毎年恒例となっていますが、昨日は初日の出を拝みに、九十九里浜に行っておりました。

以前は昭和9年(1934)、心を病んだ智恵子が療養していた現在の九十九里町の片貝海岸まで足を伸ばしておりましたが、そちらは近年、複雑な形の巨大防潮堤が出来てしまい、味気ない感じになってしまいましたので、昨年からは自宅兼事務所のある香取市に隣接する旭市でご来光を拝んでいます。

ついでに言うと、17歳で逝ってしまった愛犬が健在だった頃は毎年連れて行きましたが、一人で行くようになって3回目でした。現在も居る愛猫ではこんな際のお供は務まりません(笑)。

今年は、昨年行った足川浜というところからさらに南の海岸で。昨年の場所は車を駐めたり出したりで少し苦労しましたので。今年はそのあたりスムーズに動ける場所を探し出しました。それでもそれなりの人出でした。
PXL_20221231_215034337
現地に着いた午前6時過ぎ。すでに東の空は茜色。
PXL_20221231_213950311
西高東低の冬型の気圧配置で、太平洋上には低気圧があるため水平線上には雲がかかっていましたが、その上は快晴状態。なかなかいい条件でした。

それから、ここ数年で最も気温が高かったように感じました。それを裏付けるように、海面には海霧。幻想的でした。
PXL_20221231_213958241
それでもやはり寒いのは寒いので、流木を集めて焚き火。
PXL_20221231_214608419.MP
この場所から右手の方。遙か遠く霞んでいる辺りが智恵子が療養していた片貝方面です。
PXL_20221231_215142077
さて、6時50分過ぎ、雲の上に太陽が姿を現しました。
PXL_20221231_215400089
PXL_20221231_215538469
PXL_20221231_215552764
PXL_20221231_215620057
人々の間からは歓声も。

コロナ禍やウクライナ侵攻、むちゃくちゃな日本の政治状況など、今年は解決して良い年となるようにと祈らざるを得ませんでした。

さて、夜。BS朝日さんで放映された「暦に集う ダイヤモンド富士」を拝見。
056
昭和17年(1942)、光太郎が詩部会長に就任した日本文学報国会と読売新聞社が提携して行われた「日本の母」顕彰事業のため光太郎が訪れ、それを記念して昭和62年(1987)には光太郎文学碑も建立された山梨県南巨摩郡富士川町上高下(かみたかおり)地区。冬至の前後には富士山頂から日が昇る「ダイヤモンド富士」現象が見られる場所です。
057
おそらく冬至の頃にロケが行われたのでしょう。アマチュアカメラマンの方々にお話を聞いていました。
059
058
三田寛子さんによるナレーションでは昭和17年(1942)にこの地を訪れた光太郎が「こんなに立派な富士山は初めてだ」と感嘆したということに触れて下さいました。しかし、すぐ近くの光太郎文学碑は映されませんでした。

日テレさん系のニュースでも取り上げられました。光太郎の名は出ませんでしたが。

新年への願い込め…富士山の山頂から昇る“ダイヤモンド”初日の出 山梨・富士川町

 1日、山梨県富士川町では富士山の山頂から昇る初日の出に多くの人が新年への願いを込めました。
 山梨県富士川町の高下地区では毎年この時期、富士山頂から朝日が昇るダイヤモンド富士を見ることができます。
 1日は多くの人が訪れ初日の出を見ようとその瞬間を待ちました。
 そして午前7時26分ごろ、訪れた人は太陽と富士山が作る幻想的な光景に新年への願いを込めていました。
 訪れた人「20歳になって初めて見た初日の出だったのでよかった」
 訪れた人「自分は営業の仕事をしているが、去年の成績よりもことしは上を目指したい」
003
004
005
006
007
008
009
かえすがえす、良い年になってほしいものです。

【折々のことば・光太郎】

長岡輝子さんくる、ブドウ酒2本もらふ、朗読について、


昭和30年(1955)11月3日の日記より 光太郎73歳

女優の故・長岡輝子さんが、中野の貸しアトリエを訪問なさったとのこと。長岡さんといえば、岩手のご出身で、同郷の宮沢賢治作品の朗読などでも有名な方でした。また、お父さまが光太郎と交流のあった渡辺えりさんは、長岡さんの舞台をご覧になって演劇の世界に進むことを決意されたそうです。