一昨日、昨日と、光太郎第二の故郷とも言うべき岩手県花巻市に行っておりました。

まずは花巻市郊外で現地調査。昭和25年(1950)に光太郎が文字を揮毫した墓石の探索でした。この年の光太郎日記は大半が失われており、その詳細が不明でした(郵便物の授受を記録したノートは残っており、そこにちらっと記述がありまして)が、昨年12月に国立国会図書館さんのデジタルデータ閲覧システムが大幅にリニューアルされ、自宅兼事務所に居ながらにして、これまで得られなかった大量の情報が手に入るようになり、墓石銘当該人物の出身地が判明しました。さらに他のサイトで、当該人物の血縁とおぼしき方々がその地区にまだ住んでらっしゃることも判明。雲をつかむに近い話ではありますが、無駄足覚悟で行ってみました。新花巻駅からレンタカーです。

戦後の7年間、光太郎が暮らした旧太田村もかなりの寒村で現在もそんな感じですが、この地区も同じような佇まい。よそ者が車を駐めて歩いていると目立つ、というか、当方のような人相の悪い男がうろうろしていると、物騒な昨今、不審です。お庭で何か作業をされていた年配のご婦人に「何かお探しですか」と声を掛けられました。そこで「これこれこういうわけで……」と説明し、光太郎に墓石の揮毫を依頼した人物の名を挙げると、「ああ、その方はもう亡くなってますけど、そのお宅でしたらひと山向こうのこの辺で……」と、詳しく教えて下さいました。

教えていただいた通りにレンタカーを走らせ、ここだろう、というお宅で呼び鈴を鳴らし、出ていらしたご婦人に「かくかくしかじかで……」と言うと、ご主人を呼んで下さって、「ああ、そのお墓でしたらあそこですよ」。指さされた数百メートル先の小高い山頂に共同墓地。「分かりにくい場所なので案内しましょう」と、軽トラを出して下さり、当方はレンタカーでついていきました。最初のご婦人にしろ、このご夫婦にしろ、何とも親切な方々で……。

車を駐めてご夫婦の後について山道を上ると、共同墓地。そして二基の墓石が、まごうかたなき光太郎の筆跡で、光太郎の遺した記録と一致しました。感無量でした。長時間探したあげく結局見つからず、という事態も覚悟していたのですが、とんとん拍子に見つかったのは、奇跡的でした。光太郎や、墓石に眠る方々のお導きなのか、という気もしました。二基の墓石に眠るお二人、それぞれ太平洋戦争で亡くなっています。お一人は軍人で、抑留されていたシベリアで最期を迎えられたことが墓石側面に記されていましたし、事前に得ていた情報とも一致しました。もうお一方は「軍属」と記されていましたが、そちらはいつどこで亡くなったか何も書かれていませんでした。

ご夫婦、これが光太郎の書いた文字だということは御存じではありませんでした。ただ、依頼した人物(お墓に眠るお二人の父君)の昔の日記が残っているというお話でしたので、そこに経緯が記されているかも知れません。

持参した香を手向け(最初に案内していただいた時には興奮のあまり忘れていたのですが、レンタカーにとってかえし、ボストンバッグから引っぱり出しました)、合掌。

ちなみに、茨城取手山形米沢と、これで記録に残る光太郎揮毫の墓石すべての所在が分かりました。まだ同様の例で記録が確認できていないものがあるかもしれませんが。

その後、旧太田村の高村山荘(光太郎が戦後の七年間を過ごした山小屋)、隣接する花巻高村光太郎記念館さんに推参。

山荘前のかつて光太郎が自耕していた畑の跡には水芭蕉が咲き誇っていました。
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千葉の自宅兼事務所ではとっくに散ってしまった連翹も。
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久しぶりに、山荘裏手の智恵子展望台に上ってみました。冬期は積雪のため行くことが出来ません。
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隣接する花巻高村光太郎記念館さん。
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こちらでは企画展「山口山の木工展」が開催中。奥州市胆沢に「木工房さとう」を構え、木のおもちゃやカラクリ作品などを製作しているさとうつかさ氏による、光太郎や宮沢賢治の世界を表した木工作品の展示です。「山口山」というのは、この辺りの低山の総称です。
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光太郎、そして賢治ワールドのとにかく楽しい作品がいっぱいです。
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しかもモーター仕掛けで動いているものも。
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光太郎も動いて藁を打っていました(笑)。
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やじろべえ。絶妙のバランスで静止しています。
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ダム湖の流木でつくられたという鹿。
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どの作品も木ならではの温かみにあふれ、光太郎も絶賛するのでは、という気がしました。

拝観後、市役所の方に今年度の展望等報告を受けました。そしてお土産。
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最近流行りの缶バッヂです。これもいい感じですね。

記念館をあとに、宿泊させていただく大沢温泉さんへ。
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チェックイン後、旧菊水館のギャラリー茅へ。以前は宿泊棟で、当方、こちらに泊まることが多かったのですが、平成30年(2018)の台風でこちらに通じる橋が車で通行できなくなり、宿泊棟としては休業。その後、手前の棟をギャラリーとして活用していたのですが、さらに茅葺き部分の棟も完全に展示スペースに改装。宿泊棟としての使用はあきらめたようです。その点はちょっと残念ですが……。
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こちらでは「もうひとつの鈴木敏夫とジブリ展」が開催中です。鈴木敏夫氏は、スタジオジブリさんの代表取締役プロデューサー。大沢温泉さんファンとのことで、この展示が実現しました。集客になるならこれもありかな、と存じます。
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まっくろくろすけ、本物が一匹くらい混じっていてもわからないでしょう(笑)。
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茅葺きの棟、天井板が取り払われて、下から茅葺きの裏側が見えるようになっていました。
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手前の棟の貴賓室的な部屋はそのままに残されている部分も。おそらく光太郎、このあたりの部屋に泊まったと思われます。当方も二度、泊めていただきました。

茅葺きの棟も、露天風呂に面した窓側には宿泊棟時代の名残。
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この手の部屋にはさんざん泊まりました。もう泊まれないのかと思うと、やはり寂しいですね。

屋根も山側はトタン葺きになっていました。
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部屋に戻り、温泉に浸かって、夕食は自炊部内の食事処やはぎさんでいただきました。

というわけで、花巻高村光太郎記念館さん「山口山の木工展」、大沢温泉さん「もうひとつの鈴木敏夫とジブリ展」、それぞれぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

まだ山に居りましたが、この一日には下山いたす筈になつて居ります。

大正2年(1913)9月29日 窪田空穂宛書簡より 光太郎31歳

」は、8月上旬から10月にけ、滞在していた上高地です。9月には智恵子も光太郎を追ってやって来、ここで二人は結婚の約束を交わしました。窪田は智恵子と入れ替わりに下山しています。

この葉書、『高村光太郎全集』等未収録の新発見ですが、神保町の玉英堂書店さんが売りに出しています。