対面型及びオンラインでのシンポジウムです。主催は明星研究会さん。間際で申し訳ありませんが、締め切りが明日です。ただ、対面の方は2~3日前の段階で、まだまだ申し込みが少ないというお話でしたので、延長があるかも知れません。
明星研究会さんのシンポ、コロナ禍となって以後はオンライン限定でしたが、久しぶりに対面方式も復活ということで、自宅兼事務所がZOOM対応になっていない当方としてはありがたく存じ、参加することに致しました。
対面、オンライン、御都合の良い方法で、皆様もぜひどうぞ。
【折々のことば・光太郎】
御申越の「サンデー毎日」への転載といふことは一向差支ありませんが、「或日」といふ詩を小生思ひ出しません、どんな詩だつたのか、確に小生の詩なのか、不安な気もします、間違だつたら滑稽ですから一応おたしかめ下さい、
「「サンデー毎日」への転載」は、10月20日発行の増刊「中秋特別号」。巻頭カラーページには光太郎、北原白秋、佐藤春夫、室生犀星、萩原朔太郎等の旧作の詩に、東郷青児、足立源一郎ら当代きっての画家による挿絵がつけられた豪華な造りです。光太郎のページは、宮本三郎が担当しました。
詩「或る日」は以下の通り。
今日はあの人の結婚する日だ。
20年以上前の昭和3年(1928)の作で、題名も特徴的なものではないためでしょうか、光太郎、自分でどんな詩だったのか忘れていました。で、気軽に「転載してもかまわないよ」と答えたところ、届いた掲載誌を見てびっくり。
この詩は秩父宮雍仁親王と、旧会津藩主松平容保の孫・勢津子妃殿下のご成婚に題を採った詩でした。それに田舎の花嫁の輿入れ姿を描いた挿絵が附され、苦笑したわけです。
期 日 : 2024年12月8日(日)
会 場 : 対面型 ワイム貸会議室お茶の水 千代田区神田駿河台2-1-20 御茶ノ水安田ビル
オンライン ZOOM対応
オンライン ZOOM対応
時 間 : 14時~16時30分
料 金 : 2,000円
1910年(明治43)、明治天皇への暗殺計画が準備されたかどで、首謀者に見做された思想家の幸徳秋水、その内縁の妻で新聞記者の管野スガ子らが逮捕されました。同時に、社会主義者、無政府主義者が全国で多数捕らえられます。翌年1月には十分な審理を受けることなく12名が絞首刑、12名が終身刑の判決を受けました。いわゆる大逆事件です。
強権的な思想弾圧事件は当時の人々を驚かせ、文学者にも大きな衝撃を与えました。その一人が石川啄木。啄木は「明星」同人の弁護士・平出修にひそかに陳弁書を閲覧させてもらいます。平出は大逆事件の弁護人でした。また獄中の管野スガ子は与謝野晶子の熱烈なファンで、平出はスガ子のために晶子の歌集を差し入れてもいます。スガ子は感謝の手紙を平出に送りました。あらためて思うのは、平出修はいわばこの事件における文学者側のキーマンでした。
平出修の子孫で、今年5月に逝去された平出洸さんを偲び、今回は開催いたします。対面とZoomとのハイブリッドで開催いたします。
直接的には光太郎に関わりませんが、与謝野晶子、石川啄木、平出修、いずれも『明星』を通して光太郎と縁の深い人々でした。大逆事件の幸徳秋水や管野スガとは直接の交流はなかったようですが。●プログラム● 講演
「〈平出修研究会〉の沿革~平出洸氏を偲んで」 中川 滋(平出修子孫)
「大逆事件・啄木・平出修」 池田 功(国際啄木学会会長・明治大学教授)
「晶子とスガ子~修を介して交差した二人」松平盟子(歌人)朗読:津田真澄(劇団青年座)
明星研究会さんのシンポ、コロナ禍となって以後はオンライン限定でしたが、久しぶりに対面方式も復活ということで、自宅兼事務所がZOOM対応になっていない当方としてはありがたく存じ、参加することに致しました。
対面、オンライン、御都合の良い方法で、皆様もぜひどうぞ。
【折々のことば・光太郎】
御申越の「サンデー毎日」への転載といふことは一向差支ありませんが、「或日」といふ詩を小生思ひ出しません、どんな詩だつたのか、確に小生の詩なのか、不安な気もします、間違だつたら滑稽ですから一応おたしかめ下さい、
昭和25年(1950)7月26日 池田克己宛書簡より 光太郎68歳
「「サンデー毎日」への転載」は、10月20日発行の増刊「中秋特別号」。巻頭カラーページには光太郎、北原白秋、佐藤春夫、室生犀星、萩原朔太郎等の旧作の詩に、東郷青児、足立源一郎ら当代きっての画家による挿絵がつけられた豪華な造りです。光太郎のページは、宮本三郎が担当しました。
詩「或る日」は以下の通り。
或る日
今日はあの人の結婚する日だ。
秋が天上の精気を街(ちまた)に送る。
こんな日に少女が人に嫁ぐのはいい。
山でも一緒に歩きたいほど
あのいきいきした好い青年が
こんな日に少女(をとめ)の肌を知るのはいい。
むづかしい儀式と荘厳とが
あの二人を日ねもす悩ますさうだが、
何もかもどしどし通過して
結局二人きりになればいいのだ。
さうしてこの初秋のそよそよする夜に
二人一しょにねればいいのだ。
20年以上前の昭和3年(1928)の作で、題名も特徴的なものではないためでしょうか、光太郎、自分でどんな詩だったのか忘れていました。で、気軽に「転載してもかまわないよ」と答えたところ、届いた掲載誌を見てびっくり。
この詩は秩父宮雍仁親王と、旧会津藩主松平容保の孫・勢津子妃殿下のご成婚に題を採った詩でした。それに田舎の花嫁の輿入れ姿を描いた挿絵が附され、苦笑したわけです。