ハンドメイド系の通販サイトから最近見つけた商品を2点。

レモンのイヤリング

チェコガラスビーズでできたレモンのイヤリングです。

レモンのお色は高村光太郎の『智恵子抄』から、「レモン哀歌」をイメージした「トパアズ」と、梶井基次郎の『檸檬』をイメージした「イエロー」の2種類、金具はゴールドとシルバーの2種類、計4種類をご用意しました。ご注文の際はよくご確認下さい。

A1:トパアズ×ゴールド ¥ 600  A2:トパアズ×シルバー ¥ 600
000
001
002
B1:イエロー×ゴールド ¥ 600  B2:イエロー×シルバー ¥ 600
003
「トパーズ」ではなく「トパアズ」として下さっているのが心憎いところです。

もう1件。

【レモン哀歌ネックレス】天然石きらめく物語アクセサリー

 高村光太郎が妻・智恵子を偲んで書いた「レモン哀歌」は、永遠の愛の詩です。「愛し合うすべての人々が幸福でありますように」。そんな思いで作ったネックレスです。
 みずみずしいレモンクオーツをトップに付けました。ラフカットなので不規則にきらめきます。「自分らしく」と励ましてくれるシトリンを3粒並べ、レモン果汁の香気を表現しました。
 きらめく雫のようなアクアマリンを、レモンクオーツの隣に付けました。幸せな結婚の象徴でもあり、自由の象徴であるアクアマリンは、心の闇に入りこんでしまったときでも、一筋の光を見せてくれる石です。
 青白いオーロラのような石は、レインボームーンストーン。小さな奇跡に巡りあわせてくれるロマンティックな石です。
 長さ調節できるアジャスターには、「希望の石」アマゾナイトを付けました。

チェーン(真鍮) 約36cm  長さ調節アジャスター 約3cm

★ラッピングについて
 「レモン哀歌」についての文章と天然石の紹介を書いた、小さな本にお入れします(無料)。
★天然石について
 石の形状や大きさ、色味は写真とは異なることがありますが、ひとつとして同じものがない天然石の味わいと思って頂けると幸いです。また、天然のクラックやキズが見られる石がありますことをご了承ください。
~天然石の紹介~
◆レモンクオーツ
 レモンの香気のようなみずみずしい水晶で、水晶特有の冷涼感と温かみがあります。この石を見ていると、窓からの陽射しで朝目覚めたときの、何もかも新しく生まれ変わっているような清々しさを感じます。フレッシュな明るさをもつ石ですが、包みこむような優しさと安心感もあります。
◆シトリン
 柔らかな太陽の光のような石で、日光浴をしているときの体に染みいる温かさを放つ石です。「自分らしく」と元気づけてくれ、心に明るく朗らかな光をもたらしてくれます。瞬間々々の充実感や満足感、無理のない自分らしさや自信、問題を乗りこえ前進していく勇気を与えてくれます。
◆アクアマリン
 穏やかに打ち寄せる波や、きらめく雫を思わせる、みずみずしい石で、感情の滞りを洗い流して心を癒してくれます。自由を象徴する石でもあり、何事にも囚われない水のような柔軟性や、相手を受け容れる大らかさをもたらし、壁のないコミュニケーションを助けてくれます。そのため「幸せな結婚」を象徴する石でもあります。また、アクアマリンは「夜の女王」とも呼ばれるように、暗がりできらめきを増すという特徴がありますが、この優しいきらめきは、心の闇に入りこんでしまったときでも、一筋の光を見せてくれる気がします。
◆レインボームーンストーン
 朧月のような、神秘的な美しさをもつ石で、インスピレーションを高め、小さな奇跡と思える出来事や出会いに導いてくれるといわれています。
◆アマゾナイト(ペルー産)
 希望や幸運を呼び込んでくれるといわれています。明るい青緑色がアマゾンの川や森を思わせることから、石名が付けられたそうです。心が安らぐ色をしていますが、原始の川や森に木漏れ日が差すような明るさも。
004
009
005
006
007
008
画像を見るとけっこう以前から売られているようですが(2016年という文字が見えますので)、つい最近検索網に引っかかりました。

「こんなのもあるよ」という情報、お待ちしております。作家さんご本人でも、それ以外の方でも。できるかぎり紹介させていただきます。

【折々のことば・光太郎】

あなたが外国へ向はれてからもうまる三年たちました。 そして私はまだあの成瀬先生の胸像をいぢつて居ります。 学校の方の人々のよく忍耐して待つてゐて下さるのを ありがたいと思つてゐます。 しかし私が今こんなに長くかかつてやつてゐるのは 私としては 無意味ではないのです。この胸像は私の彫刻製作上の一転機をつくるものと信ぜられるのです。私はこの三年間 煉瓦をつむやうに研究して来ました。そして心の全く澄んで 静かな時だけ此の彫刻に手をつけました。雑念の心を乱すやうな時は幾日でも手をつけずに 只見てばかりゐました。


大正11年(1922)3月11日 小橋三四子宛書簡より 光太郎四十歳

010小橋三四子は日本女子大学校での智恵子の先輩。同じく柳八重らとともに、光太郎と智恵子の出会いをお膳立てしてくれた一人です。その小橋らを通じて、同校の創設者にして大正8年(1919)に亡くなった成瀬仁蔵の胸像制作の依頼がありました。依頼は成瀬が没する直前で、3年経ってもまだ出来ていないという報告です。

しかし、3年どころではなく、結局、この胸像が完成するのは昭和8年(1933)。造っては毀しの繰り返しで実に14年もかけました。光太郎、この胸像には書簡に書かれているようなものすごい思い入れがあったようです。後から注文があった松方巌胸像、黒田清輝胸像の方が先に完成してしまいました。もっとも、それらは注文主が待ってくれなかったのかもしれませんが。

この像、現在も同校の成瀬記念講堂に据えられています。下の画像は同校創立90周年記念のテレホンカードです。平成3年(1991)頃のものでしょう。
001
002