新刊です。

「人間ではないもの」とは誰か-戦争とモダニズムの詩学-

2023年1月7日 鳥居万由実著 青土社刊 定価3,600円+税

動物になる、人間になる、機械になる——
大正末から昭和初期、社会構造の変動と戦争の到来によって危機を迎えつつあった人間という「主体」は、モダニズムの時代と表現を作り出した。やがて詩人たちが謳いあげる人間の像も変貌していくこととなる。ときに昆虫として、工場の機械として、戦地を飛ぶ鳥として、動物園の猛獣として、おっとせいとして、「人間ではないもの」が跋扈しはじめていた。左川ちか、上田敏雄、萩原恭次郎、高村光太郎、大江満雄、金子光晴……。時代に浚われていった詩人たちの作品を渉猟し、プレヒューマンとポストヒューマンを架橋していく新たな批評がここに芽生える。卓越した詩人でもある著者による画期となる決定的著作。
001
[目次]
凡例
序章
 1 人間の「主体」とイデオロギーの関係
 2 本書の構成
 3 モダニズムとは何か
 第一部 モダニズム詩における「人間ではないもの」の表象
  第一章 ジェンダー規範と昆虫――左川ちか
   はじめに
   1 「何者でもないわたし」
   2 永遠なる他者「詩のミューズ」
   3 「詩のミューズ」の殺害
   4 人間ではないものに内面を託すこと
  第二章 人間主体を抹消する機械――上田敏雄
   はじめに
   1 人間を詩から抹消する
   2 分裂する自我
   3 大衆消費社会と自己意識
    3―1 広告の影響
    3―2 劇場としての都市空間
    3―3 劇場空間への風刺
   4 『仮説の運動』
   5 「燃焼する水族館」
  第三章 主体の解体と創造――萩原恭次郎
   はじめに
   1 農村に安らう身体
   2 都市環境における身体の変化
    2―1 人工空間
    2―2 交換価値のない魂
    2―3 無用の機械としての肉体
    2―4 枯れていく自然
   3 規律を離れた無用の身体
   4 新しい主体への創造と破壊
    4―1 首のない身体――全体に従わない部分
    4―2 機械による感覚の解体
    4―3 メディアによる存在感覚の変容
   5 結び直される主体
 第二部 戦争詩における「人間ではないもの」の表象
  第一章 戦時下の理想的な人間主体
   はじめに
   1 空間軸に位置付けられる主体
   2 時間軸に位置付けられる主体
   3 個人の集合体への溶融
   4 そして沈黙が支配する
  第二章 自己と他者が出会う場所――高村光太郎
   はじめに
   1 清らか・純潔であろうとする傾向
   2 「純粋な」動物に託される自己
   3 動物園における「見る/見られる」
   4 戦争詩における動物性の反転
  第三章 戦争の中の機械と神――大江満雄
   はじめに
   1 プロレタリア詩人時代
    1―1 機械の肉体
    1―2 機械の精神
   2 転向後の変化
    2―1 故郷という原点への回帰
    2―2 「鷲」の登場
    2―3 みずから狂気を選ぶこと
    2―4 国の滅びと個人の発見
    2―5 肉体の抽象化
    2―6 機械と神が残したもの
  第四章 「人間ではないもの」として生きる――金子光晴
   はじめに
   1 抵抗詩以前の動物
   2 戦時下における権力構造と動物
    2―1 流民/苦力
    2―2 犬/天使
    2―3 おっとせい
    2―4 鮫
   3 自画像としての「人間ではないもの」
    3―1 アブジェクトとしての自画像
    3―2 へべれけの神
    3―3 「大腐爛頌」
  終章
   1 動物と機械表象が登場する詩
   2 現代とこれからの展望
参考文献一覧
初出一覧
あとがき
索引

[著者]鳥居万由実(とりい・まゆみ)
1980年東京都生まれ。文学研究者、詩人、英日翻訳家。東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻博士課程修了。博士(学術)。論文に、「金子光晴の詩集『鮫』におけるヒエロニムス・ボッシュの影響」(『言語態』2018年3月)などがある。2008年、第一詩集『遠さについて』(ふらんす堂)により中原中也賞最終候補。他に、実験的散文集『07.03.15.00』(ふらんす堂、2015年)がある。

奥付は1月7日発行となっていますが、旧臘中には届きました。

詩のモチーフとしての「人間ではないもの」(動物やら機械やら)と、詩を書く主体である「人間」とが、どう交叉し、何が仮託され、また一人の詩人の中でそれらがなぜ、どのように変容していったのか,そして「戦争」とのからみなど、鋭い視点で読み解く評論集です。

000光太郎に関しては、「第二章 自己と他者が出会う場所――高村光太郎」で詳述されている他、随所にその名が見えます。

「光太郎」「動物」とくれば、連作詩「猛獣篇」。光太郎生前に「猛獣篇」として出版されることはありませんでしたが、雑誌発表時など題名に「猛獣篇より」といった付記が添えられた詩群です。それらの中から詩篇を選択し、光太郎歿後の昭和37年(1962)になって、当会の祖・草野心平が鉄筆を執り、ガリ版刷りで刊行されました。印刷、製本等には当会顧問であらせられた故・北川太一先生もご協力なさいました。

著者の鳥居氏、「猛獣篇」構成詩を中心に、「智恵子抄」収録詩を含むそれ以外の詩篇や散文等も引きつつ、光太郎の内面を剔抉しようとなさっています。

氏が取り上げられた「猛獣篇」構成詩は引用順に「清廉」(大正14年=1925)、「ぼろぼろな駝鳥」(昭和3年=1928)、「森のゴリラ」(昭和13年=1938)、「傷をなめる獅子」(大正14年=1925)、「白熊」(〃)、「象の銀行」(大正15年=1926)、「苛察」(〃)、「マント狒々」(昭和12年=1937)、「象」(〃)。

これらの詩篇だけでも光太郎と「猛獣」の関係性がいろいろ変化していますし、「猛獣」に仮託される内容も激変しています。さらに「猛獣篇」と並行し、或いは前後して作られた詩でも、「猛獣篇」と同趣旨のものが見られ、そのあたりに関しても考察が試みられています。戦時中の翼賛詩にも「猛獣篇」の残滓が見られるという指摘にはなるほど、と思わされました。

ところで「猛獣篇」、謎の多い詩群です。

比較的有名な作で鳥居氏も引用されていた「象の銀行」は、未だに初出掲載紙が不明のままですし(情報をお持ちの方は御教示いただければ幸いですが)、「猛獣篇」の指定があるものとそうでないものとの線引きが曖昧だったりもします。

そして「猛獣篇」最後の詩。現在確認出来ている光太郎自身の指定では、昭和14年(1934)、河出書房から刊行された『現代詩集 第一巻 高村光太郎 草野心平 中原中也 蔵原伸二郎 神保光太郎』で、「猛獣篇より」という項が設けられ、その最後の詩は「北冥の魚」。同年、雑誌『鵲』に発表されたもので、モチーフは何と動物ではなく潜水艦です。発表誌や遺された草稿には「猛獣篇」の指定はありませんが、なぜこれがここに置かれたのか、何とも不明です。今後の諸氏の考察を待ちたいところです。

さて、『「人間ではないもの」とは誰か-戦争とモダニズムの詩学-』、ぜひお買い求めを。

【折々のことば・光太郎】

装幀全部終る、 午后横臥、


昭和30年(1955)11月4日の日記より 光太郎73歳

装幀」は、翌年筑摩書房で刊行が始まった『宮沢賢治全集』の装幀です。中原中也『山羊の歌』など文学史に残る数々の書籍・雑誌等の装幀を手がけた光太郎でしたが、その最後の仕事がこれでした。