雑誌系、いろいろと届いております。
まず、当会顧問・北川太一先生のご著書をはじめ、光太郎関連の書籍を数多く上梓されている文治堂書店さんが刊行されているPR誌――というよりは、同社と関連の深い皆さんによる文芸同人誌的な『トンボ』の第八号。拙文「連翹忌通信(五) 「光太郎遺珠」その四」が掲載されています。
当会刊行の冊子『光太郎資料』、購読していただいている方には、次号(10月発行)と併せてお送りいたします。その他、入用な方は文治堂書店さんまで。
続いて、日本絵手紙協会さん発行の、『月刊絵手紙』。
「生(いのち)を削って生(いのち)を肥やす 高村光太郎のことば」という連載がなされています。今号は詩「最低にして最高の道」。昭和15年(1940)の雑誌『家の光』に掲載されました。意外とファンの多い詩です。
最低にして最高の道
もう止さう。
ちひさな利慾とちひさな不平と、
ちひさなぐちとちひさな怒りと、
さういふうるさいけちなものは、
ああ、きれいにもう止さう。
わたくし事のいざこざに
見にくい皺を縦によせて
この世を地獄に住むのは止さう。
こそこそと裏から裏へ
うす汚い企みをやるのは止さう。
この世の抜駆けはもう止さう。
さういふ事はともかく忘れて
みんなと一緒に大きく生きよう。
見えもかけ値もない裸のこころで
らくらくと、のびのびと、
あの空を仰いでわれらは生きよう。
泣くも笑ふもみんなと一緒に
最低にして最高の道をゆかう。
最愛の妻、智恵子を喪くして約2年。かつて実践していた、俗世間とは極力交わらず、己の芸術精進に明け暮れる生活が智恵子の心の病を引き起こし、さらにそれを続けていては自分もおかしくなってしまうという危機感から、一転して社会と関わりを持とうと「改心」したことが宣言されています。しかし、その社会は泥沼の戦時体制に入っており、日中戦争は膠着状態、局面打破をはかって翌年には太平洋戦争に突入する、その前夜です。
したがって、「みんなと一緒に」、挙国一致体制を支持し、聖戦完遂、神国日本に勝利をもたらそう、手を貸してくれと、そういうきな臭い背景のあるいわば翼賛詩でして、当方、あまり好きになれません。そういった裏の作詩事情を抜きにして読めば、それなりに悪い詩ではないのですが……。
明日も雑誌系で。
【折々のことば・光太郎】
作文の用意は「無駄の無い」と言ふ事から始まると思ひます。心に思ひ感ずる事は必ず表現が出来るものです、たとひ、言語文字が足らなくとも。
アンケート「現代名家文章大観」より 大正5年(1916) 光太郎34歳
「無駄の無い」というと、普通は「無駄なものを削ぎ落として」という意味になることが多いのですが、光太郎、逆ですね。「心に思ひ感ずる事」をすべて「表現」しなさい、と。なるほど、そういう考え方も成り立ちますか。