都内から同日開催の演奏会系情報を2件。
まずは練馬、クラシック系です。
故・別宮貞雄氏の「智恵子抄」、テノールの紀野洋孝氏が積極的に取り上げられ、他にもぽつりぽつり色々な方が歌って下さっています。非常に抒情的かつ、日本語のフレーズを大切にした作曲です。
今回は美術館さんでコンサート。何とも優雅ですね。
もう1件。一転してジャズ系です。
まずは練馬、クラシック系です。
齊藤恵ソロコンサート にほんのうた
期 日 : 2023年6月24日(土)
会 場 : 光が丘美術館 東京都練馬区田柄5-27-25
時 間 : 14:00~
料 金 : 一般3,000円 小学生以下1,000円
「にほんのうた」と題しまして、前半は童謡・唱歌に素敵な伴奏を付けたもの、後半は高村光太郎の詩に別宮貞雄が曲を付けた歌曲集「智恵子抄」を全曲歌います。
「智恵子抄」は数年前に抜粋で演奏したことがあり、いつか全曲をやりたいと思っていたものです。Ⅰ 人に Ⅱ 深夜の雪 Ⅲ 僕等 Ⅳ 晩餐 Ⅴ あどけない話 Ⅵ 人生遠視 Ⅶ 千鳥と遊ぶ智恵子 Ⅷ 山麓の二人 Ⅸ レモン哀歌 の9曲から成り、光太郎の智恵子への愛が存分に感じられる曲集です。
「50歳を過ぎたら日本歌曲をしっかり勉強しよう」と思っていたのですが、その歳を過ぎても遅々として進まない状況ですが、今回思い切って企画しました。まだまだ拙い演奏ですが、ぜひご来場いただき、ご高評をいただきたく存じます。よろしくお願いいたします。
出 演 : 齊藤恵(ソプラノ) 野入葉子(ピアノ)
出 演 : 齊藤恵(ソプラノ) 野入葉子(ピアノ)
曲 目 :
どこかで春が 百田宗治作詞 草川信作曲 伊藤康英編曲
うみ~唱歌ファンタジー~
われは海の子 文部省唱歌
うみ 林柳波作詞 井上武士作曲 伊藤康英編曲
村祭 文部省唱歌 伊藤康英編曲
冬景色 文部省唱歌 伊藤康英編曲
赤とんぼ 三木露風作詞 山田耕筰作曲 伊藤康英編曲
あわて床屋 北原白秋作詞 山田耕筰作曲 伊藤康英編曲
宵待草 竹久夢二作詞 多忠亮作曲 伊藤康英編曲
歌曲集『智恵子抄』 高村光太郎作詞 別宮貞雄作曲
Ⅰ 人に Ⅱ 深夜の雪 Ⅲ 僕等 Ⅳ 晩餐 Ⅴ あどけない話 Ⅵ 人生遠視
Ⅶ 千鳥と遊ぶ智恵子 Ⅷ 山麓の二人 Ⅸ レモン哀歌
「「智恵子抄」は数年前に抜粋で演奏したことがあり」というので調べてみましたところ、平成27年(2015)に、青山の草月ホールさんで開催された「日本の音楽展(XXXVII)」で、確かに4曲抜粋で歌われていました。今回ピアノを担当される野入さんという方も、同じ演奏会で別の曲の伴奏をなさっていました。どこかで春が 百田宗治作詞 草川信作曲 伊藤康英編曲
うみ~唱歌ファンタジー~
われは海の子 文部省唱歌
うみ 林柳波作詞 井上武士作曲 伊藤康英編曲
村祭 文部省唱歌 伊藤康英編曲
冬景色 文部省唱歌 伊藤康英編曲
赤とんぼ 三木露風作詞 山田耕筰作曲 伊藤康英編曲
あわて床屋 北原白秋作詞 山田耕筰作曲 伊藤康英編曲
宵待草 竹久夢二作詞 多忠亮作曲 伊藤康英編曲
歌曲集『智恵子抄』 高村光太郎作詞 別宮貞雄作曲
Ⅰ 人に Ⅱ 深夜の雪 Ⅲ 僕等 Ⅳ 晩餐 Ⅴ あどけない話 Ⅵ 人生遠視
Ⅶ 千鳥と遊ぶ智恵子 Ⅷ 山麓の二人 Ⅸ レモン哀歌
故・別宮貞雄氏の「智恵子抄」、テノールの紀野洋孝氏が積極的に取り上げられ、他にもぽつりぽつり色々な方が歌って下さっています。非常に抒情的かつ、日本語のフレーズを大切にした作曲です。
今回は美術館さんでコンサート。何とも優雅ですね。
もう1件。一転してジャズ系です。
期 日 : 2023年6月24日(土)
会 場 : 名曲喫茶ヴィオロン 東京都杉並区阿佐谷北2-9-5
時 間 : 19:00~
料 金 : 1,000円(1ドリンク付)
出 演 : MIHOE(朗読/歌) 藤澤由二(ピアノ)
中山ふじ枝(クロマチック・ハーモニカ)
中原中也 寺山修司 智恵子抄 そしてオリジナル ノスタルジックな世界をJAZZ演奏と朗読で綴る小さな時間
昨年8月にも同じ会場で、「智恵子抄」を扱って下さいました。それからツィッター投稿に「智恵子抄」の文字が無くて気づかなかったのですが、今年3月にも演(や)られていました。
継続して取り上げて下さるのは非常に有り難いところです。
それぞれ是非お伺いしたかったのですが(ハシゴも可能かな、と)、自分の市民講座「高村光太郎・智恵子と房総」がまさにその日でして(ちなみにおかげさまで定員に達したそうです。多謝)、残念ながら欠礼致します。
お近くの方(遠くの方も)、ぜひどうぞ。
【折々のことば・光太郎】
「今度の災厄」は、関東大震災。柳八重は画家の柳敬助夫人。柳夫妻は明治末、智恵子を光太郎に紹介するのに一役買ってくれました。
敬助はこの年5月に急逝。その遺作展が日本橋三越で始まったのがまさしく震災当日の9月1日で、集められた柳の遺作絵画38点、さらに具体的な作品名は不明ですが光太郎作品を含む、賛助出品された友人たちの作品64点すべてが焼失してしまいました。
昨年8月にも同じ会場で、「智恵子抄」を扱って下さいました。それからツィッター投稿に「智恵子抄」の文字が無くて気づかなかったのですが、今年3月にも演(や)られていました。
継続して取り上げて下さるのは非常に有り難いところです。
それぞれ是非お伺いしたかったのですが(ハシゴも可能かな、と)、自分の市民講座「高村光太郎・智恵子と房総」がまさにその日でして(ちなみにおかげさまで定員に達したそうです。多謝)、残念ながら欠礼致します。
お近くの方(遠くの方も)、ぜひどうぞ。
【折々のことば・光太郎】
今度の災厄については市民一同いづれも悲痛な経験を負はされましたが、私自身として、柳君の遺作の事ほど切実に悲しまされた事はありません。身に近く、苦しい気がします。 あなたの御心持を推察する事は更に強い圧迫です。 けれど事実は二度とあともどりしない事を思へばどう考へてもどう為ようもなく又どう言ひやうもありません。 せめて友人間にまだ散らばつてゐる遺作をあなたの許に集め寄せる事が出来れば一つの慰めになるかと思ひました。
大正12年(1923)10月23日 柳八重宛書簡より 光太郎41歳
「今度の災厄」は、関東大震災。柳八重は画家の柳敬助夫人。柳夫妻は明治末、智恵子を光太郎に紹介するのに一役買ってくれました。
敬助はこの年5月に急逝。その遺作展が日本橋三越で始まったのがまさしく震災当日の9月1日で、集められた柳の遺作絵画38点、さらに具体的な作品名は不明ですが光太郎作品を含む、賛助出品された友人たちの作品64点すべてが焼失してしまいました。