福島発の報道を2件。

まずは智恵子の故郷・二本松に聳える安達太良山関連で、『福島民報』さん。3月31日(金)掲載分です。光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)由来の「ほんとの空」の語を使って下さいました。

くろがね小屋 またね 建て替え、4月から休業 福島県二本松市の安達太良山 築59年 登山客 感謝

 福島県二本松市の安達太良山(1700㍍)中腹にある「くろがね小屋」は、建て替えのため4月から休業する。60年近く登山客に親しまれてきた現施設は30日、最後の宿泊客を迎えた。なじみの客が大勢訪れ、施設に思い出を刻むとともに、感謝と別れを告げた。ほんとの空の下で登山者の安全を守ってきた山小屋は、2025(令和7)年度内に生まれ変わる。登山者は「心のよりどころとなる施設として在り続けてほしい」と願う。
000
 安達太良山の奥岳登山口から2時間ほど歩くと、くろがね小屋に着く。玄関を開けると歴史を感じる造りで、室内にはゆったりとした時間が流れる。冬期も含め年間を通して営業している山小屋は、寒さの厳しい東北、北海道地方では珍しい。源泉掛け流しの温泉もあり、秘伝のレシピで作るカレーも人気だ。ここで1泊し、翌朝に山頂を目指す客は多い。
 4月1日から休業するため、宿泊者を受け入れるのは30日が最後だった。午後になると、客が続々と到着する。昔ながらのダルマストーブがリュックサックを下ろした人たちの体を温める。1階の談話室では、なじみの客が車座になって談笑し始めた。スマートフォンを向けて室内を写真に収めたり、持ち寄った手料理を囲んで杯を交わしたりして思い思いに過ごす。にぎやかで温かな雰囲気に包まれる。
 施設の建て直しに、登山客からは惜しむ声が上がる。3年ほど前に山登りを始めた青森県の会社員矢田圭吾さん(37)は、テレビでくろがね小屋を知り、初めて訪れた。「最初で最後の訪問。趣があって、一目ぼれしている」と話す。郡山市の無職八木沼トモ子さん(69)は、50年以上前から年に2回ほど通う。なじんだ建物がなくなるのはさみしい。「新しい山小屋を楽しみにしている。休業の間も登り続け、再開を待ちたい」と気持ちを切り替える。
 管理人の田畠翔さん(35)は「年間の3分の2の時間をここで過ごしてきた。当たり前にあったものが無くなってしまうが、まだ実感がない」と言う。再開後も仲間と共に管理人の務めを果たしたいと気を引き締める。
001
■年間3千人超 宿泊利用
 くろがね小屋の現施設は、1964(昭和39)年に営業を始めた。県が所有し、管理や運営を県観光物産交流協会が担う。県によると、年間3千人以上の宿泊利用がある。
 築59年となり、雨漏りや床の腐食など老朽化が目立ってきたため建て替える。トイレの排水を地中に浸透させて処理しており、環境への影響も課題となっていた。
 新たな建物は現施設の跡地に建てる。排水を処理する浄化槽を設けるほか、2014年の御嶽山(長野、岐阜両県)の噴火災害を教訓に、屋根の強度を高めるという。当初は2019年度に着工する予定だったが、環境影響調査や資材の運搬計画、建設費の見積もりに時間がかかっていた。
 4月からは、電源の引き込みや登山道の補修工事を進める。

くろがね小屋さん、登山系のテレビ番組などで安達太良山が取り上げられる際には、必ずと言っていいほど登場しました。

ドキュメント72時間「福島 真冬の山小屋にて」/宮川一朗太のおっ!さんぽ #42 花巻。
テレビ再放送情報 「ニッポン美景めぐり 十和田・奥入瀬」/「プレミアムドラマ山女日記3 #3 あどけない空・安達太良山」。
日本の名峰・絶景探訪▼紅葉色めく湯の山 安達太良山 福島。
『日本の名峰 DVD付きマガジン44 雪煙舞う厳冬の安達太良山』。
にっぽん百名山「安達太良山」/にほんごであそぼ 道程。
「小さな旅 シリーズ山の歌 秋 ほら、空が近くに~福島県安達太良山~」。
にっぽん百名山「安達太良山」/歴史秘話ヒストリア。

長い間、お疲れさまでした、という感じですね。

もう1件、当会の祖・草野心平関連で、光太郎の名も出して下さいました。『いわき民報』さん、こちらも3月31日(金)掲載分です。

73歳の草野心平は飲みすぎ!? 福島高専・村上さんの日記分析に学会評価

 数え年で73歳の心平が1日に摂取していた平均アルコール量は、一般の約3倍!?
 今年生誕120年を迎える小川出身の詩人・草野心平の飲酒量を、心平自身の日記の一部からデータベース化し、集計・分析した研究発表が、先ごろ開催された情報処理学会の第85回全国大会で高評価を受けた。
 まとめたのは、福島高専ビジネスコミュニケーション学科4年生の村上紗彩さん(19)。高村光太郎ら文人仲間が集う居酒屋「火の車」を経営するなど、無類の酒好きとして知られる郷土の偉人、心平の人間味あふれる一面を数値でつまびらかにし、研究者たちを驚かせている。
 世代の名だたる文豪たちの酒好きエピソードは数あれど、どんな酒をどれだけ飲んだか、事細かく日記に記した文人は草野心平しかいない。
 村上さんが強い関心を持ち、研究材料と決めたのは、心平作詞の校歌をライフワークとして調べ続けるなど、〝心平愛〟の深い恩師、島村浩同校情報処理教育センター長・指導教員(63)から聞いた逸話がきっかけだった。幼いころに教科書で〝蛙の詩人〟を知り、進学した高専の校歌を作詞した偉人が実は食通で、無類の酒好きだったことを知った。
 日本酒、ビール、ウイスキー、ぶどう酒、焼酎にシャンパン……。日本酒は1合180ml、ビールは1本633ml、ウイスキーは1杯30mlなど、日記の記述をもとに合理的と考えられる単位を考え、飲んだ記録はあるが量の記録がない場合は0に。
 一方、特にたくさんの酒を飲んだ様子のある日は記憶がなくなり、飲酒量の記録がないため、「最低でもこれ以上は飲んでいるだろう」という数値を積み重ねた。
 村上さんは「正直、最初は『ぐうたらな人』かと思っていたが、日記を読み進めるうちに、積極的に運動に取り組むなど健康意識は高く、仕事もたくさんする凄い人と分かった」と、心平の人間性に心奪われている。
 今回のデータは膨大な日記のうちのほんの一部で、もっとデータを蓄積する必要性に駆られており、オンライン化を視野に研究を継続して、豪放と評される心平の人となりや凄みを数値化していく考えだ。
002
そこまで分析されてしまった心平、雲の上で苦笑しているような気がします。

光太郎とちょうど20歳違いの心平。今年、光太郎が生誕140周年ですが、心平は生誕120周年です。そういうわけで、心平にも大きくスポットがあたってほしいものですね。

【折々のことば・光太郎】

小生転居仕候


明治45年(1912)6月8日 島村盛助宛書簡より 光太郎30歳
IMG (4) 005
駒込林町25番地のアトリエ兼住居が落成し、実家からこちらに移ったという通知です。「手製の木版は如斯きたなく候」とあり、2色刷りの版画で刷って、あちこちに送ったと推定されます。他に生田葵山に宛てたものの存在も確認できています。

このアトリエの新築祝いに、前年末に知り合った智恵子がグロキシニアの鉢をかかえてやってきました。おそらくこの前後でしょう。