最近情報を知り、購入しました。2ヶ月ほど経ってしまっていますが、絵本の新刊です。
イチからつくる コーラ
2023年2月5日 コーラ小林・編 中島陽子・絵 農文協 定価2,500円+税甘くてさわやか、みんなが大好きなコーラ。じつはアメリカの薬局で販売された滋養強壮剤が始まり。でもコーラって自分でつくれるの? 「コカ・コーラ」のレシピは門外不出だけど、クラフトコーラなら大丈夫! 世界初のクラフトコーラ専門メーカー『伊良(いよし)コーラ』を創業したコーラ小林さんに教わって、スパイスやカンキツ類、砂糖でコーラシロップをつくってみよう。コーラをつくることで、炭酸水の誕生から、禁酒法や第二次世界大戦などに関わるアメリカの歴史、スパイスの原産地なども知ることに。日本各地で広がるクラフトコーラの動きも紹介します。
もくじ
炭酸飲料を選ぶなら、きみは何派?
そもそもコーラって、なんなんだ?
コーラは、植物の名前だった!
コカ・コーラの原点は漢方薬
世界各地のスパイスでつくられるコーラ
もくじ
炭酸飲料を選ぶなら、きみは何派?
そもそもコーラって、なんなんだ?
コーラは、植物の名前だった!
コカ・コーラの原点は漢方薬
世界各地のスパイスでつくられるコーラ
クラフトコーラの広がり
スパイスとカンキツ類を手に入れる
自分たちで育てられる作物は、どれだろう?
踊る水「タンサン」
炭酸水は自分でつくれる?
クラフトコーラの「基本のレシピ」
やっぱりコーラの実をいれたい コーラノキはどこにある?
自分の好きなコーラシロップをつくるぞ!
自分でつくったコーラを売ることができる?
クラフトコーラづくりでみえてきたこと
「イチからつくる」ということ
絵本と言っても幼児向けではなく、小学校高学年から中学生向け、といったところでしょうか。主人公の少年少女たちは中学生のようです。学校の文化祭で、自分たちで作ったコーラを販売するという設定でして。
少年少女たちが好きな炭酸飲料の話で盛り上がり、一人が以前飲んだ「クラフトコーラ」を紹介したところ、みんな興味を持って……というストーリー。
執筆はコーラ小林氏。下落合でクラフトコーラのメーカー「伊良(いよし)コーラ」を立ち上げた方です。少年少女たちが小林氏のもとに弟子入りし、手作りコーラの製法を教わったり、コーラの歴史を学んだりしていきます。
そのコーラの歴史の中で、光太郎。ありがとうございます。
詩『狂者の詩』(大正元年=1912)は、まず雑誌『白樺』に発表され、大正3年(1914)には詩集『道程』に収められました。このあたり、下記をご参照下さい。
「昭和32年 コーラ本格上陸 みんな作って、みんないい」/「「乙女の像」制作 朗読劇で 劇団「エムズ・パーティ」16、17日十和田で上演」。
テレビ放映情報-詩句の読み方。
都内レポートその2 「ココだけ!コカ・コーラ社 60年の歴史展」。
岩手日報「風土計」。
ちなみにコーラについては、ネット上などで「大正3年(1914)に高村光太郎が詩集『道程』で初めて日本に紹介した」的に『道程』が初出のように書かれていますが、先述の通り大正元年(1912)の『白樺』に「狂者の詩」が掲載されていますから、そちらを前面に出して頂きたいのですが……。
閑話休題、『イチからつくる コーラ』、レシピ的な記述もあり、ご興味のおありの方、これを参考にオリジナルのコーラ製作に取り組まれてはいかがでしょうか。
【折々のことば・光太郎】
何処へ行つてもやつぱり東京へ帰つて来る。それがつまらない。犬吠で不思議な夢幻的の日を送つてゐた。濤の音が恋しい。この舟の帆が下される。そして日がくれる。水がうたを歌ひ始める。久しぶりで水の傍に居てひとく動かされた。
親友の水野葉舟に宛てた葉書から。さすがに親友とはいえ、智恵子が犬吠まで追ってきて……という件は伏せていたようです。
画像は初めに智恵子が妹・セキ、友人・藤井ユウと共に泊まった御風館。
その後、セキとユウを先に帰し、光太郎が泊まっていた暁鶏館に移りました。下の画像の中央奥です。
光太郎にとっては犬吠の数日間は、「不思議な夢幻的の日」だったでしょうね。
この直後にコーラを取り上げた「狂者の詩」が書かれます。ただ、そちらにはかつて関係のあった吉原河内楼の娼妓・若太夫や、雷門前のカフェ「よか楼」のお梅の名も。まだ「本当に智恵子と付き合っていいんだろうか」的な迷いも見られます。
少年少女たちが好きな炭酸飲料の話で盛り上がり、一人が以前飲んだ「クラフトコーラ」を紹介したところ、みんな興味を持って……というストーリー。
執筆はコーラ小林氏。下落合でクラフトコーラのメーカー「伊良(いよし)コーラ」を立ち上げた方です。少年少女たちが小林氏のもとに弟子入りし、手作りコーラの製法を教わったり、コーラの歴史を学んだりしていきます。
そのコーラの歴史の中で、光太郎。ありがとうございます。
詩『狂者の詩』(大正元年=1912)は、まず雑誌『白樺』に発表され、大正3年(1914)には詩集『道程』に収められました。このあたり、下記をご参照下さい。
「昭和32年 コーラ本格上陸 みんな作って、みんないい」/「「乙女の像」制作 朗読劇で 劇団「エムズ・パーティ」16、17日十和田で上演」。
テレビ放映情報-詩句の読み方。
都内レポートその2 「ココだけ!コカ・コーラ社 60年の歴史展」。
岩手日報「風土計」。
ちなみにコーラについては、ネット上などで「大正3年(1914)に高村光太郎が詩集『道程』で初めて日本に紹介した」的に『道程』が初出のように書かれていますが、先述の通り大正元年(1912)の『白樺』に「狂者の詩」が掲載されていますから、そちらを前面に出して頂きたいのですが……。
閑話休題、『イチからつくる コーラ』、レシピ的な記述もあり、ご興味のおありの方、これを参考にオリジナルのコーラ製作に取り組まれてはいかがでしょうか。
【折々のことば・光太郎】
何処へ行つてもやつぱり東京へ帰つて来る。それがつまらない。犬吠で不思議な夢幻的の日を送つてゐた。濤の音が恋しい。この舟の帆が下される。そして日がくれる。水がうたを歌ひ始める。久しぶりで水の傍に居てひとく動かされた。
大正元年(1912)9月(推定) 水野葉舟宛書簡より 光太郎30歳
親友の水野葉舟に宛てた葉書から。さすがに親友とはいえ、智恵子が犬吠まで追ってきて……という件は伏せていたようです。
画像は初めに智恵子が妹・セキ、友人・藤井ユウと共に泊まった御風館。
その後、セキとユウを先に帰し、光太郎が泊まっていた暁鶏館に移りました。下の画像の中央奥です。
光太郎にとっては犬吠の数日間は、「不思議な夢幻的の日」だったでしょうね。
この直後にコーラを取り上げた「狂者の詩」が書かれます。ただ、そちらにはかつて関係のあった吉原河内楼の娼妓・若太夫や、雷門前のカフェ「よか楼」のお梅の名も。まだ「本当に智恵子と付き合っていいんだろうか」的な迷いも見られます。