先月2日、3回連続でコロナ禍により中止していた光太郎忌日・連翹忌の集いを4年ぶりに執り行いました。初めてご参加下さった方も多く、また少し輪を広げることができたかな、と感じました。

そうした中で、集まった方々の光太郎智恵子愛に啓発というか、触発というか、そんな感じで新たにいろいろなさった方の活動をご紹介します。

まず詩人の吹木文音氏(連翹忌にはご本名でご参加)。玉稿の載った同人誌をご送付下さいました。福島の「北方詩の会」さんで刊行されている『北方』。季刊のようで、今年1月の190号と4月の191号をお送り下さいました。
000 001
002光太郎智恵子がらみですと、191号に「憧憬 智恵子の彩り」という散文。連翹忌の集いの様子にも触れて下さった上で、簡にして要を得た智恵子評伝。曰く「容姿、造作、衣服に止(とど)まらない、人間性から輝き出す真の彩り。憧れの智恵子に倣って、私も磨いてゆきたいと思う」。

また、190号に載った「白河の関に寄せて」という散文でも「高村光太郎の「智恵子抄」で「ほんとの空」と謳われた安達太良山の向こうの青空を求めて旅する人は、今も後を絶ちません」のひと言。ちなみに吹木氏ご自身は栃木県にお住まいですが。

奥付画像を貼っておきます。ご入用の方はご参考までに。

吹木氏、智恵子を主人公とした小説なども書いてみたい、的なこともおっしゃっています。期待大ですね。

もうお一方、茶山千恵子氏。富山県ご在住、彼の地で演劇や朗読等で光太郎智恵子の世界を広めて下さっている方です。大学が家政科食物栄養専攻だそうで、料理の腕前もプロフェッショナル。ご自宅を開放して、ランチやらスイーツやらを予約の方々に振る舞われる活動もなさっています。

で、今月14日から、月に一度、「光太郎ランチ」だそうで。
003
元ネタが、岩手花巻で光太郎の顕彰活動をいろいろやられているやつかの森LLCさんで一昨年発行された「光太郎の食卓カレンダー」。かつて『花巻まち散歩マガジンMachicoco(マチココ)』さんに連載されていた「光太郎レシピ」をカレンダーにしたものです。

発行当時、これをごっそり戴いたので、SNSで「ご入用の方、送料のみでお頒けします」的な書き込みをしたところ、茶山氏も食いついてこられ(笑)お買い求め下さいました。で、今年の連翹忌でやつかの森LLCの方々とお会いになって許可を取り、再現なさるそうです。ただ、今月分は既に予約がいっぱいだとのことですが。

これを饗しながら、光太郎智恵子についてもレクチャーをして下さるようで、有り難いかぎりです。茶山氏のレポート等が届きましたらまたご紹介します。

以前も連翹忌の集いを通してお知り合いになった方々がタッグを組んで新たな活動を始められたりということが多々ありました。遠く昭和の世にもそういうことがあり、埼玉県東松山市に光太郎胸像を含む高田博厚の作品群を並べた「彫刻プロムナード」が出来たのも、同市教育長であらせられた故・田口弘氏が連翹忌の席上で高田と意気投合したのがそもそもの始まりと聞いています。そうした例はたくさんあったのでしょう。

そして今後もそうした例がふえることを願って已みません。やはり人々が直接顔を合わせ、その上で共鳴し合ったり、新たな出会いを通して新たな方向性が見えてきたりといったことがあるはずです。そういうきっかけを作れる場としての連翹忌の集いでありたいと思う今日この頃です。

【折々のことば・光太郎】

「道程」をみてくれた相で恐縮した 本来なら贈るのだがどうもあんまり不満足な作ばかりなのでつひ止して居た 「道程」はまだ駄目だ ただ此からやつと行ける道が見えただけだ まだ道程にも上つて居ない事が解つた あれを出した為めに自由になつた気がするだけはよかつた

大正3年(1914)12月27日 柳敬助宛書簡より 光太郎32歳

この月22日に行われた智恵子との結婚披露宴出席の礼状を兼ねた書簡から。10月に刊行した詩集『道程』に触れています。

智恵子との結婚も果たし、まさしく「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」という心境だったのでしょう。しかし、それはある意味、「茨の道」でもあったのですが……。