沖縄から企画展情報です。
沖縄ゆかりの品々
沖縄で光雲作品の展示というのはめったにありませんし、他にも逸品ぞろいです。ぜひ足をお運び下さい。
【折々のことば・光太郎】
后浅沼政規氏くる、余の談話筆記の原稿をあずかる、ヰスキーソーダを出す、
「浅沼政規氏」は、昭和27年(1952)まで光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山口小学校校長を務めていた人物。光太郎にかわいがられた子息の隆氏は今も山荘近くにお住まいで、光太郎の語り部を務めて下さっています。
「余の談話筆記」は、昭和23年(1948)から同27年(1952)までの、山口小学校で行われた各種の行事や会合などでの光太郎のスピーチ、職員室での茶飲み話の際の発言などを浅沼が記録したもの。平成7年(1995)、ひまわり社さん発行の浅沼の回想録『高村光太郎先生を偲ぶ』に全34篇、50ページ以上にわたって掲載されています。高村光太郎研究会さん発行の『高村光太郎研究』中に当方編集の「光太郎遺珠」として連載を持たせていただいている中で、全篇を転載させていただきました。
浅沼は活字にすることを希望して、光太郎の元に原稿を持ち込みましたが、光太郎は個人的な発言のものであったり、必ずしも光太郎がしゃべった通りになっていなかったりということで難色を示し、光太郎生前には実現しませんでした。
美ら島おきなわ文化祭2022関連特別展「宮内庁三の丸尚蔵館収蔵品展 皇室の美と沖縄ゆかりの品々」
期 日 : 2023年1月20日(金)~2月19日(日)
会 場 : 沖縄県立博物館・美術館 沖縄県那覇市おもろまち3丁目1番1号
時 間 : 9:00~18:00
休 館 : 月曜日
料 金 : 一般¥800(¥640) 高校・大学生¥500(¥400) 小・中学生¥200(¥160)
( )内は前売券または20名以上の団体料金。
復帰50年を節目として行われる国民文化祭「美ら島おきなわ文化祭2022」の一環として、沖縄で初めて皇室に伝えられた美術工芸品の展覧会を開催します。
宮内庁三の丸尚蔵館は、皇室に代々受け継がれてきた美術品などが平成元年(1989)に国に寄贈されたの機に、皇居東御苑に平成5年に開館した施設です。
この度、三の丸尚蔵館が所蔵する沖縄ゆかりの油彩画や工芸品と、皇室に伝えられた名品の数々を紹介します。
絵画や写真を通して、皇室に伝えられた沖縄の姿をご覧ください。
沖縄ゆかりの品々
明治20年(1887)頃の沖縄を写生した山本芳翠の連作画をはじめ、旧桂宮家に伝えられた「琉球塗料紙箱・硯箱」、昭和天皇や秩父宮家に献上された沖縄ゆかりの作家による作品や沖縄に根ざした特色ある工芸品を展示します。
また、宮内庁が所蔵する明治時代の古写真の中から沖縄ゆかりの人物写真や明治20年の沖縄を写した写真、明治34年撮影の「沖縄県内各学校写真帖」をパネルで紹介します。
皇室の美 北斎の肉筆画、沖縄で初披露
三の丸尚蔵館が所蔵する名品から、江戸時代に活躍した円山応挙「張飛図」と葛飾北斎「西瓜図」を紹介します。
三の丸尚蔵館が所蔵する名品から、江戸時代に活躍した円山応挙「張飛図」と葛飾北斎「西瓜図」を紹介します。
また、明治時代初期に記録のために作成された「雅楽図」や、高村光雲・山崎朝雲「萬歳楽置物」、綴織による大型の壁掛けなど、皇室がその伝承に深く関わってこられた雅楽を主題とした作品や儀式で用いられた伝統的な装束、着物など、高貴で優美な染織美をご覧ください。
このほか、皇室の御慶事の折に記念品として作られてきた愛らしいボンボニエールなどを紹介します。
三の丸尚蔵館さんといえば、今秋に再開館予定でリニューアル中。そこでその間、収蔵品を全国各地のこうした展覧会に出張させています。この手の展覧会で光雲作が出たものが、下記の通りです。
今回は、九州国立博物館特別展「皇室の名宝 ―皇室と九州を結ぶ美―」でも出品されたブロンズの「萬歳楽置物」(大正4年=1915)が展示されます。木彫原型が、光太郎の父・光雲と、その高弟・山崎朝雲の作、螺鈿の施された台座部分の制作者は、由木尾雪雄という蒔絵師です。大礼(即位式)に際して貴族院から大正天皇に献上されたものです。当方、一度、現物を拝見しましたが、実に見事な作でした。何より皇室で大切に保管されてきただけあって、状態がいかにもよく、まるで最近作られたばかりのようでした。
沖縄で光雲作品の展示というのはめったにありませんし、他にも逸品ぞろいです。ぜひ足をお運び下さい。
【折々のことば・光太郎】
后浅沼政規氏くる、余の談話筆記の原稿をあずかる、ヰスキーソーダを出す、
昭和31年(1956)1月19日の日記より 光太郎74歳
「浅沼政規氏」は、昭和27年(1952)まで光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山口小学校校長を務めていた人物。光太郎にかわいがられた子息の隆氏は今も山荘近くにお住まいで、光太郎の語り部を務めて下さっています。
「余の談話筆記」は、昭和23年(1948)から同27年(1952)までの、山口小学校で行われた各種の行事や会合などでの光太郎のスピーチ、職員室での茶飲み話の際の発言などを浅沼が記録したもの。平成7年(1995)、ひまわり社さん発行の浅沼の回想録『高村光太郎先生を偲ぶ』に全34篇、50ページ以上にわたって掲載されています。高村光太郎研究会さん発行の『高村光太郎研究』中に当方編集の「光太郎遺珠」として連載を持たせていただいている中で、全篇を転載させていただきました。
浅沼は活字にすることを希望して、光太郎の元に原稿を持ち込みましたが、光太郎は個人的な発言のものであったり、必ずしも光太郎がしゃべった通りになっていなかったりということで難色を示し、光太郎生前には実現しませんでした。