光太郎の父・光雲と、その師・東雲系の情報です。

まず、昨日の『北海道新聞』さんから。

小さな工芸美術館、乙部の街かどに 鋳金造形家が築130年の蔵に開設

【乙部】栄浜地区在住の鋳金造形家、中川真一郎さん(84)が10日、同地区の国道沿いに小さな私設美術館を開いた。自らの作品のほか15人の工芸作家の陶芸や彫刻、レリーフなどを紹介している。「街かどの小さな工藝(こうげい)美術館」と命名した。予約制だが「特に、子どもたちに見にきてほしい」と話している。
 約130年前に建てられた約20平方メートルの木造の蔵を、地元事業者の協力を受けながら手作業で2年がかりで改装した。現在は約40点の作品を展示しており、今後も未整理の作品を随時紹介していくという。「子どもたちにも分かる工芸美術館」をコンセプトとし、各作品に「子ども達へ」と題した解説文を添えている。
 美術館の入り口には地元の指物師による120年前の欄間を縦にして展示。中川さんの作品では日展で特選を受賞した「蝕」や、館浦温泉公園にあるモニュメントの原型になった鋳金作品、聖武天皇の法要で使われた風鐸(ふうたく)(鐘形の鈴)を再現した「風を待つ鎮鐸」などが目を引く。風鐸は実際に鳴らすことができ、解説にも「そっと触れて千年前の音を聞いてみて」と記した。また、後志管内黒松内町出身の工芸家、阿部憲司さんの複雑なやじろべえなども触って遊ぶことができる。
 明治期から昭和初期に活躍した彫刻家高村光雲のレリーフや昭和期の洋画家小磯良平の陶器の飾り皿など、貴重な作品も紹介している。中川さんは「大人と違い、子どもたちはみんな目を輝かせて工芸作品を見てくれる。多くの子どもたちにさまざまな作品に接してほしい」と話している。
 開館は土、日、祝日の午前10時~午後4時半で、事前予約が必要。予約、問い合わせは中川さん、電話0139・62・3783へ。
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この手のミニ美術館、なかなか運営していくのは大変とは存じますが、頑張っていただきたいものです。

続いて京都から、展覧会情報。先週始まりました。

超細密工芸

期 日 : 2023年6月10日(土)~9月3日(日)
会 場 : 清水三年坂美術館 京都市東山区清水寺門前産寧坂北入三丁目337-1
時 間 : 10:00~17:00
休 館 : 月・火曜日(但し、祝日は開館)
料 金 : 一般:1000円 大学・高校・中学生:600円 小学生:300円

 江戸から明治期の日本においては、金工、漆芸、彫刻といった手工芸の分野が技法的にも芸術的にも頂点に達した時代といわれています。戦のない泰平の江戸時代に大名や町人らが身の回りの調度品や刀装具などに趣向を凝らすようになったことで、多様で豪華な細工を施す職人たちが現れ、技術が発展していったのです。度重なる奢侈禁止令を潜り抜け、写実表現を取り入れた精緻なもの、更には原寸よりずっと小さく作られたミニチュア工芸といったものも制作され、人々の目を楽しませました。
 本展では、当館の所蔵品の中でもひときわ細密で精緻な作品の数々を展覧します。刀装具、印籠、根付やミニチュア作品など、極小の世界に施された超細密な技の数々をどうぞご高覧ください。
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主に明治期の「超絶技巧」系の作品を数多く所蔵されている清水三年坂美術館さん。光雲作品も多数お持ちで、昨年開催された「明治・大正時代の木彫」では、光雲作品を14点も出されました。

今回、出品目録に「高村東雲」の名。「十一面観音菩薩像」が出品されています。
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「高村東雲」を名乗った彫刻家は三人。初代東雲(文政9年=1829~明治12年=1879)は、光雲の師匠です。光雲は元々中島姓でしたが、徴兵遁れのため師匠の姉・悦の養子となり(最初期の徴兵制では長男は免除)、高村姓となりました。

初代の子息が二代東雲を名乗ったのですが、残念ながら大した腕ではなかったようです。

そしてさらにその子息が三代目。はじめ、「晴雲」と号していましたが、戦後、三代目を襲名しました。晴雲時代に光雲に師事し、こちらはなかなかの作を遺しています。

007今回出ている「十一面観音菩薩像」が何代目の作なのか不明ですが、通常、「東雲」と云えば初代を指します。しかし、厨子の制作者である伊藤銕石は明治後半から大正期にかけての木彫家で、初代とは時期的にずれています。ただ、厨子は後から作られて添えられた可能性もあり、何とも云えませんが……。

追記:清水三年坂美術館さんのツイッターに画像が出ました。初代の作、厨子は後からだそうです。

それから同館、一階では常設展示も為されており、そちらでは光雲の「法師狸」が展示中。こちらは平成26年(2014)から翌年にかけ、日本橋の三井記念美術館さん他を巡回した「超絶技巧!明治工芸の粋―村田コレクション一挙公開―」に出たもので、併せてご覧頂きたいところです。

さて、北海道乙部町・街かどの小さな工藝(こうげい)美術館さん、清水三年坂美術館さん、それぞれぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

いつぞやの木彫小品は詮衡の上、貴下にお送りするのは「蟬」と定めました。只今桐箱を造らせて居ります故、不日御送付いたし得る事と存じます。 蟬は小生の愛着深きもの、最初の入会者たる貴下にお送りするのを喜びます。

大正13年(1924)10月7日 平野源蔵宛書簡より 光太郎42歳

平野源蔵」は富山県八尾の呉服商。「最初の入会者」は光太郎が入会者を募って木彫を頒布する「木彫小品を頒つ会」。関東大震災後、ブロンズの胸像等は世の中がそれどころではなく、注文が途絶えましたが、ふと再開した木彫は世間からも受け入れられ、「蟬」をはじめ、「柘榴」「鯰」「白文鳥」などの優品が次々生み出されました。

平野に送られた「蟬」は、5点確認されている「蟬」のうち、「蟬 1」のナンバリングで登録されているもの。現存します。

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光太郎歿後の昭和32年(1957)封切りの東宝映画「智恵子抄」(原節子さん、山村聰さん主演)では、この現物が映画の中で使われました。

東雲、光雲と続いてきた木彫の伝統、新しいエッセンスも加えながらしっかりと光太郎にも受け継がれていました。