3月2日(木)付けの『読売新聞』さん東京版から。

光太郎先輩「手」作ったよ 卒業前の小6夢を実現 荒川の母校

000 荒川区立第一日暮里小学校6年の児童が、同小OBで詩集「智恵子抄」などで知られる詩人、彫刻家の高村光太郎(1883~1956年)によるブロンズ像の「手」をモチーフにした作品づくりに挑戦した。卒業を間近に控えた子供たちは、紙粘土などを使って思い思いに将来の夢や目標を形に表現していた。
 現在の台東区で生まれた高村は1890年に同小に転入し、卒業までの約2年間を過ごした。同小は創立100周年を迎えた1985年、高村が晩年暮らした岩手県の小学校に贈った「正直親切」と言う言葉を校訓に採用しており、東側の校門前には校訓を彫った記念碑も建てられている。
 同小では毎年3学期に「先輩光太郎に学ぶ」と題し、6年生の児童が高村の生涯や作品を調べる卒業学習に取り組んでいる。「手」は高村が欧米留学から帰国後の18年に制作したもので、児童らは昨年9月に東京国立近代美術館(千代田区)で見学していた。
 2月27日に行われた作品づくりには児童24人が参加。手の形に曲げたアルミの棒に紙粘土で肉づけするなどし、約3時間かけて完成させた。人さし指で天を示す形に「部活動で活躍したい」という思いを込めたりし、多彩な作品がそろった。
 何かをつかもうとする形に仕上げたという小沢羽子(はね)さん(12)は将来、保育士になりたいといい、「困難なことがあっても努力を続け、夢をつかみたい」とできばえに満足そうだった。


記事には記述がありませんが、同小に隣接する太平洋美術会さん(かつて智恵子が所属し、油絵を学びました)がご協力なさり、指導に当たられたとのこと。「おお、まだ続けて下さっているのか」と思いました。平成30年(2018)、この授業を見学させていただきましたので。ちなみにこの年には別の授業でゲストティーチャーを務めさせていただいたりもしました。

調べてみましたところ同小の学校便り「正直親切」の今月号にも紹介されていました。ところが昨年、一昨年のそれには記述が見当たらず、やはりコロナ禍の影響もあって数年ぶりの実施だったのかなと思いました。

記事にある「「先輩光太郎に学ぶ」と題し、6年生の児童が高村の生涯や作品を調べる卒業学習」。「手」の制作もその一環ですが、調べ学習でのレポートの制作もすばらしいものがあり、今後も継続していただきたいものですし、全国の学校さんで参考にしていただきたいものです。

【折々のことば・光太郎】

金が無くなつたから帰つて来たり。帰つて来たら君の葉書が来て居た。


明治42年(1909)4月26日 津田青楓宛書簡より 光太郎27歳

欧米留学最後を締めくくる1ヶ月のイタリア旅行、さすがに懐が保たなかったようです。