が始であり終であります。

光太郎訳 ロダン「ロダンの手帳 クラデル編」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

かなり概念的な表現ですが、ロダンはけっこう彫刻の本質的な在り方、制作方法のキモを言葉にしています。光太郎は一語一語を噛みしめながら翻訳し、自作に生かしていたようですし、後進の芸術家達も光太郎の訳によってその精神に触れ、各自がその実践を行おうとしていきました。

一昨年出た四六判単行本が文庫化されました。

創元推理文庫 三人書房

発行日 : 2025年10月24日
著者等 : 柳川一
版 元 : 東京創元社
定 価 : 780円+税

大正8年(1919年)東京・本郷区駒込団子坂。平井太郎は、通と敏男の二人の弟とともに《三人書房》という古書店を開いた。店には同年に亡くなった女優・松井須磨子の遺書らしい手紙をはじめ、奇妙な謎が次々と持ち込まれ──。同時代を生きた、宮沢賢治や宮武外骨、高村光太郎たちとの交流と不可解な事件の顛末を、若き日の平井太郎=江戸川乱歩を通して描く、滋味深い連作推理。著者あとがき=柳川一/解説=辻真先

目次
 「三人書房」 「北の詩人からの手紙」 「謎の娘師(むすめし)」 「秘仏堂幻影」
 「光太郎の〈首〉」
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五話の連作で、それぞれ江戸川乱歩がらみのミステリーです。表題作、そして表紙に描かれている「三人書房」は、史実で乱歩が弟たちと共に経営していた古書肆です。

最終話「光太郎の〈首〉」が、題名通り、光太郎彫刻に関わる事件を描いています。架空の事件ですが、さもありなんという感じです。

他の登場人物等は、宮沢賢治、横山大観、宮武外骨など。さらに物故者として松井須磨子や葛飾北斎、その娘お栄(応為)、岡倉天心、そして智恵子らにも触れられます。

単行本でお買い求め頂いていない方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

先づ第一に、芸術は唯自然の綿密な研究です。此が無くてはわらわれは救はれない。芸術家たり得ない。


光太郎訳 ロダン「ロダンの手帳 クラデル編」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

光太郎の親友だった碌山荻原守衛は、パリからの帰国に際し、ロダンに別れの挨拶し、「帰国後は師と仰ぐべきものがないが、誰を師と仰ぐべきか」と尋ねると、ロダンから「自然、自然こそ最大の師ではないか」と諭されたそうです。

新刊です。

昭和の夢は夜ひらく

発行日 : 2025年10月20日
著者等 : 五木寛之
版 元 : 新潮社
定 価 : 960円+税

戦前・戦中・戦後──。流れゆく時代の片隅で、私は何を見てきたか。『週刊新潮』人気連載から厳選、追憶の36話。

昭和百年とはいうけれど、歴史として語られる数々の出来事と、戦前、戦中、戦後にかけて自身が経験してきた事々は、重なるようでいてどこか重ならない。戦争と引揚げの記憶、貧しかった青春時代、かつての文壇での交友や歌謡曲の世界、そして逝きし人びとの声──連載十二年に及ぶ「週刊新潮」の人気エッセイから三十六話を厳選、忘れ得ぬ時代の原記憶が鮮やかによみがえる。
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目次
 はじめに
 流されゆく日々
  流れゆく時代のなかで/ボタ山に紅テントが立った時代/ラジオと共に六十年/
  黒と白のブルース/一日見ぬ間の桜かな
 昭和百年とはいうけれど
  昭和百年の原記憶/ぬるめの風呂につかりながら/昭和時代の片隅で/
  昭和残影あれこれ/『昭和百年』はどう語られるか
 忘れ得ぬ記憶
  虫のいろいろ/シベリア抑留者の光と闇/七十数年前の難民として/
  時は流れる 時計が見える/戦後は遠くなりにけり/思い出のなかの昭和残影
 歌は世につれ、世は歌につれ
  高村光太郎の国民歌/昭和歌謡の罪と罰/昭和の夢は夜ひらく/
  時代の歌と、歌の時代/昭和は踊る時代だった
 文壇つかずはなれず
  文壇バーとガールズ・バー/おい、泣くなよ奥野/文士劇のあった時代/
  原稿用紙と私/あの日の雨はまだ降っている/ハラスメント天国
 忘れ得ぬ人の面影
  内田裕也という人の片影/平岩弓枝さんのこと/上海ガーデン・ブリッジ/
  八代亜紀と冠二郎/残る桜も散る桜
 私の昭和時代
  昭和二十年代の正月/わが青春に悔あり/野球がだんだん遠くなる/私がなくしたモノ

解説文にある通り、『週刊新潮』さんに連載のエッセイ「生きぬくヒント!」からのセレクションです。

「歌は世につれ、世は歌につれ」中の「高村光太郎の国民歌」は、令和2年(2020)の3月12日号に掲載されました。昭和15年(1940)に光太郎が作詞し、飯田信夫が作曲、徳山璉(たまき)の歌唱でそこそこヒットした「歩くうた」に関する内容です。

平成30年(2018)の同じ連載で「潜伏する人びとの世界」と題し、天草地方の潜伏キリシタン、九州や東北の隠し念仏/隠れ念仏などを扱った回でも光太郎に触れて下さっていましたが、残念ながら本書では採録されていませんでした。

昭和7年(1932)のお生まれで、「昭和」時代の大半を経験されている五木氏だけに、多岐に亘るその昭和史の証言は貴重なものだな、と思いつつ拝読いたしました。昭和100年ということで、タイムリーですね。

作詞家でもあらせられた氏ですので、音楽関連の内容も多く、「歌は世につれ、世は歌につれ」と一章まるまる歌謡の話に割かれていますし、他の章でも内田裕也さん、八代亜紀さんなどに触れられています。

もちろん文壇系の話題も。川端康成、野坂昭如、寺山修司、立松和平、安岡章太郎、吉行淳之介などに触れられています。そうかと思えば考古学者の大塚初重など全く畑違いと思われる人々の思い出も。

ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

私は民衆の言葉を使ふ。思想は明瞭であつて、容易く呑みこまる可きものですから。私は大多数の人に会得して貰ひたい。学者風の言葉や見慣れない文句は審美学専門の学者達に譲ります。


光太郎訳 ロダン「ロダンの手帳 クラデル編」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

万人にわかりやすい言葉で語り、書く。大切なことだと思います。五木氏の文章など、まさにそんな感じですが。

福島を拠点に活動されている音楽ユニット風信子(ヒヤシンス)さんの、今月リリースされた自主制作盤CDです。

風の旅人〜夕焼け空の色はふるさとの色〜

発行日 : 2025年10月13日002
発行元 : 風信子
定 価 : 1,500円

作詞・作曲 : 村上有理香
編 曲 : 吉田賢市
演 奏 : 風信子

風信子(ヒヤシンス)第2弾CD『風の旅人〜夕焼け空の色はふるさとの色〜』(1500円) が10月13日(祝月)にリリースされました🌸

風信子の代名詞、オリジナルご当地ソング8曲がすべて収録されています😊また今回は様々な効果音が使われていて、まるで物語の世界を旅しているような雰囲気も味わっていただけると思います✨️

風信子の音楽で、ぜひ楽しい旅に出かけて下さい💐

曲 目 :
 1、大好き♡曽根田駅
 2、遊びにおいでよ飯坂へ
 3、ここが飯野☆ここが好いの♡
 4、本当の空を忘れないで  (二本松)
 5、ぼくらの町の桃源郷 (二本松・さつき山公園テーマソング)
 6、ふるさとの町〜伊達に帰ろう〜
 7、喜多方の街 (喜多方・福島DC勝手に応援歌~喜多方編 準グランプリ受賞曲)
 8、想い出をたどれば  (いわき、浜通り)

曲目タイトルでお判りかと存じますが、全曲福島各地の「ご当地ソング」的な。M4の「本当の空を忘れないで」に、光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)の「ほんとの空」から派生した「本当の空」の語を使い、安達太良山、阿武隈川、二本松霞ヶ城、提灯祭りなどが謳い込まれています。ジャケットの夕景画像も安達太良山ですね。
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キーボードやウクレレを弾きつつリードボーカルの村上有理香さん(左)と、ギター・コーラスの吉田賢市さん(右)、お二人によるユニット・風信子(ヒヤシンス)。これらの曲などを引っ提げて、主に県内各地のイベントなどにご出演なさっています。
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村上さんが、一昨年5月に二本松で行われた「智恵子を偲ぶ鎮魂の集い」(智恵子のまち夢くらぶ~高村智恵子顕彰会~さん主催)にご参加、その際に知遇を得まして、今回、CDを購入させていただきました。

福島愛溢れる歌詞と優しいメロディー、軽やかな演奏をぜひご堪能いただきたく、ご紹介いたします。ぜひお買い求めを。

【折々のことば・光太郎】

彼等の彫刻には静がある。驚く可き静と休息とがある。官学風の静ではない。官学風のは自然の欠乏、生命の欠乏です。さうでは無くて、強力の静、意識力の静、精神の下にある肉体から来る印象です。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 フレデリク ロートン筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

「彼等」はロダンが手本とした古代ギリシャの彫工たち。「強力の静」となると一見矛盾した表現ですが、「考える人」などは見事にそれが体現されていると思います。それを光太郎も目指したのでしょう。
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オリジナルが改訂版となり、さらに文庫化されたもの。光太郎の名もちらっと出ています。

鉄人文庫 改訂版 日本ボロ宿紀行

発行日 : 2025年9月25日 
著者等 : 上明戸聡
版 元 : 鉄人社
定 価 : 1,000円+税

懐かしの人情宿が、”旅心”を刺激する
観光でも出張でもない、目的なき旅の途中で出会った“ボロ宿”たち。
ベストセラー旅行記が、改訂文庫版で新たに甦る!

“ボロ宿”は決して悪口ではありません。歴史的価値のある宿から、古い安宿までひっくるめ、愛情を込めてそう呼んでいます。ボロ宿は最高の誉め言葉です――。テレビ東京でドラマ化された傑作旅行記の決定版、待望の文庫化! 歴史的宿から湯治宿、商人宿、駅前旅館まで、古い建物を守り続ける宿を愛してやまない著者のベストセラー旅行記がリニューアル復刻。懐かしの人情宿が“旅心”を刺激する。

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目次
 グラビア
 改訂版の文庫化にあたって
 はじめに
 第一章 昔の姿を残す青森の湯治宿
  八戸 新むつ旅館 五所川原 音治郎温泉旅館 黒石 温湯温泉飯塚旅館
 第二章 花巻のお馴染み宿から、遠野へ
  花巻 大沢温泉・自炊部 遠野 旅館福山荘 花巻 鉛温泉藤三旅館
 第三章 つげ義春ゆかりの宿を訪ねて西伊豆へ
  伊豆 天城湯ヶ島温泉白壁荘 松崎 長八の宿山光荘 松崎 岩地温泉民宿大清水
 第四章 忍者の里をさまよい歩く
  伊賀 薫楽荘
 第五章 伊勢から鳥羽へ歴史を訪ねる旅
  伊勢 星出館 伊勢 旅館海月
 第六章 四国から瀬戸内を渡って尾道へ
  松山 道後温泉ホテル椿館 大崎上島 きのえ温泉ホテル清風館 尾道 佐藤旅館 
 第七章 鳥取の限界集落と出雲への旅
  智頭町 河内屋旅館 出雲 持田屋旅館 境港 かぐら旅館
 第八章 熊本の日奈久温泉から鹿児島へ
  八代 日奈久温泉新湯旅館 出水 白木川内温泉旭屋旅館
 第九章 雪国を旅する
  横手 尾張屋旅館 角館市 高橋旅館 弘前市 石場旅館
 第十章 震災後の東北を巡る旅
  酒田 最上屋旅館 東鳴子温泉 まるみや旅館 千厩 勢登屋旅館 能代市 民宿水月
 第十一章 熱海から小田原へ昭和レトロを求めて
  熱海 福島屋旅館 小田原 日乃出旅館
 第十二章 町にも宿にもドラマあり
  長浜市 三谷旅館 大津市 ホテル大津 鳥取市 旅館常天
 第十三章 瀬戸内海の風と光に魅せられて
  小豆島 オリーブ温泉小豆島グランドホテル水明 津山あけぼの旅館
  今治 ビジネス旅館 ビジネス旅館笑福


解説文にあるとおり、「ボロ宿」は蔑称ではなく、限りない愛着を込めての呼称です。新しさや利便性とは無縁の、しかし温かみにあふれる全国のレトロな宿がこれでもか、と紹介されています。本書でも取り上げられているつげ義春氏が愛したような宿、といえば通じる方も多いと思われます(笑)。

戦後の7年間の蟄居生活中に光太郎が何度も訪れた、花巻南温泉峡の大沢温泉さんと鉛温泉さんが取り上げられています。鉛温泉さんの項では光太郎の名は出て来ませんが、大沢温泉さんの方には「平安時代に坂上田村麻呂が見つけ、宮沢賢治や高村光太郎のお気に入りだったという歴史あるお湯」と紹介されています。

なぜか文春さんのサイトに大沢温泉さんの項がほぼ全文引用されており、それで本書の存在を知って購入した次第です。そちらには本書ではモノクロ画像で載っているものがカラーで掲載されています。
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当方も年に数回、大沢温泉さんに泊めていただいており、「そうそう、こういうところがたまらないんだよな」などと思いながら拝読いたしました。ただし、平成20年(2008)時点でのレポートなので、菊水館さんの休業、その後の「ギャラリー茅」としてのリニューアルなどには触れられていませんが。

自炊部さんは江戸時代の建物を使っており、まさに「ボロ宿」(これも良い意味での、です)ですが、根強い固定ファンも多いようで、このところ予約に苦労しています。やはり菊水館さんに泊まれなくなったことでキャパ自体も減りましたし。この冬には来月、12月、来年2月と3回花巻行きの予定ですが、自炊部さんがとれたのは2月だけでした。12月は建物が繋がっている近代的な温泉ホテルの山水閣さん、来月は本書でも取り上げられている鉛温泉さんの自炊部をとりました。こちらも光太郎ゆかりの宿で、3回ほど泊めていただいたことがあります。やはり寒い時期はシティホテルより大きな温泉が望ましいところです。

12月には同じ花巻南温泉峡に「大江戸温泉物語Premium 岩手花巻」がオープンします(元々渡り温泉で他の宿だったところですが)。ファミリーや、手軽なお得感、がっつりの食事などを優先される方々はそちらへ泊まっていただけると、大沢温泉さんの予約も取りやすくなるかな、等と考えていますが、どうでしょうか。

ところで『日本ボロ宿紀行』、上記解説文に「テレビ東京でドラマ化された」とありますが、平成31年(2019)のことでした。原案は『日本ボロ宿紀行2』ですが、売れない歌手・桜庭龍二(高橋和也さん)と芸能プロダクション社長兼マネージャー・篠宮春子(深川麻衣さん)がプロモーションのためボロ宿を泊まり歩くという、書籍とは全く異なる設定になっていました。

当方の自宅兼事務所のある千葉県香取市の木の下旅館さんというボロ宿(現在は旅館業は廃業し、食堂になっています)も舞台となったので、放映当時にリアルタイムで拝見しました。桜庭の唯一のヒット曲「旅人」のPVを新たに制作するというストーリーで、背景は木の下旅館とその周辺。調べたところ、YouTubeにまだ動画が残っていました。昭和レトロを茶化す感じがたまりません(笑)。


ちなみにこの場所では、昭和42年(1967)公開の松竹映画「智恵子抄」のロケも行われています。

閑話休題、『改訂版 日本ボロ宿紀行』、ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

――自然は至上の建築家です。何もかも最美の釣合で建てられてゐます。それに何もかも三角か、六面体か或は其の変化の中に閉ぢ込められてゐます。私は此原則を自分の彫像を組立てる時に使ひます。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 フレデリク ロートン筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

葛飾北斎が『北斎漫画』『略画早指南』などで万物がコンパスと定規で描けるとしていたのを想起しました。
無題
我々凡人とは見え方が違うのかも知れません。

群馬県から企画展情報です。

第127回企画展「愛の手紙-友人・師弟篇-」

期 日 : 2025年10月25日(土)~2026年1月18日(日)
会 場 : 群馬県立土屋文明記念文学館 群馬県高崎市保渡田町2000
時 間 : 9:30~17:00
休 館 : 火曜日 10月28日(群馬県民の日)は開館(10月29日(水)休館)
料 金 : 一般500(400)円、大高生250(200)円 ( )内は20名以上の団体割引料金
      中学生以下、障害者手帳等をお持ちの方とその介護者1名は無料
      10月28日(火・群馬県民の日)は無料


 手紙は、もともと公表を前提としておらず、特定の個人に宛てて書かれたものです。そのため、文学者の素顔や本音に接することができる資料といえます。本展では、日本近代文学館所蔵の資料を中心に、近代文学者の書簡をエピソードとともに紹介します。
 夏目漱石や川端康成ら文学者たちが友人や師弟に贈った言葉に触れることで、彼らの人柄や生活、作品背景等を感じてください。また、こおりやま文学の森資料館所蔵の、久米正雄が撮影した芥川龍之介の動画を常時放映します。こちらもぜひご覧ください。

出展作家
 二葉亭四迷 夏目漱石  高浜虚子  与謝野晶子  斎藤茂吉  高村光太郎
 柳原白蓮  谷崎潤一郎 萩原朔太郎 大手拓次   菊地寛   芥川龍之介
 横光利一  川端康成  三好達治  土屋文明

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関連行事

 記念講演会 「文豪たちの友情往来:手紙で辿る心の絆」
  11月1日(土) 14:00~15:30   講師:石井千湖 氏(書評家・ライター)
  【先着】 150名(4名様まで申込可) 要事前申込・要企画展観覧券
  近代文学者の友情や交流をテーマにお話しいただきます。

 ワークショップ
  Ⅰ「文学館でタイムカプセル」  11月23日(日・祝) 14:00~15:00
   【先着】 30名(4名様まで申込可) 要事前申込・無料
   ※小学2年生以下は要保護者同伴
   ふみの日に合わせて、手紙の書き方を学び、3年後の自分や大切な人宛てに
    手紙を書くイベントです。
   書いていただいたお手紙は当館で大切に保管し、3年後に投函させていただきます。
   講師:当館職員
  Ⅱ「草木染和紙でオリジナルカードをつくろう」
   12月7日(日) ①13:00~14:30 ②15:00~16:00
   【抽選】 各回15名(4名様まで申込可) 要事前申込・要企画展観覧券
   ※申込締切11月25日(火)必着 ※小学2年生以下は要保護者同伴
   草木染の和紙に模様をつけて、オリジナルカードを作ります。
   講師:山崎梢 氏(草木屋 草木染伝習所)
  Ⅲ「高校生によるお茶席教室」  1月12日(月・祝) 14:00~15:30
   【抽選】 20名(4名様まで申込可)要事前申込・無料
   ※申込締切12月25日(木)必着 ※小学2年生以下は要保護者同伴
   高校生と一緒に、参加者ご自身がお茶を点てる体験型イベントです。
   協力:群馬県立渋川女子高等学校茶道部

各文豪の直筆文字の美しさ(美しくない文豪もいるかも知れませんが(笑))も味わっていただきたいと思い「書作品」カテゴリに入れました。やはり活字で見るのと直筆の文字で見るのとでは大違いでしょう。漱石に関しては愛用の万年筆が出ますし、また、芥川の書簡は河童のイラスト入りだったりします。

芥川と言えば、「こおりやま文学の森資料館所蔵の、久米正雄が撮影した芥川龍之介の動画を常時放映」とのこと。少し前にニュースになりましたね。

『福島民友』さん記事。

文豪の交流、貴重な映像 久米正雄撮影フィルム修復完了、郡山市活用検討へ

 福島県郡山市と横浜市立大が2020年から進めてきた、同市ゆかりの作家久米正雄撮影の映像フィルムの修復作業が完了した。映像には「蒲団」などの作品で知られる作家田山花袋ら当時の文豪たちの様子が映っており、専門家は「大正期の作家らのプライベート空間を写した貴重な映像」としている。
 修復したのは久米が大正末期~昭和初期に撮影し、「こおりやま文学の森資料館」に所蔵していたフィルム12本で、うち8本で映像が確認された。
 中でも1924年4月に多摩川周辺で撮影されたフィルムには、初めて映像が確認された田山や、宇野浩二、里見弴(とん)、岡本一平(岡本太郎の父)ら10人以上の作家が和やかに交流する様子が映されている。また、詳細は不明だが芥川龍之介と菊池寛が座敷で過ごす映像も記録されていた。
 11日、郡山市役所で成果報告会が行われ、市の担当者や専門家らがフィルムの概要を説明した。横浜市立大の庄司達也教授は「写真では確認できていた作家たちが映像として姿を現した。われわれが知らなかった文壇のつながりが分かる」と映像の意義を語った。
 小沢純慶応志木高教諭は「びっくりするぐらい、いろいろな派閥の作家らが仲良く談笑している」と指摘。日大経済学部の山岸郁子教授も「文学史からだけでは読み取ることのできない作家たちの私的な空間、『作家らしさ』を映像に残そうという久米の態度がうかがえる」と述べた。
 市は映像の公開や活用法について検討する方針。
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追記 残念ながら記事にある動画は上映されていませんでした。

出典作家には光太郎の名も。おそらく同館所蔵のものでしょうが、同館では群馬出身で同館初代館長だった伊藤信吉宛の書簡など、結構な量の光太郎書簡を所蔵なさっています。出品目録がネット上に出ていないので詳細は不明ですが。

お隣栃木県の栃木市立文学館さんでは、「『歴程』と逸見猶吉、岡安恒武」が開催中でして、自宅兼事務所のある千葉からは同じ方角ですので、併せて行ってみようと思っております。

皆様もぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

私は博覧会の頃仕事してゐる日本の芸術家達を見てゐた事があります。折々、客が彼等を急がせて本当に出来切らないものを持つてゆかうとして、其の代価の金を出しては仕事してゐる者を誘惑するのです。けれども彼等は断りました。金は失つても、彼等が見て、出来きらないものを自分の手から離す事は許しませんでした。此が本当の芸術的精神です。


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 フレデリク ロートン筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

昔の日本人にはこういう美徳が美徳ともいえないほど当たり前だったわけで……。

それぞれ既に始まっているイベントです。

まず智恵子の故郷・福島県二本松市で。地方紙『福島民友』さん記事から。

二本松巡って宿泊券や和牛など豪華賞品 「ドライブスタンプラリー」12月21日まで

 秋~初冬の二本松市の名所や直売所を巡り、スタンプを集めると豪華賞品が当たるドライブスタンプラリーが12月21日まで行われている。観光まちづくり団体にほんまつDMOの主催、JAF福島支部の協力。
 市内23スポットを訪ね、スマホの位置情報でスタンプを集めるとスタンプ数に応じて岳温泉宿泊券3万円分、和牛焼き肉用1万5千円分、スキー場リフト券・温泉チケットペア券などが抽選で120人に当たる。
 問い合わせは同DMO(電話0243・24・7702)へ。スポット次の通り。
 ▽市街地=にほんまつ城報館、安達ケ原ふるさと村、東北サファリパーク、二本松神社、JAこらんしょ市二本松店
 ▽安達=稚児舞台、道の駅安達智恵子の里和紙伝承館智恵子の生家、山ノ入ダム
 ▽岳・塩沢=あだたら高原リゾート、岳温泉神社、鏡ケ池公園、ささや親水公園
 ▽東和=隠津島神社、ウッディハウスとうわ、ふくしま農家の夢ワイン、道の駅ふくしま東和、夏無沼展望台
 ▽岩代=杉沢の大杉、天狗塚公園、岩代図書館、道の駅さくらの郷、名目津温泉
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スポットのひとつ・あだたら高原リゾート
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フライヤー画像は主催されているにほんまつDMOさんのサイトから。個人的には「和牛焼き肉用1万5千円分」が気になります(笑)。

『民友』さん記事では、智恵子のソウルマウンテン・安達太良山のあだたら高原リゾートの画像が使われています。

ついでですので(笑)、一昨日オンエアされた日本テレビさん系の「遠くへ行きたい【ますだおかだ増田が福島へ】名湯に絶品ソースかつ丼!」での安達太良山。
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旅のキーワードの一つが「ほんとの空」という設定にして下さいまして、ありがとうございました。TVerさんなどで無料配信中です。ご覧になっていない方、ぜひどうぞ。

それにしても、もう最近は「スタンプラリー」と言っても、昔ながらの台紙にゴム印を押して廻るものより、スマホのアプリと連動してのデジタル化したものが主流になりつつありますね。昭和世代としては一抹の味気なさを感じてしまいますが(笑)。

主にその昭和世代向けのイベントで、同じ福島の、会津地方から。やはり『福島民友』さんの記事。

昭和感たっぷり…懐かしのレトロ映画ポスター展、福島・湯川で11月7日まで

 映画「男はつらいよ」に関する資料などを展示する福島県湯川村の湯川たから館で20日から、「懐かしのレトロ映画ポスター展」が開かれる。11月7日まで。
 村商工会の主催。会津新富座の協力で昭和時代の作品を中心にポスター50点、パネル5点を展示する。「釣りバカ日誌」や「智恵子抄」「スケバン刑事」などの作品のポスターが並ぶ。担当者は「さまざまなジャンルのポスターがある。昭和を振り返ってみてほしい」と話した。
 来場者に抽選で村産コシヒカリの新米を贈る。
 時間は午前9時~午後4時。入場無料。問い合わせは村商工会(電話0241・27・3957)へ。
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湯川村は会津若松市と喜多方市の中間といった場所の、小さな村です。そちらにある「湯川たから館」さんは、同村出身の映画カメラマンの故高羽哲夫氏の遺品で、主に山田洋次監督の「男はつらいよ」シリーズ関連の品々が常設展示されているそうです。

そちらでの企画展示で、さまざまな映画ポスター等が並んでいます。『民友』さん、福島ゆかりの作品ということで、「智恵子抄」も記事に載せられたのでしょう。

ただ、映画の「智恵子抄」は、昭和32年(1957)の熊谷久虎監督、原節子さん、山村聰さんご出演の東宝作品と、昭和42年(1967)の中村登監督、岩下志麻さん、丹波哲郎さんご出演の松竹作品の2種類があり、両方なのか、それともどちらか一方なのか、そこまでは書かれていませんでした。画像にも写っていません。いずれも二本松ロケは行われています(特に東宝の方は智恵子生家そのものでも)が。

こちらは入場無料の上、「来場者に抽選で村産コシヒカリの新米」だそうで、上記スタンプラリーの「和牛焼き肉用1万5千円分」といい、どんだけ太っ腹なんだ? という感じですね。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

――日本芸術は其の何処までも辛抱強い観察と、極小のものにある美の探求とでわれわれの芸術より秀れてゐます。日本人は他の者の無視してゐた一つの葉脈をも研究しました。そして何処の国でも出来なかつた発見によつて報いられました。


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 フレデリク ロートン筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

印象派の画家たちほどには影響を受けなかったようですが、ロダンもジャポニスムに対しては好意的でした。どの国のものでもいいものはいい、というわけで、「偏狭なナショナリズム」「無責任なポピュリズム」とは無縁の世界ですね(笑)。

今年度の文化勲章/文化功労者の発表がありました。

時事通信さん。

王貞治さんら8人文化勲章 功労者に野沢雅子さんら、声優初

 政府は17日、2025年度の文化勲章を、元プロ野球選手・監督で現ソフトバンク球団会長の王貞治氏(85)、ノーベル化学賞受賞が決まった京都大特別教授の北川進氏(74)ら8人に贈ると決めた。
 文化功労者にはアニメ「ドラゴンボール」シリーズの孫悟空役などで知られる声優の野沢雅子=本名塚田雅子=氏(88)、漫画家の竹宮恵子氏(75)、建築家の坂茂氏(68)ら計21人を選んだ。声優の文化功労者は初で、女性の功労者は過去最多だった昨年度と同じ6人。文化勲章を受ける北川氏は同時に功労者にも選ばれた。
 文化勲章の親授式は11月3日に皇居で、文化功労者の顕彰式は同4日に東京都内のホテルで行われる。
 文化勲章を受けるのは他に、歌舞伎俳優の片岡仁左衛門=本名片岡孝夫(81)▽心臓血管外科学の川島康生(95)▽民俗学の小松和彦(78)▽ファッションデザイナーのコシノジュンコ=本名鈴木順子(86)▽美術評論の辻惟雄(93)▽有機合成化学の山本尚(82)の各氏。
 他の功労者は、美術家のイケムラレイコ=本名池村玲子(74)▽陶芸家の伊勢崎淳=本名伊勢崎惇(89)▽落語家の柳家さん喬=本名稲葉稔(77)▽小説家・評論家の水村美苗=本名岩井美苗(74)▽柔道の上村春樹(74)▽泌尿器科学の垣添忠生(84)▽文化人類学の小長谷有紀(67)▽高分子化学の沢本光男(73)▽日本料理家の高橋英一(86)▽舞踊家の田中泯=本名田中捷史(80)▽新内節三味線の新内仲三郎=本名角田富章(85)▽演劇の野田秀樹(69)▽レスリングの福田富昭(83)▽半導体デバイス工学の三浦道子(76)▽感染症学の満屋裕明(75)▽文化人類学の山下晋司(76)▽政治学の渡辺浩(79)の各氏。
 ノーベル賞受賞が決まった人は、文化勲章・功労者に選ばれるのが慣例。今年、生理学・医学賞に選ばれた大阪大特任教授の坂口志文氏(74)は2017年に功労者となり、19年に文化勲章を受章している。

このうち、文化勲章を受章される片岡仁左衛門氏は、本名の「片岡孝夫」で活動されていた昭和48年(1973)、NHKさんの「銀河テレビ小説 生きて愛して」(全30回)で、主役の光太郎役を演じられました。
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第1回放映冒頭部分は、花巻郊外旧太田村という設定でした。上画像は蟄居生活を送っていた山小屋(高村山荘)で、当会の祖・草野心平(前田吟さん)に、沈痛な面持ちで戦時中の翼賛活動を悔いる話をしているという場面。一転して朗らかな笑顔の下画像は、山小屋近くの分教場で、子供たちを相手にしているシーン。当然と言えば当然ですが、この二つの表情のギャップだけでも演技の幅がしのばれますね。

ちなみに「銀河テレビ小説 生きて愛して」、ヒロインの智恵子役は大空真弓さん、他に荻原守衛役は寺田農さん、まだ新人だった水沢アキさんが、智恵子の妹・セキの役でした。さらにいうなら、仁左衛門さんのお嬢さん・片岡京子さんは平成12年(2000)、津村節子氏原作の舞台「智恵子飛ぶ」で、智恵子役を演じられました。元々、某大物女優が智恵子役だったところ、その女優が身内の薬物事件逮捕で急遽降板し、セキ役だった京子さんが智恵子役に抜擢という事情がありましたが、それでも父子で時を経て光太郎智恵子役を演じたという稀有な例でした。

仁左衛門さんインタビュー等。やはり時事通信さんから(以下同じ)。

「子孫への置き土産に」 文化勲章の片岡仁左衛門さん

012 「自分が好きでしていることで、こんなに大きな評価を頂けて幸せ。子孫への置き土産になる」。
 文化勲章に選ばれた歌舞伎俳優の片岡仁左衛門さん(81)は、柔和な笑みを浮かべて喜びを語った。
 1998年、大病を克服し十五代目仁左衛門を襲名。「神さまが命を下さった責任感」を胸に、芸の伝承に尽くしてきた。「お客さまに受け入れられている空気が伝わってきたときはうれしい」と芝居の醍醐味(だいごみ)を口にする。
 「菅原伝授手習鑑」の菅丞相をはじめ多くの当たり役を持つが、「役を掘り下げるといまだに発見がある」と強調。「文化勲章の質を落とさないよう、なお一層精進する」と力強く語った。 
片岡 仁左衛門氏(かたおか・にざえもん、本名片岡孝夫=かたおか・たかお)歌舞伎俳優。人気と実力を兼ね備えた俳優として長年優れた成果を挙げ、関係団体でも要職を歴任するなど歌舞伎界の振興に貢献。06年紫綬褒章、15年人間国宝。大阪府出身。81歳。


文化勲章と同時に発表された文化功労者には、今年2月に発表された日本芸術院の新会員に続き、脚本家の野田秀樹氏と建築家の坂茂氏も選出されました。

野田氏は登場人物が智恵子のみの一人芝居で、最近も全国各地で様々な劇団や個人の方によって上演され続けている「売り言葉」を書かれました。初演は平成14年(2002)、大竹しのぶさんが智恵子でした。

「芝居が好き」の一心で 文化功労者の野田秀樹さん

014 「『芝居が好き』という一心で作品を作ってきた」。劇作家の野田秀樹さん(69)は、文化功労者の決定を受けてコメントを出し、演劇人としての半世紀を振り返った。
 東京大在学中の1976年に劇団「夢の遊眠社」を結成し、80年代の小劇場ブームをけん引。奇想天外な物語と躍動感あふれる舞台で観客を魅了した。解散後は、海外の演劇人との共作や歌舞伎など他ジャンルの創作にも精力的に取り組む。
 独特な言葉遊びが野田戯曲の妙味。「『文化功労者=ぶんかこうろうしや』が、頑迷な『文化殺し屋=ぶんかころしや』にならないよう」精進するとユーモラスにつづった。
 野田 秀樹氏(のだ・ひでき)劇作家・演出家・俳優。ジャンルを超えた多彩な創作を展開し、劇作、演出、演技全てで傑出した才能を発揮。演劇における国際交流の業績でも高い評価を得た。11年紫綬褒章。長崎県出身。69歳。

坂氏は、光太郎ゆかりの地にして、毎年「女川光太郎祭」を開催して下さっている宮城県女川町のJR石巻線女川駅駅舎を東日本大震災後の平成27年(2015)に設計されました。

「住環境の改善が責任」 文化功労者の坂茂さん

015 「住環境で困っている人がいたら、それを改善するのは当たり前の責任」。文化功労者に選ばれた建築家の坂茂さん(68)は、世界の著名建築を手掛ける一方、仮設住宅の建設など被災地支援をライフワークとしてきたことで知られる。
避難所の間仕切りを、安価で丈夫な「紙管」で開発するなどの活動を続けてきた。阪神大震災の避難所で「被災者が雑魚寝する悲惨な状況を見た」のがきっかけだった。
 来年度中の設置が見込まれる「防災庁」の行方が気がかりという。「僕ほど世界の被災地を見てきた建築家はいないと思う。絶対に必要な省庁で、お手伝いして何とか良いシステムをつくりたい」と強調した。
 坂 茂氏(ばん・しげる)建築家。リサイクルや焼却が可能な紙製パイプ「紙管」を活用するなど、特徴的な建築で国際的に注目を集めた。災害時には建築の知見を生かした支援活動も展開し、世界から称賛を受けている。14年プリツカー賞、17年紫綬褒章。東京都出身。68歳。


他の受賞者の皆さんを含め、関係の方々の今後のますますのご活躍を祈念いたします。

【折々のことば・光太郎】

――自分が何かをやる事さへ確かなら、少し位待つたつて何でも無い。たつたひとつの彫像でも押し出せる。


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 フレデリク ロートン筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

意外と下積み時代の長かったロダンならではの言です。光太郎もそうでしたし。

今回受賞が決まった方々の中にも、世に認められるまでけっこうかかったという方もいらっしゃるような気がします。

昨日は神奈川県逗子市にて開催中の「逗子アートフェスティバル」の一環としてのコンサート「余白露光2~テルミンと箏~」を拝聴して参りました。
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会場は逗子文化プラザホールさん。
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着いた時にはリハーサル中。
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地元逗子市のテルミン奏者・大西ようこさんと、都内ご在住の箏曲奏者・元井美智子さんによるコラボです。
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当会主催の光太郎を偲ぶ連翹忌の集いで知り合われたお二人、これまでもコラボでの公演を複数回なさっています。

さらに仙台にお住まいのヴォイスパフォーマー・荒井真澄さんの朗読が加わったトリオでも、福島二本松の智恵子生家で今年やられていますし、大西/荒井ペア、元井/荒井組でもそれぞれ複数回。

その荒井さんと元井さん。リハ後のショット。
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さらに荒井さんは昨日、ホワイエに設けられた大西さん所蔵の品々による「智恵子抄」コーナーの解説もご担当。
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連翹忌の集いで出会った皆さんがこうして活動の幅を拡げ、光太郎智恵子の世界を広めて下さっているのは主催者冥利に尽きるというものです。

お二人の後に吊り下げられているのは、切り絵作者・杵淵三朗氏の「境界剪画」。大西さんが運営されている同市のテルミンミュージアムでもかつて拝見しましたが、超絶技巧ですね。

杵淵氏。
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昨日のプログラムには、元井さん作曲の「智恵子抄」が組み入れられ、元井さんが箏を弾きつつ光太郎詩の朗読、そこに大西さんのテルミンがのっかる感じで。

杵淵氏の「境界剪画」をスクリーン代わりに、逗子の海などさまざまな映像が投影されました。下記画像は当日配布プログラムを兼ねたアンケートの一部。
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「智恵子抄」の際には、安達太良山や智恵子生家などの二本松の風景、それから智恵子が千鳥と化した九十九里浜、さらに智恵子紙絵。不覚にもうるっと来そうになりました(笑)。
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「智恵子愛」あふれるステージでした。

他の曲目は、箏曲定番の「春の海」、元井さんのオリジナル曲、テルミンとハープの合奏のために作曲されたものをハープの代わりに箏で、光太郎と同時代人で光太郎の好んだドビュッシー、それから今回が初演の藤枝守氏作曲《植物文様~夢みる茶(Tea Dreaming)》など。

 「葉や茎に電極をつけ、そこから得られる電位変化のデータをもとに音楽的に読み換えるという手法により生み出された音楽」「今回は、お茶の葉の電位変化を元に作られた曲」とのこと。

あっという間の2時間でした。終演後に帰られるお客様の表情も、実に満足げでした。

今後のご関係の皆様のさらなるご活躍を祈念いたします。

追記

昨日折り込まれていた、近々開催され、大西さん、元井さんの出演なさる演奏会のフライヤー等、載せ忘れていました。すみません。
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【折々のことば・光太郎】

――芸術家とは見る人の事です。眼の開た人の事です。其心に、物の内面の本質が、いづれにしても、存在事実として考へられる人の事です。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 フレデリク ロートン筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

昨日お会いした皆さんもそうなんだろうな、と、つくづく思いました。音楽は「見る」わけではありませんが。

智恵子のソウルマウンテン、福島の安達太良山で紅葉が見頃だそうで。

FTV福島テレビさんのローカルニュースから。

紅葉が山肌一面に ロープウェイで安達太良山へ ほんとうの空と色鮮やかな紅葉のコントラスト 福島

 福島県の安達太良山の紅葉は、今がまさに見頃となっている。10月15日は天気にも恵まれてより一層山肌を鮮やかに染めた。福島が誇る紅はこれからが本番だ。
■日本百名山・安達太良山の紅葉
 日本百名山の一つ、標高約1700mの安達太良山。絶景を求めてロープウェイで標高1350メートルの山頂駅を目指す。
 乗車して約3分、200mほど上がってきたが、赤や黄色に色づいた木々が目立ってきた。標高が上がるにつれて、紅葉の色づきも増していく。眼下に広がる雄大な景色を楽しんでいると、あっという間に到着だ。
 ほんとうの空の下、さらに登っていけば...山肌一面に映える色鮮やかな紅葉。まさに見頃を迎え、青空との美しいコントラストを織りなしている。福島の秋を象徴するこの美しい景色に、心打たれる。
 群馬から訪れた女性は「もう感動の一言です」と話し、東京から訪れた夫婦は「いいですね、ここはやっぱりね。ベストいくつとかに入ってますんで、やっぱ綺麗なんですよね、他に比べても」と話す。
 季節のうつろいとともに表情を変える安達太良山。山を染める紅葉は10月19日ごろまでが見頃だ。
■福島県の紅葉の見ごろ
 福島県内はこれから絶好の紅葉シーズンとなる。安達太良山、そして磐梯吾妻スカイライン・尾瀬沼は見ごろを迎えている。他にも裏磐梯の五色沼、田子倉湖、甲子高原が色づき始めていて、10月25日頃には見ごろとなりそうだ。
 今週、紅葉を楽しみたい方は青空が広がる17日金曜日と暖かくなる18日土曜日に行くのがオススメ。服装は金曜日は長そでシャツ一枚、土曜日は半袖でよさそうだが、標高が高い所に行かれる際は、羽織るものがあると安心だ。
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地方紙『福島民友』さん。

ほんとうの空、錦秋の絶景…安達太良山 紅葉、今月いっぱい

 日本百名山の一つ、安達太良山(1700メートル)の紅葉がピークを迎え、青空が広がった15日、多くの登山客や行楽客が錦秋の絶景を満喫した。
 福島県二本松市奥岳登山口からロープウエーで標高1350メートルの山頂駅に向かい、5分ほど歩くと薬師岳パノラマパークに到着。安達太良山頂が眼前に広がり、山肌を彩る紅葉と吾妻~蔵王、阿武隈の山並みを一望できる。
 紅葉は今月いっぱい楽しめそう。あだたら高原リゾートは11月3日までの土、日曜日と祝日、ロープウエーの運行開始を通常より1時間早め、午前7時半から運行する。問い合わせは同リゾート(電話0243・24・2141)へ。
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福テレさんでは「10月19日ごろまで」、民友さんだと「今月いっぱい」(笑)。まぁ、標高1,700㍍の山頂付近と同900㍍台の登山口とでは、紅葉の進み具合も異なるでしょうし。ちなみに直上の画像は同1,350㍍ぐらいの地点です。

相変わらず紹介すべき事項の山積が続いており、新聞ついでにもう1件。『秋田魁新報』さんの一面コラム、10月11日(土)掲載分です。

北斗星

「一杯ぐっとのむとそれが食道を通るころ、丁度ヨットの白い帆を見た時のような、いつでも初めて気のついたような、ちょっと驚きに似た快味をおぼえる」。「それ」とはビールのことである。詩人高村光太郎の随筆「ビールの味」(1936年)の一文だ▼高村は麦の香りとともに、ビールの喉越しが気に入っていたらしい。ユニークな表現は、この喉を通る感覚を言葉にしようと生まれたのかもしれない▼随筆が発表されたのはビール人気が急伸していた頃。欧米中心だったビール人口はやがて世界中に拡大。ビール会社の調べでは2023年に世界で飲まれたビールのうち3割がアジア、2割が中南米だった▼そのビールが将来、気軽に飲めなくなるかもしれないという報道が先日あった。原因は温暖化。欧州などでは近年、原料の大麦やホップが減収するといった影響が指摘されている▼国内有数のホップ産地・横手市大雄では、今夏初めて収穫ボランティアを募った。大雄ホップ農業協同組合によると、気象データの分析で収穫適期が早まっていることが分かったという。今のところ収量や品質に影響はないが、人手不足で適期の間に作業を終えることに懸念があった。気候変動にも対応するため、この試みは続けていくそうだ▼苦みの印象が強いホップだが、香りは甘く爽やか。その香りはビールを飲んだ時の喉越しにも影響するという。ボランティアで汗を流した後の一杯は、さぞかしうまいことだろう。

随筆「ビールの味」、けっこう色々なところで取り上げられています。左党の皆さんには「あるある」なのかもしれません。
大本泉『作家のまんぷく帖』。
岩手日報「風土計」。
森鷗外記念館コレクション展「文学とビール―鷗外と味わう麦酒(ビール)の話」。
『毎日新聞』/『山形新聞』。
『ビールは泡ごとググッと飲め——爽快苦味の63編』。

今回もそうですが、新聞の一面コラムに取り上げられることが多い感じです。共感を得やすい文章だということでしょうか。それも大切なことですね。

【折々のことば・光太郎】

彼は――芸術家は考へるものです。全体について考へます。部分に就いても考へます。そして部分の研究は彼にとつて全体を更によく掴む為めの道なのです。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 フレデリク ロートン筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

彫刻に限った話ではないのでしょうね。絵画でも、工芸でも、いや、造型芸術でなくとも文学や音楽などにも通じることだと思います。

テレビ番組の放映情報を2件。

まず、明日です。

わたしの芸術劇場 「千葉県立美術館(千葉県千葉市)」

BS11(イレブン) 2025年10月18日(土) 10時35分~11時00分

「美術館」を堅苦しい場所だと思っている方々へ送る。舞台を鑑賞しているような気持ちにしてくれ、番組を見た後は、美術館に足を運び、芸術に浸りたくなること間違いなし。

今回の舞台は、千葉県立美術館。印象派から近代まで、女性像を描くことに情熱を注いださまざまな芸術家の作品を紹介。女性の肌の表現を探求したルノワールのさりげない高度なテクニックとこだわり。彼の影響を受けた多くのフランスの芸術家。そしてその風は日本にも。油絵の枠を超えて様々な作品に大きな影響を与えた。女性の表現を追求し続けた芸術家たちに、大きな拍手を。

出演:片桐仁

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元々はTOKYO MXテレビさんで放映されていたもので、今回のものは初回放映が令和4年(2022)2月12日でした。TOKYO MXテレビさん、自宅兼事務所のある千葉も田舎の方になると受信できず、当方も未見です。

メインで取り上げられるのはルノワールの絵画のようですが、光太郎のブロンズ「裸婦坐像」(大正6年=1917)も紹介されるようです。
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千葉と光太郎智恵子の縁は浅くないということもあるのでしょう、同館では光太郎ブロンズをいずれも新しい鋳造ながら8点収蔵してくださっています。

同番組、7月に放映のあった中村屋サロン美術館さんの回では、光太郎の油彩「自画像」(大正2年=1913)を取り上げて下さいました。
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もう1件、明後日です。

遠くへ行きたい【ますだおかだ増田が福島へ】名湯に絶品ソースかつ丼!

地上波日本テレビ  10月19日(日) 06:30〜07:00

ますだおかだ増田が福島の名湯と名物を巡る!
まずは安達太良山で高村光太郎の『智恵子抄』に登場する「ほんとの空」と、秘湯の源泉の場所を教えてもらう。麓にある共同浴場「岳温泉」にお邪魔して湯につかってホッと一息。福島名産「桃狩り体験」でジューシーな桃にかぶりつく。そしていよいよ標高1500メートルにある秘境の源泉と対面することに! 安達太良山の自然が育む湯と名物を巡る福島旅のはじまりです!

旅のはじまりは福島県二本松市にある安達太良山から。増田は今回の旅の目的を秘湯と「ほんとの空」だと話す。高村光太郎の『智恵子抄』に登場する「ほんとの空」が安達太良山にある、という。ロープウェイを降りると「安達太良・吾妻自然センター」の一瀬圭介さんが迎えてくれる。ほんとの空と秘湯の源泉もあると聞き、増田は一瀬さんといざ山道へ! 「この上の空がほんとの空です」との標識を見つけるが、残念ながら空には雲がかかっている。しかし、しばらくすると雲が晴れてきて――?!

安達太良山の麓にある「岳温泉」を散策する増田は、甘い匂いに誘われて「くろがね焼 玉川屋」へ。3代目・渡辺茂雄さんが目の前で焼いてくれる「くろがね焼」は玉子焼きのようないい香りがする! カステラ生地にこしあんが入ったシンプルな美味しさで岳温泉の名物だそう。

増田は渡辺さんがおすすめしてくれた共同浴場「岳の湯」へと向かう。湯の熱さが特徴だという。入浴料は大人400円、そのほかリーズナブルな値段で日帰り体験や素泊まりも可能だ。さっそく湯に入ろうとする増田、しかし本当に熱い! 先客の安齋善成さんが水道を少しひねって温度を調整してくれる。美肌の湯と有名なお湯の温度はなんと51度! さらに安齋さんが「湯守さんがいなくては湯を楽しめない」と教えてくれる。湯上がりに安齋さんの母・サチ子さんと対面した増田は、つやつやのお肌にびっくり!

次に増田は昼に行列のできていたソースカツ丼の店「成駒」を訪ねる。3代目・佐藤朋圭さんに「ソースカツ丼 ヒレ」をオーダーした増田は、出てきたカツ丼の分厚さとボリュームにびっくり! 成駒は昭和23年創業で、初代で祖父の伊助さんが終戦後の世でお腹いっぱい食べてほしい、との思いで始めたそう。その思いをつなげる朋圭さんの味と心意気に増田はうなる!

そしていよいよ標高1500メートルにある安達太良山の源泉を目指す! 増田は湯守の武田喜代治さんと遠藤憲雄さん、矢吹梓さんとともに山道を行く。途中までは車だが、かなりの悪路だ。それでも今日の安達太良山の空は青く、増田は「これがほんとの空?!」と感激する。源泉が通るパイプをさかのぼっていき、源泉のひとつに到着。透明なお湯が沸いている。ここから8キロ、約40分かけて麓の温泉へ流れていく。パイプの内側にはたくさんの湯花がついており、やわらかいうちに「湯花流し」という掃除を週に1度しなければならない。増田は湯守さんたちの労力を尊びながら、湯花流しをお手伝いする。

作業の終わりに増田は湯守さんおすすめの「ホテル光雲閣 山の湯 露天風呂」へ。湯花を流したあとの湯は乳白色になり「ミルキーデイ」と呼ばれている。増田は湯守さんたちに感謝しながらゆっくりと風呂につかる。

福島市には果樹園が多く、国道13号線は別名「ピーチライン」と呼ばれているそう。増田は「まるせい果樹園」を訪ね、全身ピーチ色の代表取締役・佐藤清一さんに迎えられる。桃には多くの品種があり、まるせい果樹園でも20~25種類ほどの品種を作っている。増田は佐藤さんと果樹園へ行き、佐藤さんが一番好きだという「川中島白桃」の収穫を体験! ジューシーな桃にかぶりついて大満足! 増田は佐藤さんに東日本大震災後の影響などについて聞きながら、温泉や桃、そして数々の名産を育む福島の自然と空を堪能した旅を振り返る。

出演者 ますだおかだ増田
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智恵子のソウルマウンテン・安達太良山とその周辺です。旧安達町の智恵子生家/智恵子記念館までは行程に入っていないようで残念ですが、ロープウェイ山頂駅近くの「この上の空がほんとの空です」木柱が取り上げられます。

それぞれぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

――歩行は景色の真相を見つけ出すのに一番いい方法です。自分の好きな程歩けて、自分の好きな時に立ち停れて、そして何もかも見てたのしめます。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 フレデリク ロートン筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

テレビで散歩番組などが隆盛なのも、こういうところからなのかも知れませんね。

昨日に引き続き、光太郎終焉の地、中野区の中西利雄アトリエ解体に伴う新聞報道を。

『東京新聞』さん。

高村光太郎やイサム・ノグチも活動した「中西アトリエ」、存続目指し解体 「後世に伝えたい」思い新たに

 「水彩画の巨匠」と呼ばれた洋画家、中西利雄(1900〜48年)が東京都中野区に建てたアトリエが老朽化などで解体されることとなり、1日から工事が始まった。保存の動きもあり移築先などは未定だが、建築部材を残し再建に希望をつなぐ。
◆洋画家・中西利雄のアトリエとして山口文象が設計
 工事は柱や梁(はり)、窓枠などの建具を再利用できるように残す「部材保存解体」で実施。1日は建具や照明、水道の設備などを取り外す作業が行われた。
 アトリエは1948年、建築家の山口文象(1902〜78年)の設計で建てられ、戦後間もない時期のモダニズム建築の先駆けとされる。中西は完成した年に死去し、貸しアトリエとなった。詩人で彫刻家の高村光太郎(1883〜1956年)が『乙女の像』を制作し、彫刻家のイサム・ノグチ(1904〜88年)も滞在した。
 管理は長年、中西の長男・利一郎さんが担ってきた。2023年に亡くなった後、妻の文江さん(74)が相続。壁がはがれ落ちるなど危険になったため、解体が決まった。
◆移築先は未定だけれど、調査・記録し建築部材を保存
 1日に始まった解体工事には、文江さんや、保存に動いた団体職員らが立ち会った。作業は重要建築の解体実績がある風基建設(新宿区)が、10月末までの予定で行う。
 解体が迫った9月下旬には、有志の建築士5人がアトリエで壁や天井の構造、建築部材の長さなどを細かく調査、記録し、解体と再建への準備を整えた。
 参加した建築士の伊郷吉信さん(72)は「後世の人に、このアトリエを設計した建築家や、ここで制作した芸術家のことを知ってもらいたい。そういう思いで総力を結集した」と語った。
 アトリエは老朽化が進むとともに存続が危ぶまれた。2024年には、保存を望む建築家や文化人らが「中西利雄・高村光太郎アトリエを保存する会」(俳優・劇作家の渡辺えり代表)を発足し、現地保存の道を模索したが、今年8月に断念した。
◆設計に関わった98歳建築家も参加、感慨深げに
 その後、価値ある住宅建築の継承に取り組む一般社団法人「住宅遺産トラスト」(世田谷区)が建物の所有者の仲介などを引き受け、移築保存への希望がつながった。
 文江さんは「これだけの人が協力してくれるとは思わなかった。アトリエに対して熱い思いを持っていた利一郎もうれしいと思う」と喜ぶ。
 アトリエを設計した山口文象の弟子だった建築家、小町和義さん(98)=東京都八王子市=は10代から山口の事務所で働き、実際に設計図を引いた人物だ。
 取材に「モノが少なくて建てるのも大変な時代で、苦労しながら節(ふし)のある板とか柱を集めた。簡素だけど、丈夫な材料でできた、しっかりしたアトリエ」と胸を張り、保存の動きに「よかった」とうれしそうにつぶやいた。
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保存のために建築部材を整理しながら解体が始まったアトリエ=1日、東京都中野区で
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解体に備えた調査で建物の構造や部材を記録する建築士ら=9月24日、東京都中野区で
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中西利雄が建て、高村光太郎らが滞在したアトリエ=1日、東京都中野区で

続いて『秋田魁新報』さん。

高村光太郎ゆかりの都内アトリエ、解体へ 十和田湖畔の「乙女の像」制作

 詩人で彫刻家の高村光太郎(1883~1956年)が晩年を過ごし、十和田湖畔にある「乙女の像」塑像も制作した東京・中野のアトリエが解体されることになった。保存活動に取り組んできた秋田市河辺出身の曽我貢誠さん(72)=日本詩人クラブ理事、都内住=は「現地からアトリエは姿を消すが、移築も視野に検討を進めている」とし、部材を保管しながら建物の再建を目指すという。
 アトリエは1948年建設で、斜めの屋根と北側に向いた大きな窓が特徴。施主は洋画家中西利雄(1900~48年)、設計を建築家山口文象(1902~78年)が手がけた。中西は完成を見ずに亡くなったため、彫刻家イサム・ノグチ(1904~88年)や高村らに貸し出された。高村は亡くなるまでの3年半を過ごした。
 中西の長男利一郎さんが長年、アトリエを管理してきたが2023年に他界。老朽化もあり解体の話が浮上する中、利一郎さんと交流のあった曽我さんが昨春、有志と会を立ち上げて署名集めや行政への要望など保存活動を行ってきた。
 曽我さんは「多くの支援を受けながら現地保存の道を模索したが、さまざまな条件もあり断念せざるを得なかった」と話す。現地では今月1日から、柱や梁(はり)、窓枠などの建具を再利用できるように残す「部材保存解体」の作業が始まっている。
 9月26、27日には解体前のアトリエ見学会が行われ、集まった人たちがその姿を目に焼き付け、思い出などを語り合っていた。
 保存活動に携わった神奈川大建築学部の内田青藏特任教授(72)=大館市出身=はアトリエについて、戦後間もない時期のモダニズム建築の特徴がみられる貴重な建物と評価。「再建の可能性が残されたのは意義深い。部材の傷みもみられるが、よりよい形で再現されてほしい」と期待した。
秋田魁新報4
秋田魁新報5
今後の移築先の確保、さらに場合によっては活用法を考えるなど、まだまだ課題は山積しています。

よいお知恵や提案をお持ちの方、「中西利雄・高村光太郎アトリエを保存する会」曽我氏までご連絡下さい。save.atelier.n@gmail.com

【折々のことば・光太郎】

――芸術とは自然が人間に映つたものです。肝腎な事は鏡をみがく事です。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 フレデリク ロートン筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

なるほど、曇った鏡では正しい姿を映せませんね。

保存運動を継続しております東京中野区の中西利雄アトリエ。昭和27年(1952)から光太郎が居住し、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」などを制作し、昭和31年(1956)4月2日、その終焉の地となった建物です。設計はモダニズム建築家の山口文象があたりました。

解体が決定し、先月末には関係者対象の内覧が行われました。すでに解体工事が始まっていますが、消滅は回避、解体した部材は保管され、移築先を探すという状況になりました。

その件や今後の見通しについて新聞各紙で報じて下さっています。掲載順に2日に分けてご紹介いたします。まず、「乙女の像」地元の青森県の地方紙2紙。

『東奥日報』さん。

「乙女の像」高村光太郎晩年の拠点 東京・中野 保存目指す有志 見学会

 詩人で彫刻家の高村光太郎(1883~1956年)が晩年、「乙女の像」の塑像を制作した東京・中野のアトリエを巡り、移築を視野に入れた検討が進んでいる。10月にも移築に向けた解体作業が始まり、建物の部材は一時保管されるという。26日、保存を目指してきた有志による見学会が行われ、集まった人たちがその姿を目に焼き付けた。
 アトリエは洋画家中西利雄(1900~48年)が建築、48年に完成した。高村は52年秋から亡くなるまでの3年半を過ごし、十和田湖畔(十和田市)にある「乙女の像」の塑像制作に情熱を注いだ。
 移築に向けた動きには、歴史的、文化的に貴重な住宅建築の継承に取り組む「住宅遺産トラスト」が(東京)が関わり、まずは解体に着手する方向となった。完成から80年近くが経過したアトリエは老朽化が進み、現地での保存が困難な状況になっていたという。
 アトリエは中西の長男・利一郎さん(故人)が大切に管理してきた。高村とも親交があったといい、利一郎さんの妻・文江さん(74)は「中西利雄や高村を好きな方たちがここでたくさんの思い出をつくった。夫の思いが生かされる方向になれば一区切りがつきます」と述べた。
 保存に向けては、都内の有志らが会を立ち上げ、署名集めや行政への要望などを行ってきた経緯がある。
 同日、現地を訪れた建築士の十川百合子さん(71)は「アトリエは戦後の建材が不足する中で建てられたが、工夫が凝らされている。さまざまな文化人が集った歴史があり、後世に伝えるためにも、より良い形で再現されてほしい」と期待した。

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同じく『デーリー東北』さん。

高村光太郎アトリエ解体へ 「乙女の像」制作 都内 老朽化、部材や資料は保管 文化的価値継承へ移築模索も

 彫刻家の高村光太郎(1883~1956年)が十和田湖畔にある「乙女の像」を制作した東京・中野のアトリエが、部材などを保管した上で10月に解体されることになった。有志が建物の保存に向けて尽力してきたが、老朽化が進行して困難に。一方、解体後の移築を模索する動きもあり、関係者は文化的価値の継承を願っている。
 アトリエは、洋画家の中西利雄(1900~48年)が使用する予定で建てられたが、亡くなった直後に完成。貸し出されていたところ、岩手県花巻市で過ごしていた高村が青森県から乙女の像の制作を依頼されたのをきっかけに52年に移り、亡くなるまでの間、制作の拠点とした。高村の前には世界的な彫刻家のイサム・ノグチも使用している。
 高村の死後は、中西の長男の利一郎さんが守り継いできた。ただ、2年前に死去してからは管理が難しくなり、利一郎さんの妻・文江さん(74)は「耐震性などを考えると危険な建物でもあった」と語る。
 有志でつくる「アトリエを保存する会」が行政に協力を要請したり、建物内で文化的な交流活動を行ったりしてきたが、現在地に残すことはかなわなかった。
 だが急転直下、歴史的価値のある住宅建築の継承に取り組む「住宅遺産トラスト」(東京都)が所有者と相談し、都内の建設会社が解体された柱などの部材や建物内にあった資料を一時保管することになった。場所や時期は未定だが、移築に向けた動きもあり、保存する会の曽我貢誠さん(同)は「完全になくなるわけではないということで、ほっとしている」と胸をなで下ろす。
 同会には保存を望む5千通以上の署名が寄せられている。曽我さんは移築の実現に期待を寄せ、「若者が想像力を育むような場所になれば」と願う。
 文江さんも「必要な物は保管してもらえる。主人の思いに応えられる道が見えて良かった」と話した。
 解体工事が行われるのを前に、26日は関係者がアトリエを訪れ、往時に思いをはせた。高村の研究を続けてきた小山弘明さん(千葉県)は「移築などで活用される方向でお願いしたい。(貴重な建築物を)継承していく一つのモデルケースになれば」と語った。

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いろいろセンシティブな問題があり、詳細は書けませんが、現状、こういうことになっています、ということで。

以前も書きましたが、移築後の活用方法については追々考えていくとして、まずは場所。大学さん、美術館/文学館さんなど、或いは篤志の個人の方でも結構です。できれば近くであるに越したことはないのですが、離れた場所でも仕方がないでしょう。保存会世話役の曽我貢誠氏メアドが以下の通り。save.atelier.n@gmail.com
よろしくお願い申し上げます。

【折々のことば・光太郎】

――彩色と彫刻と何の関係もありません。光と陰とがあれば彫刻家は沢山です。若し其の構造的表現が正しければ。


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 フレデリク ロートン筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

一般にブロンズの塑像や、大理石彫刻などには彩色を施しません。木彫の場合には大理石とは異なり彩色されることがあって、光太郎も行っていますが、それとて最小限です。彩色されていなくても、色彩を感じさせる彫刻でなければ……ということでしょう。

10月12日(日)、13日(月)と、花巻市の土澤地区で開催された「土澤アートクラフトフェア」に、花巻で主に食を通じて光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんが参加なさったそうです。
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この催しは基本、「アート」と「クラフト」の「フェア」で、それ系が約300店、それから来場の皆様や出店者の方々に販売するということでしょう、飲食系の出店が100店近く。なかなか大規模なイベントですね。

やつかの森さんは出店者名簿に名がありませんでしたが、おおむね月に一度「こうたろうカフェ」として出店されている「ワンデイシェフの大食堂」さん名義でワンデイさんのスタッフの方々共々ご参加、「こうたろう弁当」を販売されたとのこと。
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やつかの森さんの作られる料理はいつもそうですが、光太郎の日記などを元に、実際に光太郎が自分用に調理したメニューや、使った食材などを参考に現代風にアレンジされたものです。

昨秋の「土澤アートクラフトフェア」で、智恵子にちなむレモンケーキを配付なさった花巻南高校家庭クラブさん。今年もやつかの森さん、ワンデイシェフの大食堂さんのヘルプに入られたそうです。
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特筆すべきは、生徒さんたちがまとっているエプロン。大正時代の『婦人之友』に紹介され、彼女たちが復刻して下さった智恵子のエプロンをアレンジしたものです。

オリジナルは智恵子の実家である福島の長沼酒造で使われていた酒袋(酒を搾るのに使うもの)の再利用でしたが、それだとまず素材を入手するのが大変ですし、布地も硬く縫製が難しい(復刻の際にはミシンの針が折れたそうです)とのことで、現代の普通の生地を使っての制作。これなら量産がききますね。これはこれで売りに出せば売れるような気もします。

そんなこんなで、今後のますますの活動の発展に期待したいところです。

【折々のことば・光太郎】

――感情に種類のあるやうに美にも多くの種類があります。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 フレデリク ロートン筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

「美」のありようは、美術方面、造型芸術に限らないということでしょうか。当然、文学や音楽などにもそれぞれの「美」がありますし、人間が介在しない自然界にも「美」は溢れています。

光太郎も寄稿した戦前の地方詩誌の復刻です。

詩誌 門 【復刻版】

発行日 : 近日刊行(2025年10月)
著者等 : 【解題】外村彰(安田女子大学文学部教授)
版 元 : 三人社
定 価 : 30,000円+税

敗戦の年、ビルマの野戦病院に没した詩人・高祖保。18歳で編んだ稀覯誌『門』は高祖の作風模索の経緯を教えてくれるのと同時に、高村光太郎や三好達治をはじめとした既成詩人たちの寄稿も多く眼を惹く。シンプルな装幀かつ誌面構成で、純粋な詩世界を希求せんとする高祖の篤実な姿勢がよく伝わる。総じて同誌は、当時の地方同人詩誌の高い水準を保った達成例を示すものと云えるであろう。高祖が関わった詩誌三誌を附録につけて、若き詩魂の証をここに復刻する。

体裁/A5判、上製、布装 総約510頁
巻末・附録/解題・総目次・執筆者索引、文芸誌『湖光る』創刊号、詩誌『処女地』第6年第1輯、詩誌『声』第壱輯、第参輯、叢書4(『湖光る』『処女地』は表紙・目次・高祖関連の作品および奥付等を部分収録。『声』第2輯は未見)
原誌提供/彦根市立図書館

執筆者一覧
 相川俊孝 
明石染人 麻生恒太郎 安西冬衛 生田花世 井口廸夫 石川善助 石田象夫
 岡崎清一郎 尾形亀之助 喜志邦三 木俣修 黒部政二郎 高祖保 後藤八重子 近藤東
 佐後淳一郎 佐藤清 澤田勇二良 白鳥省吾 高村光太郎 竹内勝太郎 角田竹夫
 外山卯三郎 中西悟堂 南江二郎 野口米次郎 野長瀬正夫 野村吉哉 春山行夫
 平木二六 堀場正夫 峰専治 三好達治 村野四郎 百田宗治 森田恵之介 渡邊修三
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高祖保は岡山県出身の詩人。少年時代に滋賀県の彦根に引っ越し、旧制彦根中学時代から詩に親しんで、今回復刻される『門』なども彦根で刊行しました。昭和18年(1943)には光太郎の年少者向け翼賛詩集『をぢさんの詩』の編集実務を担当、光太郎にいたく感謝されました。このあたり、子息の宮部修氏が書かれた高祖の評伝『父、高祖保の声を探して』に記述があります。最期はビルマ(現・ミャンマー)で戦病死しています。

確認出来ている限り、『門』への光太郎寄稿は2回。創刊号(昭和3年=1928)に「その詩」という詩、終刊号(昭和5年=1930)には「詩そのもの」という散文を寄せています。その他、よくあるケースで、きちんとした作品ではなく、寄稿者から送られた書簡をそのまま巻末の編集後記的なページに転載する例があり、もしかすると光太郎のそれも有るかも知れませんが、未確認です。

『門』への寄稿者、上記にあるとおりですが、なかなかのメンバーの名が並んでいます。このうち、光太郎と交流のあった面々も10名以上です。

今回の版元の三人社さん、京都の書肆ですが、この手の戦前・戦後の地方詩誌などの復刻を多く手がけられていました。例えば上記内容見本画像の下の方にも記述がありますが、『椎の木』。こちらにも光太郎がたびたび寄稿しています。ただ、こちらの内容見本には光太郎の名が無く、復刻されているのを存じませんでした。

こういう地方の詩歌誌で、光太郎が寄稿したことがわかっていながら、国会図書館さん、日本近代文学館さん、その他各地の図書館さんや文学館さんなどに所蔵が確認出来ず、復刻も為されていないため『高村光太郎全集』にもれている作品がけっこうあります。中には題名や出版年月日まで分かっているのに見つからないものもあります。「よっしゃあ、見つけたぁ!」と思って閲覧させてもらったら、光太郎のページだけ切り取られていて見られなかったことも(笑)。

そういった知られざる作品を掘り起こすのがライフワークの一つとなっていますが、その意味では、今回のような復刻はありがたいことです。実際、それで探していたものを見つけたとか、不明だった詳しい初出誌情報等が判明したということも少なくありませんし。

なかなか商業的には成り立ちにくい企画とは存じますが、こういうことの灯を絶やさないでほしいものです。

【折々のことば・光太郎】

レムブラントはルーヴルで模写をする事によつて会得されはしません。


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 フレデリク ロートン筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

レンブラントに限らず、過去の巨匠の作品を模写(彫刻なら模刻)するだけでは、その精神を真に理解するのは不可能ということです。模写(模刻)によって分かることも少なからずありましょうが、それで制覇した気になっては駄目だよ、ということでしょう。

愛知県から演奏会情報です。

第4回 前川健生テノールコンサート~あいのうた~

期 日 : 2025年10月19日(日)
会 場 : 穂の国とよはし芸術劇場PLAT 愛知県豊橋市西小田原町123番地
時 間 : 15:00開演
料 金 : 一般 3,500円 高校生以下 2,000円

本演奏会では偉大なる芸術家高村光太郎作詞による妻・智恵子との苦難と愛を歌った『智. 恵子抄』をはじめとする素晴らしい作品の数々を演奏いたします。本年2025年は、わたく. し前川が東京二期会員として演奏活動を始めて10年目、また30代最後の年でもあります。 社会的にさまざまな出来事があったこの数年間を振り返り、また個人的な節目として、研鑽の結果を故郷・東三河の皆様に披露をしたく演奏会を準備いたしました。トークや解説. を交えながら、楽しくお聞きいただけるコンサートにいたします。是非お越し下さい。

出 演 : 前川健生[テノール]  赤松美紀[ピアノ]

予定曲 : 
 高村光太郎作詞作曲 歌曲集『智恵子抄』 
 マスカーニ作曲『カヴァレリア・ルスティカーナ』 母さん、あの酒は強いね
 トスティ作曲「理想の人」「君なんかもう」「かわいい口もと」 
 クルティス「忘れな草」 
 カルディッロ カタリ・カタリ ほか 
 (都合により変更となることがあります)
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故・別宮貞雄氏作曲の歌曲集「智恵子抄」が大きく前面に出されています。

最近では同じく二期会の紀野洋孝氏があちこちで歌われ、CD化されていますし、他の方もぽつぽつ取り上げて下さっています。紀野氏より前に故・永田峰雄氏によるCDもリリースされています。音楽之友社さんから楽譜も公刊されており、やはり楽譜と音源が公に出ていると演奏会でプログラムに入れやすいというところがあるのでしょう。もっとも、ろくでもない曲ではそうは成らないでしょうが。

今回、「「智恵子抄」より」とされていませんので、全曲演奏されるのでしょうか。全曲だと「Ⅰ 人に」「Ⅱ 深夜の雪」「Ⅲ 僕等」「Ⅳ 晩餐」「Ⅴ あどけない話」「Ⅵ 人生遠視」「Ⅶ 千鳥と遊ぶ智恵子」「Ⅷ 山麓の二人」「Ⅸ レモン哀歌」と9曲の構成です。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

増盛の度合は人によります。彫刻家一人一人の分別と気質とによる事です。それ故やり方の伝授といふものは無い。工場の秘訣といふものは無い。唯真実の法則があるばかりです。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 カミーユ モークレール筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

いわゆる「見て盗め」というのはこういう考え方に根ざしているのでしょうか。音楽でもそういうことがありそうです。この場合「見て」より「聴いて」の部分が多そうですが。

昨今流行りのAIを使って、いわゆる巨匠の作品を徹底的に分析し、その特徴を色濃く持つ新しいものを創造することも可能なのでしょうが、そんなことをやったとて滑稽なものしか出来ないような気もします。古い考え方でしょうか。

久々に新刊紹介です。

マンガで読む 偉人たちの恋文物語 日本編

発行日 : 2025年10月9日
著者等 : 企画編集 岡部文都子
      漫画 阿部川キネコ/滝沢のぼる/宙花こより/栗山ナツキ/ふくやまけいこ
       志茂/さいとう邦子/OH太/小石川カナリ/柚庭千景
版 元 : Gakken
定 価 : 1,200円+税

歴史に名だたる偉人たちの残した恋文をのぞいてみたら、偉人らしからぬヤバさが全開だった!?恋文という究極のプライベートから見えてくる、偉人の生の姿を漫画で紹介。本書は伊達政宗、武田信玄、坂本龍馬、太宰治、中原中也など日本の偉人23人を収録した。記事ページでは実際の手紙と解説を掲載。

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目次
 伊達政宗 → 只野作十郎 若き時は、酒の肴にも腕を裂き……
 芥川龍之介 → 塚本文 僕は文ちゃんが好きです。それだけでよければ……
 太宰治 → 太田静子 一番いい人として、ひっそり命がけで……
 武田信玄 → 春日源助 私が弥七郎を伽のために寝させたことは……
 斎藤茂吉 → 永井ふさ子 ふさ子さんはなぜこんないい……
 石川啄木 → 平山良子 君、わが机の上にほほえみたまふ……
 竹久夢二 → 岸他万喜 無邪気にしてやさしき人形として……
 樋口一葉 → 半井桃水 ただただまことの兄様のような心持ちで……
 北原白秋→ 佐藤菊子 あなたこそ私の、天から定められていた……
 坂本龍馬 → お龍 渡り鳥になってでも必ず……
 柳原白蓮 → 宮崎龍介 どうぞ私を私の魂を……
 中島敦 → 橋本タカ タカはいつも、僕のタカだぞ……
 高村光太郎 → 長沼智恵子 私があなたであなたが私だった夢を……
 中原中也 → 長谷川泰子 貴殿は小生をバカにしている……
 谷崎潤一郎 → 根津松子 どうぞどうぞお気に召しますまで……
 榎本武揚 → 榎本多津 二十四、五日にはめでたくこの地に……
 夏目漱石 → 夏目鏡子 おれのような不人情なものでも……
 陸奥宗光 → 陸奥亮子 用事はなくてもなるべくたびたび……
 小林多喜二 → 田口タキ 闇があるから光がある……
 豊臣秀吉 → 茶々 ご機嫌よく過ごしていると聞き……
 小泉セツ → 小泉八雲 シンセツノパパサマ……
 森鷗外 → 森志げ 今の内案じてくれて……
 与謝野鉄幹 → 与謝野晶子 小生が此度の旅行に遺憾に思ひ候は……
 参考文献


版元がGakkenさんですので、教育書の扱い。公式サイトでは中学生対象と謳っていますが、小学校高学年でも理解可能でしょうし、高校生、大学生、一般人が読んでも面白いと思います。

23組の恋人たち、夫婦の間で交わされた「恋文」一通ずつを軸に、それぞれのカップルの簡略な紹介となっています。それぞれ8ページで、中扉に1ページ、漫画パートで5ページ、解説文が見開き2ページの構成です。

昨今のLGBT問題への配慮でしょう、23組がすべて異性間のものではなく、男性から男性への「恋文」も2通。それもおまけのような扱いでなく、いきなりいの一番が伊達政宗から小姓宛で、Gakkenさん、攻めてるな、という感じです。最近、「新総裁」とやらが選出された某団体(だいたいにおいて「総裁」という呼称も如何なものかと思うのですが(笑))の関係者は不買運動でも起こすのではないかと本気で心配してしまいます。

23章を10人の漫画家さんたちが分担され、「高村光太郎 → 長沼智恵子」の章は栗山ナツキさんという漫画家さんのご担当。各章、どの程度が漫画家さんのオリジナルなのか、原作なりはGakkenさんの方で提示しているのかなどは不明ですが、なかなかのクオリティです。

「恋文」は、婚約前の大正2年(1913)1月28日に智恵子に宛てて書かれた手紙(全文はこちら)で、智恵子はこの時、早世した日本女子大学校時代の友人・旗野八重の妹・澄子を訪ね、その実家、新潟に滞在していました。澄子は後に東京立川の農事試験場長・佐藤信哉と結婚、光太郎智恵子と夫婦ぐるみの交際が続きます。大正14年(1925)の光太郎詩「葱」は、佐藤夫妻から贈られたネギを題材にした詩です。

感心したのは、単にこの「恋文」の紹介に留まらず、光太郎智恵子それぞれの駆け引きまで考察されていること。まず智恵子は、交際に対し煮え切らない光太郎を試す意図もあってか、行き先も告げずに姿をくらましました。光太郎は、智恵子が新潟にいることを突き止め、手紙を送ります。まず自分が見たという(本当かどうかも疑わしいのですが)悪夢の話で智恵子を手紙に引きこみ、その後、智恵子に寄り添う文言で智恵子の意志を大切にしている、的なことを伝える高等技法(笑)。そうしてその年の夏には婚約するわけです。

他に与謝野夫妻や森鷗外、石川啄木、北原白秋、中原中也など、光太郎と縁浅からぬ面々が取り上げられていますし、そうでない人々の章もそうでないだけに知らないことだらけで興味深いものでした。この年になると今さら「恋文」を書く参考に、というわけでもありませんが(笑)。

ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

――私は何も発明しません。私は掘出すのです。其が新しく見えるのは世人が芸術の目的と手段とを一般に見失つてしまつて居たからです。世人は其を革新だと思ひますが、其は遠い昔の偉大な彫刻の法則が復た帰つて来たに過ぎません。


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 カミーユ モークレール筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

ある意味、ロダンの彫刻は19世紀に於けるルネサンスでした。

今日、10月10日は光太郎の父・光雲の忌日です。昭和9年(1934)、数え83歳で、息子の光太郎より10年近く長命だったことになります。最期は胃ガンでした。

その光雲の名が、先週の『山陽新聞』さんに。ただし、弟子の平櫛田中を紹介する中でのものでしたが。

環太平洋大 2年連続特別賞 全国大学ダンスフェス 平櫛田中テーマ 鏡獅子の躍動感表現

 大学創作ダンスの国内最高峰の大会、「全日本大学ダンスフェスティバル」(8月・神戸市)で、環太平洋大(岡山市東区瀬戸町観音寺)ダンス部が2年連続の特別賞に輝いた。井原市出身で日本近代彫刻の巨匠・平櫛田中の傑作「鏡獅子」から着想を得て、田中の生きざまや鏡獅子の迫力をダンスで表現し、高い評価を受けた。
 タイトル「燃ゆる鏡獅子―平櫛田中、木彫に捧ぐ血潮」(5分40秒)は、歌舞伎の六代目尾上菊五郎をモデルに田中が22年の歳月をかけ86歳で鏡獅子を完成させた道のりを描いている。
 1~4年の部員30人は昨秋以降、平櫛田中美術館(井原市)を何度も訪れ、鏡獅子に見入った。「今にも動き出しそうな躍動感や圧巻の存在感…。学生たちが深い感銘を受け、田中さんをテーマに創作を思い立った」と小澤尚子監督。関連資料を読み込み、大学に歌舞伎役者を招いて動きを教わりながら振り付けやストーリーを仕上げたという。
 はかま姿の田中ときらびやかな鏡獅子を中心に、血潮のごとく真っ赤な衣装の部員たちが躍動する。歌舞伎の見えを切るポーズや部員を担ぎ上げるリフト技、鏡獅子の豪快な毛振りを随所に取り入れ、終盤にはアクロバティックな空中交差を披露。全国優勝経験のある強豪・井原高新体操部出身の波多地陸人さん(19)、福田悠斗さん(18)の両1年生は「井原の偉人に関する作品で技を出せたのは光栄」と口をそろえる。
 フェスティバルには24校が出場。特別賞は最優秀など四つの賞に次ぐ位置づけで、環太平洋大を含む4校が受賞した。主将の4年荻野清純さん(22)は「田中さんの名言「わしがやらねばたれがやる」の思いで一人一人が練習した結果、美術館をはじめ多くの方々の協力のおかげで受賞できた」と感謝している。

ズーム 平櫛田中 近代彫刻の第一人者・高村光雲に師事し、伝統的な木彫に西洋の写実性を加える技術を磨いた。1962年に文化勲章を受章。最晩年まで創作を続け、107歳で亡くなるまで現役を全うした。「鏡獅子」は36年に着手し、戦争の激化などによる一時中断を経て58年に完成。高さ2㍍超の威容や木肌の質感で田中芸術の集大成とされる。国立劇場(東京)の建て替えに伴い平櫛田中美術館に「里帰り」している。

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地元の偉人、歌舞伎の演目(映画「国宝」がロングラン中ですし)と、着眼点が素晴らしいですね。演舞そのものも高評価を得たのでしょうが。ちなみに公式サイトによれば、「クロスカルチャーへの新しい挑戦」という枠組みでの特別賞受賞だとのこと。

先の話ですが、今回の受賞を受けて、井原市の平櫛田中美術館さんで開催中の企画展「彩色の世界―色から読み解く鏡獅子―」の関連イベントとして、同市での公演が開催されるそうです。
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光太郎智恵子をモチーフとした舞踊も、これまでにぽつりぽつりと公演がありましたが、ごく最近は聞きません。また演じられてほしいものです。ちなみにこのブログの「舞踊」カテゴリ、最新の記事は昨年の4月、上野桜木町の旧平櫛田中邸で行われた「旧平櫛田中邸 de タコダンス」でした。たまたま田中旧邸での公演で、内容的には関連がありませんでしたが。

田中ついでにもう1件。ダンスの話題は田中の故郷・岡山井原でしたが、こちらは田中が版円の晩年の10年を過ごした東京都小平市から。

平櫛田中応援プロジェクト~平櫛田中旧宅を後世に残すために~第3弾

 平櫛田中彫刻美術館は作品展示をする展示館と、平櫛田中が実際に暮した旧宅(記念館)の二館併設の美術館です。昭和43年(1968)に竣工した記念館は、老朽化が著しく、令和元年より実施した耐震診断で基準を大きく下回る結果となりました。それを受けて令和5年度には耐震補強・改修工事の設計を行ない、翌6年度より工事を実施しています。令和7年度には工事を完了し、再び一般公開できるようつとめてまいります。近代彫刻の巨匠が暮した記念館を後世へ保存し再び活用するため、皆様のご協力をお願いいたします。

寄附について
募集期間:令和7年10月1日(水曜)~12月29日(月曜)

目標金額:200万円 一口1円より寄附いただけます。ただし、インターネットサイト「ふるさとチョイス」で寄附される場合は、最低金額は2,000円になります。なお、税額控除は2,000円以上から発生します。

寄附金募集の目的:平櫛田中の旧宅(記念館)の耐震補強・改修工事を実施するとともに芸術文化振興の活性化を図る

(注)寄附金が目標額に達しなかった場合、いただいた寄附金は工事をするために必要な費用の一部に充てさせていただきます。

寄附の手続き方法
[1]インターネットでの寄附
 ふるさと納税サイト「ふるさとチョイス」のページ(準備中)より寄附いただけます。上記の期間中にご覧ください。

[2]納付書での寄附
 小平市寄附申請書(平櫛田中記念館用第3弾)(PDF 197.1KB)に必要事項をご記入いただき、小平市役所財政課にご提出ください。後日、納付書をお送りしますので、金融機関または郵便局にてお支払いください。

[3]現金書留による寄附
 小平市寄附申請書(平櫛田中記念館用第3弾)(PDF 197.1KB)に必要事項をご記入いただき、現金書留に同封し小平市役所財政課に郵送ください。

[4]現金持参による寄附
 平櫛田中彫刻美術館または小平市役所財政課にお越しいただき、小平市寄附申請書(平櫛田中記念館用第3弾)に必要事項をご記入のうえ、現金にてお支払いください。美術館に来館された方にはその場で預り証と返礼品(対象者のみ)をお渡しいたします。

PDFデータはこちら小平市寄附申請書(平櫛田中記念館用第3弾(PDF 197.1KB))、小平市寄附申請書記入例(PDF 224.1KB)
Excelデータはこちら小平市寄附申請書(平櫛田中記念館用第3弾(Excel 33.1KB)
 送付先 〒187-8701 東京都小平市小川町2-1333 小平市役所 企画政策部 財政課 財政担当
(注)申請書を郵送いただく場合、郵送料はご負担いただきます。
問合せ先 小平市役所 企画政策部 財政課 財政担当 042-346-9504
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返礼品について
 寄附金額にあわせて返礼品をお渡しします。金額ごとの返礼品は以下の通りです。
  1万円以上 図録等(美術館が発行する作品集や、過去の特別展の図録等)
  5千円以上 エコバッグ・封筒・一筆箋・クリアファイル大のセット
  2千円以上 絵はがきセット・クリアファイル大のセットまたは手ぬぐい
  (注1)小平市在住の方には返礼品をお渡しできません。

  (注2)美術館へお越しの方は、その場でお渡しします。
     それ以外でご寄附いただいた方には、後日郵送いたします。

返礼品の内容
 返礼品の対象となる図録等は、記念館記録集(2025年刊行予定)、「彫刻コトハジメ」(2018年)、「ロダンと近代日本彫刻」(2016年)、「ジャパニーズ・ヴィーナス彫刻家・藤井浩祐の世界」(2014年)、「仏像インスピレーションー仏像に魅せられた彫刻家たちー」(2008年)、「石井鶴三展」(1999年)です。
「ジャパニーズ・ヴィーナス彫刻家・藤井浩祐の世界」と「石井鶴三展」は、いずれも「平櫛田中作品集」とセットになります。絵はがき、クリアファイル、一筆箋、手ぬぐいの柄は選べません。
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昨年、第2弾が行われ、当会として微力ながら協力させていただきました。こちらでも光太郎終焉の地・中野区の中西利雄アトリエ保存運動を行っておりますので、他人事ではないなという感じで。今回も現金書留にて送る予定です。

皆様もぜひご協力ください。

【折々のことば・光太郎】

――要するに、美は到る処にあります。美がわれわれの眼に背くのでは無くて、われわれの眼が美を認めそくなふのです。


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ポール グゼル筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

「そくなふ」は「そこなう」の古語です。

光太郎彫刻の出品がある展覧会、2件ご紹介します。

まず広島県から。既に始まっています。

東京藝術大学大学美術館名品展 美の殿堂への招待

期 日 : 2025年10月4日(土)~12月7日(日)
会 場 : ふくやま美術館 広島県福山市西町二丁目4番3号
時 間 : 9:30~17:00
休 館 : 月曜日 10月13日(月・祝) 11月3日(月・祝) 11月24日(月・振休)は開館、翌日休館
料 金 : 一般1,800円 (1,440円) 高校生以下無料  ​
       ( )内は前売りまたは有料20名以上の団体料金

 東京藝術大学は、その前身である東京美術学校(1887年設置)の時代から美術教育のための優れた美術品の収集に力を注いできました。現在、収蔵品の数は、古美術から現代美術までおよそ30,000件を数えます。1999年には、そのコレクションを学外の人々にも紹介するため東京藝術大学大学美術館が開館し、現在に至るまで数多くの展覧会が開催され、収集活動が続けられています。
 本展は、大学が所蔵する膨大なコレクションの中から近代の美術作品に焦点を絞り、「1.近代美術の幕開け」、「2.ロマン主義のなかで」、「3.自画像-画家たちの青春」、「4.モダニスムを超えて」の4つの章で構成し、大学と関わりの深い美術家たちを中心に、すぐれた作品を余すことなく紹介します。
 出品作品は、高橋由一《鮭》、狩野芳崖《悲母観音》(前期展示)などをはじめ、日本画、洋画、彫刻、工芸などの各分野からあわせて120点を紹介します。ふだんあまり目にすることが出来ない、貴重な作品の数々を一堂に観覧することで、大学美術館におけるコレクションの魅力をより身近に感じていただけることを願って開催します。
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関連行事
(1)記念講演会1「藝大コレクションの起源と現在、そして瀬戸内」
 日  時:10月4日(土)14:00~15:30
 講  師:村上 敬(東京藝術大学大学美術館 准教授)
 会  場:ふくやま美術館1階ホール
 定  員:100名 ※当日先着順、聴講無料
(2)記念講演会2「東京藝術大学所蔵の工芸」
 日  時:11月15日(土)14:00~15:30
 講  師:黒川 廣子 (東京藝術大学大学美術館 館長)
 会  場:ふくやま美術館2階多目的室
 定  員:80名 ※当日先着順、聴講無料
(3)ギャラリートーク ※各日ともに特別展観覧券が必要
 日  時:10月4日(土) 10:00~11:00 
 講  師:村上 敬 (東京藝術大学大学美術館 准教授)
 会  場:ふくやま美術館1階企画展示室、2階常設展示室第1室

 日  時:11月15日(土)10:00~11:00 
 講  師:黒川 廣子 (東京藝術大学大学美術館 館長)
 会  場:ふくやま美術館1階企画展示室、2階常設展示室第1室

 日  時:11月22日(土) 14:00~15:00
 講  師:当館学芸員
 会  場:ふくやま美術館1階企画展示室、2階常設展示室第1室
(4)ワークショップ 「身近なもので絵具を作ろう!」
 身近な土や貝を使って自分だけの絵具を作るワークショップを実施します。
 展示している作品にも様々な色が使われています。
 そんな色たちとより深く関わってみましょう。
 日 時:11月16日(日)  (1)10:00~12:00 (2)13:30~15:30
 会 場:ふくやま美術館1階 ロビー
 講 師:当館職員
 対 象:どなたでも(こどもの場合は保護者同伴)
 参加費:1人500円 ※予約不要
(5)第64回ミュージアムコンサート「美の殿堂、その先へ―音で聴く東京藝大展」
 日 時:10月25日(土)開場18:00 開演19:00
 ※開演前に「東京藝術大学大学美術館名品展 美の殿堂への招待」をご鑑賞いただけます。
 出 演:切田光星(バリトン)、小林広歩(ピアノ)
 会 場:ふくやま美術館1階ロビー
 入場料:一般 1,500円、高校生以下無料(整理券有)、未就学児入場不可
 定 員:150名(先着順)

ネット上に出品目録が出ています。
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光太郎彫刻はブロンズで「獅子吼」(明治35年=1902)。東京美術学校の卒業制作です。経巻を擲って腕まくりをし、憤然として立つ日蓮をモチーフとしています。
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それから光太郎実弟にして鋳金分野で人間国宝となった豊周の「提梁花瓶」(昭和21年=1946)。
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令和元年(2019)、東京都庭園美術館さんで開催された「アジアのイメージ―日本美術の「東洋憧憬」」の際に拝見して参りました。

さらに、出品目録に名は記されていませんが。光太郎・豊周兄弟の父・光雲の木彫も。作品名は「綵観」。明治38年(1905)の作で、18人の作家による合作のため、出品目録では全員の名を割愛したようです。
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11月3日(月・祝)までの前期で、光雲木彫部分(上の画像で言うと右から二枚目)を含む表面が展示されます。

こちらは平成29年(2017)年、東京藝術大学大学美術館さんで開催の「東京藝術大学創立130周年記念特別展「皇室の彩(いろどり) 百年前の文化プロジェクト」」で拝見して参りました。

他にも荻原守衛、横山大観、藤田嗣治など、ビッグネームがずらりです。また、それほど有名ではありませんが、白瀧幾之助、南薫造など、光太郎と交流の深かった面々の作も。

紹介すべき事項の山積が続いており、同様に光太郎彫刻の出る展覧会をもう一件。今度は北海道です。

札幌芸術の森開園40周年記念 彫刻三昧 札幌芸術の森美術館の名品50選

期 日 : 2025年10月11日(土)~2026年1月4日(日)
会 場 : 本郷新記念札幌彫刻美術館 札幌市中央区宮の森4条12丁目
時 間 : 10:00~17:00
休 館 : 月曜日(月曜祝日の場合開館し火曜日休館)、年末年始(12/29~1/3)
料 金 : 一般600円(500円)、65歳以上500円(400円)、高校・大学生400円(300円)
      中学生以下無料 ( )内は10名以上の団体料金

 国内外の近現代彫刻史を彩る作家の作品をたっぷりと楽しむことができる展覧会です。
 彫刻に生命の息吹を吹き込み〝近代彫刻の父〟と言われるロダン。その影響を受けながらも独自の造形を開花させたブールデル、デスピオ、マイヨール…。また、ドガやルノワールなどの画家も絵画の作風そのままに彫刻を手がけています。さらに、キュビスムの彫刻への応用や、再現を離れた純粋な抽象化へ挑戦、戦後イタリアでの新たな具象の試みなど、次々と立体造形の可能性を広げる斬新な表現が生み出されていきました。
 日本においても、海外の動きを受容しながら、伝統的な美意識とも照らしつつ、切磋琢磨するなかで、多彩で豊かな展開がみられます。そこには、戦後、街なかや公園などへの彫刻設置が全国的に盛んになるという追い風もありました。
 1986年に開園した札幌芸術の森は、来年40周年を迎えますが、そのメイン施設である野外美術館には、二度の拡張を経て、日本彫刻が最も勢いがあったと言われる’80~’90年代を代表する彫刻家の作品が多数設置されています。札幌芸術の森美術館では、その多種多様な表現につながる近代以降の流れをたどれることを目指して開館準備段階から収集を続け、国内有数の彫刻コレクションを形づくってきました。
 本展は、その中から厳選した50点を展示するものです。魅力溢れる彫刻の数々をお楽しみください。
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こちらでの光太郎作品は「薄命児」(明治38年=1905)。浅草花やしきで興行を打っていたサーカス団の幼い兄妹がモデルです。ただ、現存するのは兄の方の頭部のみですが。
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先程の「獅子吼」にしてもそうですが、留学に出る前、光太郎はこうしたストーリー性のある彫刻を喜んで作っていました。日本の彫刻界全体がそんな感じでしたし。しかし、後にそれは邪道だと気づき、物語を排した純粋な造型を目指すようになっていきます。

他には光太郎の心の師・ロダンをはじめ、ブールデルやマイヨール、日本人ではやはり荻原守衛、さらに石井鶴三、高田博厚、佐藤忠良、舟越保武など、ある意味お約束の面々が並びます。

それぞれぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

――其頃の芸術家は「見る」眼を持つてゐたのです。しかるに今日の芸術家は盲目です。此所に一切の相違がある。ギリシヤの女達は美しかつた。しかし其の美は彼等を再現した彫刻家の頭の中に存してゐたのです。


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ポール グゼル筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

とにかく「見る」眼がないと、どうにもならないとのことで……。

10月5日(日)、智恵子忌日の「レモンの日」に合わせ、福島二本松の智恵子生家ではライトアップが行われました。地元紙『福島民友』さんから。

生家ライトアップ、智恵子に思いはせ 福島・二本松、11月16日も実施

 詩人・彫刻家高村光太郎の妻で詩集「智恵子抄」の「レモン哀歌」でも知られる福島県二本松市出身の洋画家高村智恵子の命日の5日、同市の智恵子の生家・記念館はライトアップイベントを行った。
 「高村智恵子レモン祭」の一環として昨年に続き実施した。生家に智恵子と光太郎のシルエットが浮かび上がり、幻想的な映像で秋の夜を彩った。
 このほか生家内は上川崎和紙のランプシェードで演出され、来場者が智恵子への思いをはせた。レモン祭は11月16日まで。生家のライトアップは最終日(午後5時~同8時)にも行われる。問い合わせは同館(電話0243・22・6151)へ。
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10月2日(木)から開催されている「高村智恵子レモン祭」の一環としての実施で、一昨年から行われています。今年は復活を果たしたゆるキャラ・ちえこちゃんもかけつけたようですね。あと1回、レモン祭千穐楽の11月16日(日)にも開催予定です。

レモンと言えば、一昨日、NHK Eテレさんで放映された「グレーテルのかまど 高村光太郎のレモンコーヒー」。SNS等エゴサーチしましたところ、おかげさまでおおむね好評を頂いており、安堵しております。昔の知り合いからも複数「見たよ」という声も戴きました。

番組内で行われる調理の監修を担当されている辻調理師専門学校さんのサイトに、スタジオ撮影の様子や簡易レシピ、さらにそこからリンクでPDFによる詳細なレシピも掲載されています。
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ご興味おありの方、ぜひチャレンジしてみて下さい。

【折々のことば・光太郎】

――大家達を会得するやうに力めませう。彼等を愛しませう。彼等の天才に酔ひませう。だが、薬剤師の薬品みたいに「レツテル」を貼らない様に用心しませう。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ポール グゼル筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

作家に対してもですが、作品に対しても同じことが言えますね。「智恵子抄」=「純愛の詩集」のような。「智恵子抄」は本当に複雑な側面を多々持っています。「追憶の詩集」であり、「鎮魂の詩集」であり、「悔恨の詩集」であり、「懺悔の詩集」でもあり、「智恵子のみならずそれまでの自らへの訣別の詩集」でもあります。……と、こういうのも「レッテル」ですかね(笑)。

昨夜、初回放映がありました。NHKさんの「グレーテルのかまど 高村光太郎のレモンコーヒー」。かなりのクオリティーに仕上がっていて、胸をなで下ろしました。
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番組では「15代ヘンゼル」役の瀬戸康史さんと、「魔法のかまど」キムラ緑子さん(声のみのご出演)による調理や試食と、取り上げる人物紹介Vとが半々。

Vの方は、パリ、二本松、九十九里浜、十和田湖など、光太郎智恵子ゆかりの地の映像がふんだんに使われていたのが良かったと思いました。さすがNHKさん、この手のストックはかなりあるようです。
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それらをバックに光太郎詩文もたくさん取り上げて下さいました。

花巻に関しては、ブリヂストン美術館(現・アーティゾン美術館さん)制作の美術映画2種類から、光太郎自身の姿。
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当方を出演させて下さり、語らせていただきました。
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その他、語ったエピソードや、このブログから採られた内容などもキムラさんのナレーションでという部分も。
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これは智恵子の親友だった作家・田村俊子の弟子にあたる上田静栄の回想に書かれている大正4年(1915)頃のエピソードです。

高村先生がアトリエの北のすみの水屋にたたれて、レモンの浮いた冷たい飲み物をつくつてみなにすすめられた。たけの高いハイカラなガラスのコツプで、散歩のあとなのでとても美味しく頂いた。(未定稿「美しき思ひ出の人びと」昭和34年=1959頃 『歌文集 こころの押花』昭和56年=1981所収)

また、光太郎最晩年の日記にも「午后山口村の田頭さん奥さんと難波田さん夫人とくる、レモンスカツシ風にソーダ水をつくりて進ずる」(昭和29年=1954 8月22日)という記述があります。

手許にある『智恵子抄』初版(昭和16年=1941)も、やはりNHKさんの「歴史秘話ヒストリア 第207回 ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」(平成27年=2015)などに続いて「出演」。
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スタジオでは、「魔法のかまど」キムラさんのレクチャーで、「15代ヘンゼル」瀬戸さんが調理。レモンコーヒーがメインでしたが、レモンクレープも。
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最後にヘンゼルが試飲・試食。
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普段のこの番組ですと、お二人の会話が掛け合い漫才のようで時に爆笑させられるのですが、今回は基本的に切ない話でしたので、お二人もしんみりという場面が多い印象でした。
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それでも随所に仏語を盛り込むなど、あくまで軽妙に。

オープニングとエンディングには、バックに米津玄師さんの「lemon」が流れました。
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放映終了後、X(旧ツィッター)でエゴサーチしたところ、そこに特化した書き込みも目立ちました(笑)。

さて、来週、再放送がありますし、NHKさんのサイト「NHK ONE」でも配信中です。

グレーテルのかまど 高村光太郎のレモンコーヒー(再)

NHK Eテレ 10月15日(水) 15:10~15:35

仕事や子育てに追われながらも、ほっと一息つく大切な時間。お菓子にまつわる数々の物語、そして思いがけない誕生のドラマを、15代ヘンゼル(瀬戸康史)と魔法のかまど(キムラ緑子)がお届けします。

「智恵子抄」で知られる、詩人で彫刻家の高村光太郎。レモンには留学したパリで味わったコーヒーと、妻智恵子の思い出がしみ込んでいた。ロダンにあこがれ留学したパリで出会ったレモンコーヒーには、目の覚めるような思い出があった。一方、最愛の智恵子との悲しい別れにまつわるのも、レモンの記憶だ。智恵子の命日10月5日には、レモンを供え続けたという、光太郎の生涯とレモンの記憶をレモンスイーツとともにひもとく。

出演者 【声】キムラ緑子【出演】瀬戸康史

当初予定ではNHK総合さんでも10月13日(月)に再放送のはずでしたが、そちらは無くなったようで、残念ですが。

ご覧になっていない方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

――芸術に於ける描形(デツサン)は文学に於ける文体のやうなものです。目に立つやうに、出しやばつたり、様子ぶつたりする文体は悪い。


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ポール グゼル筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

気をつけます(笑)。

栃木県から企画展情報です。

『歴程』と逸見猶吉、岡安恒武

期 日 : 2025年10月11日(土)~2026年3月22日(日)
会 場 : 栃木市立文学館 栃木県栃木市入舟町7-31
時 間 : 9時30分〜17時00分
休 館 : 月曜日(月曜日が祝日の場合は開館し、火曜日休館)
      祝日の翌日(祝日の翌日が土曜・日曜・祝日の場合は開館)
      年末年始(12月29日〜1月3日)
料 金 : 一般 330円(260円) 中学生以下 無料
      ※( )内は、20名以上の団体割引料金

 現代詩の雑誌『歴程』は、昭和10年(1935)5月に本市ゆかりの詩人である逸見猶吉(へんみゆうきち 1907~1946)が初代編輯兼発行人となり、草野心平、中原中也ら8名によって創刊されました。現代詩を代表する詩人たちが集ったこの雑誌は、戦時中の中断を経て戦後に復刊、現在に続いています。
 本展では、昭和27年(1952)に同誌の同人となった本市出身の詩人・岡安恒武(おかやすつねたけ 1915~2000)とともに、二人の生涯と作品を収蔵品を中心に紹介します。

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関連行事
 1 文学散歩「逸見猶吉ゆかりの地めぐり」
  案内:渡瀬遊水池ガイドクラブ  日時:2026年2月14日(土) 13:30~15:30
  場所:渡瀬遊水池内(谷中村史跡保存ゾーンなど)  参加費:無料

 2 ワークショップ「ミニヨシ灯りづくり」
  講師:渡瀬ヨシ愛好会     日時:2025年12月7日(日) 10:30~12:00
  場所:文学館1階とちぎサロン   参加費:400円

 3 学芸員によるギャラリートーク
  日時:2025年10月25日(土)、12月14日(日)、2026年3月7日(土) 13:30~14:00
  参加費:無料


光太郎もたびたび寄稿したり、その絵が表紙などを飾ったりした詩誌『歴程』。てっきり最初の編輯兼発行人は当会の祖・草野心平だと思い込んでおり、逸見猶吉だったというのは存じませんでした。

ちなみに『歴程』への光太郎寄稿、その最後のものは「逸見猶吉の死」という文章でした。昭和23年(1948)のことでした。

 逸見猶吉の満州客死にはまつたくやりきれない感をうけた。その報をきく前に、何となく逸見猶吉があぶないといふ気がかりは強くしてゐたが、それは彼の烈しい気象を考へて満州の当時の事情と思ひ合せ、万一むちやな闘争でもやりはしないかと思つたからであつた。聞くところによると、さすがに大人のやうになつた彼は、終戦後おだやかに身を処して過激な行動などもなく、食品か何かを売つたりして生活してゐたさうであるが、あの「ウルトラマリン」を書いた此の詩人のさういふ姿を想像するのさへ痛々しい。かういふ苦労と無理と多分甚だしい栄養不足等から結核が急に悪化したに違ひなく、かつては強靱そのもののやうだつた彼もつひに満州に於ける日本瓦解と共に仆れた。
 逸見猶吉の詩の魅力はその稀有な高層気圏的気稟にある。その詩に於ける思想も生活も言葉もすべて此の稀元素のやうな気稟の噴煙を吐かしめる因数的存在としてのみ意味がある。彼の詩は字面のどこにもなくて、しかも字面に充実して人を捉へる。その由来を究尽してゆくと何もないところに出てしまふくせに、究尽の手の脈には感電のやうなシヨツクが止まない。詩の不可思議をまざまざと示す彼の詩は、殆ど類を絶して、彼以後に彼の如き声をきかない。彼のやうな詩人は多作であり得るわけがないから、恐らく遺した詩は極めて少いであらう。ウラニウムのやうに少くて、又そのやうに強力な放射能を持つてゐるのだ。今座右に一篇の詩もない。しかし曽てよんだ彼の詩のひびきはりんりんと耳朶をうつてやまない。思想も生活も言葉も此の無形の実在に圧倒され、慴伏せられて遂に思ひ出せない。その詩人が死んだら、もう二度とその類の詩をきき得ないといふ稀有な詩人が、こんどのどさくさの中の多くの死にまじつて死んだのである。


哀惜の念を滲ませつつ、実に的確な評をも与えています。

個人的にも、昭和4年(1929)には、光太郎と逸見、心平、それから高田博厚、岩瀬正雄、岡本潤、横地正次郎の総勢7名で群馬の赤城山に登り、泊まった宿で夜中に酒が無くなると、赤城神社に奉納されていた御神酒を拝借、などということをやっていたりした間柄でした。

もう一人、今回の企画展で取り上げられる岡安恒武。従来、光太郎との直接の交流は確認出来ていませんでしたが、つい最近、光太郎から岡安宛の書簡を発見したばかりなので、驚きました。

昭和21年(1946)に岡安が編集にあたり(発行人は岡安の兄・岡安大仁)、栃木で発行されていた雑誌(というより冊子)『地人』第3号に、「高村光太郎先生ヨリ」の題で全文が引用されています。
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「地人」毎号忝く、御礼申上げます。宮沢賢治精神に基く地人塾の存在は心強く、どこまでもやり通していただく事を切望いたします。ここでも佐藤勝治さんが「ポラーノの広場」をつよい信念を以てはじめられました。小生此地に来て親しく宮沢賢治さんの委細を見聞するに従ひ、ますますその人の大と深とが身にしみて感じられます。

『地人』は宮沢賢治の「羅須地人協会」から名を採り、賢治精神に基づいて賢治作品や評論等を掲載したもので、花巻で発行されていた同様の『ポラーノの広場』を引き合いに出しています。こちらの編集は光太郎に花巻郊外太田村移住を勧めた分教場教師・佐藤勝治で、光太郎も度々寄稿していました。

光太郎の遺した郵便物等の授受の記録「通信事項」昭和21年(1946)2月20日の受信記録には「「地人」二号 」、2月22日の発信記録には「岡安恒武氏へハカキ」の記述があり、この書簡を指していると考えて間違いなさそうです。

この『地人』、昭和24年(1949)まで発行が確認出来ています。逸見も光太郎や心平同様、賢治には並々ならぬ関心を寄せており、改めて賢治の影響力に感嘆します。
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こちらは昭和9年(1934)の「宮沢賢治一周年追悼会」なる会合の集合写真。逸見と心平が写っています。当然ここにいるべき光太郎の姿がありませんが、智恵子の心の病が昂進し、さらに父・光雲が危篤状態に近い頃でしたので、無理だったのでしょう。岡安はまだ二十歳そこそこで、こうした席にはまだ参加していない感じです。もしかすると、最後列の学生服二人のうちのどちらかが岡安だったりするかも知れませんが……。

その二人を取り上げた企画展ということでこれは行かざあなるまい、と思っております。皆様も是非どうぞ。

【折々のことば・光太郎】

もちろん凡庸な人間が自然を模写しても決して芸術品にはなりません。それは彼が「見」ないで眺めるからです。


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ポール グゼル筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

「見る」と「眺める」、英語の「watch」と「see」のような感じでしょうか。

昭和13年(1938)の今日、南品川ゼームス坂病院で、智恵子が光太郎の持参したレモンをがりりと噛んだことにちなみ、今日、10月5日は「レモンの日」です。

そういう日にこんな話題をお届けするのも心苦しいのですが……昨日の午後、X(旧ツィッター)上で「日本終了」がトレンド入りしていました。面白いことに、ある人々は「「日本終了」にならなくて良かった」と大喜びし、逆に「「日本終了」の始まりだ」と嘆く人々も居ます。同じワードがプラスマイナス両面で使われています。日本もアメリカのような分断社会に突入するのか、すでにそうなっているのか、というところですね。

こうした事態になることを憂慮してでしょうか、先週10月1日(水)の広島に本社を置く『中国新聞』さん一面コラム。光太郎の名がマクラに使われています。

天風録 値上げと上振れ

その飲み物は大正初めに米国からやってきた。早速、高村光太郎の詩に〈コカコオラ〉、芥川龍之介が門下の作家に宛てた手紙にも〈コカコラ〉で登場する。当時のインテリ層の間ではおしゃれな飲み物だったと察する▲「コカ・コーラ」を含む飲料や食品3千品目超がきょう値上げされる。500ミリリットル入りの他の清涼飲料水も相次ぎ価格が上昇する。自動販売機の表示には200円台がずらり並びそうだ▲今年1年間に見込まれる値上げ品目は2万以上に及ぶ。原材料費の高騰に加え、政府が旗振る賃上げ分の上乗せで物価上昇は長引く可能性がある▲物価高対策が大きな争点の自民党総裁選は終盤戦へ。各候補が減税や交付金などを打ち出せど、元手をどう工面するかの議論は乏しい。物価高による負担増が積み上がった税収の「上振れ」頼みでは何とも心もとない▲参院選大敗は税の使い道に恩恵を感じない国民が離れた結果でもある。なのに総裁選で目立つのは配信動画でヨイショ投稿を促す「ステマ問題」や、外国人を巡る「奈良のシカを蹴り上げる人がいる」発言。これらで支持の上振れを期待した面々に、自販機のボタンをすんなり押せぬ気持ちは分かるまい。

なるほどね、という感じですね。

コカコーラと光太郎に関してはこちら。
「昭和32年 コーラ本格上陸 みんな作って、みんないい」/「「乙女の像」制作 朗読劇で 劇団「エムズ・パーティ」16、17日十和田で上演」。
都内レポートその2 「ココだけ!コカ・コーラ社 60年の歴史展」。
『イチからつくる コーラ』。

神聖なレモンの日にこの件で終わるのも癪なので(笑)、もう一件。同じくドリンク系の話題で智恵子の故郷、福島二本松から。

智恵子生家/智恵子記念館に近い、安達ヶ原ふるさと村さんのX(旧ツィッター)投稿から。

【新商品のお知らせ】

大人気オリジナルプリント柄のドリップコーヒーに新柄が登場!

秋らしい『錦秋の安達太良山』や『菊人形』など二本松を満喫できるパッケージです❤

安達ヶ原ふるさと村 と道の駅安達上下線で販売中☺※「バッピーちゃん」はふるさと村限定

お土産や日々の癒し時間にぜひ!
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「大人気オリジナルプリント柄のドリップコーヒー」は、先月ご紹介した智恵子イラストを含む5種類のパッケージです。
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ちなみに他の画像も発見しまして、それぞれの柄の紙袋も別売りで出ていることが判明しました。
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これはますますゲットせねば、と思っております。

今回の追加分は、智恵子のソウルマウンテン・安達太良山の写真を使ったものが含まれる他、菊人形イラストも智恵子のイメージに近い感じです。

高村智恵子レモン祭」期間中に一度行ってこようかなと思っております。皆様もぜひどうぞ。しかし、鬼婆の顔は誰かさんの顔に見えて仕方ありません(笑)。

最後にレモンの日ついでですが、明日、10月6日(月)、NHK テレさんで「グレーテルのかまど 高村光太郎のレモンコーヒー」の初回放映があります。ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

芸術こそ人間の最も崇高な使命です。世界を会得しようと力め又其を会得させようと力める思想のはたらきだからです。


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ポール グゼル筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

物価高による負担増で、芸術どころじゃないという人々も多いのが、この国の現状でもありますが……。

本日開幕の「逗子アートフェスティバル」の一環としてのコンサートです。

余白露光2 ~テルミンと箏~

期 日 : 2025年10月18日(土)
会 場 : 逗子文化プラザホールなぎさホール 神奈川県逗子市逗子4-2-10
時 間 : 13:30~15:30(13:00開場) 
料 金 : 3,000円(中学生以下1,500円)

触れずに演奏する不思議楽器テルミン(世界最古の電子楽器)と箏の演奏会に、切り絵装飾と映像を重ねた幻想的な舞台。春の海、月の光、といった名曲に加え、テルミンと十七絃箏の為の新曲(藤枝守)初演予定。

旧逗子高等学校武道場で開催された『余白露光』(ZAF2024)の続編です。今年は切り絵も更に増えて23本。昨年『余白露光』ワークショップで、逗子の学校の生徒さんに作って頂いた切り絵もホール舞台装飾に参加します。

連作『植物文様』とは、葉や茎に電極をつけ、そこから得られる電位変化のデータをもとに音楽的に読み換えるという手法により生み出された音楽です。今回は、お茶の葉の電位変化を元に作られた曲です。

また、本演奏会では、通常の十三絃箏に加え、十七絃箏も演奏されます。十七絃箏とは、宮城道雄氏が作曲および合奏するにあたり低音域の必要性を求め作られました。当初はあくまで伴奏楽器でしたが、沢井忠夫氏により独奏楽器として確立されました。従来の箏とは異なる深く沁み渡る音が特徴です。

アーティスト紹介
 大西ようこ Yoko Onishi [テルミン]  元井美智子 Michiko Motoi [箏] 
 杵淵三朗 Saburo Kinebuchi[境界剪画・民族楽器] 

演奏予定曲目
 春の海(宮城道雄) 月の光(ドビュッシー) いにしえの光(竹味奈美) 秋に(橘川琢)
 《植物文様~夢みる茶(Tea Dreaming)》 (藤枝守) 『智恵子抄』より さくら(日本古謡)
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テルミン奏者の大西ようこさんが逗子にお住まいということで、お仲間を率いて地元での演奏。昨年に引き続いてです。同市の『広報ずし』(「押しずし」とか「ちらしずし」のようですね(笑))今月号。
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大西さんは、今回も出演される箏曲の元井さん、それから出演はなさいませんが聴きに来られるという朗読の荒井真澄さんとお三方で、二本松の高村智恵子生家/智恵子記念館さんで開催された高村智恵子生誕祭の一環として、4月に当会主催で智恵子生家の座敷を会場にして行ったコンサート音楽と朗読『智恵子抄』愛はここから生まれたにもご出演なさいました。
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元井さんは荒井さんと組んで、昨年から仙台、花巻で演奏。今年は花巻高村光太郎記念館さんでも
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さらにフライヤーにも写っている杵淵三朗氏の「境界剪画」がステージを飾るようです。また、同氏のご紹介に「民族楽器」とあり、演奏もされるのでしょうか。

プログラムにある『智恵子抄』よりは、おそらく元井さんのオリジナル曲。昨年、やはり大西さんとのコラボ「テルミンミュージアム4周年記念~人数限定のスペシャルなライブ~」でも演奏されました。

また、会場入口には大西さん所蔵のものを中心とした「智恵子抄」コーナーも設けられるとのこと。そのパネル制作、ちょっとだけお手伝いいたしました。

ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

芸術は静観です。自然を洞察し、又自然の中の心霊を推測する喜悦です。


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ポール グゼル筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

今回演奏される藤枝守氏作曲の連作『植物文様』は、「葉や茎に電極をつけ、そこから得られる電位変化のデータをもとに音楽的に読み換えるという手法により生み出された音楽」だそうで、こういうのも自然の洞察、推測なのかもしれません。

もう12回目か、という感じです。北鎌倉明月院さん裏手(徒歩365歩)にあるカフェ兼ギャラリー笛さんでの光太郎と尾崎喜八にかかわる展示です。

笛さんのオーナー・山端氏の奥様が光太郎のすぐ下の妹・しづ(静子)の令孫で、さらにすぐ近くにお住まいの、白樺派の一員で光太郎と交流の深かった詩人・尾崎喜八の令孫・石黒敦彦氏と共同で、両家に残る光太郎・尾崎の関連資料等が展示されます。一度に展示できる量ではないので、毎年少しずつ入れ替えながら開催されています。

さらに今年は、石黒氏の編集で当会顧問であらせられた北川太一先生の光太郎と尾崎の交流を追った玉稿の集成『高村光太郎と尾崎喜八』出版記念ということで、1月から3月にかけてもイレギュラーで展示が為され、6月には石黒氏、山端氏、そして『高村光太郎と尾崎喜八』の装幀を担当された版画家の
山室眞二氏によるトークイベントもありました。

そんなこんなで、毎年秋の展示はどうするのかな、と思っていたのですが、例年通り行うそうです。

回想「高村光太郎 尾崎喜八」詩と友情 その12

期 日 : 2025年10月10日(金)~11月18日(火)の火・金・土・日曜日
会 場 : 笛ギャラリー 神奈川県鎌倉市山ノ内215
時 間 : 11:00~16:00
休 業 : 月・水・木曜日
料 金 : 無料

関連行事 詩の朗読会 11月15日(土) 15:00~
 高村光太郎と尾崎喜八の詩を朗読します。詩を朗読して下さる方を募集しています。

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今回の展示内容の詳細は不明ですが、過去には光太郎が尾崎夫妻の結婚祝いに贈ったブロンズ「聖母子像」(大正13年=1924)も展示されました。ミケランジェロ作品の模刻で、他に鋳造されたことが確認出来ていない実に貴重な一点物です。尾崎の妻・實子は光太郎の親友・水野葉舟の息女で、光太郎は我が子のようにかわいがっていました。
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関連行事としての朗読会は、令和4年(2022)から始まりました。ほとんどが一般の方で、今年も朗読者募集中とのことです。当方も一度出演、といっても、自分で朗読はせず(笑)、昭和27年(1952)に録音された光太郎自身の朗読音源を聴いていただきました。

今年の第69回連翹忌の集い、さらに7月に開催された「中西アトリエをめぐる文人たちの朗読会」で光太郎詩の朗読をお願いしたフリーアナウンサーの早見英里子さんと、朗読家出口佳代さんのコンビにお声がけしたところ、ぜひ参加したいとのことでした。お二人は光太郎智恵子ゆかりの地で朗読をなさり、自撮りでの動画をSNSにアップされることをなさっていて、今後も続けたいということでしたので、渡りに船だったようです。

ぜひ、足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

人間の叡智と誠実との最高の証跡である美しい作品は、人間につき、又世界について言ひ得る限りの事を言ひ尽してゐます。そして又其外に知る事の出来ないもののある事を会得させます。


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ポール グゼル筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

ロダンも非常にポジティブな人だったようです。そうした面は光太郎、そして尾崎にも受け継がれていきました。

001当会で会報的に発行している『光太郎資料』。第64集が完成しまして、関係の団体や個人の方々へ順次発送しております。

元々は当会顧問であらせられた故・北川太一先生が、筑摩書房版第一次『高村光太郎全集』完結後、その補遺などを最初の目的として昭和35年(1960)に刊行を始めたものです。以後、平成5年(1993)の第36集まで不定期に発行が続き、全集の補遺や、その他、光太郎智恵子光雲に関する様々な「資料」が収められました。

平成24年(2012)に当会としてその名跡をお譲りいただき、4月の連翹忌と10月のレモンの日に合わせて、年2回の発行としています。

今号の内容は以下の通り。

「光太郎遺珠」から 第二十八回 岩手にて その二
増補版『高村光太郎全集』(平成10年=1998に完結)後に見つかった光太郎文筆を集成しています。昭和20年(1945)から7年半暮らした花巻町と郊外旧太田村で書かれたもののうち、今号では昭和20年(1945)と翌年前半の、主に書簡です。

光太郎回想・訪問記 『宮沢賢治批判』まえがきより 佐藤勝治/出会いの重みについて 四竈経夫(しかまつねお)
前者は『山荘の高村光太郎』(昭和31年=1956 現代社)を書いた、元太田小学校山口分教場の教師・佐藤勝治によるもの。同書と重なる部分もありますが、多少のニュアンスの違いもあったので採りました。光太郎の旧太田村移住の経緯等が記されています。

後者は『海のように深く 現代の忘れもの』(平成5年=1993 宝文館出版)より。四竈は学徒出陣後、戦後は東京女学館中学高校長を務めた人物であった他、八木重吉に関する著書もあります。光太郎日記の昭和20年(1945)9月10日の項に「午後佐藤院長さん宅へ清六さんの知人四カマ氏といふ航空気象の軍人来訪、詩の話などす。余の詩を読んでゐる人。水沢へ来たついでとの事。」の記述があります。この日は8月10日の花巻空襲で宮沢賢治の実家を焼け出された後、身を寄せていた旧制花巻中学校元校長・佐藤昌宅から、花巻病院長・佐藤隆房邸へ移った当日でした。これまで「四カマ氏」については不分明でしたが、四竈自身の回想を発見したことで、詳細が明らかにできました。

光雲談話筆記集成 善光寺仁王尊の製作 米原雲海/高村光雲
大正8年(1919)、光雲とその高弟の米原を中心に制作された信州善光寺さんの仁王像他について。制作過程や細部の意図、参考にした他寺院の仁王像について等が語られています。

昔の絵葉書で巡る光太郎紀行  安房館山周辺(千葉県)
大正10年(1921)に与謝野夫妻、深尾須磨子ら新詩社の一行10名程で、さらに同14年(1925)には光太郎智恵子二人で訪れた安房館山を紹介しました。
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音楽・レコードに見る光太郎  「家の光つどいの歌」
昭和30年(1955)にリリースされた、光太郎詩「私は青年が好きだ」(昭和15年=1940)朗読(朗読者は不明)が吹き込まれたSPレコードに関してです。2種類の盤が確認出来ています。
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第六十九回連翹忌報告
4月2日(水)に日比谷松本楼さんで執り行った、第69回連翹忌の集いについてです。
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高村光太郎初出索引
現在把握できている光太郎文筆作品を、初出掲載誌題名によりソート・抽出し、初出掲載年順に表にしています。今号では昭和11年(1936)から翌年に初出のあったものを掲載しました。智恵子が南品川ゼームス坂病院に入院していた時期です。
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ご入用の方にはお頒けいたします(ご希望が有れば37集以降のバックナンバーも)。一金10,000円也をお支払いいただければ、年2回、永続的にお送りいたします。通信欄に「光太郎資料購読料」と明記の上、郵便局備え付けの「払込取扱票」にてお願いいたします。ATMから記号番号等の入力でご送金される場合は、漢字でフルネーム、ご住所、電話番号等がわかるよう、ご手配下さい。申し訳ありませんが手数料はご負担下さい。

ゆうちょ口座 00100-8-782139  加入者名 小山 弘明

今号のみ欲しい、などという方は、このブログのコメント欄等でご連絡いただければと存じます。送料プラスアルファで1冊200円とさせていただきます。

【折々のことば・光太郎】

良い彫刻家が人間の胴体を作る時、彼の再現するのは筋肉ばかりではありません。其は筋肉を活動させる生命です。……生命よりも以上のもの、……力です。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ポール グゼル筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

光太郎訳の『ロダンの言葉』は、日本の若き芸術家たちにバイブルの如き扱いを受けました。やはりこういう一節などが沁みたのでしょう。

智恵子の故郷・福島二本松の「ほんとの空」を旅するイベントです。

~にほんまつ東北~ほんとの空の旅 in 赤そば畑 バルーン搭乗体験

期 日 : 2025年10月12日(日)
会 場 : 下川崎東北赤そば畑 福島県二本松市下川崎字東北166-1
時 間 : 受付開始 6:30~ 搭乗 7:30~
料 金 : 中学生以上500円 小学生以下 無料

10月上旬から11月上旬に開催される「東北赤そば祭り」に合わせて、熱気球(バルーン)の体験搭乗会を開催します。赤そばの花(赤)と安達太良連峰などの大パノラマ(緑)、ほんとの空(青)による圧巻の景色をお楽しみください。

先着100名 ※当日、搭乗場所入口の受付で受付順番券を配布します。
搭乗人数 3名程度/1回  搭乗時間 約5分/1回
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本日開幕の「下川崎字東北赤そば祭り2025」の一環としての実施です。現地は智恵子生家/智恵子記念館さんから直線距離で5キロ弱といったところ。バルーンが高く舞い上がれば、生家/記念館も見えるのではないでしょうか。もちろん光太郎詩「樹下の二人」に謳われた安達太良山や阿武隈川はばっちりだと思われます。在りし日の智恵子を搭乗させてあげたかったところですね。

赤そばは、「高嶺ルビー」のブランド名で、信州伊那地方のものが有名ですが、二本松の東北(とうぎた)集落では、令和2(2020)年度から福島県地域創生総合支援事業を活用し、遊休農地に赤そば栽培事業を開始したそうです。伊那の赤そばはヒマラヤ原産ですが、こちらも同じ品種なのでしょうか? 寡聞にして存じません。

それにしても、料金500円というのは何とも良心的ですね。搭乗時間3分とはいえ、です。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

他の人々にとつては森や地面に過ぎないものが、偉大な風景画家には広大無辺なものの顔としてあらはれるのです。


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ポール グゼル筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

この際、ロダンが例として挙げていたのがコローやミレー。

智恵子にとっても二本松の風物は、他の人々とは違った広大無辺なものっだったのでしょう。もっとも、東京でうまくいかない時に心を癒してくれる故郷の眺め、という意味合いが付随していましたが。

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