『週刊朝日』さんの3月17日号、作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」の中に、光太郎の名。
NYタイムズさんの「今年行くべき五十二カ所」に盛岡が選ばれた件、ある意味、衝撃的でしたね(笑)。しかし、記事にもあるとおり、わんこそばやホームスパンなどの名物、赤レンガ伝統館などのたたずまいなど、たしかに素晴らしいものがあります。岩手を「イーハトーブ」とした賢治や、「岩手は日本の背骨」と言い切った光太郎にしてみれば、当然だという感覚かもしれません。
ただ、下重氏、記憶違いをなさっているようで、光太郎にはトルソの作品は現存しませんし、「詩のノート」というのも花巻には無いはずです。一応、指摘しておきます。
ところで、岩手といえば、今号の表紙は女優ののんさんで、東日本大震災にからめた「3.11被災地の歩み 「あまちゃん」放送10周年 のん “私は太陽”自分の魅力を発掘し続ける」という記事がトップでした。言わずもがなですが、「あまちゃん」の主要な舞台の一つが岩手県だったわけで、それに伴い、達増知事へのインタビュー記事「岩手県は自信をもらった」なども掲載されています。
また、「あまちゃん」や舞台「私の恋人」で共演された、当会会友・渡辺えりさん(来る4月2日(日)の第67回連翹忌の集いにもご参加予定です)に関する記述も。のんさん曰く「尊敬する大先輩なのに、同じ目線で接してくれる。私がツッコミを入れると、「のんちゃんのバカ!」なんて言う。一緒に映画「レ・ミゼラブル」を見たときには隣で号泣しちゃう。無邪気なところがすてきです」
というわけで、ぜひお買い求め下さい。
【折々のことば・光太郎】
先夜木曜のパンの会につひ行きはぐれ大きに残念いたし候。
「パンの会」は雑誌『方寸』、『スバル』の同人らを中心に起こった芸術至上主義的運動で、石井柏亭、北原白秋、木下杢太郎、そしてこの書簡の宛先である長田秀雄らが中心メンバーでした。光太郎の海外留学中に始められ、帰朝後の光太郎も早速参加しています。
ときめきは前ぶれもなく 岩手に惹かれる
二月二十七日の朝日新聞夕刊によれば、NYタイムズ「今年行くべき五十二カ所」で、日本の盛岡市がイギリスのロンドンに次いで二番目に紹介されているという。ロンドンは首都で、今年はチャールズ国王の戴冠式などで注目度が高いことはわかる。
では、盛岡はなぜ? 人口三十万人弱、みちのくの地方都市なのに。日本ではこれまで東京・京都・大阪などが選ばれたのは当然として、なぜ今年選ばれたのか。
名物のわんこそばに挑戦する楽しさが一つ。「盛岡は人が良く、自然もきれい。ごはんもおいしい」とオーストラリアから来た若い観光客は言う。
NYタイムズは、盛岡が選ばれた理由をいくつも挙げている。混雑を避けて歩いて楽しめる場所。山に囲まれていくつもの川が流れる豊かな自然がある。盛岡城跡や赤レンガの岩手銀行旧本店本館など和洋折衷の伝統的建物が並ぶ。東京から新幹線で約二時間と近い……など。
盛岡駅そばのジャズ喫茶「開運橋のジョニー」など秋吉敏子さんも演奏する「和ジャズの聖地」。岩手大学近くの「ナガサワコーヒー」。生豆の仕入れと焙煎で評判だ。
盛岡の魅力を私がつけ加えるとしたら、手織りのホームスパンの生地を織る工房。日本古来のものを受け継ぐ伝統工芸品はあるが、ホームスパンという羊の毛で織った西洋の生地はなんとも手ざわりが良く素朴で暖かい。注文してから時間のかかる生地を、白黒の縦縞模様と濃紫の無地、二着分を織ってもらい、つれあいのジャケットと私のツーピースに仕立てた。四十年前なのに、今も大切に着ている。
わんこそばでいえば、量で勝負出来ぬ私は、そばに酒をかけて楽しむ酒そばを食べる。講演会の会場の隣にあった不来方城(盛岡城)跡の丘に寝そべった春の日ののどけさ。街はなぜか西洋の香りがしておしゃれである。ここで東京から移り住み、木馬を作っている友人にも出会った。
JTBが出していた「旅」という雑誌があった。戸塚文子という女性の名物編集長がいて、ある時グラビアと読み物で、母娘旅をして欲しいと言われた。照れ屋の私は母と二人旅などしたくなかったが、母にいちおう聞いてみた。「どこへ行きたい?」
すると即座に「岩手県」という返事。理由は、宮沢賢治と石川啄木、それに高村光太郎であった。若い頃文学少女だった母は短歌を作り、賢治の詩が大好きだった。
「参ったなあ」と思いながら賢治の故郷へ。なぜ賢治の作品が西洋風の不思議な世界なのか、その謎が少し解けた。 欧米の人々が岩手県に惹かれる理由もわかる気がする。光太郎が智恵子なき晩年を過ごした雪深い小屋にも光太郎の詩のノートや、彫刻家として作ったトルソーなどがあった。ここにはどこにもない不思議な世界が広がっている。
そういえばコロナの初期の頃、陽性者が毎日増え続ける中で、岩手県だけが0を続けていた。
下重暁子(しもじゅう・あきこ)/作家。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、NHKに入局。民放キャスターを経て、文筆活動に入る。この連載に加筆した『死は最後で最大のときめき』(朝日新書)が発売中
NYタイムズさんの「今年行くべき五十二カ所」に盛岡が選ばれた件、ある意味、衝撃的でしたね(笑)。しかし、記事にもあるとおり、わんこそばやホームスパンなどの名物、赤レンガ伝統館などのたたずまいなど、たしかに素晴らしいものがあります。岩手を「イーハトーブ」とした賢治や、「岩手は日本の背骨」と言い切った光太郎にしてみれば、当然だという感覚かもしれません。
ただ、下重氏、記憶違いをなさっているようで、光太郎にはトルソの作品は現存しませんし、「詩のノート」というのも花巻には無いはずです。一応、指摘しておきます。
ところで、岩手といえば、今号の表紙は女優ののんさんで、東日本大震災にからめた「3.11被災地の歩み 「あまちゃん」放送10周年 のん “私は太陽”自分の魅力を発掘し続ける」という記事がトップでした。言わずもがなですが、「あまちゃん」の主要な舞台の一つが岩手県だったわけで、それに伴い、達増知事へのインタビュー記事「岩手県は自信をもらった」なども掲載されています。
また、「あまちゃん」や舞台「私の恋人」で共演された、当会会友・渡辺えりさん(来る4月2日(日)の第67回連翹忌の集いにもご参加予定です)に関する記述も。のんさん曰く「尊敬する大先輩なのに、同じ目線で接してくれる。私がツッコミを入れると、「のんちゃんのバカ!」なんて言う。一緒に映画「レ・ミゼラブル」を見たときには隣で号泣しちゃう。無邪気なところがすてきです」
というわけで、ぜひお買い求め下さい。
【折々のことば・光太郎】
先夜木曜のパンの会につひ行きはぐれ大きに残念いたし候。
明治43年(1910)1月15日 長田秀雄宛書簡より 光太郎28歳
「パンの会」は雑誌『方寸』、『スバル』の同人らを中心に起こった芸術至上主義的運動で、石井柏亭、北原白秋、木下杢太郎、そしてこの書簡の宛先である長田秀雄らが中心メンバーでした。光太郎の海外留学中に始められ、帰朝後の光太郎も早速参加しています。