テレビ放映情報です。2夜連続の放映で、2夜めの方の予告に光太郎の名。

興福寺 国宝誕生と復興の物語 発見!天平の美

NHK BSプレミアム 2023年3月27日(月) 18:00~19:00

奈良の象徴五重塔が120年ぶり大修理!阿修羅作った奈良時代の先進性!川端康成・白洲正子・堀辰雄絶賛の国宝仏!天平の心守る考古学の大発見!迫力・ドローン映像

日本一国宝彫刻の指定が多く不死鳥のごとく何度もよみがえった奈良興福寺。 今も奈良市一高い国宝五重塔が大修理へ! 阿修羅と五重塔の美の秘密、ふだん目にしない寺の奥深くまで8Kカメラで記録! ドローンとクレーンで興福寺の宝を徹底解剖し美と千三百年の歴史を味わう。そして、空前絶後の奈良時代の最新写実技法をAIが解き明かす! 国宝北円堂の非公開の法要を超高精細カメラと5.1サラウンドで体感。天平の心をつなぐ礎石の謎に挑む!

出演者
法相衆大本山興福寺貫首…森谷英俊,東京大学大学院工学系研究科准教授…海野聡,奈良国立博物館学芸部主任研究員…山口隆介,奈良大学総合研究所特別研究員…関根俊一ほか

【語り】柴田祐規子 【朗読】小澤康喬

興福寺 国宝誕生と復興の物語 つなぐ!天平の心

NHK BSプレミアム 2023年3月28日(火) 18:00~19:00

平家南都焼き討ちに負けるな!大修理始まる奈良の象徴五重塔に匠がしかけた驚きの技!運慶が学んだ阿修羅の秘密!無著と法相六祖と天平彫刻を徹底比較!大迫力ドローン映像

奈良興福寺が守り続けてきた天平の心と国宝の数々を探る▽秘仏続々登場!北円堂運慶作の弥勒・無著・世親や南円堂康慶作の観音・法相六祖▽古代と中世のハイブリッド?五重塔が美しい理由▽高村光太郎がたたえた天平彫刻の写実と歴代美術史家が絶賛した無著像のリアルを徹底比較▽康慶の仏像に異を唱えた藤原氏!その革新性とは▽東大大学院日本建築研究の海野聡と奈良博彫刻担当の山口隆介が天平の心と中世の職人と仏師の思いに迫る

出演者
【出演】興福寺貫首…森谷英俊,奈良国立博物館学芸部主任研究員…山口隆介,東京大学大学院工学系研究科准教授…海野聡
【語り】柴田祐規子 【朗読】小澤康喬

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BS8Kさんで今年1月と2月に放映された番組を、通常のBS放送で放映します。奈良興福寺さんの建築や仏像の謎に迫るドキュメンタリーです。「高村光太郎がたたえた天平彫刻の写実」ということで、軽く光太郎の詩文が引用されるのでしょう。

光太郎、興福寺さんの仏像に関しては、まず評論で、昭和17年(1942)に帝国教育会出版部刊行の『日本美術の鑑賞 古代篇』(北川桃雄・奥平英雄編)に「興福寺十大弟子」を、同19年(1944)に創芸社刊行の『名品手帖』(大口理夫編)へ「十大弟子」を寄稿しています。それぞれ戦時中の出版にもかかわらず、図版入りのハードカバーです。
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また、遡って大正15年(1926)には、「十大弟子」という詩も発表しています。

    十大弟子

 見知らぬ奈良朝の彫刻師よ、
 いくらおん身がそしらぬ顔を為すようとも、
 私はちやんと見てしまつたよ。

 おん身がどうして因陀羅の雲をつかんで来たかを、
 どうして燃える火を霧と香ひとでつつんだかを、
 どうして万象の氤氳(いんうん)を唯識(ゆいしき)の陰に封じこめたかを、
 どうして千年の夢を手の平にのせたかを、

 おん身は流言をそこら中に放つて、
 霊感虚実の丸太鉄砲を遠くに仕掛けるが、
 ああ、私は見たよ、
 おん身の眼を。

 きのふ街の四辻に立つて、
 大真面目に賤(しづ)の奴(やつこ)と話をしてゐたおん身の眼を。
 
 虚空の音楽に耳をかさず、
 ただ現前咫尺に鯰を估(う)る
 生きた須菩提(すぼだい)と話をしてゐたおん身の眼を。


いずれも興福寺さん所蔵の「乾漆十大弟子立像」についてのもの。光太郎、何度か奈良に足を運び、この群像を実際に眼にしています。

番組ではこれらからの引用があるのではないかと思われます。あるいは、その他、東大寺さん、新薬師寺さん、唐招提寺さんなどの諸仏に触れた評論等も多く、そのあたりかもしれません。

テレビ放映と言えば、同じくNHK BSプレミアムさんで3月24日(金)に放映された「業の花びら 〜宮沢賢治 父と子の秘史〜」。

昭和11年(1936)、花巻の羅須地人協会跡に除幕された宮沢賢治「雨ニモマケズ」碑の碑文を光太郎が揮毫したことを紹介して下さいましたし、光太郎揮毫の文字をテロップに使って、「雨ニモマケズ」後半部分の朗読が流れました。
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メインの賢治詩「業の花びら」についての考察の部分は、それほど賢治に詳しくない当方としては、論評しようがありませんが。
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残念ながらネット配信は為されていないようですし、再放送を期待します。

さて、「興福寺 国宝誕生と復興の物語」、ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

僕は北海道へ行く。『琅玕洞』はよす。つぶす。又今にやればやる。芸術家もよす。つぶす。又今にやればやる。

明治44年(1911)4月5日 津田青楓宛書簡より 光太郎29歳

「琅玕洞」は、父・光雲を頂点とする旧態依然の日本彫刻界と距離を置くため、前年に光太郎が設立した画廊。新しい芸術の拠点として、心ある人々には好意をもって迎えられましたが、経営的にはまるで成り立たず、手放すことにしてしまいました。そして北海道に移住して酪農で生計を立てながら芸術を生み出そうとします。

昨日ご紹介した山脇信徳宛書簡は、それほど親しかったわけではない相手ですので、理路整然とその経緯を説明していましたが、気の置けない留学仲間だった津田青楓宛には激情をぶつけるような文面、筆跡です。
高村光太郎氏津田青楓宛て書簡②(裏)