2025年09月

NHKさんで平成23年(2011)から放映されている「グレーテルのかまど」。そろそろ長寿番組ですね。
007
10月6日(月)の放映では光太郎がメインで扱われます。

グレーテルのかまど 高村光太郎のレモンコーヒー

NHK Eテレ 2025年10月6日(月) 22:00~22:25
再放送 NHK総合 10月13日(月) 11:05~11:30  NHK Eテレ 10月15日(水) 15:10~15:35

仕事や子育てに追われながらも、ほっと一息つく大切な時間。お菓子にまつわる数々の物語、そして思いがけない誕生のドラマを、15代ヘンゼル(瀬戸康史)と魔法のかまど(キムラ緑子)がお届けします。

高村光太郎とレモンにまつわる芸術と愛の物語を、パリでの出来事を書いた「珈琲店より」や智恵子抄の詩などとともに紹介します。スタジオでは「珈琲店より」に出てくるレモンコーヒーのほか、番組オリジナルのレモンコーヒーに合うレモンスイーツなどを作ります。

出演者 【声】キムラ緑子【出演】瀬戸康史
060
057 058
009 010
008 011
スタジオでの調理や試食などと、取り上げる人物等のVでの紹介が半々、Vの方で出演させていただきます。製作会社さんからお話があり、先月、撮影クルー総勢4名の皆さんが千葉の事務所兼自宅へロケにいらして下さいました。都心からそこそこ遠いところ、申し訳なく存じました。

「珈琲店(カフヱ)より」は、明治43年(1910)4月、雑誌『趣味』に発表されたエッセイで、前年まで留学で滞在していたパリでの出来事が振り返られています。「レモンコーヒー」という語は書かれていませんが、「好きなCAFÉ AMRICANのCITRONの香ひを賞しながら室を見廻した」の一節があり、「CITRON」は「カフェ・ド・シトロン」を指すと考えられます。アメリカンコーヒーにグレナデンシロップを入れ、レモンスライスを浮かべたものだそうで。

スタジオ部分で出演、調理を担当される瀬戸康史さんは、グリム童話「ヘンゼルとグレーテル」のヘンゼル15代目という設定。キムラ緑子さんがグレーテルかと思いきやそうではなく、「魔法のかまど」。お声のみのご出演で、ヘンゼルにレシピを伝授する役どころです。お二人の軽妙な掛け合いには毎回笑わせていただいております。
016
012 013
014 015
瀬戸さんは平成27年(2015)秋から翌春にかけての連続テレビ小説「あさが来た」で、智恵子の母校・日本女子大学校の創設者、成瀬仁蔵を演じられました。光太郎は同校の依頼で成瀬の胸像を制作しています。
004
キムラさんは、平成27年(2015)までBS朝日さんで放映されていた5分間番組「いにしへ日和」のナレーションを務められていました。同番組では「#107 福島県・二本松市・智恵子の空」(平成26年=2014)、「#122 岩手県・花巻市・高村光太郎と大沢温泉」(同)の2回、光太郎智恵子に触れてくださいました。

レモンと言えば智恵子。今回の放映も10月5日の智恵子忌日「レモンの日」にちなんでのもの。そこで智恵子についても語らせていただき、手許にある詩集『智恵子抄』初版も撮影されました。ちなみにこの初版本、やはりNHKさんの歴史秘話ヒストリア 第207回 ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」(平成27年=2015)などにも「出演」。持ち主よりも活躍しています(笑)。
978bb09d c146c1df
また、昨夜放映された予告編では、バックに米津玄師さんの「lemon」が流れていました。切ないメロディーが「レモン哀歌」の世界観にぴったりだと改めて感じました。

ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

又伝へるものは優美の事もあらうし、烈しい強さの事もあらうし、愛情的魅力の事もあらうし、制し難い激越の事もあらう。


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ポール グゼル筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

ロダンが彫刻について語った一節ですが、詩の世界にも言えることのような気がします。訳した光太郎もそう感じていたのではないでしょうか。

京都の書画骨董店・新古美術わたなべさんから新しい目録が届きました。同店には、令和3年(2021)、富山県水墨美術館さんで開催され、当方もいろいろとお手伝いした「チューリップテレビ開局30周年記念「画壇の三筆」熊谷守一・高村光太郎・中川一政の世界展」の際に随分とお世話になりました。
005
光太郎の色紙揮毫が掲載されています。書かれている文言は「美ならざるなし」。「この世界には美しくないものは存在しない」「この世界の全てのものが美を包摂している」といった意味合いですね。美術評論家でもあった光太郎のポリシーを端的に表現しています。

昭和26、27年(1951、52)頃書かれた評論の題名にもなっています。その一節。

自然に醜はない。人間をも含めた自然の中に醜なるものは存在しない。悉く美である。醜は人工の中にある。
006
光太郎が好んで揮毫した文言の一つで、複数の作例が確認出来ています。おそらくすべて、ほぼ同時期のものと思われます。

花巻高村光太郎記念館さん所蔵のもの。
001
生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため再上京した後の昭和27年(1952)、雑誌の対談の会場となった料亭・紀尾井町の福田家に贈ったもの。
福田マチ
ここの女将は、光太郎が花巻郊外旧太田村で蟄居生活を送っていた頃、まったく面識がないにもかかわらず「高村先生、大変でしょう」と、大量の食糧を送ってくれました。たまたま対談の会場がその女将の店とわかり、この書を書いて持参したわけです。

もう1点。これも最近売りに出たもので、都内の美術専門古書店・えびな書店さんが扱われています。
004
以上四点、すべて色紙揮毫ですが、花巻高村光太郎記念館さんでは、色紙ではない幅のもの、さらにやはり色紙ですが、「義にして」とつけたものも所蔵しています。
a31ff816-s 204094b8-s
他の揮毫でも、平仮名の「し」をやたら長く書くのが光太郎書の一つの特徴。この「し」の書体が真贋を見極める一つのポイントです。もっとも、贋作作者もそれをわかっていて似せようとするのでしょうが。

そういう人をだまくらかそうとする人間の営みこそ「醜」ですね。

【折々のことば・光太郎】

ギリシヤの彫像には生命そのものが、脈うつ筋肉を活かし、暖めてゐるのに官学派芸術のだらしのない人形は死んで氷のやうです。


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ポール グゼル筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

アカデミズム彫刻は、「自然」を写そうとしても観察が不十分でそれが出来ておらず、「死んで氷のやう」な「人形」だと、辛辣です。

光太郎も留学からの帰朝後、日本のアカデミズム彫刻系には同様の評を下しています。

光太郎終焉の地にして記念すべき第一回連翹忌会場ともなった、中野区の中西利雄アトリエ。モダニズム建築家・山口文象の設計です。一昨年からその保存運動に取り組んでいます。

文治堂書店『とんぼ』第17号/「中西利雄アトリエを後世に残すために」企画書。
「高村光太郎ゆかりのアトリエ@中野」。
『中野・中西家と光太郎』。
中西利雄・高村光太郎アトリエを保存する会 意見交換会。
中西利雄・高村光太郎アトリエを保存する会 署名用紙。
「中野を描いた画家たちのアトリエ展Ⅱ」。
閉幕まであと4日「中野を描いた画家たちのアトリエ展Ⅱ」。
『東京新聞』TOKYO発2024年NEWSその後 1月12日掲載 高村光太郎ゆかりのアトリエ危機。
中西アトリエをめぐる文人たちの朗読会レポート。

現地保存にむけ、多くの皆さんが署名して下さったり、展示やイベントなどの関連行事にもご協力いただいたりしましたが、様々な理由で移設の方向で舵を切ることとなりました。

その後、住宅遺産トラストさんのご協力をいただけることになり、いったん解体して部材を保管し、移する方向で動いております。

そこで、関係者のみが参加しての内覧会を解体前に行うこととなり、9月26日(金)、27日(土)の2日間、ともに午後、開催いたしました。54平米の小さな建物でキャパに制約があり、申しわけありませんがクローズドでの実施とし、このブログでは告知できませんでした。

撮影してきた画像を載せます。

まず正面方向からの外観。
PXL_20250926_052207285.MP
採光のため北側に大きく作られた窓。
PXL_20250926_052155377 PXL_20250926_052145003
東側、そして南側の外観。
PXL_20250926_052242343 PXL_20250926_052253446
窓枠は北側以外はサッシに換えられています。
001
そして内部。
002
PXL_20250926_050944987.MP
二階、というか、ロフトのような空間があり、そこから俯瞰しました。右手が北側になります。右上のあたりで光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」が制作されました。
キャプション「中西アトリエにて 「乙女の像」制作風景」① キャプション「中西アトリエにて 「乙女の像」制作風景」②
ちなみに像を据えた回転台は、助手を務めた青森県出身の彫刻家・小坂圭二、さらに小坂の弟子にあたる北村洋文氏へと受け継がれ、北村氏から十和田湖観光交流センター・ぷらっとに寄贈されました。
004
003
PXL_20250926_050953545.MP PXL_20250926_051003756
ロフト部分。ここに上がったのは初めてでした。
PXL_20250926_050925703
下から見上げるとこんな感じ。
PXL_20250926_052021019
施工主の中西利雄の意向で作られた空間で、ここに弦楽アンサンブルの演奏者に入ってもらい、階下のアトリエ部分でダンスパーティーなどとという構想があったそうです。実現はしませんでしたが。

玄関脇、奥の小部屋など。
PXL_20250926_052047782 PXL_20250926_052051258
中西利雄蔵書類。
PXL_20250926_054022775
中西利雄はこのアトリエの完成直前の昭和23年(1948)に亡くなり、戦後の混乱期ゆえ、光太郎のようにアトリエを戦災失ったりした芸術家の需要があるだろうと、中西夫人が貸しアトリエとして運用することにしました。光太郎の前には、イサム・ノグチがここを使い、昭和27年(1952)から昭和31年(1956)まで光太郎。その後、画家の陶山侃に貸し出されたとのこと。

光太郎が居た間、実弟で鋳金の人間国宝・髙村豊周、その子息で写真家となった髙村規氏、当会の祖・草野心平、当会顧問であらせられた北川太一先生などをはじめ交流のあった人々が連日、ここを訪れました。「乙女の像」依頼主の津島文治青森県知事、県と光太郎を仲介した佐藤春夫、「乙女の像」を含む一帯の公園を設計した建築家・谷口吉郎、光太郎の花巻疎開に尽力した宮沢清六や佐藤隆房医師、画家の難波田龍起、写真家・田沼武能、光太郎の古い親友で陶芸家のバーナード・リーチ、伝説の道具鍛冶・千代鶴是秀、文学方面では亀井勝一郎や高見順、尾崎喜八、親友だった水野葉舟子息でのちに総務庁長官や建設大臣を歴任した水野清、芸能関係でも長岡輝子、初代水谷八重子、ラジオパーソナリティーの秋山ちえ子などなど。

そうした人々の息づかいも感じられる空間でした。

移築後の活用方法については追々考えていくとして、まずは場所。大学さん、美術館/文学館さんなど、或いは篤志の個人の方でも結構です。できれば近くであるに越したことはないのですが、離れた場所でも仕方がないでしょう。

保存会世話役の曽我貢誠氏メアドが以下の通り。save.atelier.n@gmail.com

よろしくお願い申し上げます。

【折々のことば・光太郎】

人間が自分を育てるのです。神性あるものは自然です。神とはわれわれの事です。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃

わけのわからない新興宗教の教祖様のように「我こそは神」なり、というわけではなく、全ての人間は心の中に「神」のような部分、いわば「良心」を持っていて、その声に従うことが大切だ、ということでしょうか。ある種の性善説ですね。

光太郎第二の故郷・岩手花巻で、10月5日(日)の智恵子の忌日「レモンの日」に行われるイベントです。

第2回 レモンの日イベント

期 日 : 2025年10月5日(日)
会 場 : 田舎labo 岩手県花巻市湯口字蟹沢13−1
時 間 : 11:00~16:00
料 金 : 無料

10月5日〈レモンの日〉にちなんで開催 レモンいっぱい、お楽しみに!
花巻ゆかりの彫刻家で詩人・高村光太郎氏の“レモン哀歌”にちなんで制定された、特別なレモンの記念日です。いろんなジャンルの飲食店が、いちおしのレモンメニューを持って集まります。レモン尽くしの爽やかな1日をぜひお楽しみください🍋

出店者一覧
 焼き菓子工房シャノアール (レモンビスケット・レモンケーキ他)
 バックシュトゥーべ (檸檬トルテ)
 うずら森のこよみ (レモンカード)
 志たあめや (レモンたぬきさん)
 んだばシトラス (レモネード・レモンジンジャートニック)
 スイーツ工房ヘンゼル2 (蜂蜜レモンタルト・レモンヨーグルトシフォンケーキ他)
 Cocoon BAKE (レモンパイ)
 ぱん☆d'argileさんの『デリバリーひよこ隊レモンバージョン』を数量限定販売します!
002
花巻と、附近の自治体さんにある複数のお店によるレモン系スイーツの饗宴です。

昨年
から開催が始まり、2回目の実施です。昨年は告知に気づくのが遅れ、当日になってあわててご紹介しましたが、今年は早めに(笑)。個人的には「レモンたぬきさん」が気にかかります(笑)。

ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

散歩する度び散歩は私にとつていつでも新らしい驚嘆です。都会で疲れた後などは、広大な恢復期の中に浸つてゐる様です。一切のものが悦楽です。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃

光太郎もそうでしたが、ロダンにも田舎志向があったようで……。

10月5日(日)の智恵子の忌日「レモンの日」に合わせての、毎年恒例のイベントです。

高村智恵子 レモン祭

期 日 : 2025年10月2日(木)~11月16日(日)
会 場 : 智恵子の生家/智恵子記念館 福島県二本松市油井字漆原町36
時 間 : 9:00~16:00
休 館 : 水曜 ※祝日の場合は翌日
料 金 : 大人(高校生以上)410円(360円)
      子供(小・中学生)210円(150円) (  )内団体料
      10月26日(日)は「東北文化の日」のため無料開放

普段は公開していない智恵子の生家2階の公開や、智恵子作「紙絵」の実物展示などを行います。また、智恵子の命日には生家がライトアップされます。ライトアップを堪能するとともに、智恵子への哀悼の意を表しませんか?

智恵子の生家2階公開
 公開日 10月……4(土)-5(日)、11(土)-13(月・祝)18(土)-19(日)、25(土)-26(日)
     11月……1(土)-3(月・祝)、8(土)-9(日)、15(土)-16(日)
      10月25日(土)午前は「紙絵コンクール」表彰式典のため公開一時中止の場合有

 奇跡といわれる智恵子の「紙絵」実物展示
  展示期間 10月2日(木)~10月19日(日)
  展示場所 智恵子記念館内

 蘇る智恵子season3~生家のライトアップ~
  実施日時 10月5日(日) 11月16日(日) 午後5時~8時

 智恵子を偲ぶ折り鶴展~展示編~
  今春開催した“生誕祭”にて作製いただいた皆さまの折り鶴を展示いたします。
  生家ライトアップ時の演出も含めぜひお楽しみください。
  展示期間 10月2日(木)~11月16日(日)
  展示場所 智恵子の生家 奥座敷

 「チヱのレモン菓子屋さん」オープン
  市内菓子店より、レモンを使用した菓子等を集めて販売いたします。
  美しい庭園を眺めながら、ぜひご賞味下さい。
  実施日時 【1期】10月…10(金)-12(日)
       【2期】11月…1(土)-3(月・祝)
  実施場所 智恵子の生家 縁側 他
002
生家ライトアップは一昨年から始まりました。フライヤーの画像は昨年のものと思われます。昨年は地元紙で取り上げられています。

フライヤーといえば、ゆるキャラ・ちえこちゃんが印刷されています。一時期お休みしていましたが、今年、復活を果たしました。「気まぐれに登場」だそうで出没日時等不明ですが(笑)。

折り鶴の中には当方の作った一羽もあるはずです(笑)。

そして例年通りの智恵子生家2階部分の特別公開(通常非公開)、智恵子紙絵の実物展示(通常は複製展示)も企画されています。

ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

心は敏捷である事を要しません。のろい事はあらゆる意味に於いて思慮を意味します。


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃

創造には「のろさ=気の長さ」も必要だそうで。短気な当方には耳の痛い言葉です(笑)。

昨日は埼玉県東松山市に行っておりました。クローズドの講座なのでこのブログにての告知は致しませんでしたが、同市の生涯学習的施設な「きらめき市民大学」さんで、「高村光太郎と東松山」と題しての約90分間の講義をさせていただきました。
PXL_20250924_005244229
基本、シニアの方々が対象で、令和元年(2019)から年に一回、講師を務めております。生徒さんが毎年代わるので、ほぼ同じ内容で話を進めることができ、楽させていただいております(笑)。

ちなみに今年度の予定表。他自治体等で同様の事業を担当されている方など、ご参考までに。
001
前半は光太郎という人物の人となり、その生涯をダイジェストで、後半が本題で、同市の元教育長にして戦時中から光太郎と交流がおありだった故・田口弘氏や、光太郎・田口氏と交流のあった彫刻家・高田博厚の関係から、同市に残る光太郎関連のモニュメントや寄贈資料について。

毎年千葉の自宅兼事務所から愛車を駆ってお邪魔していますが、途中、高速道路などで渋滞だの通行止めだのが発生するといけないので、早めに出ます。おおむね何事もなく早めに着け、時間が余りますので、昨日は東武東上線高坂駅前から延びる高田博厚作品をずらっと並べた彫刻プロムナードに立ち寄り、高田作の光太郎像にごあいさつ。光太郎と高田のみ魂に「今年もお二人についてくっちゃべらせていただきます」。
PXL_20250924_002834521 PXL_20250924_002856630
その甲斐あってか(笑)、講義の方は無事終えることができました。

終了後、職員の方から高田、そして彫刻プロムナード関連のさまざまなイベントのフライヤーをいただきました。

まず市が主催のもの。

ひがしまつやまアートマルシェin高坂彫刻プロムナード

期 日 : 2025年9月28日(日)
会 場 : 中通公園 埼玉県東松山市本宿2-24
時 間 : 10:00~15:00
料 金 : 無料

 東松山市では、毎年高坂彫刻プロムナードでアートイベントを開催しています。
 今回は、昨年度までのアートフェスタから、よりプロムナードの彫刻作品と芸術にフォーカスしたイベントにリニューアル。 ポスターデザインは、東松山市應援團員の絵子猫さんにご協力いただきました。
 彫刻に触れて楽しむ講演・彫刻鑑賞会をはじめ、アートワークショップ、プロムナードクイズ、軽食販売のほか、市内の彫刻作品を巡る謎解きイベントもスタートします!
 ぜひ足をお運びください。
 (ステージイベント、歩行者天国はありません。)
002
003
同市ご在住のイラストレーター・絵子猫さんを引っぱり出してのワークショップなど。

その関連行事的な位置づけのような講演会も。

聴いて、触れて、楽しめる 講演・彫刻鑑賞会 彫刻の “いのち” ―触覚に感応する芸術の秘密―

期 日 : 2025年9月28日(日)
会 場 : 講演会(集合) 高坂図書館(東松山市元宿2-6-1)
      彫刻鑑賞(解散) 高坂彫刻プロムナード(東武東上線高坂駅西口駅前通り)
時 間 : 講演会 午前10時30分から11時30分まで
      彫刻鑑賞 午前11時30分から正午まで(徒歩移動含む)
料 金 : 無料
講 師 : 立正大学仏教学部 秋田貴廣教授

 東松山市では、毎年高坂彫刻プロムナードでアートイベントを開催しています。
 今回は、昨年度までのアートフェスタから、よりプロムナードの彫刻作品と芸術にフォーカスしたイベント「アートマルシェ」にリニューアル。その関連企画として、「聴いて、触れて、楽しめる 講演・彫刻鑑賞会」を開催します。
 高坂図書館で彫刻に触れる魅力についての講演の後、高坂彫刻プロムナードに移動して、実際に彫刻作品を触って鑑賞していただきます。
 「触れる」ことで増す彫刻の魅力に迫ります!この機会にぜひご参加ください。
004
さらに、「高田博厚と遊ぼう会」さんという地元の市民団体の主催で、同日。

高坂彫刻プロムナード活性化プロジェクト 『博厚(ひろあつ)フェス』

期 日 : 2025年9月28日(日)
会 場 : カトル・セゾン/ぼくのみそらーめん駐車場 埼玉県東松山市元宿2丁目21-9
時 間 : 10:00~15:00
料 金 : 無料

私達は高坂駅の西口にある高坂彫刻プロムナードを中心に活性化を推進しています。高坂地区や比企丘陵地元産の商品などのマルシェやワークショップを開催していきます。これから皆さまと楽しい高坂の街の活性化をご一緒しましょう。是非ご参加ください。

005
006
最後に、こちらのみ少し先の話ですが、ついでに。

彫刻家 高田博厚展2025 ―Vitrail(ヴィトロー)―「窓」から見る高田博厚

期 日 : 2025年10月22日(水)~11月13日(木)
会 場 : 東松山市総合会館1階多目的室 埼玉県東松山市松葉町1-2-3
時 間 : 午前9時から午後5時まで
休 館 : 期間中無休
料 金 : 無料

 東松山市では、日本を代表する彫刻家である高田博厚氏のアトリエに残されていた彫刻作品や絵画等を2017年にご遺族から寄贈を受けて以来、顕彰事業として展示会や講演会を毎年開催しています。
 ぜひこの機会に彫刻家 高田博厚の世界をご堪能ください。

見どころ:イザベル・ルオー作のステンドグラス初公開!
 高田は、画家でありステンドグラス作家のジョルジュ・ルオー(父)とイザベル・ルオー(娘)親子と親交があったことから、イザベル・ルオー作のステンドグラスを贈られました。高田はそれを晩年制作に打ち込んだ鎌倉市のアトリエに設置していましたが、アトリエが解体される際に、ご遺族から東松山市へステンドグラスを寄贈いただき、この度初公開する運びとなりました。
007
008
関連行事として、コンサートやステンドグラス制作のワークショップが企画されています。

それぞれぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

強いものを到る処に置くので必要な休息がありません。此の誤は管弦楽が休み無しに「フォルチツシモ」をやる誤と同等です。


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃

めりはりをつけずにゴテゴテした同時代の建築についての発言の一節です。ちなみに「めりはり」は元々邦楽の用語で、「めり」は西洋音楽におけるピアノ、「はり」は同じくフォルテです。どんなに美しいメロディーでも最初から最後までフォルティッシモで演奏されてはたまりませんね(笑)。

この一節はノートルダム大聖堂で語られた言葉で、ここにはきちんとめりはりがある、という流れです。彫刻にもそれが必要、というのが裏側に暗示されているのでしょう。

先月のNHKEテレさんの「アートシーン」でも紹介された、新宿の東京オペラシティアートギャラリーさんで開催中の「難波田龍起」展につき、『朝日新聞』さんが9月16日(火)付夕刊で、光太郎に触れつつ大きく取り上げました。

(美の履歴書:913)「生の記録3」 難波田龍起 燃える青、たちのぼるのは

 難波田(なんばた)作品に特徴的な垂直の線ももはや消え、青のモノクロームの濃淡だけがモヤモヤ漂う。細い筆で点を置いていくように丹念に描かれた筆跡は、密集し拡散する無数の粒子のようだ。「気の遠くなるような行為の集積に、人間の息づかいや念がこもっている」と、東京オペラシティアートギャラリーの福士理シニア・キュレーターは言う。
 この「粒子」感は、若き日の難波田龍起(たつおき)が薫陶を受けた高村光太郎に由来する。詩人で彫刻家の高村は、絵画は視覚だけでなく触覚との結びつきが肝要だと語った。それは画面を触って感じられる画材の質感とは異なり、あくまでイメージとしてたちののってくるマチエール(絵肌)だ。
 高村はもう一つ、芸術には「生命の戦慄」が必須だとも教えた。
命や人間性を重んじる思想と、キュビスム由来の幾何学的抽象の冷たさとの矛盾に悩んだ難波田。やがて、1950年代後半に日本に入ってきたアンフォルメルの「熱い抽象」とも呼ばれるエネルギーに活路を見いだす。
 難波田は、モネの晩年の傑作「睡蓮(すいれん)」をアンフォルメルの先例とみなしていた。88歳で訪れたパリ・オランジュリー美術館の「睡蓮の間」に触発され、帰国後すぐに描き始めたのが、画業最大にして全4点の「生の記録」だ。
 絵画の物質性に頼り切ることなく、自らの精神によって生命を表現する。その実践の集大成は、まさに難波田自身の「生の記録」でもあった。
 同時に、「龍起個人や人間の存在を越えて、宇宙や生命現象の始まり、劫初(ごうしょ)の光を感じる」と福士さん。
 「難波田ブルー」とも呼ばれる青が、銀河の奥で燃える炎のように見えてくる。

003
美の履歴書 913
・名前 生の記録3
・生年 1994年
・体格 舘162.1㌢×横390.9㌢
・生みの親 難波田龍起(1905~97)
・親の経歴 
 北海道・旭川に生まれ、翌年東京へ転居。19歳の頃、隣家に住む高村光太郎を自作の詩を携えて訪ね、以後親交を持つ。高村の勧めで太平洋画会研究所に学ぶがなじめず退所する。初期はギリシャ彫刻や仏像などのモチーフを描いていたが、戦後に抽象へ移行。欧米のアンフォルメルや抽象表現主義の影響を受けつつ、独自の抽象表現を探求した。
・日本にいる兄弟姉妹 東京・世田谷美術館、東京国立近代美術館などに。
・見どころ004
 ❶3枚のパネルを連ねた巨大な画面を埋める緻密(ちみつ)な筆致が、88歳の覇気を物語る。
 ❷青の濃淡や明暗が白っぽい筋をつくる。隣に展示されている、黄色が基調の「生の記録4」と比べても、より繊細な表現だ。

▽「難波田龍起」展は、東京オペラシティアートギャラリーさで10月2日まで。祝日をのぞく月曜と9月16日休館。日本の抽象絵画のパイオニアとして知られるの生誕120年にあわせた、約四半世紀ぶりの回顧展。写真は「昇天」(1976年)。問い合わせはハローダイヤル(050・5541・8600)


ついでですので、光太郎が難波田について描いた文章もご紹介しておきます。

まず昭和17年(1942)、銀座の青樹社で開催された難波田の第一回個展の目録に載った文章。

   難波田龍起の作品について

 難波田龍起君の芸術の中核はその内面性にあるやうに思はれる。初期の頃一時ルドンに熱中してゐた事があつたが、あの魂の共感はいろいろの形で其後にもあらはれてゐる。種々の段階を通つて進んで来たが、ギリシヤの発見以来同君の芸術は急速に或る結成の方向を取つたやうに見える。それはやはり同君の内面的映像への求心性が然らしめたものと推察する。それ故同君の構想には人に知られぬ内面の必然性があつて、互に連絡し交叉しあつてゐる。此の点を見のがしては、今後に於ても同君の芸術の魅力は領解不十分となるであらう。画面上の技術にも珍しく緻密な用意がある。かういふ特質ある画家を十分に育て上げるやうな文化的環境が是非欲しい。同君の未来に私はわれわれ民族の内面形象を大に期待する。


続いて、昭和28年(1953)、やはり難波田の個展の際、会場に置かれた「感想帖」に鉛筆で書き込まれた言葉。

 昔ながらに色がいいと思つた。ギリシヤ時代のあの色がここにも生きてゐて愉快に思つた。Peintureではイロが第一の門だと今でもおもふ。

双方に出てくる「ギリシヤ」云々は、難波田が光太郎のアトリエでギリシャ彫刻の写真などを見せられてその精神性に惹かれ、モチーフとしていたことを指します。まだ抽象画に移行する前の話です。

それにしても、短文であっても本質をずばりと捉える光太郎の評には相変わらず舌を巻かされます。

東京オペラシティアートギャラリーさんでの「難波田龍起」展、10月2日(木)までの開催です。まだ足を運ばれていない方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

世界は美しいもので満ちて居ます。それの見える人、眼でばかりで無く、叡智でそれの見える人が実に少ない!


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃

難波田は叡智で美を見られる少数派の一人だったのでしょう。

光太郎、のちに頼まれて色紙などに揮毫する際、「美しきもの満つ」とか「世界はうつくし」と書くことが多くありました。その元ネタがこの一節だったようです。
005

神奈川県伊勢原市の雨降山大山寺さん。こちらでは、光太郎の父・光雲の手になる秘仏・三面大黒天立像の特別御開帳が今年3月から6月にかけて行われましたが、それが好評だったということで、第二弾だそうです。

大山寺開山一二七〇年記念 秘仏ご開帳《第二弾》

期 日 : 2025年9月28日(日)~12月8日(月)
会 場 : 雨降山大山寺 神奈川県伊勢原市大山724
時 間 : 08:45~17:00
料 金 : 500円

大山寺にて去る6月1日まで開催されていた特別開帳ですが、ご好評につき再度実施することとなりました。
以下の三体の秘仏大黒天がご開帳となります。この機会にぜひご覧ください。

 ・三面大黒天像(古伝様)初公開
 ・大黒天像(作:後藤斎宮)
 ・三面大黒天像(作:高村光雲)
003
5月に春のご開帳拝観して参りました。その際は、愛染明王像と、光太郎の父・光雲作の三面大黒天像の特別公開でした。
005 004
像そのものは撮影不可でしたが、おおむね右上画像の御朱印のようなお姿で、像高数十㌢ながらとてもお見事でした。

今回は更に他の三面大黒天像二尊も開帳され、三尊そろい踏みだそうです。後藤斎宮という彫り師は存じませんでしたが、現在も続く鎌倉彫の博古堂さん(鶴ヶ岡八幡さんの目の前)の初代だそうです。

11月頃になると紅葉が見頃で、それはそれでいいのでしょうが、かえって混雑も予想されます。早いうちに行ってしまうのも一つの手でしょう。

【折々のことば・光太郎】

……万物を凝視する事、及びそれに美を感じる事、其処に幸福がある。どうして其以上望めませう!


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃

「ですよね!」という、翻訳者光太郎の声も聞こえてきそうです。

光太郎は職人気質の光雲とは違う方向に進み、光雲のやり方を否定する部分もありました。しかし、時には光雲の語る内容にロダンの言葉と共通する点を見つけて感心するなど、光雲に対する認識はかなり複雑でした。

光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)由来の語を冠したイベントを二つ。まぁ、それぞれ話の枕やタイトルに使われている程度で、本題としては光太郎智恵子にあまり関わらないとは存じますが。

まずは公開講座です。

2025年度 東京都立大学プレミアム・カレッジ 公開イベント「都市のヒートアイランド現象はなぜ起こるのか? ―智恵子は東京に空が無いといふ―」

期 日 : 2025年9月27日(土) 
会 場 : 東京都立大学南大沢キャンパス 京王相模原線「南大沢」駅改札口より徒歩5分
時 間 : 13:15~14:15
配 信 : 10/14(火)~11/25(火)
料 金 : 無料・事前申込制
講 師 : 特任教授 高橋日出男

都市の表面は、コンクリートで覆われ、そしてたくさんの中高層建築物が建ち並んでいます。このような人工的環境が都市のヒートアイランド現象を発生させる仕組みを、熱・エネルギーの収支(出入り)や大気の立体構造から考えます。智恵子抄の中で、智恵子は東京に空が無いといっていますが、建築物で空が見えないことも要因の一つです。

004

対面方式の方は申し込みが終わっていまして(もしかするとキャンセル等あるかもしれませんが)、オンデマンド配信をご選択下さい。

続いて智恵子の故郷、福島二本松から演奏会情報です。

音を通した楽しいふれあい ほんとの空ふれあい音楽祭

期 日 : 2025年9月27日(土)
会 場 : 安達文化ホール 福島県二本松市油井字濡石1-2
時 間 : 13:00~
料 金 : 無料

障がいがある方の芸術・文化活動を通じて、障がい者、介護者および市民の皆さんに、より一層の交流を深めていただくため、音楽祭を開催します。

各団体によるステージ発表や、福島県警音楽隊による演奏のほか、各障がい者施設の活動展示、お菓子や木工製品等の自主製品販売を行います。

手話通訳があります。


003
それぞれ、ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

公衆は天才といふものは本来の意味の芸術にしか存在しないものだと思つてゐます。自分の家をよく整理する女、自分の子供を育てる母、其を人間に作り上げる母、此等も天才を持つてゐるのです。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃

「天才」というのは限定された分野のみのものではなく、各家庭にも存在するのだ、と、いうわけで。着眼点はいいのですが、「男」や「父」としていないあたり、突っ込みが入りそうですね。

紹介すべき事項が山積しておりまして、4件まとめて。キーワードは「グルメ」です。

まず毎月ご紹介しています、光太郎第二の故郷・岩手花巻で主に「食」を通じて光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんの活動。花巻市のワンデイシェフの大食堂さんで、ランチタイムにやつかの森さんが調理されて饗される「こうたろうカフェ」。先月29日の分をまだご紹介していませんでした。
IMG_6114
IMG_6123
IMG_6124
IMG_6118
「ハーブのパリパリグリルチキン」「焼き茄子の香味たれ」「オクラと卵の寒天寄せ」「じゃが芋とトマトのバター煮」「サーモンサラダ」「季節の漬物」「ご飯」「モロヘイヤのスープ」「スフレフロマージュ」「コーヒー」。

ワンデイシェフの大食堂さんは、キッチンを貸し出し、日替わりで個人や団体が調理を担当し、ランチを出すというシステム。やつかの森さんは光太郎の日記等を元に、光太郎が調理したメニュー、使った食材などを参考にされています。今月はやつかの森さんとしてはお休みだそうです。

やつかの森さんによる同様のメニューの組み方で、毎月15日に道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント・ミレットキッチン花(フラワー)さんで販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」9月15日(月)分。
1757905713144
1757905713153
1757905713156
こちらは「南瓜コロッケ」「鮭の塩焼き」「豚肉と茸のソテー」「卵焼き」「栗ご飯」「おはぎ」「漬物」「ぶどう」。秋の味覚がたっぷりですね。

同じくグルメ系ということで、智恵子の故郷・福島二本松でも。

二本松市内の旧安達町区域の給食のメニューが同一で、年に数回、各学校さんからのメニューの考案を元に組まれ、そのうちの一つが智恵子の母校・油井小学校さんによる「ほんとの空給食」で、以前にも何度かご紹介しました。で、9月16日(火)がそれだったそうです。
014
油井小さんのサイトによれば「給食委員会が選んだメニューを、給食センターで栄養バランスを考えて献立にしてくださいました。わかめご飯、ワンタンスープ、鶏肉のからあげ、春雨サラダ、サワーゼリー、牛乳。どれも子どもたちの大好きなメニューです。もりもり食べる1年生教室と6年生教室にお邪魔しました。みんな笑顔で食べていました。」とのこと。

各校・各学級でなぜ「ほんとの空」のネーミングなのか、子供達に語っていただきたいところですね。

最後にやはり二本松から。地元紙『福島民友』さん、9月16日(火)の記事です。

高村智恵子や鬼婆イメージ!ドリップコーヒー 福島・二本松、パッケージ5種類

 道の駅安達を運営する福島県の二本松市振興公社は、同市出身の美術家高村智恵子や安達ケ原の鬼婆(おにばば)伝説をイメージしたドリップコーヒーを販売している。
 智恵子と折り鶴、花をあしらったものや「ROUTE4 ADACHI」の文字、オニババと出刃包丁のイラストなどパッケージは計5種類。飲みやすいブレンドコーヒーでお土産に人気という。
 1個230円、3個は650円、5個は1000円で販売中。5個がピッタリ入る6種類の特製紙袋(各100円)も用意している。道の駅安達上下線のほか、オニババ3種は安達ケ原ふるさと村で購入できる。
019
「鬼婆」は智恵子生家と同じ旧安達町内の観世寺さんに伝わる鬼婆伝説に基づきます。なぜコーヒーなんだ?と突っ込みたくなりますが(笑)。

鬼婆はともかく、智恵子コーヒーは次に二本松に行った際にゲットしようと思っております。

「食」は生命を支える基本。それを通して光太郎智恵子に触れることも大切ですね(無理くりのまとめですが(笑))。

【折々のことば・光太郎】

――恋愛こそ生命の花です。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃

「恋多き」人だったロダンにとっては「食」よりも「恋」だったようです。

昨日は1週間ぶりに上京しておりました。行き先は品川区大井町にある、ジオラマ作家の石井彰英氏の工房兼スタジオ(氏はミュージシャンでもあらせられますので)。昨日もご紹介した、土屋直久氏と石井氏が作成され、高村光太郎記念館さんで開催中の企画展「昔なつかし花巻駅」で展示されている昭和10年代の花巻駅付近のジオラマの関係です。

石井氏はこれまでもジオラマ作成と並行してジオラマをビデオで撮影し、DVDも制作なさっています。

品川区大井町-智恵子終焉の地・ゼームス坂病院を含む-のジオラマDVD
「高村光太郎ジオラマDVD」。
「高村光太郎ジオラマDVD」上映会。
中原中也ジオラマDVD ダダさん。

今回もDVD制作をなさり、昨日はその上映会というわけで、馳せ参じた次第です。
549765374_1479723829718941_8634256815288092057_n
PXL_20250919_053808546.MP
石井氏、土屋氏以外に集まられたのは、DVDのBGMを演奏された石井氏の音楽仲間の皆さんや、これまでのジオラマの関連で石井氏と親しくなられた方々。
001
おおむね40分程の映像です。
002
光太郎第二の故郷・花巻の玄関口、花巻駅周辺。展示されているジオラマ本体には無い建造物等も、これ用に作成されているようです。
014 015
004 006
007 008
011 016
先週行われた「花巻まつり」も。昭和10年代という設定ですので、宮沢賢治やその妹・トシは既に亡くなっていますが、二人の魂が祭りを堪能しているというわけで。
019 021
現在のJR釜石線にあたる岩手軽便鉄道がメインですので、花巻の東、遠野方面も。
024 028
029 030
031 033
さらに古写真や現在の現地の写真。
034 035
最後に制作日誌。
036
2年以上かかっての制作、実に頭が下がります。

花巻高村光太郎記念館さんでの企画展示は11月30日(日)まで。おそらく記念館さんでDVDの販売も為されているかと存じます。

また、今回、あまり協力しなかったにもかかわらず、8枚ばかりいただいてしまいました。数枚は花巻のお世話になっている方々に送ろうと考えていますが、まだ残りそうなのでご連絡いただければお送りします。大口のご注文等は、石井氏まで。

【折々のことば・光太郎】

あなたは頭がどういふ様に頸に嵌り込んでゐるかを注意しなかつた。あなたはモデルを顎の下から見ませんでしたね。


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃

女弟子の一人が製作を見て貰ひに来た時」という小題が付いた部分の一節です。「女弟子」はカミーユ・クローデルかもしれません。

頭は頭、胴体は胴体、ではなく、部分部分の繋がりが大切、と、当たり前と言えば当たり前ですが、造型芸術ではなかなかそれがうまく出来にくいのでしょう。

今日はこれから上京します。現在、高村光太郎記念館さんでの企画展「昔なつかし花巻駅」で展示されている昭和10年代の花巻駅付近のジオラマを作成したお一人、石井彰英氏の工房にお邪魔する予定です。

石井氏、ジオラマを制作された後は、ビデオカメラで作品を撮影し、DVD化することをルーティンとされており、その完成記念に、メインで制作された土屋直久氏、その他協力者を招いての上映会だそうで、当方も招かれました。今回はほとんど協力もして居らず恐縮なのですが。

企画展「昔なつかし花巻駅」、少し前に地元紙『岩手日日』さん、NHKさんのローカルニュースで取り上げられましたが、地元テレビ局IBC岩手放送さんのニュースでも紹介されました。

昭和11年に撮影された記録映画をもとに、当時の花巻駅周辺を表現 精巧なジオラマ公開 岩手・花巻

昭和11年7月に作られた記録映画をもとに製作された、昭和初期の花巻駅周辺を情景として表現したジオラマが岩手県花巻市で公開されています。
004
このジオラマは昭和初期の花巻駅やまちの雰囲気を感じてもらおうと、高村光太郎記念館が企画、東京の土屋直久さんに依頼して製作されたものです。
高村光太郎記念会の初代会長である佐藤孝房さんが昭和11年に撮影した、岩手軽便鉄道の記録映画に残る花巻駅周辺の街並みを表現しました。
005
 ジオラマのサイズはヨコ180センチ、タテ60センチとかなりの大きさ。
当時の花巻駅は岩手軽便鉄道、花巻電鉄、日本国有鉄道の三路線が乗り入れ、かなりの賑わいを見せていたことがわかります。
こちらが日本国有鉄道の花巻駅。
006
 着物姿で駅の案内板に見入る親子の姿に、当時の日常が垣間見られます。

そしてこちらは岩手軽便鉄道の花巻駅。
007
 二階建ての駅舎です。2階にはレストランがありました。
外観からも、かなりハイカラな駅舎だったことが分かります。

こちらは岩手軽便鉄道の花巻駅構内。
008
停車している蒸気機関車のすぐ近くには給水塔と石炭台があります。
ここで水と石炭を補給し、列車は終着駅の仙人峠を目指しました。

こちらは、駅前にあったタクシー会社。
012
 レトロな車の形状が、今見ると逆にオシャレでカッコ良いです。

会場では、モニターで昭和11年7月に撮影された記録映画を見ることもできます。
009
そこに映し出された当時の人々の姿や表情を見るだけでも、ここを訪れる価値があります。
(筆者は終点の仙人峠駅に「駕籠かき」の姿が映っていることに驚きました)
010

高村光太郎記念会事務局の高橋卓也事務局長補佐は「電気鉄道(花巻電鉄)を含めた3路線が乗り入れている駅は、当時は非常に珍しかった。是非、花巻駅の当時の賑わいを感じて欲しい」と話していました。
011
 このジオラマと記録映画は11月30日(日)まで、花巻市の高村光太郎記念館で公開されています。

石井氏工房でのDVD上映、9月23日(火・祝)に一般向けにも開催されるそうです。ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

確かに、のろいといふ事は一つの美です。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃

〆切に追われる仕事では、いいものは作れない、と。わかっていながらなかなかできないのですが(笑)。

千葉市の千葉県立美術館さんによる「移動美術館」。おおむね年に1回開催されているようですが、ほぼ毎回、光太郎のブロンズを展示して下さっています。光太郎と千葉は少なからず縁がある関係もあるのでしょう、同館、いずれも新しい鋳造ながら光太郎ブロンズを8点収蔵しており、その中からのセレクトです。

昨年、香取郡多古町での第48回展「田んぼの美」が開催され、光太郎作品は代表作の一つ「手」(大正7年=1918)が出ましたが、今回も「手」が並びます。

第49回千葉県移動美術館 成田と千葉県立美術館にまつわる5つの物語

期 日 : 2025年9月20日(土)~10月13日(月)
会 場 : 成田市文化芸術センター なごみの米屋スカイタウンギャラリー
      千葉県成田市花崎町 828-11
時 間 : 10:00~17:00
休 館 : 月曜日 ※10/13は開館
料 金 : 無料

千葉県移動美術館は、千葉県立美術館が所蔵する作品をより多くの県民の皆さまにご鑑賞いただくために、県内市町村と協力し文化施設等を会場として開催している展覧会です。成田市では、これまで過去4回開催しており、今回の第49回移動美術館は5回目の開催となります。本展では、三里塚を詩に歌った高村光太郎による彫刻作品《手》や、成田空港にちなみ、板倉鼎や鶴田吾郎をはじめ海外を旅した画家たちの風景画からみる「異国への旅」など、成田市と千葉県立美術館にまつわる5つのセクションで、それぞれのテーマに合わせたコレクションを約50点ご紹介いたします。また成田市ゆかりの作家、篠﨑輝夫を特集いたします。

美術館をとびだして、成田にやってきたコレクションたちに是非会いに来てください!
015
016
関連事業 *いずれも事前申込不要。当日会場にお集まりください。

 千葉県立美術館館長による講演会「ケンビを知る、楽しむ」
  日 時 : 9月20日(土)14時〜15時30分
  会 場 : なごみの米屋スカイタウンホール
  講 師 : 貝塚健
 千葉県立美術館担当学芸員によるギャラリートーク
  日 時 : 10月5日(土)13時〜、15時〜 各回40分程度
  会 場 : なごみの米屋スカイタウンギャラリー

同じ会場で、令和2年(2020)の第44回展も開催され、その際は光太郎ブロンズ「裸婦坐像」(大正6年=1917)が展示されました。それ以来、5年ぶりですね。入場無料での開催というあたり、非常に良心的です。

ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

細部のない単純化は貧弱しか与へません。細部は、組織の中をめぐる血です。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃
017

光太郎の「手」も、甲の側の浮き出た骨や血管など、細部にこだわって作られています。

ただ、細部にばかり力点を置いて、全体のバランスなどが無茶苦茶になっては本末転倒。そういうことが起こりえないのがロダンや光太郎の作る彫刻のすばらしさの一つです。


竹橋の東京国立近代美術館さんで開催され,光太郎著書なども展示されている「コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ」について。

まずテレビ放映の情報です。

日曜美術館 戦後80年 戦争画と向きあう

NHK Eテレ 2025年9月21日(日) 9:00~9:45  再放送 9月28日(日)  20:00~20:45

戦時中、軍の依頼を受け、画家・藤田嗣治や宮本三郎らが描いた「戦争記録画」。当時、国民の戦意昂揚を図るため描かれたそれらの作品と、今どのように向きあえばいいのか?

戦後80年を機に、東京国立近代美術館では「戦争記録画」二十数点を中心とした展覧会「記録をひらく 記憶をつむぐ」が開催中だ。番組では、祖父・宮本三郎の戦争画について考え続けてきた孫の宮本陽一郎さんをゲストに迎え、展覧会企画者の同館・鈴木勝雄さんとともに、宮本や藤田嗣治らによる戦争記録画の代表作をたどり、今、私たちがそれらの作品を通じて、どのように戦争の記憶を受け継いでいくのか、対話を重ねていく。

【出演】坂本美雨 放送大学特任教授/筑波大学名誉教…宮本陽一郎 千葉工業大学教授…河田明久
014
015 016
017 018
今年は戦後80年ということでテレビ番組でもそれ系のものが多く制作されましたし、これまで同番組とセットの「アートシーン」でも取り上げられていなかったので、まるまる1回費やすかなと思っていたら、ビンゴでした。

同展については、センシティブな内容のためもあり、フライヤーもポスターも図録も制作されていません。その点が却って話題を呼ぶという逆転現象が起きています。

新聞各紙でも取り上げています(どうもある御用新聞は無視しているようですが)。ただ、多くは通常の取り上げ方。そんな中で、『東京新聞』さんは、かなり突っ込んだ紹介をしています。

見開き2ページで少し長いのですが、全文を。

東近美 最大規模の展示でもPR及び腰 戦争画は「センセーショナル」? GHQ接収、なお「貸与」状態 揺れる歴史認識 反発避けた? 派手にあおると「文脈見失う恐れ」

 東京国立近代美術館(東京都千代田区)が、現在開催中の展覧会で宣伝をほぼしないという異例の対応を取っている。展示の中心となるのは、戦時中に旧日本軍の委嘱などにより描かれた「戦争画」。これまで公開の機会が限られ、まとまって展示される機会は貴重なはずだがなぜか。経緯を追った。

ちらしもポスターもなし 来館者「もったいない」
 8月末、「こちら特報部」は展示会場を訪れた。
 マレー半島の浜辺を這(は)って敵陣の鉄条網を突破しようとする日本兵らを描いた「コタ・バル」(中村研一、1942年)や、日本軍守備隊が全滅した戦いを死闘図として描いた「アッツ島玉砕」(藤田嗣治、1943年)。激しい戦闘や果敢な日本兵の姿を題材にした大型絵画の数々が目を引く。戦時中、戦意高揚や戦争の記録のためにつくられた戦争画だ。東近美が管理する153点の戦争画のうち、過去最大規模となる延べ24点が10月26日まで公開される。
   当時のポスターや出版物などをそろえ、メディア環境も再現する。戦後の美術作品や、市民が被爆体験を描いた絵画も並ぶ。東近美は戦後80年を節目に、「美術が戦争をどのように伝えてきたかを検証する」企画だと説明するが――。
 実は今回、東近美は展覧会のちらしやポスターを作っていない。開催を知る方法は、同美術館のウェブサイトやメディアの記事に限られる。図録も作成されていない。
 さらに不思議なのは展覧会のタイトル。「コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ」と、戦争との関連性がわからない。会場のあいさつ文では「戦争体験を持たない世代がどのように過去に向き合うことができるかが問われている」と掲げるが、なぜ目立たない形で開催するのか。
  東近美側に意図を尋ねると、繰り返したのは「センセーショナルな宣伝をしたくなかった」との言葉だった。広報担当者は「美術館は歴史認識を問う立場ではなく、展示で戦争を扱うときはより丁寧な説明が必要。展示の文脈の意図と異なる切り取られ方をし、言葉が独り歩きすることは避けないといけない」と話す。
 当初は企業などとの共催を検討したが、集客のため「キャッチーな宣伝文句」を使われる恐れがあるとし、館単独で開催する自主展を選択したと説明。予算が限られ、他館からの作品輸送費などを優先し、ちらしや図録制作を断念したという。
 だが、実際に会場に足を運ぶと、幅広い年齢層の美術ファンや外国人旅行客で混雑し、「通常の自主展より多い」(広報担当者)というほど盛況。来場者に感想を聞いた。
   新聞記事で展示を知った大田区のパート女性(64)は「タイトルを見て地味な内容かと思っていたら、貴重な作品ばかり。こんなに迫力と見応えがあるのに、宣伝されないのはもったいない」と残念がる。「当時の人が戦争画に引き込まれた気持ちは分かる気がする」
 三鷹市の西本企良(きよし)さん(74)は「戦前からベトナム戦争まで扱い、アジア諸国への加害にも踏み込み、解説を含めて期待以上に深い内容だった」と驚く。「当時の日本人が戦争賛美に熱狂したことを知り、反省することは大事。もっと多くの人に絵を見てもらえるようにした方がいい」と注文した。

未来の「表現」考える契機「試み今後も積み重ねて」
 日本の戦争画の歴史は複雑な経過をたどってきた。 日中戦争から太平洋戦争にかけて、軍の委嘱を受けるなどし、多くの画家が戦地へ渡った。作品を発表した各地の展覧会は盛況だったとされる。終戦後、連合国軍総司令部(GHQ)が戦利品として多くの戦争画を接収。1970年にようやく「無期限貸与」の形で返還され、東近美に管理が委ねられた。
 返還後は修復を経て、1977年に同美術館で企画展が計画されたが、直前に中止に。日本に侵略されたアジア諸国や、自作だと認めたがらなかった画家らへの配慮があったなどといわれる。その後、同美術館は数点程度の展示にとどめてきた。 今回まとめて展示されたことに、一括展示の必要性を訴えてきた美術批評家の椹木野衣(さわらぎ・のい)氏は「返還後、最大規模の展示という点で画期的で、大きな前進」と捉える。
 一方、戦争画は国威発揚のプロパガンダに利用された点だけではなく、美術史の観点で捉えることも重要と説く。「描いたのは当時の日本の画壇のホープたち。日本の油彩画の歴史は浅く、歴史画や戦争画が主流の西洋美術を乗り越える千載一遇のチャンスとし、自ら進んでいった側面がある」とし、展示では「そうした歴史的位置付けはなされていない」と付け加えた。
 ようやく大規模展示に踏み切りつつ、宣伝に及び腰な東近美の姿勢に対し、美術ジャーナリストの永田晶子氏は「鑑賞者の立場に立っていない。国民の美的感性の育成も国立美術館の使命の一つだが、見てもらう積極性に欠ける」と指摘する。慎重な姿勢の背景を「歴史認識の問題が考えられる」とみる。「侵略か自衛かなどと、歴史認識は揺れている。アジア諸国の受け止めへの不安もあり、ハレーションを避けたかったのでは」 もっとも、東近美がちらし作成などをしなかった事情に予算上の問題を挙げたように、国立美術館の財政状況が厳しいのは確かだ。収入の多くを占める国の運営費交付金は、年々減少傾向にある。永田氏は「そうとはいえ、展覧会の周知が必要と考えたならある程度の予算調整はできたのではないか」と疑問視する。
 先の椹木氏は「米国からの無期限貸与の状態のままになっていることに縛られているのでは。今後、日本の『所蔵』に戻せるよう、国や米国への働きかけが必要になる」と述べた。 
 一方、戦争画に詳しい愛知県美術館長の平瀬礼太氏は、「派手であおるような宣伝は避けた方がいい」と理解を示す。宣伝や告知自体は必要としつつ、「ストーリーを作りすぎると、見る側が作品の文脈を見失う恐れがある」と強調する。
 写真と違って戦争画は場面を「創造」し、画家の戦争への関わり方も一様ではない。そのため、宣伝も展示説明も工夫が不可欠だという。「戦争の時代の美術は一つの解釈で語れるものではない。展示するからには、丁寧に背景を説明し、冷静に見てもらう仕組みが求められる」
 展示を巡る課題は多いが、現代の人々にとって戦争画と向き合う意義は何か。 ◇「戦争画は表現の多面性を教えてくれる」
 平瀬氏は「戦時下に画家がどう活動し、見る側がどう受け止めたのかを知ることは重要。これからの社会を見据えて表現はどうあるべきか、見る側も作る側も考えるきっかけになる。今回の試みを一過性のものとせず、新たな要素を加えながら積み重ねていくことが大切だ」と話す。
 永田氏は「現代美術では過去の出来事を批評的に捉え、自らの表現を生み出す作家は珍しくない」とし、こう期待した。「美術は見る人が生きている時代や社会、個人の価値観、作品が制作された歴史的背景や状況を知っているかどうかで見方が変わる。戦争画はそうした表現の多面性を教えてくれる」

デスクメモ
 冒頭の「コタ・バル」を鑑賞した太田記者は、鉄条網の合間から鋭く視線を送る日本兵と目が合い引き込まれたという。文化の力がプロパガンダに利用される普遍的な危うさを戦争画から見つめてみたい。抑制的なPRのために貴重な展示に触れる機会を失ってしまうとすれば残念だ。
012 013
識者の意見がメインですが、フライヤーや図録を作らず、宣伝も余りしていないことについての鋭い突っ込み。言いたいことはよくわかります。ただ、館側の「派手にあおると文脈見失う恐れ」という言い分も首肯できますし、キュレーター的な仕事も行っている身としては、「むべなるかな」とも「やんぬるかな」とも感じますが……。

それにしても、「自作だと認めたがらなかった画家」が居たというのは初耳でした。文学方面ではそれに近いケースは結構ありましたが、美術方面でも「ブルータス、お前もか」。それ、いったい誰だ? と、興味深いところです。

同展、10月26日(日)までの会期です。まだご覧になっていない方、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

立体的理法は物の主眼であつて外観ではありません。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃

この一節のみ、全体に傍点が附されています。クラデルの原著がそうなのか、光太郎が訳した際にそうしたのか不明ですが。

ほんとの空ツーリズム!」。光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)由来の「ほんとの空」の語を冠したイベントです。福島県全体の「ふくしまプレデスティネーションキャンペーン」を受けて、智恵子のソウルマウンテン・安達太良山とその周辺で展開されています。

その一環として、安達太良山の奥岳~沼尻縦走登山、中ノ沢温泉周辺を巡る1泊2日の、何と無料のモニターツアーだそうです。申し込み〆切は過ぎてしまっているのですが、まだ空きがあるかも知れませんし、キャンセル等も出る可能性もあり、ご紹介しておきます。

ほんとの空ツーリズム 奥岳~沼尻縦走登山&中ノ沢温泉周辺 1泊2日モニター

期 日 : 2025年9月19日(金)~9月20日(土)
行 程 :
 1日目 福島駅(集合) あだたら高原スキー場・奥岳登山口(集合)
      ↓
     薬師岳~安達太良山頂~鉄山~湯ノ花採取場~沼尻登山口
      ↓
     中ノ沢温泉
      ※公共交通機関をご利用で福島駅集合の方は、奥岳登山口まで送迎します。
      ※福島駅の駐車場利用の場合はご自身でご用意ください。
 2日目 中ノ沢温泉
      ↓
     アドベンチャーフォレストライド
      ↓
     昼食
      ↓
     中ノ沢こけし絵付け体験
      ↓
     中ノ沢温泉ホッピング
      ↓
     あだたら高原スキー場(解散) 福島駅(解散)
      ※中ノ沢温泉からあだたら高原スキー場と福島駅には、分けて送迎します。
料 金 : 無料
      行程表内移動費、宿泊代、1日目の夕食から2日目の昼食代までの食事代、
      国内旅行損害保険代は主催者にて負担します。
      ※1日目の昼食、旅程中の個人的な飲食はご自身でご用意ください。

 日本百名山の一つとして知られる安達太良山を中心としたモニターツアーを開催します!
 当ツアーでは、実際に安達太良山に登るほか、中ノ沢温泉ホッピングや中ノ沢こけし絵付け体験等、周辺エリアの魅力を知ることができます。
 10名限定となっていますので、ぜひご参加ください。
 ※詳細はチラシをご確認ください。
012
宿泊地・中ノ沢温泉さんは、安達太良山の西麓。二本松からの表玄関に当たる岳温泉さんと比べれば、足を運ぶ方は多くないと思われます。そのいわば秘湯を盛り上げようという意図が見えますね。
013
二本松では他にもこの秋に「ほんとの空」の語を冠したイベントがこの後も続きます。またそれぞれ近くなりましたらお知らせいたします。

【折々のことば・光太郎】

都会では、人間の良心が無くなります。刀や鉄砲の罪悪を犯さないとしても、頭の人殺しをしてゐます。


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃

田舎で暮らしていると、「そうそう」と思わされます。都会の皆さん、時には「ほんとの空」を見に行かれてはいかがでしょうか。

NHKさんで初回放映が平成7年(1995)に為されたドキュメンタリー番組「老友へ~83歳 彫刻家ふたり~」が、先週、「時をかけるテレビ 今こそ見たい! この1本」の中で再放送されました。ともに光太郎と交流があり、そのDNAを色濃く受け継いだ、佐藤忠良舟越保武が出演していました。事前のネット上の番組案内に光太郎の名が出ていなかったので、気づきませんでしたが、見逃し配信サービス「NHKプラス」で拝見しました。
無題 無題0
「時をかける……」としては、ナビゲーターが池上彰さん、ゲストコメンテーターが武田鉄矢さん。
無題3 無題4
「老友へ~83歳 彫刻家ふたり~」。平成7年(1995)の制作ということで、佐藤・舟越ともに存命でした。
無題21
無題5 無題6
二人とも1912年に出生。ただし、改元の関係で、佐藤は明治45年、舟越は大正元年の生まれです。結婚前の光太郎と智恵子が日比谷松本楼で氷菓を食し、千葉銚子犬吠埼に絵を描きに行った光太郎を追って智恵子も来銚、愛を確かめ合った年です。ついでに言うなら、佐藤は宮城県黒川郡大和町、舟越は岩手県二戸郡一戸町、同じみちのくの生まれです。

そして共に昭和9年(1934)に東京美術学校彫刻科に入学、卒業後には新制作派協会彫刻部創立に参加。光太郎は同会の活動には好意的で、機関誌『新制作派』に寄稿もしています。
無題8 無題9
さらに戦後には、佐藤が「群馬の人」で昭和35年(1960)、舟越は「長崎26殉教者記念像」で昭和37年(1962)に高村光太郎賞を受賞しました。
無題10 無題11
光太郎を巡る二人の共通点は、まだあります。それぞれのお嬢さん。佐藤の息女・オリエさんは昭和45年(1970)にTBS系テレビで放映された「花王愛の劇場 智恵子抄」で、智恵子役を演じられました(光太郎は故・木村功さん)。忠良はその際のオリエさんをモデルに「智恵子抄のオリエ」という作品も残しています。舟越の息女・千枝子さんは光太郎に名前を付けてもらい、光太郎に会ってもいます。

二人はお互い、良き友、そしてライバルとして切磋琢磨しながら、日本の具象彫刻を牽引していきます。
無題12 無題13
無題14 無題15
番組制作は平成7年(1995)でしたが、それに先立つ昭和62年(1987)、舟越が脳梗塞で倒れ、右半身が不自由になります。それでも舟越は不屈の精神で彫刻制作を続けました。

硬い石や木を削るカーヴィング、粘土を積み上げるモデリングはもはや不可能。ではどうするかというと、粘土の塊から左手一本でヘラを使って搔き落とすカーヴィングでの制作でした。
無題25 無題26
作られているのはキリスト像。体力的に、長時間の作業は不可能。休み休み、しかし他者の手はほとんど借りずの作業です。生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作時の光太郎もかくや、という気がしました。

一方の佐藤も、舟越に比べればまだ自由に歩き回ったりはできるものの、やはり83歳。若い時には考えられなかったような痛恨のミス。ちょうど取材中に制作していた作品が、夜のうちに回転台のサスペンダーから外れ、倒壊してしまうという不運に見舞われます。
無題24 無題23
しかしその部分を番組でカットさせなかった佐藤、素晴らしいと思いました。

かくして平成7年(1995)に新制作派展に並んだ二人の作品(佐藤は立像の出品は断念)。
無題18
改めて、その時点でのお互いへの思い。
無題20 無題19
共通の同級生だった昆野恒の展覧会での一コマ。
無題27
不覚にもうるっと来てしまいました。

佐藤にとっての舟越、舟越にとっての佐藤のような存在が、光太郎には居ませんでした。そうなるはずだった碌山荻原守衛は数え32歳で急逝。高田博厚とは14歳も差がありましたし、高田は昭和6年(1931)に渡仏、以後、光太郎が没するまで帰国しませんでした。その他の同世代の彫刻家は、光太郎の嫌ったアカデミズム系に行ってしまいました。妻・智恵子は厳しい言い方ですが、光太郎にとって「ライバル」となる技倆も、そして覚悟も足りなかったようです。

閑話休題、「時をかけるテレビ 今こそ見たい! この1本 老友へ~83歳 彫刻家ふたり~」、NHKプラスでは9月19日(金)まで視聴可能。その他、U-NEXTなどでも配信があるようです。ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

人間の体は歩く殿堂です。又、殿堂の様に、中心点を持つてゐます。其をめぐつていろいろの量が位置を占め又ひろがります。全く動く建築です。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃

佐藤も舟越も、この文章の収められた訳書『ロダンの言葉』で彫刻家としての眼を開かせられました。

光太郎詩にオリジナルの曲を付けて歌われているシャンソン系歌手・モンデンモモさん。島根県を拠点にミュージカル等に携わられることが多いのですが、ご自宅は都内で、今年は「智恵子抄」をメインにしたライブを4月5月と開催されまして、さらにまたやられるとのこと。

BOOK CAFÉ LIVE モモの智恵子抄

期 日 : 2025年9月20日(土)
会 場 : 蔵カフェ 東京都府中市宮西町4-2-1
時 間 : 15:00~
料 金 : 3,500円+カフェご注文

出 演 : モンデンモモ たしまみちを(ギター)

我地元。大国魂神社に抱かれる 蔵カフェにて シリーズが始めさせていただけることになりました。このカフェは長い文化の源です。

私の根幹であります 智恵子抄 常にお届けしてまいります 光太郎さんとの出逢いから レモンの香りに包まれる現世 そして魂になり 光太郎さんと遊び見守り智恵子さん 時代と共にその魂も遊びます 本当に素敵なカフェです あなたも蔵カフェで歴史を築かれませんか モンデンモモモモ ここで 集約して参ります お待ちしています
012
ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

のろい、考へつつする仕事や、手業。此は神来よりは美しくない様に見えます。ぱつとしない。それにも拘らず、此が芸術の総根元なのです。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃

「神来」は、神の啓示を受けたかのように、突然に達する境地。芸術とはそういうものではなく、地道な積み重ねが重要だと、ロダンも、それを訳した光太郎も考えていました。

昨日は上京しておりました。

メインの目的はコンサートの拝聴でしたが、早めに出て、まずは久々に国会図書館さんへ。
PXL_20250912_070459602
こちらのデジタルコレクション、自宅兼事務所に居ながらにして見られる資料数が飛躍的に増えているのですが、館まで足を運ばないと見られない「館内限定」データも著しく拡充されており、そのあたりの調査です。

光太郎智恵子がらみで様々なことをやっている当方ですが、ライフワーク的には彼等の書き残したものの集成。筑摩書房さんの増補版『高村光太郎全集』の平成10年(1998)に完結後も、それにもれている作品がかなり多く、高村光太郎研究会さんで年刊刊行の『高村光太郎研究』内の連載「光太郎遺珠」としてそれらを紹介しています。昨日もそれっぽいものを見つけて参りました(詳しく調べないと分かりませんが)。また、『高村光太郎全集』編纂に当たられた、当会顧問であらせられた故・北川太一先生の古い短文なども。

その後、杉並区の荻窪に。古書店を2軒廻り(収穫ゼロでしたが)、杉並公会堂さんへ。
PXL_20250912_084108926
こちらで「 POEM*CONCERTⅣ ほんとうの幸い 宮沢賢治も夢みた世界」という公演があり、それがメインの目的でした。
001
「POEM*CONCERT」と題されているように、毎回1人の詩人を取り上げて、その人物の作詞した歌曲などを演奏したり、作品の朗読を行ったりというコンセプトで、今回は宮沢賢治。直接的には光太郎には関わりませんが、これは聴いておかなけりゃ、というコンサートでした。

第一に、今冬の花巻高村光太郎記念館さんでの企画展示に向けて、現在、宮沢賢治と格闘していますので(実際に殴り合っている訳ではありません(笑))。まだ詳細は発表されていませんが、数回にわたる『宮沢賢治全集』の刊行に光太郎が大きく関わっていまして(当会の祖・草野心平も)、そのあたりに関する展示になります。関連行事として、年明けには花巻で賢治実弟・清六の令孫、宮沢和樹氏らとの公開対談も予定されています。展示の解説パネルはいったん書き上げましたが、まだ完成というわけではありませんし、とにかく賢治の世界観に触れておきたいと考えた次第です。

第二に、出演なさった二期会の黒川京子氏、清水邦子氏とのご縁。今回の招待券も黒川氏から頂きました。
004
お二人とも光太郎詩に曲が付けられた歌曲を歌われていらっしゃり、そしてこのコンサートの関係もあって、賢治の故郷・花巻を訪れてみたいということで、今年の1月31日(金)・2月1日(土)と、1泊2日で花巻をご案内いたしました。そういうわけで、やはり「これは聴いておかなけりゃ」でした。

さて、杉並公会堂さん。正面玄関を入ると、テレビモニターがあって、よくある「本日の催し」的な案内画面。それを見て、噴き出しました。
PXL_20250912_103554442.MP
「ほんとうの幸い」が「ほんとうの辛い」になっていまして(笑)。まぁ「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と賢治は言い切りましたので、「ほんとうの幸い」を実現するためには「辛い」ことも多いでしょうが(笑)。

2部構成で、プログラム的には以下の通りでした。
002
003
独唱あり、4人の歌い手さんによる混声4部合唱あり、仕掛け人のお一人・松野志保氏のレクチャーや朗読あり、最後は観客席を巻き込んでの「星めぐりの歌」大合唱(厳密には斉唱ですが(笑))と、実にバリエーションに富んだ構成で、素晴らしいと思いました。まさに黒川氏、清水氏のお二人をお連れしたイギリス海岸を題材にした「イギリス海岸の歌」も演奏されました。さすがに種山が原まではご案内できませんでしたが。

ちなみにバリトンの馬場眞二氏は、一昨年の「福成紀美子ソプラノリサイタル~作曲家 朝岡真木子とともに~」で、朝岡真木子氏ご作曲の「冬が来た」を歌われた方でした。テノールの鹿内芳仁氏は青森ご出身だそうで、MCでは歌曲の歌詞を賢治が書いた通りの南部弁で読まれたり。

終演後。
PXL_20250912_113754582.MP
この際のトークの中で、次回(来年)の予告。これまでに金子みすゞ、立原道造、中原中也、宮沢賢治と来て、何と、次回は光太郎を取り上げて下さるそうで。帰りがけ、ホワイエで清水氏、黒川氏とお話しさせていただいた中で「来年が光太郎って、聞いてなかったっすよ」と申し上げたところ「さっき決まりました」(笑)。一昨年、清水氏歌唱でリリースされた朝岡真木子氏ご作曲の「清水邦子が歌う 組曲『智惠子抄』」CD(ライナーノートを書かせていただきました)を、清水氏が松野氏らにお渡しなさったところ、「来年は高村光太郎で行こう」となったそうで。

光太郎詩に曲を付けた作品は、独唱歌曲もそれなりにたくさんありますし、今回のように4人のカルテットとすれば、これまたまあまあ数のある混声4部合唱も可能で、こりゃ楽しみだ、と思いました。ただ、光太郎自身が元々歌曲の歌詞として作詞したものはほとんど戦時歌謡系ですので、そのあたりはちょっと……という気がしますが。

そんなこんなでサプライズもあり、充実した上京となりました。関係の皆さまに感謝申し上げると共に、今後のますますのご活躍を祈念いたします。

【折々のことば・光太郎】

自然を狭義に模写する事は全く芸術の目的ではありません。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃

「「自然」に学べ」とか「「写実」が重要」とロダンは繰り返しましたが、ただそのままを写し取ることには否定的でした。自然を模写しつつも、自らの感性というフィルターを通して作品に仕上げなければならい、というわけでしょう。そのためには「誇張」もやぶさかではないと。

光太郎もその考えを自らの血肉としていました。そのため、実物そっくりに作った自在置物などのいわゆる超絶技巧系には芸術としての価値を殆ど認めませんでした。超絶技巧系大好きで少し前に起こったブームの仕掛け人だったエラいセンセイのお一人は、その点をして「光太郎が明治工芸を破壊した」と憤慨していましたが、それはお門違いというものでしょう。

昨今のちょっとした「文豪」ブームもあり、各地で「文学フリマ」系の催しが行われています。昨年は岩手盛岡で開催された「同人誌展示即売会 岩漫63」というイベントに花巻高村光太郎記念館さんが出店したりということもありました。

さて、今週末に大阪で開催される「文学フリマ大阪13」。1,233出店・1,422ブース だそうで、すごい数字ですね。

文学フリマ大阪13

期 日 : 2025年9月14日(日)
時 間 : 12:00〜17:00
料 金 : 無料

作り手が「自らが《文学》と信じるもの」を自らの手で販売する、文学作品展示即売会です。
入場無料・来場にあたっての事前予約は不要です。ぜひお越しください!
015
X(旧ツィッター)投稿で把握したのですが、「装幀室白亜」さんという方が、光太郎詩「レモン哀歌」モチーフの商品を販売されるとのこと。ありがたし。
016 017
018 019
上記主催者さんのリンクを見ますと、今後も各地で開催が続くようで。
020
これまであまり注意を払っていなかったのですが、これからは少し気にしてみます。場合によっては当会として出店するのもありかな、などという気もしています。

というわけで、とりあえず「文学フリマ大阪13」。ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

現状のままで、其の力が或は控目であつたり、或は奔放であつたりしても、原素は完全です。其を変へる事は、其を破壊することです。……修正! 修飾! かういふ偏見から「理想派」が出て来るのです。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃

「写実」の重要性を述べた箇所から。造型だけでなく、文学や舞台芸術などにも通じることだと思います。また、「修正」を否定するという意味では歴史観などにも言えることではないでしょうか。「修正主義」が大流行で、しかしそれを巻き起こしている当人達は「修正」しているという意識が希薄で自らが「正論」だと主張しているのが問題点ですが……。

光太郎の名が出た新聞記事、3件ご紹介します。

まず、『朝日新聞』さんの読者投書ページ「声」欄。8月27日(水)掲載分。21歳のお名前を見るかぎりおそらく女性の投稿です。

自由で専門的な学び、就活で困難

 大学生活といえば、社会に出る前のモラトリアム(猶予期間)と言われるが、それは昔の話だ。今の大学生の多くは、1年生から就職に向けて動くことを催促され、翌年には早くもインターンシップ。2年生の終わりには企業分析をしておかないと手遅れになるとせっつかれる。大学生活の開始から、ずっと就職活動の4文字を聞き続けている。
 3年生の私は今夏、計4社のインターンシップに参加している。その予定が先にあって、合間に自分のやりたいことを選ばざるを得ない。
 この現状に強い不満と憤りを覚えている。中学時代から高村光太郎が好きで、日本の近代文学やその研究手法を学ぼうと今の大学に進んだ。時間にとらわれず、自由に文学に触れながら、専門性の高い学問を学びたいのに、かなわない。
 大学生活を自分の思う通りに過ごしたいという願いは、決して過ぎたわがままではないはずだ。

「売り手市場」「働き手不足」と言われながら、現状はこうなのですね。いや、「売り手市場」「働き手不足」だからこそ、企業側が必死に「囲い込み」や「青田買い」に汲々としているのかも知れません。インターンシップの仕組み事態は悪いこととは思いません。入社してから「こんなはずじゃなかった」というのを少しでも防ぐことにつながるでしょうし、いわゆるブラック企業かどうかの判断材料にもなるでしょうし。しかし、投稿にあるようなそれに追われてしまう現状は、たしかにいかがなものかという気はします。そうならないように「防波堤」の役割を務めるのが大学側の責務のように感じます。

投稿者さん、忙しい毎日に流されることなく、「高村光太郎が好きで」という気持を忘れずに頑張ってほしいものです。

続いて『岩手日報』さん。昨日の掲載でやはり教育に関わる内容です。

支局日誌 【二戸】学ぶ姿勢で地域取材

 取材で小学校に足を運ぶと、大人になっても大切にするべきことはこの頃に既に教わっていたのだと、ふと気付く。また、子どもたちから気付かされることも少なくない。
 8月27日、横浜国立大教育学部付属鎌倉小(神奈川県鎌倉市)の児童が一戸町を訪れ、県指定無形民俗文化財の根反鹿踊りを体験した。保存会の大人に交じって踊っていたのは一戸南小の根反鹿踊り伝承クラブの子どもたちだ。
 「自信を持って踊れるように練習してきた」。同じ小学生の前で堂々と披露する姿からは、地域の伝統をつなぐ強い意志が感じられ、こちらまで誇らしい気持ちになる。胸を張れるようになるまで取り組むのは難しいことだ。
 一方で鎌倉小の子どもたちは地元にこのような郷土芸能はないといい、すぐに興味を示して素直に動きを倣っていた。物おじせずにチャレンジし、純粋な疑問を投げかける様子からは学ぶことへの真っすぐな意欲も感じられた。
 子どもたちの姿を見て、自分の母校の太田小(花巻市)で教わった高村光太郎の言葉を思い出した。「心はいつでも新しく 毎日何かしらを発見する」。カシオペア地域を担当してこの秋で3年目に突入する。改めて学ぶ姿勢で地域と向き合っていきたい。 

「カシオペア地域」というのは、県最北部の(二戸市、軽米町、九戸村、一戸町、旧浄法寺町)だそうです。

「心はいつでも新しく 毎日何かしらを発見する」。光太郎が7年間の蟄居生活を送った花巻郊外旧太田村の太田中学校に贈った言葉です。
012
光太郎自身、この言葉が気に入ったようで、後に盛岡少年刑務所さんには前半部分の「心はいつでも新しく」のみを贈りました。
014
記者氏の母校・太田小さんでは現在でも「光太郎先生学習」として、総合的な学習の時間に地域の偉人としての光太郎についての学習活動などが為されています。記者氏の記憶に光太郎の言葉が残っていて、こうした機会に取り上げて下さるのは嬉しいことです。

ついでですのでもう1件。『日本経済新聞』さんの8月31日(日)の記事。見開き2ページの長い記事なので、部分的に。元日銀理事の清水季子氏を紹介するものです。

元日銀理事から起業の道へ 清水季子さんは偏見を超え、未来を変える 着物愛「深川芸者の粋に憧れ」

015しみず・ときこ 東京都出身。東京大学工学部で都市工学を学び、卒業後の1987年に日銀に入行。金融市場の調節を担う部局などでキャリアを積んだ。那覇・高松・名古屋の各支店のほかロンドン駐在も経験。2020年からは女性初となる日銀理事を4年間務め、100回以上の国際会議へ世界を飛び回った。退任後は24年に豊田自動織機の取締役に就き、同年、人材開発を手がけるEmEcoを創業した。運動が趣味でゴルフや水泳を続けている。

 30代の頃は着物を買うために仕事をしていたほどの着物好き。華やかな色合いより、茶色や若草色といった渋い色が好みだ。20代の時に職場の同僚から着付けを教えてもらい習得した。
 「姉御肌できっぷがいい深川芸者の粋に憧れる」と笑い、「着物を着ると本来の自分に戻れる。穏やかに過ごせる」という。「フォーマルは着物」と決め、海外駐在中は晩さん会に呼ばれると必ず着物に袖を通した。すごく喜ばれたそうだ。
 今も月に1度は着物で人形浄瑠璃文楽や能、歌舞伎を鑑賞する(上の写真)。一番好きなのが文楽で、人形遣いで人間国宝だった吉田玉男(初代)の生前最後の舞台も観劇した。高松支店長時代には能の謡も習った。
書道で感性を研ぎ澄ます
 日銀の理事に就任した際、当時の麻生太郎財務相から達筆な書状をもらった。それをきっかけに「自分も書状で返せるようになりたい」と、それまで一度も習ったことのなかった書道を2021年から始めた。海外出張の合間に教室に熱心に通い、2年で師範となった。
 雅号は「清水景風」。最近書いた作品は高村光太郎の詩「救世観音を刻む人」から(下の写真)。今回は「ひらがなが交じった作品に挑戦したかった」という。余白のバランスを意識しながら長さ2メートルほどの半紙に30分ほどで書き上げた。表題が大きく、力強い筆致で描かれているのが印象的だ。
016
 探究心が強く、ものごとを突き詰めようとする性格も書道に向いていると感じる。「瞬間芸のような感じ。この年齢でここまで集中することはない。感性を磨き続けることも大事だ」と魅力を語る。指導者からも「書いている最中の集中力が尋常じゃない」と評された。海外で暮らす友達に自分の作品をプレゼントするといった粋な計らいも楽しみの一つになっている。
 30年来、日本のテレビドラマのファンで年間に100本は視聴する。「泣いたり笑ったり怒ったり。心が動くことが楽しい。女性エンジニアが主人公のドラマ制作に取り組もうと思い、今、脚本の勉強をしている」。その好奇心は尽きることがない。

清水氏、昨年の第46回東京書作展で入選なさっていました。ただ、入選作は光太郎詩を書かれたものではありませんでしたが。
018
割愛した部分では、日銀理事という要職を務められながらもさまざまなことにチャレンジなさっていたことが書かれていますし、ご退任後も人材開発のスタートアップ起業だそうで、実に素晴らしいと感じました。

ここで最初の『朝日新聞』さん投稿に戻りますが、投稿者の大学生の方に、「こういう女性もいらっしゃるんだよ」と伝えたいところですね。「学ぶ」意慾さえあれば、忙しさなどのおおかたの困難は乗り越えられる、ということで。そしてそのことは「自戒」ともしたいと思います。

【折々のことば・光太郎】

芸術には突飛な努力があつてはなりません。自然にさういふものは無い。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃

ロダンも光太郎も、「突飛な努力」を排除したいわば「王道」を進もうとしました。光太郎はピカソのような変化球的な進み方を、それはそれとして認めつつも、やがては袋小路に入るものだとしていました。

女優の吉行和子さんが亡くなったそうです。共同通信さん配信記事。

吉行和子さん死去、90歳 俳優、舞台や映画で活躍005

 個性派俳優として舞台や映画、テレビで活躍した吉行和子(よしゆき・かずこ)さんが2日未明、肺炎のため死去した。90歳。東京都出身。葬儀は近親者で行った。
 昭和初期のダダイスト詩人吉行エイスケ、美容家あぐりさんの長女。兄は作家の淳之介。妹は詩人の理恵さん。
 劇団民芸の舞台「アンネの日記」の主役で注目を集めた。今村昌平監督の映画「にあんちゃん」、早稲田小劇場で唐十郎さん作の舞台「少女仮面」などに出演。大島渚監督の映画「愛の亡霊」では夫を殺すヒロインを体当たりで演じた。
 自立した女性から母親役、妖艶な悪女まで幅広い役柄をこなした。代表作に映画「父よ母よ!」「佐賀のがばいばあちゃん」など。

吉行さん、光太郎関係ですと、昭和40年(1965)封切りの映画「こころの山脈」にご出演なさっていました。
004
同作品、当時としては珍しい、クラウドファンディングのような形で資金を募る地域密着型フィルムコミッション方式の映画でした。仕掛けたのは、智恵子の故郷・福島二本松に隣接する本宮町(現・本宮市)の人々。元々本宮では映画を使った教育が盛んで、町内の「本宮映画劇場」に小中学生が授業の一環として移動し、良質な映画を観るということをやっていたそうです。
006
ところがそうした機会に子供たちに見せるに相応しい映画が少なく、だったら自分たちで作ろう、という流れになったとのこと。そのためキャストにはプロの俳優さんたち以外に地元の皆さんが大挙して動員されています。エキストラだけでなく、準主役の少年・清役も地元の小学生でした。本宮を中心に、二本松でもロケが行われました。

安達太良山は本宮の人々にとってもソウルマウンテンで、安達太良山にからめて「智恵子抄」にも触れられています。
007
主役の秀代は山岡久乃さん。小学校の産休補助教員という設定でした。
001
吉行さんは、産休に入る若い安子先生の役。
003
002
このクラスには一人、問題児が居て、しかし山岡さん扮する秀子との交流を通じ立ち直っていく……という、ある意味先が予想出来てしまう展開ですが、それはそれでそういうものでしょう。

「子供達にも安心して観せられる良質な映画を作ろう」という理念を掲げ、地元主導で制作されたものですので、過激な描写や突拍子もない設定などとは縁遠く、地味な作品です。そのため、その取り組みは高く評価されたものの、興行的にはさんざんでした。いたしかたないでしょう。

しかし、地元では「本宮の一つの宝」と位置づけ、平成25年(2013)から「カナリヤ映画祭」を実施、「名作」と称される映画を上映する試みを行っています。令和4年(2022)の第10回くらいまではほぼ毎年「こころの山脈」も上映されており、当方、それで本作を拝見したのですが、最近は本作の上映がなく少し残念です。

ともあれ、吉行さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

【折々のことば・光太郎】

到る処、日本人にも、エジプト人にも、ギリシヤ人にも、ゴチツク時代の人にも、十六世紀のフランス人にも、芸術は自然の研究に過ぎないのです。が此の絶対の、基本の原理の上に、国民により、気質によつて何といふ無限の変化のある事でせう!

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃

「芸術は自然の研究に過ぎない」。しかし、その研究の仕方によって、フローチャートは無限の広がりを見せる、というわけで。

鹿児島から朗読会の情報です。

あなたに届ける朗読会vol.8

期 日 : 2025年9月15日(月・祝)
会 場 : 川内まごころ文学館 鹿児島県薩摩川内市中郷二丁目2-6
時 間 : 13:30~15:30
料 金 : 一般 1,000円・小中高校生 500円  要予約 090-4346-1066

令和3年から開講した、ことの葉日和朗読教室 薩摩川内朗読サロン。「いつか川内クラスだけの発表会をしよう」と約束して、ついに実現!何と!薩摩川内の朗読教室3クラスの受講生全員が出演します!
第一部の発表会は、芥川龍之介、与謝野晶子、島崎藤村、高村光太郎、宮沢賢治、金子みすゞ、八木重吉、新美南吉、太宰治…と、文学作品を個性豊かな生徒さんたちが朗読します。
第二部の朗読コンサートは、三年半ぶりに「雨月物語〜菊花の約〜」を、ゲスト濱田貴志&桐めぐみクラシックギターデュオとともに浜本麗歌の朗読でお届けします!
九月の話でもある江戸文学の名作「雨月物語〜菊花の約〜」。せつないクラシックギターの音色とともにお楽しみください。
司会&お手伝いは、鹿児島県立川内高校放送部のみなさん! 朗読を聴くひとときをぜひどうぞ!
003
ことの葉日和 朗読教室」さんという団体の主催で、2部構成のうちの第1部での教室の生徒さんによる発表に光太郎作品が含まれているようです。ありがたし。
004
ところで朗読と言えば、6月に早稲田奉仕園スコットホールさんで開催された「木村俊介Concert 『鵲(かささぎ)の橋の上で』in 東京 愛のかたち、様々に~日本と韓国の文学作品から~」にゲスト出演なさり、「智恵子抄」から朗読をされた壤晴彦氏が、先週、秋田での「日本と韓国 朗読コンサート ~日本と韓国の文学・物語を朗読と音楽とともに~」という公演で、やはり「智恵子抄」からの朗読をなさったそうです。早稲田で共演なさった和楽器奏者の木村俊介氏、伽耶琴(カヤグム)を奏でるパクスナ氏もご一緒でした。

事前の告知で「高村光太郎」「智恵子抄」といったワードが出ていなかったようで、気づきませんでした。記録のために書き記しておきます。

さて、会場の川内まごころ文学館さんの常設展示では、光太郎とも縁のあった有島武郎や実弟の里見弴などが扱われています。ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

私の友達の、造船家が私に話したには、大甲鉄艦を建造するには、唯そのあらゆる部分を数字的に構造し組合せるだけでは駄目で、正しい度合に於て数字を乱し得る趣味の人によつて加減されなければ、船がそれ程よく走らず、器械がうまくゆかないといふ事です。してみれば決定された法規といふものは存在しない。「趣味」が至上の法規です。宇宙羅針盤です。


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃

昨日のこの項でご紹介した一節同様、ここでロダンが言う「趣味」とは、「感性」「造型的感覚」といった意味だと思われます。

機器の製作に於いてすら、図面通りにやれば良いというものではなく、いわんや彫刻に於いてをや、というわけでしょう。

京都府の老舗書画骨董店・思文閣さん。年に数回、「大入札会」という形での販売もなさっています。昨年のこの時期には、歌人の中原綾子旧蔵の光太郎色紙が2点出て、そのうち、綾子詩集『灰の詩』に口絵として画像が出た七五調四句の今様形式の詩「観自在こそ……」を揮毫したものを落札させていただきました。そちらは現在、花巻高村光太郎記念館さんで開催中の特別展「中原綾子への手紙」で展示中です。

先週、また目録が届きました。
001
同入札会、光太郎の父・光雲の木彫が出ることがしばしばありまして、今回も。ただし、今回出ているのは工房作のようです。不動明王が制多迦(せいたか)童子と矜羯羅(こんがら)童子を脇侍に従えた三尊像です。
無題

無題2 無題5
無題3 無題4
像高20㌢程の小品で、共箱の箱書きに依れば昭和4年(1929)の作。金彩が施されていますが、截金(きりかね)ではなく金泥を塗布してあるようです。

今日から京都で下見会が開催されます。

令和7年9月 思文閣大入札会 下見会

期 日 : 2024年9月8日(月)~9月14日(日)
会 場 : ぎゃらりい思文閣 京都市東山区古門前通大和大路東入ル元町386
時 間 : 10:00~18:00 最終日は17:00まで
料 金 : 無料

 蒐集された美術品には、コレクターの眼差しと心が宿るもの。今回は、複数のコレクター様より、その人となりまでも感じさせるような作品の数々をお預かりいたしました。
 洗練された構図で気品に溢れる上村松園《都の春》を筆頭に、横山大観の若年期と円熟期の作品、そして迫力ある棟方志功の大首絵や中川一政の油彩の薔薇など、近代絵画の優品をそろえたコレクション。また、竹内栖鳳の壮年期の一作である《秋瓢双鶏》、冨田渓仙の見返り鹿図など、深いこだわりを感じさせる日本画をご出品賜り、その方には、お道具にも貴重な作品を多数出品いただいております。加えて、富岡鉄斎による歴史人物画、軽妙な水墨画のコレクションもお預かりしました。最後の文人画家とも称される鉄斎、その深い教養に裏付けられた多彩な画業をぜひご堪能ください。
 そのほか、近世絵画においては、謎多き鷹描きの絵師・藤原正吉の一幅といった珍品や、円山応挙、狩野探幽ら名高い絵師の佳品もございます。どうぞお見逃しのないようご覧くださいませ。

 お道具の冒頭では、近代日本美術史において、工芸の新地平を切り拓いた高村光雲と板谷波山の作品をご紹介いたします。高村光雲は近代木彫の第一人者であり、後進の育成にも力を入れたことで知られる彫刻家。《木彫 不動三尊》は彼が門下の職人と共に制作したとみられる作品です。東美校時代、光雲の指導を受けたという板谷波山は、陶芸に転向し、陶芸家として初めての文化勲章受章者となりました。今回出品された茶碗では、波山がこだわった端正な造形と釉薬の窯変をお愉しみください。
 花器には、有田焼をはじめ、日本有数の窯業地として名高い佐賀県ゆかりの人間国宝である13代今泉今右衛門、14代酒井田柿右衛門、中島宏、井上萬二の作品が並びました。
 また盃、菓子鉢、向付、塗盆など食器類にも多様な出品を賜りました。皆様の暮らしを彩る「うつわ」をぜひこの機会に見つけていただければ幸いです。

ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

私はいつでも自分の彫刻では非常に科学的です。しかし、科学に、「趣味」を加へなくてはいけません。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃

ここでロダンが言う「趣味」とは、「感性」「造型的感覚」といった意味だと思われます。

光太郎は欧米留学からの帰朝後、父・光雲を頂点に戴く日本彫刻界とは距離を置くようになりました。旧態依然の徒弟制度や、水面下のどろどろなどが原因です。

昭和20年(1945)の談話筆記「回想録」から。

 父は、私にいろいろ直接に話をするやうなことはなく、お客のある時は私にお茶を持つて来させるのである。母も心得てゐて客のところへは必ず出されたものだ。私は其処に坐つて話をきいてゐた。父は客と雑談を交しながら、或は半ば私に聞かせる積りのやうな場合もあつたやうである。私はよく其処へ呼ばれて行つて、迷惑を感じて厭になつたこともあるし、聞きながら憤慨を禁じ得なかつたことも少くない。彫刻界や美術界の受賞の掛引きなど、なかなか弟子達の間にあつて、金賞、銀賞の振合がどうだとか、此度はこれで我慢しておけとか、そしてこの次には何を出さうが金賞になることが前から決つてゐるといふやうな、そんな話が交されたことも屡々(しばしば)である。

これは留学前の話ですが、帰ってきてからもこうした状況は一向に変わっていませんでした。

しかし、一方では光雲の語る言葉にロダンのそれと通じる内容を感じて感心したりもし、この時期の光雲に対する見方は、ある意味、滅茶苦茶でした。

智恵子の故郷・福島二本松がらみのコンテスト関連で2件。

まずは先月末に入賞者が発表された「第1回ふくしま超短編脚本賞」。結果を報じた地元紙『福島民報』さん記事。

第1回ふくしま超短編脚本賞 最優秀賞は真田鰯さんの「安達太良SA上り」 ラジオ福島で放送予定

 人気ドラマ「相棒」などで知られる脚本家徳永富彦さんの発案で創設された、第1回ふくしま超短編脚本賞の最優秀賞(徳永富彦賞)に、仙台市の真田鰯さんの「安達太良SA上り」が選ばれた。
 実行委員会が「福島」をテーマに200字以内の作品を募った。全国から553点の応募があり、徳永さん、タレントの、なすびさん(福島市出身)、俳優の久留飛雄己さん、詩人・演出家の野宮有姫さんが審査した。
 最高賞の安達太良山SA上りは、詩集「智恵子抄」を下敷きに、細かく転調させながら男女の情という普遍的なテーマを描いた。審査委員長の徳永さんは「物語を最後まで読ませるために一言一句の努力があり好感が持てた」とたたえた。真田さんは「いつも通り過ぎてしまうだけのSAの景色が、色鮮やかで愛おしい光景にみえるようにと願いを込めて書いた。震災後、ずっと想いを寄せてきた福島の皆さんからこのような賞をいただけて、とても感激している」とコメントした。
 入賞作品と徳永さんの総評などは実行委員会のホームページから閲覧できる。
 入賞作はラジオ福島で放送される予定。
 最優秀賞以外の各賞は次の通り。
▽なすび賞=瀬戸大希(東京都)▽久留飛雄己賞=大畠久美子(大阪府)▽野宮有姫賞=森本慶一(神奈川県)▽福島信用金庫理事長賞=田代賢太(東京都)▽環境分析研究所賞=きみはらなりすけ(東京都・須賀川市出身)▽第一印刷賞=美野洋平(東京都)▽清泉堂賞=長島伸一郎(埼玉県)

■最優秀賞(徳永富彦賞) 真田鰯 「安達太良SA上り」

 女 あれが阿多多羅山、あの光るのがウルトラセブン
     シュワッチ
     ガコン
     ピピピピ
     プシッ
 男 明日からまた仕事か
 女 まあ今は足を伸ばして
 男 うん。空が高いね
 女 そこからうちの実家みえるよ、あの白壁が酒蔵
 男 うん
 女 奥さんにはなんて言ってきたの?
 男 墓参り
 女 墓東京じゃん
 男 この景色の中でしか、お前を探せないんだよ
 女 フフ、浮気だ
 男 バカ
 女 この人、死んだ奥さんのことまだ愛してますよー
 男 うるさいよ
 女 もうこなくてもいいぞよ
 男 …くるよ、また

「200字以内」という応募規定でしたので、たしかに「超短編」ですね。「超短編」という日本語も変ですが(「短編」を「超」えたら「中編」じゃないの?)(笑)。

最優秀作の「安達太良SA上り」、「あれが阿多多羅山」「足を伸ばして」「空が高いね」「あの白壁が酒蔵」等々、「智恵子抄」由来ですね。ことによると「この人、死んだ奥さんのことまだ愛してますよー」あたりも。審査員諸氏にもそのあたりはご理解いただけたようで。

ご存じない方のために解説いたしますと、「安達太良SA」は、東北自動車道のサービスエリアで、行政区分では本宮市に属し、下り線だと本宮インターと二本松インターの間(下り線は逆ですね)に位置します。当方も二本松に行った帰りに給油のためよく利用しています。

「あの光るのが阿武隈川」ではなく「ウルトラセブン」となっているのは、円谷英二監督が同じ福島の須賀川ご出身ということで、SA内(上下とも)にウルトラ系の等身大フィギュア(巨大化前の)が並んでいるためです。セブンはたしかに下り線側でした。
004
上記画像は今年4月。セブンの右側におわすのは、二本松の高村智恵子生家/智恵子記念館さんで開催された「高村智恵子生誕祭」の一環として、当会主催で行ったコンサート「音楽と朗読『智恵子抄』愛はここから生まれた」に出演なさったテルミン星人、もといテルミン奏者の大西ようこさんです。大西さん、「ウルトラセブン」のアマギ隊員役にして「ウルトラマン」ではウルトラマンの「中の人」(スーツアクター)・古谷敏さんとコラボなさったことも。

もう1件。こちらはネットによる投票が実施されている最中です。KFB福島放送さんの主催です。こちらでもなすびさんが関わられています。

第24回ふくしまふるさとCM大賞2025

県内各市町村から選りすぐりの力作がエントリー! WEB投票は9月15日(月)締め切り! あなたの1票で大賞が決まります!

2025年12月上旬放送予定 審査委員長 柳澤秀夫 MC なすび

003
猪苗代町 変わったけれど、変わらない。猪苗代町
 街並みは変わっても、変わらない笑顔がある。猪苗代町の今と昔を、笑顔とともに未来へつなぐ。
北塩原村 移住するなら北塩原村
 「住んで何年?」だけでつながる北塩原村の物語
古殿町 形が良すぎる町
 古殿町っていい形なんです。なぜいい形なんだろう? その事実が明らかになりました。
南会津町 町長の伝えきれない15秒
 【南会津町 龍神滝】
本宮市 願いが叶うまち
 穏やかなもとみやで、夢を紡ぐ。世代を超えた「願い」が叶うまち。ぜひご覧ください。
富岡町 Re:ここから ~この場所で、また始めよう~
 青春と富岡の自然を背景に、火祭りの松明のようにそれぞれの心に灯る火を表現しました
玉川村 金のさるなし銀のさるなし
 今年も村民参加型CM! 乙な駅たまかわでカヌー体験中の中学生の前に現れたのは…!?
田村市 0~100までできる田村市
 田村市に魅力があるのは、田村市を作る「五つの町」に魅力があるからです!
西郷村 田舎でも都会でもない村、にしごうむら
 田舎でも都会でもない村、「にしごうむら」へ移住を考えてみませんか?
三島町 ここだよ 三島
 福島県の三島町、位置と絶景とグルメをアピールさせていただきます。
喜多方市 これは・・・喜多方ラーメン!?
 緊迫した取調室の空気を一変させたものとは・・・!? 予想外の展開をお楽しみに!
三春町 春駒ステークス
 皆さんも三春駒を見つけるレースに参加しませんか?
郡山市 魅力がぎゅぎゅっとこおりやま
 郡山に溢れるたっくさんの魅力を太鼓の音に合わせお届けします!
白河市 受け継がれる志、未来へ。
 定信が目指したまちの姿が、今も白河にあります。ぜひご覧ください。
浪江町 駅舎の見納め
 いかがでしょうか リニューアル前の駅舎を見納めたい方へ。お早めに(?)現地へどうぞ。えっ?
伊達市 実況!伊達鶏実食チャレンジ!!
 伊達鶏にうるさい伊達市民 世紀の戦いを見届けろ!
金山町 かねやまの魅力をまる・・ごと
 「かぼまるまるまる」と一緒に歌って金山町の魅力を感じてください
西会津町 西会津ってどんな町?
 移住してたった3ヶ月という私が感じた「ここがおもしろい!」を詰め込みました!
国見町 クニミリョク #くにみっけ
 国見町の魅力を管楽三重奏と共にお届け! クニミリョクを#くにみっけ
湯川村 『それぞれの道』
 湯川村ならではの風景をいかし、いろんな『道』を詰め込んだ映像になっています。
二本松市 「ほんとの空」が見えるまち
 ぜひ二本松市に足を運んで、『智恵子抄』に詠われた「ほんとの空」をご覧ください。
会津若松市 会津若松で何する?
 あれ…誰かに成り代わって旅してる…? リアルな視点で会津若松市を体感してください!
会津坂下町 ばんげは今年で70歳!
 会津坂下町は今年、町制施行70周年。魅力も70年分。最後まで語り切れるか!?
福島市 型破りも、伝統 土湯こけし
 土湯こけしの伝統技術と遊び心あるユニークなこけし達をご覧ください!
大熊町 チャレンジ!おおくま
 まあちゃんが色々なことにチャレンジします! 奮闘するまあちゃんにご注目ください。
磐梯町 この町、水ガチ。
 磐梯町の水って本当に美味しいんだ。この動画を見て是非とも感じてください!
広野町 広野の魅力発掘!広野駅街頭インタビュー
 記者の新妻リポーターが地元の方に突撃取材!広野の魅力を発掘します。
葛尾村 葛尾村を、歩こう。
 草、土、森、川、空、鳥…。あなたも葛尾村を歩いて、その魅力を感じてみませんか?
柳津町 あわまんじゅう四天王
 柳津名物「あわまんじゅう」。その伝統を守り続ける「四天王」が登場します!
楢葉町 いい波あります 楢葉町
 人生の壁にぶち当たったら楢葉町へ。きっと、「人生のいい波」が押し寄せますよ。
棚倉町 棚倉ぼたもち
 棚倉町の魅力を詰め込んだCMです。CMを見て棚倉町に足を運んでくれたらうれしいです。
須賀川市 怪獣と暮らす街
 須賀川といえば、特撮。オリジナル怪獣も暮らしている街なんです。
矢祭町 子ども司書、地球に向けて発信!
 矢祭中学校「特設デジタル部」と地域おこし協力隊で製作しました。投票お願いします。
川内村 気づけばそこに…。
 知られざる川内村民の日常をご紹介します。気になるならいっぺん見らっしぇ!
檜枝岐村 ふくしま尾瀬
 四季だけでなくその瞬間瞬間で違った表情を見せる尾瀬へどうぞお越しください。

福島県内の59中35の自治体さんがエントリー、それぞれが15秒スポットのCMで市町村の魅力をアピールしています。

智恵子の故郷・二本松市さんは、やはり「智恵子抄」由来の「ほんとの空」で勝負をかけています(笑)。
005
006
007
008


「ほんとの空」の語は、もはや福島全域にかかる形容のような気もしますので「ズルくね?」と思いますが(笑)、本家本元は二本松ですので、それもありかな、ですね。

上記リンクよりご投票をお願いいたします。それも組織票っぽくて「ズルくね?」ですが(笑)。

【折々のことば・光太郎】

有用なものは、役立つ可き必要によく当てはまると、皆美しい。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃

いわゆる「用の美」についてです。のちに光太郎も同様の発言を繰り返します。ただ、それが戦時中には殺戮兵器である戦闘機などにも及んでしまうのですが……。
009

一昨日、拝見して参りました。光太郎の薫陶を受けて芸術の道を志した難波田龍起作品の展示です。

生誕120年 難波田龍起展

期 日 : 2025年9月3日(水)~9月20日(土)
会 場 : ギャラリーときの忘れもの 文京区本駒込5-4-1
時 間 : 11:00~19:00
休 館 : 日・月・祝日休廊
料 金 : 無料

 難波田龍起(1905~1997)は戦前戦後の前衛美術運動の中で誠実に己の道を歩み、形象の詩人に相応しい澄んだ色彩、連続したモティーフと曲線による生命感あふれる独自の画風を築かれました。
 私たちが難波田先生に初めて銅版画制作を依頼したのは1977年、画家として同じ道を歩んでいたご子息二人を相次いで亡くされた2年後のことでした。
 ご傷心の中にもかかわらず温かく迎え入れてくださり、私たちが持ち込んだ銅版に夢中で取り組まれ、次々に名作を生みだされました。
 1995年にときの忘れものは南青山に開廊しましたが、第一回の展覧会は「白と黒の線刻 銅版画セレクション1」(出品作家:長谷川潔、難波田龍起、瑛九、駒井哲郎)でした。
 当時現存の作家で私たちの画廊で初めて展示してくださったのが難波田先生でした。
 同年刊行したときの忘れものの最初のエディションも『難波田龍起銅版画集 古代を想う』で、約20年の間に、版元として多くの版画誕生に立ち会うことができました。
 今回の生誕120年記念展では、ご遺族のご協力を得て、油彩、水彩、版画を17点出品いたします。
現在、東京オペラシティ アートギャラリーで難波田龍起先生の大規模な回顧展が開催されています(10/2まで)。合わせてご覧いただければ幸いです。
000
001
画廊主の綿貫ご夫妻は、ほぼ毎年、当会主催の連翹の集いにご参加下さっていて、今回の展示もご案内を頂きましたし、1ヶ月前には新宿の東京オペラシティアートギャラリーさんでの「難波田龍起」展を拝見しましたので、併せて観ておこうと思い、お邪魔いたしました。
PXL_20250904_075244254
ぜいたくなことに、直接難波田をご存じの綿貫氏によるギャラリートークを拝聴しながら拝観させていただきました。
PXL_20250904_075632581 PXL_20250904_075644864
PXL_20250904_080727836 PXL_20250904_080703927
PXL_20250904_080713799 PXL_20250904_080720428
東京オペラシティアートギャラリーさんの方は大作が多く、圧倒される感じでしたが、こちらは愛らしい小品が中心で、また違った感じでした。綿貫氏曰く「小さな作品でも決して手を抜いていない」。なるほど。
PXL_20250904_080826002 PXL_20250904_080847060
制作法も、油彩あり、エッチングあり、パステル+水彩ありと、バリエーションに富み、抽象が中心ですが、街の風景のようなかなり具象っぽいもの(それでもシュールな感じ)もありました。
PXL_20250904_080854674
フライヤー的な案内ハガキに使われたこちらの作品、版画に手彩色だそうで、そういうやり方もしていたのか、という感じでした。

それから、やはり光太郎と交流の深かった舟越保武の石彫も。
PXL_20250904_075720433
この日は光太郎終焉の地・中野の中西利雄アトリエ保存会の会合で、そちらに向かう途中に寄らせていただいたのですが、その中西アトリエで撮られた難波田と子息、光太郎の写真。
難波田
東京オペラシティアートギャラリーさんで展示されており、「どこかで見た記憶があるんだよな」と思っておりましたが、昭和62年(1987)に竹橋の東京国立近代美術館さんで開催された「今日の作家 難波田龍起展」の図録でした。ただ、キャプションが誤っており、正しくは昭和29年(1954)のようです。

その中西アトリエの方は、残念ながら現地での保存は断念、現在、移設先を探しているところです。54坪ほどのあまり大きくない建造物、手を挙げていただける自治体さん、法人さん、個人の方でも、ご連絡いただければ幸いです。

さて、ときの忘れものさんでの「難波田龍起展」、9月20日(土)まで。9月13日(土)には、写真にも写られている難波田子息の武男氏と、東京オペラシティアートギャラリーさんのキュレーター・福士理氏の対談形式のギャラリートークも予定されているとのことです。ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

石に一滴一滴と喰ひ込む水の遅(のろ)い静かな力を持たねばなりません。そして到着点を人間の耐忍力にとつて余り遠すぎると考へてはなりません。


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃

おそらく難波田もこの一節が載った光太郎訳『ロダンの言葉』を読んだのではないでしょうか。

ちなみにときの忘れものさんのサイト内に、光太郎との関わりを綴った難波田のエッセイがアップされています。お読み下さい。

昨日、高村光太郎記念館さんでの企画展「昔なつかし花巻駅」を紹介して下さった地元紙『岩手日日』さんの記事をご紹介しましたが、同じ件をNHKさんのローカルニュースでも報じて下さっています。昨日朝の時点では動画がアップされていなかったのですが、その後、出されました。

昭和初期の花巻駅周辺を再現した模型の展示会 岩手 花巻

昭和初期の花巻駅周辺を再現した模型の展示会が花巻市で開かれています。
002 003
この展示会は、花巻電鉄や岩手軽便鉄道の開業で交通の要所として発展していた当時の花巻駅の雰囲気を味わってもらおうと、花巻市にある高村光太郎記念館が企画しました。
004 005
模型は、昭和11年に撮影された映像や当時の地図などをもとに作成され、駅舎や列車、利用客が精密に表現されているほか、列車は模型のレールの上を動く仕組みになっています。
006 008
また、駅前の広場では祭りが開かれ、大勢の人でにぎわっている様子も表現されていて、訪れた人たちは、在りし日の花巻駅の雰囲気を味わっていました。
009
横浜市から観光で訪れた男性は「すごいジオラマでびっくりしました。こんなに立派な駅舎があったんですね」と話していました。
012 013
高村光太郎記念会事務局の高橋卓也さんは「屋根や建物が大変繊細に作られているのが特徴です。映画の画像とジオラマとを見比べてもらえたらと思います」と話していました。
015
この展示会はことし11月30日まで開かれています。
010 011
上の方にリンクを貼っておきました。数日間は動画が見られるはずですのでご覧下さい。

同じく「運輸/交通」カテゴリで、「花巻」ということもあり、テレビ番組の放映情報を1件、ご紹介しておきます。

ほろ酔いドラマアワー・#居酒屋新幹線[終] #12「新花巻編 銀河鉄道で懐かしい味と思い出に浸る夜」

BS11 イレブン 2025年9月10日(水) 18:27〜18:54

居酒屋新幹線開店! 損保会社の内部監査室で働き、日帰り出張で全国を飛び回る高宮進(主演:眞島秀和)。出張先で見つけてご当地グルメやお酒を帰りの新幹線で堪能する。

タクシー運転手の案内で花巻駅界隈にやってきた高宮進。勧めに従い、花巻の原料にこだわったクラフトビールや、奥羽山脈の水と国産の餌で育てた白金豚のジャーキーを買う。最後に連れて行かれたのはビルの上階。そこは昭和レトロな面影漂う大食堂だった。ショーケースに並ぶ洋食やラーメンやデザートのサンプル、家族連れで賑わう店内。懐かしい景色と味に、進はデパートの食堂に行った子供の頃、そして幼い夢を思い出すのだった。

出演者 眞島秀和 田中要次 【声】星野真里(友情出演) 
014
017 016
018 019


令和4年(2022)の制作で、元々は関西のMBS毎日放送さんで8話までが放映され、その後CS放送で、さらに一昨年、BS-TBSさんで全12話が放映されたそうでしたが、存じませんでした。すでにシーズン2も制作されています。それから、天宮さろん氏によるコミック版も。「原作」というわけではなく「コミカライズ」と謳われていますので、ドラマが先だったのでしょう。
020
021

023 022
JR東日本さんとのコラボ企画のようで、コミック版1巻は新花巻駅を含む東北新幹線の駅が舞台です。来週オンエアの第12話、光太郎の話題になることはないと思いますが、「銀河鉄道」と冠していますので、宮沢賢治には触れられそうですね。
024
マルカン大食堂さんなども取り上げられます。ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

若し急いだり行きつかうとあせつたり、労働其自身を目的として考へなかつたり、成功、金銭、勲章、註文などを思つたりしたら、お仕舞です! 決して芸術家にはなれません。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃

ロダン流のこういう考え方を光太郎も実践してしまい、その結果、赤貧とはいかないまでも、生活不如意の状態は長く続きます。そして智恵子もそれを肯んじていたわけで……。

昨日に続き、光太郎第二の故郷・花巻ネタで。

郊外旧太田村の高村光太郎記念館さんで開催中の企画展「昔なつかし花巻駅」について、地元紙『岩手日日』さんが報じて下さいました。

光太郎が見た花巻駅 ジオラマや記録映画紹介 記念館企画展 昭和初期に

003 高村光太郎記念館の企画展「昔なつかし花巻駅」は、花巻市太田の同館で開かれている。花巻ゆかりの彫刻家で詩人の高村光太郎(1883~1956年)が見た昭和初期の花巻駅周辺の様子をジオラマや記録映画でたどっている。11月30日まで。
 光太郎の花巻疎開80年の節目を記念し企画。昭和初期の花巻駅を中心としたまちの情景を表現したジオラマを展示するほか、岩手軽便鉄道が釜石線へ移管された1936(昭和11)年に撮影された記録映画を上映している。
 岩手軽便鉄道は花巻市から遠野市の仙人峠を約3時間で結ぶ鉄道として13(大正2)年に開業。36年に国有化され、50年には釜石線が花巻から釜石まで鉄路で全線開通した。
 同年、岩手軽便鉄道の社長を務め花巻温泉の開発にも取り組んだ金田一国士さんの功績を光太郎が詠んだ「金田一国士頌」碑が花巻温泉に建立され、除幕式には光太郎も出席している。
 記録映画は総合花巻病院創立者で初代院長佐藤隆房(1890~1981年)が私財を投じて制作。約16分の貴重な映像で、花巻駅から仙人峠までの沿線の様子が収められている。
 ジオラマは記録映画などを参考に、当時の花巻駅周辺の様子をNゲージ(150分の1程度の大きさ)の模型で再現した。電車の模型は実際に走らせることもできる。
 企画展を担当した花巻高村光太郎記念会の高橋卓也事務局長補佐は「写真ではなく、映画で駅前の人々が実際に動いている姿や、銀河鉄道のモチーフになった岩手軽便鉄道が実際に走行する姿をぜひご覧いただきたい」と話している。
 開館時間は午前8時30分~午後4時30分。入館料は一般350円、高校生・学生250円、小・中学生
150円。問い合わせは同館=0198(28)3012=へ。

7月23日(水)に拝見して参りました。その際の様子はこちら。ジオラマを制作された土屋直久氏、石井彰英氏のご苦労が偲ばれました。お二人のお名前が記事に出ていないのが残念ですが。
008 009
石井氏、この手のジオラマを制作されると、その細部をビデオ撮影したDVDを作られるのを常とされています。そもそもは氏の地元の品川区大井町-智恵子終焉の地・ゼームス坂病院を含む-のジオラマDVDを拝見し、平成30年(2018)にやはり花巻高村光太郎記念館さんで開催された企画展「光太郎と花巻電鉄」の際に、光太郎が居住していた頃の昭和20年代前半くらいの花巻をイメージしたジオラマ制作を依頼したことが、今回のジオラマに繋がっています。その際のジオラマも展示されています。
010
石井氏、今回もDVDを制作されたとのことで、9月19日(金)に品川の氏のご自宅兼工房兼スタジオ(氏はミュージシャンでもあらせられまして)で上映会だそうで、お邪魔して参ります。ご興味おありの方、ご連絡下さい。

花巻高村光太郎さんでの企画展「昔なつかし花巻駅」は、会期が長く、11月30日(日)まで。ぜひ足をお運びください。
005 006

【折々のことば・光太郎】

文学といふ芸術は細かい事になると私に解りませんが、法則は書く者にとつても彫る者にとつても同じだと信じます。


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃

ロダンと異なり、文筆活動も多方面で行っていた光太郎にとって、この言葉は励みになったのではないでしょうか。どんな芸術でも根幹のところは一緒だ、というわけで。

一昨年昨年と送っていただいた花巻南高校文芸部さんの部誌『門』、今年の第19号もいただきました。
001
同校は宮沢賢治の妹にして、賢治の「永訣の朝」等に謳われたトシの母校であり、トシ自身も短期間でしたが教壇に立っていました。

何度もご紹介していますが、同部と家庭クラブさんとが連携、大正13年(1924)の『婦人之友』で紹介された智惠子デザイン・制作のエプロンを復刻して下さり、昨年に続き、今号でもその関係の記事が多く掲載されています。

昨年は制作に関してと、岩手花巻なはんプラザで開催されたイベント「五感で楽しむ光太郎ライフ」での初披露についてがメインでしたが、今年は4月から5月にかけての福島二本松の智恵子記念館さん、7月から8月にかけての花巻高村光太郎記念館さんでの実物展示についていろいろ書かれていました。
005004
智恵子記念館さんでの展示の際は、4月27日(日)に文芸部・家庭クラブの生徒さんと先生方が観覧にいらして、さらに周辺の智恵子遺跡を廻られてのレポート。写真などもふんだんに使われていました。
006007008
花巻高村光太郎記念館さんでは、7月25日(金)と8月4日(月)に報道の取材、生徒さんたち作成の夾纈(きょうけち)染めのしおりを来館者に配付するというイベントがあり、そのレポート。
1754350013017 1754350019479
いずれも文芸部さんだけでなく、家庭クラブの生徒さんも寄稿されていて、よく書けていました。また、文芸部顧問の菊池久恵先生が地元紙『岩手日報』さんに昨年寄稿されたエプロンに関する「みちのく随想 私たちのリレー」も再録されています。

他に、四国の徳島商業高校文芸同好会さんとのコラボ企画「ケンシとケンジトシ」。両校の顧問の先生同士が大学時代の同級生とのことで実現した交流会のレポートです。「ケンシ」はかの米津玄師さんから。米津さんが徳島商業さんの卒業生だということで。米津さん、光太郎詩「レモン哀歌」からのインスパイアもあるとご自身でおっしゃっていた「lemon」以外にも近代文学オマージュ作品が多く、「カムパネルラ」「恋と病熱」「地球儀」などの楽曲は賢治由来です。花巻南高さんは先述の通り、賢治の妹・トシの母校。そこで「ケンジトシ」。不思議な縁を感じますね。

両校の交流会、「短歌甲子園」ふうに「咲」と「空」、二つの題による短歌の競詠をなさったそうで、そのうち「空」の方で、応援メンバーとして参加された花巻南高家庭クラブの生徒さんが智恵子がらみの短歌を。二本松での「ほんとの空」体験が鮮烈だったのでしょう。
009
さらに望月善次・岩手大名誉教授が監修・編集されたトシの『自省録(宮澤トシ)』についてなども。盛りだくさんです。

南高さんでは先月末には文化祭「花南祭」が開催され、やはり文芸部さん、家庭クラブさんによるエプロン関連のステージ発表や、夾纈(きょうけち)染めしおりの配付なども行われたそうです。
00217565158374631756516134445
1756516055836
1756515823921
1756517139547
1756520704418
1756520924227
素晴らしいと思いました。

関係の皆さんのますますのご活躍を祈念いたします。

【折々のことば・光太郎】

本当の才能に行きつく辛抱の無い芸術家は、真実を外にして、題目や形の気まぐれなもの、変なものを探します。それが世人の独創と称してゐるものです。しかし其は何にもなりません。


光太郎訳 ロダン「ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃

奇を衒うことを嫌ったロダン、そしてそれを受け継いだ光太郎の思想がよく表されています。

光太郎詩をモチーフにした作品もおありだった版画家で、千葉県ご在住であらせられた土屋金司氏が、8月11日(月)に逝去されたそうです。

8月23日(土)に、調べもののため土屋氏の地元の千葉県旭市にある県立図書館の分館・東部図書館さんに行った帰り、街なかで氏の名が書かれた通夜/葬儀の案内の捨て看を運転する車中から見て、「あれっ!」。その時点では氏のお名前が「金司」だったか「金治」だったか「金二」だったか自信がありませんでしたし、「金司」としても同姓同名の別人の可能性もあるな、と思っておりました。

帰ってからネットで調べたところ、お知り合いの方のSNS投稿で、やはり版画家の土屋氏ご逝去と知り、残念に思いました。

土屋氏の光太郎モチーフ作品は、旭市の北・銚子市でかつて拝見しました。

まず、一昨年に廃業してしまった光太郎智恵子ゆかりの宿・ぎょうけい館さんのロビーに常設されていて、何度も拝見した作品。
003
大正元年(1912)に光太郎智恵子がぎょうけい館さんの前身・暁鶏館に泊まって愛を誓った際、宿の下男をしていた知的障害のあった「長崎の太郎」こと阿部清助をモデルに書いた詩「犬吠の太郎」を版画にしたものです。

他にも太郎をモチーフとした作品がおありで、それらは平成30年(2018)に銚子の飯沼観音さんで開催された「仏と鬼と銚子の風景 土屋金司 版画と明かり展」で展示されました。
005
004
006
また、その関連行事として「銚子浪漫ぷろじぇくとpresents語り「犬吠の太郎」」も開催されました。
008
その際には土屋氏もいらして、お話をさせていただきました。

地元地方紙『千葉日報』さんあたりに訃報が出なかったかと、先週、また東部図書館さんに行き、同紙のバックナンバーを調べましたが見つかりませんでした。同紙には、地方紙でよくある半ページくらい割いての「お悔やみ欄」的なコーナーがありませんで。

東部図書館さんに隣接する東総文化会館さんギャラリーでは、土屋氏と、書家の依知川伸一氏のコラボ作品展が開催中でして、そちらも拝見して参りました。
PXL_20250831_010201515
PXL_20250831_010839638
PXL_20250831_010430580 PXL_20250831_010508174
PXL_20250831_010448449 PXL_20250831_010452068
PXL_20250831_010502778
PXL_20250831_010526833
PXL_20250831_010535579
PXL_20250831_010558286
PXL_20250831_010605902
当初、先月末までの予定だったのですが、氏のご逝去を受けての措置でしょう、今月末まで会期延長だそうです。お近くの方などぜひどうぞ。

改めまして、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

【折々のことば・光太郎】

最微なる或は最大なる実在、例へば大洋、雲嶽、草木、昆虫の精霊を窺視し得たる日本の芸術は又吾が踏む道なり。

光太郎訳 ロダン「手紙」より 明治43年(1910)訳 光太郎28歳

雑誌『白樺』の「ロダン号」刊行に際し、ロダンから光太郎の朋友・有島生馬に送られた書簡の一節です。この当時の欧州の芸術家達の例にもれず、ロダンもジャポニスムの影響を受けていました。

「大洋、雲嶽、草木、昆虫の精霊を窺視し得たる日本の芸術」……土屋氏の版画にも通じるような気がしました。



演劇公演の情報です。

チエコ

期 日 : 2025年9月11日(木)~9月15日(月・祝)
会 場 : 両国・エアースタジオ   墨田区両国2丁目18-7ハイツ両国駅前地下1階
時 間 : 9/11 19:00~ 9/12 15:30~ 19:00~ 9/13~15 12:00~ 15:30~ 19:00~ 9/14
料 金 : 来場チケット ¥4,000(全席自由/要予約) ★配信チケット¥3,000

詩人・高村光太郎とその妻智恵子の愛の物語。智恵子の死後、智恵子抄を作ろうと友人の草野心平と中原綾子を呼び智恵子の思い出を振り返る。

出 演 : A 小森毅典 武口菜々子 菖蒲万紀彦 千歳れな ルーシー大原くん  菜月あいり 愛美
      B 新城侑樹 山﨑皆 野田慧 野中梨緒那 風間悠介 中島彩果 阿部優華
      C 松山傑 米良美沙 福岡洸星 富山悠里 安藤良侑 富田凪 藤井円
脚本演出 : 野口麻衣子
005
006
登場人物は7人。それを3組の役者さん達が演じられます。順に光太郎、智恵子、光太郎実弟の豊周、智恵子の姪・春子、当会の祖・草野心平、歌人・中原綾子、智恵子の親友・田村俊子。

「劇団空感エンジン」さんとしての公演を同じ会場で、平成25年(2013)平成30年(2018)と拝見しました。それ以前の平成22年(2010)頃、それからその後令和3年(2021)にも公演がありました。一部、役者さんがかぶっています。

この手の脚本の中では、わかりやすさの面ではピカイチのものの一つです。光太郎智恵子についての予備知識が少ない方がご覧になっても「?」という場面が少ないでしょう。それだけに再演が重ねられているのだと思われます。

また、登場人物それぞれがうまく生かされています。智恵子の心の病という重い現実に関し、それぞれに言い分があって、相互の行き違いや齟齬、時に痛烈な非難的な場面もありますが、結局、それは仕方のないことだった、誰が悪いわけでもない、というような。

それから、キャスト、スタッフの方の中には、公演に向けてと言うことで、光太郎智恵子聖地巡礼などをなさる方もいらしたようで、素晴らしいと思いました。

ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

何といふ誇張のない的確だ! 此は君の特質の一つです。真実である事、そして単にそれきりだ。

光太郎訳 ロダン「手紙」より 明治43年(1910)頃訳 光太郎28歳頃

人体彫刻に於ける筋肉の付け方など、まったくやっていなかったわけではありませんでしたが、ロダンはあらゆる面で、わざとらしい「誇張」を嫌っていました。

↑このページのトップヘ