毎年この時期に行われる、古書業界最大の市(いち)、七夕古書大入札会。出品物全点を手に取って見ることができる下見展観が、7月5日(金)午前10時〜午後6時、7月6日(土)午前10時〜午後5時に行われます。会場は神田神保町の東京古書会館さんです。

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ネット上に出品目録がアップされています。今年は光太郎の作が少なく、2点のみでした。

追記 当方が気づかなかったものがあと1点、さらに目録未掲載の追加出品で1点出ました。

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詩稿9枚。昭和18年(1943)に書かれた詩「突端に立つ」他4篇だそうです。平成28年(2016)にも出品されましたし、さらに遡れば昭和63年(1988)にも出品されました。ただし、昭和63年(1988)の時点では全12枚、詩は6篇。昭和19年(1944)に刊行された『歴程詩集2604』のための浄書稿のようで、詩6篇であればそれでコンプリートでした。その後、1篇3枚が欠けてまた市場に出て来ているわけです。

『歴程詩集2604』の目次に拠れば、掲載されたのは「或る講演会で読んだ言葉」(昭和17年=1942)、「われらの死生」(昭和18年=1943)、「突端に立つ」、「戦歿報道戦士にささぐ」(昭和17年=1942)、「三十年」(同)、「朋あり遠方に之く」(昭和16年=1941)です。時期が時期だけに、すべて翼賛詩といっていいものです。ちなみに上記画像右半分の「突端に立つ 他五篇 高村光太郎」の部分は、『歴程詩集』編集にあたった平田内蔵吉の筆跡です。

追記 実際手に取って確認したところ、「突端に立つ」「或る講演会で読んだ言葉」「朋あり遠方に之く」「三十年」の四篇でした。

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この手の大量に書き殴られた翼賛詩こそが光太郎詩の本質・心髄であると、涙を流してありがたがる愚か者も少なくないのですが、なぜかこの詩稿、回転寿司のように市場を回り続けています。

「或る講演会で読んだ言葉」(昭和17年=1942)は、少国民文化協会主催講演会で光太郎自身が朗読したもの。確認できている活字になった初出は昭和19年(1944)の光太郎詩集『記録』です。

「三十年」(昭和17年=1942)も、朗読が最初で、こちらは岩波書店の回顧三十年感謝晩餐会で朗読されました。右はその際の写真です。「三十年」というのは岩波書店の創立三十周年ということで、これのみ、翼賛色のあまり濃くない作品ですが、それでも「敵を知るもの敵を破る。/われら民族の理念、/炳として今世界の文化に紀元を画する。」「断じて折伏すべきもの、斯くの如きものことごとく撃つべし。」といった勇ましい(?)文言が散見されます。


続いて書簡が一通。

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出版社文一路社の社主、森下文一郎に宛てたもので、筑摩書房さんの『高村光太郎全集』には収録されていないものです。昨年、『日本古書通信』さんに掲載された八木書店さんの在庫目録に載りました。智恵子が亡くなる前年、昭和12年(1937)のもので、「智恵子がまだ悪かつたりしますので尚更小生は腐つて居ます」といった一節もあります。

入札最低価格が「ナリユキ」となっていますが、5万円からスタートのオークション形式で競りにかかるそうです。今年の目録ではこの「ナリユキ」が非常に目立ちます。このところ、高い価格で最低価格を設定しても売れないようで、どうもアホノミクスの破綻による不景気やデフレスパイラルの影響から来ているのかな、という気がします。

他に、商品名に「光太郎」の文字は入っていませんが……。

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光太郎が序文を書いた黄瀛の詩集『瑞枝』(昭和9年=1934)。入札最低価格5万円というのは安すぎるような気がします。


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光太郎が題字を揮毫した中原中也詩集『山羊の歌』(昭和9年=1934)。永井龍男宛の献呈署名入りで、さすがにこちらは根強い人気を保つ書籍でもあり、入札最低価格100万と強気です。


先ほども書きましたが、出品物全点を手に取って見ることができる下見展観が、7月5日(金)午前10時〜午後6時、7月6日(土)午前10時〜午後5時に、神保町の東京古書会館さんで行われます。ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

温泉は世の中で一番好きなものですが、どこの温泉といふ定めはありません。地面の中からどんどん湧き出してゐるところが一番ありがたいだけです。
アンケート「地面の中から」より 大正11年(1922) 光太郎40歳

雑誌『旅行と文芸』に載ったアンケート回答から。アンケートのコーナー自体に題名がなかったようで、「地面の中から」というのは『高村光太郎全集』収録の際に仮に付した題名と思われます。質問は「どこの温泉が好きですか」でした。