あの日 わたしは~証言記録 東日本大震災~「宮城県女川町 阿部一彦さん」
宮城県女川町の中学校教師だった阿部一彦さんは、津波の悲劇を後世に伝え、100年後の命を守るために、生徒と協力しながら、津波が到達した地点に石碑を建て続けている。
「あの日 わたしは~証言記録 東日本大震災」は、東日本大震災をはじめ、各地で被災された方々の証言を紹介する5分間番組です。これまでに、やはり「いのちの石碑」建立に携わった勝又愛梨さん、「女川光太郎祭」の折に宿泊させていただいているトレーラーハウスホテルのエル・ファロさんを経営されている佐々木里子さんなども取り上げられてきました。
今回取り上げられる阿部一彦さんは、「いのちの石碑」を発案した震災当時の女川第一中学校生の担任だった方です。当ブログ、以下の記事でご紹介させていただいています。
高校生が未来を創る町 女川町 七つ目のいのちの石碑。
<卒業式>津波で祖母犠牲「成長見守って」/忘れない、伝えたい 僕たちがつくるいのちの教科書。
中学生が被災地で震災の教訓学ぶ/女川の子どもたちのそばに居続けた阿部一彦先生。
また、今年3月、NHK BSプレミアムさんで放映された、平祐奈さん主演のスペシャルドラマ「女川いのちの坂道」では、皆川猿時さんが阿部先生の役を演じられました。失礼ながら(「失礼ながら」というのが失礼かもしれませんが)、よく似ていらっしゃいます(笑)。
「あの日 わたしは~証言記録 東日本大震災」、ぜひご覧下さい。
その他、来週は、女川、十和田湖、花巻といった光太郎関連の地が紹介されるテレビ放映が相次ぎます。明日はそのあたりをご紹介します。
【折々のことば・光太郎】
一見蕪雑に見える今日のただの言葉の中に脈々と伝はつてゐる日本古来の語法の美を発見し、その表現の性格を弁別し、正邪の乱れを格(ただ)し得る者にとつては、恐らく捨て置きがたい美の宝庫を其処に見るに違ひない。
昭和18年(1943) 光太郎61歳
ただし、その光太郎ですら、この直後には空虚なこけおどし的文言に充ちた文語の翼賛詩を乱発する愚にとらわれるのですが……。