詩人の若松英輔氏。これまでのご著書やオンライン、ラジオでの講座などで、たびたび光太郎を取り上げて下さっています。
最近また2件ほど。
6月10日(土)の『日本経済新聞』さん。
引用されている光太郎詩は「首の座」(昭和4年=1929)。
首の座
麻の実をつつく山雀(やまがら)を見ながら
私は今山雀を彫つてゐる。
これが出来上ると木で彫つた山雀が
あの晴れた冬空に飛んでゆくのだ。
その不思議をこの世に生むのが
私の首をかけての地上の仕事だ。
そんな不思議が何になると、
幾世紀の血を浴びた、君、忍辱(にんじよく)の友よ、
君の巨大な不可抗の手をさしのべるか。
おお否み難い親愛の友よ、
君はむしろ私を二つに引裂け。
このささやかな創造の技は
今私の全存在を要求する。
この山雀が翼をひろげて空を飛ぶまで
首の座に私は坐つて天日に答へるのだ。
「山雀」は「やまがら」。日本全域に広く分布している野鳥です。ただし、光太郎が彫ったという山雀の木彫は写真すら確認できていません。どこかにひっそりと残っていないものでしょうか。同じ野鳥の木彫でも「うそ」(大正14年=1925)は現存しています。
「首の座」は罪人が斬首される際に座らせられる場所、またはそのような絶体絶命の状況。「土壇場」ともいいます。そういうところにいるつもりで造型芸術に取り組んでいるのだよ、ということでしょう。
若松氏、この詩の引用後、「彫刻家はいのちを生む。しかし、それを自分の手のなかに留めておくことはできない。手放すことで彼の仕事は完遂する。」と述べられていますが、これは「智恵子抄」所収の「美の監禁に手渡す者」(昭和6年=1931)を下敷きになさっているのだと思われます。
この時期、プロレタリア文学者やアナーキスト達と近い立ち位置だった光太郎ですが、その生活は、彫刻を買ってくれたり、肖像制作を注文したりしてくれる者――多くは資本家など、光太郎の大嫌いな俗世間での成功者――に支えられていました。そのあたりの苦悩が謳われています。
若松氏、もう1件、『中央公論』さんの今月号では光太郎の父・光雲に触れて下さっています。
「AI時代のことば力」の総題で数名の方が寄稿されている内の一篇、「沈黙のすすめ 好奇心を疑い、問う力を養う」と云う記事です。
曰く、
詩人・高村光太郎の父である彫刻家・高村光雲の自伝『幕末維新懐古談』に「ノミが仕事させてくれない」というような言葉が出てきます。「ノミはただの道具ではない」「ノミが俺を連れて行く」と言いたくなることがあるのだと。
私がものを書くときも、自分で書こうとしているときは上手くいかず、言葉が自分を連れて行ってくれたと感じるときほどよい仕事ができているように感じています。人との対話も同じで、人と人との間に関係ができれば、言葉が私を導いてくれる。
およそ文学でも造形芸術でも、それから音楽や舞台芸術等も含め、クリエイティブな仕事をする人間には、「ノミが俺を連れて行く」という感覚は「あるある」ではないでしょうか。もっとも、そうなるまでの修業というか、その境地に至るまでの努力というか、それが無ければ無理なのでしょうが。
そういった観点も含め「AI時代のことば力」、様々な分野の方がいろいろ論じられています。ぜひお買い求めを。
ところでAIと云えば、時事通信さんの配信記事でこんなのが出ました。
結局、AIには「首の座」に坐って物事を成し遂げる、という覚悟など持ちようがないわけで、そうなると光太郎が不可欠とした「生(ラ・ヴィ)」など、そこには存在し得ないわけです。
といって、人間が造ればこれ以上のものが必ず出来るかというと、そうでもありませんね。結局、「ノミが俺を連れて行く」という境地に達していない者の作で、「AI以下」と云われても仕方のないようなものもまかり通っているような気がしますし……。
「クリエイト」、実に難しいものです。
【折々のことば・光太郎】
今日「天上の炎」の印税貳百円たしかにおうけとりしました。こんなにもらつてはすまないやうな気もしますが又思ひがけない時にもらつて大変たすかります、
「天上の炎」はベルギーの詩人、エミール・ヴェルハーレンの訳詩集。新しき村出版部から刊行されました。
彫刻が寡作だった光太郎、こうした翻訳での収入がかなり大きかったようです。
最近また2件ほど。
6月10日(土)の『日本経済新聞』さん。
本を世に送ると「作者」という呼び名が与えられ、本に記されていることを何でも知っているように遇される。だが、実感は違う。作品名や本の題名は覚えていたとしても何を書いたのか、その本質はよく分かっていない。人は意識だけでなく、いわゆる無意識を活発に働かせながら書くからである。さらにいえば、意識が無意識とつながったとき、真の意味で「書く」ことが始まるとすらいえるように思う。
部屋は本で埋まっているが、自分の本はない。
最初の本を手にしたとき、奇妙というより、いわく言い難いという意味で妙な気分に包まれた。自分の名前が記されているのだが、自分のものではない心地が強くしたのだった。本はたしかに手のなかにある。しかし、本の本質というべきものは、すでに翼を得て、未知なる読者にむかって飛び立っていったように感じた。気が付かないうちに大人になった子どもが、自分の道を見つけて親に後ろ姿を見せながら前に進んでいくような光景が胸に広がったのである。
書くことは手放すことである。書くことは言葉を育むことでもあるのだろうが、それは手放すことで完成する。彫刻家で詩人でもあった高村光太郎に「首の座」という詩がある。この詩を読んだとき、自らの実感を裏打ちされたように感じ、創作の真義をかいまみたようにも思った。
「麻の実をつつく山雀(やまがら)を見ながら、/私は今山雀を彫つてゐる。/これが出来上ると木で彫つた山雀が/あの晴れた冬空に飛んでゆくのだ。/その不思議をこの世に生むのが/私の首をかけての地上の仕事だ。」(『高村光太郎詩集』)
光太郎の彫刻に魅了されるのは、彫刻の形や姿が美しいからだけでなく、そこに生じた不可視ないのちの実在にふれるからなのではないか。彫刻家はいのちを生む。しかし、それを自分の手のなかに留めておくことはできない。手放すことで彼の仕事は完遂する。
こうしたことは、本や彫刻にだけ起こるのではない。自分以外の人に対して行ったよいことや、成し遂げたと思えるようなものすべてにおいて留意すべきことなのだろう。意味あるもの、真の意味で善き出来事にするためには「手放す」さらには「忘れる」という営みの門をくぐらなければならない。
経歴や過去の実績の話を得意げにされると興ざめになる。そこに立ち顕われるのは、影のようなもので、今、生きているその人ではない。過去を誇る人は、もっとも魅力があるのはかつて行ったことではなく、それらを昇華させ今、ここに存在しているその人自身であるのを忘れている。
過去に失敗を経験した人は、簡単に過去を語らない。それを昇華させ、行動しようとする。そうした人が語り、あるいは語らずとも体現する何かに異様なまでのちからがあるのは、今を生きることの重みを無意識に実感しているからだろう。
何かに執着し、誇ろうとするとき、人はそれを強く意識している。そのようなとき無意識はあまり活発に働いていない。人生もまた、一つの創作である。むしろ、今を生きるということ以上に、創造性を求められることはないのである。
どう生きるかばかりに気をとられている人の言動が表現しているのは、ほとんどの場合、方法である。しかし、生きるとは何か、その本質を問う人は、生の本質を無言のうちに体現する。人は求めているものを全身で物語っている。
人生の隠された意味、人生の秘義を体現する人は、必ずしも世にいう成功者ではない。ひたむきに生きる市井の人たちのなかにも賢者は存在する。
無教会のキリスト教を説いた内村鑑三に『代表的日本人』という著作がある。原文は英語で内村はこの本を世界に向けて書いた。その試みは成就し、ケネディ大統領が愛読したという話もある。日本に陽明学をもたらした中江藤樹の章で内村は「真の感化とはなんであるか、この人物に学ぶがよろしいでしょう」と書いたあとこう続けた。
「バラの花が、自分の香を知らぬと同じく、藤樹も自分の影響を知りませんでした」(鈴木範久訳)。美しい香りを身にまとい生きている人でも自らが放つ香りに気が付かず、うつむき加減でいることもある。その人自身が見過ごしているよきもの、そうした何かを見いだすのは他者の役割である。見過ごされがちな善きことに何を学ぶか。ここに人生の行き先を決定する重大な鍵があるように思われる。
首の座
麻の実をつつく山雀(やまがら)を見ながら
私は今山雀を彫つてゐる。
これが出来上ると木で彫つた山雀が
あの晴れた冬空に飛んでゆくのだ。
その不思議をこの世に生むのが
私の首をかけての地上の仕事だ。
そんな不思議が何になると、
幾世紀の血を浴びた、君、忍辱(にんじよく)の友よ、
君の巨大な不可抗の手をさしのべるか。
おお否み難い親愛の友よ、
君はむしろ私を二つに引裂け。
このささやかな創造の技は
今私の全存在を要求する。
この山雀が翼をひろげて空を飛ぶまで
首の座に私は坐つて天日に答へるのだ。
「山雀」は「やまがら」。日本全域に広く分布している野鳥です。ただし、光太郎が彫ったという山雀の木彫は写真すら確認できていません。どこかにひっそりと残っていないものでしょうか。同じ野鳥の木彫でも「うそ」(大正14年=1925)は現存しています。
「首の座」は罪人が斬首される際に座らせられる場所、またはそのような絶体絶命の状況。「土壇場」ともいいます。そういうところにいるつもりで造型芸術に取り組んでいるのだよ、ということでしょう。
若松氏、この詩の引用後、「彫刻家はいのちを生む。しかし、それを自分の手のなかに留めておくことはできない。手放すことで彼の仕事は完遂する。」と述べられていますが、これは「智恵子抄」所収の「美の監禁に手渡す者」(昭和6年=1931)を下敷きになさっているのだと思われます。
納税告知書の赤い手触りが袂にある、
やつとラヂオから解放された寒夜の風が道路にある。
売る事の理不尽、購ひ得るものは所有し得る者、
所有は隔離、美の監禁に手渡すもの、我。
両立しない造形の秘技と貨幣の強引、
両立しない創造の喜と不耕貪食の苦(にが)さ。
がらんとした家に待つのは智恵子、粘土、及び木片(こつぱ)、
ふところの鯛焼はまだほのかに熱い、つぶれる。
この時期、プロレタリア文学者やアナーキスト達と近い立ち位置だった光太郎ですが、その生活は、彫刻を買ってくれたり、肖像制作を注文したりしてくれる者――多くは資本家など、光太郎の大嫌いな俗世間での成功者――に支えられていました。そのあたりの苦悩が謳われています。
若松氏、もう1件、『中央公論』さんの今月号では光太郎の父・光雲に触れて下さっています。
「AI時代のことば力」の総題で数名の方が寄稿されている内の一篇、「沈黙のすすめ 好奇心を疑い、問う力を養う」と云う記事です。
曰く、
詩人・高村光太郎の父である彫刻家・高村光雲の自伝『幕末維新懐古談』に「ノミが仕事させてくれない」というような言葉が出てきます。「ノミはただの道具ではない」「ノミが俺を連れて行く」と言いたくなることがあるのだと。
私がものを書くときも、自分で書こうとしているときは上手くいかず、言葉が自分を連れて行ってくれたと感じるときほどよい仕事ができているように感じています。人との対話も同じで、人と人との間に関係ができれば、言葉が私を導いてくれる。
およそ文学でも造形芸術でも、それから音楽や舞台芸術等も含め、クリエイティブな仕事をする人間には、「ノミが俺を連れて行く」という感覚は「あるある」ではないでしょうか。もっとも、そうなるまでの修業というか、その境地に至るまでの努力というか、それが無ければ無理なのでしょうが。
そういった観点も含め「AI時代のことば力」、様々な分野の方がいろいろ論じられています。ぜひお買い求めを。
ところでAIと云えば、時事通信さんの配信記事でこんなのが出ました。
【AFP=時事】スウェーデンの首都ストックホルム国立科学技術博物館で現在、ミケランジェロ(Michelangelo)や高村光太郎(Kotaro Takamura)ら、彫刻界の巨匠5人の作品を人工知能(AI)に学習させてつくり上げられた彫刻「不可能な像」が展示されている。
創造性とアートについての従来の概念に揺さぶりをかけるステンレス鋼製の像は、高さ1.5メートル、重さ500キロ。下半身を金属に覆われた中性的な人物が、片手でブロンズ製の地球をつかんでいる。
コンセプトは、それぞれの時代に足跡を残した5人の著名な彫刻家の作風をミックスさせた作品をつくり出すことにあった。
選ばれたのは、イタリアのミケランジェロ(1475-1564)、フランスのオーギュスト・ロダン(Auguste Rodin、1840-1917)、ドイツのケーテ・コルビッツ(Kathe Kollwitz、1867-1945)、日本の高村光太郎(1883-1956)、米国のオーガスタ・サベージ(Augusta Savage、1892-1962)。AIに5人の彫刻作品の画像を大量に学習させたという。
三つのAIソフトを駆使して作品をつくり上げたスウェーデンの機械工学グループ「サンドビク(Sandvik)」の広報は、「現実には共同作業があり得なかった5人の巨匠による像」だと説明している。
だが果たしてこれは芸術なのか、それとも技術の成果なのだろうか。
同館で企画を担当しているジュリア・オルデリウス氏はAFPに、「これは人間がつくったものとは思えない」と指摘した上で、「芸術とは何かを定義することはできない。これは芸術だ、これは違うと考えるのは、人によって異なる。判断するのは作品を鑑賞する人それぞれだ」と語った。
アート界におけるAIの役割について議論が行われる中、AIをめぐる未来については悲観していないと話す。
「AIが創造性やコンセプト、アートやデザインについて行うことを不安に思う必要はない」「テクノロジーがコンセプトやアートを生み出す方法の一部になる新しい未来に適応していく必要があると思う」と話した。
「何だかなぁ」という感じでしたので、今日まで取り上げずに来ました。結局、AIには「首の座」に坐って物事を成し遂げる、という覚悟など持ちようがないわけで、そうなると光太郎が不可欠とした「生(ラ・ヴィ)」など、そこには存在し得ないわけです。
といって、人間が造ればこれ以上のものが必ず出来るかというと、そうでもありませんね。結局、「ノミが俺を連れて行く」という境地に達していない者の作で、「AI以下」と云われても仕方のないようなものもまかり通っているような気がしますし……。
「クリエイト」、実に難しいものです。
【折々のことば・光太郎】
今日「天上の炎」の印税貳百円たしかにおうけとりしました。こんなにもらつてはすまないやうな気もしますが又思ひがけない時にもらつて大変たすかります、
大正14年(1925)3月23日 木村荘五宛書簡より 光太郎43歳
「天上の炎」はベルギーの詩人、エミール・ヴェルハーレンの訳詩集。新しき村出版部から刊行されました。
彫刻が寡作だった光太郎、こうした翻訳での収入がかなり大きかったようです。