昨日の段階ではネット上にはフライヤー等が出ていないのですが、一応、花巻観光協会さんのサイト、それから『広報はなまき』に情報が出ました。
東京から花巻へ疎開した高村光太郎は、滞在した先々で目にした初夏の光景に感動し、花や野菜などをスケッチして残しました。
その後移住した山口集落では暮らしの中で接した植物などがスケッチに残されており、自然を題材にした詩集の構想もうまれました。
詩集は未完に終わったものの、山の暮らしの中で詠んだ詩やスケッチは当時の文芸誌や雑誌に掲載され、世に知られることとなりました。
この展示では、光太郎が太田村(現花巻市)で過ごした自然をテーマとして、草花のスケッチや詩稿などの資料を紹介します。
スケッチに関しては、複製での展示。現物は三冊、現存が確認できていますが、おそらく髙村家の所蔵のはずです。
それらの中から十数葉を原色版で複製し、中央公論美術出版さんから『山のスケッチ』という画集が昭和41年(1966)に出ています。光太郎の画集としては唯一の出版です。
テーマ展『山のスケッチ』
期 日 : 2023年6月17日(土)~8月31日(木)
会 場 :
岩手県花巻市太田3-85-1時 間 : 午前8時30分~午後4時30分
休 館 : 会期中無休
料 金 : 一般 350円 高校生・学生250円 小中学生150円 高村山荘は別途料金
東京から花巻へ疎開した高村光太郎は、滞在した先々で目にした初夏の光景に感動し、花や野菜などをスケッチして残しました。
その後移住した山口集落では暮らしの中で接した植物などがスケッチに残されており、自然を題材にした詩集の構想もうまれました。
詩集は未完に終わったものの、山の暮らしの中で詠んだ詩やスケッチは当時の文芸誌や雑誌に掲載され、世に知られることとなりました。
この展示では、光太郎が太田村(現花巻市)で過ごした自然をテーマとして、草花のスケッチや詩稿などの資料を紹介します。
展示資料
・散文『山菜ミヅ』原稿 1点
・詩『花はなにとて』原稿 1点
・鉛筆淡彩『山口集落』 1点
・草花素描集『山のスケッチ』より精密複製 6点
・光太郎写真(昭和26年9月撮影) 2点
他、草花写真パネル
展示の見どころ
詩『花はなにとて』草稿は今回が初公開の資料です。光太郎全集や回想録などで作品の存在は知られていましたが、直筆原稿の公開は初めてです。
散文『山菜ミヅ』は、鉛筆淡彩による山菜のスケッチとともに雑誌『婦人公論』昭和22年6月号で発表された作品です。東京出身の人として知られていた光太郎が、岩手の自然の中で生活を送っていることを世に知らせた資料であると言えるでしょう。
スケッチに関しては、複製での展示。現物は三冊、現存が確認できていますが、おそらく髙村家の所蔵のはずです。
それらの中から十数葉を原色版で複製し、中央公論美術出版さんから『山のスケッチ』という画集が昭和41年(1966)に出ています。光太郎の画集としては唯一の出版です。
「らんまん」に出てきそうな(笑)。
これらを描くため、というわけではないのですが、光太郎、牧野富太郎の著書を都内在住の人々に手に入れてくれと依頼し、実際、光太郎の山小屋には牧野の『植物集説』上下、『植物分類研究』上下、『続植物記』が遺されていました。戦前のものも含まれていますが、依頼されたうちの一人、筑摩書房編集者の竹之内静雄が何とか見つけてくれたようです。
「らんまん」で植物が静かなブームですので、タイムリーな企画ではないでしょうか。ぜひ足をお運び下さい。
【折々のことば・光太郎】
明日久しぶりの短歌会に参上いたしたいのも山々ながら、留守中つもつて居ります緊急の用事を先づ片つけねばならず、残念ながら多分まゐれない事と存じます。来会諸士によろしく。
確認できている晶子宛唯一の書簡です。二人の関係を考えればかなりの数が送られているはずなのですが……。晶子の夫・寛宛は十数通確認できています。
この書簡も、晶子の著書『女子作文新講 巻二』に画像入りで紹介されているため、確認できた次第です。
これらを描くため、というわけではないのですが、光太郎、牧野富太郎の著書を都内在住の人々に手に入れてくれと依頼し、実際、光太郎の山小屋には牧野の『植物集説』上下、『植物分類研究』上下、『続植物記』が遺されていました。戦前のものも含まれていますが、依頼されたうちの一人、筑摩書房編集者の竹之内静雄が何とか見つけてくれたようです。
「らんまん」で植物が静かなブームですので、タイムリーな企画ではないでしょうか。ぜひ足をお運び下さい。
【折々のことば・光太郎】
明日久しぶりの短歌会に参上いたしたいのも山々ながら、留守中つもつて居ります緊急の用事を先づ片つけねばならず、残念ながら多分まゐれない事と存じます。来会諸士によろしく。
大正13年(1924)11月27日 与謝野晶子宛書簡より 光太郎42歳
確認できている晶子宛唯一の書簡です。二人の関係を考えればかなりの数が送られているはずなのですが……。晶子の夫・寛宛は十数通確認できています。
この書簡も、晶子の著書『女子作文新講 巻二』に画像入りで紹介されているため、確認できた次第です。