2019年12月

この日には毎年同じようなことを書いていますが、今年もとうとう大晦日とあいなりました。とりあえず無事に一年を終えられそうで、胸をなで下ろしております。

さて、2019年最後の日、再放送ではありますが、テレビ放映で光太郎が取り上げられます。大晦日ということで、ありがたさが一入(ひとしお)です。 

びじゅチューン! 「指揮者が手」

NHK Eテレ 2019年12月31日(火) 19:50~19:55

古今東西の美術作品を井上涼のユニークな発想でうたとアニメーションに。今回は、高村光太郎の彫刻「手」(東京国立近代美術館所蔵)。この彫刻は、指をやんわり曲げていたり親指が反り返っていたりと、細かいニュアンスを伝えようとしているみたいに見える。これは、オーケストラを動かす指揮者なのかもしれない!「て」という音を効果的に取り入れた歌詞で、左手一本で音楽を自由にあやつる孤高の指揮者を歌う。

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『毎日小学生新聞』さんに「井上涼の美術でござる」という漫画を連載されているマルチアーティスト・井上涼氏の作になるアニメーションを根幹とした5分間番組です。

初回放映は平成30年(2018)10月31日でした。その後、何度目かの再放送となります。

鯰やらレモンやら、それからおそらく九十九里浜など、光太郎を象徴するさまざまなアイテムがちりばめられ、光太郎フリークにはたまりません(笑)。ぜひご覧下さい。


ところで、このブログ、平成24年(2012)にYahoo!ブログとしてスタートしましたが、Yahoo!さんがブログ事業から撤退、やむなく今年8月にLivedoorさんのブログに移転しました。移行ツールを使い、過去の記事は無事にすべて移動できましたが、文字のサイズや画像の位置などがむちゃくちゃになっていたり、Yahoo!ブログ内でリンクを貼っていたりといった点を修正せねばならず、コツコツやって参りました。新しい記事から順次修正し、平成26年(2014)まで来ましたが、結局、今年中には終わりそうにありません。まあ、気長にやろうと思っております。

以前のYahoo!ブログの頃は、そのサービスが終了した今年の初夏ごろまで、毎日のように「閲覧数が多い」ということでご褒美にTポイントが加算されていました。ある程度たまったところで、さまざまな寄付に使わせていただいていましたが、もうそれもできなくなり、その点は寂しい限りです。

閲覧数といえば、Livedoorさんのブログに移転後は、日々の訪問者数が激減しています。特にYahoo!ブログの方がサーバーから削除された後は、1日に十数人とかが当たり前。それもそのはず、googleさんやYahoo!さんなどの検索エンジンで、このブログがほとんど引っかからないというのが大きいようです。別に訪問者数、閲覧数を伸ばして悦に入りたいわけではなく、情報を皆様にお伝えしたいので、今後はフェイスブックやツイッターなどとの併用なども視野に入れなければならないかな、と思っております。


Tポイントの寄付は出来なくなりましたが、皆様方から頂いた郵便物に貼られていた切手の寄贈は、例年通り公益社団法人日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)さんに郵送して寄付いたしました。同会サイト上の「協力団体一覧」の先月分に、「高村光太郎連翹忌運営委員会」として掲載して下さっています。

それから、Tポイントの寄付は出来なくなった分、何かないかと思っていましたところ、思いついたのがベルマーク。以前は当方の子供達がかつてお世話になっていた保育園さんに匿名で郵送していたのですが、そちらは子供達が卒園して20年ほど経ち、現在もベルマークを集めているかどうかわからない状況なので、今年からベルマーク教育助成財団さんにお送りすることに致しました。こちらも郵送で寄贈を受け付けており、しかも東日本大震災被災校支援に限定して使われる「震災寄贈」というカテゴリがあるとのことで、あちらにいろいろご縁のある当会としては、うってつけです。ところが、「震災寄贈」と「一般寄贈」があり、封筒に「震災」か「一般」か明記せねばならなかったのですが、そのあたりの注意事項をよく読まずに何も書かないで送ってしまい、「一般」扱いとなってしまいました。来年以降、気をつけようと思いました。

で、過日、お礼状が届きました。

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さらにJOCSさん同様、サイト上の「今月の寄贈者」欄に載せていただいております。ただ、「高村太郎連翹忌運営委員会」となっていて、笑いましたが(笑)。


さて、明日から2020年。明朝は、これまた例年通り、愛犬をお供に、昭和9年(1934)、心を病んだ智恵子が半年間療養生活を送った九十九里浜片貝海岸に初日の出を見に行って参ります。

来年もよろしくお願い申し上げます。


【折々のことば・光太郎】

進むに従つて又いろいろな段階を経る事であらうが、大切なのは、どんなに詩境が深くなつても、いつまでも此の初一歩の魂を失はない事である。

散文「藤井照子詩集『石花采』序」より 昭和16年(1941) 光太郎59歳

「石花采」は「てんぐさ」。ところてんなどの原料となる海藻ですね。藤井照子は、光太郎が選者を務めていた雑誌『新女苑』の投稿詩欄から出た詩人。そのため、上記のようなアドバイスが贈られています。のちに光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のモデルを務めた藤井照子とは、同姓同名の別人です。

ちなみにこのブログ、現在開設から8年目。来年5月には9年目に突入します。やはり「光太郎智恵子らに関する情報を広く紹介する」という「初一歩の魂」を「失はない」ようにやっていきたいと存じます。

この一年を振り返る企画の最後となります。今日は10月から今月のできごとです。詳細は各項のリンクをご参照下さい。毎日書いていますが、主なものに限らせていただきます。書籍等の発行日は奥付の記述に典拠し、実際の発売日とは異なる場合があります。

まず、昨日、書き忘れました9月分の追補を。

9月20日(金)
文治堂書店さんからPR冊子『トンボの眼玉』№9が刊行されました。今年4月に刊行された当会顧問・北川太一先生の『光太郎ルーツそして吉本隆明ほか』の宣伝になっています。『高村光太郎の戦後』を青土社さんから上梓された中村稔氏、吉本に詳しい評論家の久保隆氏、同じく芹沢俊介氏の玉稿、そして拙稿「『高村光太郎全集』未収録作品集成」が掲載されています。

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9月23日(月)~12月17日(火)
栃木県佐野市にある佐野東石美術館さんで第4回「森の交響曲(シンフォニー)」展が開催され、光雲木彫「牧童」が展示されました。

さて、10月以降に入ります。

10月3日(木)・4日(金)
ホテルメトロポリタン長野さん及び信州善光寺さんで「第14回善光寺サミット」が開催されました。光雲とその高弟・米原雲海による仁王像開眼100周年を記念し、田中修二氏(大分大学教授)、藤曲隆哉氏(東京藝術大学大学院非常勤講師)による記念講演『善光寺仁王諸像の魅力について』などが行われました。

10月5日(土)~11月24日(日)
小樽文学館さんで特別展「歿後50年 伊藤整と北海道展」が開催され、光太郎に関わる展示も為されました。


10月5日(土)・6日(日)・12日(土)・13日(日)
長野市のギャラリー花蔵さんで「thee第13回公演『売り言葉』」が上演されました。本来一人芝居である野田秀樹氏の戯曲『売り言葉』を、島崎美樹さん、ミズタマリさんのふたり芝居とする演出でした。

10月5日(土)~12月15日(日)
群馬県立土屋文明記念文学館さんで「萩原恭次郎生誕120年記念展 詩とは?詩人とは?」が開催され、光太郎に関する展示も行われました。「萩原恭次郎生誕120年記念展」は前橋文学館さんとの共同企画で、同館では11月2日(土)~来年1月26日(日)まで、「何物も無し!進むのみ!」を開催中です。

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10月6日(日)
福島県二本松市のラポートあだちさんで、智恵子を偲ぶ「第25回レモン忌」が開催されました。記念講演はテルミン奏者の大西ようこさんによる「もう一つの智恵子抄」でした。

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同日、当会で会報的に発行している冊子『光太郎資料』52集を発行いたしました。

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同日、地方紙『伊豆新聞』さんに「新・埋もれ火を訪ねて 鈴木白羊子」という記事が載りました。光太郎と交流のあった詩人・編集者の鈴木白羊子を紹介するもので、光太郎にも触れられています。

 10月6日(日) 10月10日(木)
福島市の古関裕而記念館さん、二本松市の市民交流センターさんで、シャンソン系歌手モンデンモモさんのコンサート「FUKUSHIMA DAISUKI MOMO CONCERT 2019」が開催され、「智恵子抄」にオリジナルのメロディーを付けた曲などが演奏されました。

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10月7日(月)

岩手県花巻市・北上市の光太郎ゆかりの石碑等を巡る市民講座「岩手花巻高村光太郎記念館講座 詩と林檎のかおりを求めて 小山先生と訪ねる碑めぐり」が開催されました。講師は当方が務めさせていただきました。

10月10日(木)
『日本経済新聞』さんに、元アナウンサー・近藤サトさんによる「読書日記 ナレーター 近藤サト(2) 「緑色の太陽」 芸術の核心を見る手助け」という記事が載りました。

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10月11日(金)
元花巻高村光太郎記念会理事長・佐藤進氏が亡くなりました。進氏、父君は佐藤隆房。昭和8年(1933)に歿した宮澤賢治の主治医でもあり、賢治の父・政次郎ともども、昭和20年(1945)4月の空襲でアトリエ兼住居を失った光太郎を花巻に招き、その後も物心両面で光太郎を支えてくれた人物で、進氏ご本人も光太郎と交流がありました。


10月12日(土)
集英社さんからインターナショナル新書の一冊として津上英輔氏著『危険な「美学」』が刊行されました。「「美に生きる」(高村光太郎)ことの危険」という章で光太郎に詳しく触れています。

同日、俳優の中山仁さんが亡くなりました。昭和42年(1967)の松竹映画「智恵子抄」(岩下志麻さん主演)で、髙村豊周役を演じられました。

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10月12日(土)~2020年1月13日(月・祝)
港区の東京都庭園美術館さんにおいて「アジアのイメージ―日本美術の「東洋憧憬」」展が開催中です。光太郎実弟・髙村豊周の鋳金作品が展示されています。12月22日(日)、NHK Eテレさんの「アートシーン」で紹介がありました。


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10月13日(日)
仙台市の宮城野区文化センターパトナホールで、コンサート「第19回 華 日本の詩歌の会」が開催され、歌曲「レモン哀歌」が演奏されました。


10月14日(月・祝) 11月17日(日) 12月15日(日)
二本松市の福島県男女共生センターさんで、「智恵子講座2019」が開催されました。主催は智恵子のまち夢くらぶさん、講師は木戸多美子さん(詩人)、坂本富江さん(太平洋美術研究所 高村光太郎研究会)、澤正宏さん(福島大学名誉教授)でした。

10月15日(火)
神戸新聞総合出版センターさんから『画家 池田永治の記録―その作品と年譜―』が刊行されました。光太郎が昭和20年(1945)、花巻に疎開する前日に書かれた揮毫(チョッキの背に書かれたもの)が紹介されています。池田は智恵子と同時期に太平洋画会に所属し、漫画家、挿絵画家としても活躍した人物です。

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10月17日(木) ~21日(月)0359af50-s
山本學+兼古隆雄 朗読とギターの饗宴」が、滋賀県栗東市芸術文化会館さん、島根県松江市市民活動センターさん、山口県周南市文化会館さん、山口市中原中也記念館さん、山口県下松市国民宿舎大城さんでそれぞれ開催され光太郎詩の朗読が為されました。

10月20日(日)
本の泉社さんより『季論21 2019秋 第46号』が発行されました。歌人・内野光子氏の「「暗愚小傳」は「自省」となり得るのか――中村稔『髙村光太郎の戦後』を手掛かりとして」が17ページにわたり掲載されています。

10月26日(土)
横浜市の3丁目カフェさんで「月の映像詩と朗読の夕べ つきおもふこころ」の公演がありました。月を撮り続けているカメラマン河戸浩一郎氏による作品(月の映像詩)の上映会で、「智恵子抄」を題材にした朗読作品が、みのもかおりさんの朗読で披露されました。
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10月27日(日)
NHK Eテレさんで「日曜美術館 わしがやらねばたれがやる~彫刻家・平櫛田中~」の放映がありました。光雲にも触れられました。再放送11月3日(日)でした。

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11月1日(金)
土曜美術出版社さんから『詩と思想』2019年11月号が刊行されました。「特集 詩人・作家の死生観」の中で、詩人の豊岡史郎氏による「高村光太郎の自然観と死生観」が載っています。


11月1日(金)~12月1日(日)
京都市の知恩院さんで「20周年! お坊さんに会いに行こう! 知恩院秋のライトアップ2019」が開催され、光雲作の聖観音像もライトアップされました。

11月2日(土)・3日(日)
盛岡市の旧岩手銀行赤レンガ伝統工芸館で「IWATE TRADITIONAL CRAFTS year 2019 ~(ホームスパン)」が開催され、光太郎遺品にして英国の世界的染織家エセル・メレ作の毛布が展示されました。3日には岩手県立大学盛岡短期大学部の菊池直子教授による特別講演「高村光太郎のホームスパンを探る!」が開催されました。


やはり11月2日(土)・3日(日)で、渋谷区の新国立劇場さんに於いて「新国立劇場バレエ研修所公演 バレエ・オータムコンサート2019」が開催され、プログラムに「檸檬(レモン)哀歌」が入りました。

11月3日(日)
写真家の田沼武能氏に文化勲章が伝達されました。光太郎の肖像写真を手がけられた他、光太郎令甥の故・髙村規氏と木村伊兵衛門下で兄弟弟子として活躍されました。

11月4日(月・振)
台東区の旧平櫛田中邸アトリエにおいて「潮見佳世乃歌物語コンサート 智恵子抄」が開催されました。


11月7日(木)
 『週刊新潮』さんの11月7日号で「「ほんとの空の下」の山小屋」という記事が3ページにわたって掲載されました。安達太良山のくろがね小屋を紹介する中で、光太郎智恵子にも触れて下さいました。

11月13日(水)
俳優の滝口幸広さんが34歳の若さで亡くなりました。平成24年(2012)に開催された朗読系の公演「僕等の図書室」及び「僕等の図書室2」で、「智恵子抄」の朗読を披露なさいました。

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11月14日(木)
『朝日新聞』さんの岩手版に「高村光太郎のはがき寄贈 70年前に受け取る」という記事が載りました。横浜に住む女性が中学生だった昭和25年(1950)、光太郎から受け取った葉書を花巻高村光太郎記念館さんに寄贈した件でした。21日(木)には全国版にも同じ記事が掲載された他、その前後、地方紙にも記事が載りました

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 11月16日(土)
名古屋市のザ・コンサートホールさんで、「伊藤晶子ソプラノリサイタル ~演奏生活70周年を記念して~」が開催され、朝岡真木子さん作曲の「智恵子抄」改訂初演が為されました。

 11月19日(火)
 DeAGOSTINIさんから『日本の名峰 DVD付きマガジン64 紅葉色めく湯の山 安達太良山』が刊行されました。付録のDVDを含め、光太郎智恵子に触れて下さっています。


11月20日(水)
日本コロムビアさんからソプラノ歌手・小林沙羅さんのアルバム「日本の詩(うた)」がリリースされました。「或る夜のこころ ―『智恵子抄』より」(作曲/中村裕美さん)を含みます。

11月23日(土)
江東区立東大島文化センターさんで第64回高村光太郎研究会が開催されました。研究発表は元いわき市立草野心平記念文学館の小野浩氏で「黄瀛から見た光太郎・賢治・心平」、当会顧問北川太一氏子息の北川光彦氏が「高村光太郎が彫刻や詩の中に見つけた「命」とは」、書家の菊地雪渓氏による「光太郎の書について―普遍と寛容―」でした。

11月26日(火)
『日本経済新聞』さんに「日本美術の中の動物十選(10) 高村光雲「老猿」」という記事が載りました。千葉市美術館館長・河合正朝氏による文化面の連載の一環です。

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11月27日(水)~2020年4月12日(日)
山口市の中原中也記念館さんで「清家雪子展――『月に吠えらんねえ』の世界」が開催中です。光太郎に関わる展示も為されています。

11月28日(木)
FMヨコハマさんで「スペシャルプログラム Sound Travelogue ~沢木耕太郎、日本を旅する~ ラジオドラマ 高村光太郎「智恵子の紙絵」」がオンエアされました。

11月29日(金)
静岡県浜松市の鴨江アートセンターさんで「SPAC出張劇場『星の時間 〜高村光太郎「智恵子抄」より〜』」の公演がありました。吉見亮さんの電子パーカッション演奏に合わせての、布施安寿香さんの一人芝居でした。

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11月30日(土)
光文社さんから光文社新書の一冊として評論家長山靖生氏著『恥ずかしながら、詩歌が好きです 近現代詩を味わい、学ぶ』が刊行されました。「第七章 犯罪幻想(ミステリ)と宇宙記号(SF)の世界――萩原朔太郎、高村光太郎、山村暮鳥、千家元麿、三好達治、佐藤惣之助――」「第九章 直情の戦争詩歌、哀切の追悼詩歌――北原白秋、三好達治、高村光太郎、折口信夫――」などで光太郎に触れられています。

12月2日(月)~22日(日)
杉並区の古書店・西荻モンガ堂さんで「個人名のついた研究会会誌の世界」展が開催され、かつて当会顧問・北川太一先生が発行されていた『光太郎資料』などが展示されました。

12月4日(水)~12月28日(土)
京都市のおもちゃ映画ミュージアムさんで「戦争プロパガンダ展 ポスター・雑誌・映画」が開催されました。光太郎の翼賛詩に関する資料も展示されました。

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12月7日(土)(土)~12月18日(水)
神戸市のギャラリー島田さんで「井上よう子展 ―言葉がくれたもの―」が開催されました。「智恵子抄」からインスパイアされた絵画も並びました。

12月7日(土)~2020年1月26日(日)
花巻市の5つの文化施設で「ぐるっと花巻再発見!~イーハトーブの先人たち~」という統一テーマの元に行われる共同企画展が開催されています。花巻高村光太郎記念館さんでは「光太郎からの手紙」。花巻市総合文化財センターさんの「ぶどう作りにかけた人々 ―北上山地はボルドーに似たり―」でも、光太郎に関わる展示が為されています。


12月10日(火)
株式会社トゥーヴァージンズさんからCD13枚組「【近代文學の泉】朗読で味わう文豪の名作」がリリースされました。俳優の寺田農さんによる「智恵子抄」朗読を含みます。

12月13日(金)~15日(日)
岡山市の城下公会堂 さんにおいて劇団カタオモイ旗揚げ公演「売り言葉」が上演されました。ご出演は櫻井杏子さん、久永柚月さん、松尾千晶さんでした。

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12月15日(日)
文治堂書店さんからPR誌『トンボ』第9号が発行されました。拙稿「連翹忌通信」の題で連載されております。

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ワルトラワラの会さんから文芸同人誌『ワルトラワラ』第45号が発行されました。料理研究家の中野由貴さんご執筆の「イーハトーヴ料理館 賢治たちの自炊めし 二膳目 光太郎さんからの食アドバイス」が5ページにわたり掲載されています。

 12月21日(土)・22日(日)
大阪市のアートギャラリーフジハラさんで「演劇創造ユニット [フキョウワ] 第一回公演 売り言葉」が開催されました。雀野ちゅんさんのご出演でした。


12月22日(日)
二本松市の市民交流センターで女優の林亜佑美さんによる「一人芝居 売り言葉」の公演がありました。

追記 12月28日(月)
文化放送さんから声優の能登麻美子さんによる「能登麻美子おはなしNOTE 朗読CD第7弾 ルルとミミ/夢野久作」がリリースされました。光太郎随筆「山の雪」朗読を含みます。


また、各月の項には書きませんでしたが、雑誌『月刊絵手紙』さん、隔月刊誌『花巻まち散歩マガジンMachicoco(マチココ)』さんが、それぞれ「生(いのち)を削って生(いのち)を肥やす 高村光太郎のことば」、「光太郎レシピ」という連載を今年も掲載し続けて下さいました。

と。まあ、今年も実にいろいろなことのあった一年間でした。関係各位に改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。来年以降もどうぞよろしくお願い申し上げます。


【折々のことば・光太郎】

一番先に気のついた事はその詩がすべて形象に向つて動いてゐる事である。映像として詩の情景が具象され、うちつけな露はな抒情よりも其を包んだ場面としての表現がすべてに行き亙つてゐる。

散文「大野良子詩集『馬頭琴』読後感」より
 昭和15年(1940) 光太郎58歳

この手の文章に共通することですが他者への評でありながら、一面、光太郎の目指す……とまでは行かなくともよしとする詩のあり方が示されています。

この一年を振り返る企画の3回目となります。今日は7~9月のできb4406db5ごとです。

詳細は各項のリンクをご参照下さい。毎日書いていますが、主なものに限らせていただきます。書籍等の発行日は奥付の記述に典拠し、実際の発売日とは異なる場合があります。

7月5日(金)・6日(土)
千代田区の東京古書会館さんにおいて、明治古典会七夕古書大入札会2019一般下見展観が行われ、光太郎自筆原稿、書簡などが出品されました。

7月5日(金)~7日(日)
仙台市のせんだい演劇工房10-BOXさんにおいて、「INDEPENDENT:SND19参加企画 演劇ユニット箱庭 第5回公演 『38.9℃の夜』」が上演されました。 しゅー(演劇ユニット あかりラボ)さんによる智恵子を主人公とした一人芝居でした。

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7月5日(金)~10月6日(日)
文京区の森鷗外記念館さんでコレクション展「文学とビール―鷗外と味わう麦酒(ビール)の話」が開催され、光太郎に関わる展示も為されました。

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7月6日(土)
愛知県長久手市の長久手文化の家さんにおいて、「智恵子抄」を題材とした「創造スタッフ七夕企画 文学パフォーマンス」の公演がありました。ご出演は豊永洵子さん(ダンス)、細川杏子さん(フルート)、藤島えり子さん(俳優)でした。

7月11日(木)
埼玉県東松山市のきらめき市民大学さんにおいて、市民講座「高村光太郎と東松山」が開催されました。講師は当方が務めました。

7月13日(土)・14日(日)
青森県十和田湖畔に於いて「2019.第54回十和田湖湖水まつり」が開催され、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のライトアップが為されました。

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7月20日(土)
台東区の区立旧東京音楽学校奏楽堂さんにおいて「令和元年度奏楽堂日本歌曲コンクール入賞記念コンサート」が開催され、紀野洋孝さん(テノール)、森裕子さん(ピアノ)により別宮貞雄氏作曲の歌曲集『智恵子抄』から6曲が演奏されました。

7月23日(火)
小学館さんから芦田愛菜さん著『まなの本棚』が刊行されました。第一日暮里小学校卒業生で光太郎の後輩に当たる女優の芦田さんによるブックガイド。『智恵子抄』も取り上げられました。


7月25日(木)
NHK出版さんから若松英輔氏著『詩と出会う 詩と生きる』が刊行されました。「 第11章 今を生きる詩 高村光太郎が捉えた「気」」で、光太郎に触れられています。

同日、NHK BSプレミアムさんで「偉人たちの健康診断 東京に空が無い “智恵子抄”心と体のSOS」が放映されました。

7月28日(日)
『明星』時代からの光太郎の親友・水野葉舟の子息にして、建設大臣や総務庁長官などを務められた元衆議院議員にして、おん自らも光太郎と交流のあった水野清氏が亡くなりました。お別れの会は、10月14日(月)、成田ビューホテルさんで開催されました。


7月31日(水)
JTBパブリッシングさん発行の雑誌『月刊ノジュール』8月号で「安達太良山[福島県] 『智恵子抄』の“ほんとの空”へ」という記事が載りました。

8月7日(水)
宮城県女川町の女川つながる図書館さんで特別展「詩人・彫刻家高村光太郎と女川 ~えにしをつなごう~」が開催されました。


8月9日(金)
宮城県女川町のまちなか交流館さんで第28回女川光太郎祭が開催されました。県内外の方々による光太郎詩文朗読、当方による記念講演等が行われました。

8月9日(金)~11日(日)
大阪府立男女共同参画・青少年センターさんにおいて演劇公演「あきらめない、夏"  2019 大阪女優の会 VOL.17朗読劇「あの日のこと」~『朝、目覚めると、戦争が始まっていました』『空が、赤く、焼けて』より~」が開催され、光太郎詩も取り上げられました。


8月15日(木)
早川書房さんよりハヤカワ演劇文庫の一冊として、渡辺えりさん著『渡辺えりⅢ──月にぬれた手/天使猫』が刊行されました。平成24年(2012)初演の2本の脚本です。「月にぬれた手」は光太郎を、「天使猫」は宮沢賢治を、それぞれ主人公としています。

8月16日(金)
本阿弥書店さん発行の雑誌『歌壇』9月号に、拙稿「明星文学者、四季の食卓― 高村光太郎 苦しい中でも工夫して」が掲載されました。


同日、『週刊朝日』さんの8.16-23合併号に「文豪たちが聞いた「玉音放送」」という記事が載り、光太郎も紹介されました。

8月18日(日)
世田谷区のオーキッドミュージックサロンさんにおいて演奏会「Départ chant piano et piano」が開催されました。別宮貞雄氏作曲の歌曲集「智恵子抄」より6曲が、齋藤青麗さん(ソプラノ)の歌唱で演奏されました。

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8月19日(月)~30日(金)
新潟県上越市埋蔵文化財センターさんで、光雲作の「木造毘沙門天像」が初公開されました。


8月24日(土)~11月17日(日)
京都市の清水三年坂美術館さんにおいて帝室技芸員の仕事 彫刻編が開催されました。光雲と石川光明の作品を中心とした展覧会でした。

8月31日(土)~10月31日(木)
長野市の信州善光寺史料館さんで、光雲とその高弟・米原雲海による仁王像を安置する「善光寺仁王門写真コンテスト」入賞作品の展示が行われました。審査には光雲の曾孫で写真家の髙村達氏が当たりました。



9月1日(日)
JR東日本さん発行の車内誌『トランヴェール』9月号が発行されました。作家・沢木耕太郎氏によるエッセイ「旅のつばくろ」で、二本松および岳温泉が取り上げられ、光太郎智恵子にも触れられました。

9月4日(水)
今年1月に公開された映画「この道」のブルーレイとDVDが発売されました。伊㟢充則さん演じる光太郎も登場します。

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9月5日(木)~8日(日)
豊島区の新生館シアターさんで、劇団evkk(エレベーター企画)による野田秀樹氏脚本による智恵子を主人公とした『売り言葉』の上演がありました。


9月7日(土)
二本松市コンサートホールさん他の会場で「にほんまつArt Fes」が開催され、その一環として「妖艶 Bewitching」が上演されました。女優の一色采子さんによる「智恵子抄」朗読、二瓶野枝さんによるコンテンポラリーダンス「あどけない話」などの内容でした。

9月7日(土)~11月17日(日)
この期間の土日祝日に、二本松市の智恵子生家で、二階部分の特別公開が実施されました。

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9月13日(金)
仙台市のアクテデュースさんで、ピアニスト斎藤卓子さんによる「サロンコンサート《 いざなう月の琴 》vol.27 」が行われました。「高村光太郎『智恵子抄』と共に」と題し、シューマンのピアノ曲の演奏と共に光太郎詩の朗読が為されました。

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9月14日(土)~12月8日(日)
新宿区の中村屋サロン美術館さんで「生誕140年・中村屋サロン美術館開館5周年記念 荻原守衛展 彫刻家への道」展が開催され、光太郎ブロンズ「腕」、油絵「自画像」が展示されました。


9月18日(水)~10月20日(日)
和歌山県立近代美術館さんで「時代の転換と美術「大正」とその前後」展が開催され、光太郎油絵「佐藤春夫像」が展示されました。

9月20日(金)
埼玉県和光市の音楽レストラン クロシェット ドゥ ボワさんで、オペラ歌手和田タカ子さんによるトークイベント「オペラ勧進 歌と芸術よもやま話 「智恵子抄」を読み解いてみませんか」が開催されました。

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同日、講談社さんから清家雪子氏著『月に吠えらんねえ』第11巻(最終巻)が発行されました。萩原朔太郎、北原白秋ら近代詩歌人をモチーフとした登場人物が織り成す幻想世界を描いた漫画です。光太郎からインスパイアされた登場人物も重要な役どころでした。

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9月20日(金)~23日(月・祝)
新宿区の古民家ゆうどさんにおいて「サキクサ創刊号公演・大塚由祈子ひとり芝居『売り言葉』」の公演が行われました。

9月21日(土)~11月10日(日)
群馬県立近代美術館さんで「没後70年 森村酉三とその時代」展が開かれ、光太郎実弟にして鋳金の人間国宝だった髙村豊周の作品が出ました。

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 9月21日(土)~11月24日(日)
熊本市現代美術館で「2019年度国立美術館巡回展 東京国立近代美術館所蔵品展 きっかけは「彫刻」。―近代から現代までの日本の彫刻と立体造形」が開催され、光太郎の代表作「手」(大正7年=1918)と、「鯰」(大正15年=1926)が出品されました。

9月22日(日)
目黒区のめぐろパーシモンホールさんで「4人のバリトンコンサート ハンサムなメロディー」が開催され、加耒徹さんにより、加藤昌則氏作曲の「レモン哀歌」が演奏されました。

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9月26日(木)
 東京都立川市の女性総合センター・アイムで、市民講座「アイム市民企画活動事業 詩と歌詞で読む出会いと別れ 第2弾~作者の心・日本の四季~」が開催され、光太郎詩「レモン哀歌」が取り上げられました。講師はコミュニケーションスキルアップ講師・伊藤眞理子氏でした。

9月27日(金)
福岡市のあいれふホールさんで、「加耒徹バリトンリサイタル2019 〜歌道Ⅱ」福岡公演がありました。加藤昌則氏作曲の「レモン哀歌」が演奏されました。東京公演は11月7日(木)、豊洲シビックセンターホールで開催されした。

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9月27日(金) ~11月25日(日)
花巻高村光太郎記念館さんで企画展「高村光太郎 書の世界」が開催されました。同館蔵の光太郎の毛筆書、原稿等が展示されました。

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9月29日(日)
埼玉県川口市のTOIcafeさんを会場に、コンサート「日本のうたカフェvol.5 ~日本のうたでほっこりしたひとときをご一緒に~」が開催され、ソプラノ歌手・丹羽京子さんにより、鈴木憲夫氏作曲の独唱歌曲「レモン哀歌」が演奏されました。 


明日はこの項最後、10~12月です。


【折々のことば・光太郎】

人に読まれても読まれないでも詩は泉のやうに詩人の居るところから何時でもあふれる。

散文「『現代詩人集』について」より 昭和15年(1940) 光太郎58歳

その清らかな泉の水を飲みたくて、仕方がないのです(笑)。

昨日の1~3月分に引き続き、今年一年を振り返ります。やはりご紹介した全件はさすがに紹介しきれませんので、主なものに限らせていただきます。また、書籍等の発行日は奥付に従いました。そこで、実際に店頭に並んだ日と異なる場合があります。ご了承ください。

4月2日(火)
第63回連翹忌を、千代田区の日比谷松本楼さんで開催いたしました。全国から70余名の皆様にお集まりいただき、光太郎を偲ぶひとときを共に過ごしました。

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同日、岩手花巻の旧太田村で詩碑前祭、市街松庵寺さんで連翹忌法要が開催されました。

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さらに同日、文治堂書店さんから当会顧問・北川太一先生著 『光太郎ルーツそして吉本隆明ほか』が刊行されました。

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やはり同日、高村光太郎研究会さんから『高村光太郎研究(40)』、当会から『光太郎資料51』が刊行されました。


4月3日(水)~8日(月)
中央区の日本橋三越本店美術特選画廊さんで「E.O展 ~多摩美出身作家~ vol.3」が開催され、昨年、智恵子の故郷・福島二本松にある智恵子生家で、現代アートの祭典「福島ビエンナーレ 重陽の芸術祭 2018」の一環として開催された、切り絵作家の福井利佐さんの作品展に展示された「荒御霊(グロキシニア)」が出品されました。

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4月6日(土)~6月30日(日)
文京区立森鷗外記念館さんで特別展「一葉、晶子、らいてう―鷗外と女性文学者たち」が開催されました。智恵子が創刊号等の表紙絵を描いた『青鞜』がらみの展示がありました。


4月10日(水)~12日(金)
渋谷区の澁谷伝承ホールさんで「Yプロジェクトプロデュース公演 ブーケdeコンセール 詩劇と音楽 長編詩劇・高村光太郎の生涯 愛炎の荒野。雪が舞う、」の公演がありました。


4月13日(土)~6月30日(日)
福島県いわき市の草野心平記念文学館さんで、企画展「草野心平 蛙の詩」が開催され、光太郎が序文執筆、題字揮毫、装幀などにあたった心平著作が展示されました。

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4月19日(金)
横浜市のKikcafeで「ロコさんの朗読会 春風にさそわれてよむ詩~「智恵子抄」~「ポケット詩集」」が開催されました。朗読は石川弘子さんでした。

同日、龍星閣さんから『澤田伊四郎 造本一路』図録編が刊行されました。初版『智恵子抄』他、数多くの光太郎著書が写真入りで紹介されています。

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4月28日(日)
徳島県郷土文化会館(あわぎんホール)さんにおいて、「平成31年度 東京藝術大学音楽学部同声会 徳島県支部主催演奏会」が開催され、松岡みち子氏作曲の独唱歌曲「智恵子抄」より抜粋で演奏が為されました。

5月3日(金)~26日(日)
花巻市の花巻高村光太郎記念館 森のギャラリーで、「美しきものみつ―光太郎と智恵子の息吹―」が開催されました。地元の画家・多田民雄氏と、陶芸家の安部勝衛氏の、光太郎智恵子にちなむ作品が展示されました。

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5月12日(日)
すばる舎さんより、アンドルー・B.アークリー氏著『陛下、今日は何を話しましょう』が刊行されました。新天皇陛下と「智恵子抄」にまつわるエピソードが紹介されています。

5月15日(水)
花巻市の山口小学校跡地に於いて、第62回高村祭が開催されました。総合花巻病院さんの後藤勝也院長による記念講演「高村光太郎と花巻病院」が行われました。


5月18日(土)
昭和34年(1959)、第2回高村光太郎賞を受賞した彫刻家の豊福知徳氏が亡くなりました。

同日、二本松市の鐵扇屋サウンドリゾート蔵さんで、シャンソン系歌手のモンデンモモさんのコンサート「モモの智恵子抄」が行われました。


5月25日(土)
港区のサントリーホールさんで「第35回アイメイトチャリティーコンサート」が開催されました。女優の一色采子さんによる朗読「詩と音楽のマリアージュ 高村光太郎作「智恵子抄」より」がプログラムに入っていました。

同日、早川書房さんからハヤカワ文庫の一冊として、霜月りつさん著『本屋のワラシさま』が刊行されました。いわゆるライトノベル系の小説で、『智恵子抄』が重要なモチーフとして使われています。

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5月28日(火)~~6月2日(日)
豊島区のシアターKASSAIさんで演劇公演・夢のれんプロデュースvol.1「いとしいとしのぶーたれ乞食」「朝に死す」が開催されました。光太郎詩「樹下の二人」(大正12年=1923)が劇中で使用されました。


5月30日(木)

春陽堂さんから七北数人氏著『泥酔文学読本』が刊行されました。「α次元にいる智恵子」という項で、詩「梅酒」にからめ、光太郎智恵子が取り上げられています。

6月1日(土)
宮城県女川町さんの広報誌『広報おながわ』中の連載「あの日あの時 女川町史」で、平成3年(1991)建立の高村光太郎文学碑が紹介されました。

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同日、『朝日新聞』さんの書評欄に「(ひもとく)ノートルダム大聖堂 永遠への足場、固める再建へ」という記事が掲載され、4月に火災に見舞われたノートルダム大聖堂にからめ、新潮文庫版『高村光太郎詩集』が取り上げられました。執筆は東京外国語大学名誉教授・西永良成氏でした。


 6月2日(日)

札幌文化芸術交流センターSCARTSさんで、新関伸也氏(滋賀大学教育学部教授)による講演会「近代日本彫刻のあけぼの―高村光雲・光太郎、荻原守衛を通して―」が開催されました。主催は本郷新記念札幌彫刻美術館さんでした。

同日、中野区の古民家asagoroさんで、月の映像詩上映会「ツキミチルノコト」vol.8が開催され、みのもかおりさんによる朗読で「智恵子抄」が取り上げられました。

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6月2日(日)~8月18日(日)
米国ワシントンDCのナショナル・ギャラリー・オブ・アートさんで、「The Life of Animals in Japanese Art(日本美術に見る動物の姿)展」が開催され、光雲作の木彫「老猿」が出品されました。

6月3日(月)
青土社さんから、中村稔氏著『高村光太郎の戦後』が刊行されました。

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6月7日(金)
同日、山と渓谷社さんからヤマケイ文庫の一冊として『名作で楽しむ上高地』が刊行されました。大森久雄氏編によるアンソロジーで、光太郎の「智恵子の半生(抄)」「狂奔する牛」を含みます。

同日、盛岡市の盛岡少年刑務所さんで、第42回高村光太郎祭が開催され、受刑者による光太郎詩の朗読等が為されました。

6月9日(日)
地方紙『福島民報』さんの一面コラム「あぶくま抄」で、NHKさんの大河ドラマ「いだてん」の重要な登場人物だった二階堂トクヨと智恵子の関わりについて触れて下さいました。

6月11日(火)・12日(水)
テレビ朝日さん系列で放映中のドラマ「やすらぎの刻~道」の第47話・48話で、『智恵子抄』が重要なモチーフとして取り上げられました。シナリオ集が6月21日(金)に刊行されています。

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6月15日(土)
文治堂書店さんからPR誌『トンボ』第8号が発行されました。拙文「連翹忌通信(五) 「光太郎遺珠」その四」が掲載されています。

6月16日(日)
光太郎智恵子に関する書籍を数多く刊行して下さった出版社・二玄社さんの創業者、渡邊隆男氏が亡くなりました。光太郎と同じ青山斎場において、9月30日(月)にお別れの会が催されました。


6月17日(月)
金沢市民芸術村PIT2ドラマ工房さんにおいて、朗読公演「『智恵子抄』詩人高村光太郎と智恵子~本田和の語り」が開催されました。語り・本田和さん、チェロ・林口眞也さんによるものでした。

6月17日(月)・18日(火)
福島県二本松市の智恵子のまち夢くらぶさんの山梨・静岡研修旅行が行われ、清春白樺美術館、富士川町高村光太郎文学碑、沼津第一小学校などのゆかりの地を訪問したそうです。

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6月23日(日)
松本市音楽文化ホールさんで、地元のアマチュア合唱団コーロ・カンパーニャさんの第7回コンサートが開催されました。「清水脩 高村光太郎の世界」と題したステージで、「亡き人に」「智恵子抄巻末のうた六首」「私は青年が好きだ」が演奏されました。

同日、札幌市教育文化会館さんの小ホールで、北海道教育大学札幌校グリークラブ・混声合唱団 OB・OG演奏会が開催され、やはり清水脩作曲の「智恵子抄巻末のうた六首」が演奏されました。

さらに同日、NHK Eテレさんで「日曜美術館 火だるま槐多~村山槐多の絵と詩~」の放映があり、光太郎にも触れられました。再放送は6月30日(日)でした。

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さらに同日、双葉社さんから喜国雅彦氏著の漫画『今宵は誰と ―小説の中の女たち―』が刊行されました。「レモンを噛む女『智恵子抄』」で、光太郎智恵子に触れられています。月刊誌『小説推理』に、平成28年(2016)から連載されている同名の漫画の単行本化です。

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6月28日(金)
俳優の高島忠夫さんが歿しました。昭和43年(1968)には、梅田コマ・スタジアムで上演された北條秀治脚本の舞台「名作劇場第二作 智恵子抄」で、光太郎役を演じられました。


6月30日(日)
神奈川県相模原市のホテルラポール千寿閣さんで、「兼古隆雄ギター名曲の楽しみ」が開催され、俳優の山本學氏による「レモン哀歌」「荒涼たる帰宅」の朗読が為されました。ギター伴奏は兼古隆雄氏でした。

明日は7~9月です。


【折々のことば・光太郎】

おそろしい思惟と情念とにふくらみながらも、心平の蛙は泥の中でクリリムクリリムと鳴く。詩が音韻と言葉の活性とにあることを此の詩集ほどよく明かにする書は無いに違ひない。私は此の一事だけでも彼の詩業を偉とするものである。

散文「草野心平詩集『蛙』に寄す」より 昭和13年(1938) 光太郎56歳

上記4月13日(土)の項にも関わる、当会の祖・草野心平への評です。

「そんなご大層なもんじゃありませんよ」という心平の声が聞こえてきそうですが(笑)。

このブログ恒例、年末に1年間を振り返る企画です。

ただ、ご紹介した全件はさすがに紹介しきれませんので、主なものに限らせていただきます。また、書籍等の発行日は奥付に従いました。そこで、実際に店頭に並んだ日と異なる場合があります。ご了承ください。

1月5日(土)
足立区の北千住BUoyさんで、「岸井戯曲を上演するinTokyo#1「かり」」 の上演が行われました。辻村優子さんによる、「乙女の像」をモチーフとした一人芝居演じられました。 

1月11日(金)
北原白秋を主人公とする映画「この道」が封切られました。光太郎も登場します。


1月12日(土)~3月17日(日)
高崎市の群馬県立土屋文明記念文学館さんで、第103回企画展「文学者の書―筆に込められた思い」が開催され、光太郎の書作品も展示されました。関連行事として3月17日(日)に、書家の石川九楊氏による記念講演会「文学者の書―その魅力を味わう」が行われました。

1月12日(土)~3月24日(日)
いわき市の草野心平記念文学館さんで、冬の企画展「草野心平の居酒屋『火の車』もゆる夢の炎」が開催されました。関連行事として3月10日(日)、料理研究家の中野由貴さんを講師として、光太郎にちなむメニューも饗され居酒屋「火の車」一日開店」が行われました。

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1月15日(火)
DeAGOSTINIさんから『日本の名峰 DVD付きマガジン44 雪煙舞う厳冬の安達太良山』が発行されました。付録のDVDを含め、光太郎智恵子に触れられています。


1月19日(土)
埼玉県東松山市立図書館さんに於いて市民講座「高田博厚、田口弘、高村光太郎 東松山に輝いたオリオンの三つ星」が行われました。講師を当方が務めさせていただきました。

1月26日(土)
板橋区立成増図書館さんで「大人のための朗読会 『道―その先』」が開催され、光太郎詩「道程」が取り上げられました。ご出演は朗読ワークショップ声流さんでした。

1月26日(土)~4月14日(日)
大阪市のあべのハルカス美術館さんで企画展「驚異の超絶技巧!明治工芸から現代アートへ」が開催されました。一昨年から全国を巡回した展覧会の最終開催でした。光雲作の木彫「布袋像」が出品されました。


1月29日(火)~4月14日(日)
千葉市の千葉県立美術館さんで「冬のアート・コレクション 具象彫刻展 ―具象彫刻の先駆者たち―」が開催され、光太郎ブロンズ4点が展示されました。

1月30日(水)
長野県の地方紙『信濃毎日新聞』さんが、光太郎の父・光雲とその高弟・米原雲海の手になる信州善光寺さんの仁王像の、東京芸術大学さんによる学術調査について報じました

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2月1日(金)~2月24日(日)
青森県十和田湖畔で「冬と遊ぼう 十和田湖冬物語2019」が開催され、光太郎最期の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のライトアップが行われました。

2月2日(土)
盛岡市の岩手県立美術館さんで「岩手県立美術館館長講座2018 第4回 岩手の近代彫刻Ⅱ」が開催され、光太郎にも触れられました。講師は同館館長・ 藁谷収氏でした。

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2月9日(土)
杉並区立方南図書館さんで「大人がたのしむお話会」が開催され、「智恵子抄」が取り上げられました。ご出演はおはなし会ボランティアのみなさんでした。

2月10日(日)
千代田区のカフェ·カプチェットロッソさんで「三彩の会朗読ライブ 高村光太郎著 「智恵子抄」」が開催されました。ご出演は酒井敬幸さん(81プロデュース)、秋吉徹さん (81プロデュース)、水野貴雄さん  (プロダクション・エース)でした。

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同日、『毎日小学生新聞』さんに、マルチアーティスト・井上涼さんの連載「井上涼の美術でござる」で「高村光太郎の巻」が掲載されました。

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2月20日(水)
三元社さんより、髙橋幸次氏著『「ロダンの言葉」とは何か』が刊行されました。

2月22日(金)
鹿児島県指宿市の御菓子司鳥越屋さんで、「大人のための夜の朗読会」が開催され、光太郎作品が取り上げられました。「本と人とをつなぐ〝そらまめの会〟」の下吹越かおるさん他のご出演でした。

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同日刊行の『週刊朝日』さんに「文豪の湯宿 高村光太郎・智恵子×栃木県・塩原温泉塩の湯 柏屋旅館」という記事が載り、光太郎智恵子に触れられました。

2月23日(土)
青森県十和田市の市民交流プラザトワーレさんで、「インバウンド対応 制作物完成お披露目会」が開催されました。同市の劇団エムズパーティーさんが制作した朗読劇DVD「乙女の像ものがたり多言語字幕版」が完成試写されました。

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2月24日(日)
光太郎に関する著作もあった日本文学研究者のドナルド・キーン氏が亡くなりました。

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2月27日(水)
求龍堂さんから水原園博氏著『川端康成と書―文人たちの墨跡』が刊行されました。昨年、発見が報じられた光太郎の扇面揮毫も紹介されています。

3月1日(金)
書評専門紙『週刊読書人』さんの「【書評キャンパス】大学生がススメる本」というコーナーで、光太郎の『智恵子抄』が取り上げられました。

3月2日(土)
大田区の区立大森南図書館さんで、「大人のための朗読会」が開催され、「智恵子抄」が取り上げられました。朗読ボランティア「響の会」の皆さんのご出演でした。

3月5日(火)~4月29日(月)
台東区の東京国立博物館さんで、「特別展 御即位30年記念 両陛下と文化交流―日本美を伝える―」が開催され、光雲作の木彫「養蚕天女」大小二点が出品されました。

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3月7日(木)・14日(木)
『週刊新潮』さんの連載「文庫双六」で、2週にわたって『智恵子抄』が取り上げられました。7日号が評論家の川本三郎氏による「『智恵子抄』の舞台となった房総半島の“淋しい漁村”」、14日号はノンフィクション作家・梯久美子さんで「光太郎と賢治の“意外な接点”」でした。

3月9日(土)
盛岡市の岩手県立大学さんのアイーナキャンパスで、「盛岡短期大学部 アイーナキャンパス公開講座「高村光太郎のホームスパン」」が開催されました。講師は同大教授・菊池直子氏でした月末には同大の『研究論集第21号』に菊池の「研究報告「高村光太郎記念館」所蔵のホームスパンに関わる調査」が掲載されました。

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3月9日(土)・10日(日)
山口市の菜香亭さんで、touch the bonnet 10th演劇LIVE 「れもん」が開催されました。細田昌宏さん、平田珠凛さんのご出演でした。

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3月15日(金)
仙台に本社を置く『河北新報』さんに「<阿武隈川物語>(36)新しい女育んだ山河」という記事が載り、光太郎智恵子が大きく取り上げられました。

同日、新潮社さんから中川越氏著『すごい言い訳!― 二股疑惑をかけられた龍之介、税を誤魔化そうとした漱石―』が刊行されました。「序文を頼まれその必要性を否定した 高村光太郎」という項を含みます。

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3月16日(土)~4月14日(日)
港区の泉屋博古館分館さんで、企画展「華ひらく皇室文化 明治150年記念 明治宮廷を彩る技と美」が開催されました。昨年から名古屋、秋田、京都と巡回した企画展の最終会場でした。光雲の木彫「山霊訶護」(明治32年=1899)が出品されました。

3月17日(日)
鹿児島市のかごしま県民交流センターさんにおいて「鹿児島高等学校音楽部 第71回全日本合唱コンクール全国大会出場記念 特別演奏会」が行われ、西村朗氏作曲「混声合唱とピアノのための組曲「レモン哀歌」」が演奏されました。

3月20日(水)
世界文化社さんから一色采子さん著 『一色采子のきものスタイルBOOK 母のタンス、娘のセンス』が刊行されました。福島二本松の智恵子生家・智恵子記念館さんが大きく紹介されています。


3月21日(木)
富山県高岡市の市生涯学習センターさんに於いて「劇団「喜び」公演「智恵子抄」」が開催されました。茶山千恵子さんによる一人芝居でした。

3月23日(土)
東京都武蔵野市の武蔵野商工会議所さんに於いて、「第13回与謝野寛・晶子を偲ぶ会 「明星」文学者、四季の食卓― 杢太郎・勇・晶子・光太郎」が開催され、当方による発表「苦しい中でも工夫して/高村光太郎の食」が盛り込まれました。

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3月29日(金)~4月7日(日)
京都市の知恩院さんで「春のライトアップ2019」が開催され、光雲原型の聖観音菩薩像もライトアップされました。

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3月31日(日)
栃木県小山市の話楽庵さんで、朗読公演「話楽庵  弥生の会」が開催され、「智恵子抄」が取り上げられました。わたなべ紀子さんのご出演でした。


明日は4~6月を振り返ります。


【折々のことば・光太郎】

序詩を除いた二十九篇の詩は皆一個づつの独立した道を持つてゐる。二十九條の鉱脈の尖端だけが一個づつ此処に出てゐる。その一個づつをよむと此処に姿を見せない詩を無数に感じる。彼の詩が横列でなくて縦列である事を感じる。

散文「宮崎孝政詩集『鯉』読後」より 昭和4年(1929) 光太郎47歳

光太郎、他人の詩集の序跋文等をよく書きましたが、実にその対象の真髄を剔抉し、その真髄を的確な言葉で表しています。その鑑賞眼の確かさ、批評家としての資質には舌を巻かされます。

当会顧問・北川太一先生のご著書など、光太郎がらみの出版物を数多く手がけられている文治堂書店さん。そちらのPR誌2種が届きました。

まず、PR誌というより同社と関連の深い皆さんによる文芸同人誌的な『トンボ』の第9号。


拙稿が「連翹忌通信」の題で連載されております。かつてこのブログに書いたことをもとに、その後の調査等によって新たに判明した点などを踏まえて、さらにふくらませています。

それから、今号には詩人の佐相憲一氏による書評「野沢一「木葉童子」復刻版に寄せて 木葉童子がいま 微笑んだ」が掲載されています。野沢一は、光太郎と交流のあった詩人。山梨県の四尾連湖畔に独居生活を送り、膨大な量の書簡をほぼ一方的に送り続けました。その野沢生前唯一の詩集『木葉童子詩経』(昭和9年=1934)の復刻版が、佐相氏と縁の深いコールサック社さんから昨年刊行され、その関係です。ちなみに同書はかつて文治堂さんでも2回、復刻版を出しています。


それから、PR誌というか、パンフレットというか、おそらく月報のように、販売する書籍に挟み込む広告的な冊子だと思うのですが、『トンボの眼玉』という題名の無綴のもの。

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今年4月に刊行された北川太一先生の『光太郎ルーツそして吉本隆明ほか』の宣伝になっています。

やはり今年、『高村光太郎の戦後』を青土社さんから上梓された中村稔氏、吉本に詳しい評論家の久保隆氏、同じく芹沢俊介氏の玉稿、そしてこちらにも拙稿が載っています。

なぜここにそういうものを載せる必要があるのか、今ひとつ理解に苦しんだのですが、文治堂さんからの指示で、筑摩書房さんの『高村光太郎全集』全21巻別巻1の刊行終了後に見つかった光太郎文筆作品(「光太郎遺珠」として当方がまとめ続けています)の一覧表。

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詩が1篇、短歌11首、俳句で6句、散文は50篇くらいでしょうか。それから翻訳も3篇、新聞記事等に附された短い談話などの「雑纂」が30篇ほど。アンケートも多く10数篇、対談・座談が4篇、色紙等に揮毫した短句も10数篇。

それから文筆作品以外にも、他人の著書の題字揮毫や装幀が8点、絵画が4点。さらに書簡は新たに200名近くの人物に送った400通ほどが見つかっています。

さらに、『高村光太郎全集』刊行の時点で、初出掲載紙等が不明・不詳だったのが判明したものなどについても載せました。

画像、クリックで拡大します。

まぁ、『全集』刊行終了から20年。ここらで一覧表的にまとめておくのもいいかな、と思い、引き受けました。

ご入用の方は、文治堂さんまでご連絡を。


【折々のことば・光太郎】

いささかの詩的まぎらしや、やけな自己放漫無くはつきり、まともに現実に対する此のやうなギリギリな魂の眼を持ち、又其に相当する表現を平気でする勇気のある人の居てくれる事は心強い。

散文「てるよさんの詩をよんで――詩集『叛く』について――」より
昭和4年(1929) 光太郎47歳

「てるよさん」は竹内てるよ。女流としては光太郎が最も高く評価し、交流の深かった詩人です。 

昨日に引き続き、雑誌系のご紹介をと思っていましたが、開催中の企画展示の情報が入ってきましたので、そちらを。


まず状況をわかりやすくするため、『朝日新聞』さんの京都版の記事。 

京都)戦時中のプロパガンダを紹介 中京区で28日まで

 戦時中の国威高揚のためのポスターや雑誌を展示した「戦争プロパガンダ展」が、京都市中京区壬生馬場町のおもちゃ映画ミュージアムで開かれている。元高校教諭の河田隆史さん(60)=大阪府高槻市=が、歴史の授業で使う平和教育の教材として約30年かけて集めたものだ。28日まで。
 国が発行していた週刊誌「写真週報」やアサヒグラフ(朝日新聞社発行、2000年休刊)、国の情報局などが作製したポスター(複製品)、国策宣伝のための映画作品のDVDなど約100点が展示されている。詩人・高村光太郎が詩を寄せている記事も紹介し、文学者を含む芸術家も戦争協力をしていた様子を伝える。河田さんは「国も民間も危機感をあおって、日本全体で戦争反対と言えない雰囲気をつくっていたことが分かる」と解説する。
 河田さんは現代も似た風潮を感じるという。「SNSでは自分が好む情報しか入ってこないし、世の中に反対意見は許さないという空気が漂っている。戦争はだめだというのは簡単だが、どうやったら本当に防げるのかを考えるきっかけになれば」と話している。
 午前10時半~午後5時。24日休館。入館料一般・高校生500円、中学生300円、小学生以下無料。問い合わせは同ミュージアム(075・803・0033)へ。(向井大輔)


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調べてみましたところ、詳細は以下の通りでした。 

戦争プロパガンダ展 ポスター・雑誌・映画

期  日 : 2019年12月4日(水)~12月28日(土)
会  場 : 
おもちゃ映画ミュージアム 京都市中京区壬生馬場町29-1
時  間 : 10:30~17:00
料  金 : 一般・高校生500円、中学生300円、小学生以下無料。
休館日 : 月曜、火曜


12月8日は太平洋戦争開戦記念日です。1941(昭和16)年12月8日早朝、日本軍がハワイのオワフ島真珠湾にあるアメリカ軍基地を奇襲攻撃し、3年半に及ぶ大東亜戦争対米英戦(太平洋戦争)が勃発しました。それから、日本が辿った歴史はよくご存じだと思います。
この記念日に合わせて、再び同じ過ちを繰り返すことがないよう、当団体理事でもある河田隆史さんのご協力で、「戦争プロパガンダ展」をします。


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似たような趣旨で開催されたのが、平成26年(2014)の「ヨコハマトリエンナーレ2014」中の「大谷芳久コレクション」。こちらは光太郎を含む10名ほどの有名詩人の翼賛詩集、多数の詩人達による翼賛詩アンソロジーなどが出品されました。

今回はポスターなどが多数出ているということで、ヴィジュアル的に非常なインパクトがありますね。この時代を批判するのはたやすいのですが、単に批判するだけでなく、なぜそうなってしまったのかを考える一助としたいものです。この時代をこそ範とするような輩が政権中枢に居座っている現在こそ、必要なことだと思われます。

光太郎がらみは具体的に何が出ているのかわかりませんが、光太郎は生涯に書いた詩およそ700篇中の200篇弱が翼賛詩といえるものですし(何を以て翼賛詩とするかの基準にも左右されますが)、生涯に刊行した詩集6冊(選詩集的なものを除きます)のうち、半数の3冊が翼賛詩集でした。詩以外でも、講演や散文などで国民を煽る発言のオンパレード。そういう意味では光太郎の翼賛活動に関わる展示物、いくらでも存在します。

そうした負の遺産も、次代への教訓、反面教師としての役割という点では、ひた隠しにされるべきものではありません。一部の詩人については、取り巻きや後の時代の狂信的なファンが「あれはなかったことにしよう」と隠蔽する動きがあるのですが……。

というわけで、ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

私はあまりほめたりけなしたりするのを重要に思はない。ただ事実だけを見る。
散文「佐野嶽夫『棕梠の木』序」より 昭和3年(1928) 光太郎46歳

「ただ事実だけを見る」。意外と難しいことですね。

光太郎関連の連載が為されていて、定期購読しております雑誌2誌、最新号が届きました。


まず、隔月刊の『花巻まち散歩マガジン Machicoco(マチココ)』さん。第17号です。花巻高村光太郎記念館さんの女性スタッフの方々のご協力で為されている「光太郎レシピ」。今号は「元旦のお点前」だそうで。

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細かなメニューとしては「豚肉とキャベツのケチャップ鍋とホワイトアスパラガスのサラダ」。昭和22年(1947)の光太郎日記にこんな感じのメニューが載っています。


続いて『月刊絵手紙』さん。

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「生(いのち)を削って生(いのち)を肥やす 高村光太郎のことば」という連載です。今号は詩「下駄」(大正11年=1922)。

この連載は平成29年(2017)の6月号からですので、けっこう長くなりました。ただ、最近は画像もなく文字だけ、詩や散文の一節を紹介するにしても、解説も、執筆年等の記載もなく、ちょっと安易だな、と言う気がします。月刊誌の編集となると大変なのはわかりますし、光太郎について取り上げて下さるのはありがたいのですが……。

明日も雑誌系をご紹介いたします。


【折々のことば・光太郎】

画を見る人よ、画面のコバルトとカドミユウムは無機物である。無機物を見たまふな。その関係を見たまへ。そのオルガニザシヨンを。

散文「神戸雄一詩集『岬・一点の僕』序」より
 昭和2年(1927) 光太郎45歳

「コバルト」と「カドミユウム」は、元素や重金属としてのそれではなく、前者は寒色系、後者は暖色系の油絵の具の代表、象徴です。「オルガニザシヨン」は、「Organisation」。おそらくフランス語として書いています。「組織」「機構」といった意味です。ここでは絵の具の選択、配置等にこめられた画家の意図ということでしょう。

暮れも押し詰まって参りました。そろそろ来年のカレンダーを、今貼ってある今年のカレンダーの後ろにセットする時期ですね。

広島に本社を置く中国新聞サービスセンターさんが発行した「ふるさとミュージアム名画コレクション」という題名の壁掛けカレンダーを入手しました。

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B5判(上下に広げればB4)、各月1ページの構成で、中国地方の美術館さんに収蔵されている名品12点をあしらっています。

6月が光太郎ブロンズの代表作「手」(大正7年=1918)。

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呉市立美術館さん所蔵のものです。新しい鋳造のものと思われますが、いい感じですね。ちなみに同館で昨年開催された「開館35周年記念 呉市立美術館のあゆみ展」では、出品物の目玉の一つという位置づけでした。

このカレンダー、ネットオークションでぽつりぽつり出品されています。当方もそれで入手いたしました。


それから、毎年頂いていて恐縮しておりますが、十和田奥入瀬観光機構/十和田市役所さんから「十和田湖・奥入瀬渓流」という大判のカレンダーを頂きました。

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2ヶ月で1ページ、四季折々の十和田湖、奥入瀬渓流の美しい写真があしらわれています。残念ながら光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」は使われていませんでしたが。平成27年(2015)平成29年(2017)の同じカレンダーには「乙女の像」の写真がありました。しかし、そうなるともったいなくて使えず保存することとなり、痛し痒しです(笑)。来年のものは寝室の壁に掛けました。

「乙女の像」といえば、カレンダーを送って下さった十和田奥入瀬観光機構の方からのメールに、最近の様子を撮った写真が添付されていました。

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光太郎がこの像を謳った詩「十和田湖畔の裸像に与ふ」(昭和29年=1954)で、「すさまじい十和田湖の円錐空間にはまりこんで/天然四元の平手打をまともにうける/銅とスズとの合金で出来た/女の裸像が二人/影と形のように立つてゐる」と書いた、そのままの光景ですね。

2月にはこの像もライトアップされるイベント「十和田湖冬物語」が開催されるはずです。また近くなりましたらご紹介します。


【折々のことば・光太郎】

立派な花はもちろん立派で愉快ですが、僕は又一般に雑草と言はれてゐる草の花が妙に好きで飽く事なく見たり描いたりします。その生活力の旺盛なのも快く思ひます。見てゐると妙に心を引立たせてくれ、落ちつかせてくれ、自分の生活に不思議なたよりを与へてくれます。

散文「『私達の本 第一輯』読後感」より 大正12年(1923) 光太郎41歳

元々江戸下町の庶民階級の出で、さらに終世「自然」を愛した光太郎ならではの言ですね。

いつのまにか年末となってしまいました。もうすぐ令和2年(2020)、子年ですね。

そこで、子年にちなみ、「純金積み立てコツコツ」のCMでおなじみの、田中貴金属さんが縁起物の商品を出しています。プレスリリースより。 

2020年の干支「子(ねずみ)」の新作工芸品をご紹介

1892年に創業した貴金属の老舗ギンザタナカ(田中貴金属ジュエリー株式会社 本社:中央区銀座、代表取締役社長執行役員:田中 和和、以下 ギンザタナカ)は、2020年の干支である「子(ねずみ)」をモチーフに純金で製作した置物や根付などの工芸品をギンザタナカ直営店およびギンザタナカオンラインショップにて販売しています。

2020年の干支である「子」は、古事記の神話から転じて、福の神である大黒天の使いともいわれており、十二支の初めの干支であることから、「子」年は何かを始めるには良い年とされています。また、ねずみは繁殖能力が高いことから子孫繁栄や家運隆盛、行動力や財力を象徴し、古来より縁起がいい動物として親しまれています。

この度ギンザタナカで販売している、2020年向けの干支や縁起物の工芸品などをご紹介します。

■純金レリーフ「子」(高村光雲 原型作)
日本の近代彫刻の礎を築いた彫刻家、高村光雲の原型をもとに、純金で製作したレリーフです。木彫の伝統技法と西洋の写実性を取り入れた、重厚感ある新作となりました。特に、高村光雲ならではの写実的なねずみの表情、たたずまいを純金で表すことにこだわりました。額付きで、壁に掛けて飾ることができます。
【商品名】 純金レリーフ「子」(高村光雲 原型作)
【税込参考価格】 2,320,000円
【素材・サイズ】 K24/約200g/本体直径約8cm
※額:約23×23 cm


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田中貴金属さん、光太郎の父・光雲の原型になる縁起物を、毎年というわけではないようですが、よく手がけて下さっています。平成28年(2016)の申年に向けては「純金製置物 「申」 <高村光雲原型作>」、平成30年(2018)の戌年の際に「純金製置物 「陽光」 <高村光雲原型作>」。


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それぞれ見事な作ですが、今回のネズミも毛並みの一本一本まで精緻な彫りが施されています。余裕のある方、ぜひお買い求め下さい。

光雲作といえば、過日、こんなものを入手しました。東京国立博物館さんのミュージアムショップで販売されている商品で、同館所蔵の光雲代表作にして国指定重要文化財の「老猿」をあしらった根付です。純金製ではありません(笑)。

同じトーハクさんのミュージアムショップでは、以前からやはり「老猿」をモチーフにしたボトルキャップを販売していて、そちらは数年前に手に入れておりましたが、この根付は比較的最近になってラインナップに入ったようで、気づきませんでした。

税込み660円、オンラインショップで購入可です。余裕のあまりない方でもこちらなら大丈夫でしょう(笑)。ぜひお買い求め下さい。


【折々のことば・光太郎】

精力過剰に苦んでゐる此若者から発散する異常な熱気は大抵な貧血性の美術家の魂をも湧きたゝせるだらう。しかも其間に純真な寂しい祈祷の声がきこえる。
散文「『槐多の歌へる』」より 大正9年(1920) 光太郎38歳

「槐多」は村山槐多。光太郎と交流のあった夭折の天才画家です。詩も書いていた槐多の、没後に出版された詩集の推薦文から採りました。

「精力過剰」、「異常な熱気」、「純真な寂しい祈祷の声」、それぞれ槐多の芸術を的確に表す評です。

昨日のこのブログで、智恵子を主人公とした野田秀樹氏作の演劇「売り言葉」が、智恵子の故郷・福島二本松で上演されることをご紹介しました。今年はなぜか「売り言葉」が人気で、各地で上演が相次いだのですが、さすがにもう今年は打ち止めだろうと思っていたところ、まだありました。昨日になって気がつきました。 

演劇創造ユニット [フキョウワ] 第一回公演 売り言葉

期 日 : 2019年12月21日(土)/12月22日(日)
会 場 : 
フジハラビル(アートギャラリーフジハラ) 大阪市北区天神橋1-10-4
時 間 : 12/21 11:00/15:00/19:00  12/22 11:00☆/16:00☆
      ☆……アフタートーク有り
料 金 :  一般 2,500 円  U23 1,500 円  U18 1,000 円 ※全席自由席
      ※当日料金は各500円増 
出 演 : 雀野ちゅん(うんなま)
演 出 : 下野佑樹

“智恵子抄”を題材に、高村光太郎の妻・智恵子の狂気を野田秀樹氏独自の視点と愛情で描いた作品。
2002初演(作・演出:野田秀樹 主演:大竹しのぶ)
今回の演出では、智恵子が自殺未遂をした際の情景から得た着想を元に、舞台全面をカンバスに仕立て上げ、そこに智恵子の半生を塗り重ねていく。000

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ご都合の付く方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

私くらゐの年配の読書人で、かつてドストエフスキイに捉へられ、魅惑せられ、魂を奪はれ、それから脱することの困難さと残り惜しさとを経験しなかつた者は少いであらう。此の渾沌たる魂の深淵をくぐりぬける事によつて人は霊につながる心の鍛錬をうける。

散文「『ドストエーフスキイ全集』推薦の言葉」より
 昭和16年(1941) 光太郎59歳

書評とはかくあるべし、というお手本のような文章ですね。豊富な語彙、その的確な用法、そして対象へのリスペクト。見倣いたいものです。

智恵子の故郷、福島二本松で智恵子の顕彰活動に当たられている智恵子のまち夢くらぶさんから情報を頂きました。 

林亜佑美 一人芝居 売り言葉

期 日 : 2019年12月22日(日)
会 場 : 
二本松市市民交流センター 福島県二本松市本町2丁目3-1
時 間 : 第1回 13:00~  第2回 18:00~
料 金 : 一般 前売1,500円 当日1,800円  学生・地元の方は無料(各回先着50名のみ)
出 演 : 林亜佑美

安達郡油井村(現二本松市)で生誕した高村光太郎の妻智恵子。洋画家や紙絵作家として活躍し、夫の光太郎が彼女の死後に発表した詩集「智恵子抄」で知られる。今回、野田秀樹氏が脚本を書き上げた「売り言葉」を林亜佑美が一人芝居で演じる。


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林亜佑美さんという方、当方、寡聞にして存じませんでした。ネットで調べてみましたところ、「女子プロレスラー」の「林亜佑美」さんがヒットしまして、別人だろうなと思ったのですが、なんとご当人でした。また、昨年、神田神保町でも「売り言葉」を上演なさったとのことで、これも存じませんでした。

平成14年(2002)、野田秀樹氏の脚本、大竹しのぶさん出演で初めて上演された、登場人物は智恵子のみの一人芝居「売り言葉」。以前にも書きましたが、今年は「売り言葉」の当たり年です。把握しているだけで、既に4件の公演が各地で行われました

evkk(エレベーター企画)『売り言葉』。000
サキクサ創刊号公演・大塚由祈子ひとり芝居『売り言葉』。
thee第13回公演『売り言葉』。
劇団カタオモイ旗揚げ公演「売り言葉」。

今回は智恵子の故郷・二本松での公演ということで、地元の方にぜひ観ていただきたいものです。


ところで、ご案内下さった智恵子のまち夢くらぶさん、『智恵子講座'19文集』という冊子もお送り下さいました。タイトルの通り、今秋開催された「智恵子講座2019」など、同会の活動の報告的なものです。

同会、上記「売り言葉」の後援団体にも名を連ねています。地元での智恵子顕彰、その火を絶やさないようにと、いろいろやってくださっている点には頭が下がります。今後も継続してよろしくお願いしたいところです。

さて、「売り言葉」、ご都合の付く方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

文芸上の変革について考へるにボードレールの「悪の華」の出現ほど決定的な、又旧套掃滅のめざましい例は少い。「悪の華」は詩の世界を全く覆滅した。詩の概念を本質的に変革した。

散文「近代詩の祖ボードレール」より 昭和14年(1939) 光太郎57歳

「ボードレール」を「高村光太郎」、「悪の華」を「道程」と読み替えてもいいような気がします。

昨日、東京オリンピック聖火リレーの詳しいルートが発表されました。来年3月26日(木)から、121日間をかけて日本全国47都道府県を巡るそうですが、光太郎ゆかりの地もコースに入っていました。

特に、青森県。来年6月12日(金)に、十和田湖畔を聖火が走ります。

2020年6月12日(金)
▽むつ市:むつ市イベント広場→下北文化会館(むつ市では、田名部川において、二人乗りボートによる聖火リレーを実施予定)
▽十和田市:市民交流プラザ→現代美術館アート広場
▽三沢市:三沢市立岡三沢小学校→三沢市役所
▽おいらせ町:青森県立百石高等学校→おいらせ町立木内々小学校
▽階上町:小舟渡漁港→はしかみハマの駅あるでぃ~ば
▽十和田市:十和田湖観光交流センター→乙女の像
▽八戸市:蕪嶋神社→館鼻漁港

RAB青森放送さんのローカルニュースから。 

聖火リレー 県内ルート発表(青森県)

東京オリンピックの聖火リレーで県内の詳しいルートが発表されました。県内では14市町村の15区間であわせて36.9キロを聖火ランナーが走ります。聖火リレーのルートは東京オリンピックの大会組織委員会が発表しました。県内では14市町村の15区間であわせて36.9キロを聖火ランナーが走ります。
来年6月11日に県内で最初にスタートするのは弘前市の弘前公園本丸です。

弘前駅に向かう聖火はドコモ弘前駅前店までをリレーします。
続く西目屋村は岩木川目屋渓谷清流公園を出発します。
道の駅「津軽白神」までの2キロで途中、岩木川をカヌーでわたります。
平川市では文化センターから陸上競技場まで2.5キロです。
黒石市ではスポカルイン黒石から御幸公園まで1.6キロ。
つがる市は生涯学習交流センター「松の館」から向陽小学校まで2.1キロとなっています。
五所川原市は立佞武多の館から菊ヶ丘運動公園まで2キロです。
今別町の2・8キロは町役場から青函トンネル入口広場となっています。
11日の最後は青森市の2.5キロです。市役所本庁舎を出発し、到着地の青い海公園では聖火の到着を祝う催しもあります。
翌日12日の最初はむつ市イベント広場を出発し、下北文化会館までの3キロで田名部川を2人乗りのボートでわたります。
続く十和田市は市民交流プラザから現代美術館アート広場まで2.7キロです。
次の三沢市は岡三沢小学校から市役所まで2.9キロとなっています。
続くおいらせ町は2.5キロで百石高校から木内々小学校までです。
次の階上町は小舟渡漁港からはしかみハマの駅「あるでぃ~ば」まで3.5キロです。
聖火ランナーは十和田湖にも向かいます。観光交流センターから乙女の像まで0.9キロを走ります。
最後は八戸市の3.4キロです。蕪嶋(かぶしま)神社を出発します。到着地の館鼻漁港では聖火の到着を祝う催しもあります。

★県実行委員会会長 青山 祐治 副知事
「本県の魅力を国内外に最大限発信できるよう関係者一丸となって来年の聖火リレー本番に向けてしっかり準備していきたい」

聖火は全国858市町村を巡り来年7月24日の開会式で国立競技場の聖火台に灯されます。

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聖火リレー、てっきりすべての区間を人が走って繋ぐものだと思い込んでいましたが、そうではなく、人が走るのは要所要所のみで、あとは車で移動するそうです。

で、十和田湖畔の0.9㌔㍍。出発が十和田湖観光交流センターぷらっと。遊覧船の桟橋近くに平成26年(2014)にオープンした市の施設で、特産のヒメマスや、光太郎、大町桂月などについての展示が為されています(入場無料)。また、昨年には新たに「乙女の像」制作の際に光太郎が使用した彫刻用の回転台、青森ご出身の彫刻家・田村進氏(生前の光太郎をご存じです)制作の光太郎胸像が寄贈されました。手前味噌で恐縮ですが、内部の光太郎に関する説明パネルは当方の執筆です。

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そしてゴールが、光太郎最後の大作「乙女の像」。0.9㌔㍍だそうですが、これは見に行かざあなるめい、と思っております(笑)。


その他、聖火は岩手県花巻市、宮城県女川町などの光太郎ゆかりの地も巡ります。残念ながら智恵子の故郷・福島二本松はスルー。ただ、福島県内では、当会の祖・草野心平ゆかりの川内村やいわき市などを通ります。

また、余談ですが、当方自宅兼事務所のある千葉県香取市も。ただし、こちらは「ランナー」ではなく、旧市街を流れる観光名所の小野川を、昔ながらのサッパ舟(笹葉舟の転訛)と呼ばれる小舟で移動とのこと。いろいろ考えるものですね。千葉県も残念ながら光太郎智恵子ゆかりの犬吠埼九十九里真亀海岸などは通りません。九十九里浜は南北に異様に長く、もう少し南の方は通るようですが。

いろいろ言われている東京オリンピックですが、盛り上がってほしいものです。


【折々のことば・光太郎】

詩人は常に処世法を持たない。処世法は人世のぼかしである。人はこれを性来忌み嫌ひながらこの世に生きるためやむなくこれに馴致させられる。性来嫌ひだといふ事すら忘れ果てる。真の詩人は万人に代つてこれを捨てた人間の見本を生活する。人はこれを見て魂の故郷を感ずる。

散文「長沼重隆著『ホヰツトマン雑考』」より
 昭和7年(1932) 光太郎50歳

「処世法」、たしかに嫌な言葉ですね。

まず、青森の地方紙『陸奥新報』さん。「日曜随想」というコラムで、12月8日(日)の掲載でした。 

「アート悶々2」彫刻って?

 彫刻という言葉が芸術(アート)として捉えられるようになったのは明治以降のことで、それ以前は文字通り「彫り刻む技術」を意味するものだった。では、彫刻は「芸術(アート)である」というイメージはどのようにつくられてきたのだろうか。以下、ざっくりと見てみよう。。
 1876(明治9)年に工部美術学校が開設され、そこに彫刻学という学科がつくられた。ここにおいて教育機関として彫刻という文言が初めて出てきたが、その言葉の意味は、彫刻をつくる技術を指していた。西洋化を図るべく、所謂(いわゆる)銅像などをつくる技術を教えることが主な目的だったのである。その後、西洋一辺倒への反動から日本美術への回帰を唱えるフェノロサと岡倉天心によって82(明治15)年東京美術学校が開校された。当初は木彫科しか無かったが、やがて98(明治31)年に洋風彫塑が実技に加えられた。その後、高村光太郎や荻原守衛などの近代の作家がロダンの影響のもとに具象彫刻の概念を築き上げてきた(ただし高村光太郎は日本の伝統的な木彫も並行して制作しており、日本の彫刻の在りようを模索していたようにも見える)。
 やがて、抽象的な表現(これも西洋から入ってきた)が出てきて野外彫刻などの公共の場へとその活動の場が広がり、彫刻という概念に空間造形的なニュアンスも加わった。また近代以降の前衛芸術の中の立体作品や身体表現、形がない概念的なものなども彫刻と呼ばれ得るようになり、その捉え方は広がっていった。
 現代でもアーティストがつくった立体造形物であればあえて〝彫刻〟といったりすることがある。これらは以前であれば〝オブジェ〟などと表現されたりしたのであるが、〝オブジェ〟より〝彫刻〟の方が重厚なイメージがあるし、何と言っても芸術の香りがし、蘊蓄(うんちく)もある。これらは先人たちが築き上げてきた〝彫刻は芸術である〟というイメージを(意識的、または無意識的に)拠(よ)り所とし、これは芸術作品である、と主張しているようにも見える。
 以上、彫刻という言葉の持つ意味・イメージの変容を大雑把(おおざっぱ)に見てきた。彫刻の概念は時代とともに広がって(というより曖昧(あいまい)になって)捉えるのが難しくなった。ただ使われている意味はいろいろだが、彫刻という言葉だけに限って言えば、今のところアートの範疇(はんちゅう)に収まっていることは確かであるようだ。
 かこさとしの子ども向け美術入門書「すばらしい彫刻」というすばらしい絵本がある。。その冒頭に彫刻家のことを「にんげんは 大むかしから 石を つみあげたり いわを きざんだりして いろいろな かたちや すがたを つくってきました。それを つくるひとを 彫刻家とよびます。。」と定義している。彫刻家の仕事は、これで十分なのかもしれない。。
 (弘前大学教育学部教授 塚本悦雄)



たしかに「彫刻」の定義、難しいですね。


続いて仙台に本社を置く『河北新報』さん。短歌等を紹介するコラムです。12月15日(日)の掲載。 

うたの泉(1121)

野がへりの親は親馬子は子馬 乗鞍おろし雪はさそふな/高村光太郎(たかむら・こうたろう)(1883~1956年)
 詩人で彫刻家の高村光太郎は短歌も作りました。「野がへり」は野原に放たれたのち帰ってくる馬のことでしょうか。「親は親馬子は子馬」。当たり前のことですが、リズムが良く。足音が聞こえてくるようです。「乗鞍」は長野県松本市と岐阜県高山市にまたがる山々の総称。その山々から強い風が吹いてくる。結句から、雪よ降らないでくれという作者の気持ちが伝わります。下句の朴訥(ぼくとつ)としたリズムに、光太郎の立ち姿が見えてくるようです。(駒田晶子)

明治35年(1902)、与謝野夫妻の雑誌『明星』に発表された「旅硯」31首中の一つ。前年8月から9月にかけ、長野、戸隠、野尻、赤倉、松本、木曽福島、御岳などを巡った旅の途上での作です。この時光太郎19歳でした。


さらに、『読売新聞』さん。12月16日(月)の夕刊一面コラム。 

よみうり寸評

冬の日に枯れ枝を見て何を思うか。高村光太郎の言葉は意表をつくかもしれない。<何というその枝々のうれしげであることだろう。>◆来年の花を咲かせる喜びにみちている。詩人にはそう映ったらしい。こう書いてもいる。<季節のおこないそのものは毎年規律ただしくやってきて、けっしてでたらめではない>(随筆「山の春」)規律は今もただしいだろうか。この9~11月の平均気温は東日本、西日本とも史上最高となり、秋を実感できないとの声が聞かれた。木々が枯れる以前に紅葉の遅れた地域も少なくない◆冬のマドリードで開かれたCOP25が閉幕した。国連の「気候変動枠組み条約第25回締約国会議」の略称だが、今回は「気候変動」ならぬ「気候危機」の表現で問題の深刻さが強調されたという。個々の事象の原因はともあれ、地球規模で従来の季節の規律が失われたなら、それは「危機」にほかならない◆総論で何とか一致をみても、内実は足並みが乱れている。この現状に終止符を打たねば春は遠い。

そのためには、CO削減に全く意欲を示さない某大国大統領や、それにシッポを振るだけしか能のない某国首相などを何とかしないといけないような気がしますが……。「桜」は大好きなようですけれど(笑)。


最後に、光太郎智恵子などの名は出て来ませんが、一昨日、このブログでご紹介した谷崎由依さんの小説『遠の眠りの』(智恵子がその創刊号の表紙絵を描いた『青鞜』に関わる部分もある小説です)が取り上げられています。 小説の舞台となった福井の地方紙『福井新聞』さんの一面コラムです。 

越山若水 12月15日

福井が太平洋戦争に至るまでのつかの間きら004りと輝いている時があった。だるま屋百貨店と少女歌劇部が象徴的な存在だった。その時代の街並み、人間模様を描いた小説「遠(とお)の眠(ねむ)りの」(集英社)が発刊された▼福井市出身の作家、谷崎由依さんが5年がかりで出版にこぎつけた。小説では仮名扱いだが、だるま屋の少女歌劇部を主な舞台に据え、隆盛を誇った羽二重、人絹の工場などを丹念に再現。“戦前の福井賛歌”の趣を随所に配しつつ、主人公の少女の淡い恋、福井の人々の多様な生活ぶりが、巧みな空想で膨らまされ詩情豊かな味わい▼だるま屋は1928(昭和3)年に創業。県庁舎が旧福井城本丸跡に移転した跡地だった。当時の繁華街は九十九橋から呉服町周辺のため県庁舎跡地はなかなか買い手が付かず、県から要請を受けた坪川信一氏が熊谷組の熊谷三太郎氏の援助を受け開業した▼坪川氏の友人だった本紙の藤田村雨編集局長による「坪川信一の偉業」に詳しい。福井停車場には近かったのだが、跡地の約2万平方メートルは草っ原だったという。90余年を経た今日の駅前商店街からは想像もできない▼後継の西武福井店は、2021年には本館のみの営業となるが、県都の顔としての存在感が揺らぐものではない。だるま屋が草っ原を一変させたことに思いを巡らせれば、改めて地域のけん引役にと期待は募る。

明日も報道系、特に光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」がらみで。


【折々のことば・光太郎】

われわれ日本人はその天成の中に純文学には這入り易い素質を持つてゐる。けれども思想問題については得手ではない。

散文「思想全集を手にして」より 昭和2年(1927) 光太郎45歳

確かにそうかもしれません。花鳥風月を愛でたり、人情の機微を描いたりといったことは得手な国民ですが、個々にしっかりした思想があるかと問われると、「否」でしょう。特に現代は「思想」などと口にしたら「意識高い系」と揶揄されるのがオチです。ですから流される。歴史が証明していますね。それは光太郎も例外ではありませんでした。

ネット検索でヒットしました。 

2019年度第4回開架フロア展示『元号ごとの有名作品』

期  日 : 2019年12月1日(日)~2020年2月29日(土)
場  所 : 
法政大学市ヶ谷図書館 東京都千代田区富士見2-17-1
休館日 : 12/27~1/4 1/18・19 2/8・9・11・14・16

2019年度第4回開架フロア展示のテーマは、『元号ごとの有名作品』です。
明治から平成までのそれぞれの時代を代表する日本の作品を揃えました。
令和元年の暮れに過去の有名作品に親しんでみてはいかがでしょうか。
展示場所は、市ケ谷図書館1F開架フロア、ブックトラックです。ご来館をお待ちしています。



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昭和の部に光太郎の『智恵子抄』を入れて下さいました。ありがとうございます。新潮文庫版での展示となっているようです。その他の作品等、上記リスト画像、クリックすると拡大表示されます。

少し前にも書きましたが、新潮文庫版『智恵子抄』、令和に入っても増刷されています。このまま絶版ということがないよう、末永く愛され続けて欲しいものです。


【折々のことば・光太郎】

かかる純粋な詩人が自国から生れたといふ事が弘く明かにされるのはわれわれのよろこびである。

散文「『萩原朔太郎全集』推薦文」より 昭和18年(1943) 光太郎61歳

光太郎は朔太郎に関してそう述べていますが、当方など、光太郎に関してそういいたいところです(笑)。

智恵子がその創刊号の表紙絵を描いた『青鞜』をめぐる演劇「二兎社公演43 私たちは何も知らない」。『朝日新聞』さんに、二回にわたって紹介されました。

まず、12月5日(木)。 

(評・舞台)二兎社「私たちは何も知らない」 女性の権利、現状に思いはせ

 ラップの音楽に乗り、ジーンズ、スニーカー姿で走る。女権に目覚めた大正の若い女性たちが、弾むような足取りで新鮮に蘇(よみがえ)る。雑誌『青鞜』に拠(よ)った平塚らいてう(朝倉あき)らパイオニアの活動家たちを、永井愛が評伝風な群像劇に書き、演出した。

 『青鞜』が発刊された翌年の1912年から廃刊までの日々が、編集室を主舞台に展開される。志あり、恋あり、家族をめぐる厳しい現実あり。理想を目指しながら、滑稽で悲惨な日々を送る若き女性たちの群像は、人間味が濃い。
 演目名の「私たちは何も知らない」には、今の人は先覚者を知らない、の意味がある。同時に女性や世界をめぐる状況が、時が経ってもこんなに劣化しているなんて知らなかったという『青鞜』人の怒りと嘆き節も聞こえるようだ。
 永井は過去を、今の視点、現実の社会から見直す。背景の巨大なギロチンの刃(大田創美術)が、徐々に下りる。『青鞜』発刊が幸徳秋水らの処刑の直後。廃刊7年後に、編集者の伊藤野枝(藤野涼子)と大杉栄らが虐殺された甘粕事件が起きる。ギロチンは、きなくさい現代への予兆だ。第2次大戦を翼賛した平塚への辛い目線もある。
 朝倉と、保持研を演じる富山えり子とのからみが笑わせ、しんみりさせて傑作。藤野とボーイッシュな紅吉役の夏子が、軽やかに絡んで面白い。
 ラスト。平塚が廃刊時に、その後の甘粕事件や第2次大戦を幻視する。スリリングだ。ただ平塚は国家権力の謀略に関心が薄かった。このあたりの平塚像は、さらに踏み込みたい。それにしても女性による性にまつわる論争は、ネット時代の性をも考えさせる。(山本健一・演劇評論家)
 22日まで、東京・池袋の東京芸術劇場。


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12月13日(金)にも「「青鞜」を舞台化、自由求め 初の女性文芸誌、現代の女性差別を想起 永井愛が描く」と題して評が載っています。

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同じく12月13日(金)には、全く別の記事でも『青鞜』主幹・平塚らいてうに触れられていました。

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らいてうの先駆性、恐るべしというべきか、『青鞜』発刊から100年以上を経ても変わらない世の中を嘆くべきか、というところですね。


続いて、やはり『青鞜』がモチーフに使われている小説をご紹介します。 

遠の眠りの

2019年12月10日 谷崎由依著 集英社 定価1,800円+税

大正末期、貧しい農家に生まれた少女・絵子は、農作業の合間に本を読むのが生きがいだったが、女学校に進むことは到底叶わず、家を追い出されて女工として働いていた。
ある日、市内に初めて開業した百貨店「えびす屋」に足を踏み入れ、ひょんなことから支配人と出会う。えびす屋では付属の劇場のため「少女歌劇団」の団員を募集していて、絵子は「お話係」として雇ってもらうことになった。ひときわ輝くキヨという娘役と仲良くなるが、実は、彼女は男の子であることを隠していて――。
福井市にかつて実在した百貨店の「少女歌劇部」に着想を得て、一途に生きる少女の成長と、戦争に傾く時代を描く長編小説。


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福井を舞台に、貧しい農村で生まれ育った少女が、人絹工場、百貨店の「少女歌劇団」などで働きつつ、さまざまな出会いと別れを経験し、時代に翻弄されてゆく物語です。大正期から太平洋戦争敗戦までが描かれていますが、当時の地方都市はこんな感じだったのかと、新鮮でした。

版元である集英社さんのPR紙『青春と読書』に、森まゆみさんによる書評が出ています。 

森まゆみ 『遠の眠りの』谷崎由依 著

野に咲くスミレのような……
 大正、そして昭和の戦前、女性に選挙権がない時代、父に、夫に、息子に従って生きるのが当たり前だった時代に、自分で自分の人生を切り開いた少女がいた。
 この小説は、大正の初め、福井の農村に生まれた絵子(えこ)が主人公である。姉や妹は早くとつがされる。嫁にやる側から言えば、「口減らし」、嫁を取る側から言えば「労働力の確保」。それに従わず、絵子は村を出て人絹を織る工女となる。
 ひどい搾取も受けたけれど、農村にいては出会えない知識や文化に触れる。中でも意識の高い先輩・吉田朝子から貸してもらった「青鞜(せいとう)」という古い雑誌、それに絵子は目を見開かされる。
「青鞜」は明治44年9月に東京は本郷で創刊された、初めての「女性の、女性による、女性のための」雑誌である。主宰者の平塚らいてうらは日本女子大学の卒業生で、女学校も行けず、地方の工場で働いていた絵子とは境遇が違う。創刊号は1000部のこの雑誌が福井の少女のもとに届き、その人生を変えてゆく。
 大正の初め、ノルウェイの作家イプセンの「人形の家」が東京で上演された。主人公を演じたのは松井須磨子、これをめぐって、「青鞜」誌上では「可愛がられる人形のような妻として人生を終わるのがいいのか」という論争が起きて、同人たちは己が人生を変えてゆく。「新しい女」は酒を飲む、タバコを吸う、吉原に登楼する、とバッシングされ、「青鞜」は風俗壊乱を理由に何度も発禁になった。それでも彼女たちは「習俗打破」を旗印に前へ前へと突き進んだ。
 それが地方の少女を励ましたのだ。親の言うがままに生きる「白い羊」であることをやめ、絵子は一人「黒い羊」であり続ける。そして福井に初めてできた百貨店に転職し、そこで催される少女歌劇の脚本係になっていく。
 昭和18年3月18日に福井駅前の繁華街で大火事があり、佐佳枝(さかえ)劇場、だるま屋百貨店が焼けた。私が福井を訪ねた時、「フェニックス都市」という言葉を聞いた。台風、洪水、大火、空襲。その度にこの町は力強くたち上がってきた。決して大勢に順応しない絵子の姿が、その淡い恋が清冽な筆致で描かれる。よく調べられた時代背景が小説を支え、久しぶりに爽やかな読後感を味わった。


ちなみに、森さんによる労作『『青鞜』の冒険 女が集まって雑誌をつくること』が「参考文献」の項に挙げられていました。

同書は上記の「二兎社公演43 私たちは何も知らない」を書かれた永井愛さんも参考にされている由。まだお読みになっていない方は、ぜひどうぞ。現在は文庫版で手に入ります。

もちろん『遠の眠りの』も、です。


【折々のことば・光太郎】

その詩にみる重量、深さといつたものも、萩原君の「語感」の鋭さの、いかに強く、すぐれたものであつたかを意味してゐる。実際、ことばの感覚といふものの鋭さは、これまでに、萩原君をおいては、その比をみることが出来ないと思ふのである。

談話筆記「語感の詩人――故萩原朔太郎君の霊前に――」より
昭和17年(1942) 光太郎60歳


ともに口語自由詩の確立を成し遂げた、いわば「戦友」、朔太郎への追悼の辞です。

兵庫県のギャラリーでの展示情報です。 

井上よう子展 ―言葉がくれたもの―

期 日 : 2019年12月7日(土)~12月18日(水)
会 場 : 
ギャラリー島田 神戸市中央区山本通2-4-24リランズゲートB1F・1F
時 間 : 11:00-18:00 ※最終日は16:00まで
料 金 : 無料


小学時代「アンネの日記」に衝撃を受け、中3での姉の死から大きな喪失感を抱えた高校時代は、石川啄木「一握の砂」「悲しき玩具」、高村光太郎「智恵子抄」に、失われゆく自己・存在・命への愛おしさ、激しくはない静かな言葉にこそ宿る深淵な哀しみを共感していた。描き続けてきた絵には、そんな言葉達から受けた物が少なからず影響していると思う。
近年「言葉」に寄り添う依頼が重なり、不思議な気持ちでいる。
白石一文さんの小説への挿絵、後藤正治先生の「節義のために」「言葉を旅する」の装幀画…他。今年は村上春樹展や装幀画展、図書館での展示依頼。
変わらずブルーに塗れ、光を追いながら、言葉と共に…の展を構想しています。
井上よう子

30年前に出会い、すでに画ける人だった。そのころから青を基調にしていたが、誠実極まりない表現者としての深化を伴走できたことはこの上ない喜びだ。命あるものは必ず逝く。その哀切を抱きながら人は生きる。死や別離の降り積もる体験が抒情を削ぎ落とし、近作では荘厳の気配に満ちながら射し落ちる光が背筋を正す。日常でも画作においても「生きること」を飽まず問い続ける姿勢は、恩師、三尾公三の「完成度、インパクト、発想の斬新性、格調」の教えへのまっすぐな応答である。
島田誠

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『毎日新聞』さんの兵庫版に紹介記事が出ています。 

言葉の力、絵に添えて 西宮の井上さん個展 神戸・18日まで /兵庫

 青を基調にした風景画や室内画に取り組んできた西宮市在住の画家、井上よう子さん(61)の個展が、神戸市中央区山本通2のギャラリー島田で開かれている。18日まで。今回は「言葉がくれたもの」というテーマを掲げた。青の陰影や光の描写が深化した絵画40点が並ぶ2会場には、小説や随筆の一節が、所々に小さく掲示されている。学生時代に好きだったという高村光太郎の「智恵子抄」、青に言及される村山由佳の「ヘヴンリー・ブルー」……。 井上さんは「作家の陳舜臣さんのエッセーや白石一文さんの新聞小説の挿絵など、近年は言葉に引き寄せられる仕事に恵まれましました。振り返ると、学生時代からさまざまな言葉に有形無形に刺激を受けてきたので、展示に加えてみました。散文詩的に楽しんでもらえたら」と話す。
 入場無料。ギャラリー島田(078・262・8058)。

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「智恵子抄」からインスパイアされた作品も並んでいるとのことで、ありがたく存じます。

ご都合の付く方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

北原白秋さんの「邪宗門」が出版された時にはまつたく驚いた。日本語がこんなにも自由に、又こんなにも豊麗に使へるのかと思つた。

散文「あの頃――白秋の印象と思ひ出009――」より
 昭和18年(1943) 光太郎61歳


『邪宗門』は光太郎が欧米留学から帰国した明治42年(1909)に易風社から上梓されました。その後の光太郎詩にも大きく影響を与えていると言えるでしょう。

2年後の同44年(1911)には、版元を東雲堂書店に移し、第二版が刊行。光太郎が装丁、表紙絵を担当しました。

上記井上さんは青を基調としていますが、赤を効果的に使った光太郎の装幀も美しいですね。

仏教系のタブロイド紙『中外日報』さんの記事から。光太郎の父・光雲とその高弟・米原雲海の手になり、今年、開眼100周年を迎え、昨年からいろいろな取り組みが行われている信州善光寺さんの仁王像がらみです。 

善光寺仁王門の改修工事 中村建築研究所

長野市の善光寺は現在、仁王門の改修工事を進めている=写真(善光寺提供)。小屋裏の修理と屋根を葺き替える工事で、来年3月に完了する予定。11月末に仁王門をすっぽり覆う「上屋」が完成し、屋根の銅板を剥がして木部の修理に掛かる。設計は中村建築研究所、施工は北野建設(いずれも長野市)。
仁王門は100年前の1919年に本瓦葺き、総ヒノキ造りで建立され、約50年前に銅屋根に葺き替えられている。
同寺の松田信光営繕部長は「『仁王門再建百年・仁王像開眼百年記念イヤーイベント』を機に北野建設に門の調査を依頼したところ、屋根と小屋裏が雨漏りしていた。善光寺顧問建築士の高橋賢二・中村建築研究所会長に相談し、令和の改修工事をすることになった」と話す。
仁王像は高村光雲とその弟子・米原雲海による作品で、門の工事中も透明パネル越しに拝観できるという。



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先週のこのブログで、改修工事に伴う屋根の銅板寄進についてご紹介しましたが、なるほど、現在はこういう状態になっているのですね。仁王像、「門の工事中も透明パネル越しに拝観できるという」というのが粋な計らいです。

また近くなりましたら詳しくご紹介しますが、来年2月初旬からは例年行われている「長野灯明まつり」。おそらく、それに間に合うように進めているのでしょう。


ちなみに、仁王門とは直接関わりませんが最近の善光寺さんの様子を少しご紹介します。

12月9日(月)、NBS長野放送さん。 

正月の縁起物に魂入れる『開眼法要』 善光寺で新年への準備進む 「来年は穏やかな年になるように…」

長野市の善光寺では、正月の縁起物などに魂を入れる開眼法要が行われました。

新年への準備が進む長野市の善光寺。
本堂では、9日朝、正月の縁起物の開眼法要が行われました。
住職ら8人がお経を唱え、だるまや守護矢など50種類に魂入れを行いました。

善光寺・小林順彦寺務総長:「全国各地で台風が猛威を振るい、長野でも多くの方が被災した。心が詰まる思いがしている。(来年は)穏やかな年であるように、それだけを願っております。」

正月用の縁起物は、きょう9日から授与が始まるということです。


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SBC信越放送さん、12月10日(火)。 

冬のもてなし映像を外壁に投影 JR長野駅

JR長野駅で壁に映像を映し出し冬のイベントなどを紹介する演出が始まりました。
長野駅の善光寺口の壁に昨夜から映し出されたのは、長野市街地で行われる表参道イルミネーションや長野灯明まつりなどの映像です。
長野市とJR東日本長野支社が始めたもので、駅前広場のクリスマスツリーと合わせて楽しむことができます。
映像には、県のPRキャラクターアルクマも登場し、金沢まで新幹線が延びて5年となる北陸新幹線も紹介しています。
映像は来年2月16日まで映し出されています。



というわけで、善光寺さん、ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

「佐藤惣之助」「萩原朔太郎」「北原白秋」と日本が誇る詩人が次々とみまかつてゆくことは、哀しいとか惜しいとかいつたものを通り越して、自分は何かかう怒つてみたい様な激動を覚えてならぬのです。

談話筆記「天性の詩人白秋」より 昭和17年(1942) 光太郎60歳

この年、朔太郎は5月11日、佐藤がその4日後の同月15日、そして白秋は11月2日に亡くなりました。ちなみに詩人ではありませんが、光太郎や白秋の姉貴分・与謝野晶子も同年5月29日に亡くなっています。

今月7日から始まった、花巻高村光太郎記念館さんでの企画展示「光太郎からの手紙」につき、『朝日新聞』さんが岩手版で報じて下さっています。 

岩手)光太郎からの手紙展 花巻高村記念館

 終戦後の7年間、岩手県花巻市太田の山荘で暮らした彫刻家で詩人の高村光太郎が書いた手紙を集めた企画展「光太郎からの手紙」が同市の高村光太郎記念館で開かれている。新しく見つかった、山荘で暮らしていた頃にファンに返信したはがきも展示されている。
 宮沢賢治との縁で戦火の東京から花巻へ疎開後、7年間を山荘で暮らした光太郎。企画展では1945(昭和20)年の花巻疎開直前から、56(昭和31)年に東京のアトリエで亡くなるまでに書いたはがき28点と書簡11点などを集めた。
 山荘時代の光太郎を物心両面で支えた花巻の佐藤隆房医師(宮沢賢治の主治医)とやりとりした手紙が中心で、賢治との縁、虫雑草との戦いや食生活、十和田湖の乙女の像創作前後のことなど、山居7年から最晩年までの足跡や思いをたどることができる。
 このうち56年3月27日、東京に戻って病の床に伏していた光太郎が代筆で佐藤医師に宛てた手紙では「手許でみたくなりましたので」と、預けていた亡妻智恵子の切り絵を送るよう依頼している。光太郎が亡くなったのは6日後の4月2日。花巻高村光太郎記念会によると「現在知られている中では光太郎が差し出した最後の手紙」だという。
 企画展は来年1月27日まで。12月28日~1月3日は休館。(溝口太郎)



佐藤隆房


今月7日のこのブログの記事で「どうも話を聞くと『全集』未収録のものも含まれているような気がします。」と書きましたが、画像の書簡がまさにそうでした。しかも、現時点では「最後の手紙」となります。

これまでに確認できていた「最後の手紙」は、昭和31年(1956)3月1日付けで、智恵子の姪にして看護師の資格を持ち、智恵子の最期を看取った宮崎春子にあてた現金書留でした。

このごろいたみが少しつよいので閉口しています、 金同封します、 光太郎 宮崎春子様

「いたみ」は結核によるもので、光太郎はそのために翌月2日に歿しました。

春子は、30歳で早世した智恵子の妹・ミツの娘。前述の通り、昭和10年(1935)に南品川ゼームス坂病院に入院し、同13年(1938)、同院で亡くなった智恵子の付き添いを務めました。有名な智恵子の紙絵の制作現場を目撃した、ほぼ唯一の人物です。

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昭和20年(1945)には、光太郎が間を取り持って、詩人の宮崎稔と結婚。花巻郊外太田村の光太郎が暮らした山小屋も訪問しています。ところが、夫の稔は昭和28年(1953)に胃潰瘍で死亡。子供2人を抱えて途方に暮れる春子に、光太郎は経済的援助を惜しみませんでした。

で、今回展示されている上記画像のものは、さらに下って亡くなる6日前のものです。さすがにその時点では長い文面を自ら書き記す力はほとんど残っていなかったようで、借りていた貸しアトリエの大家である中西富江に代筆して貰っています。しかし、翌日には体調が少しだけ戻ったようで、散文「焼失作品おぼえ書」の最後の一枚を自ら書いていますが。ちなみに短い日記は3月30日まで書いています。

 拝啓
  御無沙汰いたしておりますが お変り御座いませんか
  大変突然ですが 御預り願つておりました
  智恵子の紙絵を御送附いただきたく思います
  手許で見たくなりましたので…
  永い間、御預りいただいてゐましたこと深謝にたへません。
  鉄道便箱づめにして御送り下さい。同封の送料で何卒よろしくお願いします。

   三十一年三月二十七日
                    高村光太郎
                    代筆中西富江
  佐藤隆房様

宛先は佐藤隆房。昭和20年(1945)、宮澤賢治の父・政次郎らと共に光太郎の花巻疎開に尽力し、宮澤家が8月10日の花巻空襲で焼けたあと、光太郎が花巻郊外太田村の山小屋に入るまで1ヶ月間、自宅離れ に光太郎を住まわせてくれた人物です。花巻病院の院長でもあった佐藤は、花巻到着後にすぐ高熱を発して倒れた光太郎を看護したりもしています。その後も足かけ8年花巻及び郊外太田村で暮らした光太郎と深い交流を続けました。光太郎歿後は、花巻に財団法人高村記念会を立ち上げ、初代理事長を務めています。隆房没後は、子息の故・佐藤進氏があとを継ぎました。

「紙絵」云々は、昭和20年(1945)3月、空襲がひどくなって、それまで駒込林町の光太郎自宅兼アトリエ(4月13日の空襲で全焼)に保管されていた千点を超える智恵子紙絵を、山形の詩人・真壁仁、茨城取手の宮崎稔、そして花巻の佐藤の元に分散疎開させたことにかかわります。従来、当会の祖・草野心平の勧めもあって、光太郎最晩年に、再び光太郎の元に戻ったとされてきましたが、今回の手紙が書かれたのが亡くなる6日前。果たして間に合ったのでしょうか。

それにしても、おそらく光太郎最後の手紙に、最愛の妻・智恵子の名、そして智恵子がこの世に残した生きた証である紙絵の件が記されたことには、感動を禁じ得ません。

というわけで、「光太郎からの手紙」、ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

結局詩人の天から与へられた智慧といふものは、三歳の童子の持つやうな直覚的な智慧なんでそれが尊いのである。

談話筆記「童心と叡智の詩人――北原白秋の業績――」より
 昭和17年(1942) 光太郎60歳

白秋の亡くなった日に語られ、翌日の『読売報知新聞』に載った談話の一節。ベクトルは異なれど、論理的な思考から言葉を紡ぐのではなく、「直覚的な智慧」から詩作を行ったという意味では相通じていた朋友・白秋への手向けの言葉です。

朗読CDのシリーズもの、新しくリリースされました。 

【近代文學の泉】朗読で味わう文豪の名作

2019年12月10日 株式会社トゥーヴァージンズ CD13枚組 定価27,000円+税

本商品は、芥川龍之介『羅生門』や太宰治『走れメロス』、夏目漱石『夢十夜』といった誰もが知る文豪の名作中の名作を収録した総収録時間約823分、全13巻の完全新規朗読の保存版CD集。

風間杜夫さん、寺田農さん、長塚京三さん、橋爪功さん、広瀬修子さん(50音順)の豪華名優と文化人が語り手として熱演。それぞれの語りが作品を彩り、物語の情景が自然と浮かんできます。

耳から聴くことでより作品の理解も深まり、改めて作品の素晴らしさに気付くと同時に、また読んだことのない作品でも朗読者の声のみが収録されているので息遣いや間の取り方などが感じられ、より物語の世界へ入り込むことができます。

日本近代文学作品の名作の中から文豪、俳人の短編を選り抜きました。

CD13枚、全21作品を収録し、詩集2作品(『若菜集』と『智恵子抄』)で一部の詩を割愛した以外、小説19作品はすべて原文全てを朗読しております。また、特製の小冊子には作品解説の他、朗読者の方々のコメントも掲載。

日本近代文学史に残る文豪の名作が今、朗読で甦ります。朗読で味わう物語の世界を是非お楽しみ下さい。


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CD全13巻(総収録時間約823分) 特製冊子(P92)、特製ケース

第1巻 「夢十夜」 夏目漱石(70:11) 朗読・寺田農
第2巻 「高瀬舟/寒山拾得」 森鷗外(59:47) 
朗読・長塚京三
第3巻 「刺青」 谷崎潤一郎(25:19) 朗読・寺田農
第4巻 「秘密」 谷崎潤一郎(59:02) 朗読・寺田農
第5巻 「蜘蛛の糸/杜子春/羅生門」 芥川龍之介(74:31) 朗読・橋爪功
第6巻 「十三夜」 樋口一葉(56:46)
  朗読・広瀬修子
第7巻 「山月記/名人伝/牛人」 中島敦(77:08) 朗読・橋爪功
第8巻 「檸檬/ある崖上の感情」 梶井基次郎(60:03) 朗読・長塚京三
第9巻 「注文の多い料理店/セロ弾きのゴーシュ」 宮沢賢治(61:48) 朗読・風間杜夫
第10巻 「人間椅子」 江戸川乱歩(68:53) 朗読・橋爪功
第11巻 「走れメロス/桜桃」 太宰治(59:28) 朗読・風間杜夫
第12巻 「若菜集」より 島崎藤村(77:10) 朗読・広瀬修子
第13巻 「智恵子抄」より 高村光太郎(73:15) 朗読・寺田農


というわけで、俳優・寺田農さんによる「智恵子抄」朗読がラインナップに入っています。

寺田さん、平成6年(1994)にクレオハウスという会社の出したVHSビデオ「日本文学紀行 名作の風景 智恵子抄」という作品で、ナレーション、朗読を務められていました。

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およそ25年ぶりの「智恵子抄」。どんな感じなのだろうと思います。


ぜひお買い求め下さい。


【折々のことば・光太郎】

百パーセントの童心。此は学んで得られるところではない。

散文「非凡の詩的偉観」より 昭和4年(1929) 光太郎47歳

朋友・北原白秋を評する中での一節です。同じ文章では、白秋をして「巨大に成長し、微細に鍛錬せられた稀代の童子」とも定義しています。自らには欠けていたそうした部分で、光太郎は白秋を高く評価していました。

山口県の中原中也記念館さんで開催中の開館25周年記念展(文学表現の可能性 後期)「清家雪子展――『月に吠えらんねえ』の世界」等について、報道がなされ、光太郎にも触れられていますのでご紹介します。

まず、地方紙『中国新聞』さん。 

中也の詩、漫画と共により深く

中原中也たち日本近代の詩人の詩をモチーフにした漫画「月に吠(ほ)えらんねえ」を詩と共に紹介する企画展が山口市湯田温泉の中原中也記念館で開かれている。来年4月12日まで。 漫画の登場人物「チューヤ」(中也)や「朔」(萩原朔太郎)たち8人のモデルとなった人物の詩集や作品が載った雑誌など28点を展示。漫画のワンシーンや扉絵をパネルで紹介し、基になった詩との関連性を説明している。戦争と文学との関連もテーマの一つで、「コタロー」(高村光太郎)や「白」(北原白秋)の戦時中の愛国詩や苦悩なども解説する。  「月に吠えらんねえ」は「月刊アフタヌーン」で9月号で完結。(以下略)

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続いて、tysテレビ山口さんのローカルニュースから。「清家雪子展」以外に、『山羊の歌』に関してがメインですが、やはり光太郎にからみます。 

中也初の詩集「山羊の歌」

12月10日は85年前に山口市出身の詩人、中原中也の初めての詩集「山羊の歌」が出版された日です。ふるさとの記念館では中也の署名入りの初版本が期間限定で展示されています。中原中也の初めての詩集「山羊の歌」は1934年、12月10日に200部が出版されました。展示は中也が友人の高森文夫に宛てて署名を書き入れたもので、特に貴重とされています。装丁は詩人で彫刻家の高村光太郎によるものです。中也は出版直後に東京から山口に戻り、長男の文也に初めて対面したことを書き残しています。30年の短い人生で、最も充実した時期だったことがうかがえます。会場では中也をキャラクターにした漫画、「月に吠えらんねえ」を紹介する企画展も行われています。「山羊の歌」署名入り初版本は、今月15日まで山口市の中原中也記念館で展示されています。
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『山羊の歌』、装幀を手がけた光太郎宛の署名本もあったと考えられます。しかし、それがあったとしても、昭和20年(1945)4月の空襲で、駒込林町のアトリエもろとも灰になったのでしょう。もし何処かに残っているとしたら、誰かに貸すかしていて奇跡的に難を逃れた、というところですか。それもほとんどあり得ない確率ですが。そんなネタで短編小説が一本書けそうです(笑)。

さて、中原中也記念館さん、ぜひ足をお運び下さい。

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【折々のことば・光太郎】

秀抜な此の若さは果断である。進歩、弾力、将来性を語る。

散文「黄秀才の首」より
 昭和5年(1930) 光太郎48歳


「黄秀才」は黄瀛。光太郎と交流の深かった詩人です。中也にしてもそうですが、光太郎、若い世代の有望な詩人に対しては讃辞を惜しみませんでした。

右は光太郎の手になる黄瀛肖像彫刻。これもおそらく戦災で焼失してしまいました。

花巻高村光太郎記念館さんも参加している「令和元年度共同企画展 ぐるっと花巻再発見!~イーハトーブの先人たち~」。花巻市内5つの文化施設で統一テーマの元に行われる共同企画展です。高村光太郎記念館さんでは、「光太郎からの手紙」という展示が行われています。

以前にもご紹介しましたが、参加館五つのうちのひとつ、花巻市総合文化財センターさんでの展示「ぶどう作りにかけた人々―北上山地はボルドーに似たり―」でも、光太郎がらみの展示が為されています。 

ぶどう作りにかけた人々―北上山地はボルドーに似たり―

 日 : 2019年12月7日(土)~2020年2月2日(日)
会 場 : 花巻市総合文化財センター  岩手県花巻市大迫町大迫3-39-1
時 間 : 午前8時30分から午後4時30分まで
料 金 : 一般 200円 小中学生 100円
休館日 : 12月28日~1月3日


大迫地域の「ぶどう作り」は、昭和22年のカスリン台風、同23年のアイオン台風の被害による復興施策をきっかけとし、当時の県知事・国分謙吉の勧めにより動き出しました。国分謙吉が「北上山地はボルドーに似たり」と語って勧めた「ぶどう作り」は70年を経過し、今では、地域の代表的な産業となっています。また、「ワイン造り」という大きな実りにも繋がりました。その取り組みの様子を、国分謙吉や村田柴太などの先人とともに辿り、「ぶどう作り」と「ワイン造り」の歩みについて展示・紹介します。

展示構成
(1)大迫の風土と産業
大迫の歴史・地理的な特徴などから、「ぶどう作り」以前の主な産業である馬産、養蚕、葉タバコの生産について紹介します。
(2)台風の襲来
戦後間もない1947(昭和22)年とその翌年のカスリン・アイオン台風による大迫地域の被害の様子をたどります。
(3)ぶどう栽培の夢
1947(昭和22)年秋、当時岩手県知事だった国分謙吉は大迫地区の有志を前にぶどう栽培を力説しました。そこから岩手県立農業試験場大迫葡萄試験地の設置し、ぶどう栽培の夢は始まりました。
(4)ワインの誕生
大迫のぶどうは1951(昭和26)年に初出荷を迎えました。そして、1962(昭和37)年9月、念願のワインが誕生します。
(5)新しいぶどうとワインへ
大迫ぶどうは、大粒品種の栽培やワイン専用種の栽培へと飛躍しました。「ぶどう作り」と「ワイン作り」の現在について紹介します。

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戦後、初の民選知事だった国分謙吉が大きく取り上げられ、その関係で、国分と交流のあった光太郎にも言及されています。

ちなみに民選知事、というと、青森県では、光太郎に「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作を依頼した津島文治(太宰治の実兄)がそうでした。

過日、同館の方からメールを頂きまして、展示風景画像やキャプション、配付資料等につき、添付ファイルがありました。

展示の様子。

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国分と光太郎に関するキャプション。


昭和25年(1950)、国分と光太郎の対談が行われ、翌年の『朝日新聞』岩手版に掲載されたという情報を提供したのですが、そのあたりを紹介して下さっています。

それから、国分と交流があり、ぶどう作りに貢献した高橋繁造旧蔵の光太郎資料。

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詩「開拓に寄す」(昭和25年=1950)の、光太郎自筆草稿を印刷したもので、同年、盛岡で開催された岩手県開拓5周年記念の開拓祭で配付されました。これについてもどういうものなのかをレファレンスさせていただきました。

その他の展示リスト。

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高村光太郎記念館さんの「光太郎からの手紙」と併せ、ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

私は彼の顔を憶ふ度に素朴日本の顔を見る思がする。彼こそ天成の民族詩人であると言へよう。
散文「素朴日本の顔――『牧水全集に』――」より
 昭和4年(1929) 光太郎47歳

確かに奇を衒わない牧水の短歌には、光太郎詩にも通じるところがあるような気がします。

NHKさんで放映されている、東日本大震災をはじめ、各地で被災された方々の証言を紹介する5分間番組「あの日 わたしは~証言記録 東日本大震災~」。先週5日の放映が、「宮城県女川町 阿部一彦さん」でした。

阿部さんは、震災のあった平成23年(2011)、当時の女川第一中学校(現・女川中学校)さんの教員でした。女川町では、毎年「女川光太郎祭」を開催して下さっています。

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「石碑」は、昭和6年(1931)、紀行文「三陸廻り」執筆のため光太郎が訪れ、それを記念して平成3年(1991)に建立された「高村光太郎文学碑」の精神を受け継ぐ「いのちの石碑」です。

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震災の翌月に、中学校に入学した生徒さんたちと阿部さん。

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女川の復興のために、アイディアを絞りました。

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そうして考えられたのが、「いのちの石碑」。

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生徒さんたちが作った「計画書」には、光太郎文学碑が「100円募金」で建てられたことに倣って、建設費用1,000万円を募金でまかなうと記されました。

そして募金活動。修学旅行先でもおこなったそうです。

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その甲斐あって……。

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最後に阿部さんの率直な感想。

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こういう取り組みこそが、「教育」であり、「学習」なのだと思います。


さて、当時の64人の新入生の一人と思われる(違っていたらすみません)若者が、明日の「あの日 わたしは~証言記録 東日本大震災~」で取り上げられます。「いのちの石碑」がらみではありませんが。

あの日 わたしは~証言記録 東日本大震災~ 「宮城県女川町 佐藤柚希さん」

NHK総合 2019年 12月10日(火)  10時50分~10時55分

東日本大震災のとき小学生だった佐藤さん。復興への希望を込めて作った詩が町民を励ますスローガンになった。高校卒業後、役場の観光係として町のPR活動などに汗を流す。

NHKさんで出した番組説明ではわかりにくいのですが、「いのちの石碑」同様、女川町を象徴する下記のモニュメント関係です。

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町役場近くの地域医療センターのフェンスに設置され、町中心部から見ることができます。当方、初めてこれを見た時は、目が潤みました。 

昨年8月の『朝日新聞』さんの記事から。 

「流されたのではない」作者の佐藤柚希さん 

津波に打ちひしがれたまちで、少年は詩を書いた。「女川は流さ008れたのではない 新しい女川に生まれ変わるんだ」。詩は横断幕になって掲げられ、人々の心に明かりをともした。いま19歳になった少年は、町役場に就職し、ふるさとのために働いている。


 詩は「人々は負けずに待ち続ける 新しい女川に住む喜びを感じるために」と続く4行。震災の年の春、女川町立女川第二小6年生の佐藤柚希(ゆずき)さんが、授業で自分の思いを表現するように言われて、つくった。

 翌2012年9月、復興まちづくりの着工式の際、町が詩の前半を横断幕にして、高台にある地域医療センターのそばに掲げた。津波到達と同じ高さ18メートル、更地になった市街地を見下ろす場所だった。

 親戚から知らされた佐藤さんは、びっくりした。授業で提出して終わりだと思っていたのに、知らないところで詩はいろんな人に伝わっていたのだ。「あの言葉に支えられたよ」と、多くの大人が話した。

 石巻商業高に進み、公務員をめざした。人と接するのが苦手で、パソコンに向かうような事務仕事がいいと思ったからだ。担当の教師に「自分の持ち味をアピールした方がいい」と言われ、女川町の面接では、あの詩のことも話した。今年春に採用された5人の中の1人になった。007

 4月、産業振興課観光係の辞令を受けとった。「なんで配属になったかわかりますね」と総務課長。直属の産業振興課長は以前、復興推進課にいて、「自分が横断幕を発案した」と教えてくれた。

 観光係は、想像していた事務仕事とはまるきり違っていた。各地のイベントに出かけ、いろんな人と出あい、パンフレットを渡し、ふるさとの話をする。人と人のつながりがとても大事だと学んだ。詩のことを説明すると話が弾む。今では名刺に詩のフレーズを刷り込んでいる。

 詩を書いたときのことはよく覚えている。

 まず「女川」と紙に書いた。自分は家を失い、同級生の中には家族を流された者もいる。みんなを前向きにしたいと思った。「流されたんじゃなくて、何だろう?」。浮かんだのが「生まれ変わる」だった。「復興」なんて言葉はまだ知らない。どう生まれ変わるのか、根拠も何もなかった。

 あれから7年半。

 町職員になってわかったのは、女川町は歯をくいしばりながら、詩で書いた方向へと進んでいるということだ。災害公営住宅はすべて完成し、佐藤さんも入居する。海のそばにできた商店街は観光客でにぎわう。ただ町の人口は大きく減った。これからは、若者が住む喜びを感じられる場所が必要だと思う。

 横断幕は、いまも同じ場所で、生まれ変わる女川を見下ろしている。(石橋英昭)


ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

申上げるのは変かも知れませんが、よく写真で見る牧水さんの顔が好きで、折があらば一度彫刻のモデルに坐つていただく事をねだらうなどと思つてゐながら、さういふ折も天然には来ず、ついそれなりになつてしまひました。私一人にとつては此も心のこりのひとつです。

散文「写真の顔――若山牧水009追悼――」より 
昭和3年(1928) 光太郎46歳

若山牧水は、光太郎より2歳年少の歌人。この年、44歳で早世しました。

たしかにいい顔をしています。イケメンとかではなく、何事かを成し遂げた人特有の強さというか、なんというか。

同じことは上記の阿部さんや佐藤さんの顔にも見て取れますね。



新刊紹介です。 

恥ずかしながら、詩歌が好きです 近現代詩を味わい、学ぶ

2019年11月30日 長山靖生著 光文社(光文社新書) 定価940円+税

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今どき「詩歌が好きです」と告白するのはかなり恥ずかしい。勇気がいります。殊におじさんにとってはカミングアウトに近い。しかし、詩を口ずさみたくなるのは若者だけではないのです。歳を重ねているからこそ、若々しい詩も、達観した歌も、共にわがこととして胸に沁みるのではないか――。
評論家として数々の受賞歴もある著者が、ついに詩歌好きをカミングアウト。近現代詩歌を時代順に引きながら、喜びや悲しみを、詩人たちの実人生と共にしみじみと味わいます。現代日本語や時代を作ってきた詩人たちの心のやりとり、生き様に注目!


長山靖生(ながやまやすお)
1962年茨城県生まれ。評論家。歯学博士。鶴見大学歯学部卒業。歯科医のかたわら、執筆活動を行なう。主に明治から戦前までの文芸作品や科学者などの著作を、新たな視点で読み直す論評を一貫して行なっている。1996年、『偽史冒険世界』(筑摩書房)で第10回大衆文学研究賞受賞。2010年、『日本SF精神史』(河出ブックス)で第41回星雲賞、第31回日本SF大賞を受賞。2019年、『日本SF精神史【完全版】』(河出書房新社)で第72回日本推理作家協会賞(評論・研究部門)受賞。主な著書に『「人間嫌い」の言い分』『不勉強が身にしみる』(以上、光文社新書)、『人はなぜ歴史を偽造するのか』(光文社知恵の森文庫)、『鷗外のオカルト、漱石の科学』(新潮社)、『「吾輩は猫である」の謎』(文春新書)、『若者はなぜ「決められない」か』(ちくま新書)、『千里眼事件』(平凡社新書)など多数。


目次


 はじめに
 第一章 大食いは師友の絆
   ――正岡子規、伊藤左千夫、長塚節――
 第二章 日清・日露の戦争詩
   ――与謝野鉄幹、夏目漱石、森鷗外、大塚楠緒子、与謝野晶子、乃木希典――
 第三章 江戸趣味と西洋憧憬
   ――上田敏、北原白秋、木下杢太郎、佐藤春夫、萩原朔太郎――
 第四章 酒のつまみは何ですか
   ――吉井勇、若山牧水、中村憲吉、萩原朔太郎、中原中也――
 第五章 詩歌と革命
   ――石川啄木、百田宗治、萩原恭次郎、小熊秀雄――
 第六章 恋する詩人たち
   ――与謝野鉄幹、与謝野晶子、北原白秋、片山廣子、芥川龍之介――
 第七章 犯罪幻想(ミステリ)と宇宙記号(SF)の世界
   ――萩原朔太郎、高村光太郎、山村暮鳥、千家元麿、三好達治、佐藤惣之助――

 第八章 抒情派の季節、あるいはロマネスクすぎる詩人たち
   ――中原中也、立原道造、堀辰雄――
 第九章 直情の戦争詩歌、哀切の追悼詩歌
   ――北原白秋、三好達治、高村光太郎、折口信夫――

 第十章 戦中戦後食糧事情 
   ――斎藤茂吉、山之口貘、片山廣子――
 あとがき


一般向けの近代詩歌史概論です。平易な語り口で書かれ、読みやすいのが特徴ですが、押さえるべきポイントはしっかり押さえられ、また、「流れ」として明治―大正―昭和戦後を捉えるかたわら、時に時系列を超えて謳われている対象によっての概括を図ったりもし、工夫に富んでいます。取り上げられている詩歌人が、一般には有名どころばかりでないのも好感が持てるところです。また、上記目次には名がありませんが、宮澤賢治、安斎冬衛、日夏耿之介、田山花袋らにも触れられています。さらに、目次に光太郎の名がない章にも、光太郎が登場します。

光太郎が大きく取り上げられているのは、まず「第七章 犯罪幻想(ミステリ)と宇宙記号(SF)の世界」。生涯最後の詩の一つ「生命の大河」(昭和30年=1955)が引用されています。翌年元日の『読売新聞』に発表された長詩ですが、原子力の平和利用的な部分もある詩で、長山氏、その部分に注目されています。

007 (2) 科学ほ後退をゆるさない。
 科学は危険に突入する。
 科学は危険をのりこえる。
 放射能の故にうしろを向かない。
 放射能の克服と
 放射能の善用とに
 科学は万全をかける。
 原子力の解放は
 やがて人類の一切を変え
 想像しがたい生活図の世紀が来る。


この一節に関しての長山氏の評が以下のとおり。

 原発問題で「けっきょく金だろ」みたいな下品な本音を露呈するエライ人は心を入れ替え、せめてこれくらいの品位ある言葉を使って、正々堂々と「科学が拓く未来」を語って欲しいものです。
 原発は反対派・推進派の双方がこれらの詩句に学んで、礼節と品格と機知のある言葉で応酬してくれれば、少なくとも耳の生活環境は向上します。だからといって両者が理解し合えることは、ないのかもしれませんが(光太郎の詩はアイロニーです。念のため)。

「生命の大河」が「アイロニー」とする部分には疑念を感じます。同時期の他の詩を併せて読むと、ある意味、光太郎、原子力による明るい未来、的な部分を信じていたふしがあります(無邪気に、というわけでもなかったようですが)。これは当時の世相がそうだったわけで(だから「鉄腕アトム」ですし、アトムの妹は「ウラン」ちゃんです)、一人光太郎をのみ批判するには当たらないとは思いますが、それにしても光太郎の社会認識の不得手さ(戦時にしてもそうでしたが、安易に流される部分)が見て取れます。

しかし、「品位ある言葉」云々は、その通りですね。ところが、今年発覚したF県T町と電力会社のズブズブの癒着問題などにふれると、やはり「原子力ムラ」の連中には「正々堂々と「科学が拓く未来」を語」ることはできないのでは、と思わされます。長山氏もそうした思いから「両者が理解し合えることは、ないのかもしれませんが」としているような気がします(違っていたらごめんなさい)。

逆に当方が心配するのは、「原子力村」の連中が「生命の大河」の上記の一節を持ち出し、「かの高村光太郎もこう語っているから、原発を推進しよう」と、プロパガンダに悪用しないかということです。まるで戦時中の翼賛詩のように、です。もっとも、品格に欠ける輩は、詩歌など読みませんか(笑)。

「翼賛詩」といえば、本書の「第九章 直情の戦争詩歌、哀切の追悼詩歌」で、やはり光太郎詩が取り上げられています。

取り上げられている翼賛詩は、昭和16年(1941)の「十二月八日」、「新しき日に」、翌年の「沈思せよ蒋先生」、「」シンガポール陥落」、「夜を寝ざりし暁に書く」、「特別攻撃隊の方々に」、同18年(1943)の「ぼくも飛ぶ」。

長山氏、公平公正な観点から当時の光太郎を評して下さっています。曰く、

 高村光太郎は、この戦争は東アジア太平洋地域を欧米の植民地支配から解放する聖戦だというスローガンを単純に信じたのでした。
 いや、単純ではなかったのかも知れませんが、自身、留学中の差別体験があり、疑いながらも、「信じる」ことが心情にもかなっていたのでしょう。現に戦いが始まってしまっている以上、それ以外の選択肢はありませんし。
(略)
 それでも高村光太郎は、品性を重んじ、美を讃え続けました。彼の目には死地に赴(おもむ)く人々の決意、虜囚(りょしゅう)の辱めを受けずに自決して果てる人々の姿勢が、とても高潔なものと映っていたのでした。おそらくこれは本当だと思います。戦地に行き死んでいった人々を、どうして無駄死になどと言えるでしょう。讃えねばならぬ、彼らの尊厳を守るために、彼らを讃えねばならぬ……。


さらに戦後の光太郎に触れられます。連作詩「暗愚小伝」(昭和22年=1947)の構想段階で書かれ、しかし結局ボツにした「わが詩をよみて人死に就けり」を引いて、「戦後になると、自身の「戦争協力」を深く悔いることになります。そしてその想いもまた、詩になる。それが詩人の業というものです。」と結ばれます。

本書を購入する前、光太郎の翼賛詩が取り上げられている情報を得ていまして、それを「これぞ大和魂の顕現」と涙を流してありがたがる内容の書籍だったら困るな、と思っていたのですが、杞憂でした。

ぜひ、お買い求め下さい。


【折々のことば・光太郎】

恐らく尾崎君は寸時も孤独に堪へられない本性を持つてゐて、其が尾崎君に人間への強い愛慕の心を与へ、従つて否応なしに、「人間を信じ」させるのであらう。

散文「「渝らぬ友」――尾崎喜八――」より 昭和3年(1928) 光太郎46歳

「渝らぬ」は「かわらぬ」と読みます。

尾崎喜八は光太郎と家族ぐるみで交流のあった詩人です。光太郎より12歳年少でした。

光太郎自身は「孤独が何で珍しい」(昭和4年=1929)などという詩も書き、その後半生、智恵子亡き後は独居自炊のある意味孤独な生活を続けましたが、しかし、深層心理では「寸時も孤独に堪へられない本性」をやはり持っていたのではないと思われます。それが誤った方向に作用し、世の中と積極的に関わろうとして、大量の翼賛詩を書き殴ることにもつながったような……。それとて「人間への強い愛慕」が背景にあったのでしょうが……。

今日から花巻高村光太郎記念館さんで、企画展「光太郎からの手紙」が始まります。

それに合わせて、地方紙『岩手日報』さんが以下の記事を載せて下さいました。 

光太郎 ファンへ「礼状」 花巻・記念館であすから展示007 (2)

 彫刻家で詩人の高村光太郎(1883~1956年)が、ファンへつづったはがきが7日から、花巻市太田の高村光太郎記念館(藤原睦館長)で展示される。神奈川県横須賀市の高橋光枝さん(85)が花巻市に寄贈した。1945(昭和20)年から7年間、現在の同市太田で山居生活を送った光太郎が、高橋さんのファンレターへ返信した。光太郎を顕彰する関係者によると、ファンへの返信は珍しく、残りの生涯への決意を示す貴重な資料と評価される。
 「小生の作ったものが若い人達(たち)の心に触れたといふお話をきくと(中略)大変はげまされます」「この山にいて小生死ぬまで詩や彫刻を作るつもりで居ります」。味のある筆跡で光太郎の思いが記されている。
 同館の冬季企画展「光太郎からの手紙」は来年1月27日まで。午前8時半~午後4時半。入場料は一般350円、高校・学生250円、小中学生150円。問い合わせは同館(0198・28・3012)へ。


この葉書の寄贈については、『朝日新聞』さんが岩手版で先月14日、全国版でも同21日に報じて下さっています。『岩手日報』さんは、企画展の開催に合わせ、この時期に記事にしたとのこと。

先日、電話取材があり、全文の読み(光太郎の筆跡に慣れていない人には、「触れた」などが読みにくいようで)や、こういう内容だよ、といった点をお答えしました。かなり根掘り葉掘り訊かれたのでずいぶん詳しく回答しましたが、記事になってみるとそれがあまり反映されて居らず、短い記事でした(笑)。まぁ、新聞紙面はスペースが限られていますので、ニュースが多い時には個々の記事が短くなり、そうでない時は普段は記事にならないようなことも扱われる(『朝日』さんの全国版に載った時がそうなのだと思います)、という相対的な面がありますので、致し方ないでしょう。

ちなみに終末近くの「味のある筆跡で」は当方の発言です。

さて、企画展「光太郎からの手紙」。記念館さんから連絡があり、概要をお聞きしました。それによると、上記葉書以外は、昭和20年(1945)、宮澤賢治の父・政次郎らと共に光太郎の花巻疎開に尽力し、宮澤家が空襲で焼けたあと、光太郎が花巻郊外太田村の山小屋に入るまで1ヶ月間、自宅離れに光太郎を住まわせてくれた佐藤隆房に宛てたものだそうです。

花巻病院の院長でもあった佐藤は、花巻到着後にすぐ高熱を発して倒れた光太郎を看護したりもしています。その後も足かけ8年花巻及び郊外太田村で暮らした光太郎と深い交流を続けました。光太郎歿後は、花巻に財団法人高村記念会を立ち上げ、初代理事長を務めています。隆房没後は、子息の故・佐藤進氏があとを継ぎました。

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後ろで立っているのが賢治実弟の清六、前列左から、賢治の父・政次郎、佐藤隆房邸に厄介になる前に半月ほど光太郎を住まわせてくれていた元旧制花巻中学校長・佐藤昌、光太郎、佐藤隆房、賢治の妹・クニ、清六夫人・愛子、賢治の母・イチ、賢治の妹・岩田シゲです。

で、光太郎から隆房宛で葉書30通ほど、封書が10通ほどを展示するとのこと。基本、『高村光太郎全集』に掲載されているものですが、『全集』掲載時、葉書や封書の現物から引き写したのではなく、『岩手日報』から採録した場合があり、そうした際にありがちな誤読、写し間違いがあるようです。また、どうも話を聞くと『全集』未収録のものも含まれているような気がします。あとでデータを送ると言われていますので、その際に精査しようと思っております。

それから関連資料として、昭和25年(1950)11月、当時の水010沢町(現・奥州市)公民館で1日だけ開催された「高村光太郎先生夫人智恵子“切抜絵”」展のパンフレット。

奥州市立水沢図書館さんに現物が保存されており、平成27年(2015)に拝見に伺いましたが、その後、光太郎遺品の中にも同じものがあったのが見つかり、今回、初めて展示されます。

当時、水沢に疎開していた日本画家の夏目利政が、この展覧会の開催に尽力しました。夏目は明治42年(1909)、駒込動坂町の自宅に智恵子を下宿させてくれた人物です。

日本女子大学校を同40年(1907)に卒業した智恵子は、卒業後も女子大学校が運営する寮に住み続けていましたが、突如その寮が閉鎖されることになりました。途方に暮れる智恵子に手をさしのべたのが、やはり女子大学校の卒業生で福島出身の幡ナツ(旧姓・小松)。自分が住んでいた夏目の家に智恵子を斡旋してくれました。下の写真は夏目家で撮影されたもの。夏目は写っていませんが、左端がナツの夫・幡英二、一人おいて智恵子、右端がナツです。幡夫妻はその後、福島市で現在も続く明治病院さんを開院しました。

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その夏目は水沢に疎開していて、近くに光太郎も疎開していると聞き、コンタクトを取ったわけです。自分と知り合う前の智恵子を知っている人物と出会い、光太郎は驚いたそうです。

で、「高村光太郎先生夫人智恵子“切抜絵”」展のパンフレット。夏目が描いた智恵子の絵が表紙を含め、三葉載っています。佐藤隆房に宛てた光太郎の手紙の中に、この展覧会について言及しているものがあり、関連資料として展示するとのことです。

高村光太郎記念館さんでは、佐藤に宛てたものの他にも大量に光太郎書簡類をお持ちですが、今回は上記の高橋光枝さんに宛てたもののみが新発見ということで出す以外、展示しないそうです。「多方面にわたると焦点がぼやける」そうで。で、「今回は」ということでして「次回」も構想に入れ、次のこうした機会には佐藤に宛てたもの以外を出そうと考えているとのことでした。

というわけで、「光太郎からの手紙」、ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

詩は決してただの大袈裟な概念によつてのみは出来ない。自己の実感として真実に身についたところから詩は生れる。一見甚だつまらないやうな些細な日常の生活からでも生れる。

散文「『職場の光』詩選評 三」より 昭和17年(1942) 光太郎60歳

なるほど、光太郎の詩には「一見甚だつまらないやうな些細な日常の生活」を題材にしたものも数多くあります。ただ、それを詩にするためには「詩精神」=「物の中心をつかむ心の眼」が必要だとも述べています。

昨日、光太郎の父・高村光雲関係をご紹介しましたので、その流れで。

光雲とその高弟・米原雲海の手になり、今年、開眼100周年を迎え、昨年からいろいろな取り組みが行われている信州善光寺さんの仁王像がらみです。以下、善光寺さんのサイトから。 

仁王門屋根改修銅板ご寄進について

~ あなたの願いを書き込んだ銅板が、末永く仁王門の屋根に残ります ~

「善光寺仁王門」は、大正7年(1918年)に再建され、平成30年(2018年) に100年となる節目を迎えました。建物には高村光雲、米原雲海の合作による「仁王 像」及び「三宝荒神・三面大黒天立像」が安置され、今日まで護り引き継がれております。 善光寺では、この貴重な文化遺産を後世に伝えていくため、この度関係各位のご理解を いただき屋根改修工事に取り組むことになりました。 葺き替えにあたり、「屋根銅板」のご寄進を賜りたくお願い申し上げる次第です。

【銅板寄進】
願文・お名前をご記入いただいた銅板が、仁王門の屋根瓦として 末永く残ります。
奉納銅板 : 1 枚 2,000円~
頒  布  数 : 2,000枚 (予定数に達した場合は、終了となります)
受付期間 : 令和元年11月15日~令和2年1月中旬

※ お電話及び郵送での受付は行っておりません。お申し込みは、善光寺境内の寄進所にてお願い申し上げます。

 ■お問い合わせ■ 善光寺事務局  電話:026-234-3591 (代)午前 9 時 00 分~午後 4 時 30 分、年中無休

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善光寺さんの仁王像についての昨年からの動きに関しては、以下をご参照下さい。

信濃善光寺仁王門再建100年・仁王像造立100年 仁王門北側2像ライトアップ。
新聞各紙から(その1)。
善光寺寺子屋文化講座第2幕『冬至に仁王さんのお顔を見てみよう』。
善光寺仁王像 初の本格調査。
第十六回長野灯明まつり 「共鳴する平和への祈り」。
新聞各紙から。
信州善光寺仁王門写真コンテスト。
信州レポート その2 信州善光寺。
新聞各紙から。
信州善光寺仁王像関連。
光雲関連。
第14回善光寺サミット。



初詣等に行かれる方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

どんな巧者な、立派に見えるものでも、誠実なこころから出てゐないものは取るに足らない。まことの思ひをつきつめたところから出て来る言葉は、どんなに平俗に見える時でも、俗悪ではない。思ひ上つた技巧ばかりの言葉は却つて俗なものである。

散文「『職場の光』詩選評 九」より 昭和18年(1943) 光太郎61歳

「責任を痛感しております」、「国民の皆様の信頼を回復していきたいと思います」、「私の不徳の致すところ」、「真摯に受け止めなければならないと思います」、「全力を挙げていきます」(笑)。

情報を得るのが遅れ、既に始まっていますが、栃木県から企画展情報です。 

 第4回「森の交響曲(シンフォニー)」

期  日 : 2019年9月23日(月)~12月17日(火)
会  場 : 
佐野東石美術館 栃木県佐野市本町2892
時  間 : 午前10時~午後5時
料  金 : 大人700円 小・中・高生300円
休館日 : 水曜、木曜

高村光雲「牧童」を中心に、神様や仏様、花と虫や鳥たち、子供たちの笑顔、様々なモチーフの木彫を展示いたします。作家たちが高い理想と智慧をもって創造した作品は展示とともに森の交響曲(シンフォニー)を奏でます。
芸術の秋、美しい心の共鳴をお楽しみください。


地方紙『下野新聞』さんに紹介の記事が出ていました。 

木彫と絵画で「森」表現 各30点合わせ企画展 佐野東石美術館

【佐野】本町の佐野東石美術館で、木彫と絵画を取り合わせ森を表現する企画展「森の交響曲(シンフォニー)」が開かれている。17日まで。
 「日本近代木彫の父」といわれる高村光雲(たかむらこううん)の「牧童」をはじめ、光雲の流れをくむ作家が制作した花、虫、鳥や子どもたちの笑顔などをモチーフにしたさまざまな木彫約30点を展示。田崎草雲(たざきそううん)の「風雨赴釣図」といった日本画や県内出身画家の風景画など約30点の絵画と組み合わせ、心の中に自然をイメージできる空間を演出した。


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記事にある「牧童」はこちら。

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平成27年(2015)に同館で開催された「木彫の美-高村光雲と近現代の彫刻-」展にも出品され、拝見して参りました。光雲ならではの、精緻な彫りが実に見事でした。牛の毛並み、笛を吹く少年の指先や衣の皺にいたるまで、徹底して彫り込まれています。

光雲の流れをくむ作家」は、直弟子の山崎朝雲、平櫛田中、それから孫弟子にあたる澤田政廣といったところでしょう。

ご都合の付く方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

詩はけつして虚偽からは生れないので、心にもないことはいくら善い、美しいことを書いても役に立たない。どんな些細なことでも、まことをもつて見、まことをもつて表現することから詩の第一歩は始まる。それ故、詩を書くといふことは人間の品性を養ふ。
散文「『職場の光』詩選評 八」より 昭和18年(1943) 光太郎61歳

職場の光 八

「善い、美しい」、しかし「心にもない」「虚偽」ばかり述べ、肝心なことは丁寧な説明など一切せずに隠し通す「まこと」「品性」皆無の輩に叩きつけたい一節です。

平成14年(2002)、野田秀樹氏の脚本、大竹しのぶさん出演で初めて上演された、登場人物は智恵子のみの一人芝居「売り言葉」。翌年に新潮社さんから出版された野田さんの脚本集『二十一世紀最初の戯曲集』に収められ、多くの公演で取り上げられています。

なぜか今年は全国各地でこの「売り言葉」が取り上げられました。
evkk(エレベーター企画)『売り言葉』。
サキクサ創刊号公演・大塚由祈子ひとり芝居『売り言葉』。
thee第13回公演『売り言葉』。

で、今度は岡山県での上演です。 

売り言葉

期 日 : 2019年12月13日(金)~15日(日)
会 場 : 
城下公会堂 岡山県岡山市北区天神町10−16 城下ビル 1F
時 間 : 12/13・14 19:00~  12/15 18:00~
料 金 : 【前売り】 学生1000円 / 一般1300円 【当日】 学生1200円 / 一般1500円

出 演 : 櫻井杏子、久永柚月、松尾千晶

――そんなにも あなたはレモンを待つてゐた

芸術家・高村光太郎が妻・智恵子への純愛を綴った詩集「智恵子抄」。
美と情熱あふれる言葉で描かれた「あなた」の姿であらねばと智恵子は生涯もがき続けた。

3人の女子大学生が野田秀樹の描く“女の狂気”に挑む。

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「売り言葉」は基本的に一人芝居なのですが、キャストが3人となっています。お三方で分業的にやるのか(野田氏の脚本では智恵子以外に光太郎、女中が割り振られており、しかし大竹しのぶさんがお一人で演じ分けられました)、三日間の公演なので一日お一人ずつのご出演なのか、何ともよくわかりません。

最初にご紹介した、今年各地で行われた他の公演でも、本来一人芝居であるのを二人芝居にするなどの演出が為されていました。

「売り言葉」、光太郎智恵子を題材としたものの中では、光太郎ディスり度が最も高い内容となっており、しかし単なる哀れな被害者・智恵子という描き方でもなく、非常に考えさせられる芝居です。

ご都合の付く方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

詩は毎日の生活の中にきらきら光つて、あらゆる壮大な理念を内に包みながら、一見つまらぬ片言隻語にその万感を託す。

散文「『職場の光』詩選評 四」より 昭和17年(1942) 光太郎60歳

職場の光 四


「壮大な理念」あたりに戦時中のきな臭さを感じますが、あらゆるものを包蔵する、という意味では首肯できます。

駒場の日本近代文学館さんから届いた館報『日本近代文学館』第292号。


かわじもとたか氏による寄稿「えっ!古本屋で展示会?「個人名のついた研究会会誌の世界」展」という記事が載っていました。

かわじ氏、本業は「細胞検査士」とのことですが、筋金入りの古本マニアのようで、さまざまな調査をなさり、成果をまとめられています。当方、少しばかり協力させていただき、返礼にご著書を頂いたりもしています。氏については以下をご参照ください。

 「序文検索―古書目録にみた序文家たち」。
 古書目録の落とし穴。
 『北方人』第19号。
 『続装丁家で探す本 追補・訂正版』。

で、そのかわじ氏プロデュースの展示会についての記事です。調べてみましたところ、以下の通りでした。 

「個人名のついた研究会会誌の世界」展000

期 日 : 2019年12月2日(月)~12月22日(日)
会 場 : 
西荻モンガ堂 杉並区桃井4-5-3
       ライオンズマンション西荻102
時 間 : 12:00~20:00
定休日 : 水曜日

おそらく観覧は無料なのでしょう。『日本近代文学館』の記事に拠れば、「出品資料は会期後に購入できるようになっている」とのことです。

さらに「廃業に追い込まれる古書店も多い昨今、古本屋さんを勝手に応援するというスタンスでやっているのである」だそうで。会場の西荻モンガ堂さんは、西荻窪の古書店です。

で、『日本近代文学館』の記事に載った画像、当会で継続刊行中の『光太郎資料』を載せていただいております。ただ、当方が名跡をお譲りいただいた平成24年(2012)以前に、当会顧問・北川太一先生がガリ版刷り出だされていた頃のもの。

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ガリ版刷りというのが味があってよい、的な紹介ですね。

その他の出品物、こちらこちらである程度紹介されています。

都合が付けば、期間中に行ってこようと思っております。皆様もぜひどうぞ。


ついでに、と言うと何ですが、『日本近代文学館』、「図書・資料受入れ報告」というページに、光太郎の親友・水野葉舟関連で、以下の記述がありました。

水野葉舟令孫の水野通雄氏から高村光太郎「水野葉舟君のこと」原稿(初出「月明」昭和22・3)を受託した。併せて、『水野清回想録』(京葉産業研究協会 '98)、佐藤浩美編『葉舟小品』(三恵社 '18)など図書雑誌五点をいただいた。

今年7月、葉舟子息で光太郎とも交流のあった水野清元総務庁長官が亡くなった関係でしょう。光太郎の「水野葉舟君のこと」は、この年に歿した葉舟追悼文です。


【折々のことば・光太郎】

すべて物と一つになる心はわれわれ日本人の特質であつて、対者を冷たく対者としてのみ見過し得ないこの心は、詩の基底をなすものであるから、日本人は悉くみな詩人の素質を持つ者であるといへるのである。

散文「『職場の光』詩選評 一」より 昭和17年(1942) 光太郎60歳

雑誌『職場の光』は、戦時中「産業戦士」と呼ばれた工場労働者向けの雑誌。大日本産業報国会の発行でした。「産報文芸」という、読者の投稿ページがあり、詩の項の選者を光太郎が務めました。選評でありながら、光太郎の詩論が色濃く表されています。

戦時中ということで、きな臭い部分もありますが、愛国心の発露もこの程度であれば許されるでしょう。ところが昨今のネトウヨどもは、こうした日本人礼賛にとどまらず、「だから中韓のやつらは駄目だ」という方向にすぐ話を持って行きます。自分自身に何ら誇るべき業績も特技もなく、そういったものを身につける努力も出来ず能力もないネトウヨどもが、自分にとって誇れることは自分が「日本人」であることのみ。それであれば努力も要せず能力が無くとも手に入れられる「称号」ですから。しかし、その「称号」を価値あるものにするために、自らを磨くのではなく、他者(近隣諸国民)を貶めることで、相対的に自己の位置を高めようとしているわけです。何かというと「自分の先祖は、かの○○で……」と、言う輩も同じ穴の狢でしょう。

その幼稚なネトウヨが12月8日前後になると、光太郎の翼賛詩を持ち出して、涙を流して有り難がる風潮、実に嘆かわしいことです。

光太郎第二の故郷ともいうべき岩手花巻から、企画展示の情報です。 

令和元年度共同企画展 ぐるっと花巻再発見!~イーハトーブの先人たち~ 「光太郎からの手紙」

期 日 : 2019年12月7日(土)~2020年1月26日(日)
会 場 : 高村光太郎記念館 岩手県花巻市太田第3地割85番地1
時 間 : 午前8時30分から午後4時30分まで
料 金 : 一般 350円(300円) 小中学生 150円(100円)
      高等学校生徒及び学生 250円(200円) ( )は20名以上の団体
休館日 : 12月28日~1月3日

市内の文化施設である、花巻新渡戸記念館、萬鉄五郎記念美術館、花巻市総合文化財センター、花巻市博物館、高村光太郎記念館の5館が連携し、統一テーマにより同一時期に企画展を開催します。

光太郎が差し出した手紙を通じて太田村在住当時の様子、創作活動に関わる光太郎周辺の人々との関わり合いをたどります。

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他館開催内容

花巻新渡戸記念館 テーマ「島善鄰~生誕130年~」
「リンゴの神様」と言われリンゴ研究の第一人者。後に、北海道大学長となった島善鄰について紹介します。

萬鉄五郎記念美術館 テーマ「阿部芳太郎展」
宮沢賢治の詩集『春と修羅』の外箱装丁に携わり、彼が推し進めた農民劇の背景画を担当した花巻の画家として知られています。賢治との交友はもとより萬鉄五郎と交流し、同地域の美術運動をけん引し続けました。今展は、阿部芳太郎の画業を紹介するとともに、賢治や萬との関わりにも光を当てていきます。

花巻市総合文化財センター テーマ「ぶどう作りにかけた人々 ―北上山地はボルドーに似たり―」
昭和22・23年に襲ったカスリン・アイオン台風被害は、現在のぶどう作りのきっかけとなりました。その取り組みに関わった人々やぶどう、ワイン作りの歩みについて紹介します。

花巻市博物館 テーマ「松川滋安と揆奮場」
文武の藩学「揆奮場」を設立するため奔走した、松川滋安。苦難を乗り越えたその生涯を明らかにします。

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関連行事

ぐるっと歩こう!スタンプラリー
共同企画展の会期中、開催館5館のうち3館のスタンプを集めた人に記念品を差し上げます。さらに、開催館5館全てと協賛館1館のスタンプを集めた人に、追加で記念品を差し上げますので、この機会に足を運んでみませんか。

ぐるっと花巻再発見ツアー
企画展開催館を一度にまわれるバスツアーを開催します。無料で参加できますので、ぜひお申し込みください。
 1回目:2019年12月12日(木) 午前9時から午後3時10分
 2回目:2020年1月9日(木)  午前9時から午後3時10分


花巻市内5つの文化施設で「ぐるっと花巻再発見!~イーハトーブの先人たち~」という統一テーマの元に行われる共同企画展。高村光太郎記念館さんが参加するのは今年で3回目となります。一昨年が「高村光太郎 書の世界」、昨年は「光太郎の食卓」でした。

で、今年は「光太郎の手紙」。同館所蔵の光太郎書簡の展示になります。書簡類は、内容もさることながら、光太郎の味わい深い文字も魅力の一つです。リスト等まだ送られてきてませんので、具体的にどういう手紙が展示されるか不明ですが、わかり次第ご紹介します。ただ、先頃報じられた神奈川の女性から寄贈を受けたハガキは出ると思われます。


また、当方の把握している限り、総合文化財センターさんの展示で、光太郎がらみの展示品が出ます。

詩「開拓に寄す」(昭和25年=1950)の、光太郎自筆草稿を印刷したものです。

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同年、盛岡で開催された岩手県開拓5周年記念の開拓祭で配付されたもの。平成21年(2009)頃、テレビ東京系の「開運!なんでも鑑定団」に、これ(または昭和30年=1955作の「開拓十周年」を同じように印刷したものだったかもしれません)が出ました。鑑定依頼人(亡父の遺品、的な感じだったと思います)は直筆だと思っていたようですが、印刷ということで1万円くらいの鑑定結果だったと記憶しております。ただ、印刷ではありますが、現存数もそう多くなく、貴重なものではあります。当方、入手したいと思いつつ果たせていません。

ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

一億の生活そのものが生きた詩である。

散文「戦争と詩」より 昭和18年(1943) 光太郎61歳

それはそうなのでしょう。そうなのでしょうが、この後に続く一文はいただけません。曰く「一切の些事はすべて大義につらなり、一切の心事はすべて捨身の道に還元せられる。」捨て身の覚悟で聖戦完遂にのぞむべし、ということですね。

また、この後の部分にはこんな一節も。「皇国の悠久に信憑し、後続の世代に限りなき信頼をよせて、最後にのぞんで心安らかに、大君をたたへまつる将兵の精神の如き、まつたく人間心の究極のまことである。このまことを措いて詩を何処に求めよう。」

同じ文章で「一億の生活そのものが詩である」といいながら、将兵たちの「このまことを措いて詩を何処に求めよう」。矛盾しています。或いはすべての日本人が前線の将兵の如き心構えをもって事に当たれ(いわば「国民皆兵」)ということでしょうか。

今年ももうすぐ12月8日、太平洋戦争開戦の日となります。毎年のように自称“愛国者”が光太郎の翼賛詩をネットで紹介し、「これぞ大和魂の顕現」とありがたがる憂鬱な時期です。

光太郎ゆかりの地を扱うテレビ番組が目白押しです。ただし、光太郎の名が出てくるかどうか……というところですが。


まず、花巻。 

ブラタモリ#150 花巻~花巻はなぜ宮沢賢治を生んだ?~

NHK総合 2019年12月7日(土)  19時30分~20時15分

「雨ニモマケズ」「銀河鉄道の夜」…多くの名作を生んだ賢治を育んだ花巻の秘密をタモリさんがブラブラ歩いて解き明かす▽地質・鉄道・音楽…賢治とタモリさんの共通点は?

「ブラタモリ#150」で訪れたのは岩手県の花巻市。花巻で生まれ育った宮沢賢治は、ここで何を見て、何を感じたのか?そして名作はどのようにして生まれたのか?▽賢治が農業技術の改良を目指した理由は、東北の地質にあり?▽花巻にいろんな種類の石が集まる理由とは?幼少期の賢治が遊んだ河原でタモリさんも石拾い!▽「銀河鉄道の夜」のモデルになった列車ってどんな形?▽晩年の賢治がつくった「花壇」に込めた思いとは!?

出演 タモリ 林田理沙  語り 草彅剛


メインは宮澤賢治。光太郎と交流があり、その没後には光太郎や当会の祖・草野心平によって世に知られるようになり、それに恩義を感じた父・政次郎らが、光太郎の花巻疎開のお膳立てをしてくれました。

番組では、光太郎が実際に乗った花巻電鉄も大きく取り上げられます。


同じく花巻を含む岩手県内。 

じゅん散歩 岩手

地上波テレビ朝日 各回9:55~10:25

2019年12月2日(月)  「岩手県・盛岡」を散策 ▽レトロ建築が並ぶ「みちのくの城下町」▽“東京駅の兄"明治期の赤レンガ銀行▽伝統工芸品・南部鉄器3年待ちの工房へ

2019年12月3日(火) 「岩手県・花巻」を散策▽菊池雄星&大谷翔平選手の母校!花巻東▽りんご&郷土の味いろいろ 人気直売所▽純ちゃん挑戦!地元名物「わんこそば」

2019年12月4日(水) 「岩手県・中尊寺 平泉」を散策▽源義経&弁慶終焉の地の名物和菓子▽年間200万人来訪!世界文化遺産・中尊寺巡り▽金箔3万枚!金色に輝く金色堂

2019年12月5日(木) 「岩手県・花巻 賢治巡り」▽宮沢賢治の故郷でゆかりスポット散策▽地元土産で人気!特大「最中」▽所蔵4千点!宮沢賢治記念館の直筆原稿

2019年12月6日(金) 「岩手県・盛岡町家」を散策▽明治期の商家が立ち並ぶ町家通り▽伝統建築を改装した町家観光施設▽午後3時からのちょい呑み「もっきり」

出演 高田純次

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来週の放映はすべて岩手。編集の都合なのか、盛岡、花巻、平泉を行ったり来たりの放映です。木曜の放映がやはり賢治がらみです。


続いて、昨日もご紹介した宮城県女川町。 

歌のあとさき「中村雅俊~希望編」

NHK BSプレミアム 2019年12月5日(木)  17時45分~18時00分

歌手の人生を歌とインタビューで紐解く「歌のあとさき」。俳優でありながら、歌手としても多くのヒット曲を生み、今も第一線で歌い続ける「中村雅俊」を取り上げる。

中村の故郷、宮城県女川町は、東日本大震災で被災、復興支援に駆け付けた中村は、学生時代に女川の風景を歌った「私の町」で人々を激励した。続いて発表した「君がいてくれたら」でこれまで出会った全ての人に感謝をこめる。俳優として18年の朝ドラ「半分、青い。」で好演したことをきっかけに初の座長公演も行った中村は、自分と同世代の人を元気づける曲「だろう!」を発表。俳優、歌手として自らを奮い立たせる。

出演 中村雅俊  語り 石澤典夫

これに先立ち、2日(月)には「旅立ち編」、3日(火)が「飛翔編」、4日(水)で「転機編」が放映されますが、番組説明で「女川町」の語が出てくるのは5日(木)だけでした。


さらに、十和田湖。 

夢釣行 ▽十和田湖の彩りを映す可憐なヒメマス~紅葉燃ゆる陸奥ルアーゲーム~

BS日テレ 2019年12月1日(日) 17時00分~17時30分

釣り人の夢は尽きることがありません。幻の魚に出会うこと、大型の魚を狙うこと、旅先の風土や人々に触れること…。そして、心震わせる出来事が、また次の夢へとつながっていきます。この番組では、自然や人々との出会いに満ちた「夢の釣り旅」を追います。

紅葉燃ゆる陸奥の景勝地、十和田湖。秋深まるこの時期、産卵のために浅場を回遊するヒメマスをミノーイングで誘い出す。可憐なトラウトの躍動を天然色の世界に堪能する。

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もう1件。 

その他の人に会ってみた★人気アイドル密着!王林が謎の号泣&十和田湖の(秘)スポット

地上波TBS 2019年12月3日(火) 23時56分~24時55分

この番組は、世の中にあふれる様々なアンケート調査や統計で 「その他」 の項目に含まれるような、その世界での所謂 「王道の選択」 をしなかった異色の経歴の持ち主を “その他さん” と称し、その生き様を追う人物調査バラエティ。

MC を務めるのは、数々の番組で司会を務め、独自の視点で切り込むスタイルが好評の東野幸治。毎回様々なゲストとともに、“その他さん” の人生の選択に驚き、そして時には心温まるエピソードも !? 人とは違う道を選んでいるからこその興味深いエピソードが盛りだくさんの “その他さん” が登場する。

青森のアイドルから全国区に!りんご娘・王林に密着▽銀座で会った初タピオカ女子&潔癖症の美女&吉村宅での謎のパーティー▽十和田湖で会ったエリート官僚が驚きの転身

人気観光地・十和田湖周辺のその他さん
 ◇女性デザイナーが考案「KUMADAKO」とは? ◇エリート官僚が驚きの転身!ホテルの定額サービスとは? ◇願い事が叶う!十和田湖の(秘)パワースポットとは?


MC 東野幸治  進行 江藤愛(TBSアナウンサー)
ゲスト 王林(りんご娘)  吉村崇(平成ノブシコブシ)


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光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」。ちらっとでもいいので映してほしいものです。

それぞれ、ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

詩の本質は意味にもなく、声調にもなく、音韻にもなく、語彙にもない。それらのものは唯詩を形づくる素材であり、手段であり、方式であり、媒体であり、部品である。詩の本質は、その詩全体が人を打つて来る不可避不可抗の感動力であつて、これはもともと無形、無名のものである。指示し得ないけれども人の心に実存する以心伝心の磁力である。

散文「詩の本質」より 昭和18年(1943) 光太郎61歳

早世した宮澤賢治なども、もしこの文章を読んだら「そうそう」と首肯しそうだな、と思いました。











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