光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の立つ、青森県十和田市で地域おこし的な活動されている「とわこみゅ」さんからご連絡を頂いていたのですが(1月に「We Love Towada 2023 卓上カレンダー」を購入させていただいた関係でしょう)、紹介すべき事項が多く、後回しになっていました。すみません。

十和田愛を表現した楽曲が完成しました。

 青森県十和田市の市民団体「インバウンド十和田」(会長:米内山和正)では「街なかに賑わいを!十和田市の魅力を音楽で発信!」と題し、音楽文化の<創造・交流・発信>に取組み、地域の愛を表現したオリジナル音楽の制作を通じ、地域を盛り上げる企画者や 参加者(プレイヤー)人口の創出を目的とした事業を行いました。
 楽曲アイデア応募のあった中から、青森県十和田市出身で県外在住の小山田佳苗さんと中野憂さん、2人の共作「色彩は永遠にせせらぐ」を基本とし、他に応募のあったアイデア案を盛り込み制作されました。編曲は、十和田市在住のシンガーソングライター桜田マコトさんが担当し、演奏には同企画の演奏者募集へ応募のあった方など15名が参加されました。
 PV(プロモーションビデオ)の映像制作には、市民団体「インバウンド十和田」米内山和正会長が行い、十和田市の観光名所など1年を通じ撮影された映像と楽器演奏者の映像を盛り込み制作されました。
 完成した楽曲「色彩は永遠にせせらぐ」(しきさいはとわにせせらぐ)は、離れて思い出す故郷(ふるさと)十和田の情景を歌った曲で、青森県十和田市の春夏秋冬を感じ取れる内容となっています。
 また、同企画で生まれた「十和田永久賦」(作詞作曲・向山重考さん)、「Towada Machi」(作詞作曲・チャーリー永井さん)、2つの曲と共に、計3曲の十和田愛溢れる楽曲が発表されました。

「色彩は永遠(とわ)にせせらぐ」、早速、Youtubeで拝見。
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歌詞では「乙女の像」には触れられていませんが、映像にはばっちりと。
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十和田湖や、十和田湖から流れ出る奥入瀬渓流も。
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その他、四季折々の十和田市の風景や、イベント、街の皆さんの営み等がふんだんに。
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タイトル、それから歌詞にも使われている「永遠(とわ)」、「十和田」の「とわ」と掛けているのでしょう。明るく軽快な曲調でありながら、聴いていて不覚にもうるっと来てしまいました(笑)。


「乙女の像」登場は2:02頃と3:22頃です。

全国の町おこし団体や自治体の皆様、ご参考までに。

【折々のことば・光太郎】

琅玕洞は一周年を期して、此の四月十四日を限りに一旦閉店する事に致しました。此は弟の就職と、小生の北海道移住問題と、巴里へ新しい店を出す計画との為めです。

明治44年(1911)4月4日 前田晁宛書簡より 光太郎29歳

このところこの項でずっと「琅玕洞」がらみですが、前年に光太郎が立ち上げた、ほぼ日本初の画廊です。名目上の店主に据えていた実弟・道利の不行跡(客に「あなたにこの絵は解りませんよ」と言ったり、閉店時間になれば客がいようがいまいが照明を落としたり)などもあって、経営的にはまるで成り立たず、わずか1年で譲渡。店は存続しますが、性格は変わっていきます。
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光太郎自身は北海道に移住して酪農で生計を立てつつの芸術制作を夢みていました。そしてゆくゆくはパリに店を出すという計画が語られています。この書簡を見つけるまで、そんな計画があったことはわかっていませんでした。