今日は3月3日、桃の節句ですね。

智恵子の故郷、福島二本松の『広報にほんまつ』今月号から。

ひとつひとつに想いを込めてつくる つるし雛かざり

 子ども達の健やかな生長を願って手作りでひとつひとつ作られるつるし雛。市内各所で「おひなさま」や「つるし雛かざり」が飾られます。

 大平地区で活動している「ゆんたく」。平成22年に「手芸サークルをやりたいね」と話していたところ、翌年3月に東日本大震災が発生。大平地区にも多くの方が避難するようになりましたが、その年の秋に、浪江町の方も一緒に「手芸ボランティアサークル『ゆんたく』」として活動を始めました。
 活動としては、手芸のほか、社会福祉協議会の配食サービスに併せてプレゼントをしたり、地元の小学生に「ぞうりストラップ」をプレゼントしたりと、自分たちも楽しみを持ちながら「半分ボランティア半分たのしみ」として活動しています。
 つるし雛かざりは、半年ほど掛けて作っていきます。毎月集まって作り方を学び、翌月までに、宿題のようにつるし雛作りを進めてきます。
 桜まつりや曼珠沙華まつりの時期には、安達ヶ原ふるさと村の古民家にも、このつるし雛が飾られ、訪れる観光客の皆さんの目を楽しませてくれています。
 今年のテーマは「智恵子の折り鶴」。毎年テーマを決めていて、多い人では、今年で12個目のつるし雛かざりになります。大平住民センターでは、廊下や階段に、見る人を圧倒するほどたくさんのつるし雛が飾られます。
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今年のつるし雛かざりのテーマは?
 今年のテーマは、震災からの復興と新型コロナウイルスの収束を願って「智恵子の折り鶴」です。智恵子が病院で多くの紙絵を作成していた時、夫の光太郎は病院に多くの折り紙を差し入れ、また、智恵子もたくさんの鶴を折りました。そんな智恵子が愛した二本松、青い空を大平からご覧ください。
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楽しいところは?
 みんなで集まる機会があるのがよいところだと思います。コツコツと裁縫をしながらも、和気あいあいとした雰囲気でやっています。ひとりだとなかなかできないと思いますが、みんなでやるから何とかできています。つるし雛のほかにバッグなんかも楽しく作っています。
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難しかったところは?
 コロナの影響で、活動自体が難しい時期もありました。それでも、集まりを2部制にしてみたり、いろんなコロナ対策をしてみたりして、続けています。
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見てもらいたいところは?
 毎年、その年のテーマに向かって頑張って作っています。そうしてできあがったつるし雛をみなさんに見てもらうことが楽しみです。

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二本松市内では、各所でつるし雛かざりが為されているそうですが、そのうち、智恵子生家/智恵子記念館さんにほど近い大平地区の大平住民センターさんでは、「智恵子の折り鶴」をテーマにしたつるし雛かざりだそうです。

南品川ゼームス坂病院での智恵子、有名な紙絵制作を始める前、最初は折り鶴作りから始めたそうです。光太郎の随筆「智恵子の切抜絵」(昭和14年=1939)から。

 精神病者に簡単な手工をすすめるのはいいときいてゐたので、智恵子が病院に入院して、半年もたち、昂奮がやや鎮静した頃、私は智恵子の平常好きだつた千代紙を持つていつた。智恵子は大へんよろこんで其で千羽鶴を折つた。訪問するたびに部屋の天井から下つてゐる鶴の折紙がふえて美しかつた。そのうち、鶴の外にも紙燈籠だとか其他の形のものが作られるやうになり、中々意匠をこらしたものがぶら下つてゐた。すると或時、智恵子は訪問の私に一つの紙づつみを渡して見ろといふ風情であつた。紙包をあけると中に色がみを鋏で切つた模様風の美しい紙細工が大切さうに仕舞つてあつた。其を見て私は驚いた。其がまつたく折鶴から飛躍的に進んだ立派な芸術品であつたからである。私の感嘆を見て智恵子は恥かしさうに笑つたり、お辞儀をしたりしてゐた。

他にも道の駅「安達」智恵子の里さん、安達ヶ原ふるさと村さんなどでも、それぞれに地元の皆さんが手間をかけて作られたつるし雛かざりが展示されているとのこと。
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ぜひ足をお運び下さい。

ちなみに自宅兼事務所の雛かざり。自分のために出してあると勘違いしているやつが毎年よじ登ります(笑)。
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【折々のことば・光太郎】

旅は面白きものなり。僅か日の一旬あまりに過ぎざるに我の見、遇ひ、考へ、感じたる事の何ぞ多き。 今日羅馬に来れり。此処に暫く停まらん。


明治42年(1909)4月4日 山下新太郎宛書簡より 光太郎27歳

欧米留学最後を締めくくる1ヶ月のイタリア旅行中、留学仲間の画家・山下新太郎に宛てた絵葉書から。

新知見を得られる旅の醍醐味を見事に言い表していますね。