展覧会情報、2件ご紹介します。
まずは今日開幕、光太郎の父・光雲の木彫が出ます。
サンリツ服部美術館さん、セイコーグループの服部一郎氏のコレクションを元にした美術館です。
光雲の「鍾馗像」は平成30年(2018)に同館で催された「明治維新150年記念 幕末から昭和の芸術家たちと近代数寄者のまなざし」展にも出品され、拝見して参りました。
工房作か、光雲単独制作か不分明ですが、なかなかの佳品でした。
もう1件、既に始まっていますが岡山から。
井原市出身の彫刻家・平櫛田中が故郷のために寄贈した作品をコレクションの基盤とし、昭和44年に開館した当館は令和5年4月18日にリニューアルオープンします。
まずは今日開幕、光太郎の父・光雲の木彫が出ます。
近代・モダン 新しい時代の絵画をもとめて
期 日 : 2023年4月22日(土)~6月11日(日)
会 場 : サンリツ服部美術館 長野県諏訪市湖岸通り2-1-1
時 間 : 9:30~16:30
休 館 : 月曜日
料 金 : 大人1,100(1,000)円 小中学生400(350)円
( )は団体20名様以上の料金
この度サンリツ服部美術館では、明治期から昭和期の画家たちの作品を、木彫や陶磁器などの立体作品も交えながらご紹介します。
明治期に本格的に欧米の国々と接するようになった日本では、海外からもたらされた新しい制度や文化にふれ、政治や産業など様々な分野で近代化が進みました。芸術の分野でも、絵画などを学ぶための美術学校が開校され、さらに政府主催の公募展も開かれるようになります。芸術家たちは互いに対抗したり協調したりしながら、新しい時代の息吹のなかで活発に制作を行うようになったのです。
大正期から昭和初期にかけて、個性や自由を尊ぶ風潮が強まりましたが、東洋の古典的な作品に立ち返り、理想美を追いもとめて創作に取り入れる画家があらわれたのもこの時期です。
彼ら芸術家たちが、自分の生きる時代にふさわしい美術をもとめて作り出した多彩な作品をお楽しみください。
主な出品作品
・山元春挙 《若竹図》 明治から昭和期 20世紀
・橋本雅邦 《蓬莱山》 明治期 19から20世紀
・竹内栖鳳 《梅園日暖》 大正から昭和期 20世紀
・伊藤小坡 《虫売図》 昭和期 20世紀
・川合玉堂 《田家早春》 明治から昭和期 20世紀
・横山大観 《蘭図扇子》 明治から昭和期 20世紀
・富本憲吉 《白磁壺》 1936(昭和11)年
・奥村土牛 《スペインの壺》 昭和期 20世紀
・小倉遊亀 《枝椿》 大正から昭和期 20世紀
・岸田劉生 《蕪》 1926(大正15)年
・高村光雲 《端午(鍾馗像)》 1894(明治27)年 ほかサンリツ服部美術館さん、セイコーグループの服部一郎氏のコレクションを元にした美術館です。
光雲の「鍾馗像」は平成30年(2018)に同館で催された「明治維新150年記念 幕末から昭和の芸術家たちと近代数寄者のまなざし」展にも出品され、拝見して参りました。
工房作か、光雲単独制作か不分明ですが、なかなかの佳品でした。
もう1件、既に始まっていますが岡山から。
リニューアルオープン記念 所蔵名品展「平櫛田中美術館の精華ー平櫛田中全館展示ー」
期 日 : 2023年4月18日(火)~7月9日(日)
会 場 : 井原市立平櫛田中美術館 岡山県井原市井原町315
時 間 : 午前9時~午後5時
休 館 : 月曜日
料 金 : 500円(15人以上の団体400円)
高校生以下、市内在住の65歳以上、身体障害者手帳等をお持ちの方は無料
井原市出身の彫刻家・平櫛田中が故郷のために寄贈した作品をコレクションの基盤とし、昭和44年に開館した当館は令和5年4月18日にリニューアルオープンします。
リニューアル後第1弾の展覧会では、リニューアルオープンを記念して、当館の1,000点を超えるコレクションの中から選りすぐりの平櫛田中作品を一堂に展示します。平櫛田中(1872-1969)は、現在の井原市西江原町に生まれ、大阪で人形師・中谷省古に師事しました。その後、上京した田中は、彫刻家・高村光雲の門戸を叩き、彫刻家の道を歩み始めます。日本に近代化の波が押し寄せる中、日本美術の再興を目指す岡倉天心の感化も受けながら近代と伝統が融合した独自の芸術表現を探求します。
当館のコレクションの中でも人気の高い《試作鏡獅子》や《幼児狗張子》など展示総数約90点の作品を、新たに生まれ変わった展示室で存分にお楽しみください。
光雲や光太郎の作品が出ているわけではなさそうなのですが、光雲高弟の一人ということで、ご紹介しておきます。
一昨年からリニューアル工事が始まり、2年がかりでとうとう落成したか、という感じですね。当方、10年前に同館で開催された「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」の際にお邪魔しました。どんな感じに建て替わったのか、気になるところです。
それぞれぜひ足をお運び下さい。
【折々のことば・光太郎】
お姉様からもしばらくお消息がありませんので心配して居りますがやはりご無事なのでせうね
セキは智恵子のすぐ下の妹です。
智恵子はこの月から翌月にかけ、日本女子大学校での後輩・旗野スミの実家(新潟県東蒲原郡三川村)に逗留していました。スミの姉・ヤヱが智恵子と同期でしたが、明治43年(1910)に急逝。しかし妹のスミとの交遊は続いていました。ここで智恵子は、日本に伝わってまだ間もないスキーに興じたりしていたそうです。
光雲や光太郎の作品が出ているわけではなさそうなのですが、光雲高弟の一人ということで、ご紹介しておきます。
一昨年からリニューアル工事が始まり、2年がかりでとうとう落成したか、という感じですね。当方、10年前に同館で開催された「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」の際にお邪魔しました。どんな感じに建て替わったのか、気になるところです。
それぞれぜひ足をお運び下さい。
【折々のことば・光太郎】
お姉様からもしばらくお消息がありませんので心配して居りますがやはりご無事なのでせうね
大正2年(1913)1月16日 長沼セキ宛書簡より 光太郎31歳
セキは智恵子のすぐ下の妹です。
智恵子はこの月から翌月にかけ、日本女子大学校での後輩・旗野スミの実家(新潟県東蒲原郡三川村)に逗留していました。スミの姉・ヤヱが智恵子と同期でしたが、明治43年(1910)に急逝。しかし妹のスミとの交遊は続いていました。ここで智恵子は、日本に伝わってまだ間もないスキーに興じたりしていたそうです。