2015年01月

1/28、今週水曜日の『朝日新聞』さんの千葉版に、以下の記事が載りました。 

千葉)福島の詩を希望の歌に 松戸の市民合唱団

 松戸市を拠点に活動する「東葛合唱団はるかぜ」が、6月の25周年記念コンサートで、東日本大震災と原発事故で大きな被害を受けた福島県の子どもらの詩に曲を付けた音楽構成作品「僕らの出番がきっとくる!」を歌う。1月から記念コンサートに向けた練習を始めた団員たちは、「子どもや大人の心が響き合うやさしい曲で、南相馬との架け橋になるコンサートにしたい」と意気込んでいる。

 「はるかぜ」は1989年に発足。2年に1回コンサートを開いており、12回目となる今回を25周年記念と位置づける。

 東日本大震災後、合唱団は2012年3月から南相馬市の仮設住宅を訪れ、歌による交流を続けている。訪問は10回を超え、交流が深まるにつれ心の中を打ち明けてくれる人も増えてきた。母を一人仮設住宅に残し南相馬を離れて申し訳ないとわびる、娘からの手紙を見せてくれたお年寄りもいる。「はるかぜ」団長の太田幸子さん(68)は「まだまだたいへんなのに、私たちが逆に、福島の人たちに生きる力強さを教えられることも多い」と話す。

 そんな団員たちが、14年4月に紹介されたのが、福島県の子どもたちが17字の詩に家族や地域で経験したさまざまなこと、その時の思いなどを表現した文集。同県教育委員会が02年度から取り組んでいる「十七字のふれあい事業」で、子どもが五・七・五で作った詩に、家族や地域の大人らが返歌したものが一つの作品になる。手にした南相馬など相双(そうそう)地域の10~13年度の文集には、亡くなった家族や友人、離れて暮らす古里への思い、悲しみの中で希望を見つけてなんとか前を向こうとする気持ちなどを表現した作品が詰まっていた。

 家の跡涙をふいて手をつなぐ(中学3年) 大津波心の痛みも連れていけ(祖父)
 ほうしゃのうひなん先から祖母思う(小学5年) 大震災離れてわかる家族愛(祖母)
 十年後僕らの出番がきっとくる(小学4年) その笑顔明るい未来の道開く(母)

 記念コンサートでは団員たちが選んだ18作品を取り上げる。詩には合唱団の指揮者で作曲家の安藤由布樹さん(53)=東京都=が曲を付けた。

 1月18日、明市民センターでの第1回練習には団員や、作品を歌うために集まった市民ら約80人が参加。練習中、安藤さんは、高村光太郎の詩集「智恵子抄」を例に挙げ、団員たちに「古里の福島を自慢した智恵子がもしかしたら立ち、美しいと感じていたかも知れない場所に、今は放射線量を知らせるメーターがある。その思いを込めて歌おう」と呼びかけた。

 記念コンサートは6月7日、森のホール21(松戸市千駄堀)。合唱の参加者も募集中。問い合わせは太田さん(047・384・4759)。(小渕明洋)

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もうあと1ヶ月ほどで、「あの日」から4年になります。しかし、進まぬ復興、反比例して風化する記憶、被災地とそれ以外の温度差、逆行する政策……。そうした中で、こういう取り組みには頭が下がります。

同じ1/28の『朝日新聞』さんの、全国版社会面には、やはり福島の被災者の方々が作った詩について、以下の記事が載りました。

吉永小百合さんが朗読 原発被災者らの詩をCDに

 原爆投下と終戦の年に生まれ、広島・長崎004の原爆詩の朗読を続けてきた俳優の吉永小百合さん(69)が福島第一原発事故の被災者らの詩を朗読し、CDに収録した。「第二楽章 福島への思い」と題し、東日本大震災から4年になる3月11日に発売される。吉永さんは「今も故郷に戻れない福島の方たちの思いを私たちみんなで受け止め、寄り添えれば」と願っている。

 吉永さんは1986年、戦争や原爆の過ちを二度と起こさないために原爆詩の朗読活動を始め、97年に「第二楽章」(広島編)、99年に「第二楽章 長崎から」のCDを出した。2006年には「第二楽章 沖縄から」も作製。「第二楽章」の名には「戦後50年を経た今は第一楽章ではなく第二楽章。声高ではなく、柔らかい口調で語り継いでいきたい」との思いがこもる。

 3・11以降は、福島での被災後にツイッターで発信し続けた和合亮一さんや福島県富岡町を追われた佐藤紫華子(しげこ)さんらの詩も朗読。広島と長崎、沖縄、そして福島で起きたことを「忘れない、風化させない、なかったことにしない」とする吉永さんは、福島の人々の詩を「CDに」との思いを募らせていた。

 吉永さんはCD収録前の昨年末、帰還困難区域がある福島県葛尾(かつらお)村を訪れた。今月、東京都内で取材に応じた吉永さんは「一回行ってみないと本当の悲しみが分からないんじゃないかと思って。想像以上のショックでした。もうすぐ4年なのに何も変わってない」と語り、心を痛めていた。

 さらに「今3・11の事故後に思うのは、これだけ小さな国で、地震がいっぱいある風土で、原発というのはやめてほしい、と私は思いますね。人間が安全に暮らしていくためには、もっともっと私たちが工夫しなければいけないと思うんです」と強調した。
     ◇
 「第二楽章 福島への思い」の詩は23編。和合さんの詩や和合さんが指導する「詩の寺子屋」の子どもたちの作品など約300の最終候補から吉永さんが選んだ。音楽は尺八演奏家の藤原道山(どうざん)さん(42)に依頼した。CDはJVCケンウッド・ビクターエンタテインメントから発売。挿絵はスタジオジブリ作品の美術監督を務めた男鹿和雄さん。

 3月10日には東京・千駄ケ谷の津田ホールで「吉永小百合朗読会」を開く。CDつき5千円。公演の問い合わせは日本伝統文化振興財団(03・3222・4155)、チケット予約は0570・08・0089へ。


もしかしたら光太郎がらみ、「智恵子抄」がらみの詩も含まれているかと期待しています。というのも、和合亮一氏が関係されているためです。氏はやはり光太郎ファン的なところがありますので、このブログにもたびたびご登場いただいています。


まあ、そうでなくとも素晴らしい取り組みです。吉永さん、ありがとうございます。

ちなみに3月10日の朗読会のチケットは既に完売しています。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月31日

明治43年(1910)の今日、光雲が東京美術学校校長代理を命ぜられました。

正木直彦校長が英国出張ということで、その間の措置でした


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こちらに伺うのは、平成15年(2003)年に「高村光太郎・智恵子展」が開催されて以来ですので、12年ぶりでした。

一昨日は、当方の住む南関東でも朝方に少し雪が積もり、今日は雨です(都心では雪のようですが)。しかし昨日はよく晴れていたので、助かりました。

館内に入って、突きあたりの大きな窓にプリントされた心平の詩「猛烈な天」そのままの青空でした。

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     猛烈な天

 血染めの天の。
 はげしい放射にやられながら。
 飛び上がるやうに自分はここまで歩いてきました。
 帰るまへにもう一度この猛烈な天を見ておきます。

 仮令無頼であるにしても眼玉につながる三千年。
 その突端にこそ自分はたちます。
 半分なきながら立つてゐます。
 

 ぎらつき注ぐ。
 血染めの天。
 三千年の突端の。
 なんたるはげしいしづけさでせう。

さて、「平成26年度所蔵品展 草野心平と高村光太郎 往復書簡にみる交友」。

タイトルに「往復書簡」とあるように、メインは光太郎と心平の間に交わされた約40通の書簡でした。期間は昭和23年(1948)から同27年(1952)、光太郎が花巻郊外太田村の山小屋に隠棲していた時期のものです。

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展示された光太郎から心平宛の書簡は、全て筑摩書房『高村光太郎全集』第15巻に収録されているもの。心平から光太郎宛の書簡は二玄社から刊行され、のち講談社文芸文庫で再刊された心平の『わが光太郎』に収録されています。

したがって、初めて読むものではないのですが、やはり一通ごとの細かな内容までは暗記していませんでしたし、何よりバラバラに読むのではなく、往復書簡として交互に読むことで、一連のドラマのように感じました。また、やはり活字で読むよりも、自筆の筆跡として読む方がはるかに両者の体温、息づかいといったものが伝わってきます。もっとも、見慣れた光太郎の筆跡はともかく、心平の字は達筆すぎて中々読めませんでした。しかし、パネルに活字で翻刻してあり、助かりました。

ちょっと驚いたのは、心平から光太郎宛の書簡の多くに、光太郎の筆跡で年月日がメモしてあること。ある意味几帳面な光太郎の性格が見て取れます。

自らの戦争責任を恥じて岩手の山中に隠棲する光太郎に、心平は繰り返し帰京を促しています。しかし光太郎は、何やかやと理屈をつけ(時には屁理屈も)、かわしています。最終的には十和田湖畔の裸婦群像(通称「乙女の像」)制作のため、帰京することになるのですが、そこにいたるまでの光太郎の内面がよく読み取れます。読んでいて、涙が出そうになりました(笑)。

その他、両者がお互いのために手がけたりした書籍、雑誌の類、心平の自筆の日記、光太郎の彫刻も並んでいました。

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改めて二人のつながりの深さが実感できました。

その後、常設展を拝見。以前に訪れた時よりも凝った展示になっており、感心しました。

3月22日(日)までの会期です。ぜひ足をお運びください。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月30日

昭和24年(1949)の今日、眞善美社から新日本文学会詩研究会編『近代詩人研究』が刊行されました。

岡本潤が概論を書き、光太郎、藤村、鉄幹、白秋、朔太郎、賢治、啄木ら10人の詩人について、秋山清、小野十三郎らが論じています。光太郎の項は、遠地輝武が執筆しました。

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まずは新刊紹介です。

YAMAKEI CREATIVE SELECTION Frontier Books 山小町 -恋-

やぎた 晴著   山と渓谷社刊   発売日:2014年12月19日   定価 1,900円+税

版元サイトより

雄大な山に抱かれて成長するひとりの女性の姿を描く山岳小説。

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京都在住の保母にして山ガール・佳子と、安曇野出身で現在は東京でサラリーマン生活を始めた春生。ともに思い立って単独行に入った北アルプスで出会い、恋に落ちるというストーリーです。

台風の接近に伴う暴風雨に見舞われ、ハラハラドキドキの展開になります。このあたり、「タイタニック」を髣髴とさせますが、貴族の娘とプータロー、大惨事といったケレン味はなく、あくまで現実にありそうな話です。

また、明記されてはいませんが、昭和40年代が舞台のようで、レトロ感もあふれています。「歌声喫茶」「ラッパズボン」「おさげ髪」etc。

上高地も舞台の一つとなります。そこで、大正2年(1913)、光太郎智恵子が婚前旅行で上高地に1ヶ月程をともにしたことに、少しだけ触れられています。

ところで驚いたのは、オンデマンド出版であること。デジタル版と紙媒体があり、紙媒体の方は注文を受けてから製本、発送するというシステムになっています。楽譜などは以前からそういう形態で販売されていますが、通常の書籍もこうなってきたか、という感じです。

ところで「上高地」ということでもう1件。005

『山小町―恋―』版元の山と渓谷社刊行の雑誌『山と渓谷』と並ぶ有名な山岳雑誌に『岳人』があります。来月発行の3月号で、「言葉の山旅 山を詠う―上高地・北アルプス編―」という特集が組まれます。

今月号に載った次号予告には、「山を想えば人恋し、人を想えば山を恋し」。山々は時代を問わず人の心をひきつけてやまない。山を詠い、人を詠い、自らの心を詠う。詩人たちが綴る言葉の世界に導かれ、山へ思いを馳せてみませんか。」とあります。

この中で、光太郎智恵子も扱われます。実は、岩手花巻の㈶ 高村光太郎記念会さんを通じ、当方に執筆依頼がありました。光太郎詩文と拙稿とで8ページ程になります。

光太郎智恵子以外には、若山牧水を取り上げるそうです。

発売は2月14日。大きな書店なら店頭に並びますし、アウトドア用品メーカーのモンベルのショップにも並びます。また、ネット通販でも入手可能。ぜひお買い求め下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月29日

大正5年(1916)の今日、美術評論家の坂井犀水の慰労会に出席、彫刻「ラスキン胸像」を贈りました。

下記は当時の『読売新聞』です。

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「ラスキン胸像」は、ニューヨークで光太郎が師事したガットソン・ボーグラムの模刻です。

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まずはテレビ放映情報です。 

にほんごであそぼ

NHK Eテレ 2015年1月30日(金)  6時35分~6時45分  再放送 17時15分~17時25分
 
2歳から小学校低学年くらいの子どもと親にご覧いただきたい番組です。日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら“日本語感覚”を身につけることができます。今回は、ひこうきさんようしゅんしゅん旬~冬~/ゆきまつり、絵あわせかるた/きっぱりと冬が来た「冬が来た」高村光太郎、擬音アニメ/ちろんろん(粉雪)、うた/ペチカ、こころよ。
出演者 神田山陽,うなりやベベン,おおたか静流 ほか

1月16日に放映された内容と、全く同一のようです。光太郎の詩「冬が来た」が繰り返し扱われました。

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こういう番組を見て童心に返るのもいいものです。

ところで、ふと気になって、この番組の公式サイトを見てみたところ、新作のDVDが出ていました。光太郎がらみが2種類です。 

にほんごであそぼ ありがとう・童謡

販売価格 3,024円(税込) 004
 
人気幼児番組「にほんごであそぼ」最新の“うたのベスト”人気の番組オリジナル曲を集めた楽曲群と古くから歌い継がれてきた童謡をそれぞれ20曲収録した豪華版!

 【収録内容】
■オリジナル曲
ベベンのありがとう/とんでれみら/すずめのこ/ちゃわんむしのうた/雲/山のあなた/らららのら/ええじゃないか日本/いろは!/竹/ことわざしりとり/やまなし/ふるさとのうた/きりぎりすの山登り/道程/キックキックトントン/でんでらりゅうば/さよなら/小さき者へ/サーカス (全20曲)

■童謡
早春賦/朧月夜/あわて床屋/ずいずいずっころばし/茶摘み/毬と殿さま/マーチング・マーチ/夏は来ぬ/浜辺の歌/夕日/鉄道唱歌/どじょっこふなっこ/村祭/故郷/通りゃんせ/旅愁/冬景色/スキー/ペチカ ほか (全20曲)

【出演】
うなりやベベン、おおたかしずる、小錦八十吉、松元ヒロ、ラッキィ池田、藤原道山、立川志の輔、こどもたち ほか

【特典映像】
「珍・だくだく」(立川志の輔のオリジナル落語)

○2012~2014年 放送 収録時間本編80分+特典10分/16:9LB/ステレオ・ドルビー/カラー

「道程」は坂本龍一さんの作曲です。以前にご紹介した「にほんごであそぼ~元気コンサート in福島」というDVDにも収録されています。哀愁を帯びたジャジーなメロディーで、子供向けだからといっての妥協がありません。
販売価格 3,024円(税込) 

小錦八十吉、野村萬斎、おおたかしずる、うなりやベベンに加え、古典芸能の重鎮たちが勢ぞろい。豪華キャストでお届けします!好評の童謡や文楽もDVD初登場!

【収録曲】005
・なぞなぞなーに ~見えぬけれどもあるんだよ~
・うれしやかぶき ~知らざぁ言って・石川五右衛門~
・朧月夜
・おくのほそ道 ~春~
・うなりやベベンの平家物語
・茶摘み
・そうとうほんきの助数詞マンボ
・はやくち音頭
・まんじゅうこわい ~落語より~
・なぞなぞなーに ~牛が鳴きながら~
・ポッシャリ、ポッシャリ ~「十力の金剛石」~
・吾れ十有五にして…
・なぞなぞなーに ~うつくしや~
・じゅげむじゅげむ(アニメバージョン)
・おくのほそ道 ~夏~
・鉄道唱歌
・草にすわる
・蟻とイナゴの事
・なぞなぞなーに ~ひとつの愛~
・たのしやかぶき ~切られ与三・武蔵坊弁慶~
・ベベンの冬が来た
・夕日
・星めぐりの歌(コニちゃんバージョン)
・ベベンの草枕 

【出演】
小錦八十吉/神田山陽/市川亀治郎/豊竹咲甫大夫/鶴澤清介/桐竹勘十郎
野村萬斎/万作の会/うなりやベベン/おおたかしずる/こどもたち

【特典映像】
・文楽:春雨じゃ…/駆け込み訴え/世界は一つの…/小さき者へ
・萬斎:私と小鳥と鈴と/からだことば(目)/ややこしや ~堕落論~/合点か(はじめちょろちょろ)/かなしみはちからに
・元気コンサート!(未放送映像)


○2011年 放送 収録時間本編49分+特典25分

「ベベンの冬が来た」は、1/30の放映でも流れます。こちらは楽しいロック調です。

こういうものを介し、幼少時から日本の有名な文学作品等に親しむことも大切だと思います。特に子育て中の方、ぜひお買い求めを。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月28日007

平成4年(1992)の今日、東京渋谷の津田ホールで「第7回森田澄夫テノールリサイタル」が開催されました。

第一ステージが、「――愛と狂気、そして戯れ――」と題され、中島はる作曲の歌曲「智恵子抄」(委託初演 「人に」「樹下の二人」「千鳥と遊ぶ智恵子」「レモン哀歌」)、別宮貞夫作曲の歌曲「智恵子抄」(抜粋―「人に」「あどけない話」「
人生遠視」「山麓の二人」「レモン哀歌」)が演奏されました。

プログラムには北川太一先生の玉稿「弾む期待――森田澄夫氏の『智恵子抄』に寄せて――」も掲載されました。

一昨日の『朝日新聞』さんの福島県版に、下記の記事が載りました。以前にもご紹介した二本松の「あだたら恋カレー」にも触れています。 

福島)中通り北部を売り込め 住民らが知恵絞る

 「八重の桜」や「フラガール」とまではいかなくても、もう少し全国的に知名度の高い観光の目玉を、中通りの北部にも。住民らによるそんな取り組みが、広がりつつある。人口の少ない中山間地ならではの魅力を売り込もうと、知恵を絞っている。
 
 「伊達の名物はあんぽ柿や桃だけじゃない。『いかにんじん』は実は松前漬けの元祖」「日本初の五つ子が生まれたのは梁川」「産業伝承館の農家レストランに行くと、90歳近い名物のおばあさんに会える」
 
 今月20日、伊達市で開かれた「阿武隈おもてなし人(びと)ゼミナール」。旅館や観光会社の社員、郷土史研究会のメンバーら多彩な顔ぶれの参加者が、伊達市の「名物」をあげていった。
 
 ゼミナール開催は4回目。町おこしに取り組むNPO法人「いいざかサポーターズクラブ」が県北地方振興局の委託を受け、昨年12月から開いて004いる。国道349号に沿った福島市、伊達市、二本松市、本宮市、川俣町の中山間地で、なにが「観光の目玉」にできるかを考える。これまでに数十人が参加した。
 
 参加者はまず、それぞれが思い思いの「名物」をシールに1項目ずつ書き、大きな紙に貼り付ける。その後、シールを「史跡」「自然」「花」「食べ物」など関連があるものごとにまとめ、「化石発掘ツアー」「伊達の地酒3本セット」など、複数の名物を組み合わせたパッケージがつくれないか、考えていく。
 
 「ふくしま農家の夢ワイン」の社員、熊谷耕平さん(26)は昨年12月、地元の二本松市で開かれたゼミナールに参加した。
 
 「仕事も年齢層も違う人たちと意見交換ができて、刺激になりました」
 「農家の夢ワイン」では、地元の農家が栽培するリンゴを原料に発泡酒「シードル」をつくっている。地元に来て買ってもらいたいと、問屋に卸すのではなく、地元の料理店や道の駅中心に出している。
 
 「シードル工房を見学に来たグループには、スタッフ手づくりの料理をふるまうなどのもてなしもしています。より参加型、体験型の販売方法も考えていきたい」と熊谷さん。
 
 NPO法人「ゆうきの里東和」は同じ二本松市で、地域の特徴を生かした観光に早くから取り組んできた。かつて養蚕業が盛んだった東和地区の歴史を踏まえ、「桑の葉茶」などを開発。国道349号沿いで運営する道の駅「ふくしま東和」には、地元産の野菜やシードルなどが並ぶ。
 
 最近は「あだたら恋カレー」と「酒粕(さけかす)アイスクリーム」を売り出した。カレーの名前の由来は、同市出身の画家・高村智恵子と夫で詩人の光太郎との「恋」。加えて、地元産ハーブの味が「濃い」、具だくさんで内容が「濃い」、お客さんよ「来い」という意味が込められている。
 
 震災後の2012年から農家民宿も始めた。農家に泊まり、地元の新鮮な野菜料理を堪能し、希望者には農作業も体験してもらう。
 
 震災後、福島産の野菜が売れなくなった。ゆうきの里東和理事長の武藤一夫(いちお)さん(62)は「われわれがどのように野菜をつくり、検査しているのか。目で見て知ってもらい、福島の農家と交流してもらうことを主目的でやっています」。
 
 農家12軒でスタートし、いまは16軒に増えた。 

 いいざかサポーターズクラブの藤原純理事長は「意識していなかった地元の名所や名物に気づき、有機的に組み合わせて新たな観光資源を生み出す。ゼミナールを、その端緒にしてほしい」と期待する。
 
 国道349号北部の観光施設32カ所によるスタンプラリーも昨年12月下旬から始まった。3月6日まで。(大岩ゆり) 
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頑張って下さい。応援しています。
 
 
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月27日

昭和25年(1950)の今日、詩人で編集者の八森虎太郎からストーブを貰いました。
 
光太郎は日記以外に、書簡類の授受を詳細に記録した『通信事項』というメモを遺しています。昭和24・25年(1949・1950)は書かれたはずの日記が失われており、それを補完する意味で、筑摩書房『高村光太郎全集』の第13巻に、この2年分が収められています。
 
そちらの記述がこちら。
 
一月廿七日
〔受〕ストーヴ一揃、運送屋岡本さんがソリにて運びくる、北海道八森虎太郎氏より贈られしもの、但し小屋にては使用不能につき、学校に寄附のつもりで学校に届けてもらふ、
 
さすがにこの山小屋ではストーブは設置できなかったようです。
 
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昨日は、千葉市中央区、千葉港近くの千葉県立美術館に行って参りました。
 
一昨年、「生誕130年 彫刻家高村光太郎」展が開催されたのは、市立美術館。こちらは県立美術館です。 
 
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同館は耐震改修工事のため、一昨年1月か004ら休館していましたが、工事も終わり、一昨日がさらに開館40周年記念も兼ねての再オープンでした。
 
再オープンを祝って、千葉県のゆるキャラ・チーバくんも来館(笑)。真横から見ると千葉県の形をしているというすぐれものです。よく間違われるのですが、決してメタボ犬ではありません。第一、「犬」でもありません。「不思議ないきもの」です。

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 ちなみに当方自宅兼事務所はチーバくんの耳の付け根あたりです。
 
さて、千葉県立美術館。再オープン記念のメインの企画展は、「開館40周年記念特別企画展 平山郁夫展 -仏教伝来の軌跡、そして平和の祈り-」(1月24日~3月22日)です。平山氏は生前、千葉県にご在住でした。
 
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 もともとそちらが第一の目的ではなく、同時開催の同館所蔵品による「アート・コレクション」(1月24日~3月29日)を見に行くつもりで出かけました。
 
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事前に詳細が不明でしたので、このブログでご紹介しませんでしたが、光太郎彫刻も展示されるはず、と思って行きました。なぜそう思ったかというと、新しい鋳造ですが、同館では光太郎彫刻を7点ほど持っていることを知っていたためです。
 
「アートコレクション」は「千葉県立美術館名品展」と「彫刻」に分かれており、光太郎作品が並ぶなら「彫刻」だろうと思っていましたが、あにはからんや、「千葉県立美術館名品展」の方に出品されていました。光太郎代表作の一つ、「手」です。有名な作品だけあって、人だかりがしていました。
 
他には光太郎作品は出ておらず、ちょっと残念でしたが、「名品展」と謳うだけあって、日本画、洋画、彫刻、工芸、書、版画の五分野で、たしかにいいものがたくさん出ていました。
 
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工芸のコーナーでは、光太郎の実弟にして鋳金の人間国宝・高村豊周の作品も展示されていました。また、石井柏亭、梅原龍三郎、岸田劉生、中西利雄、柳敬助、佐藤忠良、舟越保武など、光太郎と交流のあった作家の作品も数多く並んでいたので、興味深く拝見しました。

さらに同時開催で、パネル展「千葉県立美術館40年の歩み」(1月24日~4月4日)もありました。40年間に開催された企画展のポスターや図録などが展示され、昭和56年(1981)に開催された企画展「高村光太郎、その芸術」の、「手」を使ったポスターも貼られていました。他にも移動美術館のポスター類も展示されていて、やはり「手」をあしらったものもあり、嬉しくなりました。
 
最後に「平山郁夫展」を見ました。「仏教005伝来の軌跡」ということで、有名なシルクロード系の連作が中心でした。柔らかなタッチと、奇をてらうことのない画風には、やはり好感が持てました。
 
青森十和田の奥入瀬渓流を描いた「流水間断無」も展示されていました。なぜ? と思いましたが、大陸の乾いた沙漠を長く旅した後は、日本の水と緑の風景が恋しくなったそうで、ある意味、対になる作品ということになるわけです。そういえば、昨年、テレビ東京系「美の巨人たち」で紹介された時も、そういう話になっていました。
 
さて、千葉県立美術館。ぜひ足をお運びください。
 
 
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月26日

大正14年(1925)の今日、『読売新聞』に、散文「自刻木版の魅力」が掲載されました。
 
光太郎が唯一、版画をメインに語った散文です。自身、葉書や自著等の題字(『典型』など)、さらには関東大震災直後に智恵子の実家・長沼酒造の銘酒「花霞」を東京に取り寄せて販売した時の引札などで、木版を手がけました。
 
この文章は、同じ年の雑誌『詩と版画』、昭和6年(1931)の同じく『線』に転載されました。

1月も最終週となりました。2月のイベントを少しずつご紹介します。 

十和田湖冬物語 2015

【期間】
 2015年2月6日(金)~2015年3月1日(日)

十和田湖のシンボル「乙女の像」のライトアップや、幻想的なイルミネーション各イベント等が楽しめます。厳冬期に打ち上げられる冬花火は、湿度が低く空気が澄んでいる為、甲高くまた外輪山にこだまし、夏とは趣が違います。ぜひ、ご来場ください。

【会場】
 十和田湖畔休屋 特設イベント会場無題
[住所]
 〒018-5501 十和田市十和田湖畔休屋
【開催時間】
土、日、祝日  11:00~21:00
 平  日    15:00~21:00
【主催】
十和田湖冬物語実行委員会
【お問い合わせ】
一般社団法人十和田湖国立公園協会(十和田湖総合案内所)
  ☎ 0176-75-2425   Fax 0176-70-6002
 
【イベント内容】
■冬花火:期間中毎日 20:00~20:10004
■乙女の像ライトアップ:期間中毎日 17:00~21:00
■光のゲート&光のトンネル:期間中毎日 17:00~21:00
■イルミネーション・ライトアップ:期間中毎日 17:00~21:00
■ゆきあかり横丁:平日15:00~21:00、土日祝11:00~21:00
■酒かま蔵:期間中毎日 19:00~21:00
■かまくらBar&足湯:期間中毎日 18:00~21:00
■バナナボート:金・土・日・祝 11:00~19:00
■ホーストレッキング:土・日・祝 10:00~15:00
 
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昨年の「十和田湖冬物語2014」にお邪魔しました。やはりとてつもなく寒いのですが、なかなか活気に溢れたイベントでした。もう寒いのは当たり前なんだから、寒いのを楽しんでしまえ、という感じですね。
 
会場へのアクセスは、公共交通機関ですと、秋田鹿角方面からと、十和田市方面から、それぞれシャトルバスが出ているようです。また、ホテルのバスが青森・八戸方面にも運行されているようです。
 
ぜひ足をお運びください。
 
 
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月25日005

昭和19年(1944)の今日、光太郎が序文を執筆した池田克己詩集『上海雑草原』が刊行されました。
 
池田は明治45年(1912)生まれの詩人。特殊建設の現場監督として徴用され、中国大陸に渡っての経験を記した詩集です。
 
無事に帰還し、戦後は雑誌『日本未来派』を創刊したり、花巻郊外太田村の光太郎の山小屋に足を運んだりしましたが、昭和28年(1953)、数え42歳で急逝しています。

長野県の松本平地区で発行されている『市民タイムス』という地方紙があります。そちらの一面コラム「みすず野」で、昨日、光太郎に触れて下さいました。 

みすず野 1月23日(金)

雪はしんしんと降る、と言う。雨はさんさん、ざんざんであり、日はさんさんと照る、と言う。日本語の表現は多様で、美しく、趣深い。雪のしんしんは、漢字では「深深」、夜がしんしんと更ける、しんしんと冷えると同じで、ひっそり静まり返るさまを表す◆確かに、雪が降り積もる日は、昼間でも車のエンジン音など音が吸い込まれて、とても静かである。「雪白く積めり。/雪林間の路をうづめて平らかなり。/ふめば膝を没して更にふかく/その雪うすら日をあびて燐光を発す。(後略)」と詠ったのは、詩人で彫刻家の高村光太郎だ◆光太郎は、昭和20(1945)年4月の東京空襲で焼け出され、宮沢賢治との縁で岩手花巻に疎開、敗戦後は花巻郊外の山小屋に移り、独り農耕自炊の生活を7年間続けた。冬は深い雪に閉ざされ、つらく厳しいものだったが、自らに戦争責任の罪を科した。「雪白く積めり」の詩には、その覚悟が込められている◆中信地方も湿った雪が降り、交通機関は乱れ、多くの人が雪かきに追われた。山間部は大雪だろう。高齢者宅など心配になる。車の運転に焦りは禁物、余裕を持って出勤を。
 
 
引用されている詩「雪白く積めり」は昭和20年(1945)、花巻郊外太田村の山小屋に移って間もない頃に書かれたものです。この詩を刻んだ碑が、のちに山小屋近くに建てられ、毎年5月15日には、この碑の前の広場で光太郎を偲ぶ高村祭が行われています。
 
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こちらが、光太郎が暮らしていた当時の山小屋の写真。
 
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こちらは去年の今頃の山小屋の写真です。
 
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この冬は、東北でも信越方面でも積雪量が多く、雪崩などの被害もかなり報道されています。暦の上ではもうすぐ立春。気温はまだまだ低い状態ですが、昼間の陽射しには、確実に春の息吹が感じられます。雪国の皆さん、もう少しの辛抱です。
 
 
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月24日

昭和28年(1953)の今日、終の棲家となった中野のアトリエに、十和田湖畔の裸婦群像制作のための機材、資材類が届きました。
 
当日の日記から。
 
大宮工作所より回転台、心棒届く、又板も届く、 小坂さんくる、とりつけ夕方になる、
 
「小坂さん」は小坂圭二。裸婦像制作の際に助手を務めた、新制作派所属の彫刻家です。下の画像、左の人物です。
 
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「回転台」は、上の画像で、像の足もとに写っています。もともと軍用で、高射砲の台座に使われていたものだということです。

過日、今年のカレンダーについて書いた時に、「「乙女の像」など光太郎、智恵子作品が使われているカレンダーはないかと、ネットで探してみました。しかし、残念ながらヒットせず。」と書きましたが、なんと、十和田市の観光推進課さんから「乙女の像」の写真が載ったカレンダーが届きました。題して「2015・平成27年 十和田市の四季カレンダー」。
 
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表紙に「乙女の像」が載っています。
 
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各月ごとのページにも十和田の美しい風景が。
 
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写真は十和田出身のフォトグラファー・和田光弘氏の撮影です。調べてみると、「十和田市の四季カレンダー」は和田氏がずっと手がけられているようです。
 
発行元は十和田市となっています。しかし、ネットで検索しても詳しい情報がヒットしません。もっと大々的に売り出してもいいように思うのですが……。
 
各自治体でもこうした動きがもっと広まってもいいような気もします。手軽に「ふるさと」の良さをアピールできますし、時が経てば歴史的資料としての価値も出るのではないでしょうか。
 
また、東日本大震災の津波による甚大な被害を受けた宮城の石巻女川町などでは、震災前の町の姿を描いたカレンダーなどが発行されているそうです。こちらは個人がやっているようですが、もっと自治体が腰を上げてもいいような気がします。自治体が音頭を取って全国に販路を広げ、復興支援に役立てるということで。
 
以前にもご紹介した「復興デパートメント」というサイトがありますが、「カレンダー」で検索しても「HAWAII ALOHAカレンダー」しかヒットしません。なぜハワイ? という感じです。
 
東北の、特に各自治体の皆さん、ご一考を。
 
 
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月23日

昭和13年(1938)の今日、雑誌『国語特報』にエッセイ「小刀の味」が掲載されました。
 
ここでいう「小刀」は木彫に使う彫刻刀です。
 
書き出しは以下の通り。
 
 飛行家が飛行機を愛し、機械工が機械を愛撫するように、技術家は何によらず自分の使用する道具を酷愛するやうになる。われわれ彫刻家が木彫の道具、殊に小刀(こがたな)を大切にし、まるで生き物のやうに此を愛惜する様は人の想像以上であるかも知れない。
 
なかなか味わい深い文章です。青空文庫さんで全文が読めます。

智恵子の故郷・福島二本松で智恵子の顕彰活動を続けられている「智恵子のまち夢くらぶ」さんから、『発会10周年記念誌』をいただきました。
 
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平成17年(2005)の結成からの年表、会員・004会友の皆さんの文章、さらに会のイベントなどで協力された方々の寄稿も多く、読みごたえがあるものです。ほぼ全ページカラーで、ビジュアル的にも面白く感じました。
 
拙稿も載せていただきました。二本松市長さんなどのお偉方の玉稿より先に掲載していただき、恐縮しております。そういうことならもっと真剣に書いたのですが(笑)。
 
また、昨年逝去された光太郎の令甥・高村規氏が、ご生前、会に送られた書簡なども掲載されています。会の皆さんがパリの光太郎の足跡を辿る研修旅行に行かれるというので、資料を送付なさった際のもの。しみじみとした気持ちにさせられました。
 
こうした地道な活動がないと、地元であっても先人の功績は忘れ去られて行ってしまいます。智恵子の名を100年後、200年後に伝えるためにも、さらに頑張っていただきたいものです。
 
 
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月22日
 
昭和30年(1955)の今日、長野県の上木島村・往郷村・穂高村組合立中学校(現・安曇野市立穂高東中学校)で、光太郎が題字を揮毫した荻原守衛作の彫刻「坑夫」が除幕されました。
 
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この題字のプレートが光太郎の揮毫です。
 
守衛を援助した新宿中村屋の相馬黒光による碑陰記がこちら。
 
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曰く、
 
「坑夫」は明治四十年荻原守衛が滞仏中の作品で我国に近代彫刻の道を拓いた不滅の傑作である
この度作者の郷里に学舎が設けられたのを祝って遺族荻原家が原作を提供し学校が之を銅像として建てたのはその雄渾な精神を以て深く子弟を薫育し郷土の宝として永久にこの作を伝えん為であって誠によろこばしい事である
昭和廿九年四月 相馬黒光
 
もともとこの彫刻は、黒光の文章にもあるとおり、守衛滞仏中の習作です。明治40年(1907)11月、留学でロンドン滞在中だった光太郎が、同じく留学でパリにいた守衛のもとを訪れ、粘土で作られたこの彫刻を目にし、「ぜひ石膏に取って日本に持ち帰るように」と進言したそうです。約50年を経て、その彫刻の題字を揮毫したというわけです。
 
ただし、もはや光太郎の健康状態は、この除幕式への参加を許しませんでした。

全日本合唱連盟さん刊行の季刊雑誌『ハーモニー』の171号(2015年冬号)が発行されました。
 
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昨秋、岩手県民会館大ホール他で行われた第67回全日本合唱コンクール全国大会のレポートが掲載されています。アルバム的なページが4ページと、「審査員座談会」ということで、全出場団体の講評が載ったページが約40ページ。
 
高校部門Aグループ(8~32人)で、光太郎作詞、鈴木輝昭氏作曲の「女声合唱とピアノのための組曲 智恵子抄」」から自由曲を選び、ともに上位入賞を果たした神奈川の清泉女学院高校さんと、北海道の帯広三条高校さんの分をご紹介します。
 
まず、「亡き人に」を自由曲に選び、金賞に輝いた清泉女学院さん。
 
清水敬一(合唱指揮者) 清泉女学院(神奈川)の課題曲の歌い出しはちょっと気持ちが硬かったかな。でも歌い進むにつれて安定して、指揮者と合唱団の関係性の良さが出ました。自由曲はクリアでバランスがいい。ダブルコーラスをかなり離した位置関係に置くことで、音空間的な立体感を出すことに成功したと思います。終盤に向かっての流れもとても良かった。ただ細部がやや粗く、瑕(きず)に聞こえてしまったのが残念。
本山秀毅(合唱指揮者) 響きが美しく高くて、アンサンブルを整えて、がならずに軽く音楽のメッセージを作る団体の筆頭。技術的に安定しているのもよくわかりました。こういう合唱団が注意しないと行けないのは硬い音になることですが、課題曲はやわらかく息で運ぶ配慮もあったし、ラストの和音も素晴らしかった。自由曲の思い切った配置は成功していたとぼくも思います。勇気が要るだけに敬意を表したい。エコーの効果もうまく出たしね。速いテンポの8分音符は、もっと言葉で動かしたら面白いのにな。無機的なものから有機的なものを生み出すというスタンスで歌うといいと思います。
 
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続いて、自由曲「レモン哀歌」で銀賞を獲得した帯広三条さん。
 
本山 北海道の響きって奥行きがあって澄んだイメージ。帯広三条(北海道)はその期待通り、響かせて歌うことを心得た演奏でした。課題曲はその特質を生かした清潔感のある音楽。自由曲はピアノの音と硬質の響きが一致して、抒情が生きた心地よいアンサンブルでしたね。これからは、その音をうまく使ってその先の表現をどうするかが課題だな。
清水 課題曲は言葉一つ一つに気持ちの揺れが表現されていて、同時にフレーズ全体が音楽的にまとめてある良い演奏。声部間のバランスもいい。自由曲は音楽の変化にもっと感情の変化を乗せれば、さらにドラマを抉(えぐ)れると思います。作品自体をよく捉えていましたが、自分たちが演奏するという方向にぐっと近づけることも可能じゃないかな。
 
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他の部門では、光太郎がらみの曲をあつかった団体はありませんでした。いろいろな作曲家の方が、光太郎の詩で素晴らしい合唱曲を作られています。全国の合唱団の皆さん、ぜひレパートリーに加えてみて下さい。
 
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そういうもののうち、同じ『ハーモニー』の171号(2015年冬号)中の「新刊楽譜」というページで、光太郎作詞、三好真亜沙さん作曲の「女声合唱とピアノのための「冬が来た」」が紹介されています。
 
こちらは昨年8月30日、四ッ谷の紀尾井ホールで開催された演奏会「The Premiere Vol.3 〜夏のオール新作初演コンサート〜」で初演されたものです。
 
さらに、一つ前の号ですが、『ハーモニー』170号(2014年秋号)には、「The Premiere Vol.3 〜夏のオール新作初演コンサート〜」のレポートも載りました。
 
 
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 また近くなりましたらご紹介しますが、3月には福島で「第8回声楽アンサンブルコンテスト全国大会 -感動の歌声 響け、ほんとうの空に。-」が開催されます。やはり「ほんとうの空」と銘打たれているのですから、光太郎詩による合唱曲が演奏されてほしいものです。
 
 
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月21日

昭和24年(1949)の今日、花巻郊外太田村の山小屋で、岩手時代7冊目の日記帳を書き終えました。
 
光太郎はしっかり日記を書く人でした。確認されている最も古い日記は、明治36年(1903)から翌年にかけての「彫塑雑記」と題されたもの。千駄木の実家に遺されていたため、現存します。ところがその後も、おそらく書いていたものの、昭和20年(1945)の空襲で灰になってしまったと推定されます。
 
同年、岩手花巻の宮澤賢治の実家に疎開してから、亡くなる昭和31年(1956)までの日記は計14冊遺されています。
 
ところが、66年前の今日書き終わった7冊目の後の、約2年分が失われています。昭和24年(1949)1月22日から同25年(1950)12月30日までの分です。25年12月31日から亡くなるまでの分は揃っています。その間、日記を書かなかったとは考えにくいのですが、現存が確認できていません。今もどこかに眠っているのではないかと推定されます。情報をお持ちの方はこちらまでご教示いただければ幸いです。
 
ちなみに66年前の今日書き終わった7冊目の最後はこうなっています。
 
一月二十一日、
曇、晴、凍結ナシ。 朝ハカキ書、クツ下つくろひ。黒クツ下。 ひる学校行。平賀先生が以前托した百円で明太の子を買つてきてくれる。 学校までの往復の雪道もかたまりて歩きよくなれり。 兎や狐の足跡此頃ふえる。 ひる小豆だんご。あたためてくふ。 午后はくらくてつくろひもの不適。 三時になるともう夕飯の支度。 ランプ掃除。其他。 六時過夕食。明太の子甚だ塩からく、大根おろしにてくふ。大根おろしの運動出血を誘ふおそれあり。長く出来ず。 今朝鼻血が少しく出でたり。 夜コタツにて読書。 風なし。 夕方村長さん宅の梅夫さん選挙入場券等を届けにくる。班長当番のよし。選挙明後日なり。<夕方便
 
こちらは翌年、手紙に書いた狐と兎の足跡の図です。
 
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先週の『福島民友』さんと『福島民報』さんの記事です。 昨年12月のこのブログでご紹介した、ほんとの空を守るPR隊 「二本松少年隊」に関して。 

「二本松少年隊」結成 3月のDCイベントでデビュー

 今春の大型観光企画「ふくしまデスティネーシ004ョンキャンペーン(DC)」に向け、二本松市の官民26団体でつくる「ふくしまDC二本松市推進委員会(通称・二本松おもてなし隊)」は10日、同市PR隊「二本松少年隊」を結成し、第1期隊士メンバー11人を発表した。
 同隊は二本松の「ほんとの空」を守り、二本松の素晴らしさを全国に伝えるのが役目。昨年11月から隊士(メンバー)を募っていた。
 メンバーは3月29日に同市の市民交流センターで開かれるDCスタートイベントでデビューする。今後、土、日曜日、祝日の活動を中心に殺陣やダンスなどのパフォーマンスを繰り広げ、4~6月のDC期間終了後も、年間を通じ各種観光イベントに参加していく。
 第1期隊士メンバーは、同市内外から集まった平均年齢21.2歳の16~31歳の高校生や大学生、会社員などの男性3人、女性8人。今後、2班に分かれての活動を基本に、それぞれ実際の二本松少年隊士にちなんだ名前を付ける。隊士に不足が生じた場合は第2期隊士の募集も検討する。
 同委員会会長の新野洋市長と二本松観光協会の安斎文彦会長は10日、同市役所で記者会見し、「新市合併10周年とDC本番に向け、少年隊士を顕彰しつつ、二本松の魅力を全国に発信していきたい」と語った。メンバーは「二本松の歴史を学びつつ、大好きな二本松を全国にPRしたい」と決意を新たにした。
(2015年1月11日 福島民友トピックス)
 

現代版「二本松少年隊」結成 古里PR いざ出陣!

 ふくしまデスティネーションキャンペーン(DC)に向け、二本松市推進委員会(二本松おもてなし隊)は市をPRする現代版「二本松少年隊」を結成した。10日、推進委員会長の新野洋市長が記者会見し、メンバーを発表した。
 「二本松少年隊」は二本松、郡山両市と大玉村の16歳から31歳までの男女11人。声優を目指す学生や演劇部に所属する高校生、国際協力機構(JICA)二本松青年海外協力隊訓練所の職員らで構成している。
 新野市長は「戊辰戦争で郷土を守るため若くして散った『二本松少年隊』の志を酌み、しっかりと市をPRするためのパフォーマンス集団にする。DCを盛り上げたい」と抱負を述べた。安斎文彦二本松観光協会長も同席し、メンバーを激励した。
 メンバーは今後、毎週土曜日を中心に、戊辰戦争や二本松少年隊などについての座学や殺陣の練習に取り組む。市内の劇団HEROS ACTION CLUB代表の広瀬和重さん(50)が殺陣などアクションを指導し、3月29日に同市市民交流センターでお披露目会を開く。DC期間後も年間を通じて活動し「二本松の菊人形」などのイベントにも参加する。メンバーは次の通り。
 中嶋哲也(二本松、JICA二本松)渡辺晴香(大玉、NOKエラストマー)栗城千鶴(郡山、郡山萌世高一年)鹿野ひとみ(二本松、MTS&プランニング)斎藤倫明(二本松、福島大四年)斎藤葵(二本松、安達高二年)鹿野康平(二本松、福島西高二年)菅野純麗(二本松、ケイセンビジネス公務員カレッジ)渡辺芽斐(二本松、二本松市臨時職員)斎藤美祐紀(二本松、障害者福祉施設・すばる)菅野愛華(二本松、安達高二年)
(福島民報 2015/01/11 08:22 )
 
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皆さん、凛々しいですね。今後の活躍に期待します。
 
ところで、記事中に出てくる「ふくしまデスティネーションキャンペーン(DC)」とは何ぞや? 
 
そもそもはJRさんの旅客6社(北海道・東日本・東北・西日本・四国・九州)と、指定された自治体等がタイアップして行う観光キャンペーンです。
 
今年度は新潟県、山形県、和歌山県、京都市が指定され、それぞれにいろいろなイベント等が行われました。来年度は、福島県、大分県、そして富山・石川・福井が3県合同で指定されています。
 
福島では「福が満開、福のしま。」をキャッチフレーズに、4月1日〜6月30日という日程で行われます。詳細はまたのちほどご紹介します。
 
 
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月20日

昭和18年(1943)の今日、青磁社から『続仏蘭西詩集』が刊行されました。 
 
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 左は函、右は扉の画像です。
 
光太郎翻訳のヴェルハーレン「午後の時」の14~24が掲載されています。1~13は、というと、これに先立つ昭和16年(1941)に同じ青磁社から刊行された『仏蘭西詩集』に掲載されています。
 
元々は『明星(第二期)』、『向日葵』、『至上律』などの雑誌に断続的に発表されたものです。

群馬からの企画展情報です。 

第87回企画展「近代を駆け抜けた作家たち~文豪たちの文字は語る~」

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会       場 群馬県立土屋文明記念文学館 群馬県高崎市保渡田町2000番地
会       期 平成27年1月17日(土)~3月22日(日)
開館時間  9:30~17:00(観覧受付は16:30まで)
休  館  日 毎週火曜日
観  覧  料 一般410円(320円) 大学・高校生200円(160円) 中学生以下無料
        ※( )内は、20名以上の団体割引料金
        ※障害者手帳等をお持ちの方とその介護者1名は無料
主  催 群馬県立土屋文明記念文学館
後       援 朝日新聞前橋総局 毎日新聞前橋支局 読売新聞前橋支局 上毛新聞社 桐生タイムス社
        NHK前橋放送局 群馬テレビ エフエム群馬 ラジオ高崎
 
文字は「書く」から「打つ」へ。私たちは自分の思いをペンや筆で綴ることが少なくなりました。
しかし、手書きの文字には活字にはない大きな魅力―力強さや温かさ―があります。
本展では、当館で所蔵している資料の中から、近代の文豪たちの直筆資料を多数ご紹介します。
夏目漱石、与謝野晶子、北原白秋、芥川龍之介、太宰治・・・・・・。
近代を駆け抜けた文豪たちの文字に、ぜひ会いに来てください。
原稿や色紙から感じられる、彼らの息づかい。編集者と交わされた葉書や封書からうかがえる、作品への思い。
きっと文豪たちの文字があなたに語ってくれることでしょう。
 
関連行事
※申込方法  記念講演会は事前に電話もしくは受付カウンターにてお申し込みください。 TEL.027-373-7721
記念講演会「編集者の仕事とは」(要申込・無料)
 2月15日(日)14:00~15:30 講師:石原正康氏(幻冬舎取締役兼専務執行委員 編集本部本部長)
 定員:150名
 講師プロフィール:法政大学卒。株式会社幻冬舎の編集者として『大河の一滴』(五木寛之)や『永遠の仔』(天童荒太)『13歳のハローワーク』(村上龍)など、ミリオンセラーや多くのベストセラーを生み出した。現在も編集最高責任者として活躍中である。
 
ギャラリートーク(申込不要・要観覧料) 本企画展担当職員による展示解説
1月17日(土)、2月21日(土)、3月7日(土) 各回13:30~14:00
 
 
同館は、平成8年(1996)の開館で、初代館長が、光太郎と交流のあった故・伊藤信吉氏でした。そこで、収蔵品には伊藤氏の手許にあった資料などが含まれ、かなり充実しています。友人がここで勤務していた頃、書庫に入れていただいたことがありますが、その充実ぶりに驚きました。光太郎関連の資料も多く、つい先日ご紹介した葉書などもここに収められています。
 
さて、チラシによれば、光太郎以外に、夏目漱石、若山牧水、北原白秋、斎藤茂吉、芥川龍之介、与謝野晶子、江戸川乱歩、太宰治、高浜虚子の直筆が並ぶとのこと。一見の価値はありますね。
 
暇を見て行ってこようと思っております。
 
 
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月19日

昭和29年(1954)の今日、終の棲家となった中野のアトリエに、画家・白瀧幾之助が訪ねてきました。

白瀧は光太郎より10歳年長。東京美術学校に学び、明治末に欧米留学、光太郎と同じ時期にニューヨーク、ロンドンに滞在、ロンドンでは光太郎と共同生活をしたこともありました。その頃の仇名は「入道」。大柄で禿頭だったためです。
 
書簡のやりとりなどはありましたが、昭和29年の今日の再会は、かなり久しぶりのようでした。時に光太郎数え72歳、白瀧は同じく82歳。異国の地で青春時代の一時期を共に過ごしたおよそ50年前の思い出が、二人の胸を去来したことでしょう。

光太郎彫刻が、海を渡ります。企画は武蔵野美術大学美術館さん。 
 
 
本学美術館がヘンリー・ムーア・インスティテュートと展覧会を共同開催します。
 
ヘンリー・ムーア・インスティテュートと武蔵野美術大学 美術館・図書館が共同開催する展覧会「近代日本彫刻展(A Study of Modern Japanese Sculpture)」が、1月28日よりイギリスで開催されます。高村光太郎、佐藤朝山、橋本平八などによる日本の優れた近代彫刻を紹介します。なお、本学美術館での開催は、5月25日(月)からです。
 
ヘンリー・ムーアは20世紀を代表する具象彫刻家。イングランド北部の都市・リーズ芸術学校に学びました。そこで、リーズに「ヘンリー・ムーア・インスティテュート」が設立されています。そちらのサイトから。 

A Study of Modern Japanese Sculpture

28th January 2015 - 19th April 2015 (2015年1月28日~4月19日)
 
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光太郎作品は、ブロンズの「手」、木彫の「白文鳥」が展示されるようです。他に、橋本平八、佐藤朝山、水谷鉄也、宮本理三郎といったラインナップになっています。
 
イギリスの皆さんが、光太郎をはじめとする日本彫刻をどう見るのか、興味深いところです。
 
 
「日本彫刻」「イギリス」といえば、昨夜のテレビ東京系「美の巨人たち」で、そういう話が出ました。
 
取り上げられたのは森田藻己(そうこ)。明治から昭和前期に活躍した根付師です。
 
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この番組は、毎回、ミニドラマ的な部分が間に挿入される構成になっており、昨夜は根付に興味を抱いたイギリス人女性が京都を訪れるという話になっていました。実際、イギリスなどで日本の根付は高く評価されているようです。
 
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ところで、過日のこのブログで、この番組の紹介を書いた時、「森田藻己は光雲とも交流のあった根付師です。光雲がらみの話が出ればいいのですが……。」と書きましたが、ありがたいことに、そういう話になりました。
 
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光雲が森田の根付けを愛用し、絶賛していたとのこと。
 
衛星放送のBSジャパンで、2月18日(水)の23時00分~23時30分に再放送があります。地上波テレビ東京系が受信できない地域の方は、こちらをご覧下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月18日
 
昭和26年(1951)の今日、『朝日新聞』岩手版に、当時の岩手県知事・国分謙吉と光太郎との対談「新しき岩手の創造」が掲載されました。
 
国分は岩手初の民選知事です。光太郎詩「岩手の人」のモデルであるという説もあります。

コンサート情報です。 

日本の音楽展(XXXVII)

   2015年 1/22(木)・23(金)・24(土)・25(日)
  
 草月ホール(東京都港区 東京メトロ「青山一丁目」駅下車徒歩5分)
   各日とも3,800円(全席自由)
 
第一夜 1月22日(木)18:30開演
 ソプラノ 山田優里 フルート 赤羽彩 ユーフォニアム 鈴木章子・田中玲子
 マリンバ 神尾弥
 ピアノ 田中愛美・野入葉子
 竹鼓舌(竹笛 金子健治・松浦孝成・味澤明子 竹弦 畑内浩  竹鼓 小田もゆる
      竹太鼓 山下由紀子 竹琴 村田朋子 歌 小室祥子)
  鈴木憲夫:フルートソロのための「笛吹き女」
  増本伎共子:フルートソロのための「乱声」
  田中利光:ゲシュタルト マリンバのための
  保科洋:ユーフォニアムとピアノのためのファンタジー
  千秋次郎:海に開く窓 2本のユーフォニウムとピアノのための
  金子健治:竹楽器の為の“ものものがたり” /金子みすず童謡集〜風船/大漁/木
  尾高尚忠:ピアノのためのソナチネ Op.13
  山田耕筰:この道/からたちの花/鐘が鳴ります/中国地方の子守唄/曼珠沙華
 
第二夜 1月23日(金)18:30開演
 ソプラノ 吉元恵子 メゾソプラノ 金光和恵 フルート 神村淳子 サクソフォン 河西麻希
 ユーフォニアム 田中玲子 ヴィオラ 村井由紀 チェロ 村井将 
 ピアノ 喜多輝美・佐甲圭子・船橋登美子・岸本伸子・田丸和弥・若山千恵子
  石原忠興:ピアノのための小組曲
  鶴原勇夫:ユーフォニアムとピアノの為のソナチネ第一番
  船橋登美子:じゅじゅちゃんの優雅なワルツ
  作曲者不詳=船橋登美子編曲:猫ふんじゃった…他
  清瀬保二:第二ピアノ曲集
  猪本隆:ゆうれい屋敷
  信長貴富:エレジアコ・エレキテル 〜フルート・ヴィオラ・チェロのために〜
  湯山昭:愛に会う街/六月の花嫁/ねんねの駅/プレゼント マイラブ
 
第三夜 1月24日(土)18:30開演
 ソプラノ 齊藤恵 フルート 小池美和・吉岡仁美 クラリネット 中里茎子
 ヴァイオリン 児玉あい子・三原愛里 ギター 平井貴 尺八 野村幹人 十七絃 瓶子真弓
   箏 池杉恵理奈・内藤美和・マクイーン時田深山 
 ピアノ 石毛加代子・上野彩子・斎藤敦子・Nao
  Nao:SAKURAwaltz(初演)/Winter Sea~心から~(初演)
  寺内園生:ピアノのための組曲「斑鳩」
  西村朗:独奏クラリネットのための《ウトパラ(睡蓮)》
  古賀政男(児玉あい子編曲):無法松の一生/男の純情/娘船頭さん/人生劇場
  別宮貞雄:歌曲集「智恵子抄」より 人 に/僕等/あどけない話/レモン哀歌
  金光威和雄:三面の箏・十七絃・尺八による《容》 
  三木稔:フルートとピアノのための秋の曲
 
楽日 1月25日(日)14:30開演
 うた 山口昭二 語り 本田久子 フルート 野口龍・柳田美紀 ヴァイオリン 濱田協子
 ギター 樋浦靖晃 ピアノ 長野仁子・林翔子・水野真紀・畑めぐみ
  平尾貴四男:フリュートとピアノの為の小奏鳴曲
  徳山美奈子:ムジカ・ナラ 〜ピアノのために〜
  三善晃:アン・ヴェール
  久世禄太原作(構成本田久子):12歳の文学・第六集より「この地図を消去せよ」 
  玉木宏樹:ピアノのための練習用組曲「山ノ手線」
  山口昭二:中也鬱鬱
  横尾幸弘:さくらの主題による変奏曲
  武満徹:ギターのためのエキノクス
  武満徹(清水悠編曲):映画「他人の顔」 〜ワルツ
  武満徹:独奏フルート奏者のための 《声》渋谷澤兆:PIANO ALBUM II より (初演)
  佐藤敏直:三奏者のための音楽
  番外:パフォーマンス 山口昭二・竹鼓舌・ブレスブレス
 
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第三夜・1月24日(土)に、別宮貞雄氏作曲の歌曲集「智恵子抄」から抜粋で演奏されます。
 
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この歌曲集は、昭和58年(0001983)初演。「人に」、「深夜の雪」、「僕等」、「晩餐」、「あどけない話」、「人生遠視」、「千鳥と遊ぶ智恵子」、「山麓の二人」、「レモン哀歌」の全9曲です。今回の演奏会ではこのうちの4曲が演奏されます。

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音楽之友社さんから楽譜が刊行されていましたが、絶版になっているようです。
 
CDがカメラータトウキョウさんからリリースされていて、こちらはまだ新盤で手に入ります。演奏は永田峰雄(テノール)、アントニー・シピリ(ピアノ)。平成14年(2002)の録音です。 

 
 【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月17日

昭和58年(1983)の今日、岩波書店から岩波文庫(青)の一冊として『戊辰物語』が刊行されました。001
 
表題作の「戊辰物語」は、もともと昭和3年(1928)の『東京日日新聞』に連載された各界古老の懐古談です。この年は戊辰戦争のあった明治元年(1868)から数えて60年、次の「戊辰」だったというわけでした。
 
それに先立つ大正15年(1926)に連載された「五十年前」、
さらに「戊辰物語」「五十年前」を併せて単行本化したさいに増補された「維新前後」を収めています。
 
「戊辰物語」「五十年前」には光雲の懐古談も多く収録されています。いずれ当方が刊行している冊子『光太郎資料』にてご紹介いたします。
 
他の語り手は、金子堅太郎、三代目柳家小さん、新選組局長近藤勇の娘・たまの夫である近藤勇五郎などです。

今週火曜日の『岩手日報』さんの一面コラム「風土計」が、光太郎に触れて下さいました。 

風時計 2015.1.13

戦後、岩手には1万戸もの開拓農家が入植した。開拓5周年の労苦をたたえ、1950年に高村光太郎が寄せた詩がある
▼<宮沢賢治のタンカルや源始そのものの石灰を唯ひとつの力として、何にもない終戦以来を戦つた人がここに居る>(開拓に寄す)。タンカルとは宮沢賢治が名付けた肥料用の炭酸石灰。晩年の賢治は土壌を改良するため、この普及に命を懸けた
▼志半ばで逝ったが、その尽力は戦後の開拓で花開いたと言える。光太郎が記すように、酸性の火山灰土壌と闘う人々はタンカルを力とした。岩手の開拓者たちは、まず土を変え、不毛の荒れ地を豊かな耕地に一変させた
▼国連の「国際土壌年」の今年、土が大きな国際テーマになる。世界にある農地の半分で土が劣化し、1年に砂漠化する面積は日本の国土の3割に及ぶ。食料供給の危機でありながら忘れられた資源にようやく光が当たる年だ
▼賢治は酸性土を「病土」とみて健康にしようとした。国際年の標語「健全な暮らしは健全な土地から」に通じる。厳しい現状でも、救いは日本の技術が途上国の土壌改良に役立っていることだろう
▼開拓10年に光太郎は再び寄せた。<見わたすかぎりはこの手がひらいた十年辛苦の耕地の海だ>。知と技で、病土を耕地の海にする。それに勝る国際貢献はなかろう。
 
 
引用されている詩は二つ。まず、昭和25年(1950)に盛岡市で行われた岩手県開拓五周年記念開拓祭に寄せた「開拓に寄す」。

   開拓に寄す000
 
岩手開拓五周年、
二万戸、二万町歩、
人間ひとりひとりが成しとげた
いにしへの国造りをここに見る。
 
エジプト時代と笑ふものよ、
火田の民とおとしめるものよ、
その笑ひの終らぬうち、
そのおとしめの果てぬうちに、
人は黙つてこの広大な土地をひらいた。
見渡す限りのツツジの株を掘り起こし、
掘つても掘つてもガチリと出る石ころに悩まされ、
藤や蕨のどこまでも這ふ細根(ほそね)に挑(いど)まれ、
スズラン地帯やイタドリ地帯の
酸性土壌に手をやいて
宮澤賢治のタンカルや
源始そのものの石灰を唯ひとつの力として、001
何にもない終戦以来を戦つた人がここに居る。
 
トラクターもブルドウザも、
そんな気のきいたものは他国の話、
神代にかへつた神々が鍬をふるつて
無から有(う)を生む奇蹟を行じ、
二万町歩の曠土(あかつち)が人の命の糧(かて)となる
麦や大豆や大根やキヤベツの畑となつた。
さういふ歴史がここにある。
 
五年の試煉に辛くも堪へて、
落ちる者は落ち、去る者は去り、
あとに残つて静かにつよい、
くろがね色の逞ましい魂の抱くものこそ
人のいふフランテイアの精神、
切りひらきの決意、
ぎりぎりの一念、
白刃上(はくじんじやう)を走るものだ。
開拓の精神を失ふ時、002
人類は腐り、
開拓の精神を持つ時、
人類は生きる。
精神の熱土に活を与へるもの、
開拓の外にない。
 

開拓の人は進取の人。
新知識に飢ゑて
実行に早い。
開拓の人は機会をのがさず、
運命をとらへ、
万般を探つて一事を決し、
今日(けふ)は昨日(きのふ)にあらずして
しかも十年を一日とする。
心ゆたかに、
平気の平左(へいざ)で
よもやと思ふ極限さへも突破する。
開拓は後(あと)の雁(がん)だが
いつのまにか先の雁になりさうだ。
 
開拓五周年、
二万戸、二万町歩、
岩手の原野山林が
今、第一義の境(さかひ)に変貌して
人を養ふもろもろの命の糧を生んでゐる。
 
 
この詩の一節を刻んだ碑が、花巻郊外旧太田村の光太郎が暮らした山小屋(高村山荘)近くに建っています。昭和51年(1976)建立の「太田開拓三十周年記念碑」です。
 
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もう一篇の「開拓十周年」は、昭和30年(1955)にやはり盛岡市の県教育会館で行われた岩手県開拓十周年記念大会に寄せたものです。
 
  開拓十周年
 
赤松のごぼう根がぐらぐらと003
まだ動きながらあちこち残つていても、
見わたすかぎりはこの手がひらいた
十年辛苦の耕地の海だ。
 
今はもう天地根元造りの小屋はない。
あそこにあるのはブロツク建築。
サイロは高く絵のようだし、
乳も出る、卵もとれる。
ひようきんものの山羊も鳴き、
馬こはもとよりわれらの仲間。
 
こまかい事を思いだすと
気の遠くなるような長い十年。
だがまた、こんなに早く十年が
とぶようにたつとも思わなかつた。
はじめてここの立木へ斧を入れた時の
あの悲壮な気持を昨日のように思いだす。
歓迎されたり、疎外されたり、
矛盾した取扱いになやみながら004
死ぬかと思い、自滅かと思い、
また立ちあがり、かじりついて、
借金を返したり、ふやしたり、
ともかくも、かくの通り今日も元気だ。
 
開拓の精神にとりつかれると
ただのもうけ仕事は出来なくなる。
何があつても前進。
一歩でも未墾の領地につきすすむ
精神と物質との冒険。
一生をかけ、二代、三代に望みをかけて
開拓の鬼となるのがわれらの運命。
食うものだけは自給したい。
個人でも、国家でも、
これなくして真の独立はない。
そういう天地の理に立つのがわれらだ。
開拓の危機はいくどでもくぐろう。
開拓は決して死なん。
 
開拓に花のさく時、
開拓に富の蓄積される時、
国の経済は奥ぶかくなる。
国の最低線にあえて立つわれら、
十周年という区切り目を痛感して
ただ思うのは前方だ。
足のふみしめるのは現在の地盤だ。
静かに、つよく、おめずおくせず、
この運命をおおらかに記念しよう。
 
 
どちらも晩年の作。智恵子の死や戦争や、さまざまなことを経てたどりついた境地が表されています。
 
 
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月16日

昭和3年(1928)の今日、『東京日日新聞』に、散文「日本家庭大百科事彙」が掲載されました。
 
書肆・冨山房により前年から刊行が開始された「日本家庭大百科事彙」の書評です。同書は日本女子大学校での智恵子の先輩で、光太郎と智恵子の間を取り持った柳八重が家事家政方面の編集に当たり、自らも執筆しています。他に、光雲(木彫)、豊周(工芸美術、室内装飾)も執筆者に名を連ねました。
 
ところで日本女子大学校といえば、NHKさんの今年後期の連続テレビ小説(朝ドラ)が、同校の設立に奔走した女性実業家・広岡浅子が主人公の「あさが来た」となることが発表されました。
 
広岡は、光太郎がその胸像を作った同校初代校長成瀬仁蔵や、柳八重、さらに同じく智恵子の先輩・小橋三四子などとも深いつながりがありました。もしかすると智恵子や光太郎も登場するかも、と期待しています。

毎週水曜日の夜に、NHK総合で放映されている「歴史秘話ヒストリア」。昨夜の放映終了後、公式サイトが更新され、来月の予定が出ました。以前にもちらっと書きましたが、いよいよ光太郎智恵子をメインに取り上げる「ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」」が放映されます。
 
元々、昨年11月にオンエアの予定でしたが、台風接近に伴う災害報道のため、予定がずれ、「愛の詩集」ということで、バレンタインデー近くに持ってくることにしたそうです。 

歴史秘話ヒストリア ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」

NHK総合 2015年 2月11日(水)22:00~22:43   再放送 2月18日(水)深夜
キャスター 渡邊あゆみ
 
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昨年の夏に、花巻の高村光太郎記念会様を通して、この番組を制作しているNHK大阪放送局から協力要請があり、ディレクター氏に千葉の当方自宅兼事務所にお越し頂き、光太郎智恵子ゆかりの犬吠埼、九十九里浜のロケハンに同行しました。また、取材先等をご紹介、光太郎の著書や関係する写真を提供しました。
 
公式サイトでは、今のところサブタイトルだけの予告ですが、ロケは他にも福島二本松や花巻、十和田湖等で行われ、高村光太郎記念会事務局長・北川太一先生や、小説『智恵子飛ぶ』を書かれた作家の津村節子氏などへのインタビューもあり、なかなかいい出来になっているはずです。
 
詳細が出ましたら、またご紹介します。
 
 
その他、いくつかテレビ放映の情報を。 

にほんごであそぼ

NHK Eテレ 2015年1月16日(金)  6時35分~6時45分  再放送 17時15分~17時25分
 
2歳から小学校低学年くらいの子どもと親にご覧いただきたい番組です。日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら“日本語感覚”を身につけることができます。今回は、ひこうきさんようしゅんしゅん旬~冬~/ゆきまつり、絵あわせかるた/きっぱりと冬が来た「冬が来た」高村光太郎、擬音アニメ/ちろんろん(粉雪)、うた/ペチカ、こころよ。
出演者 神田山陽,うなりやベベン,おおたか静流 ほか 

聖火リレー戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 知の巨人たち 第5回

NHKEテレ2015年1月17日(土)午前0時00分~午前1時30分(金曜深夜)

戦後の言論界を走り続けた思想家・吉本隆明。個の自立を説き、大学紛争の時代、若者たちの支持を得た。独自の思想を上野千鶴子さん、高橋源一郎さん他の証言で見つめる。.
 
戦後の言論界を走り続けた思想家・吉本隆明。六〇年安保闘争では学生の先頭にたって国会に突入。68年の大学紛争時には、代表作『共同幻想論』を発表。個としての思考の自立を説き、若者の圧倒的な支持を得た。高度消費社会を前向きにとらえ、大衆の行動に意味を見出した吉本。常に常識を疑い、権威と闘ったその軌跡を社会学者・西部邁さん、上野千鶴子さん、橋爪大三郎さん、作家・高橋源一郎さんら幅広い証言で見つめていく。
 
出演者 語り 守本奈実   朗読 古舘寛治
 
1/10にあった本放送の再放送です。見逃した方はぜひご覧下さい。吉本の思想的源流の一つに、光太郎の戦争詩に関する考察があることが語られます。北川太一先生ご夫妻もご登場。
 
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美の巨人たち 森田藻己『竹の中の大工』

テレビ東京 2015年1月17日(土)  22時00分~22時30分
再放送 BSジャパン 2月18日(水)23時00分~23時30分
 
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毎回一つの作品にスポットを当て、そこに秘められたドラマや謎を探る美術エンターテインメント番組。今日の作品は、超絶技巧の根付、森田藻己(もりた・そうこ)作『竹の中の大工』。今ジャパニーズアートとして人気を博している、ひもの端に付ける留め具・根付。大正・昭和の藻己の活躍によって進化を遂げたといいます。手のひらに収まる大きさのこの根付は竹筒のような細工が施され、中をのぞくと大工さんの姿が…。ひとつの木片から彫り上げられたのですが一体どうやって彫ったのか?そこには伝説の根付師ならではのもくろみが。
 
ナレーター 小林薫
音楽 <オープニング・テーマ曲> 「The Beauty of The Earth」 作曲:陳光榮(チャン・クォン・ウィン) 唄:ジョエル・タン  <エンディング・テーマ曲> 「India Goose」 中島みゆき
 
 
森田藻己は光雲とも交流のあった根付師です。光雲がらみの話が出ればいいのですが……。
 
 
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月15日

昭和26年(1951)の今日、岩手水沢町(現・奥州市)の文化ホールで、成人式の講演をしました。
 
「成人の日」は昭和23年(1948)に制定され、永らく1月15日でした。
 
昨今の幼稚な新成人の乱行を、泉下の光太郎はどう思うのでしょうか。

愛媛松山からの情報です。  

現代作家人形展 ARTISTIC DOLLS EXHIBITION 2015

会 期 : 2015年1月8日(木)~1月18日(日) 水-定休
時 間 : 午前11:00~午後7:00
会 場 : ギャラリー リブ・アート 愛媛県松山市湊町4丁目12-9メゾンM2ビル3F
 
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2015年新春を寿ぐ恒例の<現代作家人形展>今年も好評開催中です。今回は、愛媛県内から5人、同じく県外から5人の作家さんをお迎えしいつもよりさらに賑やかでエネルギーあふれる展示になっています。みなさま、是非ともお見逃しなく。
 
 
人形作家・高橋満利子さんの作品で、「智恵子抄」が展示されているそうです。
 
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背景の「レモン哀歌」「千鳥と遊ぶ智恵子」のパネルは、御主人で書家の高橋正治さんによるものだそうです。
 
音楽、演劇、アート……いろいろな分野の方が、光太郎智恵子の世界からインスパイアされた作品を発表されています。ありがたいかぎりです。
 
拝見したいところですが、四国はやはり遠いので、残念ですが行けません。近隣の方はぜひどうぞ。
 
 
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月14日000
 
昭和25年(1950)の今日、花巻郊外太田村の山小屋で、詩人の伊藤信吉に宛てて葉書を書きました。
 
一月四日付のおてがみ届きました。 丁度新潮社からもてがみが来ましたが、それには小生の通知への返事はなく、編集者に神保光太郎氏、尾崎喜八氏は如何ですかと問合せてきました。よつて、両氏はあまり近すぎてどうかと思ふといふ旨と、小生の前便通り、貴下にお願ひしては如何といふ事を申送りました。 今年は相当の寒さで〇下二十度位になります。雪がきれいです。
 
新潮社云々は、この年、秋に刊行された新潮文庫版『高村光太郎詩集』に関わります。65年経ちますが、まだ版を重ねています。絶版にはしないでほしいものです。
 
伊藤はこの後、昭和28年(1953)に、同じ新潮社の「世界名詩選集」の一冊、『高村光太郎詩集』の編集にもたずさわりました。

先週土曜日、東京国立博物館黒田記念館を後にして、谷中、根津を経由して徒歩で本郷に向かいました。このエリアには当方の好きなレトロな建物がよく残っており、大好きな街の一つです。
 
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さて、日展の新会館前を過ぎ、現在の谷中6丁目。総持院という小さなお寺があります。このあたりの一角で、少年時代の光太郎とその一家が暮らしていました。明治23年(1890)~同25年(1892)のことです。ただし、光太郎の住居があった場所そのものは道路になってしまっているそうです。
 
明治22年(1889)に、光雲は東京美術学校に奉職することになって、翌年、仲御徒町から谷中に転居、このあたりから通勤していました。光太郎は日暮里小学校(現・第一日暮里小学校)に転校、尋常小学校の課程を終え、高等小学校の課程は下谷小学校に通いました。
 
この谷中での約3年間に、光太郎一家にはさまざま001な出来事がありました。弟の豊周と孟彦(藤岡家に養子)が生まれたのもこの時期です。光雲は帝室技芸員を拝命、楠公銅像の木型制作主任となり、さらにシカゴ万博に出品された重要文化財「老猿」もここで作られました。
 
しかし、光太郎の姉のさくが肺炎で歿したのも、ここ谷中で、光雲は目の中に入れても痛くないほどかわいがっていた娘の死に落胆、つらい思い出の残る谷中を引き払って、千駄木に移ります。
 
さて、光太郎に「谷中の家」という散文があります。昭和14年(1939)、雑誌『新風土』に掲載されました。一部、抜粋します。
 
 家は古風な作りで、表に狐格子の出窓などがあつた。裏は南に面して広い庭があり、すぐ石屋の石置場につづき、その前には総持院といふ小さな不動様のお寺があり、年寄りの法印さまが一人で本尊を守つてゐた。父の家の門柱には隷書で「神仏人像彫刻師一東斎光雲」と書いた木札が物寂びて懸けられてゐたが此は朝かけて夕方とり外すのが例であつた。
 私の少年時代の二三年はここで過された。私は花見寺の上の諏訪神社の前にあつた日暮里小学校に通つてゐた。車屋の友ちやん、花屋の金ちやん、芋屋の勝ち やん、隣のお梅ちやん、さういふ遊び仲間と一緒にあの界隈を遊びまはつた。おとなしい時は通りの空どぶへ踏台を入れて隣のお梅ちやんなどとまま事をした り、石置場でゴミ隠し、かくれんぼをしたりした。男の子が集まると多く谷中の墓地へ押し出して鬼ごつこいくさごつこをやつた。
 
そんなこんなに思いを馳せながら、谷中を通り過ぎ、根津へ。
 
谷中の光太郎旧居周辺は最初から通るつもりでしたが、根津では人の流れに乗って、当初行く予定ではなかった根津神社に参拝しました。このあたりも光太郎がよく歩いた一角ではあります。
 
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その後、本郷に行き、北川太一先生を囲む新年会に参加させていただきました。
 
来年もお招きいただけると思いますので、やはりこのエリアで、光太郎智恵子光雲ゆかりの地などを訪ねようと思っています。
 
 
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月13日

明治41年(1908)の今日、日本画家・橋本雅邦が歿しました。
 
狩野派の流れを汲む雅邦は、光雲同様、岡倉天心に見出され、初期の東京美術学校絵画科で教鞭を執りました。
 
天心がバッシングされた美術学校事件で、天心と共に辞職、日本美術院を立ち上げる明治31年(1898)まで美術学校に在職、光雲と同僚であった他、彫刻科でも臨画の授業を担当し、光太郎も教わりました。
 
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明治27年(1894)、美校の第2回卒業記念写真から採りました。左から光雲、黒川真頼、岡倉天心、橋本雅邦、川端玉章です。

一昨日、東京本郷のフォーレスト本郷さんにて、高村光太郎記念会事務局長・北川太一先生を囲む新年会に参加させていただきましたが、少し早めに自宅兼事務所を出て、界隈を歩きました。
 
昨年からそうしていますが、この界隈には光太郎智恵子光雲の故地、ゆかりの人物に関する記念館等が多く、毎年のこの機会には、そうした場所を少しずつ見て歩こうと思っています。昨年は、明治期に太平洋画会で智恵子の師であった中村不折がらみで、台東区立書道博物館を訪れました。
 
今年は、東京国立博物館黒田記念館の耐震改修工事が終わり、リニューアルオープンしましたので、まずそちらに行きました。
 
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東京美術学校西洋画科で、光太郎の師で006あった黒田が、大正13年(1924)に亡くなる際、遺産の一部を美術奨励事業に活用するようにとの遺言を残し、それを受けて昭和3年(1928)に建てられました。設計は美術学校で教鞭を執っていた建築家・岡田信一郎です。
 
永らく美術研究所(現・東京文化財研究所)の庁舎として使用されていましたが、新庁舎が近くに建てられ、この建物は東京国立博物館に移管、黒田の作品を中心に展示されてきました。
 
その後、東日本大震災を受けて、平成24年(2012)から改修が始まり、このたびリニューアルオープンの運びとなりました。
 
新たに「特別室」が設けられ、黒田の代表作品の数々が一気に観られる、ということで、かなりにぎわっていました。入場は無料です。ありがたいのですが、もったいない気がします。
 
館内に入り、これまた重厚な感じの階段を上がって二階に。左手が特別室、右手が黒田記念室です。黒田記念室入り口には光太郎作の黒田清輝胸像が展示されており、それを観るのが最大の目的でしたが、黒田に敬意を表し、まずは特別室に。
 
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「湖畔」 (重要文化財) 明治30年(1897)
 
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三部作「智・感・情」 明治32年(1899)
 
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「舞妓」 明治26年(1893)      「読書」 明治24年(1891)
 
すべて撮影可でした。これらを一度に観られるというのは、贅沢ですね。ただし、特別室は年3回の公開だそうで、今回の公開は今日まで。次回は3月23日(月)~4月5日(日)だそうです。
 
続いて黒田記念室へ。
 
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上の画像は入り口上部、欄間のような部分です。わかりにくいのですが、中村不折の揮毫で「黒田子爵記念室」と書かれています。
 
そして入り口左には、光太郎作の「黒田清輝胸像」。まるで黒田本人が「ようこそ」と言いながら迎えてくれているような感じです。

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一昨年の「生誕130年 彫刻家高村光太郎」展以来、久しぶりに拝見しました。
 
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記念室内部は、完成作だけでなく、スケッチ、デッサン、下絵、さらには黒田の遺品なども展示されています。また、室内は創建当初の内装。天窓からの採光が温かく、いい感じです。
 
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特別室は年3回のみの公開ですが、記念室は常時公開です(月曜休館)。ぜひ足をお運びください。
 
 
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月12日011
 
平成4年(1992)の今日、双葉社から関川夏央・谷口ジロー『『坊ちゃん』の時代 第三部 啄木日録 かの蒼空に』が刊行されました。
 
漱石と、同時代の文学者達を描いた五部作の三作目です。この巻は明治42年(1909)4月から6月の東京を舞台とし、主人公は石川啄木です。
 
光太郎はこの年7月に欧米留学から帰朝するため、登場はしませんが、「パンの会」のシーンで、「近々帰ってくるそうだ」と噂されています。
 
光太郎は登場しませんが、智恵子が登場します。
 
市電の中で、啄木が平塚らいてうと智恵子に偶然出くわし、らいてうに向かって無遠慮に、前年、漱石門下の森田草平と起こした心中未遂について尋ねるというくだりです。
 
智恵子はらいてうをかばいます。 
 
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しかし、なおも食い下がる啄木、すると、堪忍袋の緒を切らせた智恵子のビンタ炸裂(笑)。
 
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関川氏の創作ですが、こういうエピソードがあったとしても、不思議ではないでしょう。

昨日は、東京本郷にて、高村光太郎記念会事務局長・北川太一先生を囲む新年会に参加させていただきました。昨年からお声がけいただくようになり、2度目の参加でした。
 
主催は北川先生が都立向丘高校に勤務されていた頃の教え子の皆さんである「北斗会」さん。「教え子」といっても、80代の方も多く、昨年もそうでしたが、30名程の参加者の中で、当方が最も若いという状況でした。
 
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北川先生は、今年の誕生日が来れば満90歳。しかし、そうとは思えぬほどお元気です。また、結婚記念日が来れば60周年のダイヤモンド婚式。奥様の節子先生もお元気です。
 
昨日戴いた、座席表兼年賀状。北川先生の直筆です。曰く「ひつじ雲もくもく よき春を呼べ 太一卆寿」。
 
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さて、さらに同じく昨日。深夜11:00~12:30、NHK Eテレさんの教養番組「戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 知の巨人たち 第5回吉本隆明」の放映がありました。
 
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吉本の思想的源泉の一つが、戦時中の光太郎の戦争協力に対する考察だったことが紹介されました。
  
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その話の流れの中で、東京工業大学等で吉本の同級生だった北川先生がご登場。
 
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二人の光太郎にまつわるエピソードが語られました。
 
節子先生も、ちらりとご登場(笑)。
 
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その後の吉本の活動について、たっぷり90分間の中で、批判的な意見もおりまぜつつ紹介されました。非常に見応えのある内容でした。
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再放送が、やはり深夜ですが、1月17日(土)午前0時00分~午前1時30分にあります。見逃した方、ぜひご覧下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月11日

昭和28年(1953)の今日、秩父宮雍仁親王の逝去に際し、『朝日新聞』の取材を受けました。
 
この時の談話は、翌日、同紙に散文「悲しみは光と化す」の題で掲載されました。哀惜の念のよく表された談話です。光太郎は昭和3年(1928)の秩父宮親王ご成婚に際し、詩「或る日」を作っています。
 
のちに草野心平が、新潮文庫版『智恵子抄』(昭和31年=1956)の解説で、光太郎自身の追悼のために、この「悲しみは光と化す」の題名を拝借しています。

劇作家・平田オリザさん率いる劇団青年団さんの舞台「暗愚小伝」、東京公演が昨秋行われましたが、西日本に巡回です。兵庫県伊丹市と、香川県善通寺市で、ほぼ連続して行われます。 

青年団第73回公演 『暗愚小傳』伊丹・善通寺公演

伊丹公演 2015年1月16日(金)- 1月19日(月) 5ステージ
AI・HALL(伊丹市立演劇ホール) 兵庫県伊丹市伊丹2-4-1 

善通寺公演 2015年1月22日(木)- 1日24日(土) 3ステージ
四国学院大学ノトススタジオ 香川県善通寺市文京町3-2-1
 
作・演出:平田オリザ
高村光太郎と智恵子の生活を素材に、変わりえぬ日常を縦軸に、文学者の戦争協力の問題を横軸に、詩人の守ろうとしたものを独特の作劇で淡々と描く・・・。平田オリザ90年代初期の名作、10年ぶり、三回目の再演。

出演
山内健司 松田弘子 永井秀樹 川隅奈保子 能島瑞穂 堀 夏子 森内美由紀 木引優子 伊藤 毅 井上みなみ 折原アキラ 佐藤 滋
 
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一昨日の『毎日新聞』さんの大阪夕刊に伊丹公演の紹介記事が載りました。  

暗愚小傳:高村光太郎描く、平田オリザ初期作

毎日新聞 2015年01月08日 大阪夕刊
 劇作家の平田オリザが率いる劇団「青年団」が、平田の初期の代表作「暗愚小傳(あんぐしょうでん)」(平田演出)を16〜19日、兵庫県伊丹市のアイホールで上演する。
 10年ぶり3度目の再演。舞台は、詩人の高村光太郎(1883〜1956)と妻が暮らす自宅アトリエ。新婚時代、智恵子の発病、智恵子の死と戦争、戦後の隠遁(いんとん)−−の4場面を通して高村の等身大の生活を描く。平田は「高い知性を持つ詩人が、なぜ戦争詩を書いてしまったのか。20代の時からそれを考えていて書いた戯曲」と言う。5回公演。3000円、学生・65歳以上2000円、高校生以下1500円。同ホール(072・782・2000)。【畑律江】
 
 
西日本のみなさん、ぜひどうぞ。
 
 
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月10日
 
平成10年(1998)の今日、二玄社から『高村光太郎 美に生きる』が刊行されました。
 
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版元サイトから
 
光太郎の生涯を、形成、反逆、美に生きる、生命の大河の4章に分け、その彫刻、デッサン、書など主要な美術作品の写真と、詩文、評論などから選りすぐった文章で浮き彫りにする、画期的画文集。明治、大正、昭和の三代を生き抜いた、巨人の足跡。
 
現在でも新刊で入手できます。定価は2,800円+税です。
 
故・高村規氏撮影の写真をふんだんに使い、主に造形作家としての光太郎の生涯を俯瞰するものです。いつもながらに北川太一先生の解説「美を追う人」が見事です。
 
ちなみに当方、今日は東京本郷にて、北川太一先生を囲む新年会に行って参ります。

朗読系のイベントです。

第2回「小さな朗読〜感動をつくる朗読をめざして〜」

主  催 感動をつくる・日本朗読館 「八千代市民文化福祉基金(通称/ジロー基金)」助成対象事業
日  時 2015年1月28日(水)  開場13時00分 開演13時30分
会  場 八千代市東南公共センター・ホール(5階) 千葉県八千代市八千代台南1-11 - 6
入場料 1000円(会場受付/全席自由)
 
〔プログラム〕
1 「貨 幣」太宰治原作              山本芙美子
2 「『智恵子抄』より」高村光太郎原作       小林正子
3 「木綿ぶれ」藤沢周平原作            石井春子
4 「明 烏」藤沢周平原作             吉田光子
5 藤沢周平原作『三屋清左衛門残日録』シリーズ(第2話)
  「零 落」藤沢周平原作             東 百道
 
〔司会進行〕 飯野由貴子
〔企画・構成〕 東百道(ひがし・ももじ)
  
「企画・構成」として名前の挙がっている東百道氏は、このブログでだいぶ以前にご紹介した片山ユキヲ氏の朗読漫画『花もて語れ』で「朗読協力・朗読原案」としてクレジットされています。

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全13巻で、昨秋、完結しましたが、第2巻で光太郎の「ぼろぼろな駝鳥」が取り上げられました。
 
残念ながら、その後は、光太郎作品が扱われなかったようです。
  
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朗読が静かなブームのようです。光太郎作品も、どんどん取り上げていただきたいものです。
 
 
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月9日
 
昭和50年(1975)の今日、日本橋三越7階で開催されていた「昭和50年記念 三代(明治・大正・昭和)文豪名作稀品」展が閉幕しました。
 
古書店の組合「文車の会」の主催で、展示即002売会でした。同会は、古書業界で「神様」とされる反町茂雄氏の弘文荘を筆頭に、忠敬堂書店、源喜堂書店、玉英堂書店、外口書店、原書房、八木書店、山田書店と、錚々たる古書店が名前を連ねています。
 
右の画像が目録です。この種のものとしては異例の、函付ハードカバーです。
 
光太郎作品等もかなり出品されていました。草稿が3点、書簡が4点。そのうち、明治45年(1912)5月28日発の津田青楓宛葉書(文面等不明)は、全集等未収録のものです。津田宛の書簡はかなり散逸しており、『高村光太郎全集』に、明治43年(1910)の絵手紙風のものなど9通掲載されている他、ぽつりぽつりと見つかっています。明治42年(1909)旅行先のフィレンツェからパリ在住の津田に送った絵葉書、一昨年、JR東日本さんが提供する会員組織、大人の休日倶楽部会員向け雑誌『大人の休日倶楽部ジパング』『大人の休日倶楽部ミドル』の2誌で紹000介された明治44年(1911)のものなど。
 
こちらに載ったものも、いまだにどこかで眠っているのでしょう。

注目すべきは、詩集『道程』特装本。

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同大理事長川島幸希氏の書かれた、雑誌『日本古書通信』平成24年(2012)4月号の「私がこだわった初版本『道程』」を読むと、昨年出品されたものの来歴が書かれていますが、この「昭和50年記念 三代(明治・大正・昭和)文豪名作稀品」展が開催された昭和50年(1975)の時点では茨城県の古書店が持っていたはずで、こちらに出たものとは別のもののようです。
 
茨城の古書店さんが文車の会さんに寄託して出品したとも考えられますが、そのあたり、どうにも謎です。
 
もしかすると、こちらも先程の津田青楓宛葉書同様、どこかに眠っているのかも知れません。情報をお持ちの方はこちらまでご教示いただければ幸いです。

新刊です。  

空の走者たち

増山実著 2014/12/08 角川春樹事務所  定価 1600円+税
 
2020年4月18日――。通信社の若手記者・田嶋庸介は興奮していた。陸運から発表された東京オリンピック女子マラソン日本代表3名の中に、円谷ひとみの名があったからだ。田嶋が7年前にこの少女と出会ったのは、福島県須賀川市。そこは、1964年の東京オリンピックマラソンで銅メダルを獲得した円谷幸吉と、ウルトラマンの生みの親・円谷英二の故郷であった。当時の円谷ひとみは、陸上をやめ、自分のやりたいことが見えずに暗中模索中の高校2年生。なぜ彼女は、日本を代表するランナーへと成長できたのか。その陰には、東京オリンピックと「あどけない青空」によって結ばれた、不思議な出会いがあった……。須賀川、宝塚、東京、ハンガリー。どんなに雨が降り続こうとも、いつか必ず見えるはずの青空を思い、それぞれの空の下を懸命に駆け抜けた走者たちの物語。
 
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主な舞台は福島県須賀川市。光太郎の「智恵子抄」に収められた「あどけない話」が重要なモチーフになっています。
 
昭和39年(1964)の東京五輪・男子マラソン銅メダリスト円谷幸吉、「特撮の神様」・円谷英二。ともに須賀川の出身で、親戚だそうです。さらに『おくのほそ道』の旅で須賀川を訪れた松尾芭蕉や、東日本大震災で被災した架空の少女たちが織りなす物語。クライマックスは平成32年(2020)の2度目の東京五輪。平成25年(2013)、昭和40年(1965)、そして元禄2年(1689)。それぞれの須賀川をつなぐキーワードが「空」。さらにはマルセル・プルースト『失われた時を求めて』、坂本九、ゴジラ、ザ・ビートルズ、銭湯、大阪万博……。
 
スポ根的要素、SF的要素、昭和懐古的要素、震災復興支援的要素と、てんこ盛りの一冊です。
 
ぜひお買い求めを。
 
 
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月8日

昭和28年(1953)の今日、終の棲家となった中野のアトリエで、煙突掃除をしました。
 
十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)を制作していた時期で、この日は午前中に手の試作を仕上げています。夕方から、詩人の藤島宇内に手伝ってもらって、煙突掃除。これはストーブからつながっていたものでした。
 
最近は、レンガ造りのイミテーションを除き、一般家庭で「煙突」という物体を見ることがほぼなくなりましたね。

特にいつもそれを眺めているわけではありませんが、当方、部屋ごとにカレンダーがないと落ち着きません。2ヶ所あるトイレにも吊していますし、洗面所兼脱衣場に貼った年もありました。
 
しばらく前は、アート系のカレンダーを愛用していました。その月が終わって破り取ったあと、絵の部分を切り取って額に入れ、手軽な複製画として飾るというふうに。竹久夢二、アルフォンス・ミュシャ、鶴田一郎、葉祥明、藤城清治、川瀬巴水、安野光雅、棟方志功などなど。
 
少し前から、もうそうしたものを飾るスペースもなくなってきたので、販促用にその辺の店でくれるものだけを使うようになりました。後で飾らないのにアート系を買うともったいない、破り取った分を捨てるに忍びない、そういう感覚で、アート系は避けていました。
 
ときどき手に入った光太郎智恵子がらみのカレンダーは、使わずに取ってあります。
 
さて、昨年末。「来年のカレンダーはどうしようか」と考えました。やはり販促用にその辺の店でくれるものではものたりません。まず「乙女の像」など光太郎、智恵子作品が使われているカレンダーはないかと、ネットで探してみました。しかし、残念ながらヒットせず。そこで、ふと、「光太郎智恵子ゆかりの地の風景が載ったものはどうだろう」と思いつき、検索したところ、見つかったので、2点購入しました。
 
まず、小暮真望さんという方のシルクスクリーン版画をあしらったもの。「日本百名山」がモチーフです。
 
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5・6月が安達太良山です。「ほんとの空」を映して広がる水田、その彼方に雪を残す安達太良山。いいですね。
 
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もう一点、こちらは写真ですが、「輝く太陽」というカレンダー。日本各地の日の出を撮った写真が使われています。
 
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2月は銚子犬吠埼。大正元年(1912)に、光太郎智恵子が愛を確かめた故地です。
 
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6月は十和田湖。新緑が鮮やかです。
 
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「日本百名山」は書斎に、「輝く太陽」は寝室に掛けました。
 
もう一点、近所の書店で見つけ、買って来たのがこちら。「季節のパノラマ」という題の、山岳写真を使ったものです。
 
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表紙のページが上高地。大正2年(1913)、ここで光太郎智恵子は婚約を果たしました。さらに6月が奥入瀬渓流です。
 
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こちらはトイレに飾ってあります。
 
ところで、3点とも、現在のページ―つまり1月―は、富士山です。
 
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初夢の「一富士二鷹三茄子」ではありませんが、やはり日本人には、「正月は富士山」というイメージなのでしょうか。ちなみに、お互いに知り合う前に別々にですが、光太郎も智恵子も富士登山の経験があり、その意味では故地ですね。
 
その他、それぞれに日本の美しい自然が取り上げられています。こういうものを見ると、この国に生まれて本当に良かったと思います。無論、諸外国にもそれぞれ美しい風景はあるのでしょうが。
 
 
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月7日
 
昭和26年(1951)の今日、『花巻新報』に詩「初夢まりつきうた」が掲載されました。
 
 
   初夢まりつきうた000
 
 花巻商人なに商人
 花巻商人いい商人
 ねだんがやすくて
 品物たしかで
 なんでもそろえて
 お店はあかるく
 きれいで清潔
 お客の相談こまかに考え
 いつでもにこにこ
 エチケツト身につけ
 しんからしんせつ
 お届けシステム
 きびきびはきはき
 近郷近在遠くは列車で
 なんでも花巻かんでも花巻
 花巻商人なに商人
 花巻商人いい商人
 夢は正夢初笑い
 まずまず一貫かし申した
 
光太郎にしては珍しい作風です。現代仮名遣いによる最初の詩で、はじめ、歴史的仮名遣いで書かれましたが、草稿に新仮名遣いに訂正した跡が残っています。
 
平成21年(2009)、この詩に曲が付けられたSPレコードの発見が報じられました。その発見者の方とコンタクトが取れましたので、いろいろ判りそうだと期待しています。

近刊です。 

近代文学草稿・原稿研究事典

日本近代文学館編/編集委員:安藤宏・栗原敦・紅野謙介・十重田裕一・中島国彦・宗像和重
八木書店発行
予価(本体予価12,000円+税)
A5判・上製本・カバー装 420頁
 
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完成された作品では分からない、近代文学研究に不可欠な作品の生成過程を明らかに
 
<内容説明>
 第一部から第三部では、作家の原稿に接する楽しさ、原稿用紙・筆記用具の変遷、原稿から印刷出版に於ける様々な過程、代作・検閲などの実態、古書店による発掘・流通などについての論考を収める。
 第四部では、65人の作家の事例を具体的に取り上げた。原稿の残存状況、所蔵機関、使用原稿用紙の変遷などを記し、多数の原稿図版を掲出した。原稿用紙に加除訂正をはじめとする様々な情報から、活字化された本文では見えてこない創作時に於ける作家の状況を解読し、新たな作品研究の可能性を示した。
 また、文芸編集者や古典研究者など自筆物と関連の深い分野からのコラムを掲げるほか、原稿草稿の所蔵機関とその閲覧の手引きとなる資料を付録として付す。 
 
<目次>
第一部 草稿研究入門
原稿・草稿を読む楽しみ(中島国彦)、原稿用紙とはなにか(宗像和重)、筆記用具の痕跡(安藤宏)
 
第二部 草稿から出版へ
草稿から出版へ(十重田裕一)、組版印刷から見えるもの(栗原敦)、検閲と伏字(浅岡邦雄)
 
第三部 草稿をどう生かすか
自筆原稿からの本文作成の問題点(秋山豊)、代作・代筆問題(小林修)、草稿・原稿が持つ可能性(十川信介)、草稿・原稿は流通する(紅野謙介)
 
第四部 作家的事例
芥川龍之介(庄司達也)・有島武郎(内田真木)・石川啄木(太田登)・泉鏡花(吉田昌志)・伊藤整(飯島洋)・井上ひさし(今村忠純)・井伏鱒二(東郷克美)・宇野浩二(宗像和重)・宇野千代(尾形明子)・江戸川乱歩(浜田雄介)・遠藤周作(藤田尚子)・大岡昇平(花﨑育代)・岡本かの子(宮内淳子)・小川未明(小埜裕二)・尾崎紅葉(須田千里)・織田作之助(日高昭二)・梶井基次郎(河野龍也)・川端康成(片山倫太郎)・菊池寛(片山宏行)・北原白秋(中島国彦)・北村透谷(尾西康充)・久保田万太郎(石川巧)・久米正雄(山岸郁子)・幸田露伴(出口智之)・小林多喜二(島村輝)・小林秀雄(権田和士)・斎藤茂吉(品田悦一)・坂口安吾(大原祐治)・佐多稲子(長谷川啓)・里見弴(武藤康史)・島崎藤村(高橋昌子)・高見順(竹内栄美子)・高村光太郎(杉本優)・武田泰淳(井上隆史)・太宰治(安藤宏)・谷崎潤一郎(千葉俊二)・田村俊子(小平麻衣子)・田山花袋(小林修)・坪内逍遙(梅沢宣夫)・徳田秋聲(大木志門)・富永太郎(杉浦静)・永井荷風(真銅正宏)・中上健次(辻本雄一)・中里介山(紅野謙介)・中島敦(山下真史)・中野重治(林淑美)・中原中也(中原豊)・中村真一郎(池内輝雄)・夏目漱石(十川信介)・萩原朔太郎(阿毛久芳)・林芙美子(今川英子)・樋口一葉(戸松泉)・二葉亭四迷(高橋修)・堀辰雄(渡部麻実)・牧野信一(柳沢孝子)・正岡子規(金井景子)・正宗白鳥(中丸宣明)・三島由紀夫(佐藤秀明)・宮沢賢治(栗原敦)・向田邦子(嶋田直哉)・武者小路実篤(寺澤浩樹)・室生犀星(大橋毅彦)・森?外(須田喜代次)・山田美妙(山田俊二)・横光利一(十重田裕一)
 
コラム:文芸編集者の立場から(藤田三男)・記憶に残る原稿(東原武文)・近世文学研究と自筆資料(木越治)・外国文学の研究との違いについて(松澤和宏)・文学館活動における原稿に関する法律問題について(中村稔)
付  録: 主要原稿所蔵館一覧・ 複製原稿刊行リスト・ 全国文学館一覧・他
 
 
昨秋、版元の八木書店さんから内容見本が送られてきました。そちらには「2014年12月20日刊行予定」とありましたが、予定は未定にして決定にあらず、2月までずれこむようです。やはりこれだけの労作、かなり大変なのでしょう。
 
第四部の光太郎の項は、群馬県立女子大学教授、杉本優氏のご執筆です。氏は高村光太郎研究会員、連翹忌にも時折ご参加いただいております。
 
光太郎以外にも、光太郎智恵子と関わりの深い作家がラインナップに入っています。奮発して購入しようと思っております。
 
皆様もぜひどうぞ。
 
 
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月6日

平成7年(1995)の今日、銀座和光六階ホールに於いて、高村規写真展「木彫・高村光雲―没後六十年記念―」が開幕しました。
 
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昨年亡くなった、光太郎の令甥、高村規氏の写真展です。全国に散在する光雲作品の写真撮影に3年余を費やされ、さらにこの後、平成11年(1999)に刊行された『木彫 高村光雲―高村規全撮影』(中教出版)に繋がるお仕事でした。
 
同展図録から、規氏のお言葉。
 
光雲の作品は動感のなかに艶を感じさせます。作品に対峙したとき自然に伝はる熱い思いが作品の息吹、詩魂と共に表現され、真髄に迫ることが出来たかどうか皆様の御批評を賜れば望外の喜びです。

福島から企画展の情報です。  

平成26年度所蔵品展 草野心平と高村光太郎 往復書簡にみる交友 

   いわき市立草野心平記念文学館 福島県いわき市小川町高萩字下タ道1番地の39
   平成27年1月17日(土曜日)から3月22日(日曜日)まで(月曜休館)
   午前9時から午後5時まで(入館は午後4時30分まで)
   一般430円(340円)高校・高専・大学生320円(250円)
      小学生・中学生160円(120円) 
※( )内は20名以上の団体割引料金

 1948年から1952年にかけての草野心平と高村光太郎の往復書簡をとおして、それぞれの創作活動とそれにともなう葛藤や苦悩などを紹介します。あわせて、心平が光太郎について記した日記をはじめ、詩集等の書籍、そして光太郎の彫塑などにより二人の交流をたどります。展示点数50点。

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昭和初期から、光太郎が歿する同31年(1956)まで、固い絆で結ばれた二人の軌跡をたどる展覧会です。固い絆、ということをいえば、光太郎没後も心平はその顕彰活動に先鞭を付け、発展させ、自身が歿する昭和63年(1988)まで、それは途絶えませんでした。
 
会期も比較的長い展覧会です。ぜひ御都合をつけ、足をお運び下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月5日

平成14年(2002)の今日、テレビ朝日系でスペシャル番組「文豪の愛した北の宿」が放映されました。
 
旅人はシンガーソングライター・みなみらんぼうさん。石坂洋次郎らの訪れた老舗旅館等をめぐる番組で、最後に光太郎智恵子が取り上げられました。
 
二本松(当時は安達町)の智恵子生家、記念館、裏手の「樹下の二人」詩碑のある鞍石山からのレポートの後、一昨年に火災により焼失してしまった福島市郊外の不動湯温泉を訪れたみなみさん。光太郎智恵子の泊まった部屋や、光太郎が書いた宿帳を見せてもらっていました。
 
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この部屋も宿帳も灰になってしまった今、動画として残っている貴重な記録です。

テレビ放映情報です。 

大竹まことの金曜オトナイト 【ゲスト】天野ひろゆき(キャイ~ン)

BSジャパン 2015年1月9日(金)  23時30分~24時00分
 
社会問題から性の事まで独断と偏見で選んだニュース。ニッポンの今を裏から取材した特集。超毒舌なエンタメコーナーで送る「刺激的な夜のワイドショー」
 
◆流出ワイド◆ (秘)超気持ちいい ! 一発で卵の黄身を取り出す方法 (秘)クレームによりジャポニカ学習帳の表紙から昆虫が消える (秘)夫が妻の話を聞いている時間は約6分 (秘)高2当時に採取 12年凍結した卵子で出産◆文化情報コーナー◆ 街で直撃取材! 「あなたの持っている本見せて下さい」 天野ひろゆきオススメ本 「智恵子抄」 さらにおススメ映画、漫画まで !
 
出演者
レギュラー:大竹まこと、山口もえ、碓井広義(上智大学教授) 進行:繁田美貴(テレビ東京アナウンサー) ゲスト:天野ひろゆき(キャイ~ン)
 
 
どうも天野さんと「智恵子抄」が結びつきにくいのですが……(笑)。
 
 
先日もちらっとご紹介しましたが、さらにもう一本。  

戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 知の巨人たち 第5回

NHKEテレ  2015年1月10日(土)  23時00分~24時30分
再放送1月17日(土)午前0時00分~午前1時30分(金曜深夜)

戦後の言論界を走り続けた思想家・吉本隆明。個の自立を説き、大学紛争の時代、若者たちの支持を得た。独自の思想を上野千鶴子さん、高橋源一郎さん他の証言で見つめる。.
 
戦後の言論界を走り続けた思想家・吉本隆明。六〇年安保闘争では学生の先頭にたって国会に突入。68年の大学紛争時には、代表作『共同幻想論』を発表。個としての思考の自立を説き、若者の圧倒的な支持を得た。高度消費社会を前向きにとらえ、大衆の行動に意味を見出した吉本。常に常識を疑い、権威と闘ったその軌跡を社会学者・西部邁さん、上野千鶴子さん、橋爪大三郎さん、作家・高橋源一郎さんら幅広い証言で見つめていく。
 
出演者 語り 守本奈実   朗読 古舘寛治
 
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吉本の盟友にして高村光太郎記念会事務局長・北川太一先生は、昨年刊行された『吉本隆明全集』第5巻の月報にこう記されています。
 
戦い終わり、海軍技術科士官として飛行予科練習生たちといのちをかけた南四国から帰ったあと、工業大学進学を選んだ時、すでに吉本は大学にいた。そして二人ともアトリエを焼かれて花巻郊外に孤坐しているという高村光太郎が、いま何を考えているか、そればかりが気になった。光太郎がここに至った道を明らかにしない限り、これから何が出来ようかと思いつめた。
 
吉本の思想的源泉に、大きく影響した光太郎。北川先生もご登場なさるはずですし、光太郎についても語られると思います。
 
しかし、こういう良い番組は深夜の放映なのですね。録画して観ようと思います。
 
 
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月4日

昭和26年(1951)の今日、花巻郊外太田村の山小屋で、村人が雪下ろしをしてくれました。
 
この時期、花巻近辺はもうすっぽり雪に覆われていることでしょう。岩手県の雪量観測情報によれば、光太郎の暮らした山小屋(高村山荘)に近い鉛温泉あたりで73㌢の積雪だそうです。

コンサート情報です。 

日本のうた編年体コンサート⑬ 『國民歌謠』~『われらのうた』(1941)と同時代の歌

2015年1月10日(土) 19:00/東京文化会館小ホール
藍川由美(歌)/蓼沼明美(ピアノ)/片山杜秀(話)
入場料:3,000円(全席指定)/学生券:1,000円 (当日扱いのみ)
お問い合わせ:オフィス小野寺 03-6804-8444
 
昭和15年
 「誰か故郷を想はざる」(西條八十・古賀政男/1940年1月発売)
 「支那の夜」(西條八十・竹岡信幸/1940年6月公開「支那の夜」主題歌/1938年12月発売)
 「蘇州夜曲」(西條八十・服部良一/1940年6月公開「支那の夜」劇中歌)
 「隣組」(岡本一平・飯田信夫/6.17放送)
 「用心づくし」(岡本一平・服部正/8.19放送)
 「出せ一億の底力」(堀内敬三作詞・作曲/11.26放送)
 「火の用心」(相馬御風・中山晋平/12.2放送)
 「嗚呼北白川宮殿下」(伯爵 二荒芳徳・古関裕而/12.9放送)
 「國民協和の歌」(中央協和會&大政翼賛會・橋本國彦/12.16放送)
昭和16年
 「歩くうた」(高村光太郎・箕作秋吉/1.20放送)
 「めんこい子馬」(サトウハチロー・仁木他喜雄/1.27放送)
以上、「國民歌謠」 以下、「われらのうた」
 「海の進軍」(海老沼正男・古関裕而/5.9放送)
 「婦人愛國の歌」(仁科春子・古関裕而/7.16放送)
 「月月火水木金金」(高橋俊策・江口夜詩/9.24放送)
 「朝だ元氣で」(八十島稔・飯田信夫/10.25放送)
 「僕等の團結」(勝承夫・信時潔/10.25放送) ほか
以下、同時代の歌曲
 「北の海」(中原中也・清水脩/1941-作曲) 「在りし日の歌」より
 「お道化うた」(中原中也・清水脩/1940作曲)

 
藍川由美さんは東京芸術大学出身の声楽家。ジャンルを超え、明治~昭和の日本歌曲をよく取り上げるなど、歌謡史の研究、そして実演に取り組んでいらっしゃいます。
 
「歩くうた」は昭和15年に飯田信夫の作曲で「国民歌謡」として発表されました。光太郎作詞の歌曲のうち、唯一、ある程度ヒットした曲で、ラジオでくり返し流れたり、徳山璉(たまき)の歌唱のレコードがかなり売れたりで、光太郎の甥、故・高村規氏によれば、当時の子供達はみんなでこれを歌いながら行進していたそうです。
 
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当方の刊行している冊子『光太郎資料』中に、「音楽・レコードに見る光太郎」という稿を連載中でして、この「歩くうた」に関してもいろいろと調査、考察しました。
 
そうした中で、「歩くうた」が収録された当時のSPレコード3種類を入手しました。全てビクターからのリリースです。
 
上記が最も一般的なもので、徳山璉の歌唱、カップリングが若杉雄三郎作詞、島口駒夫作曲、服部正編曲、一色皓一郎独唱の「歓喜の前進」。レコード番号が「A―4187」です。
 
さらに同じ徳山の歌で、もう一枚。「かちどき合唱団」も歌手名に記されています。レコード番号は「K―4002」。このK番台のものは特殊なもののようです。カップリングは「行進曲「アジヤの力」」。「歩くうた」と同じく飯田信男の作曲です。
 
それから歌なし―インストゥルメンタルのもの(A―4211)が一枚。日本ビクター管弦楽団の演奏です。カップリング曲はやはり飯田の作曲である「隣組」。
 
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さらにもう一枚、「A―4325」という番号のものも確認できています。こちらは日本ビクター女声合唱団と日本ビクター児童合唱団の演奏。服部正の編曲による合唱バージョンです。入手できていませんが、こちらは国立国会図書館のデジタル化資料「歴史的音源」に収められていて、同館に行けば聴くことができます。
 
戦後70年となり、こういった戦時歌謡も忘却の彼方へと向かいつつあります。ある意味「負の遺産」ではありますが、歴史として記憶されるべきでしょう。
 
さて、藍川さんは歌謡史の研究を兼ねて、こういった戦時歌謡の実演にも取り組まれているようです。以前にもご紹介しましたが、当時の楽譜どおりの演奏で、CDもリリースされていますし、「日本のうた編年体コンサート」では、やはり光太郎作詞の「こどもの報告」(箕作秋吉作曲)を演奏されたこともあります。
 
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こちらには「歩くうた」が収められています。
 
ただ、こういった歌曲、ヘイトスピーカーに奇妙なもてはやし方をされないようにと願っています。
 
 
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月3日

昭和28年(1953)の今日、NHKラジオで亀井勝一郎との対談がオンエアされました。
 
光太郎の日記には、以下の記述があります。
 
NHKの水野さん、一戸さん来る、亀井勝一郎氏と対談の件、承諾、時日は亀井さんにきめてもらふ事、当日迎へにくる由にてNHKにゆく事(午后)、 (昭和27年12月13日)
 
ひる頃藤島さん(注・藤島宇内)亀井勝一郎氏同道来訪、一時NHKの車にて放送会館、30分間対談放送、一月三日午前十一時半放送の由、(録音)、 (同12月25日)
 
放送をきかず、放送は亀井氏と先日録音した対談、午前十一時より放送せら(れ)たる筈、 (同28年1月3日)
 
この対談に関しては、文字にもなったものも確認できていませんし、詳細が不明です。亀井側の資料を調べれば、何かわかるかもしれませんが、そこまで手が回っていません。情報をお持ちの方はこちらまでご教示いただければ幸いです。

福島は郡山から講座の情報です。 

文芸作品の鑑賞~名作への旅~

日本、外国の小説・紀行文・詩歌・俳句・000随筆などの名作を鑑賞し、その歴史や文化にも触れ、当時の面影を辿ります。4月期は、「宮澤賢治」童話と詩、高村光太郎「智恵子抄」を取り上げます。
 
期 日 : 2015/1/9~3/27 の第2・4金曜  全6回
会 場 : 10:00~12:00
時 間 : NHK文化センター郡山教室
                   郡山市麓山1-5-21 NHK郡山放送会館内
料 金 : 10,044円 (税込み)  

 師 : 元日本大学教授・文芸家 永塚功
申 し 込 み   NHK文化センター郡山教室  024-933-0022
 
いわゆるカルチャー教室、市民講座の類ですね。
 
「生涯教育」という語は定着しました。知的探求心を持ち続けるのは大切なことだと思います。福島の皆さん、ぜひ、お申し込み下さい。
 
当方もぽつぽつこの手の講座の講師等、やらせていただいています。今年も数回、講師としてお声がけいただいております。これからお考えの団体さん、日程さえ合えば、条件は二の次でお受けいたします。こちらまでご連絡下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月2日
 
昭和17年(1942)の今日、日本女子大学校発行の『家庭週報』に、詩「新しき日に」が掲載されました。
 
  新しき日に001
 
新しき年真に新たなり。
東方の光世界に東方の意味を宣す。
幾千年の力鬱積していま爆発するのみ。
東方は倫理なり。
東方は美なり。
断じて西暦千幾年の弱肉強食にあらず。
世界の人類倫理に飢う。
飢うるものにわが食を与ふるなり。
わが食は道なり。
道を体するもの東方日出づる国に住む。
その一挙一動は中正にして愛に満つ。
死はかろく義はおもく、
古来東方の女性 ことごとく美し。
その美驕らず出しやばらず、
内に湛へて堅忍の力あり、
男子みなその力に支へらる。
世界の歴史いま新たなり。
東方の倫理世界に布く。
美しき東方の女徳いよいよ凛たり。
 
 
戦時中の作品ということで、きな臭い部分もあり、ヘイトスピーカーが喜びそうです。そういった部分は抜きにして、日本人としての気概を表した「道を体するもの東方日出ずる国に住む。その一挙一動は中正にして愛に満つ。」といった一節は非常に良いですね。第一、ヘイトスピーカーの言動は「中正にして愛に満」ちていませんし、「道を体する」とは絶対に言えません。

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というわけで、平成27年(2015)となりました。今年もよろしくお願い致します。
 
 
今朝は、九十九里浜に行ってきました。もちろん初日の出を見に、です。
 
南北に長い九十九里浜のほぼ中央、昭和9年(1934)に智恵子が療養していた九十九里町真亀納屋付近の海岸で、その時を待ちました。81年前に、二人が歩いた浜辺です。
 
波はそこそこ荒く、しかし、その潮騒がかえっていい感じでした。あまり寒くもなく、結構な人出でした。
 
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わんこも(笑)。あとで右のミニチュアダックス君は、当方にじゃれついてきました。
 
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6時30分頃には、見事な茜色の雲。6時48分頃が日の出です。期待が高まります。
 
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ところが、全体的には青空なのですが、ちょうど太陽が出るあたりの海上に、厚い雲。下の画面中央の、雲の切れ間から太陽が見えるかと思い、7時15分位までねばりました。
 
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しかし、結局、浜では日の出を見ることができませんでした。残念。
 
こちらは当方が行った浜辺にほど近いところにある「千鳥と遊ぶ智恵子」詩碑。さらに東金 九十九里有料道路今泉PAにある光太郎智恵子の銅像です。
 
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当初予定では、これらの背後に燦然と輝く太陽が写るはずでしたが、仕方がありません。
 
帰り道、横芝光町あたりまで来たところで、ようやく太陽が拝めました。
 
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車を駐め、「今年も光太郎智恵子の世界が盛り上がりますように」と願いを込め、シャッターを切りました。
 
というわけで、今年1年、またよろしくお願い申し上げます。
 
 
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月1日000
 
明治40年(1907)の今日、雑誌『明星』未歳第1号に、光太郎の「新詩社詠草」短歌44首が掲載されました。
 
そのうちの1首です。
 
海を観て 太古の民の おどろきを われふたたびす 大空のもと
 
前年2月、欧米留学に出るため、横浜からカナダ太平洋汽船のアゼニアン号に乗り、船出した時の歌です。
 
のちに「海を観て」は「海にして」と変更されています。
 
九十九里浜の砂丘に腰を下ろし、潮騒に耳を傾けながら、この歌を想い出しました。
 
右の画像は当方の手許にある、光太郎直筆の短冊です。
 
 
ところで、一昨年のこのブログでは【今日は何の日・光太郎】ということで、365日、その日その日の光太郎智恵子、光雲などのエピソードをご紹介しました。すると、たまたま年が違う同じ日に重要な事象が重なっている日もあり、その一方は泣く泣く割愛せざるを得ず、悔しかったので、昨年のこのブログでやはり365日、【今日は何の日・光太郎 補遺】ということで補いました。
 
そして今年。どうももう1年できそうだな、と思い、さらに2年でやめるのも半端かな、という気がしました。そこで【今日は何の日・光太郎 拾遺】ということで、また365のエピソードを紹介して行こうと思います。このコーナーがあると、特にネタがない時には書く方も楽でして……(笑)。
 
ただし、最初に宣言しておきますが、この「拾遺」で限界。もうそれ以上は続けません。
 
来年以降はまた新たな企画を考えたいと思います。

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