長野県松本平地区で発行されている地方紙『市民タイムス』さん。000今月、一面コラムで立て続けに光太郎の名を出して下さっています。

まず、8月9日(金)。

2019.8.9 みすず野

山が好き、本が好き、音楽が好き、映画が好き、野球が好き、旅行が好き...何が好きかは本当に人それぞれだと感じるが、好きになる原点のようなものは、大概少年少女期にあるのでは◆山が好きというか、高い山に登りたかった。少年時代、中央アルプスの山稜と、南アルプスの遙かな山並みを眺めて育ったので、いつかあの山の頂に立ってみたい、と思った。それは北アルプスにも通じる思いで、北アには学生のころと、本紙で連載を企てた40代前半に登り歩いた。北アの玄関口はご存じ上高地。上高地の魅力は幅が広く、奥が深く、自然景観にとどまらない◆新刊『名作で楽しむ上高地』(大森久雄編、ヤマケイ文庫)を紹介され、いま手元にある。かのウェストンから小島烏水、辻村伊助、窪田空穂、芥川龍之介、若山牧水、高村光太郎、尾崎喜八、北杜夫、串田孫一、穂苅三寿雄・貞雄、松本市在住の三井嘉雄さんまで、おのおの上高地をつづった"佳作"ぞろい◆以前読んだり、触れたりしたものが多く、懐かしい。上高地や北アを登り歩く機会は失われたが、山好きは変わらない。この夏、本で楽しみ、味わうことにしよう。


6月に刊行された大森久雄氏編、山と渓谷社さん刊のヤマケイ文庫『名作で楽しむ上高地』が紹介されています。


続いて、昨日。

2019.8.15 みすず野

「天皇陛下におかせられましては、全国民に対し、かしこくも御自ら(中略)玉音をお送り申し上げます」。このあと、戦争の終結を告げる天皇の声が、独特の抑揚を伴って流れ、ラジオの前に集まった国民は、太平洋戦争が終わったことを知らされた◆昭和20(1945)年8月15日の正午過ぎ。悲喜こもごも、国民の受け止め方は立場、年代によってさまざまだった。作家の高見順は「遂に敗けたのだ。蝉がしきりと鳴いている。音はそれだけだ。静かだ」と「敗戦日記」に記している。詩人で彫刻家の高村光太郎は、岩手・花巻にいた。故宮沢賢治の縁で、賢治の弟宅に疎開していた◆戦後、ほとんどの文化人が東京に戻るが、光太郎は花巻郊外の山小屋に引きこもり、孤独でつましい農耕自炊生活を69歳まで7年間続けた。戦時中、戦争詩をたくさん作り、国民を鼓舞し続けたことに痛く責任を感じ、自身にその生活を課した。「小屋にいるのは一つの典型、/一つの愚劣の典型だ。」◆敗戦から74年。時代は昭和から平成、そして令和に。いかんともしがたい時の流れとはいえ、きょうという日は必ずめぐり来る。不戦の誓い新た。


令和となって初の終戦記念日ということで、各種メディア、例年より取り上げ方に熱が入っているように思われました。『週刊朝日』さんでも「文豪たちが聞いた「玉音放送」」という記事で、光太郎に触れて下さいました。

終戦の日の光太郎についてはこちら008

不戦の誓い新た。」まさにその通りですね。

【折々のことば・光太郎】

白髪三千丈ビールによつてかくの如く美し

短句揮毫 昭和27年(1952) 光太郎70歳

現在も続くビアホール、ニユートーキヨーさんのために書かれた色紙から。

「白髪三千丈」は、中国唐代の詩人・李白の詩からの引用です。