刊行物3件ご紹介します。いずれも当方がからんでいるもので、どうもこの手のものの紹介はなかなか気が引け、ついつい後回しにしていました。

まず、高村光太郎研究会発行の年刊誌『高村光太郎研究(44)』。4月2日(日)発行です。
004
「光太郎遺珠」ということで、筑摩書房さんの『高村光太郎全集』完結後に見つかり続けている光太郎文筆作品を紹介する連載をさせていただいています。

この1年間で見つけたものが以下の通り。

散文
 芸術家としての女優 『大正演芸』第1巻第3号(大正2年=1913 3月1日 大正演芸社)
 書斎の構造 『建築之日本』第1巻第5号(大正5年=1916 10月7日 建築之日本社)
 「みちのく」に刻んだ亡き夫人への追慕 高村翁・長夜の歓談
 『岩手日報』昭和28年=1953 12月7日
アンケート
 諸家の感想 『製本業報』10月号(昭和2年=1927 10月1日 製本業報社)
短評
 大村正次詩集『春を呼ぶ朝』 林一郎詩集『原始から出た』 共に昭和4年(1929)
雑纂
 芸術家名鑑 『人間』第4巻第1号(大正11年=1922 1月1日 人間社出版部)
 永住を決意して最高の文化建設 高村光太郎氏 岩手で原始生活
 『毎日新聞』昭和20年=1945 11月1日
書簡
 新納忠之介宛 大正12年(1923)1月5日
 木村荘五宛  大正13年(1924)8月4日
 関川常雄宛  大正15年(1926)6月20日
 尾崎喜八宛  昭和21年(1946)6月12日
 硲真次郎宛  昭和30年(1955)11月28日

多くは国立国会図書館さんのデジタルデータ閲覧システムのリニューアルによって見つけました。しかしそれ以外にも都内岩手で足で稼いで掘り起こしたものも。

また、「高村光太郎没後年譜」ということで、昨年1年間の主なイベント、出版物等を紹介しています。

頒価1,000円。奥付を載せておきますのでご入用の方はそちらまで。
005 003
続いて『光太郎資料59』。もともと当会顧問であらせられた故・北川太一先生が出されていた冊子の名跡を受け継ぎ、当会として年2回発行しています。こちらも4月2日(日)、連翹忌の集いご参加の方には無料で配付し、その後、関係の方々等にはお送りしました。

今号は

 「光太郎遺珠」から 第23回 「婦人」(その三)
 光太郎回想・訪問記 高村光太郎との邂逅 常井英晶
 光雲談話筆記集成 西郷隆盛銅像について
 昔の絵葉書で巡る光太郎紀行  第23回  大洗(茨城県)
 音楽・レコードに見る光太郎  第23回  建てましよ吾等の児童会館 坂本良隆
 高村光太郎初出索引 
 編集後記

です。

送料込み200円でお分けします。コメント欄(非表示可)、当方SNS等からお申し込み下さい。また、10,000円にて37集からのバックナンバーを含め、今後永続的にお送りします。

もう1件。日本詩人クラブさんの会報的な『詩界通信』。
001
006
「12月例会報告」の中に、昨年12月10日に開催された同クラブ12月例会のレポートと、当方の講演「2022年の高村光太郎――ウクライナ、そして『智恵子抄』――」の梗概が載っています。

こちらも奥付を載せておきます。
002
というわけで、どうも手前味噌で恐縮でした。

【折々のことば・光太郎】

雑誌を只頂いては余りすみません(或る大きな団体等から送られる雑誌に対してはさういふ気もいたしませんが) 私も経済で苦しんで居ます 誰でもさうだらうと思つて居ます それで兎も角一箇年と定めてあるだけお送りいたします 此事はどうか悪い様にとらないで下さい


大正5年(1916)10月7日 中川一政宛書簡より 光太郎34歳

中川一政は画家。一昨年、中川、光太郎、そして熊谷守一の書を中心とした展覧会「チューリップテレビ開局30周年記念「画壇の三筆」熊谷守一・高村光太郎・中川一政の世界展」が富山県水墨美術館さんで開催されました。

この書簡は中川が出していた雑誌『貧しき者』の受贈礼状。それまで自分で書店から買っていたのを送ってくれるようになり、代金を前払いするけれど悪しからず、的な。

光太郎、自分の文筆に関しては商業資本の有名雑誌より、こうした同人誌的なものに喜んで寄稿していました(それだけに未だ埋もれている作品が多く存在するわけで)し、購読もそうだったようです。