情報を得るのが遅れ、始まってしまっていますが、京都から企画展示情報です。
平成30年度秋季特別展「奥田駒蔵とメイゾン鴻乃巣-寺田出身の青年が作った大正サロン-」
期 日 : 平成30年10月20日(土)~年12月16日(日)場 所 : 城陽市歴史民俗資料館 京都府城陽市寺田今堀1 文化パルク城陽西館4階
時 間 : 午前10時から午後5時
料 金 : 大人 200円(160円) 小中学生 100円(80円)( )内20名以上の団体
休 館 : 11月5・6・12・19・26・27日、12月3・10日
寺田村出身の青年奥田駒蔵が東京で作った店「メイゾン鴻乃巣」は、明治から大正にかけて近代文学を担った文豪たち、芸術家たちが集う本格的なフレンチレストランでした。この特別展では、「鴻巣山人」と称し、永井荷風、与謝野晶子など錚々たる文学者じゃ、芸術家に愛された奥田駒蔵と彼の生涯、また少年時代の駒蔵が過ごした寺田村の当時の様子をあわせて紹介します。この展示の実施にあたっては、奥田駒蔵氏の孫である奥田恵二氏の妻であり、エッセイストである奥田万里氏の著書『大正文士のサロンを作った男-奥田駒蔵とメイゾン鴻ノ巣』の内容に沿いながら実施します。
展示構成
1 奥田駒蔵とふるさと寺田村
『カフェエ夜話』 寺田尋常高等小学校写真・資料 大正~昭和初期の鴻巣山関係資料
2 西洋料理店「メイゾン鴻乃巣」とは
『文章世界』明治44年9月号 『白樺』大正3年9月号 サモワール
『カフェエ夜話』 寺田尋常高等小学校写真・資料 大正~昭和初期の鴻巣山関係資料
2 西洋料理店「メイゾン鴻乃巣」とは
『文章世界』明治44年9月号 『白樺』大正3年9月号 サモワール
「メイゾン鴻乃巣創業の地」説明版写真 京橋鴻乃巣新装落成記念ポスター
カラトリー、すっぽん鍋
3 メイゾン鴻乃巣に集った人々
木下杢太郎写真、「該里酒」(『食後の唄』収録) 北原白秋写真、「屋根の風見」
芥川龍之介写真、
カラトリー、すっぽん鍋
3 メイゾン鴻乃巣に集った人々
木下杢太郎写真、「該里酒」(『食後の唄』収録) 北原白秋写真、「屋根の風見」
芥川龍之介写真、
『羅生門』出版記念会写真 志賀直哉写真、
志賀の手がけた鴻乃巣の広告(『白樺』第3巻10月号)他
志賀の手がけた鴻乃巣の広告(『白樺』第3巻10月号)他
関根正二「子供」 与謝野鉄幹・晶子夫妻写真、駒蔵葬儀の写真、晶子の追悼歌他
4 自由人奥田駒蔵-その人と作品-
掛軸「蛙百態」「洋蘭」 掛軸「父上像」「南京と蜜柑」 屏風「蛙」
版画「ダリア」「柿」他スケッチ画5点
4 自由人奥田駒蔵-その人と作品-
掛軸「蛙百態」「洋蘭」 掛軸「父上像」「南京と蜜柑」 屏風「蛙」
版画「ダリア」「柿」他スケッチ画5点
奥田駒蔵と家族の写真 『カフェエ夜話』
関連イベント
第83回文化財講演会 祖父奥田駒蔵とメイゾン鴻乃巣
講師 奥田恵二氏、奥田万里氏
日時 平成30年11月23日(金・祝) 13:30~15:00
場所 文化パルク城陽ふれあいホール
申込み・参加費 不要
講師 奥田恵二氏、奥田万里氏
日時 平成30年11月23日(金・祝) 13:30~15:00
場所 文化パルク城陽ふれあいホール
申込み・参加費 不要
ギャラリートーク
日時 10月27日(土)、11月17日(土)、12月9日(日) 14:00~15:00
場所 城陽市歴史民俗資料館特別展示室
講師 資料館職員
日時 10月27日(土)、11月17日(土)、12月9日(日) 14:00~15:00
場所 城陽市歴史民俗資料館特別展示室
講師 資料館職員
光太郎、北原白秋、木下杢太郎らの芸術運動「パンの会」の会場として使われ、光太郎の詩文にたびたび登場する日本橋にあったカフェ「メイゾン鴻乃巣」。創業者の奥田駒三が現在の城陽市の一部、寺田村出身ということで企画されたようです。
駒三の令孫にあたる奥田恵二氏、奥田万里氏夫妻の地道な調査により、平成27年(2015)には『大正文士のサロンを作った男 奥田駒蔵とメイゾン鴻乃巣』という書籍が刊行され、興味深く拝読しました。関連行事としての講演ではご夫妻が講師を務められます。
メイゾン鴻乃巣に集まった文士たちに関する展示もあり、「パンの会」での光太郎の朋友・木下杢太郎や北原白秋、それから「パンの会」とは関わりませんが、光太郎の師・与謝野夫妻の名が上がっています。おそらく光太郎についても名前程度は出していただいているのでは、と思われます。
来月もあちこち飛び回るつもりでおりますが、都合をつけて観に行くつもりです。皆様も是非どうぞ。
【折々のことば・光太郎】
私は生きいきした人生の礼讃者である。明るい、健康な、いぢけない、四肢五体に意識と智慧と精神とのはつきり行き渡つてゐる人生の渇仰者である。暗愚な、おどおどした、無智な、無意識な人生からは一刻も早く脱したいと思ふ。
散文「日本家庭百科事彙」より 昭和3年(1928) 光太郎47歳
彫刻に、詩に、脂ののっていた時期の文章だけに、こういう発言となっています。ただし、パートナー・智恵子の方は実家の長沼酒造の経営が傾きはじめ、油絵にも絶望、徐々に精神の均衡を保てなくなっていました。