昨日は、日本詩人クラブさんという団体の2022年12月例会にお招きいただき、都内に出ておりました。基本、クローズドのイベントでしたので、このブログではご紹介していませんでしたが。
会場は新宿区の早稲田奉仕園さん。
会場は新宿区の早稲田奉仕園さん。
講演を仰せつかりまして、約60分、喋らせていただきました。
で、12月例会は光太郎。会員であらせられる曽我貢誠氏、宮尾壽里子氏がご推挙下さって、当方が講演をすることに。以前からそういうお話があったのですが、コロナ禍の関係で延び延びとなって、本来は『智恵子抄』発刊80周年に当たる昨年のはずだったようですが。
まぁ1年遅れではありましたが『智恵子抄』、そして太平洋戦争開戦の12月8日の翌々日ということもあり、さらに今年起こって今も続くロシアによるウクライナ侵攻にもからめまして、演題を「2022年の高村光太郎――ウクライナ、そして『智恵子抄』――」とさせていただきました。初版『智恵子抄』の刊行が太平洋戦争開戦前夜の昭和16年(1941)8月、収録詩の最後のあたりは泥沼化していた日中戦争との絡みも語られており、『智恵子抄』と戦争は切っても切り離せない関係にあります。
自分ではあまり見たくないのですが(笑)、YouTubeにアップされています。以前も書きましたが、人前でしゃべるのは抵抗はありませんがさりとて自信もありません。
後半は「高村光太郎「智恵子抄」朗読ドラマ――発刊80周年を過ぎて振り返る」。会員の皆さん、すなわち詩人の方々が演じられました。
脚本は宮尾氏(上記画像左端)。以前から朗読のお仲間と同様の公演を何度かなさっていて、それをアレンジしたという感じでした。
プロの役者さんや朗読家の方ではなく、詩人の皆さんが演じられたわけですが、日頃から「言葉」に対して鋭敏な感覚を持たれているご一同、なるほどねと思わされるステージでした。こちらもYouTube動画に当方の講演の後に収録されています。当方の講演よりそちらをご覧下さい(笑)。
それにしても、詩人の皆さんがこういう団体を結成され、詩作だけでなくいろいろな活動を行われているということを、当方、お話を頂くまでよく存じませんでした。2月24日(木)に始まったロシアによるウクライナ侵攻に対しても、翌3月には早速反対声明を発表なさっていますし。そのあたりを踏まえ、日中戦争・太平洋戦争中に、光太郎はじめ、殆ど全てといっていい詩人達が犯した戦争推進協力の過ちを繰り返さないよう、まぁ、それ以前にそういう状況にしないためにも、詩人の皆さんの出来ることをなさって下さいとお願いして参りました。言わずもがな、かも知れませんが。
戦争と光太郎については、また近々、このブログで取り上げます。以上、レポートを終わります。
【折々のことば・光太郎】
からだのいたみまだあり、中腰の位置の時痛し、
宿痾の肺結核による赤坂山王病院への入院が前月30日。入院はしても積極的な治療ができるわけでもなく、こういう状況でした。光太郎余命あと1年足らずです。
で、12月例会は光太郎。会員であらせられる曽我貢誠氏、宮尾壽里子氏がご推挙下さって、当方が講演をすることに。以前からそういうお話があったのですが、コロナ禍の関係で延び延びとなって、本来は『智恵子抄』発刊80周年に当たる昨年のはずだったようですが。
まぁ1年遅れではありましたが『智恵子抄』、そして太平洋戦争開戦の12月8日の翌々日ということもあり、さらに今年起こって今も続くロシアによるウクライナ侵攻にもからめまして、演題を「2022年の高村光太郎――ウクライナ、そして『智恵子抄』――」とさせていただきました。初版『智恵子抄』の刊行が太平洋戦争開戦前夜の昭和16年(1941)8月、収録詩の最後のあたりは泥沼化していた日中戦争との絡みも語られており、『智恵子抄』と戦争は切っても切り離せない関係にあります。
自分ではあまり見たくないのですが(笑)、YouTubeにアップされています。以前も書きましたが、人前でしゃべるのは抵抗はありませんがさりとて自信もありません。
後半は「高村光太郎「智恵子抄」朗読ドラマ――発刊80周年を過ぎて振り返る」。会員の皆さん、すなわち詩人の方々が演じられました。
脚本は宮尾氏(上記画像左端)。以前から朗読のお仲間と同様の公演を何度かなさっていて、それをアレンジしたという感じでした。
プロの役者さんや朗読家の方ではなく、詩人の皆さんが演じられたわけですが、日頃から「言葉」に対して鋭敏な感覚を持たれているご一同、なるほどねと思わされるステージでした。こちらもYouTube動画に当方の講演の後に収録されています。当方の講演よりそちらをご覧下さい(笑)。
それにしても、詩人の皆さんがこういう団体を結成され、詩作だけでなくいろいろな活動を行われているということを、当方、お話を頂くまでよく存じませんでした。2月24日(木)に始まったロシアによるウクライナ侵攻に対しても、翌3月には早速反対声明を発表なさっていますし。そのあたりを踏まえ、日中戦争・太平洋戦争中に、光太郎はじめ、殆ど全てといっていい詩人達が犯した戦争推進協力の過ちを繰り返さないよう、まぁ、それ以前にそういう状況にしないためにも、詩人の皆さんの出来ることをなさって下さいとお願いして参りました。言わずもがな、かも知れませんが。
戦争と光太郎については、また近々、このブログで取り上げます。以上、レポートを終わります。
【折々のことば・光太郎】
からだのいたみまだあり、中腰の位置の時痛し、
昭和30年(1955)5月5日の日記より 光太郎73歳
宿痾の肺結核による赤坂山王病院への入院が前月30日。入院はしても積極的な治療ができるわけでもなく、こういう状況でした。光太郎余命あと1年足らずです。