昨日開幕した杉並区立郷土博物館さんの企画展「生誕130年 詩人・尾崎喜八と杉並」を拝見して参りました。尾崎喜八は杉並に暮らしたこともあり、光太郎と交流の深かった詩人です。

同館には平成29年(2017)、『高村光太郎全集』に漏れていた光太郎書簡を拝見するため訪れましたので、2度目でした。

最寄りの光太郎京王井の頭線永福町駅。光太郎のDNAを受け継いだ彫刻家・佐藤忠良の作品。
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徒歩十数分で同館に到着。
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豪農の家だったところに建てられており、長屋門は昔のまま、裏手には母屋も。
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敷地内の本館は近代的な建築です。
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観覧料100円を払って、早速拝見。
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当然、尾崎の生涯についての展示がメインで、著書や草稿、遺品、尾崎の写った写真パネル、写真が趣味だった尾崎が写した写真パネルなどなど。著書も数十冊をずらっと並べると圧巻の見映えでした。

そして交流のあった人々ということで、光太郎との関わり。光太郎が尾崎の結婚祝いに贈ったミケランジェロの模刻「聖母子像」、光太郎から尾崎宛の葉書(昭和21年=1946)も展示されていました。驚いたことに、帰ってから調べましたところ、この葉書は『高村光太郎全集』に漏れていたものでした。尾崎宛書簡は全集に10通ほど掲載されており、そのうちの1通だろうとたかをくくっていたのですが、違いました。

それから、尾崎が撮影した光太郎写真、尾崎一家(妻・實子――光太郎の親友・水野葉舟の息女、長女・榮子)と光太郎の写真(いずれも駒込林町の光太郎アトリエ兼住居で撮影)。集合写真は4人が写っている部分を引き伸ばした形でよく拝見しますが、元版は背景の光太郎アトリエの窓や二階の出窓などがしっかり写っていて、驚きました。最近、建築としての光太郎アトリエに興味を惹かれているもので。
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他に光太郎とも交流のあった人々についての展示も興味深く拝見しました。尾崎岳父にして光太郎の親友・水野葉舟、思想家の江渡狄嶺、彫刻家の高田博厚、「ロマン・ロラン友の会」で一緒だった片山敏彦、当会の祖・草野心平など。

意外だったのは、上井草にホームグラウンドがあったプロ野球の球団「東京セネタース」との関わり。球団歌の作詞をしたり、選手や監督とも個人的な交流があったりしたとのこと。これは存じませんでした。

図録が刊行されていました。A4判48ページで600円。入館料100円といい、実に良心的です(笑)。しかし600円と侮るなかれ、充実の内容です。
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ぜひ足をお運びの上、お買い求め下さい。会期は来年2月19日(日)となっています。

【折々のことば・光太郎】

午后四時半中西夫人くる、桑原さん澤田さん草野さんくる、支度して五時過退院、ハイヤー2台、 伊藤信吉氏奥平さんアトリエにくる、 無事に過ごす、横臥 玉ずしの夕食、

昭和30年(1955)7月8日の日記より 光太郎73歳

宿痾の肺結核の悪化で4月末に赤坂山王病院に入院しましたが、退院。しかし、治癒したわけではなく、逆に治癒の見込みも薄く、といって、今すぐどうこうというわけでもないので、それなら高い入院費を払い続けるより、自宅療養に切り替えることにしました。この後は「チーム光太郎」ともいうべき医師団が代わる代わる往診に訪れます。