主に北海道の文学に注目する北方文学研究会さん発行の同人誌『北方人』の第27号を頂きました。いつも送って下さっていて、恐縮です。

さらに恐縮なことに、当会発行の『光太郎資料47』をご紹介下さっています。

また、当方も寄稿している文治堂書店さん発行の同人誌、「トンボ」第3号の紹介も。ありがたいことです。
それから、釧路で発行されている同人誌『河太郎(かたろう)』の紹介の中に、光太郎の名が。

光太郎と交流のあった更科源蔵、猪狩満直といった詩人が北海道出身だったり移住したりしていた関係、北海道で発行されていた雑誌に光太郎の寄稿がたびたびあったためですね。とりあえずネットで発行元らしきところを見つけ、送って下さるよう頼んでみました。届きましたらまたご紹介します。
その『トンボ』の第4号も届きました。

3名の方々による、先頃亡くなった同社創業者の渡辺文治氏の追悼文が掲載されており、当会顧問・北川太一先生の玉稿も含まれています。

その他、半ば強引に2ページ分の連載を持たされてしまい(笑)、今年で61回目を迎えた連翹忌の歴史と現況について書け、という指示でしたので書きました。

掲載誌をごそっと送られていますので、ご入用の方はこちらまで。
【折々のことば・光太郎】
足もとから鳥がたつ 自分の妻が狂気する 自分の着物がぼろになる
詩「人生遠視」より 昭和10年(1935) 光太郎53歳
光太郎にとっては不意打ちのようだった智恵子の心の病の顕在化、それにより智恵子が夢幻界へと飛び立ってしまったこと、それに伴う喪失感などが、見事に表現されています。








































































小鹿野町長留の山あいにある工房。彫刻師の宮本裕太さん(30)は、真剣な面持ちで木彫作品二点の仕上がりを確認する。一つは南国の花プルメリア、もうひとつは観葉植物のモンステラとパイナップルの実がモチーフだ。


















花巻市太田、笹間両地区を合わせた「西南地区」を南北に貫く県道盛岡和賀線で、新たな「道の駅」の整備が検討されている。花巻市の基本構想では、2020年度の開業を目指しており、実現すれば市内では石鳥谷町の「石鳥谷」、大迫町の「はやちね」、東和町の「とうわ」に続く4番目の施設になる。














題名の「“Die Welt ist schoen”」は、「世界は美しい」の意の独語です。ドイツの写真家、アルベルト・レンゲル・パッチュがこの2年前に刊行した写真集の題名を転用しており、詩の中にもレンゲルに語りかける部分があります。




ら平成5年(1993)刊行の『名詩の美学』。小中高の教科書に採用されたものを中心に、光太郎を含む30余名の近現代詩人の作品を取り上げ、「美の構造仮説にもとづく解釈」(「はじめに」より)が為されています。
わたる山梨県四尾連湖畔に丸太小屋を建てての独居自炊の様子を謳ったもので、光太郎にも贈られました。





























た、元埼玉県東松山市教育長で、光太郎と交流のあった








ますが、こういう点で光太郎は智恵子や周囲に対し、どうに対応していたのだろうかと、改めて思いました。
すいさい)」の境内に再建された「活人剣の碑」の由来などを子どもたちに伝えようと、地元有志らで作る再建委員会による紙芝居「活人剣の物語」が完成した。100セットを目標に製作し、市内の小中学校などに贈る。
、り明治期に光雲作の原型から鋳造されて可睡斎さんに据えられましたが、戦時中の金属供出で無くなってしまっていました。平成27年(2015)に、地元の方々の熱意で、初代の碑に似せて再建、その際の報道を、このブログでご紹介しています。
について調べていましたら、初代高村晴雲作の仏像がいらっしゃることがわかりました。晴雲は、光雲の師・高村東雲の孫。明治26年(1893)の生まれで、光雲に学びました。10歳年長の光太郎とも交流があり、戦後は花巻郊外太田村に隠棲していた光太郎の元を訪れたりもしています。その際に贈られた晴雲作の観音像が、花巻高村光太郎記念館さんに所蔵されています。




















