昨日は都内に出ておりました。

まずは六本木の国立新美術館さんへ。お世話になっている書家の菊地雪渓氏が出品なさっていた「東京書作展 選抜作家展2023」を拝見に。
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いろいろバタバタしていまして、最終日の観覧となってしまいました。
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菊地氏、たびたび光太郎詩を題材にされた作品を書かれ、各種展覧会で内閣総理大臣賞等を獲得なさったりしています。


今回の作は光太郎ではなく、漢詩。蘇軾の「漁父」だそうで。
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相変わらずお見事でした。

直接存じ上げない方ですが、「智恵子抄」所収の光太郎詩「梅酒」(昭和15年=1940)を書かれて出品なさった方も。
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ありがたし。

続いて、品川区大井町へ。

平成30年(2018)に開催された、花巻高村光太郎記念館さんでの企画展「光太郎と花巻電鉄」に際し、光太郎が彼の地にいた頃のジオラマ制作をお願いした石井彰英氏がミュージシャンでもあらせられ、お仲間の方々とご自宅でコンサートを開かれるということで参上しました。

ジオラマは花巻高村光太郎記念館さんで現在も展示中。
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氏のご自宅に伺う前、寄り道を。

大井町といえば、智恵子終焉の地、ゼームス坂病院があった場所。跡地には「レモン哀歌」(昭和14年=1939)詩碑が建っています。当方、何度も訪れた場所ですが、久しぶりに行ってみました。
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大井町駅方面からゼームス坂を下り、下りきる少し前を左に。
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ゼームス坂の由来を記した碑。

そしてその向かいに「レモン哀歌」詩碑。23区内では唯一の光太郎詩碑です。
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いつもレモンが供えられています。多謝。
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この碑、智恵子の推定身長と同じ高さ(150㌢ほど)だそうで。
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右上は、過日発見した光太郎智恵子の立ち姿写真です。智恵子が小柄だったことがよくわかります。

その後、石井氏邸に向かう道すがら、「お江戸鎧せんべい岩本米菓」さんへ。こちらでは智恵子にちなみ、「品川浪漫 レモン愛菓」というおかきを製造販売して下さっていますので、それをゲットしようと思いまして。
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しかし、残念ながら日曜定休でした。
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いずれリベンジを、と心に誓いました(笑)。

ちなみにすぐ近くでは、早咲きの桜もちらほら。
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つい4日前、マイナス9℃の世界にいたのが嘘のようで(笑)。

そして石井氏邸に到着、コンサートを拝聴。
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石井氏が制作された「高村光太郎ジオラマDVD」で、音楽やナレーションを担当なさった方々も多数ご出演。
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石井氏、人脈の広い方で、かの長嶋茂雄氏やファイティング原田氏などともご昵懇ですし、この日聴きにいらした方々も、一流レストランのシェフ氏、国民的アイドルのお母さま、「モンスター」と称されているボクシング選手の関係者の方などなど、実に多士済々でした。

最初の書道展の件を含め、皆様方の今後のさらなるご活躍を祈念いたします。

【折々のことば・光太郎】

About what you write in your leter on life, I understand quite clealy. Yes, one must conquer oneself first, as you say. But after conquered, one must put oneself at large. Like water, and like wind, free yet not disordered, ruled yet spontaneous, one must be. One must learn everything in life or in Art., and must forget everything. One must go up to the top of the mountain, and must go down again, One must see the sky when one look at the sea.


明治41年(1908)7月20日 バーナード・リーチ宛書簡より 光太郎26歳

ロンドンで知り合い、この後、来日して陶芸家となるバーナード・リーチ宛書簡から。

『高村光太郎全集』でのこの部分の翻訳は以下の通りです。

人生について君が手紙に書いていることは、僕にもよくわかる。そう、君の言う通り人はまず自分に勝たなければならない。でもその後で自分を解放することが必要です。水のように、風のように、自由でしかし乱れず、理法の支配は受けるが、しかし自然でなければなりません。あらゆることを人生において、芸術を学び、そしてすべてを忘れること。頂に登り詰めたら、またもう一度山を下るのです。海をながめるときには、空も見なければならないのです。僕はそう信じます。

英文の方は、歌詞にでもできそうな一節ですね。