NHKEテレさんで、本日放映の日曜美術館「一刀に命を込める 彫刻家・高村光雲」を観ました。

いつもながらに丁寧な番組造りで、高村光雲という巨匠の生きざまが、しっかりと浮き彫りになっていました。
代表作「老猿」や「矮鶏」、東京美術学校として取り組んだ「楠木正成像」など、そして息子・光太郎の視点を通じ、「職人」なのか「芸術家」なのかという問に対する答えを導き出そうという試みがなされていました。結論としては、単に旧来の江戸の伝統を守るだけでなく、文明開化によって流入してきた西洋美術の方向性も取り入れようとしたその姿勢が高く評価されていました。


軸足を旧来の伝統に置きながら、新しい西洋の美も取り込もうとした光雲。ロダンをはじめとする西洋近代美術を自己の核として、しかし幼い頃から叩き込まれた日本の良き伝統も忘れなかった光太郎。言い換えれば、単なる守旧にとどまらなかった光雲と、軽薄な西洋かぶれに終わらなかった光太郎。結局、光雲と光太郎は表裏一体なのではないかと思います。

番組では、開創1200年を迎え、特別開帳された光雲晩年の作である高野山金堂の秘仏も紹介されました。ここにも単なる守旧にとどまらなかった光雲の真髄が表されているように感じました。

そして、石橋蓮司さんによる、昭和4年(1929)の『光雲懐古談』などからの朗読。ぴったりでした。

再放送が来週日曜日、6月7日の20時00分から、やはりNHKEテレさんです。ご覧になっていない方、ぜひご覧下さい。
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 5月31日
昭和25年(1950)の今日、細川書店から日本ペンクラブ編纂『現代日本文学選集Ⅺ 現代詩』が刊行されました。
光太郎作品「冬が来た」「秋の祈」「山麓の二人」「雷獣」が収められました。



。光太郎も寄稿しています。





が、おそらく明治末のものです。




下さり、ありがたいかぎりです。いつも同じようなことを書いたり喋ったりしていますが、どこの新聞にも光太郎智恵子の名がまったく載らない、という事態にはなってほしくないものです。当方の活動がそのための一助と成れば幸いです。







光太郎数え16歳、東京美術学校の予備ノ課程に在学中でした。「乙 高村光太郎」と署名があります。他の作品では「予備科乙」となっているものがあり、「乙」はクラス名のようです。

































































です。面影が残っていますね。
を持つ詩人。光太郎と草野心平の出会いを演出しました。























の『日本詩集 1923版』が刊行されました。






























に送り届けられたりした書が4点、光太郎からの書簡が10通、光太郎から贈られた献呈署名入りの中央公論社版『高村光太郎選集』全六巻、それらが小包で届いた際の包み紙(宛名や差出人の部分が光太郎筆跡)、鉄道荷札。さらに、光太郎歿後に、特に高村家にお願いして鋳造させて貰ったという、ブロンズの「大倉喜八郎の首」など。









































