都内で光太郎にもからむ内容の企画展です。
期 日 : 2022年12月17日(土)~2023年2月19日(日)
会 場 : 杉並区立郷土博物館 東京都杉並区大宮1丁目20番8号
時 間 : 9:00~17:00
休 館 : 毎週月曜日・毎月第3木曜日(祝日と重なった場合は開館、翌日休館)
12月28日~1月4日
12月28日~1月4日
料 金 : 100円(中学生以下、障害者手帳を提示する方および付き添いの方は無料)
詩人・尾崎喜八(1892年~1974年)は、白樺派から出発し、杉並で「自然と文学」の金字塔となる作品を多く遺しました。大正12年(1923年)の関東大震災後に作家・水野葉舟(みずのようしゅう)の親友であった農業思想家・江渡狄嶺(えどてきれい)の導きで現在の高井戸東に新居を構えた尾崎は、翌春、水野の娘・實子(みつこ)と結婚してそこに暮らしました。のち、昭和19年(1944年)まで、現在の南荻窪、善福寺と戦前の杉並に住み、野鳥研究家・中西悟堂(なかにしごどう)とは自然・野鳥を、詩人・片山敏彦(かたやまとしひこ)とは海外の新しい文学を探求して、『山の絵本』などの博物誌を書きました。また、ノーベル賞作家ロマン・ロランと交友してその文化使節を杉並に迎えるなど、世界文学とのつながりを持ちました。
本展では、寄贈を受けた資料の中から、尾崎がガラス乾板・写真に残した100年近く前の杉並の農村風景や生態系の様子とともに、深い交流のあった高村光太郎ら文学者とのかかわりなどを紹介します。
関連行事 石黒敦彦氏講演会
詩人・尾崎喜八はおそらく『白樺』を通じて光太郎の知遇を得たのではないかと思われますが、光太郎の親友だった水野葉舟の娘・實子と結婚し、さらに光太郎と深く交流するようになったようです。光太郎は結婚祝いにミケランジェロの模刻「聖母子像」を夫妻に贈りました。
令嬢の故・榮子さん。当方、2度ほどお会いしましたが、生前の智恵子をご存じでした。令孫の石黒敦彦氏はご健在で、連翹忌の集いにもたびたびご参加下さっています。
石黒氏の依頼で、少しだけ協力させていただきました。尾崎一家を高井戸に招いた思想家・江渡狄嶺と光太郎のからみについて。光太郎は江渡が拓いた農場に建てられた霊堂「可愛御堂」の設計を担っていまして、そのあたりについて資料を提供しました。
光太郎、葉舟、尾崎、江渡、さらにそこにロマン・ロランつながりで片山敏彦や渡仏前の高田博厚なども加わった人脈が形成されており、非常に興味深いところです。
当方、初日の12月17日(土)に伺う予定です。皆様も是非どうぞ。
【折々のことば・光太郎】
ひる頃理髪くる、350円払、
宿痾の肺結核悪化による、赤坂山王病院入院中の一コマです。入院はしたものの、危篤状態というわけでもなく、調子のいい時には床屋さんを呼んで理髪してもらったりもしていたようです。
関連行事 石黒敦彦氏講演会
第1回 「詩人・尾崎喜八」 令和4年12月18日(日曜日)
第2回 「口語自由詩と昭和の杉並・武蔵野」 令和5年1月15日(日曜日)
第2回 「口語自由詩と昭和の杉並・武蔵野」 令和5年1月15日(日曜日)
時 間 午後2時 から 午後4時 まで
対 象 中学生以上の方
場 所 郷土博物館
講 師 石黒敦彦氏(尾崎喜八孫・東京工芸大学講師)
詩人・尾崎喜八はおそらく『白樺』を通じて光太郎の知遇を得たのではないかと思われますが、光太郎の親友だった水野葉舟の娘・實子と結婚し、さらに光太郎と深く交流するようになったようです。光太郎は結婚祝いにミケランジェロの模刻「聖母子像」を夫妻に贈りました。
令嬢の故・榮子さん。当方、2度ほどお会いしましたが、生前の智恵子をご存じでした。令孫の石黒敦彦氏はご健在で、連翹忌の集いにもたびたびご参加下さっています。
石黒氏の依頼で、少しだけ協力させていただきました。尾崎一家を高井戸に招いた思想家・江渡狄嶺と光太郎のからみについて。光太郎は江渡が拓いた農場に建てられた霊堂「可愛御堂」の設計を担っていまして、そのあたりについて資料を提供しました。
光太郎、葉舟、尾崎、江渡、さらにそこにロマン・ロランつながりで片山敏彦や渡仏前の高田博厚なども加わった人脈が形成されており、非常に興味深いところです。
当方、初日の12月17日(土)に伺う予定です。皆様も是非どうぞ。
【折々のことば・光太郎】
ひる頃理髪くる、350円払、
昭和30年(1955)5月20日の日記より 光太郎73歳
宿痾の肺結核悪化による、赤坂山王病院入院中の一コマです。入院はしたものの、危篤状態というわけでもなく、調子のいい時には床屋さんを呼んで理髪してもらったりもしていたようです。