どうもこの時期は関連するイベント等が少なく、ネタ不足です。まぁ10年以上このブログを続けていますと、この時期そうなることはわかっていますので、そうなった場合に備えてストックしておいたネタを、今日明日で使います。

今日は光太郎の父・光雲ゆかりの千葉県市川市の中山法華経寺さんを訪れたレポート。訪れたのは昨年10月、同じ市川市の市川市文学ミュージアムさんで開催されていた「月に吠えらんねえ展<ようこそ!おもひ まぼろし ことだまの街へ>」を拝観した後でした。その季節は逆に紹介すべきネタが多すぎて、特に速報性の必要ないネタはネタ不足になった際に使おうと、ストックしていたわけです。

こちらには、光雲原型の日蓮上人銅像が平成25年(2013)に奉納されており、そちらを拝見しようと伺いました。ちなみに同型の像は鎌倉の長勝寺さん、石川県の実相寺さんにも納められていまして、探せばさらに他にもありそうです。

中山法華経寺さんには自家用車で参りまして、駐車場は境内裏手でした。三門(山門)脇に目指す日蓮上人像が見えたのですが、それを横目に通り過ぎ、駐車場へ。裏から参拝するというのも何ですが、仕方がありません。

「中山」といえば「中山競馬場」。指呼の距離なので、このあたり一帯、もっとごみごみしているのかなと想像していたのですが、あにはからんや静謐な一角でした。
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国指定重要文化財の五重塔などを見つつ、広い境内を進みました。

本堂にあたる祖師堂は改修工事中でした。
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境内に茶店などが軒を連ねており、いずれかのお店で飼われているのでしょうか、丸々としたにゃんこ(笑)。
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やけに友好的でしたので、なでてあげました(笑)。

さて、裏から三門をくぐり、改めて正面から撮影。大正15年(1926)の建築だそうで、それほど古いわけではありませんが実に立派です。
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そのかたわらに、目指す日蓮上人像。なかなかの迫力です。
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台座正面のプレートには「光雲原作」の文字。「高村」の文字が無いのが何だかなぁという感じでした。裏手の碑陰記的なプレートにも「高村」の文字は入っていません。そのあたり、権利関係などどうなっているのかなと思いました。

再び三門をくぐり、祖師堂に参拝して帰りました。

銅像フェチの方、古刹マニアの方、光雲ファンの方、日蓮信奉者の方、その他、ぜひ足をお運び下さい。

明日は、急ぎ紹介すべき事項がなければ、都内中央区日本橋付近のレポートを。

【折々のことば・光太郎】

君は「ホームシツク」を起しちやいけないと言ふけれど、いけないと言つても起つて来れば仕方がないが人間の弱みですよ。何ぼ僕でもメソメソしてゐるのでは無いが、時々シンから底からぼんやりして、何事も思はず、時間と空間とを忘れて、東京にゐて僕の家にゐて、親や兄弟の声の聞える自分の室にゐて、君なんかと話をしたり、油土をいぢつたりした事を、想ひ出すのではない、其の時になつて仕舞ふ事があります。恁ういふ時が又何とも言はれない程楽しいので、言はば眼の覚めてゐる夢ですね、確に父や母の声が聞えますし、面影が眼に浮んで来て、丁度其時の衣服の縞柄、色工合まで間違つてゐないと思はれる。こんな心の状態は僕は今まで知らなかつた。


明治39年(1906) 月日不明 水野葉舟宛書簡より 光太郎24歳

留学先のニューヨークから、日本にいた親友の水野葉舟に送った書簡の一節です。明治末期には既に「ホームシック」という言葉、概念があったのですね。