光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」がらみで3件。
まずは『八戸経済新聞』さん。
まずは『八戸経済新聞』さん。
春の行楽シーズンに合わせ、十和田八幡平国立公園に指定される十和田湖の見どころを船で巡る「十和田湖遊覧船」の今期の運航が4月28日、始まる。
運航は十和田観光電鉄。奥入瀬渓流側の子ノ口(ねのくち)と乙女の像や飲食店などが並ぶ休屋(やすみや)を結ぶAコースと、休屋を発着点とするBコースを運航する。
遊覧船は、青森ねぶた祭や八戸三社大祭の山車の題材にも使われる南祖坊(なんそぼう)と八ノ太郎(はちのたろう)の「十和田湖伝説」や、田沢湖(秋田県)・支笏湖(北海道)に次いで全国で3番目に水深が深いことなど、十和田湖にまつわる物語や豆知識の解説を交えながら名所を巡る。ゴールデンウイークの4月下旬~5月上旬ごろは新緑を目前に控えた淡い色合いの景色が広がり、5月中旬~6月上旬ごろは鮮やかな新緑が楽しめる。
同社によると、中山半島の先端付近で傘のように枝を広げる「見返りの松」や、3キロにわたって断崖が広がる御倉半島の「千丈幕(せんじょうまく)」、火山噴火の影響で形成された赤い岩肌が見られる「五色(ごしき)岩」などは、「船で行かないと見られない名所」だという。
同社では、マイカーで十和田湖を訪れる場合は有料駐車場のある休屋発着のBコース、観光バスなどで訪れる団体客にはAコースの利用を勧めている。
料金は、大人=1,650円、小学生=880円。3階に用意するグリーン席の追加料金は、大人=550円、小学生=330円。今期の運航は11月6日まで。
何度か載せていただきましたが、湖上から見る風景はまた違ったものですし、海とは違い波もほとんど無くおだやかなクルーズです。北国の春を楽しむにはもってこいでしょう。
同じく船の関係で、ローカルテレビ局RAB青森放送さんのニュースから。
「コロナ禍」という単語が使われていませんでしたが、「4年ぶり」とくればそういうことなのでしょう。この手のクルーズ船、ただ海上を周遊するだけでなく、寄港地でバスに乗り込み、周辺の観光が為されます。そこで八戸港から十和田方面へも。ありがたいところです。
最後に、再び『八戸経済新聞』さんから。「乙女の像」の語は出てこないのですが……。
「青森だいすきシール南部版」、右下に「乙女の像」がきっちり描き込まれています。
昨年末でしたか今年はじめくらいでしたか、イラストを描かれた「青森のあやちか」さんから当方のツイッターアカウントに「乙女の像」をイラスト化して使っていいものかどうかというご相談がありまして、「全く問題ありません」的な返答を致しました。公共空間に設置された彫刻ですし、実際、いろいろイラスト化なども為されています。
十和田市ご当地ナンバー。
ハローキティ十和田湖限定乙女の像バージョン。
十和田湖ひめます認証店ロゴ。
青森空港巨大ステンドグラス「青の森へ」完成披露除幕式。
漫画家の能町みね子さんにいたっては、「乙女の像」を主人公にした漫画まで描かれています。
というわけで、「乙女の像」、こういった形でも愛され続けてほしいものです。
ところで、昨日、現物が届きました。
黒石市の有限会社小野商会さんがフェイスブックでシールを紹介されていて、「送付していただけますか」とメッセージを送ったところ、送料120円で送って下さいました。多謝。
ただ、現在のところ、大々的にオンラインでの販売を為さっているサイト等が見あたりません。今後に期待します。
【折々のことば・光太郎】
それつぱかりの金がないのかなあと君は思ふだらうと考へるが事実ないんですよ 文展なんかで子供だましの絵でも平気でふだん画いてる人にとつてははした金にも足りない位の金でせうがそれの出来ない僕には中々はした金ではないんです しかし金はかりたくない 自分でやつぱり作つてからにします
「金」は詩集『道程』の出版費用です。内藤は版元の抒情詩社社主でした。
大正元年(1911)のヒユウザン会展では、油絵を寺田寅彦が購入してくれましたが、そうした例は他にほとんどなく、収入といえば僅かな原稿料と、父・光雲の下職としてのもののみ。これではいかん、と、この後、油絵の頒布会を始めますが、当の光太郎自身が遅筆でした。
結局、『道程』の出版は10月。費用は光雲に出して貰っています。
何度か載せていただきましたが、湖上から見る風景はまた違ったものですし、海とは違い波もほとんど無くおだやかなクルーズです。北国の春を楽しむにはもってこいでしょう。
同じく船の関係で、ローカルテレビ局RAB青森放送さんのニュースから。
八戸港に4年ぶりに大型客船が寄港しました。
ことしは初めて外国客船の寄港も予定されるなど、県内観光の盛り上がりが期待されます。
2019年5月以来およそ4年ぶりとなる大型客船の寄港。
埠頭では地元の観光関係者が大漁旗を振って歓迎しました。
あいにくの雨模様とはなりましたが、およそ140人の乗客たちはさっそく貸し切りバスに乗り込み十和田湖・奥入瀬渓流や蕪島・種差海岸などに向かいました。
★神奈川から
Q.どうですか船旅は?
「楽しいです」
「いろいろなところを見て歩きます 乙女の像にも行ってきます」
★京都から
「きょうだけねちょっと雨が残念ですけれど 奥入瀬初めてなのでものすごく楽しみにしていたんです」
★VISITはちのへ 阿部寿一 専務理事
「本格的な観光の始まりというのを実感しています おもてなしの心を大切にしてお出迎えに対応していきたいと思っています」
八戸港にはことし大型客船4回の寄港が予定されています。
このなかにははじめて外国客船も含まれていて、県内観光の盛り上がりが期待されます。
「コロナ禍」という単語が使われていませんでしたが、「4年ぶり」とくればそういうことなのでしょう。この手のクルーズ船、ただ海上を周遊するだけでなく、寄港地でバスに乗り込み、周辺の観光が為されます。そこで八戸港から十和田方面へも。ありがたいところです。
最後に、再び『八戸経済新聞』さんから。「乙女の像」の語は出てこないのですが……。
青森県黒石市でイラストを手がける「青森のあやちか」さんが八戸を中心とする青森県南部地方の名所や名物のイラストを集めた「青森だいすきシール南部版」を制作し、4月16日に販売を始めた。
はがきサイズほどのシートに、「八戸三社大祭」の山車、「八戸えんぶり」の烏帽子(えぼし)、郷土玩具「八幡馬」、国宝「合掌土偶」、郷土菓子「南部せんべい」、横浜町の菜の花畑や十和田市の奥入瀬渓流の風景など、南部地方の名所や名物をちりばめた。イラストはタブレット端末とタッチペンで描き、手描き風に仕上げた。
青森のあやちかさんは青森市出身。県外で創作活動をしながら社会人生活を送っていたが、コロナ禍を受け黒石市に移住。久しぶりに住んだ青森県で「何となく描いたのがリンゴだった」といい、これをきっかけに青森県を題材にしたイラストを描き始めた。SNSに投稿したイラストを見た人からは「かわいい」「とても良い」などの反応があり、「シールにすれば、いろいろな人に喜んでもらえる」と考えたと言う。
昨年11月、「ねぶた」「ねぷた」の山車や、「青森りんご」「大間のマグロ」などの特産物・海産物、「岩木山」「弘前の桜」など津軽地方の名物・風景を描いたイラストを1枚のシートに集めた「青森だいすきシール」を制作し、「松の湯交流館」(黒石市中町)・青森県観光物産館アスパム(青森市安方)の「青森県地場産セレクト」などで販売。シールを見た人から「南部や下北のイラストも描いてほしい」などのメッセージが複数寄せられ、「南部版」の制作を始めた。
SNSに寄せられたメッセージや図書館で読んだ資料などを参考にイラストを制作。これまで縁がなかった旧南部領の祭り、文化、観光スポットなどを描くことで「自分の中の『青森』は津軽地方が中心だったと感じた」と話し、南部版の完成によって「自分が知らない青森の物がまだあると気づいた」と振り返る。「青森の文化や歴史を調べると、とても面白い。古くからあるものを今でも取り入れて生活できている青森を、面白くいとおしく感じる」とも話し、現在は下北版の制作に向けて準備を進める。
完成した南部版について「メモ帳や土産品など、いろいろなところにペタペタと貼って楽しんでほしい」と呼びかける。
価格は500円。カネイリのミュージアムショップ(八戸市三日町)・番町店(番町)・イオンモール下田店(おいらせ町中野平)・さくら野弘前店(弘前市城東北3)、青森県地場産セレクト、松の湯交流館で扱う。
昨年末でしたか今年はじめくらいでしたか、イラストを描かれた「青森のあやちか」さんから当方のツイッターアカウントに「乙女の像」をイラスト化して使っていいものかどうかというご相談がありまして、「全く問題ありません」的な返答を致しました。公共空間に設置された彫刻ですし、実際、いろいろイラスト化なども為されています。
十和田市ご当地ナンバー。
ハローキティ十和田湖限定乙女の像バージョン。
十和田湖ひめます認証店ロゴ。
青森空港巨大ステンドグラス「青の森へ」完成披露除幕式。
漫画家の能町みね子さんにいたっては、「乙女の像」を主人公にした漫画まで描かれています。
というわけで、「乙女の像」、こういった形でも愛され続けてほしいものです。
ところで、昨日、現物が届きました。
黒石市の有限会社小野商会さんがフェイスブックでシールを紹介されていて、「送付していただけますか」とメッセージを送ったところ、送料120円で送って下さいました。多謝。
ただ、現在のところ、大々的にオンラインでの販売を為さっているサイト等が見あたりません。今後に期待します。
【折々のことば・光太郎】
それつぱかりの金がないのかなあと君は思ふだらうと考へるが事実ないんですよ 文展なんかで子供だましの絵でも平気でふだん画いてる人にとつてははした金にも足りない位の金でせうがそれの出来ない僕には中々はした金ではないんです しかし金はかりたくない 自分でやつぱり作つてからにします
大正3年(1914)3月4日 内藤鋠策宛書簡より 光太郎32歳
「金」は詩集『道程』の出版費用です。内藤は版元の抒情詩社社主でした。
大正元年(1911)のヒユウザン会展では、油絵を寺田寅彦が購入してくれましたが、そうした例は他にほとんどなく、収入といえば僅かな原稿料と、父・光雲の下職としてのもののみ。これではいかん、と、この後、油絵の頒布会を始めますが、当の光太郎自身が遅筆でした。
結局、『道程』の出版は10月。費用は光雲に出して貰っています。