新刊雑誌2件、ご紹介します。

まず、集英社さんで発行している文芸誌『kotoba』2023年夏号 。
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文芸誌と言っても、そう堅苦しいものではありません。新しい時代の表現や言葉のあり方をさまざまな切り口から論じたりといった文章が中心ですが、軽妙なエッセイや対談等も載り、読みやすいものです。扱われているモチーフも、メタバースやブルース・リー、漫画の『攻殻機動隊』、プロ野球にJリーグ、そうかと思うと憲法や原発など、硬派の話題も。4月に信州安曇野の碌山美術館さんでお会いした、東京藝大の布施英利氏の玉稿も載っていました。

その中で、英米文学者・阿部公彦氏の連載「日本語「深読み」のススメ」で、光太郎や谷川俊太郎氏の作品を引きつつ、詩が論じられています。サブタイトルは「詩の命」。

梗概的に「なぜ、詩は「形が命」といわれるのか。詩の「形」でとくに大事なのは何か。改行と繰り返しという、詩の形式の中でもごく地味な要素に注目すると私たちの言葉との付き合いの本質が見えてくる。」とあり、そのとおり、主に口語自由詩における改行とリフレインについて論じられています。

例として上げられているのが、光太郎詩代表作の一つ「道程」(大正3年=1914)。9行に分かち書きされている詩ですが、これを改行しないで書くとどうなるか、ということで……
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恐ろしく違和感がありますね。

では、その違和感の原因はどこにあるのか……といった話が一つ。

それから、末尾二行の「この遠い道程のため」を例に、リフレインの持つ効果についても論じられています。

他に、谷川俊太郎氏の「生きる」(有名な「生きる」が二種類ありますが、昭和31年=1956発表のソネットの方)も例としてあげられています。

口語自由詩の「改行」については、昔から論争の種です。古くは大正期、北原白秋と白鳥省吾・福田正夫らの間で、丁々発止のやりとりがありました。「改行がなかったらただの散文だろ」みたいな。

白秋は白鳥の「森林帯」という詩を槍玉に挙げています。その冒頭部分。

 萱や蕨の繁り合つてゐる
 山を越え山を越え
 一だんと高い山から望めば、
 遠い麓の広土は
 青たたみ数枚のやうに小さい、
 哀傷を誘ふほどにも何と云ふ可愛らしい世界であらう。

阿部氏がやったように、白秋はこれの改行をなくし、読点を補って……

萱や蕨の繁り合つてゐる、山を越え山を越え、一だんと高い山から望めば、遠い麓の広土は、青たたみ数枚のやうに小さい、哀傷を誘ふほどにも何と云ふ可愛らしい世界であらう。

白秋曰く

 これは原作者に対しては非常に気の毒ではあるけれども、詩の道の為めと思つて許していただきたい。
 読者はまた、之をただ読み下して読んでいただきたい。さうしてこれがどうしても散文で無い、詩である、自由詩である、と思はれるかどうか、詩としてのやむにやまれぬリズムのおのづからな流れがあるか、どうか、それを感覚的に当つてゐただきたい。


この背景には、ざっくり云えば芸術至上主義的な白秋は「いかに」詩にするかを大切にし、後のプロレタリア文学に連なる白鳥ら民衆詩派は「何を」詩で表すかに軸足を置いていた、という立場の相違もあるようです。

「道程」の改行を取っ払うと非常に違和感があるのは、白秋曰くの「詩としてのやむにやまれぬリズムのおのづからな流れ」が、白鳥のそれには無く(ファンの方、すいません)、「道程」には厳然としてそれが込められているからのような気がします。阿部氏、やはりそういったことを指摘されていますし、リフレインの効果についても、実に的確に論じられています。

まぁ、700余篇確認できている光太郎詩の全てが「詩としてのやむにやまれぬリズムのおのづからな流れ」を持っているかというと、答は否、でしょう。特に戦後の自伝的な連作詩「暗愚小伝」などは、その点を諸家に批判されています。

さて、詩を作る方々、ぜひこちらをご購入なさり、お読みいただきたいものです。

雑誌ということで、ついでにもう1件。

当会顧問であらせられた故・北川太一先生のさまざまな著作をはじめ、光太郎関連書籍を数多く出して下さっている文治堂書店さんのPR誌的な『とんぼ』。第十六号が届きました。
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今年1月に亡くなった、光太郎終焉の地・中野の貸しアトリエの所有者にして、生前の光太郎にかわいがられた中西利一郎氏の追悼文(文治堂書店社主・勝畑耕一氏と、当方)が載っています。

それから当方の連載「連翹忌通信」。今号は一昨年、茨城取手で発見した光太郎揮毫の墓標について。この連載、そうそうネタがあるわけでもなく、このブログでご紹介したような事柄を改めてまとめ直して使わせていただいております。前号では花巻市に寄贈された光太郎の父・光雲作の木彫「天鈿女命像」と、鋳銅製「准胝(じゅんてい)観音像」について書きました。

そういう意味ではある種、手抜きとも云えるような執筆なのですが、巻末にこんなことを書かれては、いい加減には書けないな、と思う今日この頃です。
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奥付画像を載せておきます。ご入用の方、版元まで。

【折々のことば・光太郎】

どうも何かするのがのろいので自分ながら困ります。


大正13年(1924)5月11日 木村荘五宛書簡より 光太郎42才

原稿が遅れるという言い訳の葉書から。自身を「牛」に例えることもあった光太郎ですので……(笑)。

こちらも当方手持ちの葉書です。
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毛筆で書かれています。墨をすっている暇があったら原稿書けよ、と言いたくなりますが(笑)。