現在、定期購読している雑誌は、隔月刊誌が1誌、月刊誌は2誌です。隔月の方は『花巻まち散歩マガジン Machicoco(マチココ)』さん。偶数月発行ですので今月はお休みでした。月刊の方は、『月刊絵手紙』さんと『日本古書通信』さんです。
『月刊絵手紙』さんは、「生(いのち)を削って生(いのち)を肥やす 高村光太郎のことば」という連載がなされていますので、その連載がお休みの月を除いて毎号光太郎の名が。
今月は初夏の高村山荘(光太郎が戦後の7年間、蟄居生活を送った花巻郊外旧太田村の山小屋)の写真に添えて、詩「クロツグミ」。
クロツグミは夏に日本にやってくる渡り鳥。その声を光太郎は「こつちおいで、こつちおいでこつちおいで。/こひしいよう、こひしいよう、」と表しました。何だか、光太郎自身の心の声のようでもあります。
『日本古書通信』さんは、古書全般に関する情報誌的な雑誌で、ある意味、古書店さんたちの業界誌のような側面もあります。以前は当会顧問・北川太一先生や、光太郎令甥・故髙村規氏の連載などもあり、光太郎の名が頻出していました。今月号はたまたまでしょうが、複数回その名が出ていました。
まず秀明大学学長にして、筋金入りの初版本コレクター・川島幸希氏を囲む座談会的な連載「初版本蒐集の思い出」。詩集『道程』特製版署名入り(大正3年=1914)についてのご発言があります。
続いて「美術雑誌総目次大正編」という連載。明治末から大正にかけ、青年画家達の活動を裏方から支えて洋画界の発展に寄与し、ゴッホらを支援したペール・タンギーになぞらえ、ペール北山と呼ばれてた北山清太郎が刊行した雑誌『現代の洋画』、『現代の美術』について述べられています。光太郎もしばしば寄稿した雑誌で、やはり光太郎の名を出して下さいました。
さらに「受贈書目」の項。当会顧問北川太一先生の最新刊『光太郎ルーツそして吉本隆明ほか』と、当会刊行の冊子『光太郎資料51』を並べてご紹介下さいました。ありがたいかぎりです。
各種メディア等で「高村光太郎」の名を見かけなくなる、という事態にならないよう、今後も努力していきたいと存じます。
【折々のことば・光太郎】
芸術上の新機運は無限に発展してとどまることころもなく進むであらうし、造型上の革命も幾度か起るべきであるが、しかしその根元をなす人間の問題は千古不磨である。誠実ならざるもの、第二思念あるもの、手先だけによるもの、気概だけに終始するもの、一切のかういふものは、いつか存在の権利を失ふであらう。
散文「荻原守衛 ――アトリエにて5――」より
昭和29年(1954) 光太郎72歳
昭和29年(1954) 光太郎72歳
彫刻家としては、唯一無二の親友だった碌山荻原守衛を回想した文章、末尾近くの一節です。守衛の遺した芸術は、このようなものではないというわけで。
守衛といえば、新宿中村屋さん。明治末、同郷の先輩・相馬愛蔵が興し、守衛ら若い芸術家たちの援助を惜しまなかった店です。守衛もパン作りを手伝ったりもしましたし、光太郎も守衛を訪ねて来店しています。
現在、NHKさんで放映中の「連続テレビ小説 なつぞら」。広瀬すずさん演じるヒロイン・奥原なつがアニメーターめざして奮闘する物語です。北海道編が終わり東京編になって、中村屋さんをモデルにしている「川村屋」が舞台の一つとなっています。戦後の話なので、守衛や光太郎は登場しませんが、守衛が思いを寄せ、その絶作「女」(明治43年=1910)のモチーフとなった相馬黒光をモデルとした「前島光子」を、比嘉愛未さんが演じています。