2023年10月

コミック新刊です。

安西水丸が遺した最後の抒情漫画集 陽だまり

2023年8月21日 安西水丸著 講談社 定価1,800円+税

 比類なき個性で日本のイラストレーション界をリードし、小説家、絵本作家、漫画家、エッセイスト、翻訳家としても多くの作品を残した異才にして多才の人・安西水丸さんが亡くなって9年が経ちます。
 いまだに人気は衰えず、2021~22年に世田谷文学館他で開催された「安西水丸展」は、コロナ禍にもかかわらず連日行列ができるほどの盛況で、没後に刊行された著書は10冊を超えました。
 その水丸さんは、晩年、小説現代に読み切り漫画を連載していましたが、急逝されたためシリーズは4本で中断してしまいました。作品は、いまだ伝説となっている水丸さんの漫画デビュー作『青の時代』の流れを汲み、抒情的で独特のエロティシズムに溢れています。
 この4本の読み切り漫画に、水丸さんと関係が深かった方々、村上春樹さん、角田光代さん、平松洋子さん、柴門ふみさん、木内達朗さん、信濃八太郎さんの6人に、彼らだけが知る水丸さんの魅力を語ってもらったエッセイを合体させました。
 ごくごくシンプルなのに誰にも似ていない。そんな安西水丸さんの魅力を再確認できる一冊です。
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目次

【漫画】
「陽だまり」
高村純、26歳。込山組の金融部門で、取り立て屋の品田老人について仕事をしている。純は、品田老人と2年の愛人契約を結んでいる女・加代と関係をもってしまったのだが……。

「アメンボ」
上川光一、32歳。売れない映像カメラマンだ。ある日、水難事故でおぼれかけた女を助けようとして負傷、不能になってしまう。事故の原因となった女・安美は責任を感じ、光一に尽くすのだが……。

「ボートハウス」
小西のぼるは15歳。退屈な夏休み、堀端のボートハウスでアルバイトをしている。バイト先には美佐子という気怠い空気をまとった年上の女がいた……。

「冬の客」
締め切りが迫った仕事を片付けるため、北海道石狩湾のとある海岸近くのペンションを借りた翻訳家。そこに、訳あり風の姉妹がやってきて……。

【エッセイ】

「安西水丸さんのこと」村上春樹
村上春樹さんと安西水丸さんの関係は、春樹さんが千駄ヶ谷で経営していたジャズ喫茶「ピーター・キャット」に、近所に住む水丸さんが通い出したことから始まり、1983年には、春樹さんの最初の短編集『中国行きのスロウ・ボート』の表紙を水丸さんの絵が飾っている。その後、お二人は「文・村上春樹、絵・安西水丸」という形で、『村上朝日堂』を始め多くの共著を世に送り出し、その関係は、水丸さんが世を去るまで続いた。

「安西水丸さんについてのエトセトラ」柴門ふみ
柴門ふみさんはお茶の水女子大在学中から、安西水丸さんと交流があり、水丸さんのエッセイ集『青山の青空』(新潮文庫)では、巻末の特別対談に登場している。

「安西水丸さんのイラストレーション」木内達朗
木内達朗さんは、安西水丸さんが「東京イラストレーターズ・ソサエティ」の理事長を務めた時代の理事の一人であった。著書に、絵本『いきもの特急カール』(岩崎書店)、漫画『チキュウズィン 』などがあり、水丸さん同様、多才なイラストレーターである。

「毒舌と余白」角田光代
角田光代さんは、安西水丸さんが部長を務めていた「カレー部」の部員として、都内各所の美味しいカレー屋さんで舌鼓を打ち、日本酒を痛飲して、愉快な時間を過ごしていた。

「角鉢のなかの風景」平松洋子
平松洋子さんの食を楽しみ、食を哲学する絶品エッセイ『ひさしぶりの海苔弁』『あじフライを有楽町で』では、安西水丸さんが挿絵を担当している。

「安西先生のこと」信濃八太郎
信濃八太郎さんは、大学在学中に安西水丸さんの薫陶を受けて、イラストレーターを志す。水丸さんの没後、WOWOWで放送されている映画番組「W座からの招待状」のナビゲーター役を引き継いでいる。

『毎日新聞』さんの書評欄で知りました。

『安西水丸が遺した最後の抒情漫画集 陽だまり』(講談社ビーシー/講談社・1980円)

 ほのぼのとした画風で没後も人気のイラストレーター・安西水丸は、雑誌『ガロ』でデビューした漫画家でもあった。小説誌に晩年掲載された4本の漫画に、親交のあった村上春樹、柴門ふみ、角田光代、平松洋子の各氏らのエッセーを収録した。
 「抒情漫画」とされるが、水丸作品は異様なエロチシズムが哀愁をかもし出す一種独特なもの。表題作ではボクサー崩れの若者と年上の女性とのつかの間の交情を描く。女性は怪しい素性の老人の愛人であり、若者はその老人と「取り立て屋」の仕事での付き合いがある。社会の影の部分で生きる人々だが、若者は高村光太郎の詩を愛唱してもいる。
 「アメンボ」でも主人公の映像カメラマンは、ポルノ映画の撮影中に中原中也の詩を口ずさむ。15歳の少年による夏休みのバイト先での体験を描く「ボートハウス」、翻訳家の男が仕事で借りた北海道のペンションが舞台の「冬の客」は 、背景をなす季節の風光が鮮やかだ。
 猫好きで知られる村上氏に対し、コンビで数々のイラスト付きエッセーを世に送り出した水丸氏は「犬と猫が大の苦手」だったという。そんな逸話が読めるのも楽しい。


というわけで、4篇の漫画のうち、表題作「陽だまり」で、光太郎詩「冬が来た」(大正3年=1914発表)がモチーフの一つに。

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初出は平成20年(2008)、『小説現代特別編集 不良読本』だそうで、15年前ですね。安西氏が亡くなったのは平成26年(2014)、その際には「ありゃま」という感じでしたが、この作品が描かれていたことは存じませんでした。

氏の漫画以外に、氏と親交のあった方々のエッセーが6本収録されていますが、その内のお一人、柴門ふみ氏など、世界観(視点に男女の相違がありますが)や絵柄等々、安西氏の影響を色濃く受けているかも知れないな、などと勝手なことを考えております。

ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

本気で全力を尽すほど強いものはありません、それはおのづから人に通じます、殊に芸術ではこれ以外に道がありません、ただ巧者だけでやる仕事は結局上手となるに過ぎません。人を動かすのは本気です。


昭和19年(1944)6月20日 藤間節子宛書簡より

なかなか身につまされる文言ですね。

書道関連でいろいろとご紹介させていただきます。

まず、光太郎直筆の書作品が出ている/出されるもの。

トピック展「岸田劉生とその時代」

期 日 : 2023年9月28日(木)~12月26日(火)
会 場 : 似鳥美術館 北海道小樽市色内1丁目3-1
時 間 :  [5~10月] 9:30〜17:00  [11~4月] 10:00~16:00
休 館 : 毎週水曜日
料 金 : 一般1,500円 大学生1,000円 高校生700円 中学生500円 小学生300円

当館の収蔵作品を紹介する小さな企画展「トピック展」。似鳥美術館3階展示室では、「岸田劉生とその時代」を開催いたします。

大正から昭和にかけて活躍した洋画家、岸田劉生。本展では当館が収蔵する劉生作品のうち、初期の自画像や晩年の文人画風の日本画など4点をご紹介します。あわせて、劉生と同時代に活動した萬鉄五郎、高村光太郎の未公開作品も展示。本フロアの常設作品とともに、岸田劉生とその時代を彩った作品の数々をお楽しみください。
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010メインは岸田劉生ですが、光太郎の彫刻と書も。彫刻「十和田湖畔の裸婦像のための手」は、まさにその通りのもので、十和田湖の「乙女の像」の左手部分の習作です。「制作年不詳」となっていますが、昭和27年(1952)です。同型のブロンズ鋳造はあちこちにあり、当方、千葉県立美術館さん、八戸クリニック街かどミュージアムさんなどで拝見しました。

書の方は、短句「山巓の気」、それから短歌「爪きれば指にふき入る秋風のいとたへがたし朝のおばしま」。短歌の方は、繰り返し同じ歌を揮毫したようで、共に短冊でしたが、七夕古書入札市の一般下見展観で見たことがありますし、美術品オークションにも出品されたことがあります。そのどちらかの時のものかどうか、画像が出ていないので分かりませんが……。

似鳥美術館さん、これ以外にも、光太郎の父・光雲とその一派の作を大量に収蔵なさっていて、常設展示で出ています。一度伺いたいと思いつつ、果たせないでいるのですが……。

もう1件。

京都非公開文化財特別公開(一念寺)

期 日 : 2023年11月12日(日)~11月20日(月)
会 場 : 一念寺 京都市下京区柳町324
時 間 : 午前9時~午後4時
料 金 : 大人 1,000円  中高生 500円

 「京都非公開文化財特別公開」は昭和40年にはじまった文化財愛護の普及啓発事業で、文化財を公開することにより、市民あるいは広く国民的な活用に資し、且つそれに基づいて文化財愛護の関心を高めるという趣旨のもと、社寺や文化財所有者の協力を得て実施してまいりました。
この秋は京都市内15か所の文化財を公開します。公開場所によって公開期間や時間が異なりますので、ご来場いただく前に当ホームページ等にて事前にご確認をお願いします。
  皆様から頂戴しました拝観料は、貴重な文化財を未来に伝えるため、保存修理・維持管理等に役立てられます。
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京都市内15の寺院が参加しての事業で、毎年違った寺宝を出す、ということのようです。

このうち、下京区柳町の一念寺さんという寺院で、光太郎直筆の書を出すと予告されています。『朝日新聞』さん記事から抜粋で。

西本願寺の門前町、三つの寺が堂内初披露 幕末の大火後に再建・移転

 浄土真宗本願寺派の本山・西本願寺(京都市下京区)の東側に、いくつもの寺や仏具店が軒を連ねる門前町がある。開祖・親鸞(しんらん、1173~1262)の生誕850年を記念し、門前の三つの寺が、秋の「京都非公開文化財特別公開」(京都古文化保存協会主催、朝日新聞社特別協力)で堂内を初披露する。
 門前町は、時が穏やかに流れる。西本願寺との間を幹線道路の堀川通が貫くが、その騒々しさがここにはない。東西300メートル、南北700メートル。碁盤目状の町割りに、約20の寺が点在する。
 起源は、豊臣秀吉による京都改造で、西本願寺がこの地に移ってきたことにさかのぼる。江戸時代になると、広大な境内に80を超す寺院が並び、幕府の力も及ばない独自の自治を行う寺内町をつくった。しかし、幕末に起きた蛤御門(はまぐりごもん)の変(禁門の変)による大火で焼け野原に。現在の町並みは、その後再建された。

一念寺 「新選組」に対した重鎮ゆかり
 同じ通りの一念寺は、明治維新の頃に門前町の別の場所から移ってきた。幕末期には西本願寺の重鎮・富島頼母(たのも)の屋敷があった。富島は、西本願寺に屯所(とんしょ)を構えた新選組の退去に努めたことで知られる。
 本堂は、法輪寺と同じ座敷御堂。縁側のような入り口から内陣が見える。文化人との交流が深く、収集品も多い。特別公開では芥川龍之介や高村光太郎、泉鏡花らの書画を展示する。
 「文学や芸術への寺の功績を知ってもらえたら」。町歩きの案内もする谷治暁雲(ぎょううん)住職(50)は話す。
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こちらで所蔵されているという光太郎の書、当方、寡聞にして存じませんが、とりあえず。

その他、「芸術の秋」ということもあるのでしょう、この時期、全国各地で現代の書家の方々による書道展等もたくさん開催されており、中には光太郎詩文を題材にされたものも出品されたりしています。既に終わってしまったものも含め、記録のためご紹介しておきます。

支部蘭蹊~書は言葉なり 言葉は心なり~展

期 日 : 2023年10月14日(土)~10月18日(水)
会 場 : 釜石市民ホールTETTO ギャラリー

『釜石新聞』さんから。

釜石応援ふるさと大使 書家・支部蘭蹊さん TETTOで初個展 復興支援で結ばれた絆強く

 「釜石応援ふるさと大使」を務める宮城県仙台市在住の書家、支部蘭蹊(はせべらんけい=本名・一郎)さん(72)が14日から18日まで、釜石市大町の市民ホールTETTOで個展を開いた。中学、高校時代を釜石市で過ごした支部さんは、東日本大震災後、同期生らと古里へのさまざまな支援活動を展開。被災者らに自らの筆で心を癒やす言葉を贈るなど、明日への希望をつないできた。今回は、被災後に新設された同ホールでの初めての個展。これまでの支援活動で支部さんの作品に魅了されてきた人たちをはじめ、多くの鑑賞者が訪れた。
 「書は言葉なり、言葉は心なり」と題した展示会には100点余りが出品された。支部さんの作品は書道を身近に感じられるよう、日常生活で目にできる形に仕上げているのが特徴。額入りや掛け軸のほか、帯地を利用したタペストリー、硯石に刻字した置物、写真に言葉を添えた作品などさまざまな趣向が凝らされている。書かれているのは心を潤す四文字熟語のほか、宮沢賢治や高村光太郎、金子みすゞらの詩、自由律俳句で有名な種田山頭火の句など。支部さん自らが紡いだ文言の作品もある。
(略)
 今回の個展は、昨年就任した同ふるさと大使としての役割を「活動で示したい」と開催した。年齢を重ねていく中で、自分がやってきたことを次につないでいければとの思いもあった。支部さんは「いろいろな人との出会いが私たちの人生を支える。ここに来て会話をしたり、何か気付きを得て帰ってもらう。そういう場を今後も作っていきたい」と、個展の継続開催に意欲を見せた。

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第21回書道 五月女紫映 社中展

期 日 : 2023年10月15日(日)~10月21日(土)
会 場 : 東京交通会館2Fギャラリー

『産経新聞』さん記事。

第21回「書道 五月女紫映 社中展」が有楽町の東京交通会館で開催

 第21回「書道 五月女紫映 社中展」が有楽町の東京交通会館2Fギャラリーで開催されている。
 五月女主宰は、村野四郎詩「鹿」を出品、生き生きとして抒情を誘う。刻字作品「ありがとう」は、ひらがなと漢字の「日々平凡」を組み合わせ、思いが籠る。会員は、漢字、近代詩文書、臨書、小品の書画と多彩な作品を出陳。漢字作品では、冨永香代子さんの白居易「長恨歌」が、師匠譲りの躍動感あふれる筆致で秀逸だ。淡墨で白居易「仙遊寺獨宿」を変化ある三行にまとめた石向竹霞さんの作品も面白い。近代詩文書は、坂本勝彦さんの高村光太郎「冬が来る」、藤井優子さんの金子みすゞ「私と小鳥とすずと」、福田世英さんの自作「思うがままに」などが印象に残る。いずれも衒いのない平明な作品だが、作者の心が伝わってくる。服部弘さんの黄庭堅「松風閣詩巻」は、やや細身だがしっかりとした臨書で好ましい。多士済々、64作が展示され楽しめる。10月21日まで。
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第8回海游舎書展

期 日 : 2023年10月17日(火)~10月22日(日)
会 場 : 埼玉県立近代美術館

やはり『産経新聞』さんより。

「第8回海游舎書展」が埼玉県立近代美術館で開催

 「第8回海游舎書展」(山下海堂会長=産経国際書会最高顧問)が10月17日から22日(午後3時)まで、さいたま市浦和区(JR北浦和駅下車)の埼玉県立近代美術館で開催されている。書道研究海游舎は、山下会長が柴田侑堂門下より独立して創設、以来埼玉県下の社中を糾合し産経国際書会の有力な団体に成長している。
 山下会長は、雄渾な「和気致祥」、「修羅」などを出品。高木撫松さんは情感漂う「中川一郎の詩」など、青木錦舟さんは花吹雪の情景を切り取る意欲作「花がふってくると思う…」ほか、本橋春景さんは直線的な構成で見せ場を作る高村光太郎詩などを出品。他に布施夏翠さん等、漢字、かな、現代詩文など多彩な作品約100点が展示され見ごたえがあった。会長賞を、行草単体で孟浩然の「洛陽訪才子…」を書した大平美侑さん、若山牧水歌「いく山河…」を淡墨で縦二段に散らした大毛青舟さんが受賞。特別賞を、盛田理泉さん、松井遊舟さん、小西桜吟さん、産経新聞社賞を岩本京子さんがそれぞれ受賞した。
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以上3件、終わってしまったものですが(ご紹介が遅れてすみません)、これから開催されるものも。

第10回 日本美術展覧会

期 日 : 2023年11月3日(金・祝)~11月26日(日)
会 場 : 国立新美術館 東京都港区六本木7-22-2
時 間 : 午前10時~午後6時
休 館 : 毎週火曜日
料 金 : 前売券 1,200円 当日券 1,400円 大学生以下無料
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入選者の名簿がネット上に出ていまして、明らかに題名で光太郎詩を書いて下さったのがわかる作が4点(見落としがあったらすみません)。
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この手の公募展で、もう一つ、書家の菊地雪渓氏によれば、11月18日(土) ~ 11月24日(金)、 東京都美術館さんで開催される「第45回東京書作展」の第3次審査まで残った作に光太郎詩「雪白く積めり」を書いた作品が入ったそうです。第4次(最終)審査に進出上位10作品には残らなかったようですが、展示されるのは間違いないでしょう。詳細がわかりましたらまたご紹介します。
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最後に、ちょっと変わったものが出品されている書道展。

特別企画展 郷土の書人・画人・教育者 上田桑鳩展~上田家・飛雲会寄贈品~

期 日 : 2023年10月14日(土)~11月26日(日)
会 場 : 堀光美術館 兵庫県三木市上の丸町4番5号
時 間 : 10:00~17:00
休 館 : 月曜日 11月24日(金)
料 金 : 一般500円 大学/高校生250円

日本経済新聞の題字を手がけたことでも知られる三木市吉川町出身の書道家上田桑鳩(うえだそうきゅう)の特別企画展

上田錦谷時代(大正後期)から最晩年に至る多彩な桑鳩芸術の全容を公開 ※錦谷(きんこく)とは桑鳩を名乗る以前の雅号

令和3年度に上田啓之氏から寄贈いただいた書作品、スケッチブック、教科書などと令和2年度に飛雲会より寄贈いただいた作品を中心に展示します
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前衛書家として名を成した上田ですが、書作品以外に旧蔵品が出品されており、その中で光太郎の書を集めた『高村光太郎書』(昭和34年=1959 二玄社)も。
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見返しに上田による同書の感想がびっしり書き込まれているそうです。「彫込し如き筆の痕」「深く大きく宇宙刻めり」といった文言が見えます。光太郎の書によほど感銘を受けたのでしょう。

同書、ハードカバーの初版が昭和34年(1959)の刊行。美術史家の奥平英雄、当会顧問であらせられた北川太一先生の編集になる大判の書作品集です。昭和51年(1976)にはソフトカバーの改訂新版も出ていますが、上田の没年が昭和43年(1968)ですので、初版の方でしょう。

手にとって見られるよう、複製したものも展示しているとのこと。面白い試みですね。

ところで、光太郎書といえば、花巻高村光太郎記念館さんで開催中の企画展示「光太郎と吉田幾世」にも、初公開のものを含む書が出ていますし、同館では常設でも光太郎書を多数展示しています。
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ちなみに当方、明日から2泊3日で花巻です。同展関連行事の市民講座の講師、さらに宮沢賢治イーハトーブ館さんでのシンポジウム的な「高村光太郎生誕140周年記念事業 続 光太郎はなぜ花巻に来たのか」でコーディネーターを務めさせていただきます。

以上、実にいろいろご紹介しましたが、開催中のもの、これから始まるものについては、ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

小生は疎開しません、地方に親戚もなく、又彫刻の仕事は道具類の関係上このままの方がよいと思つてゐます、どんな危険な時でも小生は平気でやつてゐる気です。


昭和19年(1944)3月29日 舟川栄次郎宛書簡より 光太郎62歳

米軍による本土空襲は既に始まっています。結局、翌年4月13日の空襲で、光太郎自宅兼アトリエは灰燼に帰す事になります。

昨日は埼玉県に行っておりました。主目的は、東松山市で開催中の「彫刻家 高田博厚展2023」拝見でした。

そちらに行く前、東松山にほど近い鶴ヶ島市に寄り道。
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安養山善能寺さんという寺院です。少し前、こちらにあるお堂の中に光太郎の父・光雲作の仏像と、光太郎の書を板に写したものなどがある、という情報を得まして、そちらを拝観させていただこうというわけで。

目指すお堂は山門を入った境内ではなく、駐車場にありました。
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ところが扉に鍵がかかっていまして、寺務所に行ってご住職に開けていただきました。ご住職、これから法事なので、ということで「一瞬でもいいですか?」「一瞬でいいです」。

さすがに一瞬(原義は「一度またたきをするほどの極めて僅かな時間」)とは行きませんでしたが(笑)、許可を得て写真を撮らせていただきました。
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光雲作という観音像は、おそらく木彫金箔張り。ただ、箔は剥離している部分もあり、100年程は経っている感じです。また、銘などは確認出来ませんでしたが、いいものであることは間違いないようです。

その右に光太郎書「甘酸是人生」を写した板。鶴ヶ島市と東松山市の間に位置する坂戸市の玄石庵さんの作と思われます。オリジナルの書は花巻高村光太郎記念館さんで常設展示されています。平成27年(2015)、当方もちょっとだけ制作に協力させていただいたNHKさんの「趣味どきっ!女と男の素顔の書 石川九楊の臨書入門 第5回「智恵子、愛と死 自省の「道程」 高村光太郎×智恵子」」で取り上げられた書です。花巻の林檎農家・阿部氏に贈られました。「甘酸」は林檎の味にかけています。
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さらに堂内には、光太郎の書いた般若心経を写した、おそらく陶板も。
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やはり埼玉県のときがわ町にある正法寺さんと言う寺院に、平成11年(1999)、同様の衝立が奉納されており、何か関係があるのかも知れません。正法寺さんのものは全文ですが、こちらは冒頭部分のみ。

善能寺さんのご住職によれば、それぞれ檀家衆からのご寄進、的なお話でしたが、詳しいことを聴いている時間がありませんでした。それでもお忙しい中で対応して下さり、感謝です。

善能寺さんを後に、愛車を北に向け、東松山へ。中心街に着く前、高坂地区を通りましたので、「高坂彫刻プロムナード」にも立ち寄りました。光太郎胸像を含む、高田博厚の彫刻32体が並んでいます。
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各地にある同型のものを含め、何度も拝見していますが、何度見てもいいものです。特に東松山のものは、色がいい感じに落ち着いています。

さらに北上し、「彫刻家 高田博厚展2023」会場の市民文化センターさんへ。
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昨年から同展会場がこちらになりました。それ以前は市役所向かいの総合会館さんでした。
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メインの高田の彫刻群。2室使っての展示でした(昨年は1室だけだったような……)。
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光太郎も詩のモチーフにしたフランスの詩人、レオン・ドゥーベルなど、主として肖像彫刻群が中心でした。
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鎌倉にあった高田のアトリエの一部を再現したコーナー。
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同じく鎌倉にあった高田愛用のピアノ。
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平成30年(2018)、高田博厚彫刻展の関連行事として行われた堀江敏幸氏との公開対談で同市を訪れられた、故・野見山暁治氏追悼コーナーも設けられていました。
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昨年もなされていましたが、高田が肖像を制作した人々などに関する展示も。

光太郎。
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同市と高田とを結びつけた、元同市教育長の故・田口弘氏。
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光太郎、高田、そして田口氏三人の関連年表。
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元は当方が作って、同市での市民講座「高田博厚、田口弘、高村光太郎 東松山に輝いたオリオンの三つ星」でレジュメの一部として配付したものです。昨年も展示されていたのかも知れませんが、気づきませんでした。「ありゃま」でした(笑)。

その他、一週間前に開催された「ひがしまつやまアートフェスタin高坂彫刻プロムナード」で、市民の皆さんが作られた彫刻なども。
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こんな感じで「彫刻の街」的な進め方もありだな、と思いました。

拝観後、関連行事としての講演会を拝聴。講師は同市にお住まいの陶芸家・畠山圭史氏。
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当方は拝見していませんでしたが、令和元年(2019)の連続テレビ小説「スカーレット」で、実技指導やストーリー構成に関わられたそうですし、氏の作品が劇中でも使われたとのこと。
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陶芸家としては異色のご経歴の方です。元々、カーデザイナーであらせられたのが、そのお仕事の中で粘土を使ううちに、粘土で形を作る魅力に取り憑かれ、脱サラして陶芸界に入られたとのこと。そこで、同じく粘土で造型を行うお立場から、高田の彫刻について私見を述べられたりなさいました。機械による制作ではない「手」での造型ということで(ご自身の陶器に関してもそうでしたが、「指の跡」という語を多用なさっていました)、相通じるものがある、と。また、そういう点で、光太郎と同じ明治16年(1883)生まれの北大路魯山人の作に衝撃を受けたともおっしゃっていました。

同市の吉澤教育長による終演後の謝辞。
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実は当方、亡父の仕事の都合で小5の途中から中2が終わるまで、同市に3年半程居住しておりまして、何と、吉澤教育長、中2の時の同級生、それもわりと仲の良い存在でした。ちょっと前にそういうことが判明し、教育委員会の方を通じて当方の訪問は伝えてありました。この後、約45年ぶりに久闊を叙しました。

閑話休題、「彫刻家 高田博厚展2023」、11月7日(火)までが会期です。ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

一昨日は早速お話の桜材の一端 御持参下され、尚又その節貴重な食品まで頂戴、感謝に堪へません、


昭和19年(1944)4月13日 内山義郎宛書簡より 光太郎63歳
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以前にもご紹介しましたが、当会の祖・草野心平主宰の『歴程』同人だった内山義郎に宛てた葉書で、10年ちょっと前に入手しました。住所が「比企郡今宿村」となっています。東松山市に隣接する現在の鳩山町です。どうも内山が疎開していたのではないかと考えられます。「観音院」という寺院、令和元年(2019)に行ってみましたが、建物は残っていたものの既に廃寺状態でした。

智恵子の故郷、福島から写真コンテストの応募案内です。キャッチコピーが「“ほんとの空”のあるふくしまの星・月の風景をあなたの感性で捉えてください」す。言わずもがなですが、「ほんとの空」の語は、光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)から採られています。

第7回 ふくしま星・月の風景 フォトコンテスト作品募集

“ほんとの空”のあるふくしまの星・月の風景をあなたの感性で捉えて下さい。

 郡山市ふれあい科学館では、星や月の輝く夜とともに、福島県の豊かな自然・そして人の暮らす風景を捉えた写真作品を募集し、広く全国に紹介することを目的に「ふくしま 星・月の風景 フォトコンテスト」を開催いたします。
 星や月の輝く夜空と地上の夜の景色の融合した風景、月明かりに照らされた幻想的な夜の風景など、あなたの視点での「星・月の風景」を撮影してご応募ください。

 2023年11月5日(日)締切です!

作品テーマ 福島県内で撮影された、星・月の風景
※星空や月と風景を併せて写した「星景写真」
※月の光を効果的に生かして撮影された「月光写真」や、湖面に映る星などを捉えた写真など、"星や月を感じられる"風景写真を広く対象とします。

【注意】比較明合成を含め、画像合成などの加工を施した写真は今回の募集対象外です。(カメラの撮影モードで、上記と同様の処理がなされた作品も対象外となります。)

応募締切 2023年11月5日(日) ※消印有効

送 付 先
〒963-8002 福島県郡山市駅前二丁目11番1号
郡山市ふれあい科学館 ふくしま星・月の風景フォトコンテスト係
※直接持参される場合は開館日の10時~17時の受付となります。

審 査 員
【全体審査】
 鈴木 一雄 氏 (自然写真家/福島県出身)
 渡部 潤一 氏 (天文学者・名誉館長/福島県出身)
 郡山市ふれあい科学館長

選 賞
【大賞】1点(副賞5万円) 
【審査員特別賞】2点(副賞3万円) 
【特別賞】5点程度  
【入賞】30点程度
※表彰者には、作品写真集を贈呈いたします。

応募規定/応募形式
・カラープリント 四つ切(254×305mm)、ワイド四つ切(254×365mm)、A4サイズ、B4サイズ
※今回から応募はプリントのみの受付となります。
※トリミングの有無を応募用紙に記入してください。
※画像処理による被写体自体の加工、極端な色彩の変更を加えた作品は失格とします。また、倫理に反する(立ち入り禁止区域での撮影、木の枝を折るなどの行為による)作品は、判明次第失格とします。

・応募点数に制限はありません
※発表済みの作品でも応募可とします。ただし他のコンテストで発表の場合、当該コンテストの規定等をご確認の上で応募ください。

・応募者のプロ・アマを問いません。モラルとマナーを守って、自然や周囲に配慮しての撮影をお願いします。

応募方法
作品1点ごとに、必要事項を記入した応募票を、作品の裏側にセロハンテープでとめて応募ください。

作品の返却
プリントの返却はいたしません。

作品の著作権
応募いただいた作品の著作権は、基本的に撮影者に帰属するものとします。ただし、以下の点において、主催者が作品を使用する権利を有するものとします。
・写真展での展示(今後予定している巡回展を含む。)
・主催者が本事業に関連して発行する刊行物および雑誌・新聞等への掲載、インターネットへの掲載
・科学館事業における写真使用
・今後の本事業のための宣伝・広告のための印刷物への掲載
このほか(本企画の趣旨に合致した事業を実施するために行う展示への貸し出し、およびその宣伝広告のための印刷物への掲載許可など)については、その都度協議の上で対応するものとします。

選考と発表
選出作品については、新聞紙上・カメラ雑誌・郡山市ふれあい科学館ウェブサイトなどで氏名とともに発表いたします。また、令和5年度以降に郡山市ふれあい科学館で行う写真展、および作品写真集「ふくしま 星・月の風景 Vol.7」に掲載します。

※選考後に、作品原版(ポジ・データ)の提出をお願いする場合があります(原版は一定期間後に返却いたします)。また、応募時より詳細な撮影データ(特に撮影地と撮影年月日)についても、お伺いすることがあります。

個人情報の取り扱い
応募に際していただいた個人情報は、郡山市ふれあい科学館が管理し、本コンテストの実施運営に関わる作業のみを目的として使用いたします。個人情報は、契約に基づく委託先を別として断りなく第三者には提供いたしません。

審査結果を発表する際には、表彰者の賞名、作品、作品タイトル、氏名、住所(市町村まで)を公表いたします。

主 催 郡山市ふれあい科学館(公益財団法人郡山市文化・学び振興公社)
協 賛 (株)シグマ (株)ケンコー・トキナー
後 援 福島県 一般社団法人郡山市観光協会 福島民報社 福島民友新聞社 
    朝日新聞福島総局 毎日新聞福島支局 読売新聞東京本社福島支局 NHK福島放送局
    福島テレビ 福島中央テレビ 福島放送 テレビユー福島 ラジオ福島
    ふくしまFM 郡山コミュニティ放送ココラジ
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前回の第6回は令和2年(2020)に募集でしたので、約3年ぶりとなります。その際までは、漫画家の故・松本零士氏が名誉館長でしたので、審査員に名を連ねられていました。

当方、平成28年(2016)開催の第4回の際は、郡山で入賞作品展を拝見して参りました。

かなりのハイレベルですが、腕に覚えのある方、ぜひ福島の「ほんとの空」(ただし「星・月の風景」ですから基本的に夜間でしょうが)の素晴らしさを広めるためにも、お力をお貸し下さい。

【折々のことば・光太郎】

それでは二十六日にはそのつもりで居ります、暗いうちから支度しようと思つてゐます、電車の都合ではここから上野駅まで歩かねばならないかも知れません、話はただ平常思つてゐることをとりとめもなく話す外ありません、


昭和19年(1944)3月19日 宮崎稔宛書簡より 光太郎62歳

宮崎の父で、素封家だった仁十郎が檀家総代を務めていた、茨城取手の長禅寺で行われた講話に関わります。
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長禅寺には戦時中、錬成所という社会教育のための機関が置かれていたとのことで、ここで光太郎の講話が行われました。聴衆は40名程。それを聞いた稔の姪の話では「母というのはいいものだ」というような話があったということです。

画家・柳敬助。光太郎より2歳年上で、東京美術学校の西洋画科、さらに黒田清輝の白馬塾に学びました。アメリカ留学中に光太郎、さらに荻原守衛と親しくなり、帰国後も交流が続きました。光太郎とは留学前から面識があった可能性がありますが、親交を持つようになったのはニューヨークでのことです。
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さらに柳の妻・八重は日本女子大学校での智恵子の先輩。そこで、明治44年(1911)、光太郎智恵子の最初の出会いの際には八重も同席していました。

そこで、光太郎を扱った映画や演劇、小説などでは、光太郎と智恵子を結びつけた重要な役どころとして柳夫妻が登場することが多く、当方執筆のジュブナイル「乙女の像ものがたり」でもそうさせていただきました。



動画は、一昨年、「乙女の像ものがたり」を「おもしろい」と言って下さった朗読家・北原久仁香さんによるものです。

その柳敬助、今年が没後100年にあたります。関東大震災のあった大正12年(1923)の5月、病のため数え43歳の若さでなくなっています。没後に日本橋三越で開催された遺作展は、ちょうど関東大震災当日が初日で、多くの作品が灰燼に帰してしまいました。

没後100年を記念して柳の出身地・千葉県上総地域で偲ぶイベントが、2件ヒットしました。

第116回 房総の地域文化講座 没後100年、画家・柳敬助の生涯

期 日 : 2023年11月5日(日)
会 場 : 木更津市中央公民館 千葉県木更津市富士見1丁目2番1号
時 間 : 14:00~15:20
料 金 : 400円

講 師 : 渡邉茂男氏 (君津市文化財審議会委員)

本年は、君津市泉出身の著名な洋画家、柳敬助の没後100年にあたります。わが国の西洋画黎明期に活躍した柳敬助の生涯や生き方を、房総や京都などに残された新出絵画などを含めて、高村光太郎、荻原碌山、新宿中村屋夫妻などとの出会いの中でお話しします。

地方紙『新千葉新聞』さんに予告記事。

房総の地域文化講座 講師は渡邉茂男氏

 房総の地域文化を学ぷ会(会長・篠田芳夫、元君津地方公民館運営審議会委員連絡協議会会長)主催、「第116回房総の地域文化講座」が、11月5日(日)午後2時から3時20分まで(受付開始は午後1時30分)、木更津市中央公民館(JR木更津駅西口前「スパークルシティ木更津」6階)の第7会議室で開かれる。
 テーマは『没後100年、画家・柳敬助の生涯』。講師は渡邉茂男氏(君津市文化財審議会委員)。
 今年は、君津市泉出身の著名な洋画家、柳敬助の没後100年にあたる。
わが国の西洋画黎明期に活躍した朷敬助の生涯や生き方を、房総や京都などに残された新出絵画などを含めて、高村光太郎、荻原碌山、新宿中村屋夫妻などとの出会いの中で話す。
 会員でなくても受講できる。受講料(中学生以上)は非会員のみ400円、会員は無料。非会員は事前申し込みが必要。
 なお、同公民館には駐車場がないが、近くの成就寺境内の市借用無料駐車場が利用できる(周辺に有料駐車場もあり)。またマスク着用など、コロナ感染防止策に協力を求めている。
 参加申し込み・問い合わせは筑紫敏夫(つくしとしお)幹事長までメールか電話で。
 ℡090-3431-9483(留守電に伝言メッセージを入れてください。折り返し連絡します)。
 メールアドレス toshi-551223@kzh.biglobe.ne.jp
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また、木更津市に隣接する君津市小糸地区(ピンポイントで柳の出身地の近くだそうで)では、柳の作品展示。「第52回小糸地区文化祭」の一環ということで、明日、明後日です。
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お近くの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

何しろかういふ時ですから全力を出して自分の為すべき事を為すのみです、正しい美の世界を日本からまづ生み出してゆかねばなりません、その地ならしをするだけでも果し得れば本懐と思つてゐます、


昭和19年(1944)3月15日 伊藤海彦宛書簡より 光太郎62歳

昭和19年(1944)となり、戦争も末期に入ってきました。相変わらず様々な翼賛運動に関わっていた光太郎ですが、その根底にはこういう心境、そして人心を荒廃から護るという使命感のようなものがあったようです。

一方で、遠く明治末、柳と共に過ごしたアメリカで受けた人種差別に対する遺恨というか、意趣返しというか、そういう一面も確かにありました。

光太郎第二の故郷、岩手花巻で光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさん。活動報告をお送り下さいまして、そこからご紹介させていただきます。

グルメ系で、花巻市土沢地区にある「ワンデイシェフの大食堂」さんでの取り組み。同店は一般の皆さんが店の調理場を借りてランチを作り、それを販売するというシステムです。やつかの森LLCさんでも、不定期ながらおおむね月に一度、「こうたろうカフェ」としてランチをご提供。

一昨日が「こうたろうカフェ」で、その画像等が届きました。
メニュー看板
メニュー表 (2)
本日のランチ
香茸おこわ、鶏もも肉 リンゴのソテー
ハムのトッピング
洗い場基本的には、日記等から読み取れる、光太郎が自分で作ったメニューや使った食材などを現代風にアレンジして、ということですが、かなり本格的ですね。メニューは画像にもありますが、文字起こししますと、以下の通り。

 ・香茸おこわ
 ・ピザトースト
 ・鶏もも肉のマスタード焼き
 ・青菜のエチュベ
 ・しめじの菊花和え
 ・赤ささげ豆煮
 ・南瓜の野菜スープ
 ・お新香
 ・栗入り小豆寒天
 ・アメリカンコーヒー


季節感もたっぷりです。

以下、画像が添えられていたメール本文からコピペ。

・鶏もも肉のマスタード焼き 粒マスタードに蜂蜜を入れてます。
・付け合わせは、マカロニポテトサラダ、ハムのせ
・りんごは、バターで焼くと甘くなっておいしいです。
・青菜のエチュベは、ほうれん草、小松菜、豆苗、キャベツのバター味の蒸し煮です。
・バターナッツカボチャは、スープに合います。サツマイモ、玉ネギ、ササゲ、ベーコンなど具沢山です。
・香茸おこわは、香りが良くて、初めの方も沢山いらっしゃいました。
・煮豆は、程よい甘味に仕上げてます。
・シメジの和え物は、和風だしで菊花の食感と香りを楽しみます。
・ピザトーストは、アンチョビソースをベースにして、パプリカと紫玉葱のスライス、こんがりチーズの上に塩ゆでしたむきエビをのせて焼きました。
・仕上げにイタリアンパセリを添えます。
・デザートは、ほんのり甘く煮た栗をあずき寒天に閉じ込めました。コーヒーに合います。
・太田産の食材を使い、秋を満喫していただければ幸いです。お腹いっぱいのこうたろうカフェのランチでした!

「太田」は光太郎が7年間暮らした旧太田村(現・花巻市太田)です。

驚いたのは、平日昼間にもかかわらず、用意した32食分があっという間に完売とのこと。大都会、あるいは地方でも有名観光地とか利便性の良い商業施設内とかならいざ知らず、失礼ながら、そういう場所ではありません。「こういうことを始めます」とお知らせを頂いた今春、これまた失礼ながら「あんな立地のところで成り立つんだろうか?」と心配したのですが、杞憂に終わったようです。常連さんもついたそうですし。

それもこれも料理のおいしさ、さらに価格の点(ワンデイシェフの大食堂さんの共通取りきめで1,000円)もあるのでしょう。

もう1件、やつかの森LLCさんの活動。「出前講座」だそうです。

花巻市では、各種市民団体や、おそらく学校さんや企業さんなど、講座を受けたいという場合に「この人の、あるいはこのグループのこういう講座を開いてほしい」と要望を出せば、それが実現するというシステムがあるそうで、それが「出前講座」です。

依頼主はどういう団体か当方は存じませんが「わかくさ新緑の会」という方々だそうで、テーマは「高村光太郎のハイカラ料理を知ろう」とのこと。

調理法の講座というわけではなく、料理はあらかじめ、やつかの森LLCさんと以前にもコラボなさった盛岡郊外の紫波郡矢巾町にあるTOM CREPERIE&DELIさんがご用意。

メニュー
トム特製ランチ
やつかの森LLCさんは、寸劇の形で旧太田村時代の光太郎をご紹介なさったそうです。
勝治先生と吉田幾世
洗い場 洗い場
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郵便荷物届ける女先生
洗い場 洗い場
現在、花巻高村光太郎記念館さんで開催中の企画展示「光太郎と吉田幾世」にもからめて下さったそうです。

バイタリティー溢れる各方面でのご活動、頭が下がりますし、光太郎の世界をご紹介下さり、有り難く存じます。偉人の顕彰といっても、何も小難しい文章を書いたり何だりではなく、こういう切り口も大いにありだな、と存じます。全国の各種顕彰活動に携わる皆さん、御参考までに。

【折々のことば・光太郎】

八木重吉さんの詩集決定版のやうなものがあなたの手で編まれ、書物展望社から出る運びとなられた由、およろこび申上げます、題字も書きませう、お示しのどちらの題名がよいか小生も迷ひます、

昭和18年(1943)12月27日 八木登美子宛書簡より 光太郎61歳

八木重吉は光太郎より15歳年下の詩人。昭和2年(1927)に結核のため、早世しました。その遺稿を未亡人・登美子が戦時中も守り続け、昭和17年(1942)は光太郎や八木と親しかった草野心平らの尽力で『八木重吉詩集』が刊行されましたが、誤植等が多く、改めて登美子の編集による決定版詩集の刊行が企図されました。

登美子はその題字揮毫を光太郎に依頼し、それに対する返答です。この時登美子が題名の候補として挙げたのが「麗日」「花がふつてくるとおもふ」。それぞれ重吉の詩の題名ですが、どちらかを詩集の題名にも使おう、というわけでした。

光太郎は二種類とも揮毫し、登美子に送りましたが、やはり戦時中ということもあり、個人での出版は不可能で、光太郎の揮毫はお蔵入りとなりました。現物は神奈川近代文学館さんに収蔵されています。

岩手から市民講座の案内です。手前味噌で恐縮ですが……。

高村光太郎生誕140周年記念事業「続 光太郎はなぜ花巻に来たのか」

期 日 : 2023年11月1日(水)
会 場 : 宮沢賢治イーハトーブ館 ホール 岩手県花巻市高松1-1-1
時 間 : 14:00~16:30
料 金 : 無料
      ※ 先着200名限定、満席となり次第入場不可 整理券の発行は行いません。

花巻市太田・山口での7年間の生活について、見た事、伝え聞いた事について語り合いながら、光太郎の生き様について紐解いてみる。
第一部は太田地区の皆さんから、第二部は地域外の方々から光太郎観について伺いながら、光太郎ファンの幅広い拡大につなげる。

メインパネラー
 宮沢和樹氏 「林風舎」代表取締役 賢治実弟・宮沢清六令孫

パネラー 
 浅沼隆氏  高村光太郎記念会理事 太田の高村山荘近くに居住 花巻農学校卒
 寺沢三夫氏 花巻地方農業共済組合総代並びに総代長を歴任
 照井康徳氏 高村光太郎山口会会長 花巻農学校卒
 阿部彌之氏 「宮沢賢治」花巻市民の会元会長 「宮沢賢治学会」元副代表
 菊池節子氏 俳句結社「藍生」「樹氷」会員
 森川沙紀氏 花巻市地域おこし協力隊員

コーディネーター
 小山弘明  高村光太郎連翹忌運営委員会代表

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主催は、かつて光太郎が戦後の7年間を過ごした旧太田村(現・花巻市太田)の太田地区振興会さん。今年2月、やはり同会主催で行われた宮沢和樹氏と当方の公開対談「高村光太郎生誕140周年記念事業 対談講演会 なぜ光太郎は花巻に来たのか」が好評だったとのことで、第二弾です。

今回は生前の光太郎をご存じの方々などにお集まりいただき、いろいろと語っていただきます。当方はコーディネーターということで、皆様からお話を引き出す役です。

今回もご登壇いただく浅沼隆氏を含め、やはり生前の光太郎の思い出を語って貰う座談会が、平成30年(2018)5月、光太郎が暮らした山小屋(高村山荘)敷地内で当時行われていた「高村祭」の中で催されまして、司会を務めさせていただきました。
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その際にお話を伺った高橋愛子さん高橋征一さんは既に亡くなられました。

それからつい最近、今回のパネラー候補のお一人だった平賀タエさんという方が亡くなったそうです。平賀さんは、愛子さんと同級。御年91歳であらせられました。光太郎に山小屋の土地を提供した駿河重次郎の長女で、光太郎の日記にも「たえ子」として30回近く名が出て来る方でした。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

さて、11月1日(水)、平日昼間ですが、ご都合の付く方、ぜひどうぞ。現在、会場の宮沢賢治イーハトーブ館さんでは賢治がらみで「ますむらひろし『銀河鉄道の夜 四次稿編』複製原画展」も開催中です。併せてどうぞ。
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また、翌日の11月2日(木)には、現在、花巻高村光太郎記念館さんで開催中の企画展示「光太郎と吉田幾世」の関連行事として、同館で当方ピンでの同名の講座も予定されています。というわけで、当方2日連続です(笑)。

【折々のことば・光太郎】

辻詩の集といふのは小生まだ見ませんが、へんな誤植のあつた事はほんとにお気の毒に存じます、詩の誤植は殊に閉口にて殆ど全篇を傷ける事になります、小生なども常に新聞雑誌でこの誤植になやまされて居ります。


昭和18年(1943)11月10日 上田静栄宛書簡より 光太郎61歳

007「辻詩の集」は『辻詩集』。光太郎が詩部会長となった日本文学報国会の編集で刊行されたアンソロジーで、多くの詩人の翼賛詩が集められました。なぜかこの手のアンソロジーには必ずと言っていいほど採られている光太郎の作は載っていませんが。

誤植は本当に恐ろしいと思います。

当方も最近、よくやります。上述の「光太郎と吉田幾世」講座のレジュメ、花巻市役所さんに送ったところ指摘があり、「地方」を「痴呆」としていました(笑)。「痴呆はお前だ!」とツッコミが入りそうです(笑)。

また、過日発行した『光太郎資料』60集でも、「当会」とすべきところを「倒壊」(これもなかなか笑えます)、「特異な」が「得意な」(こちらは「あるある」ですが)。これも指摘されて初めて気づいた有様で……。一応、それぞれプリントアウトして確認しているのですが、ふっと集中力の途切れた時に視線がそこを通り過ぎると、見落とすのですね。そうでなければ「痴呆」や「倒壊」はありえません。気をつけます。

岡山県から演奏会情報です。

岡山市民合唱団鷲羽 第50回記念定期演奏会

期 日 : 2023年10月29日(日)
会 場 : 岡山シンフォニーホール 大ホール 岡山県岡山市北区表町1丁目5-1
時 間 : 14:30開場 15:00開演
料 金 : 前売1,500円 当日2,000円

曲 目 : 
 Ⅰ.混声合唱とピアノのための「信じる」 谷川俊太郎作詞 松下耕作曲
   指揮・大森紀美子 ピアノ・平わか
 Ⅱ.「智恵子抄 三章」岡山市民合唱団鷲羽 第50回定期演奏会記念作品 
   高村光太郎作詞 上月明作曲 指揮・上月明 ピアノ・松原久美子

 Ⅲ.第50回記念定期演奏会特別ステージ 
   皆様と共に振り返る「鷲羽」の半世紀~あの名曲を再び
   Memory 浜辺の歌 案山子 ほか

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存じ上げない方ですが、上月明氏という方の作曲で「智恵子抄 三章」。「第50回定期演奏会記念作品」とあるので、委嘱初演なのでしょうか。また、同じ岡山の作曲家・青木省三氏にやはり「智恵子抄 三章」という合唱曲と、それを編曲した独唱曲(平成29年=2017に千葉県の柏で拝聴しました)があるのですが、何か関連はあるのでしょうか。

お近くの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

尚つひでに「某月某日」を同封いたしました、おんつれづれの時にでも御披見下さい。

昭和18年(1943)7月27日 高祖保宛書簡より 光太郎61歳

『某月某日』は、この年4月に『智恵子抄』版元の龍星閣から刊行された光太郎の随筆集。草野心平主宰の詩誌『歴程』に載った同題の半連載などを集めたものです。
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3件ご紹介します。

まず、昨日もお伝えした青森県十和田市の「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」について。地方紙『東奥日報』さんが報じて下さいました。

十和田湖・乙女の像70歳、感謝込めきれいに

003 十和田湖畔休屋(青森県十和田市)の御前ケ浜に立つ乙女の像の除幕式から70周年を迎えた21日、湖のシンボルに感謝の意を表そうと、地元の休屋町内会が像や周辺の清掃活動を行った。
 地域住民のほか、十和田湖を世に広く紹介した文人・大町桂月や乙女の像の研究に携わる市民団体有志ら約20人が参加。観光客でにぎわう前の午前7時半から30分余り、像や台座などを雑巾で水拭きし周辺の敷石にブラシをかけた。
 雨の中の作業となったが、同町内会の金村金作会長(74)は「乙女の像は十和田湖一番の名物なので、末永く大事にしたい」と話した。
 都内在住で、夫と観光に訪れた小田奈緒子さん(70)は清掃活動のことを知り「像は力強いという印象。地元の方は誇りを持っているのでしょうね」と話していた。
 乙女の像は、大町桂月、県知事・武田千代三郎、法奥沢村長・小笠原耕一ら十和田湖の「三恩人」の功績をたたえ、湖の国立公園指定15周年を記念し建てられた。1953年10月21日、制作者の彫刻家高村光太郎らが参加して除幕式が行われた。

あと30年経てば、100周年なのですね。光太郎自身は像を題材にした詩「十和田湖畔の裸像に与ふ」で、「いさぎよい非情の金属が青くさびて/地上に割れてくづれるまで/この原始林の圧力に堪へて/立つなら幾千年でも黙つて立つてろ。」と謳いましたが。

続いて、智恵子の故郷・福島県の『福島民報』さん。「福島県 今日は何の日」というコラム的な連載です。

福島県 今日は何の日 10月19日 2002(平成14)年10月20日 ねんりんピック開幕 福島市で開会式

002 第15回全国健康福祉祭ふくしま大会(うつくしまねんりんピック2002)が開幕した。総合開会式は福島市の県営あづま陸上競技場で常陸宮ご夫妻をお迎えして行われた。
 テーマは「ほんとうの空に響け ねんりんの輪」。全国47都道府県と12政令指定都市選手団が入場行進、ウエルカムコンサート、マーチングバンドなどが行われた。
 全国から60歳以上の約9800人が参加、3日間にわたって県内10市13町1村を会場にスポーツや文化の23種目で熟年の力と技を競った。 

『智恵子抄』所収の「あどけない話」(昭和3年=1928)由来の「ほんとうの空」(正確には「ほんとの空」ですが)の語、福島では折あるごとに使われていますが、同じ「福島県 今日は何の日」によれば、県と県観光連盟が「観光ふくしま」のキャッチフレーズとして「“ほんとの空”があるふくしま」を制定したのが昭和54年(1979)。意外と古い話でした。

その後、平成2年(1990)には、5年後に開催された第50回国民体育大会のスローガン(合言葉)が「友よ ほんとうの空に とべ!」となっています。その流れでねんりんピックでも「ほんとうの空に響け」としたのでしょう。

今後も使い続けていただきたいところですが、出来れば正確に「ほんとの空」の方で、と存じます。

最後にテレビのローカルニュース。FNN系の福テレさん、10月15日(日)の放映でした。

安達太良山の雄大な自然に抱かれ”ととのう” 絶景サウナと極上水風呂<岳温泉 陽日の郷 あづま館>

 2022年10月には客室がリニューアルした、福島県二本松市にある岳温泉「陽日の郷あづま館」 洋室の「東扇」は、木のぬくもりあふれる、広々としたスタイリッシュな空間。窓からは、安達太良山を望むことができる。この「あづま館」に、日々の疲れを癒してくれるサウナがリニューアルオープンした。
 施設最上階の7階に、サウナフロアがリニューアル。サウナプラン利用者限定で、特別なサウナを楽しむことができるという。サウナは「空サウナ」と「山サウナ」の2タイプで、貸し切りもできるという。
◆一日最大4組限定・朝夕付ビュッフェプラン 一泊24200円~
 昼も夜も景色を楽しめる「山サウナ」は、被災地で採れた木材を使用。樽型のバレるサウナで、森を眺める1台と空間を楽しむ1台、計2台を完備。自然を存分に感じることができる。
 「空サウナ」では、全面ガラス張りの開放的な空間が広がり、“ほんとうの空”を見渡すことができる。サウナヒーターは東北初導入のikiヒーター。選べるアロマオイルをかけロウリュウを満喫。
 火照った体のクールダウンは「インフィニティ水風呂」へ。自然と一体化したような気分で、絶景を眺めながらととのうことができる。
 サウナを出た後には、ラウンジでレモンサワーやビールが飲み放題。
 この極上のサウナが利用できる一日一組限定の日帰りプランや宿泊プランなど、詳しくは「陽日の郷 あづま館」のホームページをご覧ください。
<陽日の郷 あづま館> 二本松市岳温泉1-5 https://azumakan.com/
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「空サウナ」、いい感じですね。

十和田湖、そして岳温泉、それぞれぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

御著“生ける魂”を拝受、忝く存じましたが、昨夜何げなく繙読いたしましたところ、身につまされるやうな事ばかりにて、貴下の衷情に思をはせ、殆ど涙を流しながら読了しました。 殊に最後の章に至つて同感に堪へず、巻をふせて長大息いたしました、小説をよんでこんなに感動したのはめづらしい事でした、

昭和18年(1943)5月24日 中山義秀宛書簡より 光太郎61歳

中山義秀は智恵子と同じ福島中通りの西白河郡大屋村(現・白河市)出身の小説家。『生ける魂』はこの年刊行された中山の小説で、『智恵子抄』から詩篇を引用しつつ、亡妻との思い出にふれています。そういう内容だから、ということもあるのでしょうが、光太郎が小説をこれほど賞めたのは珍しいことでした。

今からちょうど70年前の昨日、昭和28年(1953)10月21日、青森県十和田湖畔休屋御前ヶ浜において、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」除幕式が行われました。二人の「乙女」も古稀を迎えたわけで……(笑)。
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節目節目の日には、必ず雨、もしくは雪だったという光太郎。この日も雨でした。光太郎は「清めの雨だ」と言ったそうです。
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光太郎と一緒に写っている女性は、モデルを務めた藤井照子です。まだご存命なのかも知れませんが、消息が分かりません。情報をお持ちの方はコメント欄等から御教示いただけると幸いです。

さて、昨日、現地では、式典とまでは行きませんでしたが、地元の皆さんが「乙女の像」の清掃を行って下さいました。元・十和田奥入瀬観光機構の方が音頭を取って集まって下さり、やはり雨の中、本格的に。ありがたいことです。
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像の傍らにたつ「十和田湖畔の裸像に与ふ」詩碑も。
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泉下の光太郎も喜んでいることと思います。

バックの木々、少し色づいていますね。これから十和田湖、そして奥入瀬渓流と、紅葉シーズンです。ぜひ足をお運び下さい。

「乙女の像」といえば、今夜(日付が変わって明日未明ですが)、BS放送で下記の番組が放映されます。

ニッポン美景めぐり 十和田・奥入瀬

BSフジ 2023年10月23日(月) 00:0000:25 

日本の美しい景観を求めて、俳優・和合真一がカメラ片手に日本各地をめぐる旅番組。
今回の旅先は、青森県の十和田市。十和田ビジターセンターで十和田湖の歴史を学ぶ。名産のひめます料理やご当地グルメを味わう。美しい景勝地、奥入瀬渓流を散策。大自然が生んだニッポンの美景をご紹介。

旅人:和合真一 ナレーター:服部潤
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初回放映が一昨年。その後、繰り返し再放送があり、今回で7回目くらいかな、と思われます。

ぜひ御覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

“海洋詩集”への拙詩御選択、お示しの通にて結構に存じます、


昭和18年(1943)2月10日 宮崎稔宛書簡より 光太郎61歳

「海洋詩集」は宮崎と小森盛の共編で刊行予定だったアンソロジー。二部構成で、第一部には一般の船員らの書いた詩、第二部では光太郎を含む職業詩人の詩が集められる予定でしたが、結局、戦争による出版事情の悪化で日の目を見ずに終わりました。

お蔵入りになりましたが、光太郎は序文も書きました。その中には「今日此の大東亜戦争の決戦段階に戦局は進み入り、船の意義、船員諸士の重大任務の真剣さは平時の比倫をはるかに絶し……」といった文言も見られます。おそらく単に「海洋」を題材とするだけでなく、翼賛的な内容のものが大半を占めていたと思われます。

光太郎詩も載ったこの手のアンソロジーは数多く存在し(手許に40冊ばかりあります)、国民の戦意高揚に資することが期待されました。

市民講座のご案内です。

高村光太郎『智恵子抄』を語り合おう 

期 日 : 2023年10月29日(日)、11月26日(日)
会 場 : 市民大学たかおか学遊塾 富山県高岡市末広町1番7号 高岡市生涯学習センター
時 間 : 14:00~16:00 
料 金 : 運営費1,000円 資料代300円(2回分) 合計1,300円
講 師 : 茶山千恵子

高村光太郎の人生に妻の智恵子はどのような影響を与えたのか、『智恵子抄』を読んで語り合いましょう。 10月29日(日) 「智恵子の半生」を朗読し深く読み取る 11月26日(日) 『智恵子抄』誕生秘話

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講師の茶山さん、これまでもたかおか学遊塾さんで同様の講座講師を務められた他、同塾主催のイベント「たかおか学遊フェスタ」で光太郎詩朗読をなさったり、劇団「よろこび」として演劇でも「智恵子抄」を取り上げて下さったりしました。

さらに今年の第67回連翹忌にご参加下さり、その後、ご自宅を開放されて予約制で振る舞う「光太郎ランチ」などの活動にも取り組まれています。ありがたし。

お近くの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

一寸甲州の方に旅行してゐたところ帰宅、御恵贈のめづらしき蛍烏賊といふもの拝受、まことにありがたく存じました、 暑さにやられて小生殆ど半病人のやうな有様で日を送つて居ります、


昭和17年(1942)8月24日 前田健次郎宛書簡より 光太郎60歳

この年10月、光太郎が詩部会長に就任した日本文学報国会と読売新聞社が提携して行われた「日本の母」顕彰事業のため、山梨県南巨摩郡穂積村(現・富士川町)上高下(かみたかおり)地区を訪れました。

黙々とわが子を育み、戦場に送る無名の「日本の母」を顕彰する運動の一環です。軍人援護会の協力の下、各道府県・植民地の樺太から一人ずつ(東京府のみ2人)「日本の母」が選考され、光太郎をはじめ、当代一流の文学者がそれぞれを訪問、そのレポートが『読売報知新聞』に連載されました。さらに翌年には『日本の母』として一冊にまとめられ、刊行されています。
 
井上くまは、女手一つで2人の息子を育て、うち1人は光太郎が訪ねた時点で既に戦病死、しかしそれを誇りとする、この当時の典型的な「日本の母」でした。光太郎はまた、『読売報知新聞』のレポート以外にも、くまをモデルに詩「山道のをばさん」という詩も書いています。
 
昭和62年(1987)には、光太郎が上高下を訪れたことを記念して、光太郎が好んで揮毫した「うつくしきものみつ」という短句を刻んだ碑が建てられています。冬至の前後にはここから「ダイヤモンド富士」が見えるということで、名所となっています。

で、井上家訪問が10月14日。ところが最近発見したこの書簡では8月にも甲州を訪れたと記述があり、その事実はこれまで知られていませんでした。「暑さにやられて小生殆ど半病人のやうな有様」とあるので8月で間違いありません。どうも井上家訪問の下準備的な感じで甲州に行き、現地の軍人援護会などの関係者と打ち合わせをして来たのではないかと思われます。

何とも意外な系統の雑誌で光太郎特集を組んで下さいました。

別冊漢字館 Vol.112

2023年10月19日 株式会社ワークス発行 一般社団法人パズル検定協会監修 定価560円(税込)

特集 ある芸術家の愛と哀 高村光太郎
 アメリカ・フランスに留学し、ロダンに傾倒した彫刻家の高村光太郎。詩人としてもすぐれた作品を数多く残し、特に妻・智恵子との日々を描いた『智恵子抄』は、時代を超えて愛され続けています。今回の特集は、今年で生誕140周年を迎えた日本の芸術家『高村光太郎』です。
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表紙を見てわかるとおり、漢字ナンクロの専門誌です。「ナンクロ」は「ナンバークロスワードパズル」の略で、熟語の一部を構成する複数のマスに書かれているナンバーが同じであれば同一の漢字が入る、というのが基本ルールです。

例えば表紙のこの部分。17のマスにはどうやら「会」が入りそうです。「会談」「会合」「入会地」……。すると下の方の「立×○」は「立会○」。となると「立会人」で、11のマスは「人」かな……というふうに埋めてゆくものです。
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この手のパズルが全45問掲載されています。おおむね見開き2頁で1問。一部、片袖折を使って見開き4頁という巨大なものも。

これでどうやって光太郎特集を組むのかと思ったら、45問中の3問で、みごとに光太郎にからめて作成されていました。

第35問が「正統派ナンクロ」。詩「道程」を使って、枠外にボナンザ(ヒント)。それで全66文字中の18文字がわかりますので、あとはそれを手がかりに……というわけです。
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第34問は、「スケルトン風」。こちらは埋まるべき熟語がいくつか提示されており、それを糸口に、という構成です。「智恵子」やら「白樺」やらを配し、「いやー、うまいな」と感じました。
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上記2問、まだ暇がなくて取り組んでいませんが、次にご紹介する第33問のみ、解いてみました。こちらは「大マス入り」だそうで。「なんじゃ、そりゃ?」と思ったら、「中央の大マス「高村光太郎」は、いずれか1文字が隣り合うマスとつながって熟語になります」とのこと。つまり、こういうことですね。
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「高村」の「村」と、右下の2マスで「村役場」となるわけです。こういうタイプもあるんだ、と感心しました。ただし、上記2問と異なり、ヒントはこの部分だけです。

この第33問だけ、解いてみました。悪戦苦闘すること約50分で完成。「中級」と謳われており、50分というのは早いのか遅いのか、何ともわかりませんが。ものすごく難しい漢字は使われていませんでした。しかし、熟語としては広辞苑レベルの辞書でないと載ってないんじゃないの? というものもあったり、もっと長い熟語の一部として含まれるけど、この二文字だけでは使わないぞ、というのもあったりして苦労しました。また、この2文字とこの3文字で5字熟語にするかぁ? というものも。50分かかった負け惜しみですが(笑)。

そして、全3問とも、「全部解けたら、チェック表から抜き出した文字で、高村光太郎と縁のある3つの言葉を言葉を作って下さい」。
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第34問と第35問はまだ手をつけていないのでわかりませんが、第33問では、できあがる3つの言葉も上手くつながっていまして、舌を巻かされました。光太郎は「○×▲」の「●□」に「■△」した、という感じです。詳しく見ていませんが、懸賞もついており、この部分を書いて応募するのでしょう。

問題の難易度等に応じていろいろコースがあるようで、最高は「現金10,000円」。その他「万能電気鍋」だの「防災多機能ラジオ」だのに混じって、岩波文庫版『高村光太郎詩集』も。思わず「いらねーよ!」と呟いてしまいました(笑)。すみません(笑)。
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というわけで、ぜひお買い求めの上、チャレンジしてみて下さい。当方の行った新刊書店さんでは、平積みになって置いてありました。

【折々のことば・光太郎】

おてがみで御申越の玉子の事はむしろ子供達におあげ下さい。今日は大人よりも子供等を一層大切にせねばなりません。次代の為にはすべてを捧げるやうにしたいと思つてゐます。


昭和17年(1942)5月15日 石黒しづえ宛書簡より 光太郎60歳

戦時下での食料不足の折、「卵を送りましょう」という申し出に対しての断りです。遠慮する理由がいいですね。壮年期から老境の光太郎、こうした若い世代への心遣いは一貫して持ち続けました。

個人でも自分の好きなイラストや写真を使って作成できる「フレーム切手」。各地の自治体の外郭団体さんなどがこぞって「ご当地もの」的に発行なさっています。

今年3月には、光太郎第二の故郷・岩手花巻で「高村光太郎と花巻」が発行されましたし、それ以外にも光太郎智恵子、光太郎の父・光雲にかかわるものがぽつりぽつり発行されてきました。

で、今月、新たに発売のものを2種、ご紹介します。

まずは光雲がらみ。

オリジナル フレーム切手「上野恩賜公園 開園150周年記念」の販売開始

日本郵便株式会社東京支社(東京都江東区、支社長 木下 範子)は、オリジナル フレーム切手「上野恩賜公園 開園150周年記念」を販売します。

商品名 上野恩賜公園 開園150周年記念
販売/受付開始日   2023年10月19日(木)
販売/受付開始日(Web) 2023年10月25日(水)午前 0時15分
申込受付数 2,200シート
販売郵便局 東京都内一部の郵便局(計17局)

10月19日(木)から、上野恩賜公園にて開催される「上野恩賜公園開園150周年 総合文化祭」に合わせ、10月21日(土)及び10月22日(日)の午前10時より上野恩賜公園内のパンダポスト付近にて、郵便局特設ブースを開設して販売を行います。
※開設時間は、状況に応じて変更となる場合がございます。

商品内容 フレーム切手 1シート(84円切手×10枚)
商品属性 店頭販売商品
販売単位 シート単位で販売します。
販売価格(税込) 1シート 1,330円
送料 「郵便局のネットショップ」でお取扱いする場合は、販売価格のほかに郵送料等が加算
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まず、台紙の部分に、パンダのシャンシャンと共に、光雲が主任となって東京美術学校総出で作られた「西郷隆盛像」がどーんと。さらに84円切手としても西郷像のものが1枚。
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いい感じですね。光雲作品があしらわれているという意味では、信州善光寺さんご開帳記念のそれと似ています。

ところで、販売告知中に「10月19日(木)から、上野恩賜公園にて開催される「上野恩賜公園開園150周年 総合文化祭」」という文言があり、「へー、そんなのやるんだ」と思い、調べてみました。

公式サイトによると、公園内でさまざまなコンテンツやイベント。中にはやはり西郷像に関わると思われるガイドツアーなども。
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お近くの方、ぜひどうぞ。

オリジナルフレーム切手、もう一種。

オリジナル フレーム切手「自然を愛し水と緑が薫るまち 信州 安曇野」 の販売開始

日本郵便株式会社信越支社(長野県長野市、支社長 菊地 元)は、下記のオリジナル フレーム切手の販売を開始します。このオリジナル フレーム切手は、下記の郵便局(一部の簡易郵便局は除く)で限定販売します。

長野県安曇野市を題材に、安曇野市の四季折々の美しい自然や風景を表現したフレーム切手を作成しました。

商品名 自然を愛し水と緑が薫るまち 信州 安曇野
販売/受付開始日 2023年10月16日(月)
販売/受付開始日(Web) 2023年10月25日(水)午前 0時15分
申込受付数 600
販売郵便局 長野県松本市、安曇野市、大町市、北安曇郡の全郵便局および東筑摩郡の一部の郵便局(計76局) 一部の簡易郵便局は除きます。

商品内容 フレーム切手 1シート(84円切手×10枚)
商品属性 店頭販売商品
販売単位 シート単位で販売します。
販売価格(税込) 1シート 1,330円
送料 「郵便局のネットショップ」でお取扱いする場合は、販売価格のほかに郵送料等が加算
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安曇野、ということで、同地のランドマークの一つ、光太郎の親友だった碌山荻原守衛の個人美術館・碌山美術館さん。
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本館的なロマネスク様式の碌山館。内壁には「碌山の芸術を守り支えた先人の名を刻む」という石のプレートがはめ込まれており、守衛を援助した新宿中村屋相馬黒光、実兄・荻原本十、友人の戸張孤雁、そして光太郎の四人の名が刻まれています。

ちなみに碌山館、11月5日(日)に一夜限りのライトアップが為されるそうです。
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さて、オリジナル フレーム切手二種、ぜひお買い求めを。

【折々のことば・光太郎】

今晩は智恵子の命日で智恵子と一緒に配給のビールをのんだところです。静かなさびしい晩です。物音一つしません。おけらもまだ鳴きません。寝たくないやうな晩です。

昭和17年(1942)5月5日 宮崎丈二宛書簡より 光太郎60歳

「命日」といっても月命日ですね。「智恵子に配給のビールを供へた」ではなく「智恵子と一緒に配給のビールをのんだ」。なにげな表現に光太郎の切ない心情が見て取れます。

以前にも書きましたが、陰膳のようにビールをコップ二つに注いでおくと、いつのまにかそちらも無くなっているという回想を残しています。絶対、自分で飲んで居るんですけれど(笑)。

それにしてもまだビールの配給も為されていたのですね。

昨日は都内に出ておりました。

メインの目的は中野区で開催された朗読公演「くつろぎの朗読」拝聴でしたが、その前に駒場東大前の日本近代文学館さんで調べもの。
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コロナ禍以後、初めてで、数年ぶりでした。

SNSで花巻の方から「ご存じかも知れませんが、ある雑誌の×巻×号に光太郎のアンケート回答が載っている」という情報がもたらされ、当方が作成した光太郎文筆作品リストと照らし合わせてみると記載がなく、またその雑誌はよく行く国会図書館さんに収蔵がないので行った次第です。

ところが、実際に閲覧してみると、「あれ? これ、知ってるぞ」。帰ってから調べてみると、なんとまあ、リストにそのアンケート回答を載せるのを忘れていました。チョンボでした。しかしチョンボに気がつけたのを良しとしましょう。

まぁ、それでも他の雑誌に載った戦後の光太郎訪問記で、「これは」というものが見つかったりもし、無駄足には成らずに済みました。

さらに帰りがけ、受付兼ミュージアムショップで、ポストカードを1枚ゲット。
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光太郎と親しかった木下杢太郎の詩集『食後の唄』(大正8年=1919)をモチーフにしたもの。一番左の画像は杢太郎自身の描いた同書の挿画ですが、杢太郎や光太郎が中心メンバーだった芸術至上主義運動「パンの会」の様子を描いたものです。で、右下の緑色の帽子を被ってこちらを振り向いているチョビひげの人物が、光太郎と言われています。同館のポストカード、光太郎の『有機無機帖』由来のものは存じておりましたが、こちらは「ありゃ、こんなのあったんだ」でした。

その後、中野へ。東中野駅でJRを降りて、昼食を摂りつつぶらぶら歩き、「くつろぎの朗読」会場のオルタナティブスペースRAFTさんへ。
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江戸川乱歩の短編「火縄銃」との2本立てでしたが、「智恵子抄」の方が長い時間を取って下さいました。
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読み手は声優・ナレーターの出口佳代さんという方。よどみなくしっとりとした大人のお声で、実に聴きやすい朗読でした。

「高村光太郎の智恵子抄を、時系列に沿って、解説をナレーションしながら読んでいきます」という予告が出ていましたが、その通りで、適度に時代背景や事実関係などの解説を交えつつ展開。

朗読された詩は「人に(いやなんです)」、「僕等」、「我が家」、「道程」、「樹下の二人」、「あなたはだんだんきれいになる」、「あどけない話」、「千鳥と遊ぶ智恵子」、「風にのる智恵子」、「レモン哀歌」、そして戦後の「元素智恵子」。それ以外に智恵子書簡も。

クラシック系のCDをBGMに使われていました。バッハのカンタータBWV147「主よ、人の望みの喜びよ」や「G線上のアリア」、サティの「ジムノペディ」、ベートーベンのピアノソナタ「悲愴」など。選曲も的確でしたし、さらに感心したのは、長めの詩の朗読の際、BGMが終わると同時に朗読も終わるという実にナイスなタイミングの取り方。舌を巻きました。

「智恵子抄」。こういう展開になる、とわかっていても、やはり聴いていてじーんと来てしまいました。

終演後、少しお話をさせていただき、その後、中野の街へ。

中野と言えば、光太郎終焉の地です。会場のオルタナティブスペースRAFTさんから少し南下すると、桃園川緑道。川は暗渠となっており、地上部分は石畳の歩道が延々東西に続いています。西に1㌔ちょっと歩くと、緑道沿いにそこだけ時が止まったかのような建物。
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戦後、水彩画家の中西利夫が自身のために建てたアトリエですが、利夫はこのアトリエをほとんど使うことなく昭和23年(1948)に急逝。その後、貸しアトリエとなり、イサム・ノグチがここを使った後、昭和27年(1952)10月に花巻郊外旧太田村から再上京した光太郎が入りました。ここで生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」を制作した光太郎、翌年には一時的に太田村に帰ったものの、もはや健康状態が山での生活に耐えられず、またここに戻り、昭和31年(1956)4月2日早暁、ここでその生涯を閉じました。翌年の第一回連翹忌もここで行われています。

当時中学生で、光太郎にかわいがられた中西家子息・利一郎氏がご存命の頃、3回、中に入れていただきました。その最後の機会は、平成28年(2016)、当方も出演させていただいたATV青森テレビさん制作の「「乙女の像」への追憶~十和田国立公園指定八十周年記念~」という番組のロケの際でしたので、いや、もう7年も経つか、という感じでした。

このアトリエの保存・活用運動が起こっているのですが、その後、どうなっているのか……。
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というわけで、まとまりませんが、都内レポートを終わります。

【折々のことば・光太郎】

きたない本ですが「大いなる日に」といふ詩集を出しましたので別便でお贈りいたしました。


昭和17年(1942)4月30日 篠田定吉宛書簡より 光太郎60歳

前年の『智恵子抄』に続く、光太郎第三詩集です(昭和15年=1940の『道程 改訂版』は除く)。それまでとは一変し、翼賛詩一辺倒。さらに翌年には年少者向けの『をぢさんの詩』、そしてその翌年には『記録』と、光太郎黒歴史詩集の出版が相次ぎます。
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画像はこの夏、信州安曇野の碌山美術館さんで開催された「特別企画 生誕140周年高村光太郎展」の際にお貸ししたもろもろのうち黒歴史三点セット。これこそ光太郎詩の真髄、と涙を流して有り難がる愚かとしか言いようのない自称・研究者が居るのには呆れます。

月に一度はネタを提供していたけだるので、非常に助かっております(笑)。光太郎が戦後の七年間蟄居生活を送った山小屋(高村山荘)に近い、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さん内のテナント・ミレットキッチンフラワーさんで毎月15日に限定販売される「光太郎ランチ」、今月分の画像等が届きました。
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今月のメニューは以下の通り。

 ・ サツマイモご飯
 ・ 新米ご飯
 ・ 焼き鮭松茸添え
 ・ 蛸と里芋煮
 ・ 風呂吹き大根
 ・ 大根葉の塩昆布和え
 ・ キノコソテー
 ・ 塩麹入り卵焼き
 ・ お新香
 ・ リンゴ

何と、松茸が使われています。今年は夏の暑さとその後の残暑で、キノコ類全般が不作だとのことですが……。

リンゴも今秋収穫されたものなのでしょう。リンゴ中毒の当方としては(笑)、早く岩手の新リンゴを食べたいものです。
 
令和2年(2020)の10月15日に「光太郎ランチ」販売が始まりましたので、丸3年が終わり、4年目に突入したわけですね。末永く続いて欲しいものです。

【折々のことば・光太郎】

今度僕の家の隣に八百屋さんが開業しました、これで大いに助かります。ついでに肴屋さんと肉屋さんでも出来ればいいと思つてゐます、 外食券のお礼その他一筆

昭和17年(1942)4月11日 風間光作宛書簡より 光太郎60歳

東京の食糧事情、まだ新規に開店する店舗があるくらいには余裕があったのですね。

「外食券」は、単身の勤め人など自炊をあまりしない者に米の配給の代わりとして配付された券です。これを持って「外食券食堂」に行けば、外食が出来たというわけです。この書簡は風間から外食券を貰った礼状です。

この時期の光太郎に「光太郎ランチ」を饗したら、あまりの豪華さに目を回したでしょう(笑)。

加藤昌則氏作曲の歌曲「レモン哀歌」をレパートリーの一つにして下さっている、カウンターテナーの藤木大地氏。

「レモン哀歌」がプログラムに入ったコンサート/リサイタルがたてつづけに開催されます。

まず、カウンターテナーお三方と、ピアノで加藤氏によるコンサート。

Hakuju Hall 20周年記念 カウンターテナーの饗宴

期 日 : 2023年10月19日(木)
会 場 : Hakuju Hall 東京都渋谷区富ヶ谷1-37-5
時 間 : 19:00 (開演)18:30 (開場)
料 金 : 5,000円(全席指定)

出 演 : 米良美一 藤木大地 村松稔之(以上、カウンターテナー) 加藤昌則(ピアノ)
曲 目 : 
 [村松ソロ]
  J.A.ハッセ:オラトリオ「聖ペトロとマグダラのマリア」より “我が苦しみよ、急げ”
  G.F.ヘンデル:歌劇「リナルド」より “私を泣かせてください”
  G.ロッシーニ:歌劇「タンクレーディ」より “この胸の高鳴りに”
 [藤木ソロ]
  武満徹(詞:谷川俊太郎):死んだ男の残したものは
  寺島尚彦(詞:寺島尚彦):さとうきび畑
  村松崇継(詞:Miyabi):いのちの歌
 [米良ソロ]
  久石譲(詞:宮崎駿):もののけ姫 
  美輪明宏(詞:美輪明宏):ヨイトマケの唄
 [加藤昌則 作品]
  加藤昌則(詞:千家元麿):落葉 [村松]
  加藤昌則(詞:高村光太郎):レモン哀歌 [藤木]
  加藤昌則(詞:山之口貘):ミミコ三部作 [米良]
 [三重唱]
  加藤昌則編:日本の歌メドレー
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実は先々週くらいに取り上げようとしたら、すでにチケット完売(ただ、キャンセル等があるかも知れません)とのことでした。そこで下記の藤木氏単独リサイタルと併せて、今日、ご紹介します。

で、藤木氏の単独リサイタルが2件。名古屋と東京で2日連チャンです。

藤木大地カウンターテナー・リサイタル

期 日 : 2023年10月31日(火)
会 場 : メニコンHITOMIホール 愛知県名古屋市中区葵3丁目21番19号
時 間 : 18:45 (開演)18:15(開場)
料 金 : 一般:¥4,000(前売り)¥4,500(当日)
      高校生以下:¥2,500(前売り・当日ともに)

出 演 : 藤木大地 マーティン・カッツ(ピアノ)
曲 目 : シューベルト:水の上で歌う
      ブラームス:永遠の愛
      フォーレ:月の光
      マーラー:連作歌曲集「さすらう若人の歌」
      ブリテン:流れは広く
      加藤昌則:レモン哀歌  ほか
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藤木大地カウンターテナー・リサイタル

期 日 : 2023年11月1日(水)
会 場 : 浜離宮朝日ホール 東京都中央区築地5-3-2
時 間 : 19:00(開演)18:30(開場)
料 金 : 全席指定:一般 6,500円、U30 2,000円(税込)

出 演 : 藤木大地 マーティン・カッツ(ピアノ)
曲 目 : F.シューベルト:水の上で歌う
      J.ブラームス:永遠の愛
      G.フォーレ:月の光
      R.アーン:わたしの詩に翼があったなら
      G.マーラー:連作歌曲集「さすらう若人の歌」
      V.ウィリアムズ:リンデン・リー
      B.ブリテン:流れは広く
      加藤昌則:レモン哀歌
      R.シューマン:連作歌曲「女の愛と生涯」
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それぞれ、ご都合の付く方、ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

この二十二日から少国民文化協会の連中と上州の方へ二三日間まゐります。


昭和17年(1942)3月19日 三ツ村繁蔵宛書簡より 光太郎60歳

上州行きは前年の真珠湾攻撃で戦死した「軍神」岩佐直治中佐顕彰のためでした。3月22日には前橋市群馬会館で開催された「少国民文化宣揚講演会」で岩佐らを謳った詩「特別攻撃隊の方々に」を朗読、翌23日には岩佐の遺族を訪問しています。

その際のレポートを「天川原の朝」として4月6日の『読売新聞』に寄稿。さらに岩佐家訪問の際に贈られたと推定される色紙写真版が翌年に岩佐遺族が私刊した『特別攻撃隊軍神岩佐海軍中佐』に掲載されました。
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和歌山と新潟から、それぞれ光太郎作品が出ている展覧会の情報です。

まず和歌山。光太郎筆の油絵が出ています。

小企画展「原勝四郎と同時代の画家たち」

期 日 : 2023年10月7日(土)~12月24日(日)
会 場 : 和歌山県立近代美術館 和歌山市吹上1-4-14
時 間 : 9:30~17:00
休 館 : 月曜日(祝日の場合は翌日)
料 金 : 本展のみ 一般350円、大学生240円
      特別展「原勝四郎展 南海の光を描く」一般800円、大学生500円

 本展では、特別展「原勝四郎展 南海の光を描く」の開催に合わせ、当館の洋画コレクションを中心に、一部借用作品も交えて、原勝四郎(1886-1964)と同時代に活躍した画家たちの作品を紹介します。
 原勝四郎は、和歌山県立田辺中学校を卒業後、1905(明治38)年から1906(明治39)年と、1909(明治42)年から1916(大正5)年の二度、画家を志して上京しています。その後1917(大正6)年末から1921(大正10)年4月までフランスに赴きました。帰国後は故郷の田辺へと戻り、1931(昭和6)年からは現在の白浜町に移住して絵を描き続けました。
 原が東京にいた期間は、ヨーロッパ留学から帰国した若い美術家を中心に、新しい美術表現が次々に紹介されていた時期です。今回の展示では、東京美術学校西洋画科の教授であり、原も通った白馬会葵橋洋画研究所の設立者である黒田清輝をはじまりに、原が東京で面識を得て生涯にわたって兄事することになった山下新太郎や、原と同世代の画家たちの作品を通して、原も体感していたであろう、明治時代末から大正時代にかけての東京の美術動向をまず紹介します。
 原がフランスに赴いたのは、ちょうど第一次世界大戦の最中であったこともあり、原自身の絵画学習には困難が伴いました。しかし原に先んじて、またその後に続いてヨーロッパに留学し美術を学んだ日本人は多く、 藤田嗣治のようにパリで大きな成功を収めた画家も生まれます。本展では続いて、原がフランス滞在中に交流をもった青山熊治や長谷川潔など、同時期にフランスへ留学していた日本人画家たちの作品を紹介します。
 帰国後の原は、田辺と白浜を拠点に、画壇とは距離をとって制作を続けました。しかし、1年に1回、戦前は二科展、戦後は二紀展への出品を自らに課し、それが唯一と言っていい中央での作品発表の機会でした。 本展最後には、原を経済的に支援した大阪の実業家、山本發次郎が収集の対象とした佐伯祐三や、原が交流を持った小出楢重らの作品と、戦後、二紀会への参加を促し、親しい交流を持った鍋井克之や、戦前から親交のあった熊谷守一らの作品を通して、1920年代から戦後にかけての絵画を紹介します。
 原が活躍した同じ時代の作品をご覧いただくことで、原自身の表現の特徴もより明確に見えてくるはずです。 どうぞ「原勝四郎展」と合わせてご観覧ください。
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同館と田辺市立美術館さんの共催で特別展「原勝四郎展 南海の光を描く」が開催されており、そちらと「同時開催」という扱いで、館蔵品等の中から大正・昭和前期の様々な作家の作品を出しています。黒田清輝、岸田劉生、有島生馬、梅原龍三郎、萬鉄五郎、藤田嗣治ら光太郎と交流のあった面々の作、さらにロダンのブロンズも。出品目録はこちら

光太郎の油彩画「佐藤春夫像」(大正3年=1914)も。佐藤が和歌山出身ということもあり、同館ではこれまでもそれなりの頻度でこの絵を出して下さっていますし、他館への貸し出し等も行って下さっています。当方、同館蔵と思い込んでいましたが、「個人蔵」とあり、寄託品なのでしょう。

もう一件、新潟。こちらは書です。

2023年第3回展 茶の湯を楽しむ-併設展 墨の魅力

期 日 : 2023年9月30日(土)~12月17日(日)
会 場 : 駒形十吉記念美術館 新潟県長岡市今朝白2丁目1番4号
時 間 : 午前10:00~午後5:00
休 館 : 月・火曜日(祝日・振替休日の場合は開館し翌日が休館)
料 金 : 一般 500円 団体 400円 団体は20名様以上
      大学・高校生 300円  中学・小学生 100円

 茶道は「総合芸術と言われ、日本の伝統文化を代表するもので、その精神は、禅宗の考え方に基づいています。」などと言われると、なんだか面倒そう、難しそうと思ってしまいます。
 日本を代表するグラフィックデザイナー田中一光氏は、「知性と感性を誇りとする最も新しい感覚の遊び」であり「さまざまな領域の美の融合を演出できる世界」であり「茶会は環境全体がインスタレーションであり、茶事はパフォーマンス」と言います。殆ど現代アートではないですか?
 難しく考えずにぜひこの不思議の世界を体験してみましょう。今回はお茶会の形式で作品を展示いたしました。茶会とは客をもてなして「一座建立(こんりゅう)」を楽しみ、主客が直心の交わりをもつこと。そのため道具の取り合わせやお料理の仕立てに、亭主の個性が表徴されます。
 茶会に招待されと思ってぜひ作品をご覧ください。
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003昭和12年(1937)、新潟長岡で光太郎の父・光雲の作を集めた「高村光雲遺作木彫展観」が開催され、その観覧のため訪れた光太郎が、地元の美術愛好家グループ(駒形十吉も含みます)に揮毫して贈った色紙が展示されています。

短歌で「ちちよけふ子は長岡のはつなつにいとどこほしくおん作を見し」。

「こほし」は「こひし」に同じ。漢字で書けば「恋し」です。

一昨年、同館で開催された「駒形十吉生誕120年  駒形コレクションの原点」展に、光太郎写真などの関連資料と共に出品され、拝見して参りました。その時以来の展示のようです。

茶会をイメージしての展示ということで茶道具の逸品や、茶掛けとしての書の優品が出ています。出品目録はこちら

それぞれ、お近くの方(遠くの方も)ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

昨日秋葉原駅より葱一俵配達有之、荷札紛失いたし居りますが、これは必ず立川貴下の御厚情と拝察、青物不足の昨今ことにありがたくおうけとりいたしました、右略儀ながらとりあへず御礼まで申述べます、


昭和17年(1942)1月26日 佐藤信哉宛書簡より 光太郎60歳

太平洋戦争開戦から2ヶ月足らずですが、既に食料不足は深刻でした。

佐藤は立川農事試験場の場長。その妻、すみ子(スミ)は、亡き智恵子の数少ない親友の一人で、新潟県東蒲原郡三川村(現・阿賀町)五十島出身でした。スミの姉・ヤヱが日本女子大学校で智恵子と同期でしたが、明治43年(1910)に急逝。しかし同じく日本女子大学校卒だった妹のスミとの交遊は続き、智恵子は大正2年(1913)1月から2月、そして大正5年(1916)8月にも旗野家に長期滞在しました。左下の写真、左端が智恵子、後列中央がスミ、大正5年(1916)の撮影です。
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光太郎、大正15年(1926)にはやはり佐藤夫妻から贈られた葱をモチーフに、ずばり「葱」という詩も書いています。この詩を刻んだ詩碑が、農事試験場の後身・東京都農林総合研究センターの一角に平成8年(1996)に建てられました。

昨日はぶらりと銚子犬吠埼に行って参りました。ほぼ生活圏なのですが、最近はあまり銚子に所用も無く、久しぶりでした。

ふと、新鮮なネタを使った寿司が食べたくなったというのもあるのですが、今年1月に廃業となった旅館・ぎょうけい館さんの現状を見ておこうと行った次第です。SNS上で解体している、という情報が出ていまして……。

ぎょうけい館さん、元は漢字で「暁鶏館」と書き、明治7年(1874)創業の老舗でした。大正元年(1912)夏には前年に知り合った光太郎智恵子が宿泊、愛を確かめ合いました。光太郎、この年の12月には、雑誌『朱欒』へ、後に『智恵子抄』に収めた詩「郊外の人に」を発表、その中で「わがこころは今大風の如く君に向へり」と高らかに宣言しています。

また、ここで働いていた知的障害のあった青年を主人公に「犬吠の太郎」という詩も作りました。
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その後、経営が代わり、建物も創業当時のものはとっくに建て替わっていましたが、「ぎょうけい館」の名は受け継がれてきていました。

当方、宿泊したことはありませんでしたが、食事を摂ったことはあり、また、各種打ち合わせ等でロビーを使わせていただいたことも。

やはりコロナ禍が大きかったのでしょう、1月に閉館となりました。

そして昨日の様子。工事関係の皆さんはちょうど昼食休憩だったようでした。
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「はーーーーーー」という大きなため息が……。「色即是空」「諸行無常」とは申しますが……。

明治期に作られ、生け簀として使われていた波打ち際の石組みはそのまま。
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そちらから見た犬吠埼灯台
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逆に灯台側から見たぎょうけい館址。
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「ふーーーーーー」と、再び大きなため息……。

更地にして、今後、どうなるのか、ネットで情報を探してみましたが見つかりませんでした。更地にしておくのではなく、なにがしかの活用がなされてほしいもので、さらに「暁鶏」の名も残していただきたいものです。

隣接していた「磯屋」さんという大きなホテル(こちらには当方、何度か宿泊しました)は数年前に廃業、しかし、「銚子グランドホテル」として再オープンするなど、明るい兆しも見えます。今後に期待したいところです。002

【折々のことば・光太郎】

今度「造型美論」といふ本を出しましたから別便でお送りします。一応御覧下さい。


昭和17年(1942)2月3日 
田村昌由宛書簡より 光太郎60歳

『造型美論』はこの年1月、筑摩書房から刊行された美術評論集です。書き下ろしではなく、かつて雑誌等に発表したものの集成。前年には同じ趣旨の『美について』を道統社から上梓しており、そちらの売れ行きがけっこう良かったようで、二匹目のドジョウを狙ったようです。

文藝春秋さん発行の月刊文芸誌「文學界」。同社の公式サイトにはまだ情報が出ていませんが、最新の2023年11月号、評論家・近現代史研究者の辻田真佐憲氏による連載「煽情の考古学」が「花巻に高村光太郎の戦争詩碑を訪ねる」となっています。
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同連載、日本各地、さらには海外まで含め、戦争遺跡などを実地に歩かれてのレポート。今号で第22回だそうです。

「高村光太郎の戦争詩碑」は、花巻市役所近くの鳥谷崎(とやがさき)神社さんにある「一億の号泣」詩碑です。

以前にも書きましたが、詩「一億の号泣」は、終戦二日後の昭和20年(1945)8月17日、『朝日新聞』と『岩手日報』に掲載されたもので、8月15日の玉音放送を鳥谷崎神社社務所で聴いた時の感懐を謳ったものです。
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  一億の号泣

 綸言一たび出でて一億号泣す
 昭和二十年八月十五日正午
 われ岩手花巻町の鎮守
 鳥谷崎(とやがさき)神社社務所の畳に両手をつきて
 天上はるかに流れ来(きた)る
 玉音(ぎよくいん)の低きとどろきに五体をうたる
 五体わななきてとどめあへず
 玉音ひびき終りて又音なし
 この時無声の号泣国土に起り
 普天の一億ひとしく
 宸極に向つてひれ伏せるを知る
 微臣恐惶ほとんど失語す
 ただ眼(まなこ)を凝らしてこの事実に直接し
 荀も寸豪も曖昧模糊をゆるさざらん
 鋼鉄の武器を失へる時
 精神の武器おのずから強からんとす
 真と美と到らざるなき我等が未来の文化こそ
 必ずこの号泣を母胎としてその形相を孕まん

戦時中の翼賛詩の流れを汲み、文語体。敗けた悔しさが滲み出ています。

この詩を刻んだ石碑、光太郎没後の昭和35年(1960)、当時の花巻観光協会が光太郎自筆揮毫を石に刻み、鳥谷崎神社に建立しました。ところがその建立を巡っては、すったもんだがいろいろありました。光太郎実弟にして鋳金分野の人間国宝・豊周は、一度はこの碑の建立を許可したのですが、当会の祖・草野心平が「この詩はマズい」。すると豊周も「なるほど、その通りだ」。ところが観光協会では既に碑を作ってしまった後でした。結局、碑は正式に除幕されることなく、昭和39年(1964)には一旦撤去され、神社の床下に格納されました。ゴタゴタがあった中で、碑文を削り、碑ではなくすという案もあったようですが、そうはなりませんでした。

ところがどうしたわけか、昭和57年(1982)頃に床下から出され、再び建立されました。豊周が没したのは昭和47年(1972)、心平は同63年(1988)。無関係ではないような気もします。

「煽情の考古学」では、この碑を巡る経緯、さらには福島二本松の智恵子記念館レポートも。そうした中で、「光太郎の屈折」として、翼賛詩を巡る問題を提起しています。

ちなみに大沢温泉山水閣さんには、宮沢賢治や光太郎などに関わる展示コーナーがあり、この碑の拓本も展示されています。
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ところで、豊周はこの詩を巡り、興味深い回想を残しています。長野県に疎開していた終戦前日のことです。

 八月十四日のこと、座敷で寝ころんでいると、朝日新聞の長野支局から記者が訪ねて来た。私に何の用があって来たのかさっぱりわからないので「何の用か」と聞くと、「実はまだ絶対秘密なのだが戦争が終る」と言うのだ。
 「明日の昼、天皇陛下がラジオの放送でそのことを国民にお告げになることになった。」
 私は本当にびっくりして飛び起きた。
 「それで先生に明後日の新聞に詩を書いてもらいたいのです。」
 おかしいなと私は思ったが先方は、
 「一億号泣という詩を作ってもらいたい、明後日の新聞に出すから、すぐ作って渡してもらえないでしょうか。」
 兄と私を間違えたらしい。
 「俺は高村光太郎じゃないよ。光太郎の弟だよ。」
 「えっ、光太郎先生じゃないんですか。これは困ったな。光太郎先生は何処に居るんです。すぐ行って来ます。」
 「いや、ここにはいないんだ。すぐ行くと言ってもちょっくら行かれはしないよ。」
 「何処なんです。」
 「岩手県の花巻の在にいるよ。」
 記者は慌てて帰って行ったが、さすがは新聞社で、その日のうちに兄に通じて、どうやら用は間に合ったらしい。兄としても考える時間もないし、非常に迷惑千万なことだったろうと思う。しかし戦争の詩といえば高村光太郎と決っていたから、最後のお務めと思って、曲がりなりにも詩を作って間に合わせたものだろう。だが、光太郎の詩としては決していいものでなく、私は好きでない。のみならずその詩が後で攻撃の材料になり、兄も自分で不覚を感じていた。

(『自画像』昭和43年=1968 中央公論美術出版)

おおむねこの通りだったのでしょう。新聞社の方で既に「一億号泣」というタイトルまで指定していたとは驚きでしたが。

光太郎自身は、のちに昭和23年(1948)、戦後の一時期住まわせてもらった佐藤隆房に宛てた書簡にこう記しています。

あの時は一途の心から一億の号泣と書きましたが、其後の国民の行動を見てゐますと、あの時涙をしんに流したものが果して一億の幾パーセントあつたのか、甚だこれは小生の思ひ過ごしであつたやうに感ぜられます。

鳥谷崎神社に行かれる方、あくまで「負の遺産」として、この碑を見ていただきたいと存じます。

というわけで、『文學界』、ぜひお買い求めを。

【折々のことば・光太郎】

十二月八日以来たてつづけにいろいろの当面の用事に従つて居りますにつけ、ますますわれわれが美の内面世界を深く探り進まねばならぬ事を痛感します、われわれ東方の美をどういふ風に世界像として造型すべきか、猛然とした気持になります、


昭和16年(1941)12月22日 水沢澄夫宛書簡より 光太郎59歳

ひるがえって開戦直後には、このような感懐を抱いていました。

早世した碌山荻原守衛を除き、光太郎がほぼ唯一高く評価した同時代の日本人彫刻家・高田博厚。光太郎連翹忌が縁で、高田本人と、埼玉県東松山市の元教育長の故・田口弘氏が親しくなり、同市では高田の顕彰活動にも力を入れています。

平成29年(2017)、鎌倉にあった高田のアトリエが閉鎖された際に、大量の高田作品が同市に寄贈され、翌年から「彫刻家 高田博厚展」がこの時期に開催されるようになりました。

で、今年。

彫刻家 高田博厚展2023

期 日 : 2023年10月16日(月)~11月7日(火)
会 場 : 東松山市民文化センター 埼玉県東松山市六軒町5番地2
時 間 : 午前9時から午後5時まで
休 館 : 会期中無休
料 金 : 無料

東松山市では、高田博厚のアトリエに残されていた彫刻作品や絵画等を2017年にご遺族から寄贈していただきました。以来、顕彰事業として展示会や講演会を毎年開催しています。今回は彫刻作品に加え、デッサンの一部を展示します。ぜひこの機会に彫刻家、高田博厚の世界をご堪能ください。

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関連行事が充実しています。

彫刻家 高田博厚展2023 特別講演会

演 題 : 「粘土から生まれる芸術~高田博厚の彫刻作品から見えるもの~」
講 師 : 陶芸家 畠山圭史氏
      東松山市在住
      日産自動車のカーデザイナーから陶芸家へ転身、
      NHK連続テレビ小説「スカーレット」で陶芸指導及び
      作品「水が生きている皿」を提供
期 日 : 2023年10月28日(土)
会 場 : 東松山市民文化センター 埼玉県東松山市六軒町5番地2
時 間 : 午後2時から午後3時30分
料 金 : 無料

定 員 : 80名(定員に達した場合は抽選)
申 込 : 9月1日(金曜日)から10月20日(金曜日)まで
      電子申請フォームにてお申し込みください。
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ひがしまつやまアートフェスタin高坂彫刻プロムナード

期 日 : 2023年10月22日(日)
会 場 : 高坂彫刻プロムナード 東武東上線高坂駅西口 埼玉県東松山市高坂1333-2
      雨天時は東松山市民文化センター
時 間 : 10時00分から15時00分まで

ワークショップ
 1.ECONECOペーパークラフト体験(イラストレーター 絵子猫)
 2.木に絵を描いてオリジナルストラップを作ろう!(うらら工房)
 3.絵本のせかいであそぼう~ぐりとぐらの帽子をつくる~(市立図書館)
 4.だれでもできる石こうアート(彫刻家 中澤庸江)
 5.作品展示(東松山美術協会)
 6.高田博厚に挑戦!一日彫刻家体験(東松山文化まちづくり公社)
 (注)2~6は参加無料、1はシャカシャカしおり作り500円、ミニ缶バッジ作り300円
 (注)6は事前申し込み制

ステージイベント
 10時00分 オープニングセレモニー
       ミニコンサート ヴァイオリニスト 榎本郁 ソプラノ歌手 利根川佳子
 10時40分 紙芝居「高坂彫刻プロムナードの偉人たち」 
 11時00分 大東文化大学ギタークラブ
 12時10分 白山中学校アンサンブル
 12時30分 白山中学校吹奏楽部
 13時00分 紙芝居「高坂彫刻プロムナードの偉人たち」ガンジー 宮沢賢治 新渡戸稲造
 13時30分 二胡演奏者 石崎幹夫
 14時00分 バイオリニスト 小澤薫 ピアニスト 宮林薫
 14時50分 閉会​

彫刻ガイドツアー
 きらめき市民大学の学生クラブ「高田博厚と遊ぼう会」によるガイドツアー。
 作品の説明を聞きながら、彫刻プロムナードをお楽しみください。
 集合時間(所要時間約1時間)
  1回目11時00分から
  2回目13時30分から
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高坂彫刻プロムナードには、光太郎胸像(昭和34年=1959)も含まれています。
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画像は平成30年(2018)、高田博厚彫刻展の関連行事として行われた堀江敏幸氏との公開対談で同市を訪れた、故・野見山暁治氏と光太郎胸像。

ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

本当にあるのですね。 あたたかい十三文の靴下。送つていたゞいて、小生の特大の足もよろこんでゐます。ばけもの屋敷で、あたたかい冬がこせそうです。有り難う存じます。


昭和16年(1941)12月10日 西倉保太郎宛書簡より 光太郎59歳

006身長が180センチ以上あった光太郎、当時としては大男。足のサイズはさらに規格外で、昭和5年(1930)のアンケート回答「自画像」には、「十三文半」と書いています。一文が約2.5㌢ですので、おおむね33.75㌢となります。

普通に売られていない特大サイズの靴下を送られた礼状ですが、「十三文半」ではなく「十三文」。それでもありがたかったようです。

ちなみに先述の故・田口弘氏も、戦後、花巻郊外旧太田村に蟄居していた光太郎にやはり特大の短靴を送りました。

光太郎曰く「小生の足のサイズを御記憶ありて心にかけてこの短靴をお探し下さつた御厚情に心をうたれました。使用中のものは既に破れはてて居りましたので此の春から早速役に立ち、まことにありがたく存じます、

今日明日と、早世した碌山荻原守衛を除き、光太郎がほぼ唯一高く評価した同時代の日本人彫刻家・高田博厚がらみの情報を。

今日は信州安曇野発のイベント情報です。信州松本平地区で発行されている『市民タイムス』さん記事から。

世界的彫刻家・高田博厚の功績再評価 豊科近美で15日にイベント

 世界的な彫刻家・高田博厚(1900~87)の功績を再評価する朗読と音楽のイベントが15日、高田の彫刻作品を常設する安曇野市豊科近代美術館で催される。安曇野の歴史にまつわる研究や講演活動を展開する任意団体・あづみ学校(岩隈久代表)が「日本の近代彫刻史を知る上で地勢的に恵まれた安曇野の魅力を市民の手でより高めたい」と企画した。
 欧州で活躍し、ノーベル賞作家ロマン・ロランら一流の思想家や芸術家と交流した文筆家でもある高田の著書『私の音楽ノート』を岩隈代表が朗読する。元松本市音楽文化ホール専属オルガニストの原田靖子さん=安曇野市=が、約100年前の製造とみられる西川オルガンの「リードオルガン」(足踏み式)で、著者ゆかりの名曲を朗読に乗せて奏でる。
 石川県出身の高田は、近代彫刻の父・ロダンの影響を受けた彫刻家・高村光太郎(1883~1956)との出会いを機に彫刻の道へ進み、渡仏した。その西洋的な作品群は、穂高出身の彫刻家で東洋のロダンと称された荻原碌山(本名・守衛、1879~1910)と高村がともに潮流を盛り上げた日本近代彫刻の系譜を継ぐ。
 欧州の修道院風建築が特徴的な市豊科近代美術館は、公立美術館で最大となる高田の彫刻作品約200点を収蔵する。美術館建設を切望した旧豊科町が遺族の承諾と厚意を得て、高田作品を誘致した開館経緯がある。岩隈代表は「(碌山美術館が作品を収める)地元ゆかりの碌山や高村に対し、高田への評価や認知はこの地域でまだまだ。3人の作品に触れられる安曇野の潜在的な価値を市民が共有し合う機会に」と話す。
 午後2時開演。大人2500円。問い合わせや申し込みはあづみ学校(電話090・8018・5424)へ。
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記事にあるとおり、同館では高田の彫刻200点ほどを収蔵し、常設で展示しています。光太郎胸像(昭和34年=1959)も含まれています(現在、展示中かどうかはわかりかねますが)。

かつてミュージアムショップでゲットしたポストカード(左)とA4判クリアファイル(右)。クリアファイルの方は右上に光太郎が居ます。
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それから、個人的には日本初のオルガンといわれる西川オルガンが使われる、というのが気になるところではあります。

お近くの方、ぜひどうぞ。

明日は埼玉県東松山市から、やはり高田関連の情報をお伝えします。

【折々のことば・光太郎】

大変遅れましたし、又だんだん切りつめて短くなりました、 おまけに詩の主題が少々へんなので、果してどうかとおもひます、一度御検読の上、雑誌に不都合のありさうな時は掲載中止に願ひます、「婦人之友」の例もありますから此点気にかかります、


昭和16年(1941)11月19日 栗本和夫宛書簡より 光太郎59歳

栗本は中央公論社の編集者。この書簡は翌年元日発行の『婦人公論』に掲載された詩「必死の時」に関わります。

「婦人之友」の例」は、この年7月、『婦人之友』に掲載された詩「事変はもう四年を越す」が、発売後に問題視され、店頭で頁が破り取られる処分を受けたことを指します。
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 さみだれけむるお濠の緑のかなたに、
 赤い煉瓦のぶざまな累積、
 高いアンテナと黒い明治の尖塔と、
 その又上に遠く悲しくさむざむと
 墓のやうな議事堂のやせたドオム、
 この支離滅裂なパノラマのいちばん下を
 ひけ時の群衆と電車がうごく。


この一節が当局により「宮城の濠を中心とせるパノラマを支離滅裂となすは不穏当」とされました。

光太郎、国会議事堂の建築に関しては、昭和11年(1936)、竣工当初からけちょんけちょんに評していました。

新議事堂のばかばかしさよ。迷惑至極さよ。何処に根から生えた美があるのだ。猿まねの標本みたいでわれわれは赤面する。新議事堂の屋根の上へ天から巨大な星でも墜ちて来い。(「某月某日」)

石川県から展覧会情報です。

第38回国民文化祭 第23回全国障害者芸術・文化祭 いしかわ百万石文化祭2023 皇居三の丸尚蔵館収蔵品展 皇室と石川 - 麗しき美の煌めき -

期 日 : 2023年10月14日(土)~11月26日(日)
会 場 : 第1会場 石川県立美術館 石川県金沢市出羽町2-1
      第2会場 国立工芸館   石川県金沢市出羽町3-2
時 間 : 9時30分~18時 
      10/28(土) 11/3(金・祝) 4(土) 11(土) 18(土) 23(木・祝)~25(土) は20時まで
休 館 : 11月6日(月)
料 金 : 一般1,500円(1,200円:20名以上の団体料金・割引料金)
      大学生1,000円(800円:20名以上の団体料金・割引料金)

 本展は、三の丸尚蔵館収蔵品に、石川県立美術館、国立工芸館、公益財団法人前田育徳会等所蔵の関連作品を加えた約120点を、石川県立美術館と国立工芸館の二会場にて展示、皇室と石川をつなぐ美の世界をご覧いただきます。
 石川ゆかりの作品では、旧加賀藩主・前田家献上の藤原定信「万葉集(金沢本万葉集)」(国宝)に、八条宮智忠親王に、前田利常の娘・富姫が嫁いだ際の婚礼調度と伝える狩野探幽「源氏物語図屏風」、そして石川出身の近代工芸の名工、諏訪蘇山(初代)「青磁鳳雲文花瓶」や松田権六「鷺蒔絵筥」をはじめとする多彩な品々が並びます。
 また、書聖とうたわれた中国の王羲之の作品を写した「喪乱帖」(国宝)に、鎌倉時代絵巻の代表作、高階隆兼「春日権現験記絵」(国宝)、江戸時代の絵師・伊藤若冲の傑作「動植綵絵」(国宝)らの書画の作品に、明治時代の金工の最高水準を示す海野勝珉「太平楽置物」、そして皇太子(昭和天皇)の御成婚を祝して献上された「鳳凰菊文様蒔絵飾棚」といった工芸品をはじめとする、優美で気品あふれる名品の数々をご堪能いただきます。
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皇居内の三の丸尚蔵館さん。11月3日(金)に一部再開館予定で、令和元年(2019)からリニューアル工事中。そこでその間、収蔵品を全国各地のこうした展覧会に出開帳させています。

光太郎の父・光雲(ちなみに今日、10月10日は光雲忌日です)の作が、全国どこの会場でもなにがしかは含まれている感じでして、今回は2点出ます。

まず第1会場・石川県立美術館さんの方で「萬歳楽置物」(大正4年=1915)。木彫原型が光雲と高弟・山崎朝雲、螺鈿の施された台座部分が由木尾雪雄という蒔絵師の手になるものです。大礼(即位式)に際して貴族院から大正天皇に献上されました。
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第2会場の国立工芸館さんでは「鶴亀置物」(明治40年=1907)。光雲と竹内久一の合作で、九代伊藤平左衛門作の「桑木地飾棚」に置かれる品として他の様々な工芸品と共に制作されたうちの一点です。
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「萬歳楽」の方は何度か拝見しましたが、「鶴亀」は存じませんでした。ちなみに棚に置かれる様々な工芸の一つ、というと、大正13年(1924)に当時の皇太子(後の昭和天皇)ご成婚記念に贈られた「養蚕天女」が同様に御飾棚一対に置かれる一点として作成されています。

その他、というかメインは、フライヤーにも画像の出ている伊藤若冲「動植綵絵」(全部ではないようです)、狩野探幽「源氏物語図屏風」など。

逸品ぞろいです。ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

「智恵子抄」をおよみ下さつたよし、感謝します、ふるい詩が多いので少々面ぶせな気がしましたが、自分が書いたものである以上是非もないので そのまま集めました、生前を知つてゐて下さるあなたのやうな方に親しみを以て読んでいただけた事は何よりの小生の慰です、


昭和16年(1941)9月9日 川崎芳太郎宛書簡より 光太郎59歳

『智恵子抄』の刊行は前月。この後、戦時にもかかわらず、版元の龍星閣休業の昭和19年(1944)までに13刷もの版を重ねました。

現在、京橋のアーティゾン美術館 さんで開催中の「創造の現場―映画と写真による芸術家の記録」。につき、『朝日新聞』さんが光太郎の名を出しつつ報じて下さいました。

創造の現場―映画と写真による芸術家の記録 作家から迫る、日本近代美術

 運慶に雪舟、若冲と、いま日本の古美術の人気は高い。草間彌生や奈良美智らの現代美術もしかり。しかし、その間にある日本の近代美術は、どうもいま一つ。では、かつてはそこにどんな視線が注がれていたのか。今展からは、その一端が伝わる。でも主役は、絵画や彫刻ではない。作者たる芸術家たちの姿を捉えた映画や写真なのだ。
 灰が落ちそうなたばこをくわえたまま、左手に持った絵筆をぐいぐい運んでいる。
 1953年から64年にブリヂストン美術館(現アーティゾン美術館)が製作した「美術映画シリーズ」のうち「梅原龍三郎」(53年)に登場する、洋画壇の巨匠の姿だ。
 第1章では、梅原や高村光太郎ら6人の制作や日常の風景を捉えた約9~17分の映画6本と、5~7人の姿を約7~11分に収めた「美術家訪問」全10本を流している。前田正邨の1本を除きすべてモノクロだ。
 梅原の場合は天才性も漂うが、全体としては淡々とした演出で、ナレーションも「高村さん」とニュートラル。それでも熊谷守一は仙人然としているし、日本画家が意外にモダンな画室にいることも。
 「美術家訪問」第1集(54年、公益財団法人石橋財団蔵)の川島理一郎の制作風景では、モデルと描く画家の手による画面構成ながら、奥の鏡に川島の姿が見える、といったベラスケス風のアングルも登場する。
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 全体として感じる温かな視線は、確かな画壇の権威があればこそだろう。登場する作家の作品も並び、部屋の奥には光に満ちた戸外が見える石川寅治「農事忙」(47年、同財団蔵、)など、目にする機会の少ない作品との出あいもある。
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 第2章では、写真家・安齊重男による、田中敦子や草間ら現代作家の肖像写真群を紹介。彼らの作風や写真の画面は、ずっと洗練されている。
 作者と作品は分けるべき、という考えがある。一方で、ピカソや岡本太郎、草間らは作者像が作品と一体化する。近代美術にも当てはまるとすれば、新しいのにどこか古くさいイメージもある近代美術に、作家像から近づく手もあるだろう。今展は、その機会といえる。
▽11月19日まで、東京・京橋のアーティゾン美術館。月曜(休日の際は翌日)休館。


1ヶ月程前に拝観して参りましたが、各作家の息づかい、絵の具の香りまで感じられるような、濃密な空間でした。

11月19日(日)まで。ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

隣組お仲間の記念として 謹呈


昭和16年(1941)8月(推定) 増倉清次郎宛名刺より 光太郎59歳

8月20日に刊行された『智恵子抄』を贈り、それに挟んであった名刺に書かれたひと言です。

戦時総動員体制の強化を目的に「隣組」制度が制定されたのは前年。同年、戦時歌謡「隣組」が、東京美術学校で光太郎の同級生だった岡本一平作詞、飯田信夫作曲、徳山璉(たまき)歌唱でレコード化されました。飯田と徳山のコンビは、この後、光太郎作詞の「歩くうた」も手がけ、ヒットさせました。

一方の手で『智恵子抄』、もう一方の手で翼賛詩歌、光太郎の大いなる矛盾でしたが、『智恵子抄』刊行後は翼賛一辺倒になっていきます。

ともに光太郎とゆかりの青森県十和田市と岩手県花巻市、30年程前から友好都市の協定を結んでいます。

そもそもは光太郎ではなく、新渡戸一族の縁だそうです。現在の十和田市中心街となっている三本木地区は元々は川が通っておらず、不毛の原野でした。そこで江戸時代の文政年間、花巻出身で盛岡藩士だった新渡戸傳(つとう)が、十和田湖を源流とする奥入瀬川から水を引いて人口の河川・稲生川を作る工事に着手しました。傳は旧5,000円札の肖像だった新渡戸稲造の祖父に当たります。灌漑工事は明治まで続き、稲造の父・十次郎、兄・七郎の三代が関わり、十和田市には三人の銅像も建てられています。作者は光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作時に光太郎の助手を務めた、青森野辺地町出身の小坂圭二でした。
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そういうわけで、両市の交流事業がこれまでもいろいろありました。

さらに来月、十和田市から花巻市への探訪ツアーが開催されます。『広報とわだ』の先月号から。
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花巻高村光太郎記念館、隣接する高村山荘さんも行程に入っています。ありがたし。若干先の話ですが、申し込みが10月13日(金)までとのことで……。

調べてみましたところ、昨年のこの時期にあった同じツアーでも記念館・山荘を訪れて下さっていました。記念館には「乙女の像」の中型試作なども展示されており、その意味ではインパクトがあったということでしょうか。今年もご訪問下さいます。
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また、遡って令和元年(平成31年)には、友好都市協定締結30周年の記念イベント等もあったとのこと。
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逆に花巻市から十和田市への訪問市民ツアーは、10月21日(土)。ただ、「乙女の像」やそれに関わる展示が為されている観光交流センター「ぷらっと」のある十和田湖には行かれないようですが。

今後はもう少し光太郎を前面に押し出しての友好都市交流が為されるとありがたいところです。そうしますと、他にも光太郎智恵子所縁の自治体さんはいろいろあるわけで、各地を結んで「光太郎智恵子サミット」なども開かれるといいのですが、なかなか難しいのかもしれませんね。

さて、十和田の皆さん、11月11日(土)の「花巻市探訪ツアー」、ぜひご参加下さい。

【折々のことば・光太郎】

昨日は山百合の花をたくさんお届け下され御厚志まことにありがたく存じました、早速亡父と智恵子との写真に供へましたが殆ど部屋一ぱいにひろがり、実に壮観をきはめ、家の中に芳香みなぎり、山野の気満ちて、近頃これほど爽快に思つた事はありません、智恵子は殊に百合花が好きなので大喜びでせう。厚く御礼申上げます。 尚近く詩集「智恵子抄」を龍星閣から出版しますがお送りします故御註文なさらぬやうに願ひます。


昭和16年(1941)7月20日 宮崎稔宛書簡より 光太郎59歳

「好きだったので」と過去形ではなく「好きなので」と現在形。光太郎の中ではまだ智恵子は生きているのでしょう。

『智恵子抄』の刊行は1ヶ月後でした。

10月5日の智恵子忌日「レモンの日」にちなみ、「高村智恵子レモン祭」として様々なコンテンツを展開中の二本松市智恵子生家/智恵子記念館さん。

新たな試みとして行われた生家のライトアップに関し、報道されています。

地元紙『福島民友』さん。

智恵子の生家...浮かぶシルエット 福島・二本松、幻想的な投影で彩る

 詩人・彫刻家高村光太郎の妻で、光太郎の詩集「智恵子抄」の「レモン哀歌」でも知られる二本松市出身の洋画家高村智恵子の命日の5日、同市の智恵子の生家・記念館でライトアップイベントが行われた。生家に智恵子のシルエットが浮かび上がり、背景を幻想的なプロジェクションマッピングで彩った。
 「高村智恵子レモン祭」の一環として実施。生家内や庭園は竹あかりや和紙ランプシェードで演出され、来場者はゆったりとした時を感じながら、智恵子への思いをはせた。
 11月19日まで開かれるレモン祭では、生家2階の特別公開など多彩なイベントを実施する。入館料は高校生以上410円、小中学生210円。問い合わせは同館へ。
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彼の地の友人から送られてきた画像。プロジェクションマッピングが為されており、智恵子シルエットの背景がどんどん変わるとのこと。
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右上は期間限定公開中の生家内部です。

ライトアップは11月6日(月)~19日(日)にも行われるそうで、この頃、一度行ってみようと思っております。

さて、ついでというと何ですが、二本松系のテレビ番組のご紹介。

日本最強の城▼秋の絶景!城ハイキング▼あなたも絶対行きたくなる!魅力の城

NHK総合 2023年10月9日(月) 22:00〜22:45

城は誰もが楽しめるアミューズメント・スポット。全国に3万以上もあると言われる城の中から、えりすぐりの名城をピックアップ。驚きの秘密や知られざる魅力に迫ります!

秋、城へハイキングに出かけよう!絶景望む城のディープな魅力を堪能▼「平戸城(長崎)」異国情緒あふれる港町を見下ろす城。幕府も一目置いた海の覇者の本拠▼「二本松城(福島)」みちのくの要衝抑える城からは名峰・安達太良山。見事な石垣の大パノラマ▼「春日山城(新潟)」山全体を要塞化した上杉謙信の壮大な山城。目前に広がる日本海に強さの理由が!“最強の城”を決めるのはアナタ!HPで投票をお待ちしています。

出演者
【司会】恵俊彰 赤木野々花
【出演】高橋英樹 春風亭昇太 村井美樹 千田嘉博 
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「智恵子抄」詩碑や、もと智恵子生家にあった藤棚などのある、二本松霞ヶ城が取り上げられます。「ほんとの空」、智恵子抄ゆかりといった話になるといいのですが……。

もう1件。

ミステリー・セレクション・湯けむりバスツアー桜庭さやかの事件簿1 露天風呂に浮かぶ遺体の謎…22年ぶりの兄妹対面で起こった兄殺し欲望渦巻く故郷で迎えた驚愕の結末とは!!

BS-TBS 2023年10月10日(火) 09:59~12:00

高校生の娘と中学生の息子を持つシングルマザー・桜庭さやかは、ベテランバスガイド。しっかり者の子供たちに今日も起こされ、元気いっぱい仕事へと飛び出していく。今回のツアーは、猪苗代湖〜安達太良山〜会津若松を巡り、山形へと向かう旅。大盛り上がりのサンライズ商店街御一行様を前にさやかの名調子が冴える。ツアー客の中にはフラワーショップを営む佐野雄二と香織の兄妹も参加していた。2人はツアーの途中で22年ぶりに兄・修一に再会できることを楽しみにしていた。しかし、その兄が安達太良山で死体となって発見される。

出演者 萬田久子、葛山信吾、酒井美紀、石橋保、大浦龍宇一、未來貴子、伊藤洋三郎、
    斉藤暁、徳井優、竜雷太(他)
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初回放映は平成21年(2009)。年に何度か再放送されています。

安達太良山が第一の事件現場という設定で、「智恵子抄」にもちらりと触れられます。
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それぞれぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

いかにしても此の役目は小生に不向きにて とても つとまりかぬる事 明らかと存候に至り 文部省へは 右おうけいたし難き旨 返事さし出し候


昭和16年(1941)5月30日 平櫛田中宛書簡より 光太郎59歳

官設美術展「新文展」に関わります。光太郎の父・光雲に師事した平櫛田中が、光太郎を同展審査員に推挙。しかし若い頃から官展には拒否反応を抱いていた光太郎、やはり断ります。大政翼賛会文化部の任、さらにもう少し後には日本文学報国会詩部会長は受けたものの、ゆずれない一線は残っていました。

昨日は智恵子忌日「レモンの日」でした。「レモン忌」とも称しますが、「××の日」としていただけると、取り上げられやすいように感じます。皆様のSNS等拝見しますと、カーナビが「今日は「レモンの日」です」としゃべったりだそうですし。

さて、「レモンの日」がらみで、信州松本平地区で発行されている『市民タイムス』さんの一面コラム「みすず野」。このコラム、「中の人」が光太郎智恵子ファンなのでしょうか。高い頻度で夫妻に触れられています。多謝。

2023.10.5 みすず野

 ともに明治生まれで、50代で亡くなった2人の女性に思いをはせる。新刊コーナーの『杉田久女全句集』(角川ソフィア文庫)は帯書きに〈師・虚子による破門後、未発表の句も収録〉とある。図書館へ行かなくても手元に置けるようになった◆編者の坂本宮尾さんが句の背景や味わいどころを挙げた〈十五句鑑賞〉には、もちろん代表句の〈紫陽花に秋冷いたる信濃かな〉が入っている。城山公園に句碑が立つ。随筆選から漏れたが、これを機に父のふるさと松本への愛着をつづった佳文も読まれ、もっと多くの市民が〈女性俳句の先駆者〉ゆかりの地を誇れたらいい◆もう一人は高村智恵子。夫・光太郎の詩集『智恵子抄』に収められた〈レモン哀歌〉にちなみ、きょうはレモン忌。光太郎は滞在中の上高地から―徳本峠で待っていても同じなのに―岩魚留まで迎えに行った。待てなかったのだ。汗を拭い、顔をほころばせる智恵子が目に浮かぶ◆峠道の復旧に汗をかく人たちがいる。何かお手伝いができないだろうか。日本近代登山の黎明期を支えた古道だから1人の名というわけにはいくまいが、ひそかに「智恵子の道」と呼びたい。

大正2年(1913)夏、先に上高地に滞在していた光太郎が、後を追って入山してきた智恵子を迎えに行った件について触れて下さいました。この後、二人は一夏を上高地で過ごし、結婚の約束を果たします。

ひそかに「智恵子の道」と呼びたい」道はクラシックルートとも呼ばれる旧道。たびたび土砂災害に見舞われ、今も「峠道の復旧に汗をかく人たちがいる」。ありがたいことです。

さて、「レモンの日」ということで、今週に入ったあたりから、全国の学校さん、各種施設さん等での給食などで、レモンを使ったメニューの提供が相次ぎました。こちらもありがたいことです。

その中で福島県福島市の平田小学校さん。昨日はずばり「レモンの日献立」。自校給食で同校独自のものだったのか、センター給食で複数校に提供されたのかわかりかねますが、同校サイトから。

レモンの日献立。〔給食〕

本日はレモンの日献立で「さばの味噌煮・レモン和え・ざくざく汁・ごはん・牛乳」でした。レモンの日は、安達町(現在の二本松市)出身の洋画家・高村智恵子さん、夫で詩人の高村光太郎さんにちなんだ日だそうです。智恵子さんが好きだったさばの味噌煮、二本松の郷土料理「ざくざく」が提供されました。さっぱりとしたレモン和えとともに美味しくいただきました。ごちそうさまでした。
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智恵子さんが好きだったさばの味噌煮」の出典が不明なのですが……。「ざくざく」は当方も何度か口にしましたが、「福島県の」あるいは「中通りの」ではなく、「二本松の」郷土料理なのですね。

「レモンの日」の定着、そこから波及して光太郎智恵子の世界が世の皆さんに広く知られていくことを願って已みません。

【折々のことば・光太郎】

今度はたつた三日間限りの委員でありますから何の提案も出来ないでせう、


昭和15年(1940)12月6日 小野綾子宛書簡より 光太郎58歳

この月16日から18日にかけて開催された大政翼賛会臨時協力会議に関わります。光太郎は岸田国士のたっての薦めで委員に就任し、翌年まで都合3回、会議に出席しました。

この時の会議では「何の提案も出来ない」と云いつつ、「芸術政策の中心」「国宝、特別保護建築物の防空施設」などについて発言しました。

ニュース映像が残っています。どこかに光太郎が映り込んでいるかもしれません。


智恵子を亡くした後の空虚感を埋めるため、さらには「芸術家あるある」の俗世間とは極力交わらない生活が智恵子を追い詰めたという反省、さらにはそんな生活をしていては自分も精神の危機を迎えるかも知れないという危惧もあったのでしょう、光太郎は一転して社会と向き合う方向に梶を切りました。その社会の方がおかしな方向にどんどん突き進んでいたのが、光太郎にとっての大きな悲劇でした。

今日10月5日は智恵子の命日「レモンの日」です。忌日として「レモン忌」という場合もあります。漢字で「檸檬忌」とすると梶井基次郎の忌日(3月24日)となりますのでご注意願います。

10月2日付の『しんぶん赤旗』さん。歌人の寺井奈緒美氏の連載で「レモン忌」としてご紹介下さいました。

くねくねTANKAロード 40 レモン哀歌 高村光太郎

007 古典音痴の私が歌碑や句碑を巡り、くねくね遠回りしながら歌のヒントを探すエッセー。10月5日は詩人・彫刻家の高村光太郎の妻・智恵子の忌日「レモン忌」。東京・品川のゼームス坂病院跡地にある「レモン哀歌」の碑を訪れた。
〈そんなにもあなたはレモンを待つてゐた かなしく白くあかるい死の床で〉
   *……*
冒頭だけでも美しく、完成された詩だ。光太郎は歌人でもあり『智恵子抄』にこんな歌がある。
〈光太郎智恵子はたぐひなき夢をきづきてむかし此所に住みにき〉
 「此所」とは、千駄木にあった二人のアトリエのことだ。ちょうど詩人・室生犀星の散歩コースの途中にあったらしく、『我が愛する詩人の伝記』の中で「白いカーテンの時は西洋葵(あおい)の鉢が置かれて、花は往来のほうに向いていた。あきらかにその窓かざりは往来の人の眼を計算にいれた、ある矜(ほこり)と美しさを暗示したものである」と描写している。下宿住まいだった犀星としては、嫌でも目に入ってくるこの愛の巣を苦々しく思っていたようで、智恵子の印象についても、訪問者を瞬間に見破りバカにしているような「ツメタイ眼」だったと記していて、ひがみっぽい文章に笑ってしまう。
 しかし、犀星が嫉妬する気持ちもわかる。光太郎はニューヨーク、パリへの留学経験があり文芸誌『スバル』で活躍。智恵子も『青鞜』の表紙絵を手がけ、「あたらしい女」として注目された。長男ながら家を継がず子を持たず、智恵子の晩年まで入籍せず事実婚状態だったことも当時では珍しかったと思う。
   *……*
 先月最終回だったテレビドラマ「こっち向いてよ向井くん」を思い出す。自立していたい女性たちが抱く婚姻制度や性役割へのモヤモヤが描かれていて、目が離せなかった。光太郎と智恵子も人がうらやむような「あたらしい」関係に見えるが、因習にとらわれない「たぐいなき夢」を実現するには葛藤もあったようだ。ドラマの主人公・向井くんの「役割を生きない方がずっと難しくない?」というせりふが印象深い。
 翻訳の仕事や木彫小品でも稼げる光太郎に対し、いくら頑張っても経済的に自立した画家の役割を得られない智恵子は、精神を病んでいった。 
 光太郎の「牛」という詩がある。
〈牛はただ為(し)たい事をする/自然に為たくなる事をする/牛は判断をしない/けれども牛は正直だ〉
 人の関係性に完成はない。不格好でも、モヤモヤに正直に牛歩のごとく進んでいきたい。
・唐揚げのレモン係と「そろそろ」と切り出す役はあなたでしたね 奈緒美


きれいにまとめて下さいました。多謝。

智恵子の故郷・福島二本松では、かつて存在した顕彰団体「智恵子の里レモン会」さん主催で「レモン忌」の集いが行われていましたが、会の解散で消滅。代わりに、というわけではありませんが、二本松市として今年から「レモン祭」と称し、智恵子生家・智恵子記念館でさまざまなコンテンツを用意しています。そのうち、生家のライトアップに関して予告記事が出ています。地元紙『福島民友』さん。

智恵子の生家、夜に浮かぶ 10月5日の命日にライトアップ

009 詩人・彫刻家高村光太郎の妻で、光太郎の詩集「智恵子抄」の「レモン哀歌」でも知られる二本松市出身の洋画家高村智恵子の命日の5日、同市の智恵子の生家・記念館で「蘇る智恵子~生家のライトアップ~」と題した初のイベントが行われる。ライトアップ時は生家を無料開放する。時間は午後5時~同8時。
 「高村智恵子レモン祭」(5日~11月19日)の一環として同館が実施する。当日は生家に智恵子のシルエットを浮かび上がらせるほか、生家内や庭園で竹灯(あか)りや和紙ランプシェードによる演出を行う。
 同レモン祭期間中は、通常は非公開の智恵子の生家2階の特別公開(7日~11月5日の土、日曜日、祝日)や奇跡といわれる智恵子作の実物紙絵の展示(5~17日)、「みんなで作るシンメトリー展・作製編」(5日~11月19日)を行う。
 智恵子の生家・記念館の入館料は高校生以上410円、小・中学生210円。問い合わせは同館(電話0243・22・6151)へ。

今日、それから11月6日(月)~19日(日)に行われるライトアップでは智恵子のシルエットを浮かび上がらせるそうで、その画像がどうしてもう出ているのか不思議なのですが、試しにやってみた際のものなのかもしれません。一般社団法人にほんまつDMOさんのSNSにも上がっていました。
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というわけで、本日のレモンの日(レモン忌)、それぞれの場所で智恵子に思いを馳せていただきたいものです。

【折々のことば・光太郎】

書かない方がよかったやうな原稿をかいてしまつて何だかさびしい感じがします、あの日婦人公論にみな渡しました、


昭和15年(1940)11月5日 宮崎丈二宛書簡より 光太郎58歳

原稿」は翌月の『婦人公論』に載った随筆「彼女の半生-亡き妻の思ひ出」。翌年には「智恵子の半生」と改題、詩集『智恵子抄』に収められます。

30枚程のものですが、取りかかってから稿了までかなりかかりました。智恵子との日々を文章にまとめてしまうことに少なからず抵抗があったようです。そう思って読むからかも知れませんが、普段の光太郎の文章の持つ理路整然とした感じはなく、思いつくままに後から後から書き足していった感が感じられます。そして行間から嗚咽が聞こえてきそうです。

「青空文庫」さんで全文が読めます。ぜひどうぞ。

001当会発行の冊子『光太郎資料』60集、完成しました。今日明日で関係各所に発送いたします。

元は当会顧問であらせられた故・北川太一先生が、昭和35年(1960)から平成5年(1993)にかけ、筑摩書房『高村光太郎全集』の補遺等を旨として始められたものです。その後、様々な「資料」を掲載、36集まで不定期に発行されていました。平成24年(2012)から誌名を引き継がせていただき、当会として会報的に年2回発行しております。1回は光太郎忌日・連翹忌に合わせ4月、1回は明日の智恵子忌日「レモンの日」に合わせた日付としています。

北川先生の時代には、末期はワープロによる原稿作成になりましたが、初期は鉄筆ガリ版刷り、手作り感あふれるものでした。「こちらから勝手に必要と思われる人、団体に送る」というコンセプトだったそうで、その点は引き継がせていただいております。表紙の題字は、かつて北川先生が木版で作られたものから採っています。

今号の目次は以下の通り。
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・「光太郎遺珠」から 第二十四回 書(その一)
平成10年(1998)の『高村光太郎全集』完結後も、続々と見つかり続けている光太郎作品の紹介を、「光太郎遺珠」の題名で『高村光太郎研究』という雑誌に連載させていただいておりますが、そちらをテーマ別に再編。今号と次号で「書」に絞って紹介します。

光太郎自身は「書家」を名乗ったことはないのですが、早くから書の優品を数多く残し、日本書道史上に得意な存在感を放っています。今号では戦前、戦時中に書かれた書。昭和17年(1942)、前年の真珠湾攻撃の際に戦功を立てて戦死した「九軍神」の隊長格・岩佐直治中佐の遺族に贈った書(これまで未確認)、詩人・高祖保や漫画家・池田永ー治(永治)に贈った書など。

光太郎回想・訪問記 わが文学半生記 より 江口渙
光太郎と交流のあった人物による光太郎回想。光太郎自身が書き残さなかったエピソードがあったり、記録はあるものの詳細が不明だった事柄の捕捉になったりと、貴重な証言です。

今号では、芥川龍之介と親しかった江口渙の回想。智恵子の印象や、光太郎の書を巡る江口と芥川とのバトルなどが描かれています。

・光雲談話筆記集成 大黒天鋳造苦心談
昭和4年(1929)刊行の『光雲懐古談』以外に、様々な雑誌や書籍に発表された光太郎の父・光雲の談話筆記もまとめています。「大黒天鋳造苦心談」は、明治43年(1910)『みつこしタイムス』第8巻第5号より。同誌は日本橋三越呉服店のPR誌です。この年、同店常務取締役の藤村喜七の勤続50年表彰が行われ、その際に同店から藤村に贈られた光雲作の純金製大黒天像に関わります。

・昔の絵葉書で巡る光太郎紀行 第二十四回  取手(茨城県)
見つけるとついつい購入してしまう(最近はこの項を書くため積極的に探していますが)、光太郎智恵子ゆかりの地の古絵葉書。それぞれの地と光太郎智恵子との関わりを追っています。今回は光太郎の筆跡が刻まれた石碑等が複数残る、茨城取手
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・音楽・レコードに見る光太郎  第二十四回  舞踊「智恵子抄」藤間節子/小村三千三
昭和24年(1949)、光太郎と交流のあった舞踊家・藤間節子による舞踊「智恵子抄」公演があり、その後、何度か再演されています。劇伴作曲が「歌の町」(よい子が住んでるよい町は……)などの作曲でも知られている小村三千三。そのあたりについてまとめました。
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・高村光太郎初出索引
現在把握できている公表された光太郎文筆作品、挿画、装幀作品、題字揮毫等を、初出掲載誌によりソート・抽出し掲載しています。 掲載順は発表誌の最も古い号が発行された年月日順によります。以前は掲載紙タイトルの50音順での索引を掲載しましたが、年代順にソートし直して掲載しています。今号では昭和2年(1927)に初出があったものを掲載しました。この年、一気に寄稿先が増えています。

・第六十七回連翹忌報告
コロナ禍により3回連続で中止としていた4月2日の連翹忌の集いを今年再開させましたので、そのレポートも復活しました。
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ご入用の方にはお頒けいたします(ご希望が有れば37集以降のバックナンバーで、品切れとなっていない号も)。一金10,000円也をお支払いいただければ、年2回、永続的にお送りいたします。通信欄に「光太郎資料購読料」と明記の上、郵便局備え付けの「払込取扱票」にてお願いいたします。ATMから記号番号等の入力でご送金される場合は、漢字でフルネーム、ご住所、電話番号等がわかるよう、ご手配下さい。申し訳ありませんが手数料はご負担下さい。

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ゆうちょ口座 00100-8-782139  加入者名 小山 弘明

今号のみ欲しい、などという方は、このブログのコメント欄等でご連絡いただければと存じます。送料プラスアルファで1冊200円とさせていただきます。

【折々のことば・光太郎】013

右の親指がまだ少し不自由なので字がいく分平常と違つてゐるでせう、


昭和15年(1940)11月5日
 更科源蔵宛書簡より 光太郎58歳

更科の詩集『凍原の歌』の題字を揮毫したことに関わります。この頃、右手の親指に腫れ物ができ、各種執筆に不自由を来していました。確かにこの種の光太郎揮毫としては、あまり上手くない文字です。

朗読のイベントを2つご紹介します。

開催順にまずは北海道。

第31回 葦の会 朗読会

期 日 : 2023年10月7日(土)
会 場 : 札幌市資料館 研修室 札幌市中央区大通西13丁目4-194
時 間 : 13:30~16:00
料 金 : 500円

第31回 葦の会 朗読会を開催します。
<プログラム>
 志賀直哉 作 『 転生 』 岡田しづよ
 芥川龍之介 作 『 蜜柑 』 後藤朋子
 江戸川乱歩 作 『 日記帳 』 奈良千鶴
 有島武郎 作 『 小さき者へ 』 栗原幸子
 <休憩>
 樋口一葉 作 『 たけくらべ 』より 今堀祥子
 佐藤春夫 作 『 小説 智恵子抄 』より 山口照代
 森浩美 作 『 褒め屋 』 植松尚美
  指導・進行佐藤 雅子
「葦の会」は、1990年4月朝日カルチャーセンター朗読講座で基礎を学んだ有志で結成した会です。朗読の楽しさ、奥深さ、楽しさを感じながら、月1回の勉強会を重ねています。年に1回朗読会を実施しています。

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光太郎と親しかった佐藤春夫の『小説 智恵子抄』からの抜粋がプログラムに入っています。同作は光太郎が歿した昭和31年(1956)から翌年にかけ、雑誌『新女苑』に連載されたジュブナイルです。連載当時のタイトルは「愛の頌歌(ほめうた) 小説智恵子抄」。昭和32年(1957)に実業之日本社で単行本化、のち、角川文庫のラインナップに入りました。今日現在、KADOKAWAさんのサイト上にも登録があり、絶版というわけではないのかな、と思われます。文庫版の解説は当会の祖・草野心平です。

佐藤自身による「はしがき」によれば、

 詩集「智恵子抄」はだいたいとして事実、実感を重んじて書かれた半記録らしいのに較(くら)べて、わたくしのは徹頭徹尾、小説で虚実取り交えたもので、作中人物も実名あり架空の人名あり、作中の土地も踏査の暇なくすべて居ながらにして名所を知った架空風景である。その心して読まれたい。

とのこと。

おおむね光太郎や周辺人物から聞いた話などを元にしているのでしょうが、たしかに「虚実取り交えた」部分があります。ただ、どこまでが「実」でどこからが「虚」かの見極めが難しいところです。

例えば、昭和8年(1933)夏、光太郎は心を病んだ智恵子を伴い、その療養のため東北と北関東の温泉廻りをしていますが、確認出来ている最初の逗留先は裏磐梯川上温泉です。しかし同作では川上温泉に泊まる前日、近くの中ノ沢温泉の「花見屋」という宿に一泊したということになっています。そこが他の客との相部屋しか無く、しかたなしに頼み込んで主人の居室に泊めてもらい、翌日、主人の紹介で川上温泉に移ったと。このあたり、こちらで把握している光太郎年譜にはそうした事実が確認出来ません。すると、佐藤による創作かな、とも考えられるのですが、厄介なことに「花見屋」が実在します。ただしそちらでは「光太郎智恵子が泊まった宿」という宣伝はなさっていないようです。それにしても佐藤の記述が非常にリアルでして……。

閑話休題、もう1件、朗読イベントを。続いては光太郎終焉の地・東京都中野区です。

くつろぎの朗読会

期 日 : 2023年10月17日(火)
会 場 : オルタナティブスペースRAFT 東京都中野区中野1-4-4
時 間 : 午後2時 午後7時 朗読時間は約80分です
料 金 : ¥2,300(珈琲、紅茶付き)

「ものがたり」に耳をかたむけながら、ゆったりまったりRAFTでくつろぎのお時間を。ものがたりとお飲み物をご用意してお待ちしております。

 智恵子抄 高村光太郎  火縄銃 江戸川乱歩

*読み手 出口佳代
高村光太郎の智恵子抄を、時系列に沿って、解説をナレーションしながら読んでいきます。光太郎と智恵子の愛をより深く感じていただけるのではと思います。後半は 江戸川乱歩に初挑戦いたします。ストーリー自体がまず面白いので、推理と種明かしを、一緒にスリルを感じながら楽しめたらと思います。よろしければ是非足をお運びくださいませ。
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予約してみました。皆様もぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

東京は今、地方の人の上京で満員の状態です。物資統制で皆不自由な生活をしてゐます。

昭和15年(1940)10月30日 長沼セン宛書簡より 光太郎58歳

千葉九十九里浜在住だった智恵子実母宛です。

太平洋戦争開戦までまだ1年余りありますが、泥沼化していたに日中戦争の影響で、物資不足。砂糖・マッチは既に配給制となっています。「地方の人の上京で満員」は、地方より東京府内の方が物資を入手しやすかったためでしょうか。

智恵子の故郷・福島二本松。智恵子生家/智恵子記念館さんでは、智恵子忌日の今月5日(木)から「高村智恵子レモン祭」ということで、さまざなまコンテンツが用意されていますが、それ以外の件を。

まず、『読売新聞』さん福島版から。

レモンサワーの素人気 二本松「奥の松酒造」 1か月半で3500本達成

 二本松市の「奥の松酒造」が7月に売り出した「二本松のレモンサワーの 素もと  すっかいがな」が、印象的な名前と爽快な酸味で人気を呼んでいる。発売7か月で3500本を売る目標を、1か月半で達成した。市の補助金を活用して開発した新商品で、21日に市役所で報告会が開かれた。
   「すっかいがな」は、地元の方言で「すっぱいもの」を意味する。濃縮レモン果汁や同社のかすとり焼酎が原料で、アルコール度数は25%。炭酸水と1対3の割合で割って飲むのがおすすめという。
 50万円を上限に事業費の3分の2を支援する市新事業チャレンジ補助金を活用し、同社がにほんまつ観光協会と協力して開発に取り組んだ。レモンサワーにしたのは、詩人・高村光太郎が同市出身の妻・智恵子を詠んだ詩「レモン哀歌」にもちなんでいる。
 この日、市役所を訪れた奥の松酒造の遊佐丈治社長は「猛暑も売り上げ好調の追い風となった」と喜び、三保恵一市長は「ふるさと納税の返礼品にすることも検討する」と応じた。
 市内の「道の駅『安達』智恵子の里」など、県内各地で販売中。500ミリ・リットル入りの瓶で、希望小売価格は税込み1430円。
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奥の松酒造さんの「すっかいがな」、発売当初に「ほう、こんなの出たんだ」と気づいてはいましたが、「レモン哀歌」がらみとは明言されていませんでした。「何だ、やっぱりそうだったんかい」という感じです。

続いて地元紙『福島民報』さん。智恵子生家/智恵子記念館さん最寄り駅のJR東北本線安達駅関係です。

30日から「いにしえの安達駅 旧駅舎98年の歩み展」

 「いにしえの安達駅 旧駅舎98年の歩み展」は30日、福島県二本松市のJR安達駅東西自由通路西口1階コンコースで始まる。1917(大正6)年の開業から2016(平成28)に新駅舎に引き継がれるまでの歴史を写真などで振り返る。
 あだち観光協会の主催。和紙産業と駅誘致の経緯に始まり、駅の発展、出征、無人化反対運動と大規模な町民旅行などの写真パネル約30点を展示。観光協会が保管している旧駅舎の切符売り場、当時使われていた用品などもある。
 29日に内覧会を開いた。加藤和信協会長が「安達駅は地域の大きな核であり、ますますにぎやかになっていくよう努める」とあいさつした。地元関係者が「懐かしい」などと熱心に見入った。同展は観覧無料で10月29日まで。10月9日午後1時30分から会場でトランペットとピアノの「ほんとの空」コンサートを催す。
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「いにしえの安達駅 旧駅舎98年の歩み展」および「ほんとの空コンサート」についてはこちら
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「ほんとの空コンサート」、トランペッターのNoby氏、もう10年前になりますが、光太郎詩にオリジナルの曲を付けて歌われているモンデンモモさんのコンサート等でご一緒しました。ピアノは一昨年に設置された駅ピアノを使うようです。

「芸術の秋」となり、紹介すべき事項が溜まりつつあるので、もう1件。二本松市の『広報にほんまつ』今月号から。

智恵子講座2023 「智恵子抄」全作品を熟読するパート2~その背景と意味を読み解く~

美と愛に生涯を捧げた高村光太郎と智恵子。2人の波乱万丈の生涯を赤裸々に表現した「智恵子抄」。その核心に肉迫します。

会 場 市民交流センター  
講 師 智恵子のまち夢くらぶ代表 熊谷健一 氏
定 員 20人
参加料 3,000円(全3回分、テキスト代含む)
申込方法 下記までお申し込みください。
◎問い合わせ・申し込み…智恵子のまち夢くらぶ事務局☎(23)6743(受付:9:00~18:00)
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「智恵子講座」。以前は外部から講師を招いてということで、当方も何度か務めさせていただきました。このところ、主催の智恵子のまち夢くらぶさん熊谷代表が講師となって開催されています。

ご興味のおありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

今月十日に父の七回忌、智恵子の三回忌を一しよに法要しました。五日には小生だけお墓まゐりしました。智恵子の事を友達はよくおぼえてゐてくれました。

昭和15年(1940)10月30日 長沼セン宛書簡より 光太郎58歳

千葉九十九里浜在住だった智恵子実母宛です。

昨日は都内と横浜を廻っておりました。

まずは日本橋。三井記念美術館さんで特別展「超絶技巧、未来へ 明治工芸とそのDNA」を拝観。
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いわゆる「超絶技巧」系で、戦前の工芸等および現代の作家さんたちの作品が展示されています。メインは現代ものです。

戦前の工芸等の中で、光太郎の父・光雲の「白衣観音像」。拝見した憶えのない作品でしたので、観て参りました。
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昭和7年(1932)の作だそうですので、光雲晩年のものです。

奇を衒うことなく、まさに王道。台座的な岩の作り方など、かの「老猿」を彷彿とさせられます。ただ、もしかすると光雲本人単独の作ではなく、弟子の手が入った工房作かも知れません。それでもいいものであることは間違いありませんが。

他に彫刻では光雲高弟の一人・米原雲海や、光雲の盟友・石川光明の作など、眼福でした。また、特に刺繍絵画などで無銘の作も多数。銘が入っていなくとも、いいものはいい、というスタンスには好感が持てます。

そして現代の作家さんたちの作。伝統を受け継ぎつつも、さらに進化させようとする姿勢が感じられます。ただ、芸術上のどんな分野でもそうですが、一通りのものが出尽くした感のある現代において、これから世紀をまたいで残っていく作品を創出することが果たして可能なのかな、という気はしました。

その後、横浜は桜木町に移動。横浜市民ギャラリーさんで開催中の現代アートのインスタレーション「新・今日の作家展2023 ここにいる―Voice of Place」を拝見。
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出品作家お二人のうち、チョークを使ったアートを得意とされている来田広大氏は、一昨年、六本木で「智恵子抄」オマージュの「あどけない空#2 The artless sky #2」を開催され、拝見して参りました。その際に出された映像作品「東京には空がない(Rooftop Drawing)」が再登場。その筋でそこそこ話題となっています。

都内某所のビル屋上の床面に、来田氏がひたすらチョークを使って曇天をトレースするというコンセプト。5分あまりの映像です。
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それから新作と思われる「あどけない空-三浦半島のキャベツ畑」。
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今月5日には87回忌(没後満85年)を迎える智恵子に思いを馳せて参りました。

ちなみに9月28日(木)、『朝日新聞』さん投書ページから。
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三井記念美術館さん特別展「超絶技巧、未来へ 明治工芸とそのDNA」は11月26日(日)まで、横浜市民ギャラリーさん「新・今日の作家展2023 ここにいる―Voice of Place」は10月9日(月・祝)までの会期です。それぞれぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

松茸いただきました、大変よい松茸でよろこびました、松焼にしたり、吸物にしたり、いろいろして賞味しました、あつく御礼申上げます、


昭和15年(1940)10月27日 富士正晴宛書簡より 光太郎58歳

富士正晴は大阪在住の詩人。

信州などでは今年は夏場の猛暑と9月に入ってからの残暑、さらに少雨もあって二十数年ぶりのマツタケ不作だそうです。それでなくとも数年間マツタケなぞ食べた記憶がないのですが(笑)。

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